はてなキーワード: カレンダーとは
http://anond.hatelabo.jp/20140717223331の増田です。
たくさんの人に見てもらえるとやっぱり嬉しいですね。
埼玉のおっさんではありませんが、九州のアラフォーおばさんです。
胸糞悪くなるって書いてたのに見てくれて、しかもトラバやブクマをくれるなんて!
はてなには優しい人がたくさんいるんですね。
先日、大学生の彼に数年ぶりに会ったと書きましたが、あの後、一連のことを改めて思い返してみたのです。
ある意味サディストな私は赤の他人に気持ちの悪い自分語りをすることでその心を少しでもざわつかせてみたいと思ったのです。
しかしある意味ではマゾヒストな私はこれを投稿し見知らぬ他人様から罵詈雑言を投げつけられ、蔑まれてみたいとも思ったのです。
なので、ブコメ等で「胸糞悪い」、「気持ち悪い」、「一回死ね」と言われて非常に安心いたしました。ありがとうございます。
ご指摘どおり偏差値の意味については誤解しておりました。申し訳ありません。
ネット上では結構可愛い子が顔面偏差値30とか書かれておりましたので、単純にじゃあもっと下だな、と思って20としました。
1000人に1人のブスか?と言われるとよく分かりませんが、幼少の頃より親にブスだブスだと罵られ、学生時代はクラスで一番ブスな女子ランキングで常に1位に君臨しておりました。見えるところで結果発表するなよ、と。子供って無邪気に残酷ですね。
なので私は自分のことを自他共に認めるブスだと思っております。
ブスでも料理がそこそこ出来て、運が良いと結婚できるようです。
好きでは意味が広すぎる。恋をしたとするには羞恥を覚える。よって懸想、と書きました。
あれを美しい思い出に仕立てあげたい欲望の現われだと思っていただければ。
カレンダー通りにお仕事をされている方々は明日から三連休ですね。
あれは15年くらい前だったろうか。家からボヤが出て警察が来た。俺は何か色々しゃべって失火ということで済んだのだが、話はそこでは済まなかった。俺の記憶ではそんなことは起こらなかったからだ。
よっぱらっていたとか、寝起きだったとかなら分かるが、真っ昼間にアセトンかなんかを煮詰めててそれをこぼしたとかいいやがる。意味がわからない除光液煮詰めるバカがどこにいますか。
まーなん記憶はないけど、台所でそんなもん茹でたりひっくり返したりすりゃ、そりゃ失火もしますわ。というかよく死ななかったな。大やけどしたけど。
んで、その数日間の出来事がすっかりないってんで警察の人が困り果ててしまった。調書は取ったんだけど今度は全然違うことを言う。覚えてない、知らない。
しかし数日して、俺の仲がいい友だちに「あのことはよく覚えてるよ」とか言い始めたらしい。俺が。らしい。だって俺しらねーもん。
ここでさすがにおかしーだろって思う。靴屋の小人的なにおいがするよね。で、心療内科に行った。多重人格(今ではややこしい名前を使う、略してDIDっていったりする)の専門家で俺も名前を聞いたことがあるようなところに連れて行かれた。「あなたは多重人格です」といきなりオッサンは言った。「なんで分かるんですか」「交代人格が出てきたんだから多重人格だろ」「あんた何もしてねーじゃん」「時計をみてごらん」
45分くらい経っていた。記憶をなくすというのはよくあるが、時間がすっとぶというのはあまりないのでびっくりした。まあ、俺の仲には5,6人くらいいるらしく(逆に1,2人くらいしか居ない人はめずらしいらしく、俺は典型的らしい)治療の必要がある、と。
ガールフレンドができると、たまにだけど現れて、俺が話たくないような話をしたりするらしい。自分にもう何人か人格がいて、失火を起こしたり友人に電話を掛けたりしてるらしいってのは、ちょっと変わってるかもしれないけど俺には結構面白いことだった。
俺にも婚期とかいうやつがきたらしく、付き合っていた女と結婚すうことにした。そいつは俺のことをだいたい4,5人分くらい知っていた。そいつの、俺の(別の人格の)話を聞くのが好きだった。多重人格とかいうけど人を殺したりとかしなければ大したことないじゃんかくらいに思っていた。
朝、布団から起きると、4年連れ添った妻が居なかった。部屋はすっかり片付いて俺のものしか転がっていなかった。3歳の息子もいなかった。プラレールもなかった。
カレンダーをみると一ヶ月くらい経ってた。仕事はなくなっていた。
全く覚えていない。
その日、俺は大声とともに妻を外にひっぱりだし、ひたすら殴り続けたのだそうだ。子供が見る前で暴力はやめてくれと言ったらしいが、顔が真顔で一切聞き入れない感じだったらしい。ひたすら殴っていたそうだ。警察が来て、俺が引き取られて、嫁は子供をつれて実家に帰った。
そういや、父親の暴力に耐えかねて逃げ延びた母子がいたなーと思ったら俺のことだった。俺は俺を産んでしまったのか。
神経科医の言葉が思い。「DIDになった以上、結婚は諦めろ」と。俺ならうまくいくと思っていたんだよ。小説とかで読むのとだいぶ違うし。
離婚といわれてもピンとこない。嫁が「結婚の継続が困難な理由」としてどんな文章を捻り上げてくるのか今からちょっと楽しみだったりする。
よく悪役のナンバー2あたりが焦りながら「under control!」って言って粛清される場面があると思うけど、
大抵の場合それは、「自分が思う状態にする」だったりするので、
施設管理部って部署は、施設を常に使える状態においたり、どういう状況か把握しておく所だったりする。
(だから「俺はこの状態を管理できてます!」って叫んで、できてねーよって粛清されるわけだ)
では、スケジュール管理とはなんだろうか。粛清されないためには管理下におかねば!
Aの更新期限は7/5まで、
Bの申し込みは9~16日まで、
Dの書類は7/15〜8/20必着で、
Aが忙しいから、Eの電話を来週にしよう!みたいに「日程を変更する事ができるもの」が、管理だ。
C資格試験の日程は、元増田が変更できないだろう?それを「under control」って言うと粛清される。
そうすると、スケジュール管理的にはこうなる。
つまり、Cは管理下に置けない。「YOU can't control」だ。
じゃあ、どうやって日程を決めれば良いのか?
では、タスク管理とはなんだろうか。粛清されないためには管理下におかねば!
これはまずい。粛清対象だ。つまり、元増田は、タスク管理ができていない。
電話に誰もでんわ、みたいな状態があるので、Eは実は限定的な管理だ。
じゃあ、「可能」とはどういう意味だろうか?
それは進捗を管理することによって決められる。
では、進捗管理とはなんだろうか。粛清されないためには管理下におかねば!
英語にすると、progress controlとかになるだろう。
さて、さっき英語で「ぶろぐれす こんとろーる」と言ったが、プログレスバーって聞いたことないだろうか。
Windowsでコピーしてて、8割ぐらい埋まってて残り10秒ってなってるのが、突如30秒に増えたりするアレだ。
増えるとイラっとするだろう。元増田がイラっとされるとまずい。粛清される。
「今どの駅にいますか?」というメールと同じだ。今、品川を過ぎたのでもうすぐ降ります。
つまり、Aというタスクの進捗管理とは、路線を敷き、駅を立て、どこを走っているか管理下に置くことだ。
少なくとも元増田は、タスクに気が付くだけの能力がある。だからナンバー2にはなれる。
Aのタスクに気が付いた時点で、路線を敷いて、駅を建てないからだ。粛正されないためには管理下におかねば!
これはつまり、限定的な日程決定を、タスクが可能な間に、進捗駅を立てて、列車運行を管理すると言うことだ。
日付に駅を建てる。これが、スケジュール管理になる。
例えば5月の間に「あー、Aの更新しないとな。まだだよな」と気が付いたとする。
この時点で、とりあえず終着駅と始発駅を作る。
例えば、「流石に12月じゃなかったはずだ。じゃあ終着駅11月30日、始発駅5月18日にしよう」
書いてあれば5月18日に「ああ、Aの更新手続きは7/5までか、終着駅を7/5に変更だ。中間駅を7/1にしよう」とできる。
そして、7月1日には、更新手続きを行える。完了してしまえば、7/5の終着駅は消せる。
例えば、7/1にB~Eに気が付いたとする。(ナンバー2にしては遅すぎるが)
こうすると、その日に書いてあることをやれば良い。
7月10日にナンバー1から「C試験の進捗どうですか?」と聞かれても、
「(7月8日に1/3進んでなければ)進捗駄目です!7/11に再確認して報告します!」と答えられる。
スケジュール管理とは、カレンダーに進捗駅を書き込むことを言う。
進捗駅とは、タスク毎に始発駅、中間駅、終着駅を作ることを言う。
人によって、タスクをストックしておいて、毎月路線を敷いたり、毎週路線を敷いたりする。
でも、忘れっぽい人は、とりあえずで良いから路線を敷いて、駅を建てることをオススメする。
タスクをもれなくノートに書いて、カレンダーに駅を建てていく。
そして、ノートを見ながら何本の列車が走っているか見て、カレンダーを見ながら電車が今どこにいるか見る。
これが「under control!」だ。管理下に置いていれば、粛正はされない。
長いし、ただただ書き留めておきたいだけの自己満足だ。
両親が共働きでおばあちゃん子だった。おばあちゃんに孫は自分を入れて4人いたが、一番下で他の孫と年齢が離れていることもあって自分が一番可愛がられた。
本当に溺愛という言葉が正しく、同じ家に住んでいるのに、少しでも自分の姿が見えないと探しに来た。10分離れると不安だったのだろう。
高校時代に受験勉強(という名のただの夜更かし)をしているときも、1時や2時に起きてきて「えらいねぇ。まだ寝ない?」と聞いてきた。
そのたびに「まだ。もうちょっと。」と言ってあしらっていた。
近所でも有名になるぐらい、自分のことを溺愛していた。
高校を卒業し、浪人した。この時に実家を出て、予備校の寮に入って祖母との同居から離れた。
18年片時も離れず育てた孫がある日突然出て行くのだ。寂しかったのだと思う。もちろん電話が頻繁にかかってきた。
2、3日に1度というペースで、かかってきて、いつも決まって同じことを言った。
「次はいつ帰って来るんよ?カレンダー見ながら指折り数えてるんよ。はよ帰ってきて。」
寂しいことはわかっていたが、毎週末帰るわけにいかない。
するとだんだんと電話の頻度が多くなってきた。言われることはいつもと一緒。
「次はいつ帰って来るんよ?はよ帰ってきて。」
ある時、少しだけ反発をした。
「昨日も電話したやん。同じことばっかり言われてもすぐ帰れんよ!」
ちょっと強めに言ってしまった。少し後悔した。その瞬間、思いもよらぬことを言われた。
あとで母親に聞いたところ、自分が家を出てから物忘れが加速しているのだそうだ。
財布を家の中で失くしたり、ご飯をたべたことを忘れてしまったりと日常生活に支障をきたし始めていた。
ショックだった。祖母は働き者で、両親が働いていて居ない間はご飯を作ったり塾への送り迎えをしたり、常に動いている人だった。
自分が家を出てから、世話をする人がいなくなり、昼間にずっと寝る生活になったのだという。
自分が家に居たら。そう思った。
だがもう限界をとっくに超えていたのだろうと思う。
夜も満足に眠れず、昼間も祖母が気になって仕事場からちょくちょく家に見に帰っていた。
家族はそれに賛成したし、もちろん僕も賛成した。
自分は実家から遠く離れた大学に進学したので帰るのは半年に1度程度だった。
その頃には自分のことは忘れられていた。
「おまん、誰よ?」
辛かった。けれど祖母が育ててくれたことに対する感謝の気持ちがあったので、帰ってきた時は毎日のように会いに行った。
大学4年のある日の朝に夢に祖母が出てきた。
白いぼんやりとした、もやもやしたものの中に祖母が立っていた。
はっきりと「もう長くないんよ。」と言った。
ハッとして起きた。嫌な胸騒ぎがした。しかしその時期は大学の研究発表会が近づいており、こんな夢を見ることもあるだろうと思い大学に向かった。
夜8時を超えたぐらいだったと思う。父親から電話がかかってきた。嫌な予感がした。
当たった。
「もう今晩がヤマらしい。」
聞いた時は冷静だった。
「今すぐ帰るから、待ってるように言って。」
結局実家に帰る終電には間に合わず、朝いちの電車で帰ることになった。
それまでにいろんなことを考えた。もし自分が着く前に亡くなっていたら。
せめて自分が着くまで。今まで育ててもらった感謝の気持ちをまだ伝えてない。
その願いは叶った。
病室につくと、両親や親戚が集まっていた。意識はもうない。
無意識の中で人工呼吸器を手で取ろうとしていた。邪魔なのだろう。
母親は泣きながら「お願いやからとらんといて。お願いやから・・・」
言葉にならないようなか細い声で懇願しながら、人工呼吸器を祖母の口に戻した。
そこにいる全員がその時は近いことを悟っていた。
だがもともと体力だけはあった祖母だ。そこから24時間保ち続けた。
もともとその数日前から病院につきっきりの母は明らかに体力の限界だった。
自分は祖母の手を握りながら、「頑張って。おじいちゃんが向こうで待ってるよ」と語り続けた。
いままでありがとう。こんなに立派に育ったよ。本当にありがとう。感謝の言葉を言い続けて手を握り続けた。
ギュッと握ったら、少しだけぎゅっと握り返してくれた。
生物学的な反射という行動なのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
朝5時過ぎた頃だったと思う。疲れたいたので少しうとうとしかけた所にお医者さんが入ってきた。
手首を触って脈をみる。
一言だけ言った。
「ご家族を呼んでください。」
意味がわからなかった。先生はその言葉を残して病室を出て行った。
「やめてくれ。一人にしないで。」と思ったが、することがあった。
何を言えばいいのかわからなかった。
出た言葉は「来て。はやく。」
たったこれだけだったが、十分だった。
その中で眠るように祖母は逝った。
みんな泣いていたのだけは覚えている。
そこから2日ほどは様々な事務処理に追われてほとんど覚えていない。
「名前を継いで欲しい。」
祖母には娘が2人いるが、どちらも嫁に出たので祖母とは苗字が違う。
うちの地方ではよくあることだが、祖母の養子に入ることで名前を継げる。
自分は次男なので、事あるごとに名前を継いでほしいと言われていた。
不思議な気持ちだったが、自分の中でこれが一番の祖母への感謝を表す方法だと思ったからだった。
今では祖母の名前を継いだことを誇らしく思う。
仕方がないので友人を友人として維持することのメリット(※)を探して付き合っているが、冷静に考えてみるまでもなくそう考えている時点でこれは無駄なのだろう。「維持コスト」という考えに至っている時点で、そのメリットとデメリットは釣り合っていない。そろそろ踏ん切りをつけなければならない。さもなくば私は、自分の人生の不幸の責を他人に求めてしまうだろう。こうして匿名ダイアリーにくだらない文章を吐き出すだけでなんとか溜飲を下げられるうちに、実の友人達に当たってしまわぬうちに、なんとか規模を縮小しなければならない。
久々に会う友人に呼び出されて三時間くらい会話につきあったのちに「まあこんなくだらない会話してるくらいならお前も作業頑張れよなw」などとその友人に言われ顔面を殴りたくなった。
「君と仕事を比べたら、仕事の方がよほど私にとって重要だから帰ってくれ」そう私は言うべきだったのだ。
※友人維持のメリット:
大量印刷と大量販売がなりたつに決まってる。
3Dプリンタがターゲットにするべきはツイッターのアイコンのようなものだ。
クオリティの低さはあまり気にならないし、誰もがネットの画像をコピペしてちょっと加工して使っている。
今まで立体物でそのような需要を満たすことは不可能だったが、今後は可能になる。
みなさんご存知の通り、今年のゴールデンウィークの暦はこうなっています。
4月30日(水)
5月 1日(木)
5月 2日(金)
「あれ、今日ってみどりの日じゃないの?」とつぶやいていた馬鹿がいましたが、4月29日は2007年より「昭和の日」になりました。そして、「みどりの日」は5月4日に移動になりました。といっても、「昭和の日」だからといって、特に昭和めいたことをするわけでもなく、ごく普通の休みと同じようにして過ごしました。日本国民の大半はそうなのではないかと思います。
ところで、今年の5月6日って休みなんですね。どうやら、5月4日の振替えで休みになっているらしいです。そこで、私も含めて、日本の祝日制度が平成初期で止まっている人は違和感を感じるわけです。
そこで、曜日周りが同じ年のカレンダーを調べてみました。2003年がそうでした。
4月30日(水)
5月 1日(木)
5月 2日(金)
5月 6日(火) (平日)
参考(http://www.benri.com/calendar2/2003.html)
5月4日は2006年までは、「国民の休日」として休みになっていました。「国民の休日」とは本来、3日と5日のように、1つの平日を挟んで2つ祝日があるときは、その2つの連休の間の日も休みにしましょうという日でした。これは、飛び石連休をなくして、まとまった休暇を取りやすくしようというのが目的だと思われます。よって、4日が日曜日となっている場合は、「国民の休日」にするまでもなく3連休になっているので、これ以上休みを増やす必要はなかったのです。
ところが、2007年より、4月29日が「昭和の日」に、5月4日が「みどりの日」に、改定されました。これに関しては、「なーんだ、休日の名前が変わっただけじゃん」と思ってました。でも、実は5月4日が「国民の休日」という便宜的な休日から「みどりの日」という正式な祝日になったことで、私達に意外な恩恵をもたらしていました。それは何かというと、今年(2014年)の5月6日の休みがそれに当たります。祝日法の改定により、休みが1日増えたのです。
もっと厳密なことを言えば、2007年の祝日法改定前は「振替休日は翌日の月曜日」というルールになっていましたが、2007年の改定によって「その日後においてその日に最も近い『国民の祝日』でない日を休日とする」というルールになりました。同じことのように思えますが、この変更がなければ、今年のみどりの日の振替休日は、こどもの日と重複してしまい、結果として休みが1日減っていました。
ようやく今月で退職する。しがない非正規だったけど、一応専門職。
契約更新できたけど、もう限界かなーと思ってしばらく失業手当で暮らすよ。
自分のとこが一番だとおもってる
私以外の職員は全員そこの市民。
ちなみにわたしはけっこう遠くから通ってて、噂には聞いてたけどこんなに閉鎖的とは知らなかった。
何年も前に職場をやめた人でも市民だからってことなのか、しょっちゅう訪ねてくる。
来るだけなら別にいいけど
「毎年○○って業者から年末に送ってくるカレンダー、そろそろ届いてる?あれ使いやすいから頂戴!」とか
「息子のノルマを助けてやって!」と、年賀状だかゆうぱっくだかの押し売りに来たり。
で、その協力費ってことなのか、まんじゅうやらケーキやらを一応持ってくるんだけど、
それは自分がうちの職場で食べる分も入ってるから、忙しくてもコーヒー入れたりして接待しないといけない。
同僚の知り合いは自分の知り合い、ってことで、いざというとき何かを頼める!ていう思考回路なのか、
職場では全員の身内、親族、子どもがいればその彼氏に至るまで学歴やら勤務先に至るまですべて情報交換して把握され、
定期的に「今どうなってるの?」と現状把握もしっかり。
家は実家までグーグルのストリートビューで検索され、おまけに今の売値まで調べられる。
プライベートはすべて職場で公開が原則で、身内の結婚式のビデオは昼休みに上映会をしたり。
子どもの卒業式に着ていく服もわざわざ職場に見せに来てから出席する同僚もいた。
空き時間には常に子どもの彼氏や自分の夫の現状報告アンド情報交換会。
子どもの就職先の斡旋も職場の同僚や知り合いを総動員して大騒動。
ついでに、とっくの前に辞めたパートさんの子どもの有名大学合格にも大騒動。
こういうのって、なんていうんだろう?パワハラでもないし、セクハラでもないけど、
そういうのになじめない部外者としては本当に嫌で嫌でたまらなかったな。
やめることになってすっとした。
http://anond.hatelabo.jp/20131228190610
id:usi4444 フェミが海外からセクハラと言う概念を導入するまでは「ケツ触ったぐらいでガタガタ言っているんじゃねーよ。」「職場にヌードカレンダー張ったっていいだろ。」と「普通」の男性は言っておりました。
という手合が湧くんだけど、アホか?
セクハラって概念が入ってきたのは2000年くらいだったと思うけど、それまでそんな感じだったか?
既に1990年代にはセンシティブな話題になってたし、性役割の議論は1980年代からあっただろう。
クズがはなし盛ってる感がでるんだよね
師走ってことで、アポなしでひっきりなしに来客があって、仕事が中断されまくってた。
用件は年末ご挨拶ってんで「今年はお世話になりました、来年もよろしく」とかの社交辞令で、誰が使うかわかりゃしないダサいカレンダーとか置いてくだけ。
時間にして数分から10分程度なんだけど、自分の仕事がブチブチ途切れてしまう。
普段顔も見せない「偉い人」も来たりして、「来年もよろしくお願いしますよ、ハッハッハ」とかいってんの。
普段やりとりもしてないから、別に話すことなどないし、適当に「今年は寒いですね、お正月あたりは天気の方は大丈夫でしょうかねえ」とかどうでもいい話するしかない。何この時間?
あげく、一緒に連れてきた新入社員に「これが日本社会の習慣なんだぞ、しっかり押さえておけよ」とかドヤってるし。
師走は忙しいって、そんなバカな行脚して時間つぶしてたらそりゃ忙しいよね。
「あの人年末挨拶にこなかった、無礼者め」とか思わないから。絶対。
ていうか、普段からちゃんとコミュニケーション取れてるなら、そんなことにこだわらない。