はてなキーワード: カウンセラーとは
なぜならば、戒律や教義が明確かつ厳密には存在せず、その代わりに、“広義における社会正義”を標榜する宗教法人群というものも存在するのであって、またそれらは、滅多にお目にかかれない珍しい存在という訳でもない。(定義が広いためにかなり曖昧な表現だが)
そういった団体が何を追求するのかというと、ある種の“健全さ”、“清浄さ”を追求する。
あえて言うが、そこに所属する聖職者達はつねに不健全さというものを決して容認する事なく、そして健全さをこそ理想形・到達形として求める。例を挙げれば、それぞれの家庭における子への教育も厳しい。時代錯誤ささえ覚える程だ。
だから、「自分の足で立たねばならない」「自ら歩き出さねばならない」という、何よりも自然さを追求する姿勢は、ごく個人的かつ私的な信仰であると定義できるものではない。そもそもこちらに信仰心などない。一番最初に書いた事だ。
ときに、弱っている人にとって、宗教という存在は特に優しく見えるものだ。神という存在に縋り救いを求める気持ちもわかる。しかし神に癒され、信仰に癒されて、元気を取り戻した後もなお宗教にべったりと寄り添ったままでいるのは、不自然なことでしかない。
それは、信仰の有無に関わらず理解できる論理的帰結であって、そしてここで今一度前述の夫婦の話に立ち返るならば、数年もの長きに渡り定期的にお参りに来る彼らに対しては、職場の聖職者達全員が「いつか神恩感謝の祈願に来るといいね(※願い事が叶った御礼を申し上げる祈願のこと)」と共通した感想を抱いている。
しかし、その聖職者達はあくまでも、意思決定の結果として提示された「祈願依頼」を忠実に誠実に遂行するのみであり、意思決定に至るまでの相談を受ける事はない。そもそも相談される事もない。
それはなぜかと言えば。宗教が迷える人の道標になる事はあっても、聖職者が迷える人の手を取り導いて都合のいい未来へと連れていく事はできないからだ。
そこに自らの意思が介在しない決定は、ただの他人任せの結末にしか辿り着かない。
だからこそ、一番最後は自分の判断で方角を決めて、自分の足で歩いていって貰う為にこそ、良く考えてから職場へ来てもらい、祈願を受けるか否かを自分の手で決めてもらうのだ。
一見、どうでもいい手順に思えるかも知れないが、これはとても重要な事だ。
一番最初の選択を自らの手で行ったかどうかは、後々尾を引いてのしかかってくる。
弱っている人は迷いやすい。頼りやすい。自らの意志を投げ出しやすい。
祈願依頼者の意志を左右する事は分を超えた行為であるために、カウンセラーの真似事は誰もやらない。
物語の最後に舞台の上からゴンドラに乗って降りてきて、登場人物達の結末を一人で決めてくれる、デウス・エクス・マキナの様な存在が実在したら楽だろう。心が弱ってる時、苦難に直面した時、そんなものを夢想するのもやむを得ない事だ。
だが現実にそんな都合のいい存在はなく、仮に自分の選ぶべき道を他者が全部決めてくれた事があったとしても、それはもはや自分の人生とは言えないのではないだろうか。
自らの事は自らで決める事に意味があり、それが自然である。そういった社会正義全般を尊ぶような信仰を持つ人々が、世の中には大勢いる。
元記事「DV周りがえらいことになっているのを知ってましたか」 http://anond.hatelabo.jp/20140124153514 に、たくさんの反応ありがとう。
見出し『〜知ってましたか』のとおり、あまり知られてない情報から何かを汲み取っていただけるひとが一人でもいたら良いと思って書いたものなので、ホッテントリにまでしていただけただけでありがたいです。
・『配偶者からの暴力の被害者の保護に関する証明書』を取れば、DV加害者から身を隠したい被害者にとって欠かすことのできない手続きが可能になる、という知識の普及。
・この『証明』が簡単に出されること(本当の被害者にはとても大切なことです)を逆手に取り、父子引き剥がしのツールとして悪用する輩が実在するという情報の提供。
・悪用する輩に利用された冤罪被害者に、他のほとんどの行政手続きに準備されている「異議申立て」などの救済方法がまったく準備されていないという情報の提供。
・悪用する輩はそれに加えて児童扶養手当や生活保護の不正受給も実行しているという情報の提供。
DV被害者が救済される手続きは今のまま出来る限り残した上で、DV冤罪・父子引き剥がし被害者の発生を抑制し発生後の救済がなされる制度や、諸手当の不正受給を減らす方法についてもっと検討されるべきではないか
ということでした。
さて、と。
http://anond.hatelabo.jp/20140124153514
>生活保護も同様に、養育費を受け取っている銀行口座を福祉事務所の目から隠すだけだ。
ダウト。養育費を受け取っている口座って受給者の口座だろ?どんな怠慢な福祉事務所だって申請する時に受給者の口座は全部調査する。
うん、ダウトだと「普通は」思いますよね。でも、「普通」じゃない情報だから書いています。
受給者の口座は全部調査する「ことになっている」が、現実には全部の調査がなされておらず、自己申告に任されている。そこにつけ込んで悪事を企図する輩がいるのです。
「何事にも不正を企図する奴っているよね」くらいじゃ納得してもらえないだろうから、別の資料を提示しましょう。
下記のリンクは、内閣府主催の「ゼロから考える少子化対策PT」会合で、シングルマザー支援団体が提出した資料です。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/13zero-pro/k_6/pdf/s6.pdf
シングルマザーの生活実態を一番熟知している人が、「養育費の自己申告はほとんどされていない」と言っています。
第三者の口座に養育費を振り込ませる手口はときどきある(事情で出所は明示できない。すまん)ので、養育費を支払う側は注意が必要ですね。
最後の行の指摘については、冒頭で書いたとおりです。「バッシング」というとすれば、「冤罪への無策」と「不正」をバッシングしているだけです。
もちろんその一方で、既に発生している・今後も発生し続けるであろう冤罪被害者を救う方法も必要ですね。
http://anond.hatelabo.jp/20140124170613
元増田だけど、男のDV被害者とかがいないとは思わないし、男女関係なく守られるべきだと思ってるよ。
現時点では圧倒的に女性が多いのは確か。
(ひょっとして苗字がもとますださんで実名を名乗っておられるだけだったとしたら、ごめんなさい。)
でも良いサンプルを出してくださいました。
「現時点で圧倒的に女性が多い」のは「確か」などでありません。
2010年度の横浜市「配偶者からの暴力に関する調査及び被害実態調査」によると、DVの被害経験(「何度もあった」「1、2度あった」の合計)は女性が全体の43%、男性は42%と、ほぼ同率でした。
http://www.city.yokohama.lg.jp/shimin/danjo/chousa/20dvchousa/dvchousa.pdf
「何度もあった」だけを比較すると女性16.9%・男性11.0%と女性のほうが多いのですが、それでも「圧倒的」とは到底いえません。
別の調査結果(内閣府「男女間における暴力に関する調査」(平成 23年度調査))では、「何度もあった」「1、2度あった」の合計は女性が全体の32.9%、男性は18.3%でした。
http://www.gender.go.jp/e-vaw/data/dv_dataH2507.pdf
これも「圧倒的」というかどうか微妙です。
むしろ問題は、
その程度の差しか現実には無いにもかかわらず、「圧倒的に女性の被害のほうが多い」と思い込んでいる人が多数いること
と、
にあります。
平成24年度の「配偶者暴力相談支援センターにおける配偶者からの暴力が関係する相談件数等の結果について」(内閣府)はこちらです。
http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/violence_research/pdf/2012soudan.pdf
相談総数 89,490件中、女性 88,425件、男性 1,065件。
さきほど見ていただいた横浜市や内閣府の実態調査にある男女比との違いを考えると、いま必要な施策は男性被害者数の矮小認識の是正と男性からの相談窓口の強化ではないでしょうか。
相談したあとについても
・男性からの相談のときだけはなぜか証拠を要求するなどしてなかなか『証明書』を出してもらえないという話
・男性がさんざん配偶者から暴力を振るわれ堪りかねて相談してみたら配偶者が先に「相談」に来ていて『証明書』獲得済みだったため相談自体受け付けてもらえなかった話
などさまざまな要改善点がありますが、長くなるので今回は触れません。
http://anond.hatelabo.jp/20140124153514
全然カンタンな話じゃないし、親権を剥奪されるほどどうしようもない旦那が多いからそうなんでしょ。
悔しかったら冤罪を証明するしかないね。女性は今迄の不遇の歴史から這い上がってきた。男も頑張ってそうしたらいいんじゃない。
ただでさえ父親の責任は軽く見られてんだから、こうなるのも当然な流れだと思うけどね。
責任も軽く、産む辛さも知らず、親権もほしいだの、美味しいところだけほしいなんて虫が良すぎんだろ。どこまで甘えたら気が済むんだよ。
こういう方法を取る人はそうしないと生きられないような人が殆どじゃないかな。
第一ごくごく一部の例を拡大して全体みたいに言うのって、頭悪いよ。
いろんな方が既に返答しておられるから元増田からはもういいかな。
ふたつだけ言っておくと
・『悔しかったら冤罪を証明するしかないね』というのは、頭がいい悪い以前の言葉だと思いますよ。
・「ごくごく一部の例を拡大して全体みたいに言うのって、頭悪いよ」元増田記事はもともとごく一部の例を語っています。元増田の記事の中に、すべてが冤罪であるかのように書いている部分があればご指摘ください。
https://twitter.com/tarupachi/status/426859806704402432
この件に限ったことではないが、「この制度で助かっている人が多いのだから、冤罪を簡単に作れることは仕方が無い。」 というコメントが意外と多くて目を疑う。自衛してもどうしようもないリスクが冤罪
こちらは、たるはち @tarupachi さんのツイート。まったくそのとおり元増田も感じました。怖ろしいことです。
https://twitter.com/suna_kago/status/426722487900979200
それは悲惨かつ緊急性のある事例が多かったからだろうな、と思う。本当の被害者には絶対に必要な措置もある。とはいえ、なんらかの改善が必要なのも事実かな……。
籠原スナヲ @suna_kago さんのツイート。まったく同感です。
https://twitter.com/tailwisdom/status/426709520132239360
DV被害者というのは一般に立場が弱いため、それを保護する法律がDV被害者に有利につくられているというのは原則して納得できる。その原則は維持したまま、悪用を防ぐシステムがあると良いなぁ。
tailwisdom @tailwisdom さん。同感です。
https://twitter.com/mongrelP/status/426697809752895488
よく考えたらDVは逆の可能性もあるのに「婦人相談所」…\そもそも女性も弁護士に相談に行けないから「婦人相談所」があるわけで男性で該当する物が無いのはどういうことなんじゃろ /
mongrelP@もんぐれ提督 @mongrelP さん。ありがとうございます。元増田の説明不足でした。
実は「婦人相談所」も、男性からのDV相談を受け付けています。(ならば名称を変えればいいのにね。)
また、前出の「配偶者暴力相談支援センター」も男性からの相談を受け付けています。
『配偶者暴力相談支援センターの機能を果たす施設一覧』(内閣府)
http://www.gender.go.jp/e-vaw/soudankikan/pdf/center.pdf
前述のとおり男女にほとんどDV被害数の差はないのですから、当然といえば当然です。
ただ、個別に見ていくと、受付時間が男女で違っていたり(「女性からは毎日8時間電話対応+来所受付予約不要・男性からの相談は週2回各2時間+来所受付は要事前予約」など)します。
また、元増田は何箇所か電話してみて、「男性からの相談」受付時間に電話が繋がらなかったり、男性カウンセラーがいなかったり、男性からのは相談として受け付けない・件数にもカウントしない(Why?)といった反応を確認しました。大幅な改善が必要と思われます。
※「婦人相談所」についてご指摘があったので追記。現在も法律上の正式名称は「婦人相談所」です(根拠法は売春防止法)。婦人の語が差別的という指摘で多くの相談所は名称を「女性相談所」などに変更しています( http://www.gender.go.jp/e-vaw/advice/advice03list.html )が、男性からの相談しやすさの意味では何も変わっていません。「名称を変えればいいのにね」はその点を指摘しています。
言いたいことはよくわかる、わかりすぎる。
しかし
有名店でケーキ買って、疲れてるみたいだけど大丈夫?美味しそうなケーキあったから買ってみた。一緒に食べようよ。とか言って甘いモノを与える。
数時間でもいいから一人で子供を世話して、その間奥さんを一人にさせてあげる。奥さんが好きそうな映画のチケットあげて「見てきたら?」っていうとか。
俺の貧弱な経験からだとこんなものなんだが、女子は甘いモノを与えるだけで期限が良くなる。育児に疲れてる女は一人になると楽になる。というのはあながち間違っていないと思う。
本人が自覚してない問題を探すってハッキリ言って素人には荷が勝ちすぎる。
それこそ本業のカウンセラーに行けばもっとすんなり探し当ててもらえるんだろうけど
病院に連れて行くなんて愛情が無いんじゃない?って声が四方八方(妻含む)から飛んでくるんだよな。
社内恋愛って結婚するまで隠すものだと思ってたのに、彼女は「今までプライベート含めて相談してたから上司にだけは報告したい」といわれる。
いやだな〜と思いつつ、何回も言われたから「じゃあ教えていいよ」と伝える。
必要な連絡しない、部下の話をしにきたらいきなり切れられるわで手が付けられない。。。
彼女にも情緒不安定な対応なようで、「いきなり切れられる」と相談受けても本当にどうしようもないくらいのわからなさ。
・・・・で、結局彼女から最終的に聞いたところによると「肉体関係があった」「無理矢理やられた」「少し前から拒絶して肉体関係なくなり尊敬できる上司だから普通になんでも相談してた」とのこと。
あほか!俺は当て馬か!!とおもいつつ、「それなら仕事もままならない状況だしセクハラで訴えて上司左遷させるか仕事辞めさせよう」という方針に決まる。
俺の上司にも同僚にもそのことを伝えて「あの上司とは仕事しません」宣言。
・・・そしたら「やっぱり社内の立場がなくなるから会社に言うのは嫌」と彼女言い出す。
あほか!俺は周りを固めて社内恋愛、彼女がセクハラ被害遭ってるからなんらかの対処するって伝えてるんだぞ!
これが1ヶ月前。
■現状
彼女は転職して楽しい人生を歩もうと転職活動してたけど、「俺のことが怖い」「情緒不安定だ」「転職したくないと本心で思っているとカウンセラーに言われた」等々言われ、同棲状態から実家に今日帰っていった。
「俺の正論が怖くて何も考えられない、冷静に考えられるようになるまで実家に帰ります」
そろそろ冷静に考えるときがきたような気がする。
そんな頭でっかちなカウンセリングばかりしていたんじゃ、救われる命も救われない。
とにかく多いのが、最初のカウンセリングで自分の意見を言うやつ。私はこう思う、本当は~なんじゃないのか?、
最初のカウンセリングで患者が求めているのは意見じゃないし、カウンセリングで重要なのも意見じゃない。
とにかく知識のある自分が、俯瞰的に患者を診ることができて、正しい意見を言えるのだ、と勘違いしているカンセラーが多い。
カウンセリングしていくうちに知らず知らずに傲慢になっていっているんだろう。
お前の意見なんか誰も求めてないんだよ。自分の意見が言いたいなら、いますぐカウンセラーなんか辞めちまえよ。
最初のカンセリングで重要なのは、意見することじゃなくて、とにかく共感すること。その共感の仕方が下手糞な技術のないカウンセラーが、とにかく多い。
そこで、患者の精神状態をおおまかに把握して、整理して、共感するのが最初のカウンセリングで重要なこと。そのステップで、患者は次も診断に来ようと思えるんだ。
カウンセラーにとっての患者なんて吐いて捨てる程いるから、せめて「普通の人」であれば食っていくことに困ることはないだろう。
でも本当に困っている人は、救えない。
ちゃんとしたカウンセラーも多いけど、こんな基礎中の基礎も怠っている糞みたいなカウンセラーも同じぐらい多いから、腹が立ちました。
毎日新聞が出してる小学生向けの新聞。ちなみに毎日中学生新聞っていうのもあって、そこに掲載されたナンバーガールのライブレポが『シブヤROCKトランスフォームド状態』のジャケットに流用されたりしていた。以上、余談。
小学生の時は昼休みのたびに図書室に駆け込むようなライフスタイルだったんだけど、そんなライフスタイルで6年もやってるともう読みたい本も無くなってきて、で、仕方無く毎日小学生新聞の日々の誌面を隅から隅まで読んでいたんだけど、その中にこんな記事。以下、要約。
私は子供のためのカウンセラーです。日々、日本各地の苦しんでいる子供達の家に通っています。昨日はある引きこもりの男の子と話をしてきました。その子は言いました。「先生。コピーってあるでしょ。コピーって、何度も何度も繰り返しているとだんだん文字がかすれて汚くなっちゃうでしょ。で、人間もさ、先生。生まれ変わるって言うじゃない。何度も生まれ変わって生まれ変わって、それで魂がかすれて汚れちゃうんだ。だから今の世界はこんな風に戦争とか貧困とか、みんなが憎しみあって、争いあって生きるようになっちゃったんじゃないかな。昔と比べて醜くなっちゃったんじゃないかな」。私はこの子の繊細な感受性に感動して涙が止まりませんでした。
的なことが書かれていて、それを読んだ俺はその場で毎日小学生新聞を破り捨てたい程の苛立ちを覚えたけれど、さすがにもう小学6年生だったから、そんな事はしない程度の常識は持ち合わせていたけれど、それでも20年近くを経た今になっても「何だったんだ、あの話は」と釈然としない気持ちを抱いている。まだ子供なのに、「現代の人間は醜い」と絶望する感受性。その感受性をあたかも美談のように語ること。強い違和感を抱いた。生まれて初めてかも知れない。あそこまではっきりと「大人も、物事を間違った捉え方をする事があるんだ」と意識したのは。
今の話をします。生まれ変わりを重ねるまでもなく、色々あって、結構な頃合でかすれて汚れた感が出てきた俺に子供が生まれたみたいで、まあ、何ていうか、善き事?幸せ?いや、どうなんだろう。歯切れが悪くなってしまうのは、俺が既に離婚しているからで、しかもおれ達の子供を産んだ元妻は既に別の男性と結婚していて、それでいて、元妻も、元妻の現夫も、すべてを納得した上で出産したんですって。
こんな風に他人事みたく言ったら駄目か。こういう時って喜んだら良いのかな、怒ったら良いのかな、悲しんだら良いのかな。喜怒哀楽がグシャグシャになる。このややこしい事態の背景には、元妻サイドにそれなりに事情があって、その事情(さすがにここでは書かないけど)を聞いた俺としては「頼むから産まないでくれ」とも言えず、かと言って「その子の親権を譲ってくれ」と言って良いのかどうかもわからないし、こういうケースで親権が貰えるのかもわからないし、って言うか多分無理だし、そもそも俺自身その子の親になりたいのかもわからない。まったく関心が無いわけではない。でも、もう元妻周辺のややこしさにも関わりたくない。子供の顔が見たい気持ちはある。でも、この気持ちは「こういう時、親は子供の顔を一目見たいと思うものだ」という決まり事ありきで生じている偽物の気持ちじゃないかという感覚もある。あと、元妻には会いたくない。100%俺が悪くて離婚に至ったので合わせる顔がない。
悲しさ。率直に言って、俺は結婚生活において色々な事を間違えてきた。結婚する前から色々と間違えてきたし、離婚した後も、今も、多分、色々と間違え続けている。間違え続けて、かすれて、汚れて、その結果、血を分けた子供に会えていないし、今後も真正面からは会えないだろう。この、どこにもやりようのない気持ちは悲しい。こんな文章を書く事も間違ってるんだろう。当事者が読んだら絶対おれが書いたってばれる。悲しい。恥ずかしい。子供に会いたいとまでは言わない。正直、会いたいという気持ちを実感を伴って抱くには至っていない。ただ、せめて、「人間は生まれ変わりを繰り返して魂がかすれて汚れた」なんて事を言い出してほしくないとは思う。
俺はかすれて汚れている。でも、それはおれ個人の罪に帰する汚れであり、俺の前世や、人類の罪に責任はない。だから、俺の子供はまだ汚れていない。すべての子供は汚れていない。生まれてきておめでとう。おめでとう。
18時、19児、20児、 つながらない。
朝7~9時は少ないらしい。 金曜、土曜の相談も少ないらしいから、そこが狙い目かもしれない。
いのちの電話だっけ、あれにもかけたんだけど、即一発でつながったけど、俺みたいな奴の相談をしている時間は無駄かなと思って、相手が出た瞬間即切ってしまった。
だから、よりそいホットラインにかけてみたが、う~ん、火曜の午後ってつながりにくいものなんかね。
昼賭けた方がよかったのかもなあ。
いのちの電話の場合、メール相談もできるんだ。 だけど、一週間じゃ、ちょっとなあ。
病院は行きたくない(ガチで病気だったら生活に支障が出そうだから)ので、とりあえず、心理療法士?みたいな資格持ちらしいカウンセラーのところ行く。
そんな、ポット行ってやってくれるものでもないのか。
人づてに聞いたので話半分で聞いてほしい。
あるカウンセラーが「よくわからない人」によくわからない理由で責められたようで。
私をいじめた。
私を責めた。
これ、カウンセラーなら何て返すのだろうか?
「何のこと?そんなこと言ってないよ」だろうか?
「まぁまぁ落ち着いて。どういうことか詳しくいってごらん」だろうか?
それとも危ない人ということでスルーだろうか?
もちろん正解はないのだが、
そのカウンセラーの返した内容はこうだ。
「こんなんきちゃったよ。参ったな」
そのカウンセラーの味方が
「サ○コ」だとコメントし、多くの味方の賛同を得る。
「パンチ効いてる」とコメントし、賛同を得る。
他の味方も次々にカウンセラーを擁護し賛同を得る。
「よくわからない人」は完全に悪者扱い。
自分の奥さんが、
私をいじめた。
私を責めた。
と言ってきたら同じことするのだろうか?
人の本当の心を聞かずに参ったな扱いするのだろうか?
「よくわからない人」は
しかも一般の人が見えないところで。
こういうカウンセラーにはなりたくない。
警察に逮捕されて病院に連行されることがあるから気をつけてね、と誰得な警鐘を鳴らしてみる。
しばらく人生相談してたんだけど、「見たいテレビ番組があるからそろそろ帰る」と言ったら、突然カウンセラーの形相が変わった。
少し強引に帰って、部屋でテレビ見てたら突然誰かにドアこじ開けられて、
銃を持った図体のでかい警官に大声で怒鳴られて、手錠かけられて、野次馬(外国人)に変な目で見られて。
何か言い間違えて上手く意思疎通できてなかったのかな。キチガイだと思われたのかな。
精神病棟のようなところにつれられて、何もないボロくて寒い部屋の中に数時間、朝まで拘束されてた。
おかしな奇声を上げる人が私の部屋を覗きこんだりして、殺されるのかと思った。
医師との会話で想像するに、麻薬やってたと勘違いされたようで。
検査が終わったら解放されたけど、何故か検査の料金を請求された。むっちゃ高かった。
一般人でも怖いことに巻き込まれちゃうんだなあって身を持って体験した。
ただ、初めて本物の手錠をかけられたことにはちょっぴり興奮しました。
カウンセラーの勝手な決めつけを鵜呑みにしてしまう人もいるだろうと思うと、無能なカウンセラーの罪は大きい。
「君は寂しいんだよ」と言われてそう思い込むことで、どれだけの不利益があるか。
的外れな方向に治療が進むわけだし、友達ができないと病気が治らない→でも友達できない→余計悪化するという循環もできそうだ。
初めは生い立ちとか会社での仕事の悩みを話してた。しばらくするとかカウンセラーが「うんうん、分かってきたよ。君の問題が」
カウンセラー「あなたが苦しいのは孤独だからです。孤独を苦痛に感じているんですよ」
俺「確かに友達はいないって言いましたけど、別にそれを苦しいって思ったことは・・・・・」
カウンセラー「うんうん。そうですね。でも、表面上一人でも寂しくないと思ってても、深層心理では寂しがってるんですよ。現代人の多くはそうなんですけどね」
自分自身はそうは思ってないが、深層心理ではそう思っていると言われたら何の反論もできない。反証できないじゃないか。いくら寂しくないと主張しても、自分では認知できない「深層心理」ではそう思っていると反論されたら何も言えない。
カウンセラー「納得できないようですね」
俺「はあ、正直・・・・・・」
カウンセラー「では、友達がいるのといないのどちらが楽しい人生だと思いですか?」
俺「まあそれは、いた方が・・・・・・」
カウンセラー「そうですよね? 自分でも分かってらっしゃる。友達がいた方がいいと。でも、失礼ながらあなたはあまり友達いない。それがあなたの苦しみの根源なんですよ」
それから少し話したが、納得いくことはなかった。もう絶対行かない。
上記の会話は記憶を頼りに再現したものだから、少し正確性にかけるかもしれないが、事実だ。
はあ。誘導尋問みたいに結論を導かれて、お前はこう思ってる!って決めつけられてさんざんだったなあ。ほんとカウンセラーってぼろい商売だね。適当にそれっぽいこと言って、反論されたら「深層心理」を持ち出せば勝ちなんだからよ。
その辺、物凄く誤解してない?
「なんで?」なしにどうそこへたどり着いたの?
他へ書いたように、超優しく、頑張っていこうね!ってノリでやればよかったの?
勿論、一流のカウンセラーなんかに任せれば、本人が気を悪くしないまま、も誘導できるかもしれないけど、
だから、どうやったら簡単にできるか教えてくれよ?
多分、
このフェーズはもう終わってるんだろうと。元増田の書き方的に常習じゃないかと。
で、今回が
このフェーズだろう。
まあ、恐らく、最初の「注意」の時にもなんでだ?って聞いたかもしれない。だけど、ミスしたらなんでだ?って聞くのは当然だろう。
最初は言い訳はいいから取り敢えず次しっかりしろ、位だっただろうけど。
で、それが多発するから、「うっかりしてました」なんて社会人としてあり得ない回答に対してすら、
なんでだ?と聞いて、具体策のために原因を突き詰めたわけじゃない?
で、問題は「なんで」っていう言い方だ、て言いたいんだろうけど、これ以外、どうすればいい?
勿論、言い方、ってのは色々あるし、上司に時間と心に余裕が充分あって、さらにカウンセラーなんかにそういう対処法を学んでればもっと優しく出来たかもしれない。
だけどさ、それを普通の人に求めるのは酷じゃない?
この時点で、元増田は相当迷惑かけてるだろうし、上司も相当イライラしてるはず。
でも、そのなかで、「なんで?」と言う問いかけでなんとか対応しようとしてくれてる、と俺は捉えてるんだけど。
子供かお前は。
1か0とかじゃねえだろ。
メモ帳の話まで持って行ってその後気をつけられる様な話まで持っていってる。
それが上司の目的でないとしても、この元増田はこれにより、今まで以上に気をつけるべき所ははっきりしただろう。
勿論、小学校の先生やママのように、1から10までそばに居て教えてあげれば「次のミス」は減るだろう。
だが、それは上司や誰かが仕事をする時間を減らすことになるし、この元増田は何も成長しない。
じゃあ、どうすればいい?
勿論、カウンセラーやらなんやらのの講習を受けて、このような人間相手に上手く説明することを学ぶことも出来るだろうが、
そんな余裕をどの会社もが持ってるわけではないだろう。
現実的な答えとして、これ以上、どいういうやりようがあったんだ?と聞いてるんだが?
ほんとなんでだろうね・・・。
昔だったら「そりゃ愛されてないんからだ」って断言したけど
他のことでは普通以上に気遣ってくれる人でもなぜかこういうことあるんだなと今はわかる。
濡れないと開かないし、ゼリー使ったって開かなきゃほんと痛くてたまらない。
してる間も終わった後も何してるんだろうって思うわ。
どうしても子供が欲しいとか仕事だからとか明確な目的があれば耐えられるかもしれないけど
気持ちよくもない、愛情も確認できないんじゃ意味ないよね。むしろマイナス。自分踏みつけにしてる感半端ない。
準備不足で最中に痛い思いして、終わった後も数日苦しむような経験って男性にはなさそう。
恋していても、人として好感があっても、それでセックスパートナーとしてうまく行くとは限らなくて
でもパートナー関係解消するほどのことかと思うと悩んじゃうよ。
だからって解消しないままお互い誰とも寝ないでため息ついてるのもむなしい。
他の子だったら上手く行くのかなと思うと相手にも申し訳ない。
でもあったら行くかと考えると「たかがセックスで」とかなんとか思うんだよね。
はー。
まともなカウンセラーがいない
育つ環境がないんだろう。医学部からでてカウンセラーになる人間なんてあんまいなさそうだし
薬に依存性はない。そこが麻薬とはちがうところ。減薬中にきっかけでリバウンドすることはあるけど。
単に、まともに働けないということに対して"病気"としてしまえば正しく逃げられる、ってのが今の世の中なんだろう。
人間怠け者は居ない、働けない人は全て病気なんだ、って。新型欝なんてまさにそうじゃん。誰だって楽しいコトやりたいし、仕事にやりがいを感じてる人が全てではないんだから。
会社辞めた人とか、いけなくなった人とか、精神科行けば100%何らかに診断してもらえる。そんな世の中。
ちょっと威張ってみたり、人の事を考えられなかったり、迷惑かけても気にしない人、おめでとうございます、あなた病気です、って。
99.999%の精神病、障害はそういった怠け者を救うためと、精神科が儲けるための虚構に過ぎないでしょ
精神科にしないで、たんなるカウンセラーにすればよいのに。それだと薬使えないんだろうけど、薬なんて"治す"ためのものでないからほとんどの場合必要ないわけで。
薬で落ち着くとかどうとかいうけど、麻薬の軽いもんみたいなもんだからね、あんなの。誰が飲もうと落ち着くわけ。
精神科の先生もその辺のリスク説明してるだろうけど、そもそもそんなの理解できない人が多いから、
それをさも知ったかでどうこう言う人達が多いけど、その辺のリスクも分かってなければ、逆に医者が言うことは嘘だ、何ものまん、とか言うアホも居て。
この世に生まれてから今まで、彼女というものができたことがありません。よくよく考えてみると、友人らしい友人も、できたことがないようです。というか、他人と仲良くなった、という経験が、ほとんど、いや、思い出せる限りでは、まったく、ありません。
中学校に通っていたような頃までは、なんとかそれでも生きていけたのですが、高校に入って、しばらく経った頃には、なんだか耐えられなくなってきて、途中で学校へ行かなくなったわけですが、問題は解決するどころかますます酷いことになっていきました。ひきこもりになったことで、ただでさえ少なかった、他人との会話が、激減したのです。ほぼ、ゼロになりました。たまに、親に連れていかれて、カウンセラーと話す以外は、全然、人と会話をすることがなくなりました。そのカウンセラーとの会話というのも、向こうが話すだけで、俺のほうは全然喋らないので、最早会話の体をなしていませんでした。俺は来る日も来る日も、ずっと部屋にこもっていました。当時のことを思い出そうとしても、うまく思い出せないのは、それほどに、日々何もなく、毎日が同じことの繰り返しであったせいだろうと、そう思います。
病院でもらった薬も、睡眠導入剤以外は、なんだか飲む気になれなくて、狭く薄暗い部屋にこもりきりの生活は、一向に終わりが見えませんでした。そのうち、空想上のパートナー、彼女でも、友人でも、ましてや天使や妖精でもない、自分のパートナーを、頭の中に作って、会話するようになりました。時に慰められ、時に励まされ、きっと俺は、このパートナーがいたおかげで、なんとか日々を渡り歩いていくことができていたのでした。
やがて、時が経って、俺は、再び、外に出て、そうして、学校に通うようになりました。当然のように、留年はしてしまったわけですが、それでも徐々に、ゆっくりとではありますが、他人とコミュニケーションをとることができるようになり、しばらくして、俺は、無事に、高校を卒業することができました。
今は、普通に、人と会話をすることができている、と、そう思うし、特に、直面しているような問題もなく、普通に生活しています。たぶん、昔から、たいした問題など、一度として抱えたことはなかったのだと思います。ただ、うまく、人と親しくなることができず、それでたぶん、寂しかったのでしょう。寂しい、という言葉は、なんとなく、あまり安易に使いたくはないのですが、でも俺の、今までの、よく意味もわからない人生を振り返って、その馬鹿らしい道のりを、たった一言で言い表すとしたら、それはきっと、「寂しい」という言葉が、ぴったりなような気がします。
最近、また、この寂しさに、耐えられなくなってきました。人と、親しくなりたいのです。人と、触れ合いたいのです。欲を言えば、人を愛し、また人から愛されたいのです。多くの人が、当たり前のようにしているこれらのことを、なぜ俺は、一度足りともできないのでしょう。原因が、わかりません。わかりたいとも思いませんが、でもわからなければたぶん、何も変わりません。
運命の人。いればいいなと、心から思うのですが、おそらく俺にはいないような気がします。
きっと俺は嫌なやつなんだと思います。だから友人もできないし、恋人もできない。嫌なやつに、運命の人なんて、いないでしょう。嫌なやつは、永遠に嫌なやつなまま、嫌われて、避けられて、生きていくのです。
近頃は、例のパートナーは、ほとんど、姿を見せてくれません。でも、昨日、久し振りに、夢に出てきました。俺とパートナー、二人きりで、手をつないでいました。夢の最後に、パートナーが言った一言が、妙に耳にこびりついて、離れません。
「そっと、やさしく、抱いていて。」
何もかもを忘れて、諦めて、そうしてこの空想上のパートナーをそっと、やさしく、抱き締めたなら、そうしたなら、きっとそのとき初めて、俺は寂しさを忘れ、幸せになれるのかもしれません。