はてなキーワード: エビデンスとは
【よくある話】
もうだいぶ昔の話。
小さい病院で働いていた時に自分より年上の人が「専門医取得のため」とその病院にやってきた。申請に必要な「論文が足りない」とのことだった。
他の科は指導医資格を複数お持ちで(ネットでの発信/配信も盛んにされているようなので特定回避のため書かない)それでは足りないのだろうかとも思うくらいだったが、そこは個人の価値観によるのですごいなあと最初は思っていた。
少し引っかかったのはマイナーな学会の資格や加入歴がとても多いことと職場を転々としていることだった。
結果的に半年で去って行ったのだが、昨今のいろいろな告発などを見かけて思うことがあったのでそれまでに起きたイベントを記録しておく(※自分の見聞によるものが大きいので証拠はない、中立性には欠ける)。
とにかく立場が明確に下の人間(患者や研修医)へのあたりはとにかく強かった。そうした人間への暴言や謎の自信あふれる上から目線の発言は事欠かなかった(録音などはなく伝聞)。
ただ正当性が全くないわけではないので完全に悪とまで言うこともできない。
ざっと挙げる
・喘息/COPDの吸入薬が余った患者への当たりはとにかく厳しい。「当院治療効果は期待できない」とカルテに書かれて紹介状も書かれず(書かれた人もいたが)一方的に通院中止になった人も多かった、気持ちはわかる。
・喫煙している患者も同様、まあこれも気持ちが分からなくはない。
だいたい「禁煙できないのであれば(吸入薬をきちんと使用しないのであれば)、治療効果が落ちてしまう」「治療しようとしている医師に失礼」「治療をきちんとしないのであれば、当院のような専門医療機関で見る意味はない」という意味合いのことをとにかく強く言っていた。気持ちはわかる。
・吸入薬で動悸が出るため自己判断で休薬していた患者も「自分のこだわりが強く自分の裁量で調整してしまうこともある」とカルテ記載し一刀両断して通院中止にしかけた(たまたま周囲が気を利かせてそっと主治医変更)、誰のこだわりが強いのか判断が難しいね。
・引き継いだ肺癌症例のPD時治療方針が患者希望と一致していなかったことに対して怒りを覚えたのか、患者希望でもなく一方的に転勤した前医(同じ県内)にPS2~3の状態で紹介していた。そこまでするんだとは思うが希望があったのかもしれないし詳細不明
・ガムを噛みながら外来に入ってきた患者に「ガムを噛んで相手に応対することは自分は不愉快だ。」と入室して早々に怒鳴る、これもわからなくはないけど怒鳴るメリットあるのかな
・ICU担当の循環器内科医のコンサルトに対して「こんな重症肺炎は高次医療機関に紹介すべきだ。ここで診るのは厳しいだろう。」と口頭でお返事。相手からの報告のみでカルテの返信記録もなく証拠はないが、ICU管理以上の高次医療機関あるのかな。
・自身が外勤で不在中に入院担当患者尿道カテーテルの自己抜去が発生、病棟対応をした初期研修医は止血が得られて尿流出もあることを確認し、院内にいた別の当科医師に報告して経過観察にしていたが、戻ってきて報告を受けるなり「なぜすぐに泌尿器科に紹介しないのか。」と激昂。止血が得られていたことなどを説明したが、舌打ち、「使えねーな」と言い放った。このあと指導医即変更。
・時間がずれ込んで当直帯に輸血することになった他科患者の輸血承認を研修医が依頼したところ「俺の仕事じゃない!」と激昂して研修医を電話で30分激詰め。院内のローカルルールでは時間外の病棟対応も当直医がすることになってはいたが特に明文規定もなくこの辺はどこまでを当直業務とするのか難しいなと思った。
記載がない
とにかくカルテ記載がほとんどない。オーダーは外来にしても病棟にしてもかろうじて出るが、ほとんどdo処方。方針も書いてないので誰も手を出せない。
外来では少なくとも10件以上が無記載で処方のみになっていて無診察処方ともとられかねない状態。入院になると下にいた研修医がかろうじてカルテを書いていたが、早々に下につかなくなったうえ、病棟看護師にも威圧的な態度なため早々に誰も方針確認を出来なくなった。
コンサルトの返事も紹介状も書かないので彼が担当の日は部長が代行していた。
手技ができない
何の手技が出来るのか最後まで分からなかった。少なくとも胸腔ドレーン挿入は出来なかった。ドレーンは入れられるし指導も出来るということで研修医もドレーン挿入介助についたのだが、全く入れられずある時は手技を別の医者に変更になっていた。手を代わった先生によると皮下組織の剥離が全然できないまま、ドレーンをペアンでつまんでひたすら押し込んでいたらしい。EとIDのAttendがあっても出来ない手技はあるんだなというよくわからない驚きである。あとアナログな水封のドレーンバッグを当時使っていたが、仕組みが分からず水封に出来ずに使おうとしていた。
Ⅲ度気胸症例のドレーン挿入も出来なかったが、若い人だったのもあり局麻も十分に使わなかったのか痛みのために手技中に意識が消失しかかっていたらしい(緊張性気胸のほんとうにまずい状況ではなかったようだが)。病状説明では「患者が喫煙をずっとしていたために胸腔ドレーンの挿入に手間取った。挿入時の疼痛についても喫煙の影響だ。」と発言(そもそも説明記録がないので証拠はない)、そんな事実は今のところ自分は知らないがひょっとしたらそういうエビデンスがあるのかもしれない。
点滴、採血は看護師がやっていたのでそのあたりはわからないが、抜鉤は出来なかった(縫合は不明、抜鉤器は病棟看護師が使い方を教えたらしい)。
連絡がつかない
報告しないと激昂する割に電話はとにかくつながらなくなることが多い。外来が終わると姿が見えなくなるので外食でもしているのではと言われていたがどこにいて何をしていたかはわからない。
何もしない
入院患者はとにかく増やす。「入院を増やして収益に貢献する」と息巻いてとにかく自分の担当で入院させるもののそのあと何もしない。検査や点滴、処方のオーダーもしないので研修医がオーダーを入れていて、指導がつかなくなったあとは自分でしていたが、病状説明も方針決定もしないので抗菌薬が延々行き続ける、入院日数だけ増えていき収益に貢献するどころか負債になっていく患者が積まれていった。結局別の医者に担当変更して退院調整せざるを得なかった。
人の話は聞かない/自分の非は認めない
外来患者には延々自分から話をしていて全く話を聞いてくれないと毎日のようにクレームが来ていた。その上外来の時間は長時間になり待たされる/話を聞いてもらえないの状態から激怒する患者も多かった。こちらから何を言っても非は認めないので周囲から指摘することはすぐになくなった。
結局この状態なので論文どころではなく病棟担当からも外れたので早々に転職活動をして去って行った。
それでも世間を騒がせる医師と異なったのはここが内科であったことだ。内科は直接手技で死なせる/後遺症を負わせることは外科と比べると少ない。内科の薬も手術よりはリスクが低いのでリカバーがきいてしまう。誰かが修正すればどうにかなってしまうのだ。
その場の犠牲は少ない代わりにそんな人間がどこかで医療をすることは続く。自分には良いのか悪いのか分からない。
SNSなどを見ていると感謝されたというような投稿も見かける。自分が見たのもだいぶ昔なので変わったのかもしれない。
世間をにぎやかしている医師もそうだが、患者側からみると一目見ただけではおかしいかどうかはわからない。特に紹介状なしで受診すれば医者が選べることはほぼない。そのなかで当たりか外れかなんて事前に誰も分からない。
紹介状で指名でもしない限り無理だ(指名しても当たるかはわからないが)。ソシャゲのガチャに等しい。
全員を知らないが、医者は基本的に話を聞くスタンスで外来にいるし、喧嘩をすることはメリットが少ないので好んでしない人は少なくない(と信じたい)。
いろいろ批判が来そうだが客商売の側面はどうしてもあるので、患者相手に普通はそうはならないのだ(時と場合にもよるが)。
話がかみ合わない。喧嘩になる。普段の外来でもないわけではないが、そうなることが多いなら担当変更など考えても良いのかもと場末の医者は思う。
誹謗中傷したいわけでもない。世の中極端ではなくとも危ない医者はいる。そうでないまともな医者もたくさんいる。
犠牲になる人が一人でも減ることを願う。
後でなにかエビデンスを見せてくれるのかな
当該Wikiも含めしばし被害者なき犯罪の議論で欠けるのは、法は直接的な被害だけではなく
被害者なき犯罪の例示で売春がよく使われるけど、確かに当事者だけ見れば被害者はいない。
売春防止法の第一条に立法目的が書かれてる、法律というのはたいていは第一条に立法目的や趣旨が書かれる。
売春防止法には
「社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、」との一文があり、保護法益の一つは当人の保護だけではなく社会の善良な風俗、なの
町中で公然とそこら中で売春が行われてる環境は嫌だ、鬱陶しい、当人だけの問題ではない、ってのがこの法律の趣旨であり守りたい文化なの
日本は民主主義なのだから多数派が望めば科学的、論理的、あるいは倫理的にも間違った法律でも作ることができる。
憲法の歯止めはあるが、それは別の話で議論が広がるので置いておく。
保護法益が設定されてない法としてよく例示される。珍しいんです。
立法時の国会議事録を読んでもわかるが身体有害性などを議論して立法されたのではない。
(本音は、敗戦国日本が国際社会に復帰して主権を取り戻すには米国主導の条約には片っ端から加盟するしか無かった、保護法益の議論どころではなかった)
しかしこういう法があっても構わんのです
立法裁量の憲法議論を避けるために科学的エビデンスがあることは望ましいが、とはいえ慣例的なもので憲法上明瞭にエビデンスの提示は規定されていない。
究極的には国民が納得合意すりゃいいんです、民主主義なんだから
(極端に言えば、なんらか新法が憲法に抵触したとしても国民は憲法改正の権利も持っているのだから後から憲法も変えて適合させちゃえばいいんです、違憲立法審査権はその法律ダメですよ、という提案と平行しもう一つ、憲法と整合しないから憲法の方も変えてね、というアドバイスも含まれる)
なんかネットでは信用のならない議論が繰り広げられているが、こういう時は信頼できるテキストに当たらないとダメだ。(ネット民のご意見なんか糞食らえなのはもとより、学術論文も、多くは新しい説を主張するために書かれていたりして、そのエビデンスレベルを読み誤るリスクが高い。)
信頼できるテキストといえば、信頼できる出版社から出ているコンメンタールである。ちょうど昨年6月に弘文堂の「条解」シリーズから著作権法が出たところだ。
以上のように、著作者人格権の譲渡や放棄が困難と解されていることから、実務上は、著作者人格権の不行使契約が広く用いられている。
(…)
従来の議論においては、著作者人格権の不行使契約(特に包括的な不行使契約)については、その有効性を否定する見解が少なくない。
これに対して、著作者人格権の不行使契約の有効性を明示的に肯定する見解もある(田村411頁、内藤167頁以下、高瀬亜富「著作者人格権不行使特約の有効性−一実務家の視点から」コピ662号(2016)48頁等参照)。また、起草者も、実演家人格権についてではあるが、
「本条〔90条の3〕の「同一性保持権」と前条〔90条の2〕の「氏名表示権」はいずれも「人格権」ですが、権利者と利用者とでこの「人格権」の不行使特約(権利を行使しないという契約)を結ぶことも当然ながら可能でございます。なぜなら、著作権は「私権」であり、権利者はこれを行使するかしないかを契約によって自由に決めることができるからであります」と述べている(加戸639頁)。(…)
以上のことから、著作者人格権に関する契約の有効性については、著作者人格権それぞれの性質を踏まえつつ、意思の明確性と具体性を考慮して判断すべきであるように思われる。また、同一性保持権については、20条2項4号が「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」を許容しており、そこでは諸事情が考慮されることから、包括的な不行使契約が締結されていたという事情もその一要素として考慮すべきものと考えられる(以上について、上野・前掲52頁以下、上野達弘「著作物の改変と著作者人格権をめぐる一考察−ドイツ著作権法における「利益衡量」からの示唆(2・完)」民商120巻6号(1999)959頁以下参照)。
ちなみに文化庁の著作権契約書作成支援システムでは、そのマニュアル8頁において
なお、利用者に自由に使わせる必要がある場合などは、著作者人格権を行使しない旨を規定する例も見受けられます。この場合、著作者としては、依頼者が著作物を改変、修正した場合や著作者の氏名を表示しなかった場合でも異議を述べることができないといった不利益が生じるため注意が必要です。
と注意を促した上で、同システムが出力する契約書では、たとえ改変を許諾する場合であっても
規定例(一定範囲での変更を認め、かつ、氏名表示を要しない場合)
第○条(著作者人格権)
1 甲は、乙が本著作物を利用するにあたり、その利用態様に応じて本著作物を変更したり、一部を切除したりすることを予め承諾する。ただし、乙は、これらの改変であっても本著作物の本質的部分を損なうことが明らかな改変をすることはできない。
2 乙は、前項以外の改変を行う場合は、事前に甲の承諾を得なければならない。
といった条文を出力するようにしている。
なお、議論のきっかけになった事件では、原作者が著作者人格権に基づき介入を行い実際に意向に反する映像化を防止できているから、著作者人格権の不行使契約は締結していないと思われる。
ニコニコのランキング見ると異常な反ワクチン動画もやたら多いし、エビデンスの重要性わからないオタクはハマってそうだけどねぇ。ランキング一覧みてると運営正気かってぐらい質悪いよね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240206180507
にこういうブコメがあったからニコニコの総合ランキング見てみたんだけど、少なくとも100位までには反ワク動画なんてないんだが……
これ、同じ「持ち上げる時ではなくて下す時に筋肉は発達する」って思想のトレーニングなのに、
なんかイメージがまったく違うっていうかむしろ真逆感もあるの面白いよな。
ちなみにエビデンスとしては2017年にニューヨーク州立大学で行われたメタアナルセックスの結果、
「物を持ち上げる際のポジティブ動作」と「物を下す際のネガティブ動作」が筋肥大に与える影響を比べて
統計学上の有意差はないものの、ネガティブ動作のほうがやや効果が高いという結果が出ている。
ここから分かるのはネガティブ"も"意識してトレーニングすることで筋肥大が最大化されますよ、ということ。
違うよ
例えばエビデンスなら医学周りあたりで医学誌に載った(複数の)論文に統計的に有意な結果が出たことをエビデンスが出たのように使ってたのが元であって領収書のことをエビデンスとは言わない
普通の日本語(漢語)で言えることをカタカナにするのはインチキコンサルとかアホ営業の手口であって1流サラリーマンのやることではない
https://www.oed.com/search/dictionary/?scope=Entries&q=Evidence
“Grounds for belief; facts or observations adduced in support of a conclusion or statement; ”
小2の子どもが居るんだけど、2月が近づくのを思い出して「あー、よかった。小学生になって。もう鬼こないもんね」とよくつぶやいてる。
多分今年入って5回は言ってきてる。
子どもが行ってた園は寺系ということもあるのか、しっかりした節分をする。
しっかり怖い鬼の顔をした鬼(園長)が、日常生活に急に現れて襲ってくる。
「鬼が来た! お坊さんも来た! お坊さんと一緒に豆で退治! チャンチャン」
という流れを作ってはくれているものの、やはり子どもたちは大号泣しているようだ。
毎回、部屋の隅に身を寄せながら号泣している子どもたちの写真が報告として壁に貼られる。
で、中には1月頃から鬼が怖くて登校拒否になる子がでてきて、前後のダメージを考えて当日休ませるという判断をしていた親もいる。
うちの子は毎回泣いてはいたが、そこまでではなかった。節分とわかっても園に行っていた。
それでも、こうやって数年後に思い出してはつぶやくくらい心に残ってしまってるんだなと。
(最近の性被害の気持ちを数年後にようやく出せるのと一緒なのかなと思った)
そんな中TLに流れてきた、産婦人科の基本麻酔なし処置の話。(n回目ではある。もういい加減変わっていってほしい)
子宮卵管造影検査も、ミレーナ入れるのも、なんなら出産も痛いのに「耐えろ」と一蹴されてる。
私は「男性医師は女性が泣くのが嬉しくてしてるんだ」みたいな意見はちょっと言い過ぎだと思っているけど、性別関係なく医師が寄り添えてない事実はあると思う。
ほんと、もっと女性の身体へのダメージは自分で決めさせてほしい。
(アフターピルもなんで諸外国みたいに手に入れやすくなってないのか…)
それを思ったら、上の子どもへの全力節分も同じようなものじゃないのかと思った。
よく聞かれる言い訳として「この経験が成長になる」「いままでそうしてきたから」というものがあるけど、最近の流れでいくとそれは理由としておかしいという声が上がってきてる。
不要な怖さや痛みは感じないほうがいいでしょう。
トラウマなんて少ないほうがいいでしょう。
本当に節分・鬼が襲いに来てもらいたいと思うなら、なまはげを体験しに行ったらいいんだとおもうよ。
(USJのハロウィンナイトに無理やり子どもを連れて行って、泣く姿を撮影する親もほんとどうかと思う…😩)
産婦人科系の痛みも、体験したほうがいいと思うなら そうしたらいいと思う。
親からして「泣いてる子どもたちも可愛い」という気持ちもわかるけど(多分ドッキリとかで驚いてる人をみる愉快さなんだろうな)、もう令和だし別の形で節分を体験させてあげてほしい。
外に向かって豆なげるでも、かわいい鬼工作作るとかだけでもいいじゃん。
産婦人科へのしんどさとつなげてみたときに、私は子どもへの必要以上の怖がらせは 節分ハラスメントだなとおもった。
[ハラスメント(Harassment)とは、ある言動や行動によって、相手に不快な思いをさせたり、脅したり、人間としての尊厳を傷つけたりすることです。 広い意味で「いじめ」や「嫌がらせ」と同義の言葉ですが、「相手を傷つける意思」や「悪意」がなくても、受け取る側が不快な感情を抱けばハラスメントとして成立します。/ネット検索から]
正直、考えすぎなのかもしれないけれど、やっぱり少しでも声をあげていきたい。
来週は節分。
最近、我が老境において、喜びの種となりつつあるのは、ビックバンセオリーを眺めることでござる。
インテリ気取りのオタクの愚痴っぽい振る舞いが、滑稽さを誘い出し、わが老眼に微笑みをもたらす次第である。
シェルドンなる輩は、ひも理論の奥深さに耽溺し、しかもデニスキムの出現以来、中東問題解決と称して、何やら意味不明な提案を披露し、微妙に差別的な言葉も交えておる。
年を重ねても理解に苦しむ世の謎は尽きることなく、これが老いというものかと、我が老いびれた心に感じ入りたり。
さて、余は昔より数学の魅力に惹かれ続けてまいりました。
あまりにも純粋な数学よりも、応用数学の方が余には心地よいものでござる。
したがって、利潤を最大化させんが為に必要な推薦システムの機巧に興味を抱く次第でござる。
ユーザー、プロバイダー、システムの三者関係を形式化し、マルチステークホルダー問題として考察すれば、トレードオフの難しさが浮かび上がってくる。
システムの運用を最適化すればするほど、マッチングの機会均等性が損なわれるという難しい事態が生じる次第でござる。
この機会均等の欠如が引き起こす長期的な悪影響として、プロバイダーの離脱が挙げられる。
しかしながら、絶妙な場合では単価競争が巧みに行われ、我が利益も増進するであろう。
サービスの価値が低ければ低いほど、プロバイダー離脱の危機が高まる。
なぜなら、サービスそのものが他社と競争しており、「そんなに高いなら他のところへ行きます」との言葉が飛び交うのでござる。
故に、効用だけでなく、公平性も見逃すべからざる重要な要素となる次第でござる。
話は変わり、老齢においても脳の活性化を促す趣味を模索しておる次第でござる。
何よりも自分が楽しむことが第一であるが、たとえばチェスとヨガを比較し、どちらがボケを防ぐに効果的かを考察せざるを得まい。
多くのエビデンスが示す通り、運動は脳の活性化に寄与するものである。
まあ、美しいお尻を手に入れることを目指してみるのも悪くはないかもしれぬな。