はてなキーワード: つのとは
あなたはわざと論理性の乏しい日本語で投稿を繰り返しているんだろうと思う。
なにか苦しい思いがあって、そうせざるを得ないのだろう。
だけど、その行為を繰り返しても苦しさはどうにもならないと思う。
お前は1つの好物以外は食べないのか?
これをどう受け止めてどう解釈する?
俺はリベラル政党が、リベラルは自分たちの特権だと勘違いしてところにあると思う
保守政党リベラル政党ってのは、本来ちっちゃい泡沫政党のみが掲げられる立場なんだよな
ある程度規模が出てきたら一つの政党に保守派とリベラル派が出てくるのは当然のことで
もう「ただいま大変電話が込み合っております」で30分も待つの嫌だよ
その無駄な時間の通話料だけで1,200円とかかかってるんだし、1回1,000円払うからすぐ繋げてよ
何が何でも問い合わせ電話番号隠したい企業から、電話番号探す手間だけで30分は追加されるし、その途中に出てくる無能チャットボットやFAQもいらない。
情報理論を幾何学的に定式化するには、微分幾何学、特にリーマン幾何学とアフィン接続の理論を使う。
1. 統計多様体: 統計多様体𝓜は、パラメータ空間Θ上の確率分布p(x|θ)の集合として定義され、滑らかな多様体の構造を持つ。ここで、θ = (θ¹, θ², ..., θⁿ)は局所座標系である。
2. フィッシャー情報計量: 統計多様体𝓜上のリーマン計量gは、フィッシャー情報計量として与えられる。これは、次のように定義される二次形式である:
gᵢⱼ(θ) = ∫ (∂ log p(x|θ)/∂θⁱ)(∂ log p(x|θ)/∂θʲ) p(x|θ) dx
1. アフィン接続: 統計多様体には、双対のアフィン接続∇と∇*が定義される。これらは、次の条件を満たす:
- 接続∇は、∇g = 0を満たし、統計多様体の平行移動を定義する。
- 双対接続∇*は、∇*g = 0を満たし、∇に対する双対接続である。
2. 双対平坦性: 統計多様体が双対平坦であるとは、∇と∇*の両方の曲率テンソルがゼロであることを意味する。これにより、𝓜は双対平坦な多様体となる。
1. エントロピー: 確率分布p(x|θ)のエントロピーH(θ)は、次のように定義される:
H(θ) = -∫ p(x|θ) log p(x|θ) dx
2. KLダイバージェンス: 二つの確率分布p(x|θ)とq(x|θ')の間のKLダイバージェンスは、次のように定義される:
Dₖₗ(p ∥ q) = ∫ p(x|θ) log (p(x|θ)/q(x|θ')) dx
KLダイバージェンスは、統計多様体上の測地距離として解釈されることがある。
3. 測地線: フィッシャー情報計量に基づく測地線は、統計多様体上で最小のKLダイバージェンスを持つ経路を表す。測地線γ(t)は、次の変分問題の解として得られる:
δ ∫₀¹ √(gᵧ(t)(ẏ(t), ẏ(t))) dt = 0
ここで、ẏ(t)はtに関するγ(t)の微分を表す。
おお、その話ですか、キュウリのサンドイッチの話でしたら拙者にお任せくだされ(早口)。
まず、キュウリのサンドイッチを極めるには、味付けが一つの鍵でござる。マヨネーズを使うのは悪くないが、キュウリ自体の瑞々しさとさっぱり感を引き立てるには、少々工夫が必要でござる。
すなわち、キュウリは薄くスライスするのが基本。塩を軽く振って水分を少し抜くと、食感がシャキシャキしてさらに美味しくなる。また、そこにちょっとしたアクセントとして、塩だけでなく、レモン汁を一滴加えるのも良いでござる。これがキュウリの自然な甘みを引き立て、マヨネーズとのバランスも絶妙になるでござる。
また、マヨネーズだけではなく、クリームチーズやハーブ入りのスプレッドを使うと、味わいが一層深まるでござるよ。さらに、パンも少しトーストしておくと、サクサク感が加わって全体の食感がより一層楽しめるでござる。
そして、紅茶はおっしゃる通り、欠かせない存在。紅茶の渋みとキュウリサンドのさっぱり感が互いを引き立て、まさに至福の一時を演出するでござる。しっかりと濃いめに淹れた紅茶、例えばアッサムやダージリンと合わせると、より一層贅沢な気分を味わえるでござるよ。
いかがでござるか、これで少しでも「なんか違う」が解消されれば幸いでござる!
保育園に子供を迎えに行ったら、エプロン着て頭に三角巾巻いてたんだ。おままごと中だったみたいで。
帰ろうね〜って声かけたら、自分で三角巾とエプロン外して所定の位置に戻して、使ってた皿のおもちゃも重ねて棚にしまっててさ。
家じゃそんな遊びしないから知らなかったけど、いつの間にかこんなに成長してるんだなってびっくりして、なんかわっと込み上げてきちゃって。
黒羽刑務所はぺちの実家で長谷川は糞。 ぺちは刑務所で取れた可愛い子だったがいつのまにか変容して何の価値も亡くなった。糞いぬ。
森脇は10工では大声を出しているし芝居ているが、東京ではその辺に不審者がいてもそこに行って何もできないへたれ。
6月2日、14日、5月23日、24日、26日も5回連続で失敗
これはトンデモワードっぽいですが、主に中国軍が次世代の戦略と考えているれっきとした戦略概念です。気になる方は防衛研究所をご覧ください。
これは、制海権(海上優勢)・制空権(航空優勢)・制情報権(情報優勢)・制宙権に次ぐ「制脳権」という概念です。
戦争では情報がものを言うのですが、情報よりもその手前の認知・認識の分野をコントールしてしまおうという考え方が制脳権です。脳さえ乗っ取れば勝手に内乱してくれるし、民衆が敵国の足を引っ張ってくれるので便利という考え方です。
ここで、現在の日本のインターネットの荒れ具合が中国による工作活動だというつもりはないです(証拠もないし)。
ただそれにしても「工作活動されて、脳が乗っ取られていてもおかしくないのではないか」というぐらい荒れているように見えます。あまりにもキレ散らかしていないでしょうか。
そういうわけでNINJAを発足しようと思いました。
「自分がNINJAだ」と思えば、誰でもNINJAになることができます。
ただし、人に向かって名乗らないでください。NINJAなので。
名乗る人はNINJAではありません。名乗る人はわれわれの仲間ではありません。
自分がNINJAだと匂わせることもしないでください。そういう人はNINJAではありません。
リアルでも誰にもNINJAだと言わないでください。そういう人はNINJAではありません。
どこか目に付く公共の場で「NINJA参上!」などのようなことも書かないでください。そういう人はNINJAではありません。
NINJAであることは人にバレないようにしてください。たとえ「NINJAでしょ?」のように聞かれても白状しないでください。
よいもの・よいことを見つけたら積極的に広めてください(さりげなく広めてください)
丁寧な言葉遣いを心がけてください
悪いものを攻撃するのではなく、良いものをその分たくさん応援してください(あなたの精神衛生のためでもあります)
穏やかな気持ちを保ってください
募集は終わりです。
読んでくださってありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。
昔から本読むのが好きで学術書も小説も割となんでも読むタイプだった。本はゆっくり時間をかける高尚な趣味だからドラマやYouTubeを倍速で見るようなタイパ重視の若者の考えは理解できないと思っていた。
狂い始めたのは電子書籍を読むようになってからだ。いつでも本が買えるし、ワンクリックで支払いまで済むのでついつい少しでも興味があれば積読の山に投げ入れてしまう。積読が増える分本を読みたいという気持ちは強くなる。
本と同じくらいかそれ以上好きだったゲームにすぐ飽きてしまうようになって異変を感じた。なぜハマれなくなったか考えてみると、ゲームは数十時間かけて1つのストーリーを見ることができるが普通の小説であればせいぜい2,3時間あれば読めてしまうからだと気付いた。もともとゲームの寄り道要素だとか戦略性だとかいろいろ楽しみながら進めていくタイプだったのだが、考え方が変わった結果、それもストーリーを遅延させる余計なものとしか思えなくなった。
さらに、本についても昔は有名人のおすすめの本とかを、どういうところが好きなのかだとか、どこでこの本と出合ったのかだとか見て、それを頭の片隅に入れたうえで読むのが好きだったのだが、最近ではおすすめの本のタイトルだけ聞いて読み始めることが増えた。本の周辺にある様々な人の体験や思い入れを少し前までは楽しめていたのだが、今では一冊でも多く本が読みたいとしか考えなくなったのだ。
この文章を書いている今でも本を読みたくてウズウズしている。それでもここまで書ききれたのは2つ理由がある。まず、自分が書いた文章を推敲しながら書き進めていくことで、読書で得られる快楽を部分的に摂取しつづけたからだ。もちろんプロの書いた文章より稚拙で、しかも既知のことがらしか書いてないものを読むことは読書の代わりにはならないが10分程度自分で自分を騙す程度には十分だ。そして次の理由が最も大きいのだが、こういった文章を書くことで自分と似た人がこれに目を付けて反応してくれるんじゃないかと願っているからだ。できれば自分よりもタイパを重視している重病患者にこのメッセージが届いてほしい。そしてもし、幸運にも私と同じく本をなるべく多く読むことを喜びとしている人がこの文章をここまで読んでくれたのなら教えてほしい。今よりももっと早く多く本を読む方法を。
職場の飲み会に行った。比較的「若手」と呼ばれる人が多い飲み会だった。
ある人は既婚だった。後輩は大学時代から付き合っている彼氏と同棲中で、また別の後輩は同期と付き合って2年。
私は?
恋愛が苦手だ。というか、ブスすぎて誰ともそういう雰囲気になったことがない。一度焦ってマッチングアプリを入れてみた。直前にドタキャンされるのが3連続続いた。
「彼女いないんすけどwwwマッチングアプリとか出会い系は手出してないんでwww」
と彼女のいない後輩男が言った。マッチングアプリくらいしか恋愛話を披露できない私はもう何も話すことがなくなった。
私のパートナーについては聞かれなかった。多分みんな空気で察してる。死にたい。
これでもお利口さんに生きてきたと思ってる。大学を出て、会社に勤めていて、出世とかキャリアは度外視しているが、頑張って働いている。成績だけが取り柄だった。コミュ力が最重要の会社では意味がないが。
ただ恋愛が苦手なだけだ。
こんなにも惨めな思いをしなくてはいけない。苦しい。
がんばって生きてるのに……非行にも走らず真面目に生きてるだけなのに……。
生きてるだけで偉いというのなら、こんな私を認めてほしい。でも世の中は恋愛が当たり前なので、恋愛をしていない私は頭がおかしい。
生きていて申し訳ない。でも彼氏を作る努力はできそうにない。早く死にたい。恋愛に興味がないアラサー独身女はおかしな存在なので死んでしまいたい。
パートナーがいなくてもいいじゃん?
ほんとに?
じゃあ、これから私が「彼氏いないの?」って聞かれていないですって答えた後の地獄の空気をなんとかしてくれるの?してくれないでしょ?
無責任なこと言わないでよ。
脳からだけでなく、身体から意思が生まれていくような感覚もあったと思う。
でも、鬱になってからはあくまで脳が身体や精神を支配してるんだなってよく感じるようになった。
身体や精神を脳が支配してるのは、当たり前なんだけど、それをよく実感する。
鬱になってから、脳の機嫌にお伺いをたてるようになった。
以前は、身体を動かしたいなって思ったら身体を動かせて、意思と身体がマッチしていた。
でも、今はこんなに身体を動かしたいという意思があっても、脳の機嫌が悪ければ動けない。
精神的な面でも、趣味等のなにかをしたいなと思っていても、脳の機嫌が悪いと何もできない。
そんな感覚だ。
機嫌の良い日であることを願って。
普段、このような場所に文章を書き記すことは全くないが、今後の生活について何かアドバイスを頂けたらと思い、非常に長ったらしい文章を認めることにします。こうしたオープンな場所で文章を書くことは承認欲求を満たすためなのではないかと思われる方もいるとは思いますが、自分はそうした欲求を満たすことを目的に、こうした開かれた場所に文章を晒すのではなく、ただ純粋に他人から意見をもらうという行為が今の自分に必要だと思ったから、今こうしてここに文章を書き記すことにしたのです。これまでの人生で自分は自分の考えや気持ちを他人に伝えて、他人からアドバイスをもらうという経験をしたことが全くといってよいほどありません。いつも自分の頭だけで物事を考えて自分一人で決断を下してきたため、自分のとった行動が他人の目にどう映っているのか、また、それは社会的に逸脱しているのかというようなことを知る機会がありませんでした。なんせ非常に自己完結的な生き方をしているわけですからそれも当然です。一般的にいうと他人の意見に惑わされずに自分の頭で物事を考えて自分の意志で行動に踏み切るのはそれほど悪いことではないと思われるかもしれません。しかしながら、あまりに自己完結的、自閉的で、自分の世界の中だけで生活が閉じていると、自分が社会や他人からどのように見えているかを知る術を見失ってしまいます。前まではそのことについてそれほど深く気には留めなかったのですが、今ではそれは良くないことだと思っています。なので、匿名の立場ではあれ、ここで助言やヒントが頂ければと思い、一念発起して今ここに文章を書き留めることにしたのであります。
早速、本題に入ります。自分がアドバイスいただきたいのは今後の生活についてです。今後どういう生き方を選択するのがベストなのか、また、その自分がとった選択は一般的にみて危険な選択なのかというようなことが知りたい。こんなのは一般化できるものではなく、個人の性質や考え方によって解釈に違いがあるのだから参考にならないことは分かっています。しかし、それでも他人の意見が聞きたいのです。
まずはじめに自分はごく一般的な世間の価値観とは大きく外れた人間であることは十分理解しています。自分を客観的に視ると、どうみても自分は社会の価値観からずれていて、その枠組みの中で他人とうまく強調しながら生きていくのが難しいです。自分がそう考えるのは以下の理由によります。
自分は生きようとする意志が非常に希薄な人間です。自身の内部から生きようとするエネルギーが全く湧いてきません。多くの人は外的刺激を受けて自然に「何かをしたい」という意志をもって様々な行動に取り組んでいるのだと思いますが、自分はこの外的刺激を受けて「何かをしたいという欲求」が発生しにくいです。ですから、生命維持のために必要な最低限度(食事、入浴、排せつなど)のことにすら取り組むのが難しいです。生活を続けるのは面倒ですが、積極的に死にたいという欲求があるわけでもないので、自分の体に鞭を打って無理やりこれらの作業を行っていますが、内心非常に面倒な作業であることには変わりありません。今はこうして無理にこれらの作業を行っているため、生命活動を何とか維持できていますが、もし自然に身を任せてしまえば、本当に何もしなくなるだろうと思います。それはまさに廃人状態であり、この状態が長く続けば、いつかは死に至るかもしれません。
こうした性質を抱えているため、一般社会の中で社会参加をして他人と共に生活していくのが難しいです。生活するにはいくらかお金は必要で、そのためにはどうしても仕事をしなければなりません。そこでどこかの会社に応募して面接をする必要があるのですが、そこで聞かれる、働く動機や今後どのようなキャリアプランを築いていきたいか、どういう風に成長していきたいかなどへの応答がとても難しいです。先述したように、生命維持のための最低限度のことをこなすのがやっとであるので、それらは自分にとって意味を為さない質問です。もっと簡単に仕事に取り組めればいいが、社会に出て仕事に従事するにはこんな面倒なやり取りをしなければならないのかと思うと、社会の中で生きるのはとても面倒なことであるのがよくわかります。
自分も他人と同様、社会の中で生存している一人の人間であります。そして社会生活を営むには、身の回りの物を自分の世界に取り込み、それを活用していく必要があります、そうした物を所有するには外へ出て買い物をする必要が当然ながらあります。自分も生活者の一人であるため、スーパーやコンビニへ行って買い物をするのですが、実際に店舗へ足を運んでも何を買ったらよいのか全く分かりません。物を選ぶという行為を遂行することができず、呆然と立ち尽くしていることが多いのです。しかし、何も買わずにいると生活が回っていかないので、無理に「自分はこれが欲しいのだ」と自分に言い聞かせて、それほど欲しくないものを買って買い物を済ませることが多いのですが、これは自分の内側から自然に発生した感情に基づいて行動しているわけではないので、純粋に買い物という行為を実行できているわけではありません。その行為は嘘と欺瞞で満ち溢れています。
どうして物を選ぶことができないのか、その理由を自分で考えてみたところ、次の二つの理由があるからこそ、自分は物を選ぶことができないのではないかと考えました。
①身の回りの物を所有し、それを活用することでこの世界を生き延びたいという欲求そのものが希薄であるから
①に関していうと、実店舗に足を運んで色んなものをみても、心が揺さぶられるようなことはありません。この世界には種々雑多なものが存在し、人の心に絶大な影響を与えているというのに、自分はそのどれを見ても心の内に備わっている感情センサーが反応しません。これは自分が生活に必要な物を所有し、それを活用することで社会の中で生き延びていきたいという欲求に欠けるからなのではないかと思いました。そしてそれをもっと深堀していくと、最終的には「生きる力が弱い」から物を選択できないのではないかと考えました。
②に関しては、身の回りの物が自分の生活にとって不要なものになったからではないかという考えです。身の回りの物は生活と非常に大きな関わりがあります。この世に存在する様々なものは生活と密接に結びついていて、生活と分けてその存在意義を考えることはできません。例えば、衣服は体温調節や外部からの攻撃を守るといったように生命維持と大きく関わりのあるものですし、ペンは自分の考えを伝達して周りと共存していくために必要なものであります。こうしたように身の回りの物は生活があるという前提があるからこそ、社会の中で存在意義を持ちます。この世界に誕生意義をも持ちます。もし生活というものがなければ、これらの物は世界に存在する必要がありません。存在意義すら持たなくなります。自分が物を選択することができないのは、自分に生活というものがなくなったからではないか、自分が生活と切り離されているからではないかと考えました。あくまで仮説として考えているだけで、実際のところはよくわかりません。ただ欲求が乏しいだけかもしれないし、物事全般に関心のない人間だからなのかもしれません。
3.人や社会と繋がりを持ちたいとは思えない
第三に、人や社会と繋がりたいという欲求が皆無です。現時点では、人や社会と繋がりたいという欲求が全くありません。そうした感情が自然に湧いてくることもほとんどないです。ですので、必然的に人と関わりのない生活を送りがちになってしまっていますが、外部とのつながりがないことによるネガティブな感情体験についてはさほど心配していません。それよりも、こうした性質を抱えながら人や社会とどのように付き合っていけばよいのかということに自分は頭を悩ませています。どれだけ社会的欲求が希薄であってたとしても、人間が社会の中で生活していくには最低限社会の中で他人と関わる必要があります。けれども、自分は対社会的欲求や対人欲求がない人間であるため、どうしても他人とのコミュニケーションの負担が大きく、仮面を被って人と接触せざるを得ません。しかしながら、持続的に仮面を被って社会に溶け込む生き方はとても続ける気にはなりません。何より精神的負担が大きいですし、そうやって社会に溶け込んでいる自分を好きになることもできません。もっと自分に人間らしい部分が備わっていれば、人とのコミュニケーションもさほど大きな負担にはならないのでしょうが、人間らしい部分があまりにも少ない人間であるため、人間のふりをしてその場をやり過ごすしかないです。これはとても疲れます。ですので、一般的なルートに乗って生活することは、現時点ではあまり考えていません。
以上のことから考えると、どうみても自分は社会の中でうまく生きていける人間ではないです。一般的なルートを経て人生を歩んでいくのは何か違うのではないかという気もしています。これまでは無理をして大多数の人が歩んでいるようなルートに乗って生活をすることに努めてきましたが、結局、無理が嵩じて精神的に疲弊していくことが多かったです。ですので、何か別の生き方を模索しているのですが、今のところ、どの道が良いのかさっぱり分かりません。暗いトンネルの中で右往左往しながら光の扉を見つけているのが、今の率直な心境です。
現時点で考えている生き方
3.社会や他人との接触を最小限に留め、最小限度のお金でひっそりと生活する
法的には「二次創作」のほうがグレーな領域にあるものの、個人的には「考察」のほうが問題だと感じている。
二次創作は作者自身が願望や妄想だと自覚して作られるが、考察は作中で描写された事実と混同されることが非常に多い。
たとえばサツキとメイは死んでいるという「考察」(スタジオジブリが否定済のデマ)が広められたことにより、
となりのトトロはサツキとメイが死んだ作品だと認識する視聴者が出てきてしまった。
明確な妄想である二次創作と違って、考察は原作についての認知を歪ませやすい。
問題のある考察として、以下のようなものをSNS上でよく見かける。Xでキャラクター名を検索すると出てくるnoteの記事などに多い。
・特定のカップリングや登場人物に対する偏った見方が注意書き無しに露骨に考察に反映されているもの。
・作品内で明示されていない情報を、根拠もないのにあたかも事実のように扱っているもの。
・考察が広まりすすぎて、公式設定と混同される。時には原作者の発言や原作の展開が否定されるケースも。
・専門知識なしに登場人物の精神状態を分析し、安易に精神疾患のレッテルを貼る。
著作権をグレーに侵害している二次創作ですら多くの権利元が放置している状態で、違法性のない「考察」はまず何にも引っかからない。
読んでしまうと地球平面説に当たったような衝撃を覚えるが、表現の自由の範囲内であり、作品内カルト的な考察集団はどうすることもできない。
・自分の意見はあくまで一つの可能性に過ぎないという認識を持つ。
こうした姿勢で書かれた良心的な考察に当たると非常に好感が持てるが、日に日に陰謀論的な考察の割合が増えているようにも思う。
また、陰謀論的な考察をする人間を惹きつけやすい作品というものがあるようで、
良識的かつ穏健な考察が多い作品と、そんなシーンは作中に全くなかった完全な妄想をもとにループに入ったような陰謀論的な考察だらけになっている作品がある。
キャラクターアンチがモチベーションのチェリーピッキング、カップリング厨の幻覚が入っている自覚がない幻覚、キャラクターに対して精神分析を始めて精神疾患認定、
女性嫌悪、過激主義として取り扱いへ 英内務省が戦略見直し - BBCニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bbc.com/japanese/articles/cevj0ywpldpo
英内務省は18日、労働党新政権による戦略見直しの一環として、過激なミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)を過激主義の一形態として取り扱うと発表した。
イヴェット・クーパー内相は、過激主義戦略の再検討を省内に求め、有害な思想がもたらす脅威への最善策を模索するよう指示した。
この分析では、女性に対する憎悪を一つの思想的な傾向として扱う。イギリス政府は、ミソジニーが一部で勢いを得ていると指摘している。
女だけの街とかさんざん馬鹿にして「建設もインフラも全部女だけでやれよ!男に頼んな!」ってギャオってたくせに、「女叩きを規制するなら男叩きも規制しないと不平等!」って、じゃあ自分でやれば?女に頼んなよ。