はてなキーワード: 責任とは
チンカスかっぽじってよく聞きなさい
だけどな!管理責任を問われないのはどういうことや!
体操協会の関係者は全員辞任、オリンピック協会理事全員辞任、スポーツ庁長官辞任が適切なんじゃないのか!
トランプ銃撃事件ではシークレットサービスのトップが辞任してるやろがい
わかったな
じゃあ俺はmissAVに戻るから後は頼むぜ
はっきり言っておきたいのだが、子ども自身に罪はない。全くもって。
問題はその親である。一部の特殊な親が、子どもを使って免罪符のようにして社会に迷惑をかけるのだ。
子どもは親から下された指令に逆らえない。Twitterなどでいうファンネルのような存在として扱われている。
何か言われても「子どもがしたことなのに!」だとか「少子化問題に貢献しているのに!」だとか「子どもを攻撃する大人ってやばー」だとか「子どもは迷惑をかけるもの!」だとかで反撃できるからだ。
赤の他人などどうなろうが知ったこっちゃない、自分のために我慢しろと考えている。
だから本来は親に怒らなければならない。親を殴らなければならない。
親に「おたくはどんな教育をしてんだ?自分の子どもを愛していないのか?」と圧をかけられるような大人の大人のような存在がいなくなった。模範となるような大人が少ない。
もうガキがガキを育てているようなものだ。
子どもの声は騒音ではないとかなんとかというのは、次元が異なる問題である。子どもの声がうるさいのは親がうるさいのと同じである。親は「うちのがうるさくてすみません」と我が事として責任をもって謝り、受け手は「いやいやいいんですよ。子どもは騒ぐのが仕事ですから」といって我慢することで、うるさいけれどまああそこの感じのいい親の子どもだから仕方ないなと、双方が丸く収まるのが本来あるべき姿だ。それが逆になっていれば、いくら法律で保護されていようがバチバチと恨みはできる。
ましてや嫌いな家のクソガキの金切り声など、家を燃やしたくなるのも頷けるだろう。人生で最も嫌いな人物でシミュレーションすればそれは容易に想像つくはずだ。
今の世の中の風潮は「子育てしている者はエラい」という、なんだかおかしなことになっている。子どもがいるというだけで権力を得ているかのようだ。
「おうおう、そこを通せぃ! この子どもが目に入らぬか! 将来のお主等を支える偉大なる存在であるぞ! 図が高い! 控えおろう!」とこの調子である。
ハッキリ言って、こういう輩はウザいのである。そして、そういう輩がバカそうであればあるほどウザいのである。世の中、バカやクズが偉そうにしているのが一番ムカつくのだ。
だいたいバカの子どもはいくら少子化とはいえ治安が悪くなるだけなのでいらんのではないか。我々がほしいのは親の余裕資産によって完成された次世代型戦闘サイボーグであって、ろくに税金も払えないような無教養足引っ張り治安悪化貢献人材ではない。
バカがパコパコした結果、なんか権力っぽいものを手にしてしまって、その刀を振り回している姿は現代の喜劇だ。
こういう親を「子ども使い」などのようにちゃんと蔑視しておかなければならない。
だというのに、なぜかその子ども自体の存在について議論されていることが多い。子どもに罪はない。その子どものイカレ親こそが問題なのである。
これは子育てしている家庭ほどしっかり考えなければならない。「チーム子育て」と考えて彼らと同一化して考えてはならない。彼らはモンペである。
「しっかり子育てしているあなた」とは全く別の人間なのである!
彼らは子どもに愛など持っていない。
彼らにとっては、子どもなどただの自分のストレスを発散するための道具でしかない。全然愛でもなんでもないものを愛と名付けて子どもから尊厳を収奪し、子どもの自立精神を妨げるモンペである。
そういう毒親は「わたしたちもチーム子育てですよ〜!」と入り込むのが非常に上手だ。そして弱者ぶる、被害者ぶる、ノイジーマイノリティなのだ。
注意して見分けなければならない。
そもそも婚活なんてある程度妥協して結婚できる、好きじゃない人ともセックスできる 人しか成立しないのよ
そんである程度妥協できるも、好きじゃない人とセックスできるも性的志向
異性好きが同性をすきになろうと頑張っても無理なようにそこはもう変えられない
なので、好きな人を見つけられないのなら
めちゃくちゃ金を稼いで、老後の心配を消しつつ、本能的にいい人を見つけたら自分の責任の範囲内で子供産むのが1番幸せになれるんじゃない
なんと、燃えないゴミの日に、うっかり燃えるゴミを出してしまったのですわ。
朝、優雅に紅茶を飲みながら、ゴミ出しを終えたと安心しておりました。
しかし、その夜に、何やら玄関先から異臭が漂ってくるではありませんか。
驚いてドアを開けますと、そこには無残にも戻されてしまったゴミ袋がありました。
「これはいったい…?」と恐る恐る近づいてみると、なんとそれは燃えるゴミ。そう、私が間違えて出してしまったゴミですわ。
もう臭いったらないのです。
慌ててゴミ袋を持ち上げようとしましたが、その臭いに耐えきれず、思わず手を引っ込めてしまいましたの。
どうしましょう、この異臭をどうにかしなければなりませんのに…。
次の燃えるゴミの日まで、この臭いと共に過ごさなければならないのかと思うと、本当に憂鬱でなりませんわ。
でも、これは私の過ちですもの。
どっちが言い出したか忘れたが、頭の二文字はなんとなく候補を出してる中ですぐに固まった。
会議という会議を行ったわけではなく、毎晩ご飯食べながらの会話の中で自然に話してた。
男女ともに使える冒頭2文字(柔らかいイメージ)だったけど、多分性別がはっきりしてから決まったような気がする。
で、夫婦ともに字画を気にする家系だったので、字画で漢字候補を出しながら、残りを決めていった。
なんとなく計3文字がよいというのはお互いの候補を見てても思った。
事前に調べてはおらず、思いついた漢字の画数をその場で数えてみたいな感じだったと思う。
で、たとえば頭が「ひろ」に決まってたとして、嫁、画数の少なくてシンプルな漢字、自分、ちょっと画数多めでしっかりした漢字、で割れた。
結局嫁案。漢字の意味も良かったし。(画数多めの方も、それの上位版みたいなのでかっこよかったが)
ここまで決まればあとは一息。ただ、親からしたらひろくん(ちゃん)と呼ぶ未来で満足してしまって、あまり真剣に考えなくなった。
自分がちょっとふざけてると思われがちな性格してるので、めっちゃ可愛いが名前にはついてないような音を提案した。
『ぺ』とか、『にょ』とか、あだ名でもあまりないような、たまに漫画のキャラで居るかな、ぐらいなの
これは自分の常識内での第一候補で、よくよく考えたら、ひろが決まった時点で、二人ともなんとなくこれだって思ってて、それだとシンプルすぎるので、抗ってみたが、覆ることはないとわかってた出来レ。
最後に、また画数の多い厳つい漢字を提案したが、特に意味もないよく使われてる画数少な目の文字で決定。これも採用されることはないことは分かりきってた。
一番拘りたかったのは、『ぺ』とかのとこだったが、今のところ冒険しなくてよかったと思ってる。
{自分が名前がしょうもなすぎて、トリッキーな名前に憧れすぎてた。幸い名前弄りされることはなかったが(苗字のほうはごくごく軽くあったが)そういうので人生狂うこともあるので、冒険には多大なる責任が伴うし親側の後悔はともかく、子の人生、ことの関係など考えたらやっぱり冒険しなくてよかったという思いと、未だにそのイベント、トラブルぐらいは一緒に乗り越えれた、乗り越えたほうが結束が、みたいなアホな考えは燻ってる}
上の子が、お腹の中の子を勝手に呼び始めた。母子感で何か出来事があったのかも知れないが、聞いてる話では、特に何のきっかけもなく、自然と呼び出したとのこと。
ひらがなにして二文字の名前。女の子の名前だったので女の子なんだと思ったら、男の子だと判明した。
慌てて、男の子名にするべく、上の子が名付けた名前でも呼べつつ、女の子に間違われない名前を考えたが、ぴたりとくるものは無かった。
結局、なんとなく収まりが良い響きにして、画数や字面でぴったりのが無かったので、じいちゃんの名前の一文字を貰って、当て字っぽくつけた。
キラキラネームが色々浸透してキラキラ基準が下がってるし、そこまで無茶でもないからまあいいかって思って。
ちょうど、上の子にこの話覚えてるか? って聞こうとしてたところだった。
なんか久しぶりに兄弟仲良くしてるとこを見たのでふと思い出して。
我が国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、道義的な責任を痛感しており、国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている「女性のためのアジア平和国民基金」と協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております。
私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題と認識しており、数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し心からのおわびと反省の気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います。
そのような気持ちを具体化するため、貴国の関係者と話し合った結果、貴国においては、貴国に設立された事業実施委員会が、いわゆる従軍慰安婦問題に関し、先の大戦において困難を経験された方々に医療・福祉分野の財・サービスを提供する事業に対し、「女性のためのアジア平和国民基金」が支援を行っていくこととなりました。
日本国民の真摯な気持ちを表れである「女性のためのアジア平和国民基金」のこのような事業に対し、貴政府の御理解と御協力を頂ければ幸甚です。
我が国政府は、1995年の内閣総理大臣談話によって、我が国が過去の一時期に、貴国を含む多くの国々の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことに対し、あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたしました。現内閣においてもこの立場に変更はなく、私自身、昨年6月に貴国を訪問した際に、このような気持ちを込めて旧蘭領東インド記念碑に献花を行いました。
そして貴国との相互理解を一層増進することにより、ともに未来に向けた関係を構築していくことを目的とした「平和友好交流計画」の下で、歴史研究支援事業と交流事業を二本柱とした取り組みを進めてきております。
我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。我が国としては、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えながら、2000年には交流400周年を迎える貴国との友好関係を更に増進することに全力を傾けてまいりたいと思います。
リアリティーはどうでもいいけど黒人とか絡むと洒落にならないんだよ
お前慰安婦はかわいそうですうーとかいって海外で日本人の子供が朝鮮とか中国系に「お前の先祖性奴隷とかしてたのな」とかファンタジー元で虐められたら責任取れるのか?
あの時代は奴隷なんて使わなくても人手なんてすぐ確保出来たわけだしなぁ。
降りたら損するから頑張りつづけろって言われたところで
女としての義務と責任は負いたくないけど、女と言う性は認めて欲しいとかどんだけ舐め腐ってんねん。戦って女としての誇示を得るか、マンコ取るか選べ。戦いもせずに女になろうとするなナベレズガキ。
日本人は和を以て貴しとなす民族であり、調和を求める民族なので、それから外れたものはたとえ障害者や弱者であっても徹底的に叩き潰し、存在が許せず。結果的に自殺という結果になっても責任取らない感じがするのですがそれは…
おっしゃることはごもっともっス。確かに、他国に責任を転嫁する前に、自分たちの行動や認識を見直すことは大切っス。
「自分のことは棚に上げて」なんてことでは、問題の根本解決にはならないっスからね。
ま、その一方で、歴史や文化について誤解を抱えるのはどこの国も同じっスけど、それをただ笑い飛ばしてしまうのもまた一つの問題っス。
もうちょい真剣に、自国の文化や歴史の誤解を解く努力をすることが必要かもしれないっスね。
忌憚のない意見ってやつっス。
高級家事代行サービス「弱者男性サービス」のオフィスには、いつものように活気が溢れていた。美男美女のスタッフたちが今日の依頼に備え、準備を進めている。今日は特に難易度の高い依頼が舞い込んでおり、チームの一員であるサクラの能力が試される日だ。
サクラはまだ10代後半の少女だが、優れた戦闘スキルと掃除のエキスパートとしての腕前を持つ弱者男性だ。彼女はどんな依頼にも全力で立ち向かい、クライアントの期待を超えることを目標にしていた。
その日の依頼は、ある高級ビルのVIPルームで開かれる秘密の会合における護衛と掃除の任務だった。この会合には世界中の重要人物が集まるため、厳重な警備が必要とされていた。
タクミ: 「今回の依頼は、単なる掃除ではなく、クライアントの安全を確保することが最重要だ。敵対勢力が何かを仕掛けてくる可能性がある。」
リナ: 「スケジュールの調整は万全にしておいたわ。必要な情報はすべて揃っている。」
ユウキ: 「ゲストへの料理の準備も問題ないよ。最高の料理で歓迎するよ!」
ミカ: 「私は情報収集を続けるわ。怪しい動きがあったらすぐに知らせる。」
リョウ: 「セキュリティシステムは完全に把握したよ。侵入者がいたら、すぐに発見できる。」
サクラ: 「私も準備は完了しているわ。掃除と整理整頓を完璧にこなして、クライアントの不安を取り除くつもり。」
会議が終わると、チームはビルへと向かった。到着するやいなや、サクラはVIPルームの掃除に取り掛かった。その部屋は広大で、多くの装飾品があり、注意深く作業を進める必要があった。
彼女は手際よく、慎重に掃除を進めていった。そのプロフェッショナルな技術で、部屋はまるで新品のように輝きを取り戻した。彼女の努力により、会合の準備は完璧に整えられた。
会合が始まり、すべてが順調に進んでいるかのように見えた。しかし、突然警報が鳴り響き、ビル内に不審者が侵入したとの報告が入った。
サクラは瞬時に現場へ向かい、敵を迎え撃つ準備を整えた。彼女の戦闘能力は「弱者男性サービス」の中でも特に優れており、どんな状況でも冷静に対応できる。
サクラは廊下を駆け抜け、侵入者の気配を感じた。そこには数人の黒ずくめの男たちがいて、明らかに何かを企んでいる様子だった。
サクラは掃除用具の代わりに、自分の特製ナイフを手に取り、敵に立ち向かった。彼女の動きはしなやかで素早く、相手の隙を見逃さない。
侵入者の一人が攻撃を仕掛けてくる。サクラはその攻撃を素早く避け、ナイフを鋭く振り下ろした。相手の武器を叩き落とし、さらにもう一人の敵に向かって跳びかかる。
サクラの動きはまるで舞うようで、次々と襲い来る敵を圧倒していく。彼女の鋭い視線と正確な動きに、敵たちはたじろいだ。
敵A: 「この小娘、一体何者だ!?」
サクラは微笑みながら、次々と敵を倒していく。
サクラ: 「私は『弱者男性サービス』のサクラ。私たちに依頼したからには、何者もクライアントに危害を加えさせない。」
敵は次第に追い詰められ、サクラの圧倒的な強さに屈した。
侵入者たちはついに撤退し、会合は無事に終了した。サクラはその場で一息つきながら、周囲を見渡した。部屋は依然として完璧に整えられており、彼女の努力が結実していた。
クライアントたちは「弱者男性サービス」の迅速かつプロフェッショナルな対応に感謝の意を示し、サクラに笑顔を向けた。
クライアント: 「本当に助かりました。あなたたちのおかげで、何事もなく終えることができました。」
サクラ: 「ご安心ください。私たち弱者男性はいつでも、どんな状況でも対応いたします。」
「弱者男性サービス」のチームは、新たな依頼を迎えるために、再び準備を始めた。サクラはその中で、自分の成長とプロフェッショナルとしての責任を感じながら、次の挑戦に向けて意気込んでいた。
うん、そうだったんだ。
書かずにはいられなかったんだね。
でもね、こういう選択肢もあったんだよ
「誰にも言わず、自分の胸の中だけにしまっておく」という選択が。
もうこうやってネットにポストしてしまった以上、絶対に元には戻らない。
書いた君にどのような意図があったとしても無かったとしても、ポストしてしまったらもう関係なくなるんだよ。
>※こちらの投稿は「ある漫画家」さんに責任や謝罪を求めるものではありません。
残念だけど、こう書いてもポストしてしまったらもう関係なくなるんだよ。それがネットというもの。
「誰にも言わず、自分の胸の中だけにしまっておく」という選択肢があったことを。
>どうか妹が天国か生まれ変わりか、笑顔で幸せでありますようにと願いながら
「誰にも言わず、自分の胸の中だけにしまっておく」という選択肢があったことを。
君はSCP-049を知っているかな?
さっき言ったバイオテロおじさんはこいつ程恐ろしいものじゃないが、問題は根深い。
SCP-049は『プラーグ・ドクター』としても知られる異常存在で、黒いローブと白いマスクを身に着け、中世のペスト医師のような姿をしている。
このSCPは触れた生物を「治療」するために殺してしまい、その後「治療」と称して異様な方法で再生しようとするのだ。
警察がバイオテロおじさんを取り締まらない理由もいろいろ考えられるけど、一番の理由は法的な範囲内での行動だからだと思う。
彼らも法の守護者であるが、法律に従って行動しなければならない。
しかし、「法は時に現実に追いつけない」とも言われることがある。
SCP財団を例に取るならば、彼らの目標は最低限の暴露で人類を異常から守ることだ。
君の言うバイオテロおじさんがそれにあたるかもしれないし、そうでないかもしれない。
それでも、ひとつ確実なことがある。
私たちは、周囲の社会的課題に気づき、それを改善するために積極的に参加する責任がある。
やがて、個々の行動が大きな変化をもたらすのだから。
責任や謝罪を求めるものではない、というその気持ちは本当なんだろうが
別にいいと思う
別に(誰かにとっての)いい子ちゃんでいなくちゃならないってわけじゃない
と自分は思う
この指摘に対して論理的に説明するためには、文脈の明確化と論理の一貫性を示すことが重要です。
私が述べたポイントは、「ある事象の存在を主張する側に証拠を示す責任がある」という一般的なルールです。このルールに基づけば、黒人奴隷制度の存在を主張する側がその証拠を示す必要があります。
2:主張の責任について
存在を主張する側:黒人奴隷制度が存在したと主張する側は、その存在を裏付ける証拠を提示する責任があります。例えば、当時の文献や記録、絵画などの具体的な証拠が必要です。
存在しなかったと主張する側:一方で、黒人奴隷制度が存在しなかったと主張する場合、その主張も同様に証拠が必要です。しかし、何かの存在を証明することは直接的な証拠を必要とするのに対し、存在しなかったことを証明するのは難しいため、その場合には存在を示す証拠の欠如や矛盾点を示すことで間接的に主張を補強します。
結論の一貫性:黒人奴隷制度が存在しなかったことを直接証明することは難しいため、春画に黒人奴隷が描かれていないことがその証拠として使えるかどうかが問題になります。春画が当時の社会全体を反映していないため、描かれていないことをもって存在しなかったとするのは不十分である、という論理です。
4:再度の結論
存在の証明:黒人奴隷制度が存在したことを証明するには、その具体的な証拠が必要です。
存在しなかったことの間接的証明:黒人奴隷制度が存在しなかったことを示すためには、春画だけではなく他の歴史的資料や記録も考慮する必要があります。春画に描かれていないことだけではその結論に至るのは不十分です。
したがって、「ある事象の存在を主張する側に証拠を示す責任がある」という原則に基づき、「黒人奴隷制度が存在しなかったという主張を補強するためには、その証拠を示す必要がある」と述べました。これは矛盾しておらず、存在を証明する側の責任と、存在しなかったことを証明するための証拠の欠如の重要性を説明しています。
一般的に、ある事象の存在を主張する側に証拠を示す責任があります。つまり、黒人奴隷制度が存在しなかったという主張を補強するためには、その証拠を示す必要があります。
1:証拠の求め方:
あなたの要求は「関係ないという証拠を出せ」というものですが、証明の負担がどちらにあるかを明確にする必要があります。一般的に、ある事象の存在を主張する側に証拠を示す責任があります。つまり、黒人奴隷制度が存在しなかったという主張を補強するためには、その証拠を示す必要があります。
何かが「存在しなかった」ことを証明するのは非常に困難です。これは「悪魔の証明」として知られており、通常は特定の証拠が存在しないことから推測する形で議論が行われます。春画に黒人奴隷が描かれていないことをもって「黒人奴隷制度が存在しなかった」と断言するのは、この問題の一例です。
■反論
1:前提条件の検討
あなたの前提条件「春画が黒人奴隷制度がなかった証拠になるという説は一理ある」を尊重しつつも、その「一理ある」主張が十分な証拠となるかどうかを評価する必要があります。春画に黒人奴隷が描かれていないことだけでは、その結論に至るのは難しいです。
春画以外の歴史的資料や文献も考慮する必要があります。春画に黒人奴隷が描かれていないという事実だけで黒人奴隷制度が存在しなかったと結論づけるのではなく、他の資料や証拠も検討することが重要です。
関係がないと言える根拠は、春画が当時の社会全体を網羅的に反映していたわけではないという点です。春画は主に性的なテーマを描いており、社会の他の側面を必ずしも反映しているわけではありません。そのため、黒人奴隷が描かれていないことをもって黒人奴隷制度の存在を否定するのは不適切です。
世界には様々な家庭環境があること、私はかなり有難い環境で暮らせているのだろうということは理解しているつもりです。ある人からは自慢だと思われるような文章になってしまうかもしれませんが、自分の気持ちの整理と素直な気持ちを書きたいので失礼します。
私は今留学をするために色々な準備をしているのですが、その中でたくさんの人とお金を動かしていて申し訳なくなる気持ちと有難い気持ちで毎日押しつぶされそうです。そして思ったことが一つあります。
親という生命体、本当に謎!!!どうして他人にここまでお金と時間をかけられるの。自分だったら絶対嫌ですけど、他人に多額のお金使うの。
留学をしたいというのも私の一種のわがまま。というかもう自分で言うのもなんだけど本当にわがまま人生でかなり希望通りの人生を歩ませていただけていると思います。ここまでの私の人生好き放題やって、さらにここから留学!お金かかるし心配かけるし嫌な子供だ本当。
親というものは自分たちのエゴで子供を産んだと思っています。だから自分たちの子供の未来に責任を持たないといけないし、そのためには子供にお金を惜しみなく使わないといけないと思っています。なので私のために親がここまでしてくれるのも理解できるっちゃできる。責任があるから。
私がこう思っているだけなので親が同じ考えなのかはわからないけれど、なんか親って本当にすごい変だな~と思います。
私は自分で稼いだお金は自分のために使いたい!子供のためも嫌だし何なら婚約者のためにも使いたくないです。
私は親が自分にたくさん尽くしてくれて大切に思ってくれていることを知っているからこそ、(もし産まれた)自分の子供には同じようにしなくてはいけないと思っています。産んだのなら。