はてなキーワード: 経済発展とは
もう1個増やしたよ anond:20201006200122
けど、以前も書いたけどなんやかんや働くかもしれん
あるいは新たな仕事を得るための勉強や訓練を始めるかNPO活動するかもね
2018-12-26
■もしもベーシック・インカムで月に10万円入るんだったら (anond:20181226001826)
↓
これやるべきやでマジで
ただこれやったら適材適所化が進むのでワイは職を失うだろうけどね
適当にそれっぽいことやって適当にそれっぽいとこに潜り込んでた連中はワイ含めて淘汰される
まぁ失ったら失ったで適当に考えるけど
↓
まさにそれが経済発展への道
世の中には働くべきでない無能さんが多すぎる
↓
キミもその無能側かも知らんぞ?
ワイはおそらく淘汰される側であろう自覚があるが
これで飯が食えなくなるなら別だけどね〜、食えるならまぁいいかってなる
なんとか他に金稼ぐ方法を考えなきゃやで
10万貰ってもなんだかんだでワイは結局好きなことをやらんかも知れん
↓
重要なことは無能が必要な分しか働かなくていい社会が実現するっていうこと
↓
爆上げはしないと思うやで?
社会に必要だが社会的に給与が抑えられている職が適正な給与になるだけやで (給与分はそれらのサービスの利用料金として跳ね返る)
適材適所に就くし、自己実現のために趣味で働く人が増えるわけだが
例えば、24/365で海外サイトの英語対応含めた案件があったのね、しかし予算はゴミカス
これをオフィスへ通いで16万で頼むわって言ったら全国どこでも氏ねってなるんだけど、
在宅ならやるって人が出るんだよな
思ってるよりも様々な理由で表に出てこないハイスキルな人たちはいるぞ
他国と比べて日本でコロナの死者数が限定的だった理由は不明なままだが、それは脇に置くとして、日本人は(飽くまで傾向として)、文明を知ってる程度には賢く、しかしながら議論を通じた意思決定が苦手で、戦略的にふるまえない点で愚かだと思う。日本は地政的にかなり恵まれる反面、それが仇となり、住民は議論に基づく意思決定や戦略的な思考が弱い傾向にある。
「中国という歴史上有数の文明から遠すぎず近すぎない距離を海で隔てられた、温帯にあって、ときどき大きな自然災害に見舞われる、割と大きな島。」というのは国家運営の前提条件としてかなり有利だ。日本海は大陸からの侵略のほどよい障壁になる一方で、交易や交流の妨げになるほど大陸と遠いわけでもない。四季をともなう厳し過ぎない気候は人の精神と活動を活発にする。時々起こる大きな自然災害は経済に大打撃を与えるが、かといって主要都市を壊滅させるほどのインパクトをもたらすものは極めて稀にしかない。むしろ短期的には住民間の結束力を高め、長期的にはおそらく経済発展への刺激となっている。北東から南西に伸びる細長い国土なので、主要都市が同時に激甚災害に見舞われる確率が低いのも幸運だ。平地面積と地下資源にはあまり恵まれていないが、それでも1億人が暮らせる程度の国土がある(こうした環境で、日本は文明の産物は適宜取り入れながら時々の紆余曲折を経ながら経済発展してきた。今では国民の皆保険制度や基本的な防疫にも十分なリソースを回せる程度の国になった)。
しかし、それら有利な前提条件の下で半ば必然的に発生する不利な条件がある。日本は頻繁には侵略されなかったことで住民のバックグラウンドに多様性が乏しい。結果、異なる考え方をする人間同士の議論による意思決定が下手くそで自閉気味。多数派の考えと異なる考え方をする人間は突き抜けた能力を持たない限りは、コミュニティに同化するよう「教育」されるか無視されるか排除される。また、「強力なリーダーを立て、目的を固め、現状を分析し、戦略を練って実行、大失敗は避けつつ戦略は状況に応じて適宜修正。」といった思考回路は内乱に明け暮れた歴史の一時期を除いて希薄だ。短所は長所の裏返しなのだ。
まとめると、元寇を退けたのも高度経済成長もコロナで死者が少ないのも巨視的に見れば地理的条件のおかげ。住民は文明的だが議論と戦略思考が苦手。
1980年代以前はケインズ主義、1980年代以降は新自由主義。
ケインズ主義は1919年昭和大恐慌を踏まえてうまれた。デフレ不景気の時には政府が財政出動をするべきだという立場だった。同時にマルクス主義も起きたが、ケインズ主義諸国は経済発展した。
だけども、1960年代にオイルショックが起きてしまう。オイルショックというのは中東戦争による石油の供給不足、そのためにインフレになってしまった。
ケインズ主義は大きな政府になりやすく、政府が実態を見ていない非合理な政策により政策が歪めると考えられた。
何よりケインズ主義時代は企業、富裕層の税金が高かった。今から見れば、企業、富裕層はほっといたら金を貯めこんで景気を落としてしまうからだというのは言える。
けども、日本では1989年にバブル崩壊が起きた、海外でも2008年にリーマン・ショックが起きた。これらのバブル崩壊後に企業は借金返済の要請と保身により金を貯めこむように移ってしまう。
リチャード・クーによりバランスシート不況というのが提唱されている。
新自由主義は金利調整だけで良いという立場だったが、金利0になっても企業は資金調達せず貯めこむばかり。
かつ財政出動は政府による非合理な政策の一つだということで新自由主義は否定的な考えだということもある。
それから、時折財政出動してその後財政破綻する国が現れたこともある。ただ財政出動は景気を良くするが、自国産業が弱いと輸入をむしろ増やしてしまう。
輸入が増えると国際収支は経常赤字になる。海外から借金することになる。けども、自国通貨建ての借金と海外からの借金を区別せずに政府が借金し過ぎたら財政破綻すると新自由主義は考えた。
Day,7
7日目
This journey is my treasure.
フライトの時間を考えるとできる事が案外少なく、荷物整理位しかする時間がない。
「Awesome! Malaysia. This journey is my treasure.」メモをしたため、ホテルをチェックアウト、ブッキングし直したタクシーで空港へ向かった。
タクシーで空港に向かいながら、マレーシアやシンガポールの経済状況などについて調べる。
マレーシアはブミプトラ政策のもと格差を縮小し、長期的展望での経済運営をしてきた結果、ASEAN5カ国の中では飛び抜けた発展を成し遂げたらしい。
マレー系と中華系の経済格差が縮まったことにより、国民の「格差を埋める」という共通認識が近年薄れ、経済発展としては踊り場に差し掛かっているという。
当座の危機が薄れると、心の奥底に眠らせておいた感情が目を覚ますのはよくある事だ。
しかし、マラッカで見た民族が手を携えた壁画のように、マレーシアの人々は夢と誇りをもって正しい未来を選択するのだろう。
また、次の一手も考えられており、アジアで最も発展したイスラム教国として、イスラム金融のハブの地位を狙っているらしい。
旅程の関係でほとんど散策できなかったが、タクシーの窓の外からみるクアラルンプールの発展度合いや、今までの旅行で最高ランクに通じた英語などを考えると、現実的に狙えるプランのように思える。
この国が文字通りの先進国になるかどうかはこれから先の5年だ。
一方、国民一人当たりのGDPにしてマレーシアの6倍、自分を不安に陥れるほどに未来的だったシンガポールは、華人中心の都市国家であるにもかかわらず、公用語にマレー語をくわえ、マレーシアとの関係に気遣いを見せているという。
マレーシアとシンガポール、谷底から妖しく誘い声が聞こえるタイトロープの上でバランスをとりながら、二つの国に住む人々は明るい未来を目指してこの谷をわたりきるにちがいない。
二つの国、驚くほどの格差、理想と迷い、3つで足りないたくさんの民族が住む街。
「世の中ってこうだよね」と言った時の「世の中」が「どこまで」なのか、その定義を広げてくれる一週間だった。
タクシーに乗る前にホテルのドアボーイのお兄さんに「この旅は僕の宝となった」と言ったら、「また戻ってきてください」と言われた。
「Sometime.」英語力が心許なくて伝わりきらなかったかもしれないが、体のいい断りではない、それは本心だ。
了
最初に、私は匿名ブログというものを使うのが初めてであり、勝手も分かっていないから、色々と不手際やおかしいところがあるだろうことを謝っておきます。
さて、本題。
今世間を賑わせている(いやもうちょっと旬を過ぎたかな)少女についてだ。彼女の言っていることは、一理あるにしろ、手放しで肯定できるものではないだろうと私は思った。
まぁそんなことはどうでもいいのであって、私が慣れない日記を書いているのは、彼女の今後が心配だからだ。余計なお世話に違いないけど、それでもどうしても心配で、こんな余計なお世話に心奪われていては私の日常生活に支障が出るので吐き出してすっきりしちまおうと思った。要するに自己満足だ。
以下その自己満足を延々と綴っているので読みたくない人はここで引き返すことを推奨する。
今度こそ本題。
彼女の国連でのスピーチを雑に要約すると「大人たちは環境問題に真剣に取り組んでいない、そのせいで私たち若い世代が損害を被っている。よくもまあそんなことを!」である。
これはある一面において真実だ。環境問題において世代間、あるいは地域間の格差というのは無視出来ない問題で、彼女が非難した大人たちも頭を悩ませていたりする。
そしてある一面において、彼女のスピーチはまったく馬鹿馬鹿しい戯れ言である。
なぜなら「How dare you!」と叫んだところで二酸化炭素は減らない(むしろ普通に呼吸をするよりわずかに増える)。
それに環境を傷つけないためにヨットで海を渡る、そのヨットが開発されたのは経済発展の賜物であるし、飛行機がびゅんびゅん飛び回るおかげで今日もモノや人が運ばれて豊かな暮らしを送れる人、貧困に殺されずに済む人がいる。
まぁこんなことは偉い人とか素敵な大人とかが散々言ってると思うので匿名の偉くもない人間がうだうだ言ったところで字数や酸素の無駄遣いであるのだが。
で、私が心配なのは、これから彼女は大人たちにさんざっぱらに馬鹿にされ、こき下ろされ、さらには信じていたものからも裏切られ、しかも環境問題はちっとも良くならないであろうことである。
環境問題は一夕一朝に解決できるものでもなく(何もしてないはずもない)大人たちはこれからもこれまで通りにこの深刻な問題を解決するべくあくせく働く。
つまり、何も変わらない。
彼女の涙ぐましい努力は、学校ストライキは、飛行機を使わずに海を渡って国連でスピーチをしたことは、彼女の望む世界をもたらさない。
たぶんこの事実は(彼女が憤り絶望している)大人たちに彼女の行動を悪く言われることよりも、よっぽどこたえると思う。
彼女の行動は彼女の望む未来をもたらしたりはしない。少なくともすぐに結果は出ない。
だけど、彼女の行動が世界中に広まり話題になったことに、確かに意味はあったと思うのだ。なぜなら、彼女の活動は、環境問題に興味をもつきっかけとして充分すぎるほどに有名になった。
彼女を賞賛し共感するひとも、否定し或いは非難するひとも、他にやるべきことはいくらでもあるのにこんな自己満足の文章を書いている私も、彼女の言葉に動かされて行動しているのだ。
彼女のストライキやスピーチをきっかけに環境問題に関心を持った無数の人のなかの何パーセントかは学校に行って環境問題を学ぶだろうし、さらにそのうちの何パーセントかは環境問題の専門家になって、その専門家の中から地球を救う人間が、もしくは地球を救う専門家を育てる教授か何かが、出るかもしれない。
それはひどく迂遠な道だし、たぶんグレタさんが学校を休まずに勉強して環境問題の専門家になったほうが手っ取り早いんだけど、でも彼女は確かに「活動家」として環境問題に大なり小なり貢献していると思うのだ。
だから今後彼女が絶望することがあったとして、今私が言ったみたいな意見(既にいくらでも言ってる人がいるかもしれないけど)を誰かから聞いて、それでちょっとでも元気になってくれたな〜と思って、そう思ったことを日記にして公開しようと考えた。
あわよくばバズって英語か何かに翻訳されてグレタさん本人の目に止まらねぇかななんて目論んでいたりもする、まぁそんなことはまずありえないのでやっぱりこれは自己満足だ。