「日本史」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 日本史とは

2022-09-22

anond:20220922164435

立憲や共産支持者によれば円高であればあるほど日本価値が高いからな

1ドル82円を実現した菅直人日本史上最高の宰相

2022-09-21

琵琶の『敦盛』が好きで

いろいろ調べていたら太刀と刀の違いを知った。騎馬武者かっこいいな。太刀は佩くで刀は差す、刃の向きも違うことを知った。

日本史まったく興味なかったけど刀の歴史を追えば戦国時代くらいまで詳しくなれるかもしれんね。

2022-09-18

五輪広告枠だのをおいても、贈賄逮捕というのは、あるいは日本史上初めての司法政策

2022-09-17

anond:20220917015917

ストレージとしての価値しか見出してないとしたら単なる貧乏人じゃんw

俺はそれ+4倍速&自動字幕

高校選択しなかった日本史をやったり。あと語学学習した。それぞれ4ヶ月。

1時間動画を15分で集中して観る。見終わったら休憩。全単元終わったらもう一周。

10ヶ月くらいそんなことやってたら明らかに脳が変わった。ロジカルシンキングが出来るようになった。

身の回りのものに対する考え方の幅が増えて人生が楽しくなった。

2022-09-16

anond:20220916165847

お前のアカデミック閾値がどのあたりにあるのか知らんけどテレビあたりなら余裕でアカデミックな内容だと担ぎ上げ得る内容だと思うがね

なんだこれミステリー日本史特集あたりであの程度の内容でもアカデミックって謳ってるもんだし。テレビ的にはあの手の教養的な内容に触れたコンテンツは全てアカデミック

2022-09-15

日本史上最悪の売国奴って

己の保身のために朝鮮反社カルトに魂を売った安倍と、その関係を始めた安倍祖父である岸信介だと思うけど、他にも歴史に名を残すほどの売国奴っている?

安倍ファミリーのように3代かけて国家破壊するってなかなかできないと思うけど?

2022-09-13

令和後期の日本史教科書で、アベのあたりをやる時ってどういう記述で出てくるんだろう

国葬の是非という不毛な争い

キッシーがかなり初期の段階で国葬判断をしたのは結果的勇み足となったわけだけど、まさかその後に、こんなに統一教会問題炎上して国葬の是非にまで影響を与えると思っていなかっただろうから、当時を思えば致命的な判断ミスであったとも言えないな。近年で最大の権力者だった元総理が白昼堂々自作銃で暗殺されるという、日本史上に残る衝撃的な事件を受け、誰もが冷静さを失っていた時期で、総理も恐らくまだ冷静さを取り戻す前の決断だったのだろう。

自分は当初より、国葬だろうが内閣自民合同葬だろうがどっちでも良いと思っていた。慣例通りなら合同葬になるけど、選挙演説中の暗殺ということを考えれば、公務員でいうところの殉職による特進のような形で1ランク上の国葬という判断もありかなと。なので国葬を行う根拠としての政府説明にこの要素は欠かせないと思っていた。最近出た政府公式見解にもこの要素が盛り込まれており、まぁ納得。

あとはもちろん法的根拠のところ。国葬について明示された法令上の規定はないとのことだが、それは合同葬も同じで、合同葬と同様の理屈閣議決定でいけるとのこと。ひとまず法令違反しないということはわかった(もちろん、法令で明文規定があるのが一番良いけど)。

はたして、ここ最近の最大の政治的な争点が国葬の開催の是非ということになったわけだが、もうお互い理屈ではなく後に引けない状況になっているので、どんなに議論しても歩み寄ることがないとわかっていて非常に不毛に感じている。政府がどんなに議論を尽くしても反対する野党意見は変わる見込みはないし、野党がどんなに批判しても政府撤回することはないことが見えている。論点もだいぶ出尽くしたし議論するだけ無駄、という状況である

改めて考えると、やはり岸田総理決断を早まったのかな、という気がする。新型コロナ物価高など、明らかに他に高い優先順位政策について判断が求められる中、国葬にこだわって不毛な争点を作る必要はなかった。今後の改憲議論世論を味方につけるためにも国葬については妥協する、という戦略的判断必要だったのではないか

はいものの、今更決まったことをウダウダいってても仕方なく、決断した以上は、国益にかなうよう海外要人に厳重な警護をつけたうえで混乱なく国葬を執り行ってほしい。

※ 書いてみたものの、何だか論旨がわかりづらく、この記事自体不毛文章になってしまった感がある。。

2022-09-12

anond:20220912010626

テロじゃないよ、神の裁きだよ

日本史上最悪の悪人が射殺されるなんて出来過ぎでしょ

2022-09-06

女性戦国日本史好きな人ってニッチャリしたのが多いな

衆道ホモ)好き

ゴシップ好き

夜這い好き

手紙好き

みたいな感じのニッチャリしたのが多いな。

結局脳が膣なのは避けられないってはっきりわかんだね。

最後の一文」が肝!交渉術の達人・徳川家康に学ぶ手紙の極意とは?

2022-08-29

[]受験日本史世界史どっち選ぶかの回想から始まる後悔

おれは最初日本史のつもりだったけど、日本だけのぶん密度たかくていやんなって世界史転向した

世界史密度うすめで耐えられたしカタカナおおかったから書きやすかった

ただ受験間近に勉強した現代史はほぼ手付かずで受験当日ヒヤヒヤだったけどたまたま現代史がほぼ出なくて98点というめっちゃいい点数とれた

うれしかった

あのころに戻りたい

大学生活やりなおしたい

ひきこもってエロゲなんかするんじゃなかった

ギリギリ卒業なんかするんじゃなかった

卒業式でればよかった

成人式もでればよかった

アニメコンピュータ系のサークルに入ればよかった

大学文化祭に出ればよかった

後悔だらけ

学費無駄にした

最初こそやりたいこと重視で講義えらんだけど、宮廷のせいで試験むずいからできるだけ試験がない講義消極的に選ぶようになった

法学部なんかはいるんじゃなかった

法律政治もなんも興味ないのに

公務員目指すならまだしも

あーあ

ほんとゴミだわ

はよ親しんで遺産はいってくんないか

そしたらさっさと仕事やめるのに

2022-08-23

anond:20180203012201

保育園監督官庁文科省ではなく厚労省

まり教育施設ではない。

まずこれ重要日本史ねの人たちはこれを理解してない。

知識はあっても意味理解できてない。

まぁいい

 

0歳時を預かるには幼児3人に対して1人のスタッフを配置する義務がある。

保育士、月給換算で40万円なら税金社会保障費で15万円は引かれるので手取りは25万円。

年金やらの労使折半分も含む、ともかくフルタイムで人一人を雇うと50万円はかかるのだが、まぁその議論は別として)

ともかく、40万円を三で割ると13万円ちょい

子供一人預かるには人件費だけでその程度かかる

設備本体給食だの維持経費は別

人件費含めほぼすべて税金から出てる、親の払う保育料など雀の涙にもならない、補助金事業なのだ

1歳から7人/1人だが、それでも保育料だけでは採算取れないのはアホでも計算できる。

 

そこに子供預けて月10万円のパート、そして納める税金は数万円

意味有ると思うか?

国家予算はじゃぶじゃぶ湧いてくるものではない、コスパ悪りぃんだよボケ

 

貧乏から働かなきゃならない、つーけど、

国の言い分としては「そんな余裕ないなら子供なんて作るな」

2022-08-21

日本国賊国家奪われて天皇ダンマリだけど、ええんか?

今の日本って日本史上最悪の状況で、反社韓国カルト政権を奪われている状態だけど、

こんな状態ですら天皇から苦言の一つも出ないのが、不思議でならない。

統一教会ビバ自民党が、天皇いらね。国家TOP統一教会や!ってなってもおかしくないわけで。

天皇ってまじでお飾りのタダ飯食いやったんか??

2022-08-18

[]

中央公論平成26年9月号に戸部良一帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。

開国来日外交英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国駆逐し、自分東アジア盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本歴史外交史を読めば、簡単なことです。

 

では、「あの大東亜太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうがしかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ自衛のためです」の主張には、賛成しかます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。

極東軍事裁判判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこ理屈世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治横槍をおさなかったなら、日本外交アメリカ戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍自己メンツのために日本犠牲にしたのです。

 故リチャード・ストーリという有名なイギリス日本史家は、「日本外交明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチドイツ日本を同じものとして考えるからです。

まったく異なった二国の外交説明させて下さい。

 日本中国戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。

 日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要ナチドイツ同盟を結び、ドイツ欧州を、日本東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしていますアメリカ正義保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢二丁拳銃で打倒したという西部劇です。

専制全体主義国家暴力脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)

 日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本もっと英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います

 

 昭和12年(1937年7月7日盧溝橋での偶発些細な事件では、日本中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。

アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もありますアメリカ戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本中国全土を占領しようとか、東アジアから英米勢力駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジア植民地解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗あい不可能になりました。

 もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。

ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはや日本だけいちはや復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的占領のぞくと、西洋諸国植民地になったという経験ももちません。ヴェトナムインドネシアビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治生活を強いられたかという、経験したことがありません。

 日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがありますアメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。

イギリスフランスオランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。

 

なお、日本南方天然資源確保・・・といいましたが、ナチ東欧ソ連一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカから資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダ商業ベースでの購入をのぞみ交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。

 万が一のインドネシアへの進出のため、また英米中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカ石油輸出禁止在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談提案します。それは軍部が対米交渉障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカハル国務長官などが強く反対し、この提案拒否します。

なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。

 

 さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉ワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任がありますしかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任がありますハル国務長官には、アメリカ学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。

 日本昭和はいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのとき事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力意見が強まったりまったりしていました。日本場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行戦時体制ができ、陸軍要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費のぞくと、法案予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味国会機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部議会世論を気にしていたのです。

 

陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子小説や思い出。向田邦子小説芹沢光治良の「人間運命」も面白い本です。)

 日米交渉の難点の一つは、中国から撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。

 大東亜共栄圏思想ですが、日本中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底日本人の中国にたいする「シナ中国コンプレックス」をもっていたのです。

 東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。

日本場合いくら東条などでもある一定以上の文化教養があったわけです。それを、ナチ日本も一緒にしてもらっては困ります

 この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます日本場合は、これ以上の負担国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。

東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬ハト派」の人間外務大臣にして、交渉継続します。(東郷昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪禁固二十年の判決。)

東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています

 日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気必要でした。

 中国も内部に大問題をかかえており、また、日本一方的大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国協定を守らないので困っているという点では、英米日本と同舟でした。

陸軍英米大平方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本帝国主義政策関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。

また、よく誤解されることは、「日本日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊中国大陸駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本中国偶発事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊駐留させていただけです。

 日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。

鎌倉武士モンゴル兵の集団戦術に苦戦したって教わったけど

あん日本史上でも一番キチガイじみてる蛮人集団が本当に戦場では一騎打ちなんか挑んでたの?

2022-08-12

今日今日とてツイッター喧嘩してしまった。

どうしてこうもテロを起点に世の中が動くことの異常性がわからないんだろう。

俺がこんなに怒っているのはさ…

少なくとも日本史ではテロが先導して、メインの流れを作った事件ひとつ存在しないから。

しろ逆に、正義側がテロを倒して成長した出来事ばかりだった。

でもそういう事例では例えテロが無かったとしても、正義自然に大きくなったハズ。

ゆとり世代だかポストゆとりだか知らないが… なんというか… 若い人たちはあまりにも危険に鈍感過ぎないか

2022-08-01

anond:20220730145711

よく考えたら普通に高校日本史に乗ってるだけ知ってれば十分だとおもうんだが

山川日本史とかでいいんじゃね

anond:20220801002100

世界史日本史もわかってないやつはとっととトラックに○○られて都合のよい異世界に転生してもろて

2022-07-31

anond:20220730145711

日本人幕末観は司馬遼太郎によって作られてるから司馬遼太郎の本読んどけ

竜馬がゆく燃えよ剣あたり読めばいい

ただしこれはフィクションから正しい日本史ではない事に気をつけろ

2022-07-28

西田敏行の年表

ニシダトシキノネンピョウ

西田敏行の年表とは、日本史に燦然と輝く西田敏行の業績である

歴史

1169 西田敏行法住寺殿において出家法皇となる。

1180 西田敏行、父と共に源頼朝挙兵に加わり、山木館を襲撃

1561 西田敏行武田信玄啄木鳥戦法を献策するも謙信に見抜かれ討ち死に

1584 西田敏行西田敏行小牧長久手の戦いで敗れる

1598 西田敏行死去。遺児は後に西田敏行に滅ぼされる

1600 西田敏行真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける

同年  西田敏行石田三成関ヶ原に破る

1603 西田敏行幕府を開き初代将軍になる

1605 西田敏行西田敏行将軍職を譲り、後に駿府城に移る

1614 西田敏行西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける

1716 西田敏行八代将軍になる

1745 西田敏行徳川家重将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る

1860 西田敏行会津藩家老となる

1861 西田敏行愛加那との間に西田敏行を授かる(ナレーション西田敏行

1867 西田敏行西田敏行に命じられて江戸薩摩藩邸を本拠として江戸市内を混乱させ、薩摩藩邸焼討事件を起こさせる(ナレーション西田敏行

1868 薩摩藩西田敏行らと長州藩西田敏行らが協力して幕府を倒す(ナレーション西田敏行

1869 西田敏行五稜郭の戦い新政府軍に敗れる

1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍西田敏行軍は鎮圧され、城山自刃ナレーション西田敏行

1883 西田敏行共立学校の初代校長となる

1904 西田敏行日銀総裁として日露戦争の戦費を調達する

1904 西田敏行京都市長就任し、父である西田敏行のことを、部下に語りだす

1945 西田敏行フィリピン戦場で誤って兄に撃たれる

https://togetter.com/li/976233

https://dic.nicovideo.jp/a/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E6%95%8F%E8%A1%8C%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん