「政権交代」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 政権交代とは

2024-06-18

日本という国がうまくいかないのは、壊れた機械を直さないか

 日本という国は、1+1を3と計算するコンピューターを直さないまま、もっと複雑な計算をしようとしているような国だ。

 日本問題欧米にもあるような左右対立とか政治の腐敗とか、そういう切り口以前のところにある。

 ひとりひとりが「誰かの真似をするだけで自分で考えない」「言葉を誤摩化し感情で主張を通そうとする」「論理一貫性がないことを恥ずかしいことだと思わない」という態度を隠そうともしないで生きているのに、いったいそんな連中が表面上議論ごっこをしたところで何の結果が出ると思っているのか。

 

 日本人は真面目だ。表面上は。真面目に見えれば良いと思っている。真面目に見えることだけを考えるのが本当に真面目なのかなんて疑問にも思わない。

 つまり日本人は本当は不真面目だ。どこまでも不真面目だから自分が本当に真面目かなんて疑問にも思わない。

 

 そういう不真面目な奴らが、やってる感だけ出して何十年もやってきてる。それで結果が出てない。それだけ。

 政府自民党もやってる感だけど、じゃあ野党左派)はほんとにやる気出してやってるの?

 共産党政権交代する気はあるの? 旧社会党系は右派系の民主党員(野田一派)といつまでナアナアでやってるの?

 小沢一郎は表には全然出て来ないのに、ツイッターでは威勢が良い。あんたが作った左右合流の民主党には何ができたのさ? それに反省はないの???

 

 政治家だけじゃない、役人も、学者も、マスコミも、みんなやってる感。信念なんかもってない。叩かれない方に、すり寄れる方に、他人の顔色見てやってるだけ。

 ツイッター言論なんか、もともと「バズらなきゃ存在認識されない」世界から、とにかく衆愚に媚びた奴が伸びるだけ。右も左も「中立」も。

 壊れているのは、国を構成する最小の機械人間だ。

 個人個人が不誠実にデタラメにぶっ壊れたアルゴリズムで動き回って、全体では正しい結果が出るなんてことは決してない。

 

 壊れた機械を直さないまま、日本という国が立ち直ることなんか未来永劫あるわけがない。

2024-06-14

なんで統一教会自民党癒着がバレたとき国民メディア政権交代を唱えなかったのか?

ひょっとして、ワイの一族けが最後日本人だった?

2024-06-12

https://news.yahoo.co.jp/articles/a48df9622fe0416a306effbc3981c409aa0976ac

白鳥

3時間

法政大学大学院教授現代政治分析

解説こうした行動を蓮舫氏を支援する陣営がとるということ自体が、都知事選に対する有権者の関心を喚起することで勝利し、政権交代へとつながる都知事選にしたいという思いの表れといってよいだろう。

これまで立憲民主党を中心とした野党勢力は、4月の3つの補選を皮切りに連続して勝利を収めてきた。その訴えである政権交代」も現実味を帯びてきているという見方もある。

しかしながら、このうったえている「政権交代」も、東京都知事選ストップがかかってしまっては、今後の衆院解散総選挙において、暗雲が立ち込める可能性も出てくる。

来る都知事選が、それほど重要都知事選であるということを表している。

anond:20240612102312

政権交代するぞするぞと言い続けて実際交代することってほぼ無いんだよなあ

岸田がアメリカミサイル生産を肩代わりするって言ったらしいけど…

どうせ次の選挙で負けて、共産政策を主導する連立政権になって過去の国同士の約束は全部ひっくり返すんだから好きにすればいいよ。

それと今、SNSとかで立憲共産批判している馬鹿共は政権交代後は、それなりの返礼があるから覚悟しておけよ。カルトはお前らなんて鉄砲玉助けてはくれないぞ。それが嫌なら黙ってろよ。

2024-06-11

政権交代したら、まず何を差し置いても、改憲発議の禁止と、右翼思想禁止と、宗教団体フロント政党禁止だけは絶対にやれよって思う。それだけやれば再度の政権交代はないだろ。後はじっくり70年かけて自民党政治痕跡を潰していけばいいんだから

anond:20240611152259

問題政治失策のお陰で、マスク・手洗い・ワクチンと言った基本的感染症対策感染症流行情報自体政府デマだと認識される点。

まじで政権交代政治主体を変えないと、はしかインフルみたいな古典的感染症ですら封じ込めに失敗するぞ。

2024-06-10

世界極左から極右への揺り戻しが起こっている中、共産党が主導権を握る連立政権への政権交代が起きそうな日本

カルトリベラルからカルト極左に変わるだけだから方向性としてはあまり変わらんけど。

2024-06-09

anond:20240609215947

岸田じゃなく安倍菅政権が続いてたとしても立憲や維新政権交代してたとしても目減りしたと思うけどなあ

anond:20240608114355

機械化が進めば実質賃金はむしろそうでない場合よりも上がりやすくなるぞ。あと、そもそもの話、1年2年ではマイナスになることはあっても実質賃金はある程度の期間をとって見れば上がっている。たとえば消費税率が5%も上がったにもかかわらず、自民党政権政権交代してから実質賃金プラスだ。2012年の平均年収は408万で2022年には458万になっている。物価よりも伸び率が高い。

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


立憲民主党

立憲民主党

選挙応援看板を無断で100枚以上設置したろw」

守谷市

「こんな看板許可してないぞ。撤去するように連絡取るわ」

立憲

「(バレたか)4日には撤去します…」

立憲

「4日やけど撤去はまだええかw」

守谷市

「…もうこっちで撤去しよう」

立憲の梶岡議員

6月6日に開催した政党演説会について、告知看板の一部が電柱等に設置されていた事について、設置を行なったボランティアスタッフ認識が誤っており、支部長として深くお詫び申し上げます

守谷市から要請に応じ、該当箇所の撤去を進めておりましたが、市による一方的強制撤去により、立憲民主党要請に応じなかったかのように報道されている事は極めて残念であり違和感を覚えずにはいられません。

反省すべき点は改め、引き続き政権交代必要性を訴えてまいります

2024-06-07

玉木さん、それはズレてるよ…

立憲民主党は、いつまでこんなことを言っているのか。ネオ55年体制を脱却しないと、国民の広範な期待は立憲民主党には向かない。自民党への不満がいくら高まっても、政権交代は起きない。

立民 参院国対委員長憲法改正の条文案作成なら審議応じず” | NHK | 憲法

https://x.com/tamakiyuichiro/status/1798708780802466006

 

自民党政権下でのあらゆる審議に反対し続けるのが野党第一にして絶対の条件であって、そもそも審議に応じている事自体が異常なんだよ。あなた達みたいな自民党衛星政党でもない限りはね・・。。

Googleサービスのうち終了されたら困るもの

https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1598124.html

これ読みながら考えた

個人的にはGmailGoogleフォトかな

検索別に"政権交代"してくれても問題ない

今でもソーシャルメディアにそれなりに奪われてはいるし

昔はYahoo!とかLycosとかexciteとかInfoseekかいろいろ使い分けていたんで

マップ微妙なところ

すごく便利な一方、住宅地が車の抜け道になって住民迷惑をこうむったり

昨今の、病院飲食店に対して根拠なく誹謗中傷したりする問題があるし

マップアプリに関しては、それぞれの国や地域独自になんとかしたほうがいいのではないかなー

それって安全保障に直接かかわる話でしょ

それに雇用も生まれるだろうしさ

2024-06-05

岸田首相、秋の総裁選前の解散総選挙見送り

いつもの人達がいつものように騒いでるけど、

自民党お得意の「総裁選で不人気の首相を下ろして看板変えた直後のご祝儀相場選挙に挑む」じゃなくて、

あなた達が常日頃主張しているように、正々堂々粛々と国民審判を受けますって無抵抗全面降伏宣言じゃん。

今の状況では岸田が息をするだけでも内閣支持率自民党支持率が下がるんだから

できるだけ長く岸田に首相をやって貰った上で、

岸田内閣選挙に挑んでくれた方が政権交代確率が上がる。

今辞められて、高市あたりの話題性だけはあるのにすげ替えて勢い勝ちされるよりよっぽどいいだろ。

いつもの通り短期的に自分のうっぷんを晴らすことだけを考えて、

長期的にどうなれば自分達が一番得になるかを考えられない馬鹿ばっかり。

共産党支援者ですら、選挙期間中は自衛隊天皇制への批判を控えるくらいはできるぞ。

その程度の知恵くらい分け与えて貰えよ。最大の友党だろ。

2024-06-04

まずいかも知れないなぁ

テレビ新聞しか見ないようなご老人を相手にする商売をやってるんだけど、自民への反感が非常に高まっているのを感じる。分かりやすく言えば「お灸をすえるくらいじゃ自民は学ばなかった。あいつらは徹底的にとっちめないといけない」みたいな流れになりつつある。

ジジババが中心の一次産業が強い、いわゆる保守王国と言われるような地域でもこれだし、今回は自民党は前回の政権交代どころじゃない惨敗を喫するかも知れない。

今の立憲はろくな政治的信条政策国家観も持たないので、その辺りは共産が主導権を握ると思うので、民主党政権どころじゃない社会混乱をもたらす気がしてならない。

蓮舫都知事誕生して、都政が深刻な混乱に巻き込まれて、「やっぱりこいつらは駄目だ」ってならない限り、共産党が国政の主導権を握るのは避けられない。その意味蓮舫には都知事選で圧勝して欲しい。

ほら?東京は多少都知事やらかしても揺るがないじゃん?地方はさ?議員無能だと死人が出るのよ。文字通りに。だから本当に切実なのよ。試しに任せてみようをやらせる余裕はないのよ、こっちは。

岸田退陣解散総選挙政権交代

いつもの人達がいつもの戯言を述べている訳だけど、立憲共産の中ではよく悪くも知名度のあった蓮舫都知事選に切ってしまった今、誰を顔にどう戦っていくかを本気で考えてるんだろうか?

枝野は減税反対緊縮志向公言して自民党の手先とか言われてるし、ポッポ自由人として部外者立場から立憲の足を引っ張ってるし、小沢はXにひきこもってぐち垂れ流しているおぢになっちゃってるし、菅は…あの人今も現役議員なの?って位空気だし、代表の泉は菅に輪をかけて更に空気だし。

今ぱっと名前が思いつく全国に通用するビッグネームって言ったら辻本しか出てこないんだけど、辻本看板で戦うの?本気?まだクイズ王を顔として大抜擢して、刷新した空気演出した方がましじゃね?

2024-06-03

みんな渡邉国民玉木、立憲泉

ここ10年くらい見ると「是々非々」を掲げる野党リーダーは全員例外なく組織運営にも勢力拡大にも失敗しているので、やはり野党必要なのは自民党議員とその支持者が息をするのも許さないようなキチガイじみた攻撃性を持ったリーダーなんだなと思った。そうすると、やっぱり現職総理に向けて数珠を持って成仏を祈念した山本太郎くらいぶっ飛んでないと政権交代とか無理なんだろうな…。

2024-05-31

anond:20240531212802

民主党政権直前も「政権交代すればネトウヨ死滅する」という人見かけたけど結果は御覧の有様やで

新連載「ブッコメ増田くん」

増田「俺の名前増田ハテナ明日開催されるブッコメトーナメントで優勝をめざしてる!」

???「あんたも出場する気なの?」

増田「その声は…男女論のフエミ!」

フエミ「あんたみたいな弱者男性予選落ちが目に見えてるわよw」

増田「なんだとー!」

フエミ「ま、もしアタシに勝てたらあんたと下方婚してやっても良いけど///」

???「相変わらずお熱いですねぇ」

増田「お前は…政治論のセイジ!」

セイジ「今大会も僕の優勝は確実です。政権交代はあり得ない、僕の長期政権が続くでしょう。ハーッハッハッハッ!」

増田「クソ!やってやるぜ!めざせ、ブッコメマスダー!!!

俺たちの戦いはこれからだ

〜完〜

ご愛読ありがとうございました。増田先生次回作にご期待ください。

2024-05-30

立憲共産等に期待すること

なるべく早い段階で年収の壁を取っ払い、全ての労働者とそれを雇ってる企業から社保を取れるようにする

2030年までに消費税を15%に増税し、高齢者定義を70歳以上、後期高齢者を80歳以上にする

住宅ローン控除は延長せず終了する

こうすることで今の高齢者幸せ生活を守ることが出来る財源を確保する

と同時に子育て支援金で得たお金をもとに「高齢者地域の子育てに参加できるよう支援をするNPO」にお金をかける

これをすることで高齢者生活にもハリが出てきて元気で希望が持てる社会になる

前回消費増税してくれた立憲民主党なら、NPOに公金を投入することに定評のある日本共産党ならそれらをやってくれると信じている

まずは東京都から

そして来年衆院選政権交代

2024-05-28

anond:20240528220643

90年代前半の大規模な政治資金規正も、今回の規制も、与党が主導しているのだけれど

与党が賛成に回らなきゃ可決なんぞされません。

かにあんまり拗れると政権交代が起こる可能性はゼロじゃ無いがまだ起きては無い。

anond:20240528070433

思うんだけど、「政権交代」より、与党が「(政権は失わないものの)反省せざるを得ないくらいの大敗をする」くらいの方が、いろいろとよくなる気がする。

ぶっちゃけ民主党政権とってもろくろく何もできんかったし、自民党下野して余裕とか品が無くなった気がする。

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