はてなキーワード: 技術とは
スゴイいいこと思い付いたんだけど
完全全自動ご飯炊き機ってのを開発して作ったら爆売れするんじゃない?
無洗米と水を釜に自動的に投入できてタイマーで自動的に炊き上がるやつ。
これってないよね?
完全全自動ご飯炊き機を開発して作って売ったら爆売れすると思う!
めちゃ人気出ると思うし!
絶対売れる!
いいと思わない?
最近連写性能が120コマのカメラなどが出てきて、120コマ全てでオートフォーカスによる微調整が入るそうで、
また大体のフォーカスだけを合わせてあとはトラッキングで自動追尾なんてのもできるし、
明らかにオートフォーカスによってスポーツ関連の取れ高が増えたらしい
プロは100点の1枚の写真より、どんな場合でも80点を量産する「取れ高」がそのまま収入になるらしく
マニュアルフォーカスで決められた位置だけに置きピンしてその数枚だけを撮る人よりも
オートフォーカスでバンバンいろんなシーンを撮る人の方が仕事上有利だとは言っていた
(ただし、その人はソニープロだからバイアスはあるかもだけど)
単純にMFのプロは、最新テクノロジーによって自分のMF技術が否定されたような気持ちになって
テクノロジーに意地でも適応しようとしないというのはあるんだろうなと思ってる
ミクロ経済学は、一般には企業と消費者という経済単位を考え、市場の相互作用を分析する。
分析方法として、1)最適化, 2)均衡分析 という方法を用いる。
企業行動のモデル化では、目的関数は利潤最大化で、制約条件は技術・市場である。消費者行動では、目的関数は効用であり、制約は予算である。
経済の均衡とは、経済単位の行動全てが相容れるものであるときの分析ということである。均衡の分析は、不均衡状態の分析よりもはるかに単純である。
均衡状態に限定し、さらに最適化問題を解くときに、実行可能領域で行動を変えて目的をさらに追求できる経済単位が存在しない状態(パレート最適性)の分析を行うことになる。
最近推し活という言葉が流行っている。特にアイドルなんかの生身の人間のオタクをやることが、まるでブームのように毎日SNSでバズりメディアで取り上げられている。
仕事柄、と言ってももう引退したので前職になるが、推し活をしている人から質問されることがある。その中でも多いのが、イベントやフェスにどのアーティストを呼ぶかってどう決めてるの?という類の質問だ。恐らくその後ろには、私の推しがもっとたくさんイベントに出るにはどうすればいいの?という興味があるのだろう。
これは人や会社による上に私はもう現役でないから、直接聞かれてもそれっぽいことを言ってのらりくらりと躱してしまう。ただ、最近あまりにも聞かれるからきっと推し活をしている人なら興味津々の話題なのかもしれないと思った。なので、匿名でネットの隅に書いておくことで答えとしたい。
ただ、飽くまで私の場合、なのであまり本気で捉えずに話のネタ程度に読み流してほしい。辞めた身なので自分勝手なことも書いているし、今イベントに関わっている人たちの総意では決してないことは理解してほしい。私の前職が何なのかも適当に想像してほしい。
前置きが長くなったが、イベントに呼びたいアーティストは一言で言えば「イベントを成功させてくれるアーティスト」だ。
有名で人気のあるアーティストを呼んでたくさんチケットが売れれば成功なんじゃないの?と思う人もいるだろうが、実はそうでもない。それだけ人気があってファンもたくさんやってくるアーティストは、呼ぶ側も結構大変なのだ。会場の広さ、スタッフの数、運営の経験値などを鑑みると、人を捌ききれずにイベント自体がパンクする可能性もある。スケジュールやギャラの調整も考えると、言い方は悪いがコスパが良いと言えないケースも割と多かったりする。
とにかく有名な人を呼ぶより、イベントの規模や目的に合致した人を呼ぶ方が重要なのだ。
私が重視していたのは、以下のポイントだった。
アーティストにとってイベントに出ることは、キャリアアップにもなるし自分の名前を知ってもらう機会にもなると思う。もちろんそうした機会を提供できるようなイベントでありたいとは常に思っている。
だが、「自分を見てほしい」「自分を知ってほしい」「自分が楽しみたい」という具合にイベントを100%自分のためのステージに使われると正直困る、というのも本音だ。
当たり前だがイベントには主催者がいて、スポンサーがいて、他にもたくさん関わっている企業や個人がいる。地域活性化や周年記念など、イベントを開催することで達成したい目標もある。イベントの成功とはライブが盛り上がるだけではなく、スポンサーが十分なリターンを得られたか、主催者が掲げた目標を達成できたか、も含まれる。
だからこそ、自分が楽しくライブをできれば良し、という姿勢だけでは正直困るのだ。逆に、自分は何のために呼ばれたのかを考えてくれるアーティストは本当にありがたい。イベントは自分のために用意されたのではなく、自分はイベントのために用意されたという考え方とでも言うべきだろうか。
・盛り上げ上手、巻き込み上手
上の内容にも重なるが、イベントはワンマンライブとは異なり自分のファン以外の観客も会場にたくさんいるケースが多い。そんな状況で、会場をひとつにして盛り上げてくれる力量や技術のあるアーティストはかなり重宝される。
また技術が発展途上でも、盛り上げようという視点を持っているかどうかは重要だ。この場には自分のファン以外の人がいて、自分はそういう人たちも楽しませたい、と考えてくれるアーティストは、例え多少稚拙でも伝わるものはある。
少し愚痴にもなるが、いくら有名で人気のあるアーティストでも自分たちのファンにしか視線が向いていないなと感じる人は正直いた。残念なのはこうした視野の狭さゆえに、決して傲慢で嫌味な人たちではないのに観客に「このアーティストは私のことを見ていないな、私向けではないんだな」と思わせてしまうシーンが割とあることだ。イベント全体を盛り上げるという意味ではキャスティングミスだったか、と感じるときもあった。
誰もが知ってる有名曲がある、聞き入るような歌声や演奏、見入るようなパフォーマンス、MCが面白い、観客を巻き込むコールレスポンスが楽しい…と盛り上げる方法はたくさんある。裏を返せば、観客を巻き込む能力は有名ヒット曲に匹敵するとさえ個人的には思っている。
これはかなり重視した。一人マナーの悪いファンがいたら即ブラックリスト、という訳ではないが、例えるなら一番後ろの席から俯瞰で見たときに「このアーティストのファンはこういう感じなのか」と分析するようなものだ。実際後ろの方から、上の階から客席を見てみると、特にマナー違反はよく目につく。
もちろんお客さんはお金を払ってイベントに来てくれている訳なので、こういう風に楽しめだとかあれはするなこれはしろだとかを指摘するつもりはない。それでも、楽しいイベントにするためにはマナーを守って楽しんでくれる人に来てほしいと思うのが人情だ。
個人的な感想だが、ファンはアーティストの鏡という言葉も聞くが、上記2つを自然にできるアーティストのファンほど「イベント全体を楽しもう」という傾向が強いと思う。いいアーティストにはいいファンがつく、というのは案外本当なのだろう。
なお今だから言えるが、観客に紛れてトイレやロビーにいると実に様々なトークが耳に入ってくる。良いことも悪いことも、割と中の人は見聞きしていると思った方がいいかもしれない。
他にも細かく見ればいろいろあるが、特に大きいのはこの3つだ。
共通して重視するのは、イベントに対する考え方や姿勢だった。イベントの趣旨とミスマッチを起こすとお互いのためにならないし、こちらのわがままを言うと「自分のためにやりたいことをやるならワンマンライブでやってほしい、ここは外部のビジネスの場だ」という思いも少なからずあった。そんなこちら側の気持ちを分かってくれて、同じゴールを見てくれるアーティストはビジネスパートナーとして大変ありがたい。
なおこの質問をする人が推しているアーティストは年齢が若めのことが多いが、これらのポイントは経験を重ねるほどうまく出来るようになる傾向がとても強い。だから若い人は出来なくても良い、と言いたいのではなく、若くしてこれができたらかなり強みになるのではないかと思う。少なくとも私はそういう人たちとたくさん仕事がしたい。
クッソ役に立たない基礎研究に税金を大量投入してるのは日本ぐらいなんだけど
なぜか欧米諸国や中国はもっと投資してるって思ってる奴多いよな
欧米、特に米国なんて、一見すると基礎研究に投資してるように見えるけど
30年先か100年先かは別として何かの役に立つという説明をしないと投資は受けられないよ
実現可能性は別にしても少なくともベンチャー関連の創業バブルぐらいは期待させないとダメなので
それっぽい未来とそこまでのマイルストーンぐらいはちゃんと出す
政府系がこういう未来技術に投資するのってVCの投資を促進するような役目を担ってるわけで
回収できなくても経済的に(バブルだとしても)発展してくれればそれでいい
なので、それすら出来ないようなゴミ研究には一切お金を出さないよ
日本の大学教授もちゃんと予算確保できる人達ってその辺の説明を当たり前に出来るから
選択と集中とかいうけど、実際にはゴミ研究者を篩い落とすフィルターだよ
予算が取れなくても教授職に就いてるような人は職を失うことはないので一般人よりは裕福な生活が保障されていて
8月10日から最高裁長官となる今崎幸彦氏。 最高裁長官は、法の公準に最も近い、法を一般的に制定する司法権の長とされるとともに、最高裁は、事実審理を行わず
司法審理(法解釈だけの審理をする場所)とされる。特に、大法廷では、1989年から、35年間変更されず、不磨の大典のごとく、定まって来た、民法724条の解釈が変更された。
このように、最高裁長官は、法に関する深い専門的知識と、技術が要求される。7月3日の判例変更は、現在の長官である、一橋大学卒業の裁判官が主導して行われたが、8月10日からは
新しい長官の下に、判例の実施が行われることになる。なお、東京高裁第4刑事部の裁判官だった任介辰哉氏は、この異動に伴い、東京高裁長官には抜擢されず、家庭裁判所の所長に
令和6年7月15日午前1時45分頃に、練馬区を無線車が2台走行しているのを認め、1台が停車し、2名の警官が出てきて、うち一名が、私は政治家の菅原一秀のBOTですという
自己表現は大分県警の巡査と同じで、顔の電気を消して自分の顔で、強い一般性を強調し、無線車に戻るときに横顔を見せて私はブサイクだから、ということを自分で勝手に伝えた気になってるだけで
ただの悪人。
※ ちなみに、最高裁が形成する判例という枠組みについて、これを、技術美の5要素を満たす法と解する余地もないではないが、そのように評釈した参考書や本も見たことがないし
明らかではない。
お前が犯罪者であることを照らし出すための技術として、ツォルンの補題を導入する必要があればするが、単に驚愕的で一般性があれば足りるので、私は自分が出来ないことは語らないし、
ピタゴラスの定理の証明と数学的帰納法が分かっていれば、 後者のような感じの新規の技術なので、もし、ツォルンが、補題として、そういうものを発見したとすれば使わざるを得ない。
しかし、当該分野の一般的な技術であってしかも、独自の洞察に基づく新規の技術として、ツォルンが独自に洞察したものがそれとすればともかく、定理の主張内容は分からない。
数学の証明でエレガント、華美、華々しい証明法と言えば、 小中学生や高校生は、 ピタゴラスの定理の証明と、ユークリッドの第1補題を思い浮かべるだろう。前者は、エレガントさの
4つの要件を満たし、ユークリッドの補題は、一般的な解き方の代表的なものである。しかし・・・ 4要件を満たし、なおかつ、一般性もある定理なんてあるのか?そういう全ての要素を満たした
最高の技術があれば、いうことはない。
理学部数学科の人は、繰り言のように、デーンの補題、ツォルンの補題、という。 しかし、そんなことを言われても一般人はなんのことか分からないだろう。大体、補題とは何か?
強い数学的帰納法の原理は、おそらく、スマートで、簡潔、驚愕的で、一般性のある技術である。しかし、 数学的帰納法はいかんながら、数論や組み合わせの、原理なので、何も目新しいところが
ない。つまり、新規性以外の4要件があるのが、ストロングインダクションである。そうすると、5要件を全部満たす技術は、いきおい、補題にそそがれる。しかし、そんなことを言われても、
インターネット検索で、やまて中高年福祉事業団という団体があることは確認できたが、本件の、小島良二という健康管理支援士が所属する部署はなく、仮に、この福祉事業部であったとしても
板橋区の福祉事務所に健康管理支援士を派遣しているという記載はなかった。その他、小島良二で、フェイスブックやツイッターなどを検索したが一切見つからず、この人間が存在するのかどうか
お前のような平成2年から刑事裁判官をしているし、法に関する専門知識も技術的見識もないようなゴミが嫌なだけ。知ったかぶりに結論先にありき。糞。
何の興味もない。
売れる販売員は、接客に集中することが、お客様満足度を高めることを知っています。
売れない販売員は、作業に追われることで、接客中「あ〜早く接客が終わらないかな...」と集中できない環境に陥ることが多いです。
そうなると、時間に追われているので、自分中心の考え方になります。
「早く接客が終わらないかな....」という時点で問題ありですよね。
この思考からは、お客様満足度を最大化するような接客トークを展開することは不可能です。
おそらく一方的なセールストークでクロージングをかける始末となるでしょう。
あなたは、自分のことしか考えていない販売員から気持ちよく商品を買うことはできますか?
無理ですよね。
ではどうやってこの環境を作り出すのか?
答えは明快。
それはこうした物言いをすれば好かれ尊敬されるはずだとネットのレスバか何かで誤学習してしまったからだと思う。
すなわち、
「正しいこと言う自分は報われるはずだ」と思って、他の人は分かってても他の要素に鑑みてわざわざ言う必要がないと判断し言わないだけのことを発表する。
↓
現実世界の状況の理解が浅いのに割り込んできて邪魔なので嫌われる(つまり、その目的においても状況理解においても既に「正しくない」のだが、気付かない。)
↓
おかしい、ならばもっと正しいことを言えば報われるはずだ、とさらに「正しい」と信じてる行動を繰り返す。好かれるべき行動をしてるはずなのに報われないので焦る。
だかこの姿勢は、レスバ仲間とそうだよねそうだよねと言い合い慰め合ってるに過ぎず、俯瞰してみれば他人の信頼を前提としてその足を引っ張って楽しんでいるに過ぎない。
自分では家族も技術も経験も自信も得ることができないまま年を取り、新しい制度、新しい作品の足を引っ張ることが楽しみとなってしまうだろう。
そんな単純で頭の悪い設計にしている理由を問うている。(あるいは別の構造だがあえて同名を弾く理由)
データベースは無意味連番をキーにして管理すべきだなということになっていて
こうすると自然と同名は許容される
たまに設定を引数で全部与えるようにしている人がいるが、それだけでは対応力がない
技術畑の外側の人にも設定できるようにするぐらいでないと
で、その方法が「外部化」ね
要は、設定できるあらゆる項目は、わかりやすく簡易化した上で、jsonで保存できるようにする
「何が真理であるかは人それぞれ」「何が真理であるかは社会が決める」といった思想。
この思想体系は相対主義や社会構築主義と呼ばれ、現代社会において特に顕著になっている。その主な理由は以下:
1. 情報化社会の進展:
さまざまな考え方や情報に容易にアクセスできる現代社会では、「絶対的な真理などない」という考えに陥りやすくなっている。多様な価値観や文化に触れることで、真理の相対性を感じやすくなっている。
2. 思考停止の誘因:
「人それぞれ」という考え方は、一見柔軟で視野の広い思考のように見えるが、実際には真理を追求する意欲を失わせ、思考停止に陥らせる。これにより、深く考えることを放棄し、安易に相対主義的な立場を取る傾向が強まっている。
多数決を重視する民主主義社会では、個々の価値観や信念が尊重される。しかし、これが行き過ぎると、絶対的な正しさを追求する姿勢が弱まり、相対主義的な考え方が広まりやすくなる。
近代の機械的な思考様式は、物事を単純化して捉える傾向がある。これにより、精神的・道徳的な価値の相対化が進み、真理の絶対性を疑問視する風潮が強まっている。
5. 娯楽文化の浸透:
現代社会では娯楽が生活の重要な一部となっている。これにより、単一の真理や価値観に縛られない多元的な生き方が受け入れられやすくなっている。
ヤスパースなどの哲学者が提唱した実存的真理の概念は、真理が個人の存在と不可分であるという考えを広めた。これにより、「私の真理」という個人主義的な真理観が強まっている]。
この相対主義的な考え方が堕落に繋がる具体的な例としては、以下のようなものが挙げられる:
「人それぞれだから」という考えが、深く考えることを放棄させ、適当な判断や行動を正当化してしまう。例えば、重要な社会問題に対して「考え方は人それぞれだから」と言って議論を避け、自分の責任を放棄してしまうケースがある。
民主主義社会では、多様な意見をぶつけ合って議論することが重要。しかし、「正しさは人それぞれ」という考えが強まると、建設的な議論が行われず、投票が単なる好き嫌いの表明になってしまう可能性がある。
「文化に善悪はない」という極端な文化相対主義は、人権侵害や差別的慣習を正当化する口実になりかねない。例えば、精神障害者の権利が制限されている社会で「それが文化だから」と言って批判を避けることは、弱者の立場を無視することにつながる。
「真理は相対的」という考えが極端になると、客観的な事実や科学的知見の重要性が軽視され、学問や科学の発展が妨げられる可能性がある。
5. 個人主義の行き過ぎ:
未来の情報を完全に確定させることは、現在の科学技術では不可能とされています。未来は常に不確定性を含んでおり、多くの要素が絡み合って結果が決まるからです。それらの要素の一つ一つを完全に把握し、制御することは現実的ではありません。
しかし、AIや統計学などの技術を用いて、未来の傾向やパターンを予測することは可能です。これは大量のデータを分析し、過去のパターンから未来の傾向を導き出すもので、あくまで統計的な予測であり、特定の個々の出来事を正確に予知するものではありません。
したがって、具体的な未来の出来事を予め確定させることは、現在のところ不可能とされています。それは、未来は常に変化し、予測不可能な要素が常に存在するからです。👍