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はてなキーワード: 小説家とは

2020-05-28

anond:20200528160754

好きなアイコン別に職業アイドルじゃなく海外小説家でもいいし学校の先輩でもいいしなんなら自分でもいいんだよ。

それとも何かを好きになるってことが芸能界構造だってこと?

増田の指す芸能界範囲がわからないけど、誰かに憧れたりするのは「芸能界」が存在する前の太古からの話なんじゃないか

2020-05-27

anond:20200527042640

まじでこれ。

小説家になりたい人は多いのだから既存の賞に応募するだけではなく

どうやって自分作品を目立たせて手に取ってもらえるかが一番大事だと思う。

マーケティング広告デザインコピーライティングの本を読んで自分作品認知を上げる手段をとるべき。

映画トレーラーのような動画を作ってYouTubeツイッターに流したり

短いコピーとあらすじ、冒頭の一節なんかをツイートしたり

100日後に死ぬワニみたいに毎日少しずつ読める小説ツイートしたり

(これ自体は別の小説顧客誘引するための小説なので、

自分の本当に書きたい内容よりも読みやすさ優先がいい)

他にもツイッターは日々感じたことを散漫につぶやいたり

友達となにげない会話をするのではなく、

140文字エッセイ風に日々の情景を切り取ったり

小説とは全然関係ない面白いツイートファンを増やしたりするのも有効

そこでセンスを見せつけたら長い小説にも興味をもってもらえるはず。

もうやってるのかもしれないけど。

というか、いまこの匿名日記エントリーに注目が集まっているので、大チャンスと思ってほしい。

ここに何を追記して、どこのURL誘引するか、まさに今あなた文章の力量が試されている。

2020-05-23

コンテンツ二次創作界隈の男女の各オタク住み分けってどうなってるんだろう?

 某コンテンツに興味が湧いて呟いたら、その二次創作をしている女性からこっちにおいで~と、お声がかかった。

 なんとなく、絵柄とストーリー的に某コンテンツ男性向けだと思っていたので、女性二次創作してる人がいたんだ!と、まずそこが驚きで。

 まあ、今は元々男性ターゲットにしたであろうコンテンツ二次創作女性がやってるしなんなら二次創作界隈ほぼ女性しかいないっていうことは普通にあるけれども。

 ただ、男性向けっていってもなんとなく女性二次創作書きにはウケない方面ってあるじゃないですか。一部の女性エロ絵師小説家男性にウケのいい感じの表現方法でもって二次創作をしているのみっぽいなという。某コンテンツもその方面かとてっきり思ってたら、違うというんですよ。まあ驚きましたね。

 それはいいんだけど、その二次創作界隈が意外にも女性ばかりであるという理由を、私に話しかけてきた人は、だってこのコンテンツ女の子二、三人しか出て来ないしあとはおじさんばっかりだから男性二次創作やらないですよ、と言った。

 ああ、そうなんだ。てっきり私はその二、三人でヌケる絵や漫画文章をこしらえる男性ユートピアなのかなと思ってたんだけど、そうなんだ。イケおじ狙いの女の園……だったなんて。その発想はなかったな。

 しかし、もしかするとその女性のいうところの某コンテンツの「二次創作界隈」というのはごくごく限られた範囲なのではあるまいか?という気もした。男性二次創作事情は知らないけど、女性二次創作だと、一つのジャンルに実は複数の「界隈」が存在するのにお互いに他の「界隈」が全く見えていない、ということがよくある。某コンテンツ二次創作界隈でも女性男性で別々に集団になっていてお互いに相手存在に気づいてないだけっていうことはないのかな。

 以前増田で、私がBANANAFISHハードストーリーアクションものからって「もはや少女漫画ではない」って男オタから言われるのはなんかやだというようなことを書いたら、「わかるよ、自分腐女子から幽遊白書』を私達のものだって言われたらイラッとする。それと同じだろ?」っていうリプライがあって、かつて幽遊白書でごりごりに腐妄想しまくってなんなら作品まで拵えた私はうぐっ!っと心の臓が潰れそうになった。そんな思い出話はともかく、あの某コンテンツですら「イケおじパラダイスから私達の島」と平然と言われてしまうなど。私は領土侵犯のにおいを感じて気後れしちゃうので、その二次創作界隈には入らない。

 

2020-05-22

プログラマになるための一歩?

プログラマって結局、文章書きなので、小説家といっしょ。

Githubとはすなわち、小説家になろう。これ。

プログラマになるなら、最初に何をするか?

小説家になるなら、最初に何をするかを考えれば簡単

小説家になるなら、たっぷり小説を読む。

プログラマになるなら、たっぷりプログラムを読む。

ハイ簡単

言い回し定型句、色々覚えよう。

ちゃんと中身を理解しよう。

間違いだってあるさ。人間だもの

読むのが辛い?

そういうもんです。諦めましょう。

anond:20200522005004

webエンジニアの人気が高いのは底辺の一発逆転思想マッチしているからではないか

何もできない年をとったニートフリーター正社員として働く道はほぼない。

キャリアを積むための就職すらできないか勉強スキルをつけたがる。

勉強だけやれば働けそうな仕事ということでプログラマー特に自由クリエイティブそうなwebエンジニアが持ち上がるわけだ。

しかも一発逆転思想底辺プログラミングを知らないから、自分にも才能があるかもしれないと思っている。

プログラミングをできるようには誰でもなれるし、才能が無くても働ける。頑張れば。)

もちろんwebエンジニアピンキリで、研究職を経てGoogleに行く人や大学生で成果を出してYahoo!に行く人もいる。

しかしこれから勉強する人はメガベンチャーではなくスタートアップの小さい会社に行くだろう。

それでも土木作業員を内心馬鹿にしている自意識の高い底辺にとって、

スーツすら着る必要がなくオシャレなオフィスパソコンをいじりながら働ける環境自尊心を守るのにちょうどいい。

たとえ給料が低くてサービス残業が多くても、意識高いクリエイターから仕方がないと自分で納得できる。

ニート引きこもりイラストレーター漫画家声優小説家を目指すのと似たような構造だろう。

まぁ一発逆転思想底辺にはプログラミング勉強をコツコツ続けるなんて無理だから向いてない仕事だがな。

2020-05-20

プログラマーなろう系

プログラマーエンジニアになった奴が「なり方」とか言ってるの見ると気持ち悪い

大体の人はなれない

とは言っても、小説家とか歌手とか、ああいうのよりはよっぽど目がある

知り合いに他業種から来た人はたくさんいる

音楽で食って行けずに転向した人、土方から転向した人、営業から転向した人

どれも優秀な人だった

こういうのは成長産業ならよく見る光景

 

でもその「なれた人」の影には大量の「なれなかった人」がいる

彼らについて語られることは少ない

プログラマーになるためにはいくつかの壁がある

これからなろうって人にはその壁が見えていない事が多い

 

一個目の壁は単純な地頭

最低限、それなりに頭がいい方じゃないと厳しい

国立大は余裕で入れる程度じゃないと厳しい

もちろん例外はある、土方から来た人は高卒だった、でもそういうのはあくま例外

一方で有名大学を出ていたとしても向かない人も居る

大学情報科ですら、プログラミングの授業で脱落者が結構出る

 

プログラミング勉強で覚えられたと言っても、実務に就けるチャンスが必要になる

この壁は正攻法がない

ここで詰む人も多い

そしてようやく手に入れた実務で成長できるかどうかという壁もある

これはほとんどガチャ

クソ会社に捕まったら年単位で足踏みする

いい会社に入れたとしても、基本誰も教えてくれない

プログラミング基本情報みたいな知識は本に書いてるが、実務をちゃんと教えてくれる環境というのは少ない

新卒で入ったら多分教えてくれるんだけど、中途には基本無い

そこでどうにかサバイバルしていかなきゃならない

しかも他社でも通用するスキルを磨かなきゃいけない

うまくいかないとどこかで心折れる

 

あと、最近エンジニアは覚えることが多すぎる

というか多すぎてもはや覚えない

からないことが多すぎるのがデフォで、そこから調べたりして解決していく

常に勉強してる状態だし、自分で答えを探すため行動しなければならないが

そのスキルを持っていない人は結構多い

プログラミングを覚えたとしてもそこで詰む人もいる

 

それらを脱して3年4年と実務経験が詰めたとして、その実務の領域が突然消えることがある

そうしたらまた覚え直し

うまくスイッチできればいいけど、できなきゃ詰む

 

これら全部ちゃんとこなせた上で、高い給料ホワイトな働き方、やりがいがある仕事ができるかといえばそれはまた別

ここまできてようやく「そこらのぱっとしないエンジニア」だが

ここまでこれるのが多分2割以下だ

プログラマーなりたい人は本当にこれを目指してんのか?

2020-05-19

漫画家とか小説家アニメ監督検察法改正に反対したのにキレてる連中って

ちょっと文芸クリエイターを舐め過ぎなんじゃないだろうか

もちろん、自分と違う意見を持っていた、ということでそれに論駁するのは健全だと思う。しか

政治的発言なんかするな」って言ってる連中は、彼らが自分のための快楽製造機か何かだと思っているんだろうか

なんなら、我々を楽しませている作品は、多くの場合において、その作家人生において得た知性や価値観を総動員し、必要関係各所に取材し、テーマなども綿密に考慮して描かれている

よっぽどの天才でもない限り創作活動とは痛みを伴うものだ。文句を言う連中が何も考えずに消費しているかもしれないその作品は、実はとんでもない知的生産行為の元に生み出されたもの

文句を言う連中よりも遥かに社会について勉強したことのある彼らが、社会についてなにか言ったときに「政治的発言するなんて」と失望するのは、そいつらが何も考えずに享楽的作品を消費し続けてきたことの証左にすぎない

それがとくに「おたく」を自称する連中の間で多数派になってしまっているであろう日本斜陽っぷりよ

おふねのゲーム流行るのも無理はない

anond:20080809122135

少女まんがって 陰キャ主人公女子がかっこいい男子に好かれる っていうのがアーキタイプじゃんか(雑)

「違国日記」読んでそれを思い出したわ。

主人公(作者(漫画家)の分身小説家)でもあり、想定読者自分投影するキャラクターでもある)のダメな点

汚部屋コミュ障書類手続き失敗etc.……


欠点だけど問題ない、と描かれる。


自称する”薄情”」もイケメンに「いやあなた実は熱いキャラでしょ」と肯定される。


うわー メガネの下の素顔がカワイイの、オレは知ってるぜアピール! 


少年漫画ヒーローっぽく、あるいはTVドラマの主役みたいな憧れられる対象美人仕事ができて稼ぎがあって楽しい友人たちがいる主人公

けれど…陰キャブスと見なされていないだけで、20年前の少女漫画読者ターゲットマーケティングばっちりや


最新刊ではどうなってるか知らんけど



2020-05-18

ワイ二次創作メインの小説書き

たまにオリジナルも書くけどキャラプロフィールが思いつかん

おかげで心情描写スカスカ、それ以外もまともに書けへん

まだ小説ワナビのころの方がキャラ性格生い立ちがボンボン浮かんでた気がする(本編が書けたとは言ってない)、なぜなのか

2020-05-16

PSOの思い出

昔はPSOの中で数多くの漫画家小説家たちが居た。まだ売れる前だったり微売れの人たちだったから忙しくもなく一緒にゲームしたりして和気あいあいだった。

仲が良くなると一緒に飲んだりして楽しんだ。PSOしかったなあ。

anond:20200516165816

森○嗣という理系小説家日記エッセイの中でいっていたのだが

作品感想てのは誤字・誤植の指摘以外はほぼほぼ思ったとおりのところに玉がかえってくるようになった。

それであまり欲しくなくなったと。

読者とのキャッチボールというより、ピッチャーフライで打ち取ろうとおもってなげたらちゃんピッチャーフライが帰ってくる、

三遊間に打たせようとおもったら三遊間にいく、というようなコントロール含めてプロ仕事をしているのだ、という印象を受けた。

 

自分場合はそこまでプロではないが、たいてい最後まで飽きずに読まれただけ、文字通り本当によんでもらえただけで満足ではある。

また、それ以上の感想はやはりコントローラブルすぎて蛇足になる気配は少しある。

盛り上げたシーンで盛り上がりましたねっていう感想がくる。

ごくあたりまえの感想いただき好意がありがたいと思うだけなのだ

だって監督オレ、演出オレ、音楽オレで小道具大道具オレ、背景協力オレ、レシピ指導方言指導もオレ、の映画みたいなもんだし。

自分ネコフェチなのでネコいじめられているようにみえて困りました」みたいな予想外のはあまりこない(そういう目的外にまで届くほどは売れてないだけでもある)

ただ、たまに自分守備でない一枚イラストでのいいシーン再現とか

肉声(いいセリフとして朗読されたり)とかあると、うわっそうか!すげーな!越えられた!ってなる。

たぶん描画エンジンがなく描写エンジンしか搭載してないタイプ人間なんだろう。

で、結末が見える前から表紙描きさんを指定しておねがいして相応のお時間と謝礼をなげつけておくと

たいてい自分で作るより300倍くらいいいのがかえってきて、

そこで表紙つき、または挿絵つきの本が出せたし出店できた時点で

すべてのファンレターよりも報われてしまう部分がある。

でもたまに絵もなにもないネット書き捨て文章にむかってすっごく把握しきった絵を投げてくれる人がいて

その人と次の本を出す。

そんな感じ。

 

紙やがつぶれたからどうなるのかわからないけど続くといいな。

2020-05-12

漫画家小説家って気楽な商売じゃね?

簡単とは言わないが芸術家を気取るのをやめればそれなりに稼げると思う。全ての作家が一流である必要はない。

2020-05-03

みんなもっとエッセイかいてほしい

漫画家マンガ

小説家は文で

素人は得意な方で

自分で思ってるより他人エッセイてすごく面白いんだよ

漫画家あとがきとかほんと大好きだし

マンガしかかいてないかあとがきかくことないなんてよく見るけど

別に最近のこと書かなくていいんだよ

昔のことかけばいいんだよ

2020-05-02

小説家小説の中で不謹慎表現をする→○

漫画家漫画の中で不謹慎表現をする→○

芸人深夜ラジオ不謹慎表現をする→×

一番最後けが×な理由がさっぱり分からん どれも同列だろ

伊集院さんとか岡村さんにとってはラジオ番組自分作品と同様なんだから

それを駄目だとすれば不謹慎表現フィクションの中でも全て禁止になるぞ

久保ミツロウみたいな頭悪い漫画家はそれわかって批判してんの?

2020-04-25

anond:20191025013212

有閑ムッシュとは呼ばれないが、小説家森博嗣は昔、忙しいよりは暇な方がいいとブログエッセイに書いていて、実際その後は半ば隠居して好きな事をして暮らしていた。最近どうしてるのかは知らんけど。

2020-04-23

anond:20200423164734

年寄り重症化しやすい中でテレビたこと有るレベルの人(政治家芸能人スポーツ選手紫綬褒章あたり受賞歴のある小説家芸術家医者弁護士など)あわせたらそのくらいの確率くらいはなるんじゃないの

志村けんなんて昔はPTAにやり玉に挙げられてることで有名になっただけで木っ端芸人扱いだったけど年をとったか有名人扱いされてるだけでさ

芸能人は「体を張って」「しゃべりまくって」がお仕事からなぁ~

2020-04-20

国語が教えるべきなのは要約

ある文章を決められた文字数に収めることを学ばせる

読書感想文なんて小説家にさえ「こんなの俺でも書けない」といわれるんだから

2020-04-19

コロナ禍の小説家

いまビシバシ創作意欲湧いちゃってるよね?

村上春樹あたり、すごい小説作ってそう。

本業でまったく無名漫画家小説家ツイッター政治に物申し太郎をやって有名人になっていくの辛い

2020-04-13

anond:20200411041619

入賞が無かったけど、なろうへ投稿する。てルートが無い
3-a)なろうで評価されて単行本化へ(20%) 3-a-1)単行本発売して小説家に(10%) 3-a-2)何かトラブルに巻き込まれて発行に至らず(10%)
3-b)なろうで評価されて、続編や新作も書いていく流れへ(30%)
3-c)なろうでの酷評ダメージを受け小説を書かない流れへ(30%)
3-d)なろうへ発表しない(18.99%)

2020-03-24

やはり孤独であるべき職業だな

 どの職にも特有ストレスというものはあるだろうけど、小説家もつらいものがある。

 それは仲間作家存在だ。作品と著者人格は切り離すべきだとは思いつつも、ああまでつまらない小説で人から金を取ろうとする神経を疑ってしまう。

 そしてつまらない小説面白かったですよ~とか言うのは耐えられないのだ。いやずっと耐えてはきたけど、そろそろHPがなくなりそうなのだ

 せっかくの増田だしストレートに思ってることを書いてストレスを発散しよう。

 おい!!!!!!!!!

 カスみたいな中身のない小説で金を稼ごうとするな!!!!!!!!!

 もっと内容に技巧を凝らして価値のある本を作って読者を感動させろタコ!!!!!!!!!

 少なくとも人の感情くらいウソをつかずに正直に書けよ!!!お前らの小説キャラクターうそばっかなんだよ!!!!!!!!!!!

 書いた。海に向かって叫んだわけではないのでまったく気分は晴れないけど、それはともかく。

 無論シビア業界であり、話の質よりもパッケージを含めたマーケティングに精を出す方が職業作家としては大事だということはわかりつつも、どうしてもそういう風に思ってしまうわけである。人柄だけ取ったときは本当にいい友達なのでなおさらつらい。

 最適解は知り合いの小説そもそも読まないようにすることだと思う。これが精神衛生上一番よさそうだ。でも向こうが読んでくれているとき申し訳ない気持ちになるし、今まで読んでいたのに急に読まなくなったら変に思われるだろう。

 もしくは自分が本当に好きだと思える小説を書く人にだけ会うようにするか。いやそれは無理だ。そもそもこの年になって新しく読んで面白いと思える小説なんて百冊に一冊あるかないかだ

 中にはかなり割り切れている人もいて「読みマシタ面白かったデス」とbotのように答える作家もいる。それがいかに内容の薄い感想であったとしても、受け取る側もなんとなく察しているか特に踏み込んできたりはしない。これは大人のマナーみたいなものだろう。そもそも人に読んでもらえるだけありがたいというのは変わらないので、読んでもらった上にさら面白いという感想まで求めようとするプロは少ない。というか少なくとも私は見たことがない。

 いい年こいて知り合い以上のトモダチを作ろうとしている自分が悪いのだろうかと思うときもある。割り切った付き合い方ができる人は「知り合い」を作るのがうまくて、本音で話す相手奥さんとか旧来の友達とか編集相手に限るんだろう。非常にオトナ的だし賢いといえる。そういう人は作家間のコミュニティもうまくいくし色々な場所に呼ばれて人脈が広がり、仕事が増えてよりマーケティングもしやすくなるのかもしれない。とするとやらないほうがアホだな。私はきっとアホなんだ。そして不器用なんだ。でもこういうことでうじうじ悩むような人間性から作家になったんじゃないかとも思う。

 やはり作家友達など作らない方がいいのか。

 一流作家桜庭一樹さんは、新人作家に対するアドバイスとして「群れるな」と言っていた。きっと色々なニュアンスを含んだ言葉ではあるんだろうけど、この場合でも当てはまるに違いない。

 いい小説はいいと思い、わるい小説はわるいと感じる。そうしてはっきりと色分けをしないことには、自分の書いたものがいいかいかもわからなくなってしまう。

 作家にありがちだが、私は言霊存在を信じている。言っていることはいずれ現実になってしまうという恐ろしいシステムを。

 私がたとえウソもつまらない小説面白いと言いたくないのは、それを口にしてしまったら、いつか遠い未来自分不安になるとわかっているからだろう。いずれ思い返したときに、あれを面白いと口にした場面が蘇ってしまい、きっと自信が持てなくなるに違いない。価値判断とは難しいものだ。

 人付き合いに辟易して会社をやめたときも同じようなことを考えていたな。正直でいなければならないというのもコミュ障の持つ欠陥のひとつだ。

 結論は出ないが決めた。

 少なくとも、今後新しく会う作家小説は読まないようにしよう。

 既に知り合いの作家新刊は? どちらかというとこっちの方が問題だけど。

 読む時間がないと言い訳できるほど忙しい人間じゃないことは周知の事実だ。

 本当に友達だったら、あるいはこういった本心を話しても大丈夫なのかもしれない。でもやっぱりそんな域ではないのだろうな。

 うーん、困ったよなぁ。

 読んで正直に今回は微妙でしたって告げる方がいいのかな。少なくとも私だったら正直な感想をもらえた方がずっと嬉しいな。

 そうするか?

 そうしてみよう。それで亀裂が走るくらいならそもそもそんな関係はいらないと素直に思えるしね。

2020-03-21

益尾知佐子『中国の行動原理』を読んで

益尾知佐子『中国の行動原理』を読了

本編もかなり面白かったが、あとがきもまた輪をかけて秀逸だ。

ところでネット上のレビューを読むと、このあとがき賛否両論のようだ。

「めちゃくちゃ面白い!」

「これだけでも一読の価値がある」

という人もあれば、はっきりと嫌悪する人もある。特にアマゾンの、

あとがきで、女性の半生記を長々と読ませられるのはベリベリ白けてしまった。「中国の行動原理」は読みたいが、著者の行動原理不要である。」

「著者のファミリーヒストリーあとがきで書かれているが、少なくともこの本のあとがきとしては不要でしょう。」

このての感想はなんつうか、物事本質が分かってねえ貧しい輩だなと思う。

"本編は面白いけどあとがき不要"って……。いやいや逆でしょ。

こういうあとがきを書くような(或いは書かずにいられないような)人だから、こういう面白い本編が書けるんだよ!

本は情報を吸収する道具、著者は情報提供してくれる装置、では断じてないのだ。

真に面白い本というのは、どうしても書かずにはいられない、あるいはそのようにしか書けない、やむにやまれのっぴきならない著者だけの特殊事情がある。

かについて語るということは、それを語る自分が何者であるかを包み隠さず開陳すること同義

その一糸まとわぬ脱ぎっぷりのよさに、余人に真似できぬ面白さが宿るのだ。

そうせずに小手先マーケティングで書いたものなんて、いくら有益で新奇な情報を扱っていても面白さには程遠い。

これはなにも小説脚本の話だけでなく、学者の書くものだって同じことだ。

サイードは『知識人とは何か』の中で次のように言っている。

私的世界公的世界とは、きわめて複雑なかたちで混ざりあっている」

「いっぽうには、わたし自身歴史があり、わたし経験からひきだされたわたし価値観や、わたしの書いたものや、わたし立場がある。そしていまいっぽうには、こうしたことがらを吸収する社会的世界があり、そこでは戦争自由や公正について人びとが議論したり決断をくだしている。私的知識人というもの存在しないのは、あなた言葉を書きつけ、それを公表するまさにその瞬間、あなた公的世界はいりこんだことになるからだ」

「つねに個人的曲解があり、私的感性存在する。そして、個人的曲解なり感性が、いま語られつつあることや、書かれつつあることに、意味をあたえるのである

ジャン=ポール・サルトルバーランドラッセルの書いたものを読むとき強く迫ってくるのは、その論じかたではなく、彼ら特有個人的な声であり、その存在であるが、これは、彼らが自分の信ずるところを臆せず語っているかである。彼らが、顔のない役人ことなかれ主義官僚によもやまちがわれることはあるまい」

そう、だからパンツ脱がずに小手先情報だけで書こうとすると、必然的無難一般論官僚答弁に行きつく。誰が書いても同じなんだから

そうすると書き手洞察は深いところまで届かず、したがって読者に感動なり知的興奮なりを与えるような面白い本にはなり得ない。

話を益尾氏の本に戻すと、

なぜあとがきで「著者のファミリーヒストリー」を書くのか。

なぜ"東京北京"に収斂できない「女性の半生記を長々と」書くのか。

本編を読んでもその意味必要性が本当に分からない読者がいるとしたら、そいつはもう馬鹿しか言いようがない。

そういう人間機微がわからねーやつに社会なんかわかるかよ。

ちょっと熱くなってしまったが、走り書きなので言葉遣いが汚いのは許してほしい。

そもそも自分は「学者の書くあとがき」が好きなのだ。半分タレント化した人は別として。

学者場合小説家などの他の文筆業と違ってどうしても本編の制約が大きい。

たとえ一般向けであれ「学者の顔」で書く以上は、事実関係客観性を重んじるのは勿論、表題に掲げたテーマに何らかの結論を出すことが求められるから

それだけに、あとがきでは「学者の顔」に収まりきらない著者の顔がにじみでているのが、本編と相まってすごく味わい深く思えるのだ。

その意味で益尾氏のこのあとがきは、「学者あとがき」として大変面白かった。

自分が今まで読んだ中では、安丸良夫近代天皇像の形成』のあとがき彷彿とさせる面白さ(この意味が知りたい人は読んでもらえれば分かる)。

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