はてなキーワード: 原子とは
原子の間は隙間だらけなんだよな
多くの数学者は最も美しい証明を見つけることに意欲を持っており、数学を芸術の一形態と呼ぶことがよくある。
「なんて美しい定理だろう」「なんてエレガントな証明だろう」と言う。
完璧な部屋の形状は、ルネッサンスの建築家によって、壁が一定の比率を持つ長方形の部屋であると定義され、それを「黄金分割」と呼んだ。
建築家は今日でも、最も調和のとれた部屋には黄金分割比があると信じている。
この数値は、多くの数学的現象や構造に現れる (例:フィボナッチ数列の極限)。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、均整のとれた人体と顔の黄金分割を観察した。
西洋文化やその他の文明では、均整のとれた人体の黄金分割比は、上部 (へその上) と下部の間(へその下)にある。
モザイクは、固体部分(木、石、ガラスなど)を重なりや隙間なく平らな面に組み立てる芸術形式である。
その洗練された形式では、モザイクには認識可能なパターンがあり、それが 2 つの異なる方向に繰り返され、中心も境界も優先方向も焦点も特定されない。
19 世紀には、数学的な観点から、タイリングには 17 個の対称性しか存在しないことが証明された。
アルハンブラ宮殿のモザイクは、考えられる 17 の対称性をすべて表していることが発見された。
タイリングを形成するとは、2 次元平面を幾何学的形状 (多角形または曲線で囲まれた形状) で重なりなく完全に覆うことを意味する。
タイリング画像を変更せずに仮想的に回転または反射できる場合、タイリングは対称と呼ばれる。
歴史上最も印象的なモザイクは、中世のイスラム世界で活躍した芸術家、特にスペインのアルハンブラ宮殿の美しく洗練されたモザイクを作成した芸術家によって制作された。
アルハンブラ宮殿は、グラナダの旧市街を見下ろす赤土の丘に、13 世紀初頭にムーア人によって建てられた。
ここは、膨大な量の模様、装飾品、書道、石の彫刻など、イスラム教の建築とデザインを展示するものである。
オランダ人芸術家MC エッシャーはアルハンブラ宮殿を 2 度訪れ、宮殿と周囲の中庭のタイルに見られる華やかな模様をスケッチし、カタログ化した。
これは、タイルが一定の間隔で表示または発生することを意味する。
何百年にもわたる熟練した建築、タイル張り、 (調和する力としての)対称性への深い敬意、(宗教と商業のための)幾何学の研究と知識により、17 の考えられる対称性グループすべてがアルハンブラ宮殿の壁に表現される。
自然界の結晶(雪の結晶、鉱物、宝石など) は、秩序と対称性規則に従って原子的に構築される。
非周期的タイリング、つまり周期性のないタイリングは 1960 年代に数学的に可能であることが証明されたが、当時は秩序はあっても周期性を持たない固体構造は自然界には存在しないと考えられていた。
1982 年、イスラエルのテクニオン大学のダン シェクトマン教授は、後に準結晶として知られる自然が作る非周期結晶の存在を予測した。
このような自然で作られた石は、ロシアの山岳地帯で最初に発見された。
2009年、この発見はプリンストン大学の教授であるポール・スタインハートによって科学的に発表された。
2011 年、シェクトマンはその予測によりノーベル化学賞を受賞した。
そうでないなら、美しさは見る人の目にあるか?
マルチバース理論で生まれ変われると知ってから、夢の喪失感は消えたぞ。
宇宙って実はここ一つじゃなくて、いま現在、無限に、同時に存在してる。
このマルチバース論は科学界で広く支持されてる。矛盾が少なく色んな事象をうまく説明できるから。
で。
ポイントは異なる物理法則が支配する宇宙が「無限に」存在するということ。
今の俺の状態って原子や電子の電気的な配置ですべて決まるじゃん?
だとすると、今の俺とピッタリおなじ状態の瞬間が別の宇宙に存在しうる。
無限に続く円周率の中に、111111のような奇跡的な連なりどころか、シェイクスピアの戯曲だって全部入ってるのと同じ。
俺は大人だが夢を持ち続けられてるよ。見知らぬ女の子の初恋相手になって、俺も彼女を好きになって、結ばれる。幸せになるんだ。
「"ビットから来ている" これは異例の理論で、情報がすべての存在の根底にあるという仮定から始まる。
すべての存在の根底にあるのは情報である。私たちが月や銀河や原子を見るとき、その本質はそれらの中に保存されている情報にある、と彼は主張する。
しかし、この情報は、宇宙が自分自身を観察したときに存在するようになった。
彼は宇宙の歴史を表す円形の図を描く。宇宙の始まりにおいて、それは観察されたから存在するようになった。
つまり、宇宙の情報("ビット")が観測されたときに、"それ"(宇宙の物質)が誕生したのである。彼はこれを「参加型宇宙」と呼んでいる。
私たちが宇宙に順応するのと同じように、宇宙も私たちに順応し、私たちの存在そのものが宇宙を可能にしているという考え方である。」- ミチオ・カク
ShimoritaKazuyo もうここまで来たら円周と直径を構成するそれぞれの原子数を数えて比べた方がいいのでは?その上で量子力学的なゆらぎが発生し絶対数が定まらないのであれば、まさにそれこそが円周率の本質だな。
原子とか量子力学とかしってるボクチャン偉いでしょ、ってか?w
こいつガウス積分とか数学の至る所でπが出てくること知らなそうだな...それこそ量子力学勉強してれば死ぬほど出てくるんだけど
幾何学的定義(←小学校でやるw)だけを円周率の本質だと思ってるのがまじド文系って感じだ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4750776343567733280/comment/ShimoritaKazuyo
2024-03-15 SpaceChem全実績解除(DLCの『63コルビ』クリアも含む)
あぁ、やった。
とうとう終わった。
今はとにかく達成感に満ちあふれている。
ちなみにゲームの紹介は書かない。調べればわかることだからだ。
ネタバレをするつもりはないが(文章でパズルのネタバレをするというのも難しいけれど)、攻略する上でのヒントになってしまうかもしれないので、これからゲームを自力で攻略したい人は読まない方がいいだろう。
あくまでも自分のための備忘録として書くつもりだが、すでにSpaceChemをクリアした人あるいはとっくに挫折した人は共感を得られるかもしれない。
これまでのステージは、左側にある分子を右側に運ぶだけの(ムーディー勝山的な)作業が中心だったが、このステージからはそう単純にはいかずに悩まされるようになる。
ステージ名の『ただならぬ頭痛』な伊達ではなかった。ちなみに2つ前のステージ名は『片頭痛への序曲』である。てっきりストーリー上での登場人物のことかと思っていたら、まさかパズルを解くプレイヤーのことも含んでいたとは。
このステージでいろいろと試行錯誤しているうちに、赤レイヤーで下側の入出力(inputβ、outputω)と青レイヤーで上側の入出力(inputα、outputψ)が可能なことに気が付いた。inputもoutputもシンボルを右クリックすれば入力や出力の場所を変えられることに気が付いたのだ。
逆に言えば、これまでのステージはこんなにも基本的なウォルド(赤と青の2つある遠隔操作装置)の操作ができなくてもクリアできたというわけだ。
後のステージに比べたらまだまだ簡単な方だが、このステージをきっかけにSpaceChemの難しさを実感することになる。以降は、パズルを考える時間や苦痛が増えるとともに、攻略した時の達成感が大きくなっていった。
目標生成物が3種類もあり、しかも3種類とも原子が9個も必要であり、見た瞬間に難しいなと思ったステージ。
サイドストーリーであり攻略しなくてもゲーム進行が可能だったが、これまで全ステージを攻略したプライドからスキップをせずに挑むことにする。
実際にやってみたら意外と苦労せずに、目標生成物を気持ちよく出力できた。
チュートリアル的なステージで簡単にクリアできたが、クリア後にReseachNetというオマケコンテンツが解禁されるときの画面が印象的だったので、強く記憶に残っている。
その画面に表示される頓痴気(とんちき)なメッセージが面白いのだ。
あまりにも気に入ったので、こんな再現もしてしまったくらいだ。
ttps://anond.hatelabo.jp/20240211180709
ゲーム全体は問題なく日本語訳されているのに、なぜここだけヘンテコな翻訳になっているのだろうか?
ステージをクリアするのに、挫折しかけたので印象に残っている。
入力も出力もシンプルであり、ぱっと見で簡単にクリアできそうだった。
しかし、これには苦労した。
6番目の星は複雑そうに見えて意外と簡単にクリアできるステージが多かったのと比べて、このステージは真逆だ。簡単に見えて難しい。
パズルを解くためにシンボルを設置していくうちにスパゲティ状にこんがらがってしまい、これ以上ウォルドを操作できなくなってしまった。そして、リセットして最初から組みなおしたが、それでもやはりスパゲティになってしまいうまくいかなかった。
2~3日に渡って数時間は考えて、最初から組み立てることを計3回はやったがそれでもうまくいかなかった。自宅の中で何度も頭を抱えて奇声を上げた。クリアしなければ次に進むことができないので、自分の限界はここまでかと挫折しかけた。
SpaceChemはもう終わりにして他のゲームをしようかなどと思い始めたが、仕事中にこうすればスパゲティはもう少しはシンプルになるんじゃないかなぁと思いつく。
「使用シンボル数」は76で、ステージクリアのランキングではグラフのほぼ右端だった。
シンボルをこれ以上配置するスペースは無かったけど、既存のシンボルを利用してなんとか処理できたという感じだ。
クリアした瞬間に幸福感を感じたのか否かはあまり覚えていないが、ただただ解放感と安堵感に包まれたことは記憶している。
自分の限界はもう近い、おそらく次かその次か、クリアできずに詰んでしまうことだろうと思った。それでも、たとえ詰むとしてもその瞬間までは全力を尽くし攻略情報などは絶対に見ないようにしようと、自分自身に誓いを立てた。
この時の誓いを破ることなく、ゲームクリアどころか全実績解除までできたことは我ながら意外なことだった。
第一の反応装置でこれだけ多彩な入力に対応しなければならないのかと、心が折れそうになった。
反応装置が出力したものをそのまま反応装置の入力とするループ処理に、一体どんな意味があるのかと。
第一の反応装置は優雅さの全くないスパゲティ配置を奇声を上げながら作って、なんとか入力をさばくことができた。
そして第二の反応装置はループ処理の意味が全く分からないので無視したら、なんとかクリアすることができた。
今、YouTubeで『Ω-疑似エチン』のクリア動画を調べていろいろ見てみたら、やっぱりループ処理を無視していて草。
優雅さのまったくないスパゲティ配置で、2~3日ほどかけて奇声を何度も上げながらもギリギリ攻略できたステージだ。
ゴリ押し的な配置でなんとか三種類の目標生成物を作ることができたが、防衛ステージは出力タイミングがやはり重要となっている。三種類の目標生成物を作れるようになった後で、ギリギリのスペースで出力を制御する「分岐」シンボルを組み込むこともできたが、そのタイミングにも苦労した。
ただひたすら出力を繰り返すだけでは、敵に効果的なダメージを与えられずにやられてしまうので、生成物の出力をわざと止める必要があった。サイクル数がXXXXになるまで出力して、敵に攻撃が当たったら出力を止めて、次はサイクル数がXXXXになったらまた出力して…という具合にである。
そして、パイプに生成物が詰まったら反応装置内で原子が衝突してエラーになることが判明した。衝突を防ぐには最後の反応装置の出力を「sync」シンボルで制御する必要があるが、もうシンボルを配置するスペースはなかった。
赤・緑・青のそれぞれの出力順がたまたま効果的だったので、「分岐」で出力を手動で止めてパイプに生成物を詰まらせないようにすることでなんとかクリアできた。
敵の行動パターンがもう少し多彩で、出力順序やタイミングを変える必要があったら、ステージクリアそのものが詰んでいたかもしれない。
先ほどの『[防衛]選択の自由』をクリアしてへとへとになった後だったので、もう勘弁してくれと思った。そして、ステージを見た瞬間に心が折れかけた。目標生成物の種類が多くて何から手を付けていいのかわからなかったからだ。しかし、全力を尽くして詰むまではあきらめる気はなかった。
とりあえず、チラシの裏に目標生成物と必要な原料の数をメモしていくうちに理論的には可能だと確信を持つことができた。入力となる原料と出力すべき目標生成物を全て列挙して、必要な原料の個数(入力回数)を決める。その際に原料の余りは最小限になるようにして、それでも生ずる余りはVGMレーザー反応装置で消すことにする。
そんな風に手書きメモで方針を決めてからは、奇声を上げることもなく着実にメモに基づいて進めることができた。
とはいえ、全ステージの中で最もクリアに時間がかかったステージでもある。4~5日ほどに渡って10時間はかかっただろうか。
目標生成物を全て作れるようになったら、プロメテウスの操縦でさらに苦労するのかと思ったけれども、意外とすんなりクリアできた。
これが2024-03-07のSpaceChemゲームクリアであった。
「チャレンジ」を気にせずステージを進めてきたが、せっかくここまでやってきたからと思い残りもクリアした。
中でもやりがいがあったのは、反応装置の数に縛りのあるチャレンジだ。
『ただならぬ頭痛』の反応装置1個クリアは、ウォルドの動きがスパゲティになってしまい頭痛になるほど苦労した。
『止まらない落下』の反応装置2個クリアは、入力と出力のパイプ配置に悩んだが、まさかという組み合わせを思いついて思い通りにクリアできたのが楽しかった。
「チャレンジ」を全てクリアしたら全実績解除かと思ったら、ReseachNetの20個クリアと63コルビ(DLC)のクリアがまだだった。
これらはゲーム本編および「チャレンジ」に比べたらあまり楽しいものではなかった。
ReseachNetと63コルビでは、原子をテレポートさせる「量子トンネル」に、原子を分裂させる「核分裂レーザー」という本編にはないギミックが登場する。
最初のうちはやってて楽しかったが、「量子トンネル」も「核分裂レーザー」も他のギミックとの相性が悪いことに気がつく。
「核分裂レーザー」は本編に登場する「核融合レーザー」の逆の発想で生まれたものと想像する。「核融合レーザー」が「sync」や「FLIP FLOP」のシンボルと組み合わせることによってウォルド操作をシンプルに記述できるようになる一方で、「核分裂レーザー」はシンプルに操作することが難しくスパゲティになってしまうので楽しくない。
「量子トンネル」も効果的な場面は限られており、63コルビでは「量子トンネル」を使わせるために狭い領域でのウォルド操作を強いられるばかりになってしまい、あまり楽しくない。
他にも、ReseachNetの問題はただただ複雑な操作をさせるばかりになっており、見るだけでやる気をなくすような問題ばかりだったのもあって、20個クリアしてからはもうやっていない。
ゲーム本編及び「チャレンジ」の完成度は非常に高いものだと感じている。チュートリアルはしっかりしており、難易度の上昇幅も急すぎも緩すぎもしないので心地よいし、新ギミックの導入も丁寧だ。
ReseachNetと63コルビというおまけコンテンツはその犠牲となったのだろう。ゲーム本編の完成度を高めるために、ボツになったギミックやステージはおまけ扱いされたのだろう。
最終ステージまでのゲーム本編全てのクリア及び「チャレンジ」の全クリアは非常に達成感の強いものだったが、その後の全実績解除までは消化試合のような気持ちだった。
いま思い返してみても、やはり最終ステージが最も達成感のあるステージだったと思う。
なにはともあれ、全実績解除するまで楽しみつくしたわけだ。
もう当分の間パズルゲームはやりたくないが、まだやっていないパズルゲームはZachtronicsゲームを含めてたくさんある。
数週間もすれば禁断症状が始まり、またパズルゲームがやりたくなるはずだ。
音楽がアニメやゲームを通じてしかリーチしなくなったので音楽ゲームはwinwinなんだろな
ところでスクエニのゲーム「結合男子」ィ…… 化学を通してリーチする女性向けドクストのハズが、
そのまともな化学系女性からみると「真実の化学知識がつよすぎて嘘男子設定に全くノレない」が発生してるので
ドクストみて反省してほしい
60人のカーボンキャラを結合させてフラーレン隊形組め、フラーレン隊形を60個あつめるとカーボンナノチューブ陣が組めるとかなら一考するが
元素一原子ずつならべても組み合わせの楽しさがなんも発生しない O2にしろH2にしろ2人いないとできないわけで
シノアリス終了しても結合男子にいこうとはならんとおもうので本当がんばってほしいんよ
余談だがもちろんドクストもおかしいとこはあるよ
王酸で化石溶かすな。
いやでも似てないな~、
せめてCHOPSとか~、ケイ素生命体とか~~~~遷移兄弟とか~
なんかこう~~~~
雑!
発達障害かどうかってのは多分関係ない。いわゆる健常者だってそういう言動をすることはよくある。自分の欠点を、自分の意志の欠如の結果ではなく、単なる現象として説明する言説を手に入れると、人はどうしてもそれを使ってしまう。なにせ責任を取る必要がないわけだから。
意志と責任はセットの概念で、自分の意志で行ったのだからこそその責任を取らなければならない、というのがこの社会のルールになっている。でもまあそんなのフィクションなわけだ。人間はただの物理現象で、原子分子がエネルギーポテンシャルの坂道を転がった結果でしかない。とはいえ、人間は意志というフィクションを共有することで互いに関係することができている、というのも事実である。もちろん、人間は皆ただの物理現象であって自由意志なんてない、ということを合意することで回る社会というのもありうると思うが、少なくとも現状そうなっていない。個人が意志を持って行動し、その結果を何らかの形で引き受ける、そういう形で人間社会は回っている。
しかし、能力不足だったり人格の形が社会の多数派からズレていることによって、相当頑張らないとそのフィクションに乗れない人、あるいはそもそも不可能な人、というのが一定数出てくる。つまり意志と責任の物語にうまく参加できない人だ。でそういう人に対する一つの救済の道が、宿命論、つまり君は仕方なくそうなったのであって君に責任はないとする言説である。一番よく行われるのが医学化で、要するに「それは病気だ」とすることだ。これによって「患者」とされた者は責任自由ゲームから少しだけ降りることができ、心の平穏を得ることができたり、そういう形で社会に受け入れられることによってうまく生きていけるようなったりするわけだ。
問題はこのゲームからどの程度降りるのかということだ。本来はちょうど良い塩梅に降りるべきである。例えば自分の不注意に関してはADHDのせいだとしてしょうがないものとする。その一方で、自分の能力の範囲内では、意志と責任を引き受けた方が良い。というのは、ゲームに真面目に参加している他の人間と齟齬が生まれるからだ。この増田が良い例である。増田の彼女はゲームを降りすぎており、その問題に気付いていない。彼女は自分のことを「単なる自然現象だと見てくれ」と言っているのだ。自然現象と人間はうまく関係できるわけがない。だからいまの増田は自然現象をうまく操縦する人という役割になってしまっている。これが「理解のある彼くん」の正体だ。様々な理由によって、相手をただの現象だと思い、何が起こっても「雨に降られたようなものだ、仕方がない」と考えてしまう人のことをそう呼ぶのである。
だからこれから増田がしなければならないことは、彼女を人間に戻すこと、つまり可能な範囲でゲームに参加させること、ということになる。私は自由な意志によってあなたと関係したいと思っている、だからあなたも意志によってそうしてほしいと理解してもらうことである。それができないうちに彼女と結婚したのだとすれば、増田は雨の降る部屋で孤独に人生を送ることになるだろう。
追伸(2024/02/09):ふと思い至って書いた文章が想像以上に反響を呼んでいてびっくりしました。勢いで書いてしまったので重要な論点が一つ抜け落ちていて、それが一部の人を怒らせてしまったようです。お詫びします。というのは、「増田が自然現象になる」という道ももちろんあるからです。2人とも雨になったっていい。虹だって作れるかもしれない。わたしは別に「人間」が偉いとは特に思っていません。お互いにゲームから降りることによって成立する関係も存在すると思います(それはそれで困難があるでしょうが)。しかしこれを書いていたときは、「彼女と互いに人間として恋愛したい増田」の視点に立っていたので、この観点を書きそびれてしまいました。
「死んだら無になる」って誰が言いだしたんだろう、と思い調べ始めたが……思ったよりも大変だなこれ
『近代日本人の死生観』という論文……国士舘大学の講演会資料?……に以下のような記述がある
一九〇一年、死を宣告された政治思想家の中江兆民は、間近に迫った自己の死を強く意識しながら、『一年有半』、『続一年有半』を著しました。そこでは身体(駆殻)こそがすべてで、精神などというものの実在を想定する必要はない、死とともに個人の存在は終わるのだというさっぱりとした考えがけれんみなく提示されています。
へぇ~、明治のころにはもう最近の日本人がしばしば言いがちな「死んだら無になる」って考えを持った人がいたんだなあ
じゃあこの「死んだら無になる」って考えはどの時代までさかのぼることが出来るんだ?
「神」の存在は否定しても「霊魂」の存在は否定しない考え方もあるようなのだ
断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ[1]。反対語は常見(じょうけん)。
まさしく「死んだら無」の考え方
しかし、この仏教の断見という考え方が現在日本の「死んだら無」という考え方に直接つながっているわけではおそらくないだろう
こうした考え方が広がっていく背景には、近代科学が前提とする唯物論的な世界観の影響があるのは確かです。しかしまた、現世を尊ぶ儒教や神道、また霊魂の実在ということを否定する仏教の伝統が影響を及ぼしていると見ることもできます。
じゃあ唯物論について調べるか……と思ったがここで調査打ち切り
なんか唯物論の西欧での歴史をざっくり眺めてると、神の存在は否定していないように見えるんだよな……ここらへんキリスト教の知見が足りないのかもしれない
そしてなぜか途中から共産主義の話になる、わけわからんくなってしまった
キリスト教の歴史について書かれた初学者向けの本を先に読むべきかもしれない
もともと私は幕末~明治の日本人の宗教観を調べていたのだが、面白そうなテーマがあってつい脱線してしまった
2002年刊行の『死と唯物論』という本が面白そうなのだがすぐには入手できなさそうだ
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Wikipediaの「無神論の歴史」のページの記述で関係ありそうなところをピックアップしておくか
「チャールヴァーカ」の項
パーリ経典によれば、紀元前6世紀のアジタ・ケーサカンバリンが仏教徒と議論をして「身体が滅びるとともに、賢者も愚者も等しく滅する。彼らが死後も存在するということはない」といったことを既に説いている[3]。
江戸時代の日本の「浮き世」の考え方(=現世利益)ととても相性がいい
「死んだら無」とはすなわち祖先もまた無になったということになるので受け入れ難いか?
これも「死んだら無」の論理だったが先祖を敬うことは推奨する思想になっていたのが上手いところ
流行りはしなかったようだが
エピクロスは「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」という語録も残しているようだ。原子論的(唯物論的だ)な考えから導き出された思想か
西洋の啓蒙時代まではキリスト教の影響が大きすぎて無神論の考え方は全然育たなかったみたいだ
ざっと見た感じ現世利益と唯物論の合わせ技で生まれる発想みたいね
誰が言い出したんだという話からはズレるが、現代日本で「死んだら無」って言ってる人は漫画の影響とかありそうな気もする、知らんけど