はてなキーワード: 共依存とは
↓のうち5つが当てはまれば境界性人格障害(ボーダー)なんだってさ。
1.現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気も狂わんばかりの努力(注:5.の自殺行為または自傷行為は含めないこと )
→あるある
相手の望むもの推測し、望むものを提供する努力は惜しまないかも。
チャラ男じが好きな相手にはチャラく。おとなしい感じが好きな人にはおとなしく。
まぁ、あとは見捨てられるのが怖くて、無茶な仕事も受けてしまいます。
2.理想化と脱価値化との両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式
→1.の通り自己像なんて無いな。
4.自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質濫用、無謀な運転、むちゃ食い)
6.顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することはまれな強い気分変調、いらいら、または不安)
→これはある。
何をやってもむなしい。
8.不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのけんかをくり返す)
→怒りはないなぁ。何があっても虚脱感しかない。
9.一過性のストレス関連性の妄想様観念、または重篤な解離性症状
→慢性的な見捨てられ妄想があります。・・・一過性ではないな。
周り(友人・同僚・恋人)を振り回してる自覚はある。
今思えば長く続いた恋人はお互いメンヘラで正に共依存の関係だった。
お互いがお互いにもたれかかってたんだよね。
付きえば付き合うほど摩耗して、だけど自分の視界には目の前の相手しかいなくて。
仕事で時間が合わなくなったら相手は当てつけのような浮気をくりかえして結局離縁した。
それを無条件に受け入れてくれる人・環境を探してるのも実感してる。
何か相手に迷惑をかけてしまうと、それがどれだけ些細な事でも
相手にとって俺への評価が0点になると思い込んでしまう。
だから、周りからしたら感情の起伏が激しい人に見えるんだと思う。
わかってるつもりなんだけど、不安感は抑えられないんだよね。
http://anond.hatelabo.jp/20111017024535
はて、どう応えたらいいものやら、と一晩考えておりました。
現実にある問題に直面しており、その根本となっている「自己肯定感」の乏しさについて書きました。
具体的な問題について語るつもりはありません。特定されたくないですしww
ここ数ヶ月、ほぼ初対面の方に「自信なさそうだね」と言われることが数回あったので、
頭の片隅にずっと、考えるべき命題としてありました。私が感じる「生きづらさ」の原因でもあります。
私は、自分のことをメンヘラだとか、境界例だとかの、診断基準にちっとも満たないと思います。
ただ、現在凹んでいる自分を支えてくれている大きな柱が、恋人であることに気付き、
依存してしまったら彼に申し訳ないし、不健全な関係になってしまうなあ、と気をつけようとしています。
「冴えない」と書いたのは、「うちの愚妻が…」といった風な謙遜の意味です。今の恋人は、私にとって大切な尊敬できる人です。
ただ、今までの恋愛遍歴は、人に自慢できるようなものではありませんでした。依存、共依存はろくなもんじゃないです。
恋人がいる、友人がいる、という状況を以って、はてな民の皆様からは反感を買っているようです。
予想はしていましたが、嘘を書くつもりもないので、正直に書きました。
でも、程度問題に還元されたくはありません。最も苦しみ、弱い立場に置かれた人にしか、発言権はないのでしょうか。
私には私の感じる、固有の困難さがあります。分かち合える人、そうでない人、様々にいて当然だと思います。
恋人、友人、家族、趣味の世界…様々な他者からOKをもらえたとしても、
自分で自分にOKを出してあげる、その穴だけは埋めがたい人もいるのです。
「リア充」というのは、世間で認められたある種の「望ましさ」です。価値観のひとつです。
そういう価値観に染まらないぞ、と断言できる自分のことは好きです。
誰かのご指摘の通り、そういう自分に恍惚とすることもあります。
ただし、対人関係構築の不器用さから、すべてのコミュニティでうまくやっていけてるわけではありません。
自分への理想も要求水準も、すごく高いです。世間の価値や、自分への要求をすべて満たせない自分にも苛立ちます。自信が持てません。
これらは、「表面」⇔「深層」といった関係ではありません。それこそ分裂しちゃうよ。
私からすると、すべて私を構成する面です。私は、アイデンティティを多面体として捉えています。
好きな面も、嫌いな面もあります。もっと、好きな面を増やしていけたらいいのにな、というくらいの話です。
SNSで臆面もなく、恋人とのイチャイチャ写真をうpできるくらい、自信の皮が厚ければ
さぞかし生きやすいだろうな、と思います。そうなりたい、というわけではありません。そんなん恥ずかしいしww
秋の夜長に、ちょっとキャッチーに書きすぎたことを反省しつつ、
現実に起こっている問題に対処することでしか、自己肯定感は復活しないぞ!と、自分を戒めたいと思います。
「持つ者と、持たざる者」なんてキャッチーに書いたけど、ホントは多かれ少なかれ、みんな持ってるんだと思います。
自己肯定感ゼロの人は、それこそ死に至る病なので、死んでしまうか、その寸前かと思います。
私にも、自己肯定感が高い時期もあれば、低い時期もあります。今はどん底ですが。
「きっと何者にもなれない」私の人生で、自己のプライドと、どう折り合いをつけていくか、正念場です。
それと、皆さんが私について書いてくださったことは、あくまで「仮説」です。
エビデンスもなしに、私という人間を100%理解したつもりになってる方、断定的な口調で物を言う方、
自分の理解できる範疇・型に当てはめてくる方・・・には苦言をいいたい気分にもなりました。
最後に、極端な人のみが、悩みを持っているわけではありません。
上の記事が、惜しい分析をしているものの見当違いな結論を出していて、これでは元増田と似たようなタイプの人が傷ついてしまうんじゃないかと心配だったので、この記事を書く。
ちなみに自分は元増田と同じタイプだ。このタイプはアダルトチルドレンや共依存とかで調べればいっぱい出て来るだろう。決して稀なタイプではない。
自信を持つ持たないだと説明しづらいので、以下は元増田のいう「自己肯定感」をもじって「自己否定」という言葉で説明する。
*
自己を否定するということは、「否定をする自己」と「否定をされる自己」が存在するということである。
どちらも同じ自己なのだが、実際は分離したふたつの人格となっていることがある。
このことについてid:aurelianoは、これらの人格を「表」と「奥」と名付けたようだ。
「自分に自信がない」と思っていても、「自信がない」ということに「自信を持っている」というのだ。
これは、「自己否定」をしたときに、「否定をしている自分」のことは「否定していない」のと同じだ。
ここで言う「表」というのは、「自分は自信家ではない」と思っている自分。自己否定をしてしまう自分のことをいう。これは「作られた自分」であり「頭」であり「理性」であり「大脳新皮質」である。
一方で、否定されている自己が「奥」の自分だ。これは「自然体の自分」であり「心」であり「本心」であり「大脳旧皮質」である。
id:aurelianoは、これらがバラバラになることで「生きていることの実感を味わえ」ず、「もう生きてはいけない状態になってしまう」と言っている。
これは確かだろう。一般に鬱病などの精神病を引き起こす原因とも言われている。
そしてその解決法として、
自分が見栄っ張りであることを認め、素直に自分はバカだったと反省することである。そして、「自信がないなどと嘘をついてすみませんでした」と、はてなの読者と誰より自分自身に、心から謝罪することだ。
このように書いているが、これがそもそもの問題を無視した間違いなのだ。
*
そもそもなぜ「自己否定」をしなければならなかったかを考えてみよう。
人は自信が無いと生きていけないのは前述の通りであるが、自信を持てないとき、自己を肯定できないときに、自己否定を行う「表」の人格を作り出し、その「表」を肯定しようとするのだ。
自己肯定感が足りなくなればなるほど、「表」の人格を強化し、より自己否定を強めていく。
なので、自己否定を簡単に辞めようと思ってもそうはいかないのだ。
言い換えると、「自信がない」というのにはワケがあって、けっして「バカ」だからやってるのではないのである。
解決法は無理に「表」を消すことではなく、「奥」を認めていくことから始める。
「奥」の人格には本来自己肯定をする力が備わっているので、それを認知療法などを使って強めていく感じだ。
*
人間の心の歪みには、必ず何かしらの原因がある。
付き合っている人が「自己愛性人格障害」かもしれない。
先日になってようやく分かり始めた。
ここでキレるの?というところで切れ。
日常的に嘘を吐き、他人は信用できない、人を好きになったことがない。
とかそんなものばかり。
カッとなって手を出されたこともあった。
嘘もまあよく吐かれた。
自分が嘘を吐いているのに、私が嘘を吐いている!等と認めるまで罵倒された事もある。
彼は親に虐待されていたという。
私が見る限りだと多少裕福な中流家庭の子で、何不自由ない生活を過ごしたように思える。
実際、彼のお母様とお会いした時にもそういった印象を受けた。
しかし彼が言うには、自分は両親に愛されて育った記憶がないからとても憎んでいる、と。
それなのに、母親にはよく電話を入れたり、まめに実家に帰ったりもしている。
本人いわく、金があるから利用しているだけ、絞り取れるだけ絞り取って最終的には縁を切るらしい。
だけど困ったことがあれば泣きつくところはご両親のところしかないのである。
もはや笑える。
普段は優しい、自分を一番好きでいてくれると思っていた。
いずれは結婚もするであろうと思っていた。
まあそれは半年前に私が妊娠し堕胎をしろと彼に嘘を吐かれたことにより消えた訳だが。
それがわかったら少しスッキリした。
彼は病気なのかもしれない、私は見てくれに騙されていただけだ、と。
先日、彼と別れた。
まだ前に進む事は難しい。
どこかで彼を求めている事もある。
でもまあ、とりあえず頭を冷やすためにも、離れて考えてみることも大切だ。
内定蹴って一留して目指してた院試に失敗していよいよ詰んだんだが、
どうしてこんな糞野郎になったのか半生を振り返ってみる。
中学3年生の時私はいわゆる保健室登校をしていた。今考えると理由はよくわからない。
ただ、趣味がゲーム、アニメのイラストを描くことで、2chに入り浸り、
体重は60kg超えのデブ、色黒、毛深い、眉毛も整えない女は迫害されて当然だろう。
実際男子からの扱いはひどく、女子にも話しかけられず、中学時代の今でも友達と呼べる友達は2人しかいない。
よく思い出してみると、毎日家まで迎えに来てくれたり保健室に様子を見に来てくれる子もいたので、
ただの卑屈な思いこみだったんだろう。後悔している。
中学校は進学校(?)だったので3年間勉強はしていた。成績が良かったので塾は嫌いではなかった。
その間ずっと、いつか好きなだけ漫画を読みゲームをし、イラストをたくさん描く時間ができるのだろうと思っていた。
結局、保健室登校による内申の低さが祟り、第一志望の高校には入れず第二志望の公立へ行った。
高校時代は、言い方は悪いが、周囲がバカに見えること以外は楽しかった。
がコンプレックスは引きずったままだった。変わることを意識し、中学時代は無所属だったが部活に入り、化粧もした。体重はそれでもデブだが少し落ちた。
高校でも勉強は続けた。1年生の時、美大へ進学したいから予備校へ行かせてくれと親に行ったが遠まわしに却下された。
進学塾の費用は出してくれたので、そちらに精を出すことにしたのだ。畢竟、イラストはあまり描かなくなった。
共学校だったが、3年間で男子と言葉を交わした記憶は殆ど無い。
大学は、金融関係に勤めている父の影響と、単純に金持ちになりたかったので、経済学部に行きたかった。
数学は好きだができなかったのであまり勉強しなかった。そのうえ厨2病をこじらせたのか現実の人間社会に興味がわかず、
政経ではなく倫理に興味津々でセンターも倫理選択で、地理はやらなかった。
結局、途中で妥協し経済学部志望を諦め、目指していた大学の中で一番楽に入れるところを受けなんとか現役で合格した。
サークルに入った。大学の人間はさすがに素晴らしい人が多く、素晴らしすぎてついていけなかった。
「いつか時間ができたらやろうと思っていたこと」を勉強と一緒にやってきた人たちばかりだった。
絵もかけなければ楽器もできないスポーツも出来ない自分との圧倒的な違いに絶望した。まあ仕方ない。
ふてくされたわたしは、投げやりに決めた進学先に成績がからまないのをいいことに彼氏をつくって遊んでいた。
私が周囲の人間と疎遠になったところで、「悪かった、俺が間違っていた」といい自分の人間関係はそのまま。
わたしがなにか新しいことをしようとするととたんにねちねちと難癖付けてくる。
教職をとれば「教師はもっと神聖な仕事だ」就活をするといえば「女は働くもんじゃない」
じゃあ公務員試験の勉強のために予備校へ行くといえば「簡単だって親父はいってたけどな」
(彼の父は法学部出身。わたしは大学の専門がまったく試験と関係ない。)
まあそこでやる気を失うわたしも悪いのだが、初めてできた彼氏で、しかも自分のことを「好きだ」といってくれるからにはなかなか切れない。
共依存関係でずるずると引っ張り続け、4年生になり、就活も勉強もほとんどできないままほぼ大学受験の貯金で受けた試験で内定をもらった。
しかし、わたしがしたいのはそんな仕事じゃなかった。海外に長期滞在するチャンスが欲しかった。
仕事をするからには、自分の仕事を通じて社会の課題を解決したかった。
「おにぎり食べたい」と書き残して死んでいく人を放っておくような国をかえたかった。
それでわたしは専門を変えて大学院を受けることに決めた。
親に頼み込んで、留年させてもらった。これからは頑張ると決めていた。
にもかかわらず、彼と別れられなかった。他にも男性との間でトラブルを起こした。
通院することになり、紆余曲折を経て結局完全に別れたのが今年の6月。
なにかやらねばならないと思っても、もはや、頑張るということを完全に忘れていた。
勉強の仕方も、忘れていた。到達すべきレベルも、やらなければいけないことも、わからなかった。
とりあえず英語の試験の勉強をした。貯金があったので、合格者平均くらいは、とれた。
けれども、その後机の前に座ってみても増えるのはらくがきばかり。
そもそも問題意識が低いから目的を達成するための手段としての勉強に身が入らないのだろうと思い、
問題意識の根底にある原体験の不足を補うためにボランティアに参加してみることにした。
東北支援と、NPO系のもの。いかないよりはいってよかったとおもう。そこそこに感動もした。
というのは、人は変わるということを目の当たりにしたから。しかし怠惰さは残った。
よくこういう文章でみる、「ここで俺は覚醒した。狂ったように勉強した。」みたいな一文が頭にちらつくが、なぜかそうならなかった。
そうしようと思って机に12時間むかってみても、そうならない。没我という状態はついぞあらわれなかった。
それでも最後の4週間、それまでの4年間に比べれば勉強したと思う。結果は駄目だった。
能力が、ないのだとおもう。
頭の回転はそんなに悪いとは思っていない。ディスカッションの進行や即興でのプレゼンはほめられる。
でも、決定的に打たれ弱くて、入念に、継続して何かにむけて努力することがどうしてかできなくなってしまった。
意志の力の決定的な不足。親に申し訳なくて、泣いた。
これからどうすればいいのか正直わからないでいる。やりたいことはあるが、そのために学士入学したところで、仕事にありつける可能性がさらに狭まるのは必至だ。
これなら頑張れると今は思っていても、こんな経過を振り返っては、親どころか自分すら説得できない。
いっそ仕事で満足するのを諦めれば良いのかもしれない。仕事以外に人生の楽しみを見出しそれに傾注するのも幸せかもしれない。
しかし、自分の中で仕事をステータスと捉える側面が未だあって、そのせいで現在すでに、働いている友人たちと連絡が取りづらい。
おかしい。
メンヘルばかりがよってくる。
普通の人だと思ってたんだがなー。
リスカ、アムカ、ボーダー、過食嘔吐、自己愛、躁鬱、パニック、糖質等々
俺はSAD(人見知りの激しいやつ)で少し薬を飲んでいた事はあるが、それ以外はいたってまともなんだけどなぁ。
共依存の気質があると言われたが、これは長男に生まれて妹たちの世話をしていたのが原因なのだが。
「(自分たちのような)末っ子は、甘えさせてくれる人を本能で見抜ける」
といわれた事がある(そして実際よく甘えられてる)が、同じようにメンヘルに本能で何かしら見抜かれているんだろうか。
昔婚活パーティーで粘着された糖失も「見た瞬間から決めてた」とわけのわからんことを言われたし。
お嫁さん欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/20110906150347
アダルト・チルドレンの解釈で、もめてたはてなではない関係ないブログで
「アダルト・チルドレンは、大人になれない未熟な人ではなく、大人の役割を子供時代にやらされた人、です」と言う台詞があった。
けど、それを見て思った。
葛藤の最中が何にあたるのか、一般人が何を意味するのか、よくわかりませんが
親に虐待されたからと言って(元増田さんがというわけではなく一般論)人ではなくなるわけじゃなし、一般て何なんですか?
いじめられっこが寄り添うという現象は、あるかもしれないし、ないのかもしれない。けどどっちでもいいし、人の勝手だと思いますよ。寄り添いたければ寄り添えば良いのだし、他人に迷惑をかけてるわけじゃない。
あのはてな日記の書き込みの中には、あるのかないのかわからない共依存という言葉で表される状態を感じるものが、ないことはなかったと思います。
しかし、甘えにしても依存にしても、問題が無ければ問題じゃないんですよ。
甘えは、甘えてよい場面で甘えるなら問題はなく、相手が甘えてよいと言ってるのなら、甘えても特に問題は無いのではないでしょうか? 本人の規範意識や倫理観や、自分が守りたい戒律のようなものから考えたら問題だという問題はあるかもしれませんが。それは本人が考えれば良い事だから関係ないと考えますが。
もともと何の問題もないところで、何か問題であるかのように思わせられたか、思い込んでしまって、抽象的で一概に言えないような問題や、どっちでもいいような事まで、決め付けないと気が済まないみたいで
それが、普通じゃないと言えば普通じゃないとか一般じゃない事に繋がるのかとも思いますが、何を普通とは決め付けられないのが普通ですから、こっちが変ですね。
しかし、何となく読み流しても、ぎょぎょっとするようなところがあり、戸惑いを感じる。
もしかして見てるかな
まぁ、それはいいや
知りあって数年の異性と約束をした
あちらには「居てくれること、傷付けない事、受け入れる事」を
こちらは「自身を相手の一部とすること、自我を与えること、依存を受け入れること」を
こうして文字にすると、その異常がより際立つ
人に言わせれば「気持ち悪い」の一言で一蹴されるような、おそらく汚い関係
青年期におけるアイデンティティの確立と拡散の発達課題に支障が出ている
ここで躓くということは、きっと以前の発達段階に積み残しがあるんだろう
せいぜいが、基本的信頼と不信の乳幼児期だろうが
話を一般の方に帰納する
相手の存在に自分の存在意義を委ねていない人がどれだけいるだろうか
「あなたのために~~」とキャラクターに言わせれば美談になるくせに
病的とさえ言われる
その時の恋人や伴侶の必要性とは何だろうか
社会的ステータスか、生殖のための遺伝子供給装置か、共同育成者か
感情の含まれない、役割と機能のみの道具の為が自然と思うのだろうか
自立していない、人間として終わっている、理性持つ存在として堕落しきった姿勢だ
別に理性を廃せよと言いたいのではない
「否定するな」と行動の制限をしたいわけでもない
ただ単純に、誰もが発達課題をきちんと積めるわけではないと言いたい
隙間の開いたジェンガのように、まばらでふらふらと安定しない存在でも、不安になりながら生きている
積み残しを補完するには、その上に積んだものも積み直しを迫られる
それは、きっと苦痛だ
それが出来ないから、他のジェンガに寄りかかって、集まって、倒れにくくする
きっとそれは、恋人や伴侶の話に限ったことではないだろう
きっと寄りかかり合って積んでいく
隙間一つ無いジャンガなら、そんな必要もないだろうが
だから、あらゆる関係において「依存」という形容詞が適応されるだろう
きっと本来は、依存は「良悪」で判断されるべきで「善悪」で判断されるべきでは無いんだろうな
演繹する
自分と相手には、それが必要だった
大きな依存を結ぶ必要が
そうでなければ、ジャンガを全て崩す他なかったのだ
初めから積まなければいいのだ
崩してしまえば、崩れることはない
それは、自殺だ
数年前、恋人と別れた。
破局の理由は、恋人の持つ不幸を受け入れられなかったことだろうか。
とどのつまり、人生を幸せに送りたいという増田のささやかで、かつ残酷な思いが、
重い過去に引きずられた恋人を余計に苦しめたという事実だけを残したように思う。
自分の気持ちの整理と懺悔のため、自分語りのチラ裏を始めます。
親御さんは優越感に浸る手段として、息子ーーつまり彼を周囲に自慢することを選んだ。
学業成績や習い事の発表会で不備があれば、「一家の恥さらし」には
待っているはずの夕飯がなかったり、体罰が待っていたりした。
彼はそんな親元を離れるため東京の大学へ進学し、卒業後は都内に勤めた。
増田との出会いは大学時代だったが、付き合うに至ったのは卒業後。
端正な顔立ちと明るい性格は、記憶の中の彼と全くと変わりがなかった。
青春時代に秘めていた淡い気持ちをもう一度胸に、昔話やデートを重ねるうち、
付き合い始めて一年、順調な交際の中で結婚生活を妄想し始めた幸せな増田のいる一方、
彼は体調を崩し、会社を辞めた。
長い人生なんだから、しばらく心身を休めてまた働けばいい、と増田は気楽に考えていた。
ところが、日に日に体力が落ち、調子の悪い日にはベッドから起きることすら叶わなくなっていった。
彼が不安で眠れない夜には、終わりの見えない電話に付き合った。
話題が目まぐるしく変わる受話器の隣で、窓に白み始めた空を映すころ、会話はいつも途絶えた。
毎晩の電話の中で、大学時代から精神に疾病があったこと、それが親の虐待に起因していることを聞いた。
直に治るだろうから支えよう、というお気楽な増田の考えはしばらく変わらなかった。
彼の趣味そのものが仕事となったため、内定獲得に彼は文字どおり跳ねて喜んでいた。
宿直あり•変則シフト制の新しい仕事は、増田には、彼の体力的な面、
土日休みの増田とのスケジュール面で不安があり、素直に喜べなかった。
夜勤が入り始めしばらくすると、連絡は途絶えがちになった。
毎日あった連絡は、二日に一回、一週間、一ヶ月に一回となった。
夜勤での体力的な消耗と、持ち前の生真面目さで仕事に苦しんでいるんだろうと思った。
初夏の暑いある日、お馬鹿な増田は夏風邪を引く。一人暮らしで初めての40度近い発熱。
たまたま彼の休日だったから気分転換にメールを打つも、案の定、返事はなかった。
翌日、見舞いにきた同僚に感謝する一方で、突然虚しさを覚える増田がいた。
連絡が取れず心が離れつつあるところに、赤の他人からの優しさを覚えた増田からは
彼に対する情が消えていったのだ。
同時に、少し苦痛でもあった彼との電話が取れないことに不満を抱いたことに、
やはり会うこともままならなかったため、別れ話はメールで終わった。
別れたい旨を告げると、数日後、あっさり了承の知らせが返ってきた。
彼を見捨ててしまった感がある増田には、別れてからしばらく経ったいまもトゲが残っている。
彼との交際において、どのような選択をすれば後悔せずにすんだのだろうか、
仕事で大変な時期にストレスを与えてしまい、仕事に支障はなかったのか、
自分と付き合っている間、彼はつかの間の幸せを感じられたのだろうか、
恋が冷める前に、彼のいる東京で職を見つければよかったのだろうか、
増田が見捨ててしまった彼には、これから幸せな人生が待っているんだろうか。
心の片隅にある答えの出ない問いと罪悪感がいつ消えるとも知らず、
父親は通常、こういう母娘関係の場合、影が薄いよね。私の場合は違うけど。
父親はいない。死別でも離別でもない。世間的には十二分に面倒みてもらった。
私には2人兄がいる。父親の先妻さんの子で、母は兄たちが5歳と3歳のときに「女手が無いと家が回らない」という理由で嫁に来た。1年後に妊娠し「子どもの面倒をみさせるために結婚してやったのに、自分の子どもを産みたいなんて図々しい」と祖父に堕胎させられた。その後、母は流産を重ね、私は5人目の子どもだ。
祖父と父にとって「女」というのは、いいように使った挙げ句に、ボロボロにしても良い存在なのだ。先妻さんも妹(私から見れば叔母ね)さんも、それで死んだ。今でもそうだ。多少なりとも介護に通じている人に、今の私の生活を話すと「ぶっ倒れる前に、他人を雇うなり、施設に入れるなりしたほうがいいよ」と言われる状態だが、私を使えばお金を使う必要がないという理由で、私の拘束時間は週168時間中、128時間ある。両親の健康状態からいって、長くても3年の辛抱だと思って粘ってる。
逃げないのは、やはり共依存関係だからなんだろうなあと思ってるよ。大事な金づるだから、ご機嫌とっておかなくてはならないしね。
元増田の場合、「自分の都合が悪ければメールの返信もしない」んだそうだから、ストーカーのように「寄るな」と言っているのにまとわりついてくるわけではない。単に回りの人間(息子も含めて、ね)が「不幸な私」を演出するための道具にしか過ぎない人間ということでしかない。そういう人間は大勢いる。そういう母親も大勢いる。見分けるのは簡単。一緒に出掛けたときに、大事にしている物と自分、両方に熱湯がかかるようにしてみればいい。「愛情のある母親」なら、「息子が火傷していないかどうか」を心配する。「自分だけが可愛いクズ」なら「物が壊れなかったか」のほうを心配する。(俺はハンドバッグ以下か?)と通常息子は激怒するもんだ。諦観を持っていると(やっぱり、こいつは母親じゃなかった)と思う。
残念ながら、子どもを産んだだけでは、女は「母親」になれない。私の母親は私の立場に立ってものを言ったことが、ただの一度もない。どのような場合でも「あんたが悪い」と言って叩いた。相手のほうを叩く場合でも「私の気に入らないことをしたから」であって、私が正しいからではなかった。父親のおかげで裕福な生活をしているのに、何かというと「私はこんなに不幸」という話をして、隣近所から嫌われている。そういうモノの考え方しか出来ないことは確かに不幸だが、他人には理解出来ないだろうと思う。
私は現在、両親を介護中だ。この間、母にぶたれた。私は父親と出来てるんだそうだ。もちろん、事実無根だ。おかげでようやく諦めることが出来た。「私には母親はいない。生まれ落ちたその日からいない。この女は私を痛めつけるだけの存在で、決して母親ではない」と。
まともな母親を持っている人には理解してもらえないんだ。誰でも「母親」というと自分の母親を思い浮かべるからね。「厳しく怒られたけど、根底には愛情があった。だから、あなたの母親だって『愛』があるに違いない」と何の根拠もなく言ってくるんだよね。私は両親に可愛がられて育った人間が大嫌いだ。
初めて付き合った彼女との話。
そこまで行く過程(中学時代)に青臭い馴れ初め的なものもあるけど割愛。
それぞれ男子校女子校だったこと。携帯を持たせてもらったばっかりだったこと
この辺が相まってどっぷり浸かった
俺の方も悪い気はしなかったし独占欲が強いガキだったので
ずっと携帯握りしめてる高校時代だった覚えがある
「こいつ以外の彼女はいないし、こいつと別れたら俺はダメだ」と信じてた
今考えれば本当にバカなガキだ
それでも男子高校生なので性欲は強くてセックスはしたくてたまらないのだが、
前述のとおり彼女がすべてだったので、そういうことには慎重に慎重を重ねた
キスをしたのは高1の夏
舌を絡めたのは高1の冬
服の上から胸を触ったのが高2の夏とかそんな感じだったと思う。
結局、高校卒業直前に別れるまでにオーラルでちょっとはしたのが数回、挿入はしていない
これをどう捉えるかは人それぞれだとは思うが
突き詰めれば彼女に振られたくないだけだったはずだけど
「それだけ彼女を大事に思ってるってことだ」とか自分に言い聞かせて純愛を気取っていたわけだ
彼女の気持ちを無視してるような書き方になったが
誠意を持った付き合い方をしてたし、触ったりすることを拒まれたことはない
要は俺が勝手に我慢していた。
人間、目先の人参を我慢するにはそれなりの見返りが必要なもので
これだけ我慢したんだから
そんな感じで高3の秋頃まで付き合い続けるのだが
(高校生活を一途に捧げたんだから大学行ったらryみたいな気持ちもなかったとは言わない)
俺が一方的に振られてしまう
些細なことで火がついて売り言葉に買い言葉。大喧嘩に発展といった感じ
セックスは直接的にはまったく関係なかった
ただその振り方が酷かった。
俺は前述のように大学行っても付き合い続けることに執着してたので
諦めさせるにはそれしかなかったんだろう。
言いたいこと全部ぶちまけた後で着信やメールをすべて拒否。
2-3ヶ月音信不通。やっと電話が繋がったのは2学期の終業式。
自分が進路決定したこと(推薦?)ともう付き合う気はないことを
さらっと軽いノリで言われた。
俺は絶望的な気持ちでクリスマス・正月を経てセンター試験を迎えた
その後、大学受験は失敗した。
それまで割とコミュ力はあったのに、予備校通って人嫌いになった。
ただ、あんなに我慢して尽くした相手に徹底的に振られて
「こんなに我慢したのに…」が独りよがりだったことも
そこまで彼女に執着せずに、いくらでも恋愛できたということは頭では理解している
というか片手の指じゃ足らないくらいの年数が経って
ようやく頭では理解できるようになってきた
でも、まだ正直者がバカを見たような感覚は抜けない
処女厨論議の中でよく
みたいな理想を言う奴がいるけど、あのとき屁理屈こねずにセックスしてたら
まさにそのシチュエーションだったと思う
あの時の自分に「いいからやっちまえ」ってホントに言ってやりたい
逃した魚が大きかったからか
あと元カノにこだわってウジウジしてるのも嫌で
とりあえず軽い気持ちでセックスしちゃえば前進できる気がした。
そういうわけで某サイトで若い子口説いた
割と本気で惚れられちゃって付き合った。セックスもした。
でも可愛くなかったからかイケなかった
こんなことしても虚しいわと思う反面
自分がされた恨みを仕返しできた感じがしてスッキリした気持ちもあった
もう一人の俺を作り出したかもしれない。ごめんね
そろそろ、重すぎもなく軽すぎもない普通の楽しい恋愛したいんだけど
学歴コンプも患っちゃったから恋愛してる場合でもなかったりする
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追記
http://anond.hatelabo.jp/20110627193036
素人が手を出してどうなることも出来ない。
彼女を助けることで、恩人になりたいだとか、それを自分の喜びにしたいとか思ってはいないか?
救いたいと支配したいは紙一重。
救いたいなら、支配するつもりで奪いとれ。
でもそれができたところでDV加害者か共依存廃人の出来上がり。
もちろんあなたにはそれが出来やしないわけで、メンヘラの常識を外れた行動に、あなたのメンタルヘルスがやられるだけ。
第二に、mixiやtwitterから得た情報はそれ以上は書かないほうがいいと思う。
ソーシャルネットワークというのは、情報がクローズドというお互いの信頼で出来てるわけだろ?
今書いてるのはけっこうギリギリのラインのような気がする。
医者とかがよく言ってる共依存は下でも誰かが書いていたけど、病人同士が共鳴し合ってお互いの症状を余計悪化させてしまうとか、かたっぽが依存症でそれに付き添ってた人までもが共鳴して依存症になってしまうとか、そういう意味だと思うが。一般的に用いられる言葉ではないから、お互いが病んでいなければ共依存なんて言葉はそもそも出てこないし当てはまらない。ただ求め合ってる同士とかではない。
うん多いと思う。
でも共依存っぽい関係のひとたちのうち過労死とかしちゃうのって一部だよねたぶん。
他は多少メンヘラっぽかったりしても普通に天寿全うすると思うんだよね。
で、逆に共依存じゃない関係ってどんななの?
http://anond.hatelabo.jp/20110514145245
簡単に言うと「依存症患者の側にいて、依存症を冗長させる存在」なんだ。
例えば「アルコール依存症患者」がいる。その患者を「治療しようと頑張ることに依存する人」が共依存の人。本人は「治療しよう」と頑張ってるんで、実は自分が、その患者の症状の改善の邪魔になっているとは気がつかない。指摘されてもわからない。お酒を飲むことを責めることで、結果的に相手がアルコールに逃げ込む心理を作る。
これ、何にでもあてはまる。「仕事中毒」なんかは、社会的には「良いこと」だから、だーれも問題視しないけど、1日16時間仕事することを自慢する奴って、やっぱり依存症。そういう男の妻が専業主婦で「あなたが、立派にお仕事してくださるから生活していけます。ありがとうございます」と三つ指ついて、日常生活の世話をしていたら、ごくごく普通の「日本の家庭」だけど、その妻は共依存。そして、男が過労死するまで、2人とも依存し続けるというわけだ。