はてなキーワード: ドイツ人とは
「ヒトラーが現代に転生したら。(Er ist wieder da)」とか、「ワイはヒトラーの守護天使やった。(Ich war Hitlers Schutzengel)」みたいな、
ヒトラーを題材にした架空の展開の話が発表できるようになったのが、ここ15年くらいのくらいのことなのね。
2000年以前は、ヒトラーは悪、ドイツ人は加害者。という立場でしか書けなかったけど、
2000年以降は、戦争を知らない作家、つまり、親からヒトラーや戦争の話しを聞いただけの世代がでてきて
ようやく、ヒトラーは悪、ドイツ人は加害者だけど同時に被害者。という立場で作品が書けるようになり、
少しずつ、エンタメ的にヒトラーを題材で使える雰囲気になってはいる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR8443X7R7XUCVL037.html
id:paracletus それより「連合軍も悪いことをした」について、そろそろ語られるべきかなあと思う。
id:CocoA ただしぃ~、原爆による無差別大量殺人の肯定はいいで~す
id:technocutzero 欧州全体でロマを排斥、殺害してたことも教えないとダメだワン ソ連のホロコーストも全く語られないしな WW2後の世界が枢軸を悪とすることで成立させてる世界観だからそうなってるだけで純粋な歴史の話じゃない
id:toratsugumi むきになってナチを完全否定する勢力は、国家社会主義ドイツ労働者党とショッカーの区別がついてないんじゃないのか。ソビエト連邦共産党やカンプチア共産党、朝鮮労働党だって、内政面で良いことも少しはしてるぞ?
id:mutinomuti 誰に対して?(´・_・`)欧米の優越的地位の確立は植民地と奴隷制度による搾取によって加速されたわけだけど、そういう話?
id:eotitg 未だにナチスのユダヤ虐殺ばかり言うのが健常主義で、ユダヤ以前に障害者ガス室送りにしたのがT4作戦。T4作戦を都合が悪そうに沈黙してきたユダヤの障害者差別と、白人だって差別と強調のユダヤは批判されるべきでは
はいドーン。また新しいアホがあぶりだされましたね。同書内で言及されてるwhataboutismそのまんまです。そういう無駄な相対化で本題を誤魔化そうとする阿呆な態度を取ることの弊害が散々言及されてます。文章を読めないアホに限ってこういう無駄にメタを気取ってアホをさらしてしまうわけですね。いいサンプルです。
id:nt46 ナチスは何も良いことはしなかった、とは書けないから分析に走るのでは。
id:mr_yamada 「良いこともした」論者がアホなのはわかるが、学者が研究対象に「肯定できるところはない」としてしまうとスタンスとしては、同じレベルに落ちてしまいますよ。ナチスを雑に全否定することの危うさこそ心配。
はいアホー。「何も良いことはしなかった」なんてこの本では書いてませんし全否定本でもありませーん。
id:flowing_chocolate 良い悪いではなく、何をやったかで語ってほしい。
はいアホー。何をやったかを書いてる本です。この本では歴史学における検証方法を「事実」「解釈」「意見」の3段階にわけることを検証してます。それが歴史学的にメジャーな方法かはしりません。そもそも歴史学において「なにをやったか」を語ることは極めて不十分、そもそも客観的な歴史など存在しないことを示してます。間抜け。雑にマウント取ろうとするアホの見本。
mazmot 「良い」とか「悪い」という定義不能な価値観を歴史研究に持ち込むことの危うさをもうちょっと強調したほうがええんちゃうやろか。
id:by-king まずそもそも『良いこと』って定義はなんなんだろうね。そんな簡単に一義的に決まるものなの?単なる誰かの価値観でしかなくないか。
はい出た出た「歴史研究に善悪を持ち込むな」派。お前歴史研究まともに触れたことないだろ? historyとstoryの語源は同じstoriaって高校世界史の最初の授業で教えられることじゃない? そもそも歴史において価値判断を持ち込まないなんてことはありえないんですよ。
id:lochtext 無料部分では『善悪を持ち込まないのは不可能』って言ってるだけで、積極的に持ち込むのはやっぱり不適切なのでは?
これもおもしろい視点のように見えますが、率直に質問します。「ナチスドイツはユダヤ人を500万人殺しました」という歴史的事実に対して「善し悪し」を持ち込むのは不適切だと思いますか? そもそも社会科学・人文科学において「主観を含まない客観的な判断」なんてものは存在しないんですよ。社会科学・人文科学を学ぶ上でそんなことは初歩の初歩の初歩です。いわゆる理系にありがちな誤謬ですね。
これは悪くない視点ですね。物事って「良いこと」「悪いこと」以外に「良いとも悪いとも言いがたい領域」ってたくさんあるんですよね。
この本の中で散々言われてることは「良いことと主張されることが『悪いこと』と結びついている場合、それは『良いこと』と言っていいのか?」という問題意識です。一例を挙げます。困窮した国民に政府が住居を提供しました。ヤッター!良いことのように見えますね? でも実はその住居はそこに住んでた在日コリアンを無理やり追い出して北海道に強制移住させたことで獲得されたものです。さて、それは「良いこと」ですか?
石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』において示されてること、それは「ナチスとはヒトラーの意向を実現する為の国家機関である」「ヒトラーはユダヤを本気で絶滅させようとしていた」という事実です。ナチスドイツが国民共同体を至上とした結果ユダヤ人500万人を殺害したという事実は、ナチスドイツの様々な政策と綿密に結びついてしまいます。ナチスの福祉政策はユダヤ人や性的マイノリティを排除していました。「ドイツ人」とみなされない人間は人間扱いされないんですね。「ドイツ国内に住んでる人はユダヤ人も性的マイノリティも全員まとめて面倒みたるわい!」みたいな福祉政策ではなかったんですね。さて、それは「良いこと」ですか?
id:gui1 ナチが絶対悪なのは前提ですが。政権は国民の生活の向上の施策をうつのが通常です。どんな政権でもそうです。悪のナチスでもそうです。国民をいじめ抜いた悪夢の民主党政権のような特異例は少ないです(´・ω・`)
なのでこの意見も同様に否定されるわけです、「国民の生活を向上します、そのためにユダヤは排除しますしなんなら絶滅させます」。そのような施策は「良いこと」ですか?
id:colonoe わざわざ買って読む気はないので、環境保護や禁煙政策を「良いこと」ではないと書いてるのかどうか教えてほしい
こういうアホは目次すら調べようとしない知的に怠惰な人間です。環境保護の保護範囲は限定的だったし戦争進むにつれて疎かになったって言ってます。禁煙政策も女性を除いて効果がなかったよねということを示してます。
その上でこれへの返答を最後に持ってきたのは、実はこれは「良いことかもしれない事実」に結びついてるからです。本書の中で唯一「良いこと」の可能性が示されてるのがこの「禁煙政策は女性の癌患者を減らした」というところです。そもそも「良いことが全くなかった」ということを示してる本ではないんですよ。ナチスドイツの政策を学術的に検証してきた歴史学の積み重ねの中で、ナチスドイツの政策で褒められるところがなかったっていう研究結果が出ているという話。これは田尾大輔や小野寺拓也がそう主張してるわけじゃない。他の研究者たちが積み重ねてきた、巨人の肩に乗った結果の「歴史学的に一般的な結論」が「良いこと」とされることをほぼ否定している。田野大輔・小野寺拓也だけが主張してるのではなく、先行研究が効果の有無を実証していることをただまとめただけ。そういうことを知らずに雑語りしてるお前らはマージでね、お前ら全員アホ。アホが雁首揃えてアホを晒してるので爆笑です。
なお、その「女性の癌患者が減った」という政策には家父長制的な「女性は家庭で子供を産め」という思想が根底にあったという指摘がある。女性は子供を産むことが推奨されていて、その結果としての健康政策なわけだ。そういった価値観のもとでおこなわれた政策は「良いこと」なのか? という問いを本書では投げかけてますよ。
それはそうと、この本は完全無欠な本だとは思ってない。この本を批判する素地は1つだけあると思ってる。それは「ナチス研究はナチス/ヒトラーを過小評価しようとするバイアスが全体的に存在する」という批判だ。ただ、これまでナチスドイツに真面目に向き合ってきた何百人もの学者が積み重ねてきた智の結晶をバイアスとして切り捨てるのは相当ハイレベルな研究が必要かと思うので、増田はそう主張するつもりはない。
原爆を悪の兵器だと考えているのは日本人とドイツ人くらいではないか。それくらい珍しい。
「原爆のおかげで第2次世界大戦を早期終結し被害を最小に防げた」と習うだろう
日米の原爆に対する反応の違いは教育の結果であるということは意識した方が良いと思う
アメリカ・イギリス・ロシア・フランス・中国のみが保持して良い。他の国は禁止するという立場。
ただしちょっと複雑なのは、日本国としては核拡散防止条約に批准しているのである。
国としては核不拡散、国民一人一人の思想としては反核という少し不思議な国なのだ。
一方、現在のアメリカの立場として核兵器の放棄ができないというのはなんとなく感じるところだと思う。
アメリカが国民に反核教育を施すことはこれからもおそらくないだろう。
米ソ冷戦時代には日本の核武装も盛んに議論されていた。世論が一気に反核に傾いたきっかけは第五福竜丸事件である。
1954年、ビキニ環礁でアメリカ軍により行われた水爆実験に巻き込まれ被爆した。
シンゴジラでは役人達の群像劇だったが初代ゴジラは研究者達による群像劇である。
水爆実験で生み出されたゴジラが街を破壊し始める。そこに三人の研究者が登場する。
上の二つは 核武装、原子力発電 のことである。三つ目は当時原子力委員を務めていた湯川秀樹の主張である。原子力発電を輸入する前に基礎研究を進め理解することを訴えたが受け入れられずに辞任した。以降湯川は反核運動を率いた。
初代ゴジラの主人公もまた研究者である。ゴジラを倒す兵器オキシジェンデストロイヤーを開発するが、それを公表すべきか苦悩する。使えばゴジラを倒せる。でも戦争で新たな犠牲者を生むかもしれない。
主人公はオキシジェンデストロイヤーを使いゴジラを倒した後、ゴジラと共に海に沈んだ。自らの命を断ち兵器の秘密を守ったのである。
以上が初代ゴジラのあらすじだ。当時の世相、そして原爆を生み出した核理論屋の苦悩を色濃く映し出している。
日本のアニメ・漫画・ゲーム等のコンテンツには悪の兵器として核兵器が登場することがしばしばある。
例えばメタルギアシリーズ。
メタルギアシリーズでは悪の兵器として核搭載二足歩行ロボが登場する。
初代の時点では特に他意なく、悪役の持つ最悪な兵器といえば核兵器、という日本のアニメでは特にめずらしくもない設定であったと思う。
ところがメタルギア・ソリッドが米国で大ヒットしたことで「アメリカの若者に反核思想を植え付けている」と批判の声が上がった。
小嶋監督がこの反応をどう受け止めたかわからないが、MGS2 以降ごそっと反核をテーマにした作品になった。
アニメやゲームが反核思想を広めるというのは興味深い動きだと思う
取り留めもなくなってしまいましたが
マンハッタン計画で原爆製造に関わった研究者を描く「オッペンハイマー」とバービー人形の実写ハリウッド映画である「バービー」が同日公開されることとなり、
これを知った人々により、オッペンハイマーやバービーを演じた役者をコラボさせた「Barbenheimer」というミームが生まれた(本記事でネタバレはありません)。
原爆のキノコ雲を背景にバービーが笑顔で写るミームや、ピンク色のキノコ雲のミームが投稿されて話題になると米国のバービー映画公式Xアカウントが反応した。
この動きは瞬く間に日本人の視界に入ることとなり、Xでは「広島や長崎の原爆投下に対する配慮がない」「ミームに対して公式が触れること自体不適切」
「9.11のミームを作って何を思うか問いたい」など批判が巻き起こる事態となった。騒ぎからまもなく、バービーの日本公式Xアカウントは謝罪した上で、
どのミームも明らかに、全く異なるジャンルの映画が同日公開されることを揶揄した内容だった。そこに「広島」や「長崎」というキーワードはなかったし、
原爆によって失われた命を揶揄する表現もなかった。(「原爆のキノコ雲を背景に半分骨になったバービーが笑顔で佇んでいる」というような画像があったとしたら、
それは初めて原爆投下によって被害を受けた人たちを揶揄するミームと認識して差し支えなかっただろう)
それにも関わらず、過剰な批判をしているXアカウントには違和感があった。特に「9.11のミームを作って何を思うか問いたい」といった批判は、Barbenheimerよりも明らかに攻撃的なミームを作ろうとする姿勢だった。
米国のインターネット、Redditや4chといった掲示板から生まれるネットミームは、そもそも高尚な文化ではない。「フェアユース」を拡大解釈して自由気ままに著作権コンテンツを面白おかしく改変して投稿する文化だ。
著作権や肖像権どころか、人権の配慮がそもそも存在していない。面白い事象、キーワード、画像であれば、ルールは存在しない。面白ければすべてよしだ。まともな人間ならミームに触れることすら避けたほうがよいレベルだ。
(日本でたとえると「淫夢語録」やそれから派生したコンテンツ全般が該当するだろう)
にも関わらず、「広島や長崎への配慮が足りていないミームを作る米国人の原爆に対する知識はこんなもんか」といった批判や「歴史的過去から振り返ると不適当だ」という批判が繰り返された。
これらはナンセンスだ。ネットミームはそういうものなのであり、誰にも伝わらない批判だ。「ナンセンス?いや、そんなネットミームをやるなよ」と感じるのも自然ではある。
だが、米国インターネットにおける一つの文化だから、Xにいる少数の日本人がそう考えたとしても消え失せることはないのだ。
一連のミームを見て批判した人たちが感じた苦しみや悲しみは本物だったかもしれない。だが、もう少し、ネットミームの作成者が何をどこまで考えて作っているのか、
考えを馳せてみてもよかったのではないだろうか。またすでにバービーの公式アカウントが謝罪しているし、これ以上拳を振り上げ続けることは、誰のためにもならないだろう。
そして今回のケースでは、戦争を善悪二元論に基づいて批判を展開していたケースが多いのも印象的だった。原爆投下被害を受けた日本が、米国側の民間人大量殺戮を批判する「善」であり、
原爆投下した米国を「悪」を前提としてミームを批判しているように感じられた。視点を変えれば、日本軍の侵略行為を止められた原爆は「善」であり、民間人の犠牲も厭わず防衛戦争を繰り返した
日本軍を「悪」という視点をもとに賛同したり批判したりすることもできるだろう。またこの単純な善悪二元論に基づけば、奇襲攻撃をかけた真珠湾の戦いは明らかに日本側が「悪」であり、
米国側は奇襲攻撃を批判する「善」に当たる。中国や韓国など東南アジア諸国で日本軍が起こしたことは大局的には「善」だったのかもしれないが、被害を受けた人、家族を失った人から見れば「悪」である。
では、沖縄本土での総力戦は誰にとっての「善」で、誰にとっての「悪」だったのか? 枚挙にいとまがないが、そもそも戦争において起きた事象をこうした単純な善悪二元論で評価し、
それに基づいた姿勢で批判するのは問題だと感じた。「勝てば官軍負ければ賊軍」の精神そのものだ。敗戦を経て学んだのは、極端な善悪二元論が罪もない人々や、日本軍兵士の犠牲を増やしたことではなかったのか。
ミームを賛同したり批判したりする人たちは、原爆製造に関わったドイツ人のオッペンハイマーを「善」あるいは「悪」のどちらで見るのだろうか。
太平洋戦争を起こした日本という当事国に住んでいるのにも関わらず戦争の歴史を「善」と「悪」でしか見られない人が増えたのだなと残念に思った。
アメリカの要職にはユダヤ人が大量に就いている。政府も産業界もアカデミアもユダヤ人だらけである。ユダヤ人に支配されているからこそ反ナチスの感情はとても高い。ホロコーストはユダヤ人を虐殺した歴史の汚点であると誰もが知っている。ユダヤ人が金融を牛耳っているせいで当時のドイツ人が苦しかったんだからしょうがないだろうとは口が裂けても言えない。
それに比べて原爆はどうだ。アメリカの要職に日本人がたくさんいないからなのか戦勝国故の美化なのか原爆は必要悪であったとするアメリカ人は未だに多い。ホロコーストとやっていることは何ら変わらない。大量の市民を一度に殺したという点で全く同じである。