はてなキーワード: ソーシャルゲームとは
抄録 :
楓と恭二は没キャラを流用したのではと前から思っていたが、アイマス新説祭に投稿するためにアイマス2の没データにこじつけたところ、思ったより尤もらしくなってしまった。こわい
「抄録をつけろ」「500字の要旨にまとめろ」と言われたので頑張った
背景:
高垣楓と鷹城恭二はオッドアイの配色、ほくろの位置が一致している。この要素が完全に一致することは極めて低確率である。 他コンテンツも含めると、この特徴が一致するキャラクターは3名ほどだった。そして、両者の目のデザインが酷似している理由は未だ言及されていない。
買い切り型ゲームが主流の時代は、アイドルの初期案や別案、没キャラからの復活採用といった由来や裏話を公開していた。 しかし、ソーシャルゲームによる展開を主軸とした影響か、キャラクターデザインの根幹に関わる話を聞く機会は少なくなった。 また、アイドルマスターは没となったアイドル案を別の機会に復活させるなどナンバリング、シリーズを跨いだアイデアの受け渡しが盛んな印象がある。
目的:
このアイマス新説では、「高垣楓、鷹城恭二のルーツとなるキャラが存在し、そのキャラはTHE IDOLM@STER2 (以下 アイマス2)の没キャラの1案」という仮説を立てている。 しかし、一介のユーザーでは全ての没案にアクセスすることはできない。
よって今回は、現時点で判明している没キャラとの関係性を検証することを目的としている。
方法:
そして、その6項目それぞれで、アイマス2の没キャラ3名の特徴と一致しているのか判断した。この没キャラ3名は「ジュリア」「北上麗花」「周防桃子のもととなったキャラ」である。
結果:
ジュリアは6項目のうち5項目が一致するという結果が得られた。
また、限定的ではあるが、桃子のもととなったキャラに関しても、楓との関係性が見られた。
麗花については、2時代の情報が乏しく、ミリオン以降の設定と大きく異なるため、比較に至らなかった。
(もちろん、これは研究ではなくアイマス新説なので、客観性や信頼性についてはお察し)
高垣楓、鷹城恭二、アイマス2の没アイドル達は共通点が無いとも言えないことがわかった。特にアイマス2で一番開発が進んでいたジュリアとの共通点が多くみられた。
結語:まとめに該当し、全体の要約
まだ観測されていない没案も含む「アイマス2の新キャラクター案」という総体から、レイジュリモモの3人、特にジュリアが生まれ、
同時に「高垣楓・鷹城恭二の元となるキャラクター」も生まれたのちに没になっていたのではという説を提唱した。
今回の3人との比較検証の結果、まだ確実にそうとは言えないが、可能性は消えていないことがわかった。
引き続き閲覧可能な資料から検証を進め、いつか公式から正解が出た際には一喜一憂したいと考えている。
今後の課題:
・有志のPが作成した「各事務所の台詞データベースから、入力した台詞が特定のアイドルの喋り方と一致するか」を判別するシステムを活用し、
ジュリアと恭二の喋り方の類似度を数値化する。そして、他アイドルとの類似度と比較する。
・オッドアイ・髪の色について、カラーピッカーを用いた数値による検証を行う。これは各作品の世界観に基づいた色味を考慮する必要があると考える。
・アイマス2の新キャラクターかつ採用案であるJupiterとの関係性を検証する。
今回のアイマス新説では、アイマス2の961所属ライバルと765所属新アイドルは最初から別軸で開発されていたという説を採用しているが、再度検討する必要があると考える。
筆者はあまり支持していないが、数年前に冬馬・ジュリア分離体説が提唱されていたことがある。 現在は風化してしまったそちらの説も、あらためて検証する必要があると考えている。
・キャラクターデザインだけでなく、各作品内でのアイドルの立ち位置の観点からも共通点を探る。楓、恭二に関しては最初期から高レアリティ・高稼働であるという筆者の仮説を客観的に検証したい。
ソーシャルゲーム版アイドルマスターSideM(通称モバエム)のサービス縮小(実質更新停止)のお知らせが9月1日に発表された
悲しむ人、寂しがる人、もうひとつのSideMのアプリであるサイスタに怒りをぶつける人など様々な人がいたが、自分がモバエムに感じた感情は『怒り』だった。
ハッキリ言ってモバエムにおいて担当ユニットの扱いはいいとは絶対に言えなかった。
ゲーム性もあまりにも古くイベントガチャは有償しか存在しないというあまりにも時代に逆行したゲームだったモバエムにおいて、最大の長所は長年かけて積み上げてきたストーリーにあると思う。
実際ここ近年はアイドル個人にフィーチャーした話も増えていたし、ユニット間の関係の変化を丁寧に描いていたところも好きだった。
しかし自分の好きなユニットはその恩恵を受けることがあまりにも少なかった。
モバエムで1番ストーリが長いイベントは俗に言うマラソンイベと呼ばれるもので、主にドラマや映画などの演技の仕事の時に開催されることが多かった。
全25話で構成されているため全8話や全10話のイベントに比べても情報量も多かったし、ストーリーが面白いことも多かった。
しかし、自分の好きなユニットがマラソンイベをユニット単位でもらったのはアニバーサリーイベを除けば2019年2月上旬の節分イベントが最後だった上にもう1組側が掘り下げのターンだったと思う。
もちろん他の形式のイベントでも面白いストーリーだったなら良かった。
しかし肝心のストーリーもライブや撮影のアイディアを偶然思いつく→実践して成功するというワンパターンなストーリが明らかに多い時期があり、
正直サイスタよりモバエムの方がストーリーが面白いって言葉を聞く度に「面白いストーリーをもらえていればそうだろうね」と荒んだ気持ちになることも多かった。
それでも、掘り下げるための伏線自体は張られているように思えていたから他のユニットが演技の面白いイベントやアイドルの核心に触れるようなイベントに参加しているのを羨ましく思いながらも、いつか自分の好きなユニットも、コラボでもアニバでもないマラソンイベントが来るはずだと信じて待っていた。
他のユニットの演技イベントが投票企画でフルボイスになってる中投票できる候補の作品さえ作ってもらえなかったのに。
モバエム以外の媒体では正直かなり優遇されている側だと思っているし贅沢だと思われるかもしれない。
でもSideMの軸となるゲームで掘り下げがないということは他の媒体でもゲーム以上の掘り下げができないということではないのか?
長い年月を掛けてアイドルの掘り下げをするのは実在性を高めるのにいいとして掘り下げられなかったら意味が無いのではないか?
そんな中途半端な状態で突然更新を停止するなんて無責任にも程があることをしたのは他ならぬモバエムなのに、サイスタにもたくさんの問題があることをいいことに責任を押しつける人たちが納得できない。
だからといってモバエムを嫌いになるわけでもSideMが嫌いになるわけでもなくて、飲み込めなかった感情をただ吐き出したかっただけなのだ。
ニートと言えども無産なわけでなく、常日頃からオナニーを実践し一番気持ちいい方法を研究してきた。
その成果として、本当に気持ちいいオナニーの仕方を着想したので報告する。
ぜひお試しあれ。
知らない人もいるかと思うので、まずフルグラTシャツについて簡単に説明しよう。
フルグラ(フルグラフィックの略)Tシャツとは、Tシャツ全面にキャラクターの絵をあしらったものだ。
描いてあるキャラクターは某ネズミなどメジャーなものから萌えキャラまでいろいろある。
しかしここではソーシャルゲームや深夜アニメのヒロインが描かれたものを推したい。
(気になった人がいたら、二次元コスパなどで売っているので探してみてほしい)
で、タイトルの通りこれを着てオナニーするんだがこれがすごく気持ちいい。
大好きなあの娘に自分のアソコを見られている…。
大好きなあの娘を後ろから責めている…。
こんなことを考えながらシていると、出る量も半端ない。
もちろん下着も女物。ウィッグ・メイクはできる人がやればいいと思う。
自分は男なのに女物を着るという背徳感がますます興奮させる(そんな法律なんてないのにね)。
スカートで自分のアソコをなでるとマジで気持ちいい。ぜひやってみてほしい。
レズでもいい、彼氏にヤられるのでもいい。好きなシチュエーションを考えてみると最高だ。
個人的には女子高生の制服が最高だった。なんちゃって制服という、本物と同じ生地で作った制服風のファッションだ。
ウィッグ・メイクの件については「女装サロン」を利用するとよい。
女装サロンとは、大体1.5-5万円ほど(店により大きく異なる)でフルメイク・ウィッグ貸し出しで女装させてくれるところだ。
(大都市圏にしかなく、基本的に完全予約制なので行きたい人は注意してほしい)
余談だが、私はその時普段はできないがやってみたかったことを想いっきりしてみた。
具体的にはその恰好で通風孔に立ってスカートをなびかせパンチラしてみた。
せっかくだから女の子らしく手やカバンでスカートを押さえてみたり、しゃがんでみたりした。スカートと一緒に風になびくマフラーとウィッグに顔を撫でられドキドキした。
制服・ウィッグ・マフラーに女子高生の匂いのする香水をつけておいたらそれらがなびいたときにいい匂いがしてもっと興奮したと思う(ウィッグだけは借り物だからできないんだけどね)。
要はそういうことでしょ?
勝利とは「レベルを上げたことで物理で殴れた」のマイナーチェンジであり、敗北さえも「レベルが足りてないので物理で殴りきれなかった」となる。
結局コレってゲームを「プレイヤーとしての成長を実感するための装置」として捉えるか、「キャラクターを成長させる行為」と捉えるかなんだよね。
ゲーム側が提供を主張してるものと実際にやらしてくるものでそこがチグハグになっていると体験が崩壊する。
対戦型ゲームでも「育てたキャラクターを戦わせる」がコンセプトのものであればそこにはレベルの要素が入ってきても違和感はない。
もしそこで「鍛えたプレイヤー同士がお互いの実力を競い合う」と主張しておきながら試合前の段階で片方だけが強い装備を持っていたらそれはおかしいことになる。
ゲームコンセプト上において何をもってフェアとするか、バランス調整をどうするかなんだよね。
一番最悪なのが「プレイヤーの成長によって乗り越えられる挑戦」を主張した上で「難易度はレベル上げして適当に調整してね」みたいにしてるパターン。
これが極端にになると増田の言うような「自分が成長したことで乗り越えたいのに、キャラクターの成長に依存する部分が大きすぎるので、自分の成長が実感できない」が起きる。
戦略性の高いコマンドRPGだったり、操作難易度の高いアクションRPGでこれはよく起きる。
たとえばUBIのアサクリやディヴィジョンなんかはこれが顕著に発生しがちで、パっと見の印象はプレイヤーがアクションやスキルによって攻略するゲームに見えるんだけど、実態としては上げたレベルでぶん殴ることが本当のゲーム性になってる。
「RPGだけどプレイヤースキルでキャラの能力に下駄を履かせることが出来る」ってバランスなんだけどなまじゲーム体験のアクション性が高いせいでそれが誤って「アクションゲームなのにキャラのレベルに結果が影響されやすすぎる」と誤解されてしまう。
既存のジャンルにRPG要素をあとから足したタイプのゲームでこれは起きやすい。
もちろんこれはRPGを期待したゲーマーにアクションを要求したさいに「キャラの成長に結果が依存するはずなのに、プレイヤースキルの影響が顕著に出るせいで、成長させてもクリア出来ない」を起こすことも発生する。
たとえばUNDER TALEなんかはUIはアクションだけど実際のゲームジャンルは弾幕系STGに近く、ただキャラを育てれば終わりのRPGを期待したプレイヤーからすれば「ストーリーの先を見たいのにレベルで殴って突破できないから詰みになってしまうゲーム」になってしまっている。
つまりさ、問題の本質は「このゲームはこういうゲームで、こういうジャンルなんですよ」とゲーム側がプレイヤーにちゃんと示すことなんだよね。
ジャンルの説明不足は間違いなく作りて側の怠慢だし、裏をかいていきなり別ジャンルになるようなのがさも高尚であるかのような風潮は勘違いしているとしか言えない。
一貫して同じコンセプト、ジャンルのゲーム体験の中で、レベルデザインによって体験に幅を持たせるのが正しいゲームデザイン。
「レベルってそんな悪い概念じゃないよね?」や「レベル上げクソすぎるよなーわかるー」も本質を見落としてるし、ましてそこで「レベルってこんな意味があるんですよ(ドヤァ」も完全に的外れ。
語られるべきは「このゲームは『プレイヤーが成長します』なのか、『キャラクターが成長します』なのか、その程度をちゃんと示せないゲームや同じゲームの中でそれを組み替えるゲームはうんざりするよね」って話。
多分反論としてポケモンを思いつく人はいるんだろうけど、アレはまさに「ストーリーはレベルを上げれば進められますよ」と「クリア後の対戦はレベルで殴れば終わりじゃないですよ」を使い分けてるパターンなんだよね。
ポケモンはプレイヤーが成長するまでとあとでジャンルを切り替えて、その切替のタイミングを分かりやすく「最大レベルが統一されるステージ」を用意することで切り分けてる。
そういった分かりやすい「この部分はキャラクターのレベル上げをするゲーム」「この部分はプレイヤーのレベル上げをするゲーム」って切り分けをちゃんと出来るかどうかだよ。
そこを徹底的に曖昧にすることでプレイヤーを褒めるチャンスを無理やり増やそうとしてるのが課金で強くなるタイプのソーシャルゲームなんだけど、アレは騙されてることに脳が気づいてしまった瞬間に全てが冷めるのはそういうことよね。
「こんなはずじゃなかった……」 新入社員を悩ます“ガチャ”の正体
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2205/30/news010.html
例年なら新しい環境に適応できずに心身に不調が現れる「五月病」の時期だが、近年は「配属ガチャ」「上司ガチャ」に頭を悩ます新人も増えているという。
配属ガチャとは、入社時の配属先がどうなるのか分からないことをソーシャルゲームの「ガチャ」になぞえたもの。希望の部署は配属された場合は「アタリ」、そうでない場合は「ハズレ」。
運良く希望部署に配属されても、ちゃんと指導してくれない、あるいは先輩や上司の高圧的な態度についていけない「上司ガチャ」に悩む新人もいる。“ハズレ”を引いてしまったら早期離職の引き金になる可能性もある。
配属ガチャ問題はネット上でも「希望していた仕事ができるものと思っていたが、全く違う部署だったのでがっかりした」「実家から通勤できると思っていたが、入社したら地方の営業所に配属され、転職を考えている」という声も挙がっている。
産労総合研究所が実施した「2022年3月卒業予定者の採用・就職に関するアンケート」によると、配属(職種・勤務地)に関心がある学生は企業の採用担当者の回答では「増加」が20%、「やや増加」が40%。計60%が増加していると答えている。同様に大学キャリアセンターの回答でも63%が増加していると答えている。
その背景には何があるのか。
大学でキャリア教育を担当している講師は「取りあえず配属ガチャを避けたがる学生が少なくない。『一生この会社でお世話になりたい』と思うほど、企業に対する信頼度が低くなっている。『長く勤めたくても、そんな時代ではないんでしょ』という感覚が大きくなりつつあり、やりたい仕事でキャリアを積みたいという思いがある」と解説する。
実際に前出の調査によると、学生に入社予定の企業で「何年程度働くつもりでいるか」という質問では「できるだけ長く」が45%と多いが、5年以内に転職を考えている学生が25%、10年以内では36%に上る。
つまり現在でも、学生では「できるだけ長く働きたい」と思う人が多い。しかし、「そんな時代ではない」という不安から、配属で失敗せずに自分に合った職種、やりたい職種を新卒時から経験したいという意識が高まっている。
父はインフラ勤め、母は専業主婦の普通の家庭に生まれた。両親はふたりとも高卒で20代後半で結婚してわたしが生まれた。
住まいは社宅から一軒家になり、リビングのある1階と寝室のある2階の家になった。
父は酒を飲み、タバコを吸う男だった。そして母は一滴も酒が飲めなかった。
父は暴力は振るうことは一度もなかったが、酒を飲むと、少し語気が荒くなった。母はそれを毎日避難し、毎日2階に逃げた。
子供の頃のわたしは、母を2階に呼びに行かなくてはならなかった。
母は常にわたしに、年をとったらわたしが母を介護するのだと毎日言い聞かせた。
子供であるわたしは、毎日父の不満しか口にしない母に媚び、慰めないといけなかった。
そしてたまに1階でわたしは父が酒を飲んでこぼす母への愚痴を聞いてあげないといけないのだ。
わたしは2階の自室で部屋のベッドで小さくなりながら布団を抱きしめて毎晩過ごした。
わたしは体が小さく、運動はできなかった、また容姿もよくなかった。しかし勉強はそれなりにできた。
わたしは近くの中学校を経て、県立の進学校に進学した。わたしは少しだけやっていたスポーツをやめ、ガリ勉になった。
わたしの学力は上がった。地元の医学部の推薦を受けることの出来る成績であったし、父はわたしに医者になってほしかったようだった。
しかしわたしは官僚になりたかった。文部科学省で、子供の未来を司る教育を作りたかった。思い返すと、子供である自分が満たされていないことの代償行為かもしれない。
慶応には受かったのでそちらに行くことにした。当時は家がおかしいとは思っていなかったが、家で浪人はできる精神状態ではなかったというのは無自覚ながらあったのかもしれない。
滑り止めは大阪大学の予定だったが受けなかった。そのとき父が単身赴任で大阪に行っていたので、やはり避けたかった思いがあったのかもしれない。
大学は刺激的だった。
わたしはいわゆる陽キャに分類されるであろうサークルに所属し、おそらく人生で一番楽しく充実した毎日を送っていたと思う。
そこにいた彼らはみな優秀で誠実で、親の愛と期待、また財力もあった。彼らのほとんどは期待と自信に満ちあふれていた。
彼らは本当に善性に満ちあふれていて、世の中を肯定的に見ることが出来るのだ。育ちが違うというのはこういう事を言うのだろう。昔話題になった低学歴の世界と高学歴の世界はまさしくこれである。
そのうち、わたしに初めての彼女ができた。今思うと浅はかな考えだが、わたしは全くもてなかった、だから当時、彼女さえいればバラ色の人生とは行かずとも人生が好転すると信じていた。
しかし、それは何も自分の渇きを癒やしてくれなかった。自分の持っている悩みは解決されないまま恋愛関係という新たな悩みをわたしにもたらした。
わたしは彼女と別れた。そして気まずくなりあまりサークルに行かなくなった。
年次が進みわたしは就活に向けて、大学向けの官僚の話を聞きに行った。そしてショックを受けた。そこに来たのはみな東大出身だった。自分の大学向けの講演であったにもかかわらずだ。少しは慶応出身のひともいるはずなのに。
わたしは後悔し、東大に行けなかった自分を恥じた。そして受ける努力もせず官僚を諦めた。
わたしは堕落し、成績はどんどん低下した。お金もなかったが留学するだけのGPAも全く確保できていなかったと思う。卒業はぎりぎりだった。
わたしはインフラ企業に就職した。安定した企業で地方転勤がない会社に入りたかった。NGだけがあってやりたいことが思いつかなかったので公益性などを考えた、いや就職のための美辞麗句として使用しただけかもしれない。自分でもわからない。なんだかんだで父を尊敬していたのかもしれない。
しかし、コンプレックスは拭えなかった。先輩方はみな電通や博報堂に入社していた。そもそもわたしは受けもしていない。
同じサークル出身でまさに文部科学省に入った同期もいた。ハンデを乗り越えて入省した彼は本当にすごいと思う。しかしわたしは怖くて彼と連絡をとることはできなかった。
わたしは会社で体育会系の部署に配属され、不眠症になった。不眠症は一項に改善されず処方される薬はどんどん増えていった。
わたしは仕事にやりがいも見いだせず、また傍目にも優秀とは言えなかった。当然ながら、出世コースに乗ることはできなかった。
他の会社は違うのかもしれないが、この会社は出世ルートから1度でも遅れたらもう二度と追いつくことはできない仕組みになっている。
しかしやる気はでなかった。そもそも出世したいかしたくないかもわからなかった。しかしお金は必要だった。
わたしはそのうち花形部署に配属された。それなりの残業代を得て、それらはすべてソーシャルゲームに消えた。
そこではわたしの評価は勝手に上がるようになった。私は上位の等級に選ばれ、少し位が上がって係長になった。同期では真ん中くらいか少し遅いほうかもしれない。
昔の部署で自分より年下の後輩が係長になっていたのを見て、ショックを受けていたわたしは少し持ち直した。
そもそもそれでショックを受けるまで出世がしたいとも思っていなかった。もはや取り返しのつかないことだが。
わたしは奨学金を借りていた。そして、借りたお金を利子がつかないよう両親が建て替えて両親に返す形になっていた。
なぜかそれが親の好意みたいな形になっていたし、そもそも払えるじゃないかとも今は思う。そして母は利子をつけない代わりに、支援機構の倍の速度での支払いを要求した。
わたしは10年かけてそれを返した。そして最後に振り込みをした日に両親と絶縁した。
わたしは外から見たら、おそらくそこそこ恵まれているように見えているのではないかと思う。
部屋は最新のガジェットとデザイナーズ家具で溢れている。椅子はアーロンだし、キーボードもRealforceだ。Alexaは一声かけるだけでシャンデリアを操作してくれる。なのに、わたしは大枚はたいた高級ベッドの上で、大の字で寝ることもできず、子供の時と変わらず隅っこで布団を抱いて眠ることしかできない。しかも大量の睡眠薬が必要だ。
わたしは人の顔を思い出すことができない。父も母も妹も昨日あった同僚でさえもゼロから顔を思い浮かべることができない。
Vtuberリスナーはよくテンプレ批判に対してアイドルを引き合いに出して反論しているが、そもそもアイドルに金を貢ぐ行為からしてよく分からないのは自分だけだろうか。思うに、「バチャ豚」の蔑称を用いて批判を繰り返すような人間は私みたいにそういう人間の心理が理解できないのだろうと推測する。
まず、グッズをコレクションしたり、メンバーシップの恩恵を受けたりなど単なる体験ではなく「実物が手に残る」ということに対してお金を使う例。これは全く問題なく理解出来る。特に、ゲームなどでコレクター気質の自分からするとグッズなんかを(実際に買い集めたことはないが)集めたくなる気持ちは実によく分かる。メンバーシップの限定動画や配信なども繰り返し視聴可能という点で実物が手に残ると言って差し支えないだろう。問題は「実物が手に残らない体験」についてである。アーティストのライブのように多額の費用を投じて行われる一大イベントならまだしも、基本的に無料で視聴可能なゲームや雑談の配信に対してであるのだから尚更である。もちろん全ての投げ銭が煩悩に支配されている訳ではなく、純粋に「応援したい」「感謝を伝えたい」といった心持ちで投げ銭する人がいることは分かっている。その上で、本当に、理解が出来ない。
Vtuberというのは、デジタルのガワを被ったただの配信者である。たかだか一人の異性との写真、たかだか一個人のゲームプレイ映像。たかだか一人の異性との握手、たかだか一個人の雑談。たかだか一人の異性との二言程度の会話、たかだか一個人からの感謝の言葉。これはただの個人の感想でしかないのだが、これらに金銭を使うぐらいならば美味い飯でも食った方が余程幸せなんじゃないのかと思ってしまう。金銭を虚空に消し去り手元に何も残らないことに虚無感は感じないのだろうか。私も出来心でソーシャルゲームに少額課金してみたことがある。最高レアのキャラクターを入手し束の間の喜びを感じたものの、その快楽が過ぎ去った後に残るのは虚無感だけであった。恐らく私がスパチャを投げようもんなら恐ろしい程の虚無感に襲われ、たちまち泡を吹いて死に至る。
分からないなりに考察すると、彼らは決して自分を裏切らないVtuberを、決して自分を裏切らないルックスを持つアイドルを、心の拠り所にしているのではないだろうか。これらに共通するのは強い信頼感である。身近な人間と比べても、自分の望まない行為や結果を起こす可能性はかなり小さい。
では、他人がそうしている間私は何を心の拠り所にしているかというと、何も無い。自分が何を欲しているのか、何をしたいのか、分からない。投げ銭を連投するリスナーをカオナシとはよく言ったものだが、何を隠そう我々こそが真のカオナシだったという訳である。しかし、動いて喋る二次元のキャラを見ても、優れたルックスであざとく振る舞う人間を見ても、何も心は動かない。それは心の拠り所にはならない。その結果が、「バチャ豚煽り」なのだろう。理解できない人々の反対側に自らを置くことで、居場所を無理やりねじ込んでいる。彼らの出来上がる過程としては同性愛差別主義者などと同じで、理解できないことに対する根源的恐怖が彼らを狂わせているのである。
Vtuberリスナーはよくテンプレ批判に対してアイドルを引き合いに出して反論しているが、そもそもアイドルに金を貢ぐ行為からしてよく分からないのは自分だけだろうか。思うに、「バチャ豚」の蔑称を用いて批判を繰り返すような人間は私みたいにそういう人間の心理が理解できないのだろうと推測する。
まず、グッズをコレクションしたり、メンバーシップの恩恵を受けたりなど単なる体験ではなく「実物が手に残る」ということに対してお金を使う例。これは全く問題なく理解出来る。特に、ゲームなどでコレクター気質の自分からするとグッズなんかを(実際に買い集めたことはないが)集めたくなる気持ちは実によく分かる。メンバーシップの限定動画や配信なども繰り返し視聴可能という点で実物が手に残ると言って差し支えないだろう。問題は「実物が手に残らない体験」についてである。アーティストのライブのように多額の費用を投じて行われる一大イベントならまだしも、基本的に無料で視聴可能なゲームや雑談の配信に対してであるのだから尚更である。もちろん全ての投げ銭が煩悩に支配されている訳ではなく、純粋に「応援したい」「感謝を伝えたい」といった心持ちで投げ銭する人がいることは分かっている。その上で、本当に、理解が出来ない。
Vtuberというのは、デジタルのガワを被ったただの配信者である。たかだか一人の異性との写真、たかだか一個人のゲームプレイ映像。たかだか一人の異性との握手、たかだか一個人の雑談。たかだか一人の異性との二言程度の会話、たかだか一個人からの感謝の言葉。これはただの個人の感想でしかないのだが、これらに金銭を使うぐらいならば美味い飯でも食った方が余程幸せなんじゃないのかと思ってしまう。金銭を虚空に消し去り手元に何も残らないことに虚無感は感じないのだろうか。私も出来心でソーシャルゲームに少額課金してみたことがある。最高レアのキャラクターを入手し束の間の喜びを感じたものの、その快楽が過ぎ去った後に残るのは虚無感だけであった。恐らく私がスパチャを投げようもんなら恐ろしい程の虚無感に襲われ、たちまち泡を吹いて死に至る。
分からないなりに考察すると、彼らは決して自分を裏切らないVtuberを、決して自分を裏切らないルックスを持つアイドルを、心の拠り所にしているのではないだろうか。これらに共通するのは強い信頼感である。身近な人間と比べても、自分の望まない行為や結果を起こす可能性はかなり小さい。
では、他人がそうしている間私は何を心の拠り所にしているかというと、何も無い。自分が何を欲しているのか、何をしたいのか、分からない。投げ銭を連投するリスナーをカオナシとはよく言ったものだが、何を隠そう我々こそが真のカオナシだったという訳である。しかし、動いて喋る二次元のキャラを見ても、優れたルックスであざとく振る舞う人間を見ても、何も心は動かない。それは心の拠り所にはならない。その結果が、「バチャ豚煽り」なのだろう。理解できない人々の反対側に自らを置くことで、居場所を無理やりねじ込んでいる。彼らの出来上がる過程としては同性愛差別主義者などと同じで、理解できないことに対する根源的恐怖が彼らを狂わせているのである。
こんばんは。
ご参考にどうぞ。
【仕事】
・入館証紛失インシデントを2回(1回/4年)発生させている。
・仕事中、次に何をしようとしたか忘れる。(セキュリティ観点で付箋紙使用禁止ルールがある。
かといってWindows10の付箋紙を使うのも13インチノートPCの画面領域を使うのはしんどいし、一時的に忘れられることを管理したいのに画面でずっと留まっていてほしくないという考え。)
・周囲の音が気になりすぎる(職場でスリッパを履いてる人の足音など)
・手つけやすいものは早くやりすぎるが、手つけにくいものを完全に後回しにして結果ギリギリアウト位になっている。
【日常生活】
・旅行中、買い物をするとスーツケースをレジに忘れることがある。(スーツケースが手を離れるアクションをしたときは買い物に限らず発生することがある。)
・買い物をしたとき、カード・会計済み商品・食券・お釣りのどれかを受け取り忘れることが頻繁にある。
(カードを忘れないようにしようと意識すると商品を受け取り忘れたり、お釣りに意識を向けていると食券を取り忘れたりする)
・みんなが喋らないような場所で喋りがち(主に苦戦しているとき、職場・試験会場などで独り言を唱える)
・多分誰も聞いていないところだったらずっと独り言を唱えている
・試験のケアレスミスが多すぎる(現状の理解のまま○✕問題を2回解いたら正誤が全く逆になっていることがある)
・試験のケアレスミスが多すぎるのを解消しようとして問題を何度も読み直すため、1問の所要時間が大幅に増える(すべて解いて最後に見るという段取りが苦手)
結果、後半は時間不足となり見直しすらできずに不正解となることがある。
・財布や鍵をなくしたと思い込み、結局ある(これはキーファインダーをつけたことで解消した)
・ニンテンドースイッチの本体をなくしたと思い込み、結局ある(これはキーファインダーをつけてなかったので解消していない)
・部屋が片付けられない
- 買ったものを売ったり捨てたりできない(もうファン活動をやめたコンテンツのグッズとかある)
- 消え物のゴミも捨てるのを後回しにしてしまいがち。(あとであとで、となり足場がなくなってから捨てる。)
- ギターのピックやカポタストが行方不明になる(これを書いている今もカポが行方不明)
- 結婚式招待状の一部を紛失し、式の開始時刻を披露宴の開始時刻と間違い、余裕を持って行ったはずが5分しか式に出席できなかった
- 年末調整用書類が見つからず、対応期限経過後に火災保険控除用の書類が見つかり4000円弱の損失をした
- ソーシャルゲームに身の丈に合わない額の課金をしてしまうため、ソーシャルゲームをやめた
(やめて半年以上経つので多分引退に成功した。総額はおそらく400万くらい。ひと月あたりの最高額は40万くらい。)
- 余裕が出始めると、以前一生懸命倹約していた部分をサボりはじめ結局お金が貯まらない。(カードローンを返済したのと、そもそも給与が安いのもあるが...)
- 家計簿も挑戦してみたがマメさが足りなくてしんどいし、結局続かなかった。
・運転適性チェックで注意力の著しい不足を指摘される。
・路上で注意力が一点に集中してしまう(後方だけ/前方の自転車だけといった感じでコントロールできない)
・左折中、右対角線からの斜め横断の歩行者を見逃し助手席ブレーキを踏まれる。
・目の前を進行中の自転車に気を取られて赤信号を見逃し助手席ブレーキを踏まれる。
・覚えている操作の一部のみを教官にされたとき次に何をすればよいか忘れる。
・「こんなんでも路上に出られるのだろうか」と自己嫌悪になり激しく落ち込む。
死にてえなあ。
まず私は企業VTuberが好きではないこと・あんスタファンではないものの女性向けジャンルには精通しており、完全にあんスタ側の感想であることをご理解ください。
また、感想であって解説ではありません。ある程度事態を理解している方でないと読みにくい表現が多々あるかと思います。
これを書くにあたってOUT OF FRAMEの歌詞を確認したが、私にはあんスタの要素が含まれているかどうかわからなかった。
歌詞についてあんスタファン側が糾弾している場面も見たことがないので、歌詞自体には"あんスタ匂わせ"は存在しないのではないかと思う。
それにも関わらず炎上したのは、やはり松井氏の解説ツイートが悪手すぎた。
これによって普段とこまちを認知していないあんスタファンが本件を知ることになり、「世界線を繋げようかと」なる発言、さらにジャケットイラストがわかりやすくあんスタ風であったことから、
「あんさんぶるスターズと見知らぬVTuberの匂わせ(?)曲を、よりにもよってあんスタに楽曲提供しているアルテが制作した」と多くのフォロワーに受け取られてしまった。
世界線云々の発言は、とこまち両名の"あんスタを愛する気持ち"からホロライブとにじさんじ2社のタレントが繋がり、初めて合同でオリジナル楽曲を出すということを歌詞に描写したという話であり、松井氏が語るには「とこまちとあんスタの匂わせ曲ではない」らしい。
この弁明ツイートは炎上後の後出しであったため言い訳と捉えられてしまうが、実際に私が歌詞を読んだ感想としては、あんスタ要素を感じなかったし、ホロライブとにじさんじの両社を繋げるという意味で読めばVTuberに良い印象のない私でも素晴らしいと思えた。
つまり「楽曲に匂わせは存在しない」。少なくとも作詞の松井氏にはその意図はなかった。
氏の誤解を生みやすい表現が一人歩きしてしまっている状態だと思う。
※あくまでジャンル外である私が歌詞に抱いた感想であり、あんスタファンが読めば匂わせだと感じてしまうポイントもあるかもしれない。
楽曲にあんスタ要素がない、ではどこが問題なのかといえば、やはりジャケットイラストである。
このジャケットの絵柄についてはだいぶ意見が取り交わされているが、絵柄パクについてわからない人に論理的に説明するのはクソ難しい。結局"わかる人にならわかる"だから。ただしそのわかる人に楽曲制作の関係者全員が含まれているが。
私は当初、あんスタファンがここまでこの絵柄寄せにキレている理由はわからなかった。
どこでも見かけるパロディだし、原曲のトレスや同じ絵柄のイラストは歌ってみた界隈では当たり前のことで、特段責められるべきことではないと思った。
※この曲については商用で使われていること、またオリジナル曲である=パロディでもオマージュでもないとホロライブ公式から明言されてるようなので、そこはかなり問題があると思うが、権利関係には疎いためここでの言及は避ける。楽曲のみを指せばオリジナルだと思うので、もしかしたらそれに対する回答なのかもしれない。
あんスタ風絵柄への過剰ともとれる反応は、あんスタというジャンルの特性だと思う。
昨今ソーシャルゲームではキャラクターごとにイラストレーターが違うものが多いし、メディアミックスによって絵柄が異なるなんてことは、ザラというより当たり前だ。
別作品では、原作ゲームの美麗スチルが人気だったのに、アニメ化して絵が変わって炎上なんてこともあった。
ゲーム内ではもちろん、アニメも、描き手の性格が出やすいコミカライズでさえ同じ絵柄で作画されている。
こういう作品を、私は他に思いつかない。
あんさんぶるスターズとはこの「絵柄」を含めたブランドなのだと感じた。
これはあくまでも"あんスタの特性"であって、異常性ではない。他の作品にもそれぞれ特別なこだわりがあるだろう。あんスタにとってそのひとつが絵柄であるという話だ。
界隈が抱えるものの大切さを、他の界隈の人間が理解しきることはできないと思う。
それが勝手に利用され、さもオリジナルですよという顔で販売されていて、さらにその販売者のファンからは愛するコンテンツを貶される。このあんスタファンの怒りは私には軽視できない。
そして星街氏と戌亥氏はあんスタファンで、絵柄の重要性を理解できるはずなのだ。
楽曲リリースまでの両名の過失は、ここまでの事態を想定できなかったことにあると思う。
過去に出したカバー曲では許されていたから、同じノリで発注したのかもしれない。もしくは鴨居氏の独断で、2人の依頼だからあんスタの絵柄でと納品したのかもしれない。
でもOUT OF FRAMEはオリジナル楽曲で、あんスタが無関係で、有償で販売するもの。
大好きな作品が大事にしてきたその絵柄を、自分たちの商売に使ってよいのか。
確かに"ファン"ならば、憧れの絵柄で見る自分たちはさぞ喜ばしいだろう。だが、とこまちは楽曲をリリースしファンに提供する"プロ"ではないのか。
このあたりの線引きが曖昧だと感じる。
もし鴨居氏が独自の作画でジャケットを製作していたら、おそらく炎上していない。
松井氏の誤解を生むツイートに加えて、パッと見てわかりやすい、非常に精度の高いあんスタ風絵柄のジャケットイラスト。このコンボが最悪だった。
○収束の見えない現況
私の結論としては、楽曲配信を停止する必要はない、ジャケットイラストを差し替えるべきだと思う。
これはとっくにあんスタファン内で結論づいていることだと思うが、なぜ未だに炎上が続いているのかといえば、ハピエレ・アルテを除く関係者からのリアクションが一向に無いからである。
どこに責任の所在があるか、誰もはっきり言わない。イラストをあんスタ風にしようと考えたのは鴨居氏なのか、星街氏なのか戌亥氏なのか。全員チェックの上での採用ではあろうが、誰が発案したのかだけで矛先はだいぶ変わる。
説明が一切されないことが、余計に不安と怒りを煽っているのだ。
悪くないのであればその声明を出してほしい。水面下でも動いているのならその旨を教えてほしい。こういった声は本人たちからも運営からも無視され、通常の営業に戻っている。問い合わせに対応するのは企業として義務のはずだが、返答がない。
さらにとこまちファンからは中傷としかとれない言葉が降りかかってくる。公式から音沙汰がないのは風化狙いだと感じるが、このとこまちファンの行動によって却って悪化しているようにも見える。
このまま関係者から反応がなくては埒が開かないし、あんスタファンは苦しみ続けるし、とこまちファンは推しが炎上していて悲しい。ハピエレは顧客が離れてダメージだし、とこまちはせっかくのオリジナル曲に触れられない。
誰にも良いことのない状況が続いている。
事態の中心であるとこまちがアクションを起こすのが収束に最も近いと思うのだが、難しいのだろうか。
以上はOUT OF FRAMEへの記述だが、戌亥氏のソロ曲Engaged Stories、これは最悪だと思う。
OOFには作詞の松井氏に匂わせの意図はなかったが、EnStはタイトルから含ませており、実際に「これは匂わせではないか?」と戌亥氏、桑原氏も認識しているらしい。
匂わせの何がいけないのか。
匂わせ…というと、一般人が芸能人と付き合っていることをSNSでほのめかすといったような、要はサイレント自慢を指す。
何かのルールに抵触しているわけではないが、単純に多くの人を不快にさせかねない行為で、特に女性向けコンテンツにおいてそれを行なえば炎上必至と言ってもよい。(嗅ぎすぎるとなんでもかんでも臭うようになるため、指摘する側も注意が必要ではある)
今回の場合、あんスタも戌亥氏の推しの衣更も無関係で、自慢するような事実はないので、匂わせというと少し語弊がある気がするのだが、他に適切な呼び方も思いつかないためそう表現する。
この匂わせを行なったのは戌亥氏ではなく、作詞の山本氏である。
ラジオの切り抜きなどの口ぶりでは、縦読みの推しフルネームもタイトルを省略したらEnStなのもすべて山本氏のアイデアであり、戌亥氏の依頼内容ではない、というように受け取れる。
どうにも山本氏の言動を見ていると、戌亥氏に結構ガチなファンのようだ。それを踏まえると、「山本氏があんスタとキャラを自分の推しへの貢ぎ物に使った」と感じてしまうのは殊更おかしいことでもないだろう。
両名にとっては、片や推し・片や推しジャンルの曲をつくるプロというwin-winの関係であったのだろうが、あんスタの方は巻き込まれ事故である。
戌亥氏はこれを容認し、「怒られるかもしれない」と思いながらもリリースしてしまった。それもそう、憧れのクリエイターが納品してきた楽曲をお断りや修正なんてできないだろう。
しかし、プロであるならば、これをもしあんスタファンが聴いたらどう思うか・このまま通して問題ないのかを判断すべきだった。
炎上なんていつ何が引火するのかわからないため、完全に防ぐのは不可能だが、今回は「怒られるかもしれない」という意識があったのだ。そのリスクを負ってリリースしているのだから、結果怒られるのは当たり前で予想通りではないのか。
戌亥氏は炎上後、配信やツイートなどが最低限となり自粛していると見られたため、(星街氏と比較して)火は収まっているかのように見られるが、楽曲として問題があるのはOOFよりもEnStだと私は思う。
序盤で「OUT OF FRAMEに匂わせはない」と答えを出したため書けなかったが、そもそも私は好きな曲を愛せなくなったあんスタのPたちが可哀想で仕方がなくて本件を調べ始めたのだ。
もし推しジャンルの楽曲制作団体が、知らん女と推しの匂わせ曲をリリースして自慢げに解説し始めたら発狂すると思う。
推しの顔を見ても知らん女が頭から離れないだろうし、大好きな曲を聴いても匂わせを思い出して入り込めなくなる。何よりも大切にして身を捧げてきたジャンルが外的な要因によって愛せなくなり、二度とまともに向き合えない。
そんな想像だけで頭が痛くなるほど残酷な状況に置かれているファンが、本気で救われてほしい。
匂わせの事実は少なくとも松井氏にはなかった。どうかせめて松井氏の作詞曲だけでももう一度聴けるようになってくれ。
○余談
最近なぜか大御所クリエイターがこぞってVTuberに夢中になっている傾向があり、明らかになっていないだけ・またはさほど燃えていないだけで、実は他にも今回のような事例があるのではないだろうか。
クリエイターとていち人間なので、推しに喜んでほしい気持ちがあるのは否定しない。だが、自分が推しを喜ばせるために別のコンテンツを利用するのは、仕事上ですることではないだろう。推しのための活動は推し活で、仕事は仕事で分けるべきで、決して混同してはいけない。
提供先の推しだって、世界に向けて表現や創作物を届けるクリエイターである。双方にクリエイターとしての自覚が足りなかった、ファンとしての活動の延長になってしまったことから起きたのではないかと思う。
2021年11月15日に、社会活動家仁藤夢乃氏がTwitterに投稿した一文をきっかけにして「温泉むすめ」というキーワードが1週間近くTwitterトレンドに乗り続けるという騒動があった。仁藤氏はたまたま温泉旅館で見かけた「温泉むすめ」キャラクターの等身大パネルを不快に感じ、公式ウェブサイトを開いて詳細を確認したところ、公式ウェブサイトの記述に性差別・性搾取表現のあることを発見したそうである。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1460060377379602434
出張先で「温泉むすめ」のパネルを見て、なんでこんなものを置いているの😩💢と思って調べたらひどい。スカートめくりキャラ、夜這いを期待、肉感がありセクシー、ワインを飲む中学生、「癒しの看護」キャラ、セクシーな「大人の女性」に憧れる中学生など。性差別で性搾取。https://onsen-musume.jp/character/
「温泉むすめ」とは、ご当地アイドルをテーマとしたキャラクターコンテンツ企画である。ソーシャルゲームの運営は終了しているが、声優アイドルグループの方の温泉むすめは活動継続しており、キャラクターグッズも販売されている。声優アイドルのライブ活動を核としたコンテンツツーリズムという斬新さと5年間の活動実績を評価され、2021年10月29日に観光庁スポーツ庁文化庁共同開催スポーツ文化ツーリズムアワード2021で「新しい観光賞」を受賞している。https://onsen-musume.jp/
仁藤氏の投稿は140文字制限と専門用語多用のせいで意図を掴みづらい。「温泉むすめ」運営会社は未成年配慮の観点で飲酒やセクハラを推奨していると誤解される恐れのある箇所を修正したが、仁藤氏は納得いかず「性的消費・性差別・性搾取・性犯罪」という強い言葉で「温泉むすめ」を批判した。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1460064641686536195
昨日指摘した性差別・性搾取表現や中等部の設定などをこっそり削除しているようだが、見れば見るほど男の願望を形にしたキャラクターばかり。肌の露出やはだけた制服、頬の赤らみ、胸の膨らみ、スカートに陰部がわかる不自然な影。胸が大きくても小さくても容姿も体つきも性格も趣味も性的に消費する。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1460467598324211712
少女を性的に消費することはもちろん、スペックを書いて女の子を並べ「選べる」存在として扱うこと自体が少女をモノ化している日本社会の性差別の深刻さ、少女を支配して楽しむ人権意識の低さそのものを表している。そして現実の性差別・性搾取・性犯罪と本当に地続きの切実な問題です。
この当時、2021年9月に全国フェミニスト議員連盟が松戸警察署によるVTuber戸定梨香の起用は女性差別に当たるとして抗議したことに起因する一連の騒動により「フェミニストは社会に理不尽な要求ばかり突きつける迷惑集団」というイメージが高まっていた。当然のことながら前述の仁藤氏の投稿にも批判が殺到した。
感情的な批判が多いので具体例は挙げないが、理性的な部分だけ要約すると以下の通りである。
仁藤氏の投稿は140文字制限と専門用語多用のせいで意図を掴みづらいが、ここからは筆者なりの解釈で仁藤氏の主張を論点整理する。
つまり仁藤氏の主張は「女性の性被害を防ぐためには社会全体の人権意識を高める必要があり、そのために性差別を助長するコンテンツである温泉むすめを規制する必要がある」ということになる。
性的消費はおそらく「性的対象化(女性の尊厳を無視し女性を性的手段として扱うこと)」を指していると考えられる。いわゆる「いやらしい目で見る」という奴である。「温泉むすめ」は女をいやらしい目で見たいという男の願望を満たすことを目的としたコンテンツであり、「温泉むすめ」を介して女性の尊厳を無視する快楽に慣れたユーザーは、いずれより強い刺激を求め、現実の女性に対して性差別・性搾取・性犯罪を行うようになる、という理屈である。
もっといえば「萌え絵」と呼ばれる画風そのものが「男の願望を満たす要素のみで女性を表現する画風」なのであり、「萌え絵」を介して女性の尊厳を無視する快楽に慣れた男は、いずれより強い刺激を求め、現実の女性に対して性差別・性搾取・性犯罪を行うようになる、という理屈でもある。
仁藤氏の間違いは「大人は現実と虚構の区別がつく」という事実を無視して論理を展開していることである。犯罪映画が大ヒットしても犯罪者は増えないし、ポルノビデオが流通しても性犯罪は増えない。犯罪統計がそれを証明している。
仁藤氏の論理は破綻しているし「温泉むすめ」は性差別を助長しない。
仁藤氏の失敗は「女性にも萌え絵歓迎派がいる」という事実を見逃していることである。仁藤氏他フェミニスト諸氏にとっては「手遅れ」ということなのであろうが、女性にも萌え絵歓迎派がいる。萌え絵を好んで描く女性イラストレーターは大勢いるし、男性向けキャラクターコンテンツを好む女性消費者も大勢いる。個別の性的表現に不快感を抱く女性であっても萌え絵自体に不快感を抱くとは限らないのである。
仁藤氏が感情的に性差別を叫んでも女性全ての共感を集めることはできず、表現規制の機運が盛り上がることはない。
肌の露出や胸の強調などの個別の性的表現について、ミニスカートやノースリーブは現実の女性も普通に着用しているものであり、直ちに性的と言い切れない。どこまでが許容範囲でどこからが性的表現かは個人の主観に大きく依存するものである。仁藤氏の挙げた「スカートに陰部がわかる不自然な影」も筆者は「不自然」としか認識できず性を感じない。
多種多様な表現のどれが女性差別の肯定に該当するかについて社会的合意はまだない。「温泉むすめ」が女性差別の肯定に該当すると断じることはできない。
仁藤氏のすべきことはやはり「説明」だろう。なぜ「温泉むすめ」は性差別を助長するのか、仁藤氏は科学的裏付けの元に論理的に説明すべきである。論理的説明のできないうちは、フェミニストの目指す理想社会は到来しないと考える。
「温泉むすめ」運営にも着手して欲しいことがある。「女性に不快感を与える描写の削除」である。上段で述べたが女性にも萌え絵歓迎派がいる。今は男性ファンしかいないとしても今後必ず女性ファンは増える。ラブライブ!はアニメ化の際に大きく路線変更して女性ファンを大幅に増やした。「温泉むすめ」もいずれその日が来ると考える。
ブックマークしておいたページがなくなっていた。
ある日、久しぶりに見たくなったページがあるのでブックマークから探し開いたら、削除されていたのだ。
もちろん、なくなる可能性があることは分かっていたが、実際になくなると寂しさを感じる。
本来なら存在するはずのページが、白を背景とした無機質なページに変わっていた。
時たま遊んでいたソーシャルゲームがサービス終了していたこともあった。
アンインストールしてホームから消してもよいのだが、なんとなく消さないでいる。
サービスは終了しているので残していても遊べないが、そこにそのアプリのアイコンがあるというだけで何かしっくりと落ちつくものがある。