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はてなキーワード: 自己啓発書とは

2014-08-16

「全ての人間共感できる人がコミュニケーション能力を持ってる人」????????????

コミュ力 コミュニケーション能力 を拡大解釈するのはヤメましょう。 情報伝達以外の意味はありません。

※それ以上付け加えるならばコミュニケーション能力とは別の能力として主張すべき。

コミュニケーション力 拡大解釈

でググってみて下さい。

あと「コミュニケーション能力」でもググって下さい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/コミュニケーション能力

同意することだけがコミュニケーション能力勘違いしてる人」が多いようですが

批判コミュニケーションの一つ」です。

批判コミュニケーションでないならば、「はてな批判をしている人間コミュニケーション能力がない」ことになってしまます

まりイエスマンコミュニケーション能力のある人間」という定義になってしまます

ましてや「どんな人間にも共感することをコミュニケーション能力とする」なんて、この世にそんな人間ますかね?

ちょっと例を挙げるとこの世界の全ての犯罪者共感できる人間がいますか?

この世界の全ての悪意(日常を含む)に共感できる人間コミュニケーション能力があると定義する非実効性。

そもそもの間違いは「コミュニケーション」に「力」という文字を付けたのが間違い。

この世界人間経験多種多様記憶も違う。

1つのベクトルでくくれないのが「コミュニケーション」。

またパオロ・マッツァリーノは、自己啓発書の売り上げを上げるために不安煽り、彼らの都合のよい稼ぎ口として使われていること、も指摘しています

以下は参考のための引用

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パオロ・マッツァリーノの指摘

パオロ・マッツァリーノは『反社会学講座』収録の「ひきこもりのためのビジネスマナー講座」において、浜口恵俊の「日本語にはもともとコミュニケーションにあたる言葉がないため訳せない」という意見を取り上げ、近年、企業等においてコミュニケーション本来の「意味拡大解釈」して用いられているようだと指摘し、問題視している。

マッツァリーノによればコミュニケーションには本来、「情報(知識や感情も含む)をだれかに伝える・交換すること」という技術的な意味しかなく、そのため言葉用法に従えば、上司や目上の人間へのある種の直接的な批判の類も立派なコミュニケーションとして成り立つことになると述べている。続けて「しかし、そうすることが日本企業社会奨励されているかというと、はなはだ疑問です」と言い、「日本人は古来、コミュニケーションなしで社会を成り立たせてきた」という事実を指摘し、安易コミュニケーションという単語を用いる現代の風潮を皮肉混じりに批判している。

スーザン・ケインの指摘

スーザンによれば、すべての人が同じコミュニケーションスタイルにおいて最良のパフォーマンスを発揮するというわけではなく、イントロバート(introvert)と呼ばれる『刺激に敏感で大量の刺激を本能的に避けるタイプ人間』と、エクストロバート(extrovert)と呼ばれる『刺激に鈍感で少量の刺激では必要量を満たせないために大量の刺激を必要とするタイプ人間』、二者それぞれの遺伝子レベル性質を生かした二種類のコミュニケーションスタイルこそ、無理のない持続可能な方法であるとしている。

近代以降、資本を求め商品をいかに買わせるかが社会の関心事となった経緯を紹介し、深い思考は苦手だが口先が巧みなエクストロバートを量産し経済拡大に用いるというシステム教育も含めて現代では日常化してしまっているという。この社会(エクストロバートワールド)では、イントロバートは欠陥品とされ(イデオロギーの定着のため病名まで発明された経緯もある)エクストロバートになることを強制される。しかしその性質遺伝子レベルで50%以上固定されているために、対外的にはエクストロバートを「ふるまう」、無理の結果として心の病を併発したり出社拒否に陥るケースがあるという。

彼女によれば、どちらのタイプも社交的であるという。両方とも自身性質に基づいた異なる社交性を備えており、イントロバートは多数の人間と社交を行うことは刺激が大量すぎる点で本質的に苦手だが、一対一または数人との社交においてエクストロバートを凌ぐ力があり、エクストロバートは刺激に鈍感であるがために多数の人間と社交を行うことができる。その反面、一対一または数人との社交において深い友人関係を築き長期にわたり維持することは苦手であるとされる。このため双方のコミュニケーションスタイル必然的に異なる形となるのが自然であるが、現在資本主義競争社会におけるバイアスのかかった社会においてエクストロバート型を唯一のコミュニケションスタイルと信じて疑わない状況がある。自分の話を聞かせたいエクストロバート、人の話を聞くことができるイントロバート、従来のリーダーの適任とされるのは前者とされてきたが、近年では後者の「引き出す力」に注目が集まり前者を凌ぐリーダーとしても可能性が示唆されている。多様なコミュニケーションスタイル人間多様性を認める社会であることが必須条件として、イントロバート存在と可能性について全人民的に社会的認知を深める必要があるという。

2014-08-12

営業も現場もやったことがない僕が採用を任された

突然、社員採用候補者書類選考を任された。

職種は、とある機器の提案営業である

第二新卒あたりの年代ターゲットだ。

しかし、僕は管理系の仕事しかしたことがない。

はいえ、実務をやったことがないから選考できませんとも言えず、

選考と実務は別と考えて、取り組むことにした。まあ、そもそも拒否権などないんだけど。

ちなみに、当社は資本金1億円未満、非上場社員数500人程度の中小(堅?)企業である

ほんの半年ほど前までは、僕は転職活動中で、選考される立場だった。

それが、今度は選考する立場になるなんて不思議な感じがする。

僕が任されたのは一次選考で、書類選考だ。

面接したい候補者が見つかれば、上司に書類を見せて、承認されれば上司と営業課長と共に面接する。

人材紹介会社から次々と推薦状が送られて来る。

最初は、選考基準が固まっていなかったが、

限られた時間のなかで50人以上の選考をしていると、自分なりの基準ができてきて、

1人あたり数分で合否判定ができるようになった。

ただ、不合格場合は、人材紹介会社にあまりに早く伝えると、軽々しいので、数日は温めてから返事をすることにしている。

肝心な選考基準は下記のとおり。

・とにかく体力・忍耐力がありそう

・人当たりが良くて人付き合いが得意そう

・・・・・。これだけかよ・・・・・。気づいて愕然とした。

選考基準というのはもっと他にいろいろあるんじゃないの?こんなんでいいの?と

転職経験がある僕は思った。

でも何度考えてもこの2つに落ち着いてしまう。

だって採用してすぐ「キツイから」と言って辞められたらまた採用をやり直すことになるし・・・

人当たりが良くて人付き合いが得意じゃないと客先や社内でのやりとりに支障が出るし・・・

そのほうが一緒に働いていて楽しそうだし・・・

から職務経歴書文章がなんだか難しいのは不合格

趣味に「読書」と書いてあったので「どんな本を読むの?」と聞いたら「自己啓発書」と応えた候補者不合格

学歴高いけど気難しそうな候補者不合格。「前職では休日が少なくてキツイから辞めた」などの苛酷な環境を理由にするのも不合格

前職の経験をのびのびと書いてあったり、楽しそうに話す候補者合格

上司は僕のセンスを見ているのかもしれなかった。だが、大体の場合意見は一致した。

自分選考担当してみたら選考というのは意外とシンプルなんだな、と思った。

採用してみたら違った、となるかもしれないので、今回の選考が正しかたかどうかの検証はこれからだ。

ところで、僕が採用されたとき選考基準で重視していた点を、面接してくれた部長入社後に聞いたら、

「とにかく精神力が強そうな人」だったらしい・・・管理系でもこれか・・・

僕は法律系、経理系資格をたくさん持っていたのだが、

この点は「資格たくさん持っている奴って経験上、仕事に集中しないで勉強ばかりしていたり、性格が変なやつが多いんだよね」と言われた。

・・・・・。そういう見方もあるようだ。

以上、採用に関するメモ

2014-07-17

http://anond.hatelabo.jp/20140717222735

こういうひとって自己啓発書とか読みまくって

最近ではライフハックライフハック!と叫びまくって

結果意味分からん事をやって満足してるんだろうな。

ハックという名の無駄を産みまくってるのにハックしてるという自分に酔いたいだけ。

まあ、それはそれで幸せかもな。俺には理解できんが。

2014-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20140701114522

大衆文学自己啓発書が好きな奴の反論がこれかww

文学を語るとき文学みたいな文章じゃないとダメとか読んでない認定って、

「じゃあ自分はできんのかよ」とか「そう言うあんたはどうなの」っていう馬鹿女みたいな発想だよなww

http://anond.hatelabo.jp/20140701105108

文化レベルの比べ合いをするなら、大衆文学ラノベ以下だよ

大衆文学を好む奴(大衆文学ターゲットにしている層)というのは、基本的大学教授社会からはみ出した年寄りが儲けるための社会システムである活字教に迎合して、文学の何がいいかすらわからないまま他の文化を僻みでバカにするような可哀想な子供

大衆にも迎合してそのまま年食った、文化的には救いようのないバカから

内容がお察しになるのは当然

自己啓発書と同じような役割だな

一言で言えば、バカのうち社会の見えない言葉に逆らえないタイプの人が読むもの

当然そっちが儲かるからメインになるし、書き手にもそういう奴がいるから、ちゃんとした文学が隅っこにいっているわけだ


一方でラノベというのは、その活字教が支配する小・中学校の中で、生徒に現代的な芸術を楽しませるための隙間みたいなものなんだよ

現代芸術のうちゲームシナリオファンタジー漫画90年代のホビーブームに基づく世界を、いかに活字媒体表現するかというのがラノベの本懐であり基本(ラノベで育った奴や大衆文学層のうちオタク大衆化したゆえそれっぽい空気に興味示す奴もターゲットになったから今はそうじゃないのが多いけど)

からジュブナイルとも違うわけで、ラノベ文学の枠にハメたまま評価するってのもちょっと

2014-04-25

はてなー自己啓発書でよく釣れる

最近ホッテントリに入った記事について思ったところを少々。

http://dokushohon.hatenablog.com/entry/2014/04/24/145846

文体からして、同一人物じゃないかと前々から思っていたけど、このブログって、この人が書いてるでしょ。

http://visionmission.hatenablog.com/

「本当は100冊とかやろうと思った」って言ってるくらいだから、かなりの本を読んでいるはず。

その点も含めて、同一人物説に一票。

そんで・・・

別に1人で2つブログ書くのは全然いいのだけど、さも他人のふりをしてブクマするのは、どうなんかな・・・

http://b.hatena.ne.jp/dokushohon/20140410#bookmark-190127938

こういうのも非公開でやってたら分からないから、他にもやってる人も多いのかもしれないけど。

参考:http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2014/04/21/155326

2014-02-26

やりたいことがたくさんある、という状況に満足してしまっている

ホッテントリ見てて面白そうやってみたいと思えることがたくさんあってそれだけで脳汁エクスタシーに達してしまって満足してしまっている

まったくの無気力とは違うしむしろハツラツとしてる気はするんだけど

自己啓発書だけ読んで変わった気になるのと似た感じ?

中身空っぽなのに他人の成果を見て自分がやったつもりになっちゃうっていうニセモノの充実感を得ている感じ

いつでもできるという余裕がだめなのかなー

余命いくばくってくらいにならないと本当にやりたいことをやらない気がする

毎日を精一杯生きろなんてよく言われるけどやっぱり難しいなあ

2014-01-20

経済的に有利なことを「知らない」「面倒」だからやらない人多い

人間というのは、「経済的に明確に有利」とわかってる場合でも、

「よく知らない」「めんどくさいから」と言う理由で、有利な選択肢に乗り換えないケースが、

案外あるんじゃないか、と思う。

例1

クレジットカード経由支払いの方がポイント貯まって経済的に有利なのに、「カード申込がめんどくさい」と現金払いを続ける人がいる。

特に高齢者にその傾向がある。

そもそも、「カード払いの方がポイントが貯まって(現金払いより)有利」という基本的事実すら、

「そもそも知らない」老人も多いんじゃないか?

例2

大阪市市営住宅って、平野区辺りで徒歩15分程度だと、内風呂なしだが1万円台のがあるらしい。しか結構空室あるそうだ。

大阪市が年齢制限や保証人制限見直せば、大阪に関する限りは脱法ハウス問題は解決する。

案外、首都圏築古不便公営住宅なら安くて空きがあるんじゃないか?

役所側も制限規定廃止が望まれるが、脱法ハウス入居者側(ワーキングプア)も、

そういう行政サービス広報啓蒙を「知ろうとしない」「見てもスルーちゃう」というメンタリティな気がする

以前立ち寄ったネットカフェに、やたら自己啓発書籍ばかりあったが、そんなクソ役に立たない本置くよりも、

公営住宅の案内を置くべきだが、そんなことしたらネカフェの「お得意様」が減っちゃうんだろう。

住宅難民向けに公的機関が用意してる各種メニューを、そもそも知らなかったり、「どうせ自分対象外」と決め付けて無視したりしてる。

まさに「社会啓蒙工学の難しさ」。

例3

最新の省エネ家電経済メリット、白熱灯→LEDの経済メリットとか、

経産省ヤマダ電機は「啓蒙し尽くしてる」と思ってるが、高齢者とか、全く知らなかったりする。

こういうところを啓蒙工学リーチするだけでも、結構省エネ化が進んだりする

例4

阪神大震災の時、国道43号線沿に持ってた家が被災した人に(不動産屋の自分は)住宅営業した。

その際、幹線道路沿いの土地神戸市(国かも知れない)が買い上げる制度自分が調べ上げたら、

「知らなかった」と喜ばれ、成約になった。

案外、「役所の使える制度」は住民に知られていないんだな、と感じた。

例5

マンション管理組合単位で電力を購入し、それを各戸で配分する「高圧一括受電」というサービスがある。

大口電力単価と小口電力単価の差分だけ、消費者は「トク」するんだが、

そのためには管理組合の決議&個々の電力契約の切替という事務作業が伴う。

各戸には「経済的に確実にメリットある」スキームなんだが、一定比率で決議に反対したり、切替契約にハンコ押さない人が現れ、

一括受電会社が苦労している。

で、高圧一括受電導入にハンコ押さない人が、確固たる理由で反対しているのならまだしも、

その多くは「めんどくさい」とか「なんとなく」とか、脱力する理由なケースが大多数らしい。

2013-11-18

テクノロジィの速さはどれくらい

‐ 2020年12月、トーキョー ‐

テクノロジィとネットワーク進歩国籍人種の壁を乗り越え

より便利により早くより安価に物が動き人が動くことが可能になったものの、

民族思想といった文化がまだ消失していない近い未来

私、**は学生時代から使用しているログインIDを使い

今はすっかり人々の生活に定着したタブレット端末によりAamazonのサイト

クリスマスの準備のために購入するワインを物色していた。

パソコンというものはすでに一部のエンジニアが使う

 いわば職人道具と化していた)

パートナーとは恵比寿代官山に食事に行こうかとも提案したが、

お気に入りイタリアンレストランアリエッティア」がなくなったこともあり

家でテレビでも見ながら食事をして過ごそうということになっていた。

24日のクリスマスイブは贔屓にしているコメディアンバラエティ番組が放送されるので

外に食事をするより家でのんびりするほうが私は気に入っている。

40歳になっても動画サイト二次元ヒロインクリスマスを過ごす、

という内容のタグを漁る習慣は抜けないでいる。

クリスマスのシーズンに聴く音楽は大抵iTuneストアで購入する。

ビートルズの【ラスト・クリスマス】、ジョンレノンの【イマジン

ドリームカムトゥルーの【WINTER SONG】、山下達郎の【クリスマス・イブ】は

毎年欠かさず聴くようにしている。

今年はそのプレイリスト流行りのアイドルソング今季で一番お気に入り

アニメソングを入れようかと思っている。

大学時代からの熱心な趣味(と言って差し支えないだろう)であるアニメ鑑賞は

この歳になっていても続いている。むしろその病的な情熱はより強くなったと言っていい。

1週間地上波番組を全て録画することができるHDDコーダ**(ソニー製)には

ほとんどがアニメ番組でうめつくされている。

パートナーが呆れるのも無理はない。

週末はたいてい道場に行くか図書館に行くことを日課にしている。

気が向けば隣町のラーメン屋までドライブに行ったり、都心まで足を伸ばして

お気に入りカフェ美容院に行くのが気に入っている。

外出するのが億劫場合ネットワークゲーム(すでに7年もやっている)

に興じて一日を過ごすこともある。

本は主に日本文学ミステリーSF技術書ビジネス書自己啓発書などを中心に

読んでいる。東野圭吾が未だに現役なのには驚きを禁じ得ない。

自分創作した小説まがいのものWEBにアップすることもたまにあるが本格的な長編

完成させたことは一度もない。いつかしっかりとした長編SF小説を買いてみたいがそれは

まだずっと先のことのようだ。その夢が叶うのはあるいは老後かもしれない。

ライブなどもたまにいく。

ロックフェスの数もだいぶ少なくなってきたが

それでもライジングサンフェスロックインジャパンフェスサマーソニック

フジロックフェスティバルなどの主要なフェスには根強い音楽ファンが毎年何万人も

参加している。初音ミクなどのVOCALOIDDJもだいぶ定着してきたようで

アニメ色がより強くなったのは2000年代では考えられないことだ。

相変わらず邦楽ロックが中心にミュージックステーションとかに出演するようなアーティスト

好んで聴いている。ジャズクラシックにも挑戦したいと思っているが

なにから聴いたらいいものやらと悩んでいるところだ。

若いころに比べるとだいぶ腹も出てきたのでなるべく運動はしようと考えている。

日課としているランニングに加え登山スノボーテニスなどは

年に1度はするようにしている。

スキューバサーフィンなんかもためにやることもある。

なんでも手を出してすぐに飽きる癖はなかなか抜けないようだ。

月に一度は料理をする。

簡単なサンドイッチオムライスなどを作るのがメインだが

タイ料理メキシコ料理を作ることもある。

コストコにいけばどんな香辛料も購入できるのは便利なことだ。

得意料理豆腐サラダちょっとした自慢だ。

(ちなみにオニオンフライ下品にならない程度に散らすのが美味しさのコツだ)

酒は相変わらずビールを中心に飲んでいるが

バーボン日本酒焼酎ウィスキーワインなども好んで飲むようになった。

たまに燻製を作ったりすることもある。

行きつけのバーも随分増えてきた。

新宿ゴールデン街池袋ショットバー中野立ち飲み屋などに

行くのが週末のささやかな楽しみだ。

焼き鳥屋や蕎麦屋晩酌するのが好きだが家庭的なイタリアンレストランだったり

本格的なソーセージを食べさせてくれるドイツ料理泡盛が飲める沖縄料理

ナン食べ放題インド料理に行くこともある。

夜景を見たいとき新宿フランス料理の店に行くことが多い。

銀座では映画を見たり、老舗のスイーツを買いにいったりするのが好きだ。

みんなそれなりに年をとり良くも悪くも変化していった。

インターネットの高速通信網は日本中に貼り巡り(それは私に生物の毛細血管を連想させる)、

かつて”スマホ”と呼ばれるものを肉体に移植するのが普通になったが、

脳の情報デジタル情報に置き換えて肉体を必要としなくなる時代が到来するのはまだ先のようだ。

証券取引システムのダウンや大手銀行誤発注問題など

人類テクノロジィに踊らされているという状況はいつの時代も変わることはない。

願わくばテクノロジィが戦争の為でなく人類平和のために使われることを

祈りながら今日オフィスコーディングをしている。

ひどく薄いインスタントコーヒーとともに。

2013-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20130522180321

なんでそこまでの行動力と、自分意思を突き通す力があって、そこで悲観的になるんだ…

君くらいなら、予備校の1年間の勉強で、早稲田でも慶応でも行けるだろうに…

結局あなた目標が何だったのかはわからないけど、

社会問題の本や自己啓発書を読んだり、講演会に顔を出して人と会ったりしてる辺り、

目標を決めて、そのために努力を積み重ねるって能力はあるように思えるので、

頑張って受験勉強して大学に行って、ちゃんとした学歴を手に入れて欲しい。

2013-09-24

目標を作っては挫折してきた自分への慰め

目標を作る」「計画する」「行動する」という行動にも、

習熟度というかレベルがあると思う。

そして、訓練することでレベルアップする気がする。


小学生の頃の俺はレベル2くらいで、

毎朝ラジオ体操に行くというスライム級のザコ目標を作っては敗れてきた。

そんな俺は大学生の時、

自己啓発書を読んで生まれ変わったような気になり、

ラスボス級の壮大な目標と計画をポンッと立てた。

案の定、数ヶ月でやる気はなくなり、計画は破綻し、自分を責めてた。

筋トレ方法や、筋トレ成功者自伝を読んだところで、

実際に筋トレしなくてはマッチョにはなれない。

そんな当たり前のことを学んだ。

それから

ザコ敵を倒しまくって経験値稼ぎするように、

目標を作りまくっては行動しまくるうちに、

やる気が維持できる目標の作り方だとか、

本当に自分の望むことを目標にする考え方だとかが、

少しずつわかってきた気がする。

「どうせ目標たてても失敗するからな~」

って思ってダラダラしてた自分に教えてあげたい。

失敗しても経験値が貰えるヌルゲーだと言うことを。

露骨広告意味がわからない

テレビCM電車広告露骨すぎる広告に疑いを持たない人間がはたしているのだろうか。

もちろん、嫌悪感を持たせて印象に残した時点で一定成功を収めているのだろう。

だが、

広告を打ちまくっている=ロクでもない、とるに足らない商品

という方程式が出来上がっている人間は多いだろう。

そんなもの買わない。

○○経済大学子供を通わせたくないし、何万部突破を喧伝する自己啓発書焚書したい。

負のイメージを植えつけてどうするんだ。

場所にしても、デザインにしても、もう少しスマートにやればいいのにと思う。

疑いを持たない人間を理解し、金儲けのターゲットにする方法を考えることこそが建設なのはわかっていても。

2013-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20130702225317

低俗でくだらないコンテンツが好きだから、とてもそういう気持ちにはならないな。

流行歌ベストセラー書籍ポルノ自己啓発書などを作っている人間に、人としての誠実さを感じられないのだ。

誠実さがないというのか、「こんなものでも売れるだろ」というふうな作品は嫌だな。

流行に乗っかって、適当マーケティングで作られたんじゃないかと思えるもの。客をバカにしている。

俗っぽい作品の中にも、売れるにはどうすればよいのか徹底して考え抜かれた、面白いものもある。

作り手の手間暇と情熱がつぎ込まれていると感じられればいい。

  

文化保護のために質の悪いものを取り除くべきとは思えない。

誰かが選別をするというのは個人的に気に食わないし、偏ってしまうはず。

選び取るのは文化を受容するお客さんがやればいい。

店頭ゴミばかりならんでいるなら、客の見る目がないということ。

自分価値観どうやって養っていくのか考えたほうがいい。

それに私は、他人に否定されようとバカにされようと、一般にくだらないとものが好き。ある種開き直り

から文化管理することは支持しない。

2013-05-22

やっぱり高校生は今のうちにしっかり勉強しとけ(前半)

時の流れというのは早いもので、2013年ももう5ヶ月過ぎた。

いつもこの時期になると聞こえてくる言葉の一つに「5月病」というものがある。意味は知っている方も多いと思われるが、簡単に説明すると意気揚々と4月に飛び込んだ新しい環境に馴染めず鬱状態になったり「本当に今のままでいいのだろうか」とやけに軽く焦ってきたり(これはもしかして僕だけだったのだろうか)する精神状態のことを言うらしい。

何分僕もその頃、まだ若いというのに人生の意義や今後の進路について過剰に煩悶していた張本人であった。当時、高校1年生の頃だった。そして、なんと勝手地方から東京に出、結果的に約3年間を無駄と化してしまったのである

これから僕が書くのは「懺悔」の文だ。と同時に、今頃僕と同じ、正確には3年前のあの頃の僕と同じ精神状態に陥っている高校生(もしかしたら中学生も含むかもしれない)への、ちょっとした戒めの文でもある。稚拙ながら、その点ご容赦願いたい。

先に言っておくと、僕は現在とある地方予備校生だ。まあ、タイトルからして分かるだろう。全くといっていいほど勉強していなかったから、大学なんて受かるはずもなかった。

ここまで書くと、「なんだ、予備校生なんて日本に何万人といるよ」と思われるかもしれないが、そういう類ですらない。学校でも全く勉強という勉強はしなかった、授業すらあってないようなものだったのである

正直に言うと、現在の僕の学力高等学校普通科に換算すると1年の1学期ほどまでの学力しかない。いや、3年間ほったらかしにしていたかそれからさらに落ち、中学校程度しかないのではなかろうか。(参考程度に12月に受けた河合模試の結果を書いておくと、国英社平均して偏差値30台後半だった。)

「よーするに勉強しなかったからなんしょ?自業自得じゃん。」

はい、全くもってその通り。が、気づくのが遅すぎた。

ただ単にさぼっていたというわけなのだが、学校で寝たりしていたのではない。むしろそれ以下だった。学校という学校に通ってすらいなかったのだ。あの頃の僕は本気で「勉強よりも今やるべきことがあるはずだ」と思っていたのである。「学生」なのに。

というわけで論より証拠、僕のこの3年間の動きについて、書き綴ってみようと思う。まさかこの年で自分の行いを振り返る事があるとは思わなかった。しかし、これもあの頃の僕のように著しい思い違いをしている高校生を一人でも思いとどまらせるためのものだ。

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今となっては途方もなく堕ちた僕だが、小、中とまでは何処にでもいる学生だった。高校もまずまずの進学校、といっても地方なのでその高校の偏差値も50台半ばだが、とまれ当時の僕はそれぐらいの学力はあったのである

しかし、その僕に変貌が訪れてしまきっかけとなる出来事が3年前、高校1年生の今頃に起こってしまう。

僕は丁度、テレビを見ていた。すると、僕と同じ高校生なのに、学校とは別に団体を作ってボランティア活動に従事したり、あるいはビジネスで大人の人と渡り合い、あるいは海外外国経営者政治家と直接話し合っている高校生が特集されていた。いわゆる「意識の高い学生である

今ではどうやらこの言葉大学生を主として使われているらしいが、僕の場合この意識の高い高校生を見て衝撃を受けたのである。そして、「これこそ今僕がやるべきことだ」と「気づいて」しまったのであった。

その頃の僕は大多数の同世代の例に漏れず、思春期特有の将来に対する漠然とした不安というものがあった。皆さんも「このまま何となく大学を出て、何となく会社に入って・・・というつまらない人生でいいのだろうか」と、自分の進路に悩んだ方、悩んでいる方も多いのではないだろうか。こういうのは本来時間の経過とともに治まっていくものだが、僕の場合、変にこだわりが強いせいかそれはもう延々と悩み続けた。そこに前出のスーパー高校生の登場である

もちろん、一地方田舎でそんな活動ができるわけはない。特集されていた高校生も、みな東京学生だ。元々上京意識が高かった事もあったが、彼等を見てついに僕も上京を決心する。

早速両親に上京を掛けあってみたのだが、勿論のごとく変えてくるのはありきたりの言葉だった。

「なんで今なんだ」「大学出てからしろ」「そんなこと考えてる暇があるなら勉強しろ」「その高校生は特別なんだ」「そもそも具体的に何するの?」

今となっては、実にあたり前のことだった。しかし、僕は知っていた。いや、知ってしまっていた。世の中の偉人と言われる人は皆、周囲の反対を押し切った人が成功しているのだと。

繰り返しになってしまうのだが、あの頃の僕は本当に前しか見ておらず、成功者自伝などを読みまくり、その結果としてこれはある経営者高校生時の状況と瓜2つだということを感じ取ってしまった。SoftBank孫正義である。彼も高校生時代に、周囲の反対を押し切りアメリカへ行ったのだ。アメリカ東京という違いはあれど、まさしく今の僕と同じ状況ではないか

・・・その頃の僕は気づいていなかった。1人の「成功者」と呼ばれる人物の裏では、何百人という人々が涙を飲んでいるという事実・・・

かくして僕は、とうとう貯めていた貯金の全てを使い切り、抗議の意志を示すかのごとく断りなく一人単身で東京に行ってしまったのである。安い旅館に何日も泊まり東京行きを正式に認めてもらうまで家には帰らないと突っぱねた。その頃、季節はもう夏になっていた。

そしてついに両親は根負けし、東京行きを認めることになった。マンションの一部屋を借り、学校にも転入届を出すことになる。

ここに、間違いがあった。転入先の高校を通信制高校にしてしまったのである池袋駅東口をでて大通りを歩くとビルの上にでかでかと緑の看板があるあそこだ。前にも書いたが、勉強なんてそっちのけでやるべきことがある(が、はっきりとはしてなかったし結局しなかった)というのが僕の持論だったのだ。根拠のない自信である。「ただ単に勉強にあくせくするだけの高校生活では後悔する。それよりもむしろ高校生という立場を利用して、社会的コミットしていくべきではないか」と。勿論、学習塾の類にも通わなかった。

・・・いや、「学生」の意味わかってるか?と今になって突っ込んでも、もう遅いのだ。

さて、東京に来た秋から卒業してから連れ戻される今年3月までは、すべてを語るともう読むだけで日が暮れてしまうだろうからかいつまんでだけ説明する。

まず、多くの本を読んだ。上京する前から本は読んでいた方なのだが、上京してからは大型書店がたくさんあったこともあり、大量に購入してむさぼり読んだ。内容としては社会問題震災ボランティア等)や政治経済自己啓発書、著名な経営者が書いた本などが主であった。

次に、自由に使える時間を利用して、様々な講演会に出かけた。これは東京でだからこそ出来る代物であろう。政治家、各省庁の役員NPO団体の代表、大学教授評論家新聞記者さんなどが開催する講演会シンポジウムである。僕は前もって作った名刺(といっても名前電話番号、メールアドレスしか描いてない素朴なものだった)を持って行き、終了後に社会人に混じって名刺交換に励んだ。「学生です」と言うと「こんな若いのに立派だねえ!」と返してくれる。それが嬉しかったのか、どんどんと基本的に社会人向けの講演やシンポに出席するようになった。周りがスーツだらけの中1人洋服だとしても、全くお構いなしだった。

他にも参宮橋近くにあるいわゆる意識の高い人達がいっぱい集まる某センターに何度も紛れ込み、迷惑になるので名前は明かせないが様々な団体と交流したり付属宿泊施設に泊まったりすることもあった。

その他にも興味のある大学の授業にひっそりと出席したりと、まあ思いついたことをそのままやってみせた。

ここまで聞いて、「何だ、結構すごい事やってんじゃん」と思った方もいるかもしれない。

確かに、当時僕が交流していた学生にはテレビ雑誌で紹介された経験もあるようなすごい人もたくさんいた。が、彼等意識の高い学生と、僕とが全然違うファクターが1つだけあったのである

それが、「学力」だ。

僕は、一般の高校生学校に行き、その後学習塾に行き、ヘトヘトになって帰宅して更に課題に追われているその間に、好きなまましてきただけのことだった。先述した他の学生学校に行った上で、その他の活動もしていたのだ。この時点で差は明白だったのだが、これも今だから言えることである

とは言え、当時の僕がいか学力で劣っているかは、当時の僕自身も知っていたことではあった。

3年生になった。そろそろ進学先を決めねばならない。しかし、学力は無い。じゃあどうするか。

学力の無い僕にとっては大学に行く手段としては自己推薦・AOしかないわけで、実は上京した当初からそれを狙っていた。そのためにこれまでたくさんの一般高校生とは違う活動をしてきたんだ。この経験は大きいだろう・・・

とまれ、そのためには小論文自己推薦書の練習をしなければならない。偶然にもイベントで何度も同席していたとある都立高校生が、論文対策にこれまでも同試験で多数の大学合格者を出しているW塾を教えてくれた。

が、ここに相談に行った時に、僕のこれまでの一連の楽観的考えを一気に叩き潰される出来事が起こるのである

推薦対策のコース説明を聞き終わり、帰宅前にアンケートを書いていた時の事だった。

「あ、〇〇高校さんなんですか。」

「ええ、そうです。」

「あの、確かそこって通信制高校でしたよね。」

はい、そうですが。」

・・・言いにくいことですが、通信だと推薦やAOは難しいですよ。」

・・・はい?」

そこから面談は1時間延長された。

考えてみれば確かにおかしな話である。「今までの画一的学力入試にとらわれない多面性を重視した新しい入試方式(うろ覚え)」なのに、どうしてそんな差別があるのか。

面談をしてくれた先生淡々と言い放った。「前提が違う」と。

そこから先は、今まで何度かこの文章の中で自分自身でつっこんできたことそのままだった。手短くまとめると、背伸びをする前に学生としての本分を果たせとのことだ。反論できなかった。呆然とするしかなかった。

しかし、今まで普通科以外の高校から合格した人もたくさんいるのではないか苦し紛れに反論した僕に、更なる追い討ちをかける。

「何か、これだけは日本一だと誇れるものはあるか?」「何かの大会で優勝したり入賞したことはあるか?」「テレビか、ニュース報道されたことがあるか?」「まあそうじゃなくても、せめて何かの団体を率いたり、主催をしたことがあるか?」「そもそも、東京に来た目的ははっきりしたか?」

・・・今考えると、最後は「それをはっきりさせるためにここに説明を聞きに来たんでしょ!」と反論できなくも無かったかもしれないが、その他の部分ではもはや撃沈であった。

どう帰ったかは、よく覚えていない。こんなにはっきり言われたのは、初めてだったのだ。確かに通信制学校で、何も勉強せずに大学に通った例は、たとえば芸能人とか、ゴルフなどで優勝したとか、ケン玉で日本一になったとか「特筆すべき何か」を持ってる人ばかりだった。

だが、一般高校の場合はまた違ってくるだろう。僕も今まで、さまざまなW塾出身合格者に出会ってきた。しかし、その人もたいてい何らかの(小さいながらも)組織の代表を務め、さらに将来に対する明確な目標や問題意識を持っていた。

冷静になって考えてみると、通信云々という前にこの時点でアウトだったのかもしれない。僕は「東京に一大決心をして来る」ということを「目的」としてしまったのだ。その後にやってきたのは皆、講演会にしてもイベントにしてもシンポジウムにしても、ほかの誰かが開催したものにただ参加したというだけ(しかお金まで払って)の、単なる「客」だったということだ。はっきり言って「受動的」。これではダメだ。

「皆が勉強している間に、僕は講演会に参加していました。」

大学生や同じ高校生が開いたイベントに参加していました。」

誰が、こんな人を入学させるのだろうか。

しかも僕の場合さらにひどく、このような活動をしていないほかの高校生を見下してさえいたのである。先述したとおり、「学生」の本分を完璧に忘却していた。当時僕が「見下していた」多くの学生は、今頃大学楽しい生活を送っているのだろう。対して僕は予備校詰めだ。これはある種の罰なのだろうか。

話がそれた。

W塾での出来事は相当こたえたが、だからといってあきらめるわけにもいかない。これで受からなければ、とても大学には進めないのだ。僕はありとあらゆる大学の資料を取り寄せ、自己推薦書や小論文を書き出願した。やみくもに書いたわけではない。このころになると都内の有名どころの大型書店地図は全て頭の中に入っていたから、何店舗か回って関連書籍を買い漁った。文の書き方から何まで丁寧に指導してくれていた本もあり、それも参考にしながら今までやってきたことや思ってきたことを全て提出用紙に書きなぐった。何が「お前じゃ難しい」だ。今に見ていろ。何校も受かって、鼻を明かしてやるからな。

・・・そこから先は、早かった。

帰ってくる不合格通知の山。僕は、目の前が真っ暗になった。今までやってきたことは何だったんだ。

伊達にW塾は毎年何十人も推薦合格者を出してきたのではなかったのである

しかも、出願前に必要事項を記入していてわかったことなのだが、大学側が求めた記入事項にも、それを裏付ける所があった。人間性のみを見るはずなのに、通っている高校が「普通・定時・通信」のどれなのかを記入しなければいけなかったのだから

久しぶりのスクーリング日。担任先生に言われた。「そろそろセンターの準備はできてる?」

もう、2012年も残すところ1ヶ月だった。

12月、僕は初めてセンター模試というものを受けてみた。といっても、これは今年のセンター模試最終回だったらしいが。

結果は、始めの方に書いたとおりだ。センターまであと1ヶ月ちょっと、このままの成績で大学に受かるなど、ドラゴン桜カリスマ先生が今一堂に会しても不可能だろう。そもそも、勉強の習慣さえついてない。

もちろん、模試の時書いた志望校合格可能性欄は軒並みEだった。・・・いや、1つだけA判定があったな。ちょっと前に2ちゃんねるで騒がれていて、ネタのつもりで書いたBF校、日本橋学館大学。進学させてくれなかったけど。

卒業式には、行かなかった。

よく覚えていないが、このころは全ての夢が潰えたショックで、ただひたすらに家でぼーっとしていたような気がする。

              ―――Check mate―――

ふと、そんな言葉が頭をよぎった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

記事が途中で切れてしま不具合が発生したので前後編に分けました

続き→anond:20130522180539

2013-05-13

友人がア○ウェイにときめいた

友人が、仕事で知り合った人に食事に招かれたらしい。

友人はググればヒットするとある行商チックな仕事をしている。

どうやらその行商中に知り合ったとのこと。

仕事中に出会った人に食事に誘われた」とか言ってるから、どうせマルチとかだろとか思ったら案の定ア○ウェイだった。

「どうせマルチかなんかの人でしょ?」って言ったら、「ア○ウェイはやばくないでしょ?」って。

友人の現在の職もちょっと宗教がかった匂いがするお仕事

元々世間知らずというか一般常識があまりないやつなので、今の仕事するって言ったとき不安だったが、更に輪をかけて今度はア○ウェイ。

マルチは駄目でしょ」

「ア○ウェイはやばくないでしょ?」

「あれもマルチでしょ。上のやつしかからない仕組みだよ。」

「けど、ビジネスとしては面白いと思うんだよね。」

「下のやつは売るの大変だし、簡単に上にあがれるもんじゃないよ。」

「けど、俺もの売るのは得意だし、いいと思うんだよね。マルチはよくないけど、別に俺がもの売るだけだからよくね?」

友達なくすぞ。」

「なんで?」

「あれやってるやつって、どんどん普段もモノ売るとか、向上心がー見たいな感じで言動がちょっと怪しくなるから、周りの人がひいてくよ。」

「けど、俺普段からそんな感じだから別によくね。」

・・・。」

普段から自己啓発書読みまくったり、会社研修だかで妙なポジティブさを捩じ込まれてるやつだけど、まさかこんなにころっと靡くとは思わなかった。

そして、ア○ウェイはやめとけと説得する俺の語彙の少なさ。

このままだと本当にア○ウェイ始めちゃいそうだ。

どうにかしないとな…。

2013-04-23

ブラックでしごかれた私が仕事生産性上げる方法書きます


仕事術って、「こう考えよう」とか「クリエイティブ意識しよう」とか、精神論というか抽象的な心構えみたいなのを語るものが多い気がします。

しかし、ビジネスっていうのは基本的に、具体的な成果をいか効率よく出せるかが勝負です。「仕事を楽しもう」なんて生暖かいこと言うのもいいですが、子どもがいるような家庭では特にそんなこと言ってられないのが普通なんじゃないでしょうか。

実際、べつに特別なことでもなんでもありませんし、自己啓発書とかビジネス書に書いてあるようなことかもしれませんが、生産性上げるために私が意識してることを書きます

達成条件を決める。

「これができたら達成。できなかったら失敗」というように、具体的な達成条件を決めて仕事をしよう。勿論、そのためには具体的な目標必要

基準をどこにするか見極めよう。

仕事の達成条件を決めるとき、成果を評価するのは誰なのかを考えよう。顧客なのか、取引先なのか、上司なのか、市場なのか。誰からも高い評価を得られるような仕事は素晴らしいけど、基本的にリーチを広げ過ぎると収集がつかなくなる。絞ったほうがいい。

ペラペラでも全体図をつくって、確認しよう。

せっかく時間と労力をかけて、達成条件を満たした仕事を仕上げても、駄目出しを食らってやり直さないといけなくなるときがある。予め駄目を出しそうな人を見つけて、簡単な大枠を伝えて確認をとるほうが、無駄差し戻しがなくなってベター

時間を決めてチェックしよう。

作業の進捗具合をチェックするのは重要。具体的な目標と、それに関する具体的な達成条件が決まっているなら、そこにたどり着くまでにあと、なにが、どれくらい足りないのか、埋めるためにはどうすればいいのかを把握するのは簡単だ。30分とか1時間ごとに、作業の進捗具合をチェックする癖をつけよう。

流用しよう。

時間と労力をかけて車輪の再発明をするくらいなら、余所から車輪をパクってきたほうが速くて効果的なことのほうが多い。似たような先例を探すなり、過去自分がやったもので流用できそうなものがないか調べよう。

諦めて手を抜こう。

ぜんぶを完璧にしようとすれば、キリがない。「まだ完成じゃない」「なんか違う気がする」と言い続けてると仕事が終わらない。時には「ここは捨てよう」という諦めも肝心。100点の答案を追求して提出期限が切れるより、75点の答案を期限内に提出するほうが絶対にいい。

まずは手をつけよう。

難しい課題はなかなかやる気が起きない。軽い仕事をこなしてやる気が降りてくるのを待つくらいなら、「30秒だけ」と決めて少しでもいいから手をつけよう。30秒の間にちょっとでも仕事が進んじゃうと「中途半端から最後までやっちゃおう」という気が起きるので、それを利用して一気に片付ける。

2011-12-28

文系社会人の言う「勉強」って完全に「資格試験勉強」のみを指してるよね。

あとはなんか変な毒にも薬にもならない自己啓発書適当に読むこととかか…。

2011-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20110823210923

ドヤ顔ビジネス本読みだす奴がいたのかw

それは鬱陶しいだろう。

ビジネス本とか自己啓発書の類って「たまにはこういうのもいいかと思って」とか「流行ってるから一応」なんて言いながら

自嘲的に、半ば隠れながら読む物だと思ってた。

「いまさら聞けない○○の基本」みたいな本と一緒で。

http://anond.hatelabo.jp/20110823191516

社会人勉強!とか言ってビジネス本とか自己啓発書ばっか読んでるという人はもうマジで何がしたいのか全くわからない

2011-08-07

なかなか目標達成できない人へ(自分含む)

ブログに書いたんだけど、誰も辿りつかないと思うので、ここに転載

この記事は、目標が達成のために毎日もがき苦しんでいる自分に向けて書いたものだ。あなたが同じように目標達成に苦しんでいるなら、いくらか役にたつかもしれない。

突き抜けている男、坂口恭平

この記事(新政府の初代内閣総理大臣は建築家!?──坂口恭平)を読んで思った。

突き抜けている人の共通項は「オレのやるべきことはこれだ!」と良い意味で盲進し、そして盲信し続けられる人だ。

上の記事で紹介されている坂口恭平さんは、ホームレス住まい(つまり段ボールハウス)の写真集を出し、現在は「新政府」の総理である新政府坂口さん自身が自分勝手に作ったものだ。間違いなくヘンな人であり、突き抜けてる。

坂口氏は言う。

でもホームレスたちは自分材料を集め、最適なサイズを見極め、住まいを作り上げていく。(中略) そんな姿にものすごく興奮したんです

ホームレス住まいに興奮するという感性はもちろん素晴らしいが、そこから「オレはホームレス住まいを撮りまくるんだ」という行動に結びつき、結果として「写真集を出す」にいたるまでその行動が持続するのがすごい。普通なら、「ホームレス住まいはすごい!」と思っても、「写真集を出す」という結果に結実しない。

目標達成できない人」に足りないのは

まり、「目標達成できない人」に共通して足りないのは以下の2点ということになる。

  1. あることを盲信し、その盲信に行動が伴うこと
  2. その行動が結果に結びつくまで持続すること

この2つの中で特に難しいのは後者ではないだろうか。何かを始めることは比較的簡単だ。「よし、毎日英語勉強しよう」「週に3回ウォーキングをしよう」と。しかし、それが続かないのが人間というものだ。

継続するのは本当に難しい

有名な自己啓発書にこんなことが書いてあった。

私が成功したのは、成功するまであきらめなかったかです

この命題は、論理的には当たり前のことを言っているだけだ。が、妙に心に響く言葉である。それは、多くの人にとって、持続することがいかに難しいか物語っているからだろう。

「3日坊主」というくらいで、続けることは本当に難しい。「毎日○○をやる!」と決めて、それが半年間でも続いたことがいったいいくつあるだろう。半年でも続いたら成功としたとき、その成功率はいったいどれだけになるだろう。「ウォーキングをする」「10分英語ニュースを聞く」という、原理的には誰にでもできる簡単な行動であっても、それすら続かない。

「うまくいくまでやめない」という脅威の粘りを発揮するには

私も多くの人と同様に「継続性のない」人間に分類される。粘り強さの無さが目標達成の上で最も大きい障害のひとつだ。この障害がいかに大きいかを自覚して以来、何かを継続している人に「継続するために最も大切なことは何か?」と聞くようにしている。

その答えは千差万別だが、整理すると、以下の2点に集約できる。

  1. 始める前にビジョンを持つこと
  2. 続けることのインセンティブ継続的に存在すること

まずビジョンだ。継続している人は、それをスタートしたときに、(無意識的にせよ)以下のことが明確にイメージできていることがほとんどのようだ。

  • ゴールは何か?
  • ゴールを達成するための日々の行動は何か?
  • ゴール達成の中間ポイントマイルストーン)の指標は何か?
  • そのゴールを達成するメリットは何か?どんな良いこと待っているのか?

ゴール、メリット、日々の活動は継続できない人も意識しているだろう。だが、本当の意味で「ビジョン化」できているだろうか?ビジョンというのはビジュアルという言葉からわかるとおり視覚からきている言葉だ。であるからには実際の映像としてイメージアップできていなければならない。

東大合格!」と紙に書いて貼るのはいいが、自分東大合格したところが映像化されていなければならない。どこでどのような勉強を誰とどのくらいしているか、というイメージ視覚化されていなければならない。

※これはデザイン思考の日本第一人者である奥出直人教授から学んだことだ。デザイン思考でも、ビジョンを構築する際に、言葉ではなくモノとしてイメージされていなければならないという。

そして、継続できない人の多くがそもそも意識していないのは3番目(マイルストーン存在)ではないだろうか?TOEIC900点というゴールに対して、700点、800点というサブゴールをいつ達成するかということを明確化しておくのは継続するためにとても大切なことだ。

サブゴールを立てることがインセンティブにつながる

そして、実はサブゴールを立てることこそが、上記の2(続けることのインセンティブ継続的に存在すること)に直結するのだ。

このことは、どうも心の性質と関係があるようだ。人間は、「達成した!」という感覚そのものが大きなインセンティブになる生き物らしい。

「この製品デファクトスタンダードにする」という目標を立てるのはいいが、その目標に対する目の前の目標を立てることが継続の秘訣というわけだ。「プロトタイプを完成させる」「○○さんに高評価をもらうまで洗練させる」「1社に採用してもらう」「年末までに○○万円会社の口座にある」といったサブゴールを立てておこう。そしてサブゴールが達成されるごとに自分を褒めよう。いや、褒めることすら不要かもしれない。人間にとって「達成」そのものが実に大きなご褒美なのだから

はい本質的重要なのは良いゴールを立てること

はいえ、である。サブゴールを立てることは、いわば「テクニック」だ。そのテクニック継続

成功したとしても、ゴールがあなた幸せにつながってはじめてその継続意味を持つ。

良いゴールを立てるにはどうしたらよいか、これはまた別の記事で考えてみたい。

2011-07-26

自己啓発にハマる人間は、笑えるぐらい搾取やす

自己啓発に、はまる人というのがいる。

基本的にネガティブ思考な人間あるいは、精神的に弱い人に多く存在する。

例えポジティブ思考であっても、「幸せになりたいがどうしたら良いかからない」と考える人だろう。

また、ネット上では多少強気な発言をするにも関わらず、リアルでは長いものに巻かれろ的な弱い発言が多かったりする。

から、実際に会うとそのキャラクターのギャップに驚くだろう。

ただ、実際問題のところ「善人」が多いのだと思う。

いずれにせよ、そういう人は「自分の言動に対して、もの凄く自信がない」。

から、何かと流されやすくて騙されやすい。道しるべをしてくれる人に対して妄信するのだ。

目次

  1. 自信がない人は仲間を探す
  2. 販促信者がしてくれる
  3. 儲かる仕組み作り
  4. 感動なんて技術で作れる
  5. 信者から教祖側に回る人間
  6. 自己啓発というネーミング力
  7. 最後


自信がない人は仲間を探す

もの凄く自信がないと、どうなるか?というと、誰か頼れる人を探す。

でも、そういう人は大抵コミュニケーション力が乏しくなかなか言いたいことも言えないので、リアルではなかなか探せない。

から自己啓発書多読したり、善人を演じているみたいな自己啓発ブログを読んで信者になったりする。

この時点で、ただの娯楽レベルで楽しむなら問題はないだろう。

ただ、それから一歩進むと、自己啓発系のセミナーに行ったりして一種の妄信状態になる。

最初は、1000円ぐらいかもしれない。だが、次第に3万、5万、10万と上がっていく。

貯金を崩し、本来なら他に使うべきだったお金を費やす。これは、もはや娯楽レベルを越えているだろう。

そして、そこで仲間を作る。ただそこでも、特出した行動はせず「〇〇〇って凄いね、学べたね」と言い合う、慣れ合う、

だが本質のところでは何も変わらない。当然、あくまで自分と同じような立ち位置レベルの人ばかりのぬるま湯からだ。

心地よい代わりに、刺激がない。

実際、リアルで凄い人は、そんな場所には絶対にいないからだ。

から結局のところ、自信をつけることには到らず、しばらくしたら次の寄生先を探す。

自己啓発教のFacebookコメントとかを読んでみよう。気持ち悪いぐらい、お互いを褒めあっている。

むしろ、褒めるしか能がないのかと思うこともしばしばだ。それも褒め方が一様だ。

「これいいですね」「この考えはなかったです」みたいな。

いや、お前本当に考えて読んでいるのか?他に言うことはないのか?と感じる。

だが、それを求めているのだろうし、悪くはない。

それが実生活で役に立つか、というのは、参加者にとっては本質ではない。

要は、妄信した上での仲間が欲しいのだ。ファンの集いと言ったほうが分かりやすいかもしれない。

こうして、セミナー主が「右を向けと言えば、右を向き」

「左を向けと言えば、左を向く」従順教徒が出来上がっていく。仮に誰かがその主催側を叩く発言をしたら、

積極的に擁護するだろう。そう、度が過ぎると、時として信じるという力は攻撃性を生む。

そして、それが正しいと思い込む。だから、周りへの勧誘をし始めたりする。

販促信者がしてくれる

そして、セミナー主は、恐らく参加者に向かってこう言うだろう。

「学んだことは、アウトプットすることが大切です。

今回、学んだことは必ずブログ記事にしましょう」など。これで上手く販促活動まで出来る。

一度妄信してきた人間を操るのは、こんなに簡単だ。


儲かる仕組み作り

から精神的に弱い人から搾取する方法としては、まずは憧られることが重要だ。

年収職業、あるいは人間性。特に人間性というのは、「演じやすい」。

例えば、ブログTwitter完璧キャラクターを演じることも可能だろう。

その後、少しずつ同じようなことを手を替え品を替え、刷り込んで信者を作り、

例えば、自己啓発の分野で書籍の発行にまで持って行く。

そしてその本が売れたら雑誌ネットへの露出が増え、それを契機にセミナーや有料のメルマガなどを開設し、

儲かる仕組みを作り上げていく。

感動なんて技術で作れる

からセミナー主が大切にしているのは「発言そのもの」というよりは、空気だ。

ここには仲間がいます安心ですよという空気を作り出す能力に優れている。

実際、発言内容だけとったら、スカスカな内容だろう。

だが、それをあたかも凄いかのように演出で作り出していく。これは、映画などに近いだろう。

「感動させること」は、「笑いを取ること」よりも技術的に簡単であるからだ。

から、演出力が凄い。参加している人は、1つのエンターテイメントのように感じるだろう。

そのため、あたか価値があるかのように錯覚やすい。

実際のところ、その辺の本を読んだことと、本質的には変わらないんだけれど。

信者から教祖側に回る人間

ちなみに、笑える話だが、信者の中にはそこから自分なりの自己啓発を生み出し稼ごうとする人間もいる。

まり自分成功するには他の自己啓発教を引き入れれば良いと考え、自らが教祖に名乗り出るのだ。

から自己啓発教の中でも教祖への道を歩き始めた人間ブログを見ると、

メルマガ作りました成功情報満載です!」とか「勉強会を開催しています!」とかの言葉が次第に増えてくる。

搾取されていた側から搾取する側に回ろうと考えているのだ。

自己啓発というネーミング力

あと、自己啓発という名称が良かったよね。

たかスキルアップするかのような、幻想を抱かせる言葉だもん。

不安煽りその解決策を提示する、というビジネス

世に仕組みとして多く存在しているだろう。

例えば、健康食品がそうだ。加齢すれば、それなりに人間体が悪くなるのは当然。

でも、そこに付け込んで「これを飲めば」と提示する。

あらかじめ誰もが抱く不安を利用するという意味で、すごく効率が良い。

また名称に「健康」を入れたのが大成功だろう。

これが「老人食品」だったら、どうだろう?

健康食品」という名称にすることで、最初は老人をターゲットにしていたはずの健康食品は、

次第に若年層にまで浸透し始めた。この仕掛けを作った考えた人って、つくづく凄い。

そして、実際、健康食品を購入する層というのは、それっぽいキャッチコピーで騙されているだろう。

実際にどの成分がどのような働きをして、どのように役立つかまで考えている人はそういないはず。

何となく体に良さそう・・と考える人からいくらでも搾取できるわけである

稼ぐ側から見ると、笑いが止まらないのは事実だ。

パチンコ宝くじも近いかもしれない。確率に関して考えることの出来ない人間搾取されているだろう。

宝くじとは、夢を買うことだ」みたいに、言い出したのは誰なんだろうね。上手いことを言う。

最後

妄信状態というのは、一種の麻薬中毒だ。

例えば、2,3週間、意図的にその事柄から離れてみよう。

その間に、本当にリターンがあるのかを冷静に考えてみよう。

一旦、毒が抜けるのを待って見よう。

もし、その結果必要なのであれば、言うことはない。

お金が欲しい」「成功したい」「健康のままでいたい」と考える人間は、基本的に楽をしたがる。

そして、その楽をしたがる人間というのは、簡単に騙される。

世の中に、そうそう甘い話なんてない。

追記(7/27)

id:kanoseさんに、ブログ記事のブックマークコメント

「ふと思ったけどブクマ集めた記事を他の人が自分が書いたと言っても、

元記事にURLを追記する以外、証明する方法ってないよなあ」と、言われたので一応。

///削除///

id:cg_121さん

「脳」から「頭」に表現を変えました。指摘ありがとうございます

(※しかし、ここで私の勘違いが発生していた!)

id:candy296さん

「頭」から「能」に表現を変えました。指摘ありがとうございます

2010-06-21

何を求めて働けばいいのか(笑)

みんな、そろそろ山頂での生活というものに順応したほうがいい。

今日ね、なんか疲れたなーと思って仕事休んで、ダラダラしてたの。いいでしょ。

で、ネット見てたら、この記事に行き当たった。

何を求めて働けばいいのか

丹羽宇一郎×香山リカ

http://www.aera-net.jp/summary/100620_001724.html

みんなも知ってのとおり、丹羽さんって70歳くらいのおじ(い)さんで、

伊藤忠会長やって、日本郵政取締役やって、地方分権改革推進委員会委員長やって、というクールな経歴の持ち主です。

香山リカさんもかなり有名人だけど、丹羽さんのようなマッチョな経歴からしたら、

「ちょっと自己啓発書で有名になってテレビとか出てる人」程度なわけで。

(そして香山さんからしたら、オレはうんこです)

そんな丹羽さん曰く、

大学を出て3年以内に会社を辞めた人たちとテレビ番組ディスカッションしたことがあります。彼らは「くだらない仕事をずっとやっている人の気が知れない」と言うんです。でも最初から楽しい仕事なんてないし、最初から自分に合った仕事が見つかるなんてめったにない。辛抱して基礎を学んでいるうちに、知識も増える。長く辛抱して基礎を学ぶほど、より大きくジャンプできる。だから、5年、10年は「アリのように働け」と言うんです。でも、辛抱強く5年働ける若者は、だんだん少なくなってきています。

ふむふむ。

香山さん曰く

(丹羽さんの)恩師は、丹羽さんだったら我慢すればそのうち頭角を現すという確信があったから、(もうちょっと我慢して仕事を続けろと)言えたんでしょう。いま、「我慢したらいいことあるよ」と言える大人は少ないと思うんです。

そんな香山さんに対して丹羽さん曰く、

そんなことはありません。ひたすら一生懸命やれば必ず周囲の人が評価してくれます。「ブタもおだてりゃ木に登る」ではありませんが、人間は、上司が認めて、任せて、褒めるとどんどん成長していく。香山さんやぼくは「努力すれば必ず報われる」と確信を持って言っていくべきですーー。

ふむふむ。

ここでこの記事は終わってますが、ここでうんこなオレがこの対談に突してみると妄想してみます。

うんこなオレ曰く、

丹羽ちゃん、丹羽ちゃん、そんなことはありません。ぼくはひたすら一生懸命やってきたのですが周囲の評価は「なんか空回りしてる人」でした。たまに「キミはがんばってるねえ」と言ってくれるおじさんもいましたが、その人は僕にこびを売っているだけなのが見え見えなので、「どうも」とか言って適当に流してました。

丹羽ちゃん曰く

それでもいいじゃないか。5年前の自分を振り返ってみたまえ。いや、僕にはわかる。もしキミが本当にがんばっているならば、辛抱して基礎を学んでいるうちに、知識が増えたはずだ。そして長く辛抱して基礎を学ぶほど、より大きくジャンプできるのだよ。(当該記事から一部改変して引用

オレ曰く、

ジャンプって具体的になんすか?出世昇給スキルアップ

このまま続けていっても、ひろゆき氏と勝間氏の対談みたいにかみ合わない気がするので、ここらで妄想はやめます。

論点は2つ

1.「ジャンプ」は、がんばれば本当に得られるのか?

2.「ジャンプ」って具体的になに?

当たり前なんですけど、2010年現在、「がんばれば何らかの見返りが得られる」という可能性は

丹羽さんの若かりしころよりも確実に低いです。少なくとも物質面では間違いない。

経済成長は十分にしたので、みんなでがんばってもこれ以上成長するのは無理で、

いくらがんばっても空回りしてるにすぎないからです。

コンサル業界面接で、

面接官「人口100人くらいの村でローソン経営してたとします。売上の上限はいくらですか?」

と聞かれて

就活生「青天井!」

って答えるわけないんで。

GNP中国にぬかれて日本ピンチ!とか言ってますけど、「はぁ?ようやく追いついたの?」です。

だって、中国人口って日本の10倍くらいですよね。たしか。

10倍の人数でがんばって、やっと同じになったって、今までなにしてたの?日本がすごいだけなの?

というわけで、がんばっても(物質的に)報われずらい現代日本です。

前フリ終わり。

読んでくださってる皆さんにお聞きしたいのですが、

「がんばらないと手に入らない、そしてそれを手に入れたいならば全力でがんばる覚悟がある」

ってなにかありますでしょうか?

都内在住で単身世帯な僕(30歳)なのですが、特に思いつきません。

僕が「これは持っておきたいなー」というのは

健康を保てるだけの食物と水

・恥ずかしくない程度の清潔な衣服

日本基準で平均並の住居

・一緒にいて楽しい家族と友達

・安全

パソコンネット環境

・言論及び思想の自由

・なんか今日体調悪いなー、と思ったときには仕事をさぼってダラダラしてOKな自由

・なんか天気いいから海にでも行くか、と思ったときに仕事をサボる自由(月に3回〜4回程度)

です。そして、もう全部手に入れてしまったのです。えっへん。

これを手に入れるために、がんばる必要はまったくありませんでした。

がんばらなくてもこれらのほとんどが手に入るってすごいことなんですよね、日本海外情勢とか無知ですが。

最後の2つはやや難関でしたが、会社やめて、オンライン自分のお店を持つことで手に入りました。

オンラインショップというと怪しげですが、「お客様幸せにできる商品を真心込めてご提供」的にやっているので、割と喜んでいただけています。

収入は1/3に減りましたが、お金があったときは「無くても困らない物」にお金が消えてただけなので、まったく問題ないです。

そんな僕の生活ですが、

僕は、自分の生活を「山頂の生活」と名付けています。

高度経済成長期は山の中腹で生活していたので、とりあえず足を動かせば登って行けたわけです。

なので登っていた。(ほぼ)全員。

そして日本はもう山頂にたどり着いたのです。

先人たちの血と汗と涙のおかげです。まじで感謝したい。

僕の父親はめちゃくちゃ働いて、いっぱい稼いでいた。母方のじいちゃんは戦死した。

父方のじいちゃんは、なんとか生き残って東京オリンピック見た。体調悪いのに「これが見れれば死んでもいい!」と日本バレーボール試合テレビで見て、翌日本当に死んじゃってた。過労によるクモ膜下出血。僕はこの人たちの血をひいていることを誇りに思ってます。うん。

一方、いま僕たちがいる山頂での生活は中腹での生活と違います。登りたくても、ここにはもう登る山はないです。

楽天ユニクロ海外進出に力を入れるのは、「これ以上登るには別の山にいくしかない」からなんですね。たぶん。

山頂での生活は最高です。見晴らしいいよね。

こないだ、金持ちの友達が住んでるタワーマンションの屋上にこっそり登って夜景をみたのね。「東京すげー。戦後焼け野原だったのに。(´;ω;`)ブワッ」と思いました。

そりゃ、ワーカホリックな人は別ですよ。

実は僕も20代は血気盛んでして、「起業してヒルズ族になったるぜー。ふははー。」とか思ってガツガツしてましたが、

おカネがあっても虚しいことが心底理解できたので、山頂での生活に順応することにしました。

山頂での生活はなかなかです。

24時間のうち、8時間は寝ています。週に2回は必ず休んでダラダラしたり友達と遊びます。

仕事をする日は8時間くらい仕事します。仕事中は精魂込めて一生懸命やりますが、夜は友達の家でビールを飲んでグダグダします。

料理楽しいので、外食はほぼゼロ自炊します。楽しい上に1食100円〜200円とお安いのも嬉しいですね。

とかやってると、月に10万円ちょいでこの生活が維持できるので、リスクをとってお店を大きくすることはしません。

ビジネス自分が制御できる範囲を超えて暴走しはじめるのが恐ろしい。たとえ売上が伸びても制御不能になるともう大変だから。

以上、就活エントリーシートの書き方などでロジカルシンキングwを鍛えてらっしゃる若者には突っ込みどころ満載な非論理的な文章ですが、

雰囲気は伝わりましたでしょうか。

みんな、そろそろ山頂での生活というものに順応したほうがいい。

2010-06-03

自己責任論者の欺瞞

辛い状況にある、環境に対して反応的に生きざるを得ない人に対して、自己責任論を押し付けるのはおかしい。

その手の人に限って、検察自白強要について意義を唱えたりする。

自白強要を問題視するということは、

精神的圧迫によって人が容易に反応的になりうることを理解していることを示す。

じゃあなぜ、同じく水と食料と安全が確保されたからといって、

社会による精神的圧迫によって反応的にならざるを得ない人間に、

自己責任と言い放つことができるのだろう。

多くの成功者が挙げる自己啓発書7つの習慣」を読んでいて、そんなことを思った。

たぶん、彼らが自己責任論で啓発されてきた感覚から支持されてきたのだと思う。

自己啓発としての自己責任論は素晴らしいと思うが、

それを社会設計の場面にまで持ち込むのはお門違いだ。

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