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はてなキーワード: 坂口恭平とは

2020-11-16

はてブのアホが「路上生活者」と「河川敷に住む路上生活者」の区別もつけずに顔真っ赤にしながら怒っている件について

・「河川敷に住む路上生活者」は、多くが安定的な”家”を持っているホームレスである

・「河川敷ホームレス」は、公園や駅舎に住むホームレスとは少し違った人たちである

・「河川敷ホームレス」は国や自治体が行うホームレス政策にも左右されずに暮らしている

・「健康文化的な制定限度の生活」をしているホームレス

以上、村田ラムホームレス消滅」より引用

皆、最近ホームレス事情はアタマに入ってる?

良識あるリベラル側に立とうとして、自分無知偏見をむき出しにしてない?

大丈夫

《わかってない連中》

pero_pero 生活困窮者を奇妙な生態の生き物扱いしてて困惑した。好きでやってるんちゃうで…

hase0831 バチバチ無知無意識差別がつるんと剥き出しになっていて心底怖かった…

pero_pero 生活困窮者を奇妙な生態の生き物扱いしてて困惑した。好きでやってるんちゃうで…

TownBeginner ホームレスをただコンテンツとしてしか消費しない姿勢が「恐ろしい」と感じたし、この姿勢自分もどこかでとっていないか注意しなければいけないと思った。こんなにおぞましい文章になるんだ。

cj3029412 気が狂っていてよい。“生きかたが違うからこそ、相手のやりかたを見て気づけることがきっとたくさんある。そんな期待とワクワクと共に、おじさんたちの訪問を続けている。”

niseki 無邪気な人たちですね

mEGGrim 何様の目線なんだろうな“そこからホームレスの意外な一面が浮かび上がってきました。cakesクリエイターコンテストの優秀賞を受賞した、異色のノンフィクションをお届けします”

《わかっている連中》

kurimanju 既にコメ欄にあるけど坂口恭平の「TOKYO0円ハウス」はめちゃくちゃ面白い合法的自動車バッテリーもらってきてバイクライト接続して灯りを得る話とか、自分路上で暮らせると錯覚させるほどエピソードが具体的

okesagaki 坂口恭平の本の方がよっぽどこういう人たちへのリスペクトがあって良いよ。

neet_modi_ki noteを見るに取材対象者との信頼関係はありそうだし支援もしてるようだけど。 https://note.com/atorie 生態学的観察はもっと露骨村田らむとかがやってるけどね…ほっこり文体との食い合わせに違和感があるのは分かるが

2012-12-13

坂口恭平イケダハヤト古市憲寿とみうらじゅんpha共通点

記述対象と記述者が実際には違うということ。これは「ネタベタ」問題とも通じるだろう。

まり、否定的に捉えられがちなある対象の革新性を持ち上げることによって利益を得ているが、記述者はその記述対象とは違うということ。

phaさんはニートに対して新しい意味付けを行ったが、実際phaさんはニートを抜け出せる、抜け出しつつあるということ。

古市憲寿は貧乏まったり若者に対して新しい意味付けを行ったが、実際彼は有能な起業家と一緒に会社経営し、学者としても成功を収めているということ。

みうらじゅん童貞に対して新しい意味付けを行ったが、実際みうらじゅんヤリチンであるということ。

この問題は、坂口恭平にも宮台真司にも適応できる。

僕はイケダハヤトに「お前は年収150万円じゃないし、コンサルとか講演で稼いでるじゃん」と言いたい訳ではない。

「お前はホームレス生活してないじゃん」という批判に対して、坂口恭平は「大リーガー記述をするのに、大リーガーである必要があるのか」と返した。

なるほどと思ったのだが、これは違う。

別に大リーガー生活の取材をしても、ホームレスの一般的な取材をしてもこのような問いは出て来ない。

なぜ、このような問いが投げかけられるかといえば、ホームレスを一般的な考えとは違い賞賛すべきものと描いているからだ。

社会的強者社会的弱者賞賛する際に「お前はその生活してるのか」という問いがなされる。

本当にそんないいものであったら、お前はやってるんだろうな、実際やってないじゃんと思うのが世間的判断というものだ。

モバイルハウス提唱するのに、モバイルハウスにその人自身が住む必要はないと僕は思う

しかし、その実態というものを覆い隠してはならないと思う。

例えば、鬱期であったら坂口恭平モバイルハウスゼロ円で家族生活などできないだろう。

そういった病気税金保険料彼女とのデート代といった身も蓋もない現実ということも同時に見なければならない。

それを込みにして、彼らの「パフォーマンス」を受け止めなければならない。

一般的な価値をひっくり返す言説を信じることに伴うリスクを知っておかなければならない。

(中略)

彼らが行なっているのは、社会的強者からなされる「弱者」を「弱者」ではないとする正当化であり、慰撫だとも言えるだろう。

彼らの言説が新しい価値を訴えるものなのか、実際は単なる慰撫であるのかは自分で判断するほかないだろう。

新しい価値観の提示に潜む欺瞞について - ASIAN CHAOS

2011-08-07

なかなか目標達成できない人へ(自分含む)

ブログに書いたんだけど、誰も辿りつかないと思うので、ここに転載

この記事は、目標が達成のために毎日もがき苦しんでいる自分に向けて書いたものだ。あなたが同じように目標達成に苦しんでいるなら、いくらか役にたつかもしれない。

突き抜けている男、坂口恭平

この記事(新政府の初代内閣総理大臣は建築家!?──坂口恭平)を読んで思った。

突き抜けている人の共通項は「オレのやるべきことはこれだ!」と良い意味で盲進し、そして盲信し続けられる人だ。

上の記事で紹介されている坂口恭平さんは、ホームレス住まい(つまり段ボールハウス)の写真集を出し、現在は「新政府」の総理である新政府坂口さん自身が自分勝手に作ったものだ。間違いなくヘンな人であり、突き抜けてる。

坂口氏は言う。

でもホームレスたちは自分材料を集め、最適なサイズを見極め、住まいを作り上げていく。(中略) そんな姿にものすごく興奮したんです

ホームレス住まいに興奮するという感性はもちろん素晴らしいが、そこから「オレはホームレス住まいを撮りまくるんだ」という行動に結びつき、結果として「写真集を出す」にいたるまでその行動が持続するのがすごい。普通なら、「ホームレス住まいはすごい!」と思っても、「写真集を出す」という結果に結実しない。

目標達成できない人」に足りないのは

まり、「目標達成できない人」に共通して足りないのは以下の2点ということになる。

  1. あることを盲信し、その盲信に行動が伴うこと
  2. その行動が結果に結びつくまで持続すること

この2つの中で特に難しいのは後者ではないだろうか。何かを始めることは比較的簡単だ。「よし、毎日英語勉強しよう」「週に3回ウォーキングをしよう」と。しかし、それが続かないのが人間というものだ。

継続するのは本当に難しい

有名な自己啓発書にこんなことが書いてあった。

私が成功したのは、成功するまであきらめなかったかです

この命題は、論理的には当たり前のことを言っているだけだ。が、妙に心に響く言葉である。それは、多くの人にとって、持続することがいかに難しいか物語っているからだろう。

「3日坊主」というくらいで、続けることは本当に難しい。「毎日○○をやる!」と決めて、それが半年間でも続いたことがいったいいくつあるだろう。半年でも続いたら成功としたとき、その成功率はいったいどれだけになるだろう。「ウォーキングをする」「10分英語ニュースを聞く」という、原理的には誰にでもできる簡単な行動であっても、それすら続かない。

「うまくいくまでやめない」という脅威の粘りを発揮するには

私も多くの人と同様に「継続性のない」人間に分類される。粘り強さの無さが目標達成の上で最も大きい障害のひとつだ。この障害がいかに大きいかを自覚して以来、何かを継続している人に「継続するために最も大切なことは何か?」と聞くようにしている。

その答えは千差万別だが、整理すると、以下の2点に集約できる。

  1. 始める前にビジョンを持つこと
  2. 続けることのインセンティブ継続的に存在すること

まずビジョンだ。継続している人は、それをスタートしたときに、(無意識的にせよ)以下のことが明確にイメージできていることがほとんどのようだ。

  • ゴールは何か?
  • ゴールを達成するための日々の行動は何か?
  • ゴール達成の中間ポイントマイルストーン)の指標は何か?
  • そのゴールを達成するメリットは何か?どんな良いこと待っているのか?

ゴール、メリット、日々の活動は継続できない人も意識しているだろう。だが、本当の意味で「ビジョン化」できているだろうか?ビジョンというのはビジュアルという言葉からわかるとおり視覚からきている言葉だ。であるからには実際の映像としてイメージアップできていなければならない。

東大合格!」と紙に書いて貼るのはいいが、自分東大合格したところが映像化されていなければならない。どこでどのような勉強を誰とどのくらいしているか、というイメージ視覚化されていなければならない。

※これはデザイン思考の日本第一人者である奥出直人教授から学んだことだ。デザイン思考でも、ビジョンを構築する際に、言葉ではなくモノとしてイメージされていなければならないという。

そして、継続できない人の多くがそもそも意識していないのは3番目(マイルストーン存在)ではないだろうか?TOEIC900点というゴールに対して、700点、800点というサブゴールをいつ達成するかということを明確化しておくのは継続するためにとても大切なことだ。

サブゴールを立てることがインセンティブにつながる

そして、実はサブゴールを立てることこそが、上記の2(続けることのインセンティブ継続的に存在すること)に直結するのだ。

このことは、どうも心の性質と関係があるようだ。人間は、「達成した!」という感覚そのものが大きなインセンティブになる生き物らしい。

「この製品デファクトスタンダードにする」という目標を立てるのはいいが、その目標に対する目の前の目標を立てることが継続の秘訣というわけだ。「プロトタイプを完成させる」「○○さんに高評価をもらうまで洗練させる」「1社に採用してもらう」「年末までに○○万円会社の口座にある」といったサブゴールを立てておこう。そしてサブゴールが達成されるごとに自分を褒めよう。いや、褒めることすら不要かもしれない。人間にとって「達成」そのものが実に大きなご褒美なのだから

はい本質的重要なのは良いゴールを立てること

はいえ、である。サブゴールを立てることは、いわば「テクニック」だ。そのテクニック継続

成功したとしても、ゴールがあなた幸せにつながってはじめてその継続意味を持つ。

良いゴールを立てるにはどうしたらよいか、これはまた別の記事で考えてみたい。

 
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