2014-08-16

「全ての人間共感できる人がコミュニケーション能力を持ってる人」????????????

コミュ力 コミュニケーション能力 を拡大解釈するのはヤメましょう。 情報伝達以外の意味はありません。

※それ以上付け加えるならばコミュニケーション能力とは別の能力として主張すべき。

コミュニケーション力 拡大解釈

でググってみて下さい。

あと「コミュニケーション能力」でもググって下さい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/コミュニケーション能力

同意することだけがコミュニケーション能力勘違いしてる人」が多いようですが

批判コミュニケーションの一つ」です。

批判コミュニケーションでないならば、「はてな批判をしている人間コミュニケーション能力がない」ことになってしまます

まりイエスマンコミュニケーション能力のある人間」という定義になってしまます

ましてや「どんな人間にも共感することをコミュニケーション能力とする」なんて、この世にそんな人間ますかね?

ちょっと例を挙げるとこの世界の全ての犯罪者共感できる人間がいますか?

この世界の全ての悪意(日常を含む)に共感できる人間コミュニケーション能力があると定義する非実効性。

そもそもの間違いは「コミュニケーション」に「力」という文字を付けたのが間違い。

この世界人間経験多種多様記憶も違う。

1つのベクトルでくくれないのが「コミュニケーション」。

またパオロ・マッツァリーノは、自己啓発書の売り上げを上げるために不安煽り、彼らの都合のよい稼ぎ口として使われていること、も指摘しています

以下は参考のための引用

--------------------------------------------------

パオロ・マッツァリーノの指摘

パオロ・マッツァリーノは『反社会学講座』収録の「ひきこもりのためのビジネスマナー講座」において、浜口恵俊の「日本語にはもともとコミュニケーションにあたる言葉がないため訳せない」という意見を取り上げ、近年、企業等においてコミュニケーション本来の「意味拡大解釈」して用いられているようだと指摘し、問題視している。

マッツァリーノによればコミュニケーションには本来、「情報(知識や感情も含む)をだれかに伝える・交換すること」という技術的な意味しかなく、そのため言葉用法に従えば、上司や目上の人間へのある種の直接的な批判の類も立派なコミュニケーションとして成り立つことになると述べている。続けて「しかし、そうすることが日本企業社会奨励されているかというと、はなはだ疑問です」と言い、「日本人は古来、コミュニケーションなしで社会を成り立たせてきた」という事実を指摘し、安易コミュニケーションという単語を用いる現代の風潮を皮肉混じりに批判している。

スーザン・ケインの指摘

スーザンによれば、すべての人が同じコミュニケーションスタイルにおいて最良のパフォーマンスを発揮するというわけではなく、イントロバート(introvert)と呼ばれる『刺激に敏感で大量の刺激を本能的に避けるタイプ人間』と、エクストロバート(extrovert)と呼ばれる『刺激に鈍感で少量の刺激では必要量を満たせないために大量の刺激を必要とするタイプ人間』、二者それぞれの遺伝子レベル性質を生かした二種類のコミュニケーションスタイルこそ、無理のない持続可能な方法であるとしている。

近代以降、資本を求め商品をいかに買わせるかが社会の関心事となった経緯を紹介し、深い思考は苦手だが口先が巧みなエクストロバートを量産し経済拡大に用いるというシステム教育も含めて現代では日常化してしまっているという。この社会(エクストロバートワールド)では、イントロバートは欠陥品とされ(イデオロギーの定着のため病名まで発明された経緯もある)エクストロバートになることを強制される。しかしその性質遺伝子レベルで50%以上固定されているために、対外的にはエクストロバートを「ふるまう」、無理の結果として心の病を併発したり出社拒否に陥るケースがあるという。

彼女によれば、どちらのタイプも社交的であるという。両方とも自身性質に基づいた異なる社交性を備えており、イントロバートは多数の人間と社交を行うことは刺激が大量すぎる点で本質的に苦手だが、一対一または数人との社交においてエクストロバートを凌ぐ力があり、エクストロバートは刺激に鈍感であるがために多数の人間と社交を行うことができる。その反面、一対一または数人との社交において深い友人関係を築き長期にわたり維持することは苦手であるとされる。このため双方のコミュニケーションスタイル必然的に異なる形となるのが自然であるが、現在資本主義競争社会におけるバイアスのかかった社会においてエクストロバート型を唯一のコミュニケションスタイルと信じて疑わない状況がある。自分の話を聞かせたいエクストロバート、人の話を聞くことができるイントロバート、従来のリーダーの適任とされるのは前者とされてきたが、近年では後者の「引き出す力」に注目が集まり前者を凌ぐリーダーとしても可能性が示唆されている。多様なコミュニケーションスタイル人間多様性を認める社会であることが必須条件として、イントロバート存在と可能性について全人民的に社会的認知を深める必要があるという。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん