ブクマはしてないけど、「元記事を読んでいない」だったので、元記事読んでみた。
やっぱり、「ちきりん氏のお粗末な科学教育論 http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659 」を
読んだときの印象と変わらない。悪平等がいけないのには同意するが、現状がそんなに悪平等になっているとも
思えないので、全然感心しない。
むしろ、ちきりん氏の議論は「科学技術立国のための理科教育」というお題目を糞真面目に信じた上で
展開されているのだが、自分はこれが単なるお題目だと思っているので、納得できないんだろうな。
批判も議論もするつもりはないので増田に書き捨てるけど、同じものを読んでこんなに読み方が違うって、
なかなか興味深い。
これって、出会い系を法的にも社会的にも規制しすぎた側面もあるんじゃないかな?
社会で男女が知り合って仲睦まじくなっていく機会が減っていってる、
ネットがあれば、ある程度効率的にマッチングもできるんだろうけど、
未成年者や弱者を守るためとはいえ、バランス的に法規制が厳しすぎたというのもあるし、
そもそも「出会い系」って言葉のイメージが極端に悪くなってしまって
出会い系サイトを使うという選択肢は日本人としてはハードルが高くなってしまった。
facebook とか twitter とかが、もう少し相手見つけるプラットフォームになればいいけど、
そういうリテラシーに強い独身女性のパーセンテージの掛け算となると、
なかなか数字が上がりにくいんだろうなぁと。
見ると、会社の役職についてそうな60歳前くらいのリーマンのおっさんが、ドアそばに立ってた警備員帰りのおっさんにそんな感じで怒鳴ってた。
前は駅員に何かしらんがブチ切れているおっさんを見たし、電車絡みで何かトラブル起こしているのってやっぱこれくらいの人たちだよなあと思ったりした。
30代の自分くらいは総じて面倒なことは避けようくわばらくわばらってな感じ。
と思ったら、やっぱそれくらいのおっさんに電車の揺れに乗じて結構な感じで足を踏まれた。
いや、私の感覚では、「女子校(中高)の放課後の部活の雑談」で「そういやあんな痴漢がいてさ〜」って話になった時に、8割〜9割が経験談を話していた、ってところ。
おまえにとっての一部ってのはえらいでかいな。
一部例外って言って、三大保険のうち2つをガン無視ってそりゃいくらなんでも通らないだろ
むかしガキの頃四丁目の夕日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%B8%81%E7%9B%AE%E3%81%AE%E5%A4%95%E6%97%A5
を読んで、ああこんなアパートには住みたくないなあと思ったものだが
その後ゴロゴロと人生の坂を転がり落ち半発狂(奇声を上げたり奇行に出たりする)
結局超ボロいアパート(大家さんごめんなさい)に住まざるを得なくなって
住んでみれば住民はみんな普通の人ばかりで
一番のキ〇ガイは自分だったのが衝撃だった
なんつーかマンガによくある”自分に忠告してきた変なおっさんが未来から来た自分だった”みたいな
そんな感じの感慨があった
人の話聞かない野郎が理解されないのは同意です。そしてどうも今に始まったことでもないようで…
でもクソサヨとかネトウヨとか変なレッテル張って相手の「発言の真意」も考えずに「○○にあらずんば人にあらず」みたいに言い合ってる状況、これは違うんじゃあないかなーと。
過激派を見たときも「なんでコイツこんなこと言っとんの」と考えること、要は相手の真意を考えるのが足りないんじゃないかい、って思いまして。
今盛大にブーメランが返ってきましたが…
オマエが奥さんから死亡保障賭けられるときに、奥さんが受取人だと、
奥さんがオマエが死ぬ方に賭けた生命保険ギャンブルで、勝ちはオマエが死んだとき、負けはオマエが生き続けたときで、
100%勝ちがないってのは、バカの発言だろ
ははー
凄いこというねきみ
まあいいけど
その例えってさ
俺は昔、子どものわりに頭の回転が速いほうだったんだけど
相手と自分の会話を何手も先にシュミレートしすぎて逆になにも言えなくなる子どもだった。
たまに気を抜くと相手がまだ答えてもいない先の先の言葉にたいして頓珍漢な返事をしてた。
死亡保険って、本人が本人に賭けるだけじゃないから、適切なツッコミじゃないの?
オマエが奥さんから死亡保障賭けられるときに、奥さんが受取人だと、
奥さんがオマエが死ぬ方に賭けた生命保険ギャンブルで、勝ちはオマエが死んだとき、負けはオマエが生き続けたときで、
100%勝ちがないってのは、バカの発言だろ
はー。疲れてる。悲しい。
あしたは出向になるらしくて気が重いからだとおもう。
あー、またうるさい隣人への警告文を印刷してくるの忘れた。もう手書きでいいか。直接言いに行くか。
いつまでこんな暮らし続けるのかな。って思いながら暮らしてもう5年くらい経つ。とくに暮らしは変えられてない。生かさず殺さずな仕事の負荷があるからだ。さらに、5年前には無かったが新たに発覚した腰痛、ヘルニア予備軍という足かせもある。
ある日とつぜん死んでもいいと思うんだよね、自分は。とくにこだわりないし。でも24歳くらいの一番死にそうなピークのときに死んでおけばよかったなーと思う。20代の死因の半分が自殺らしい。30代になると減っていくから、なかなか死ななくなるわけだ統計的には。自分が死んでる世界線はすぐ隣にあるんだろうな。
はー。
安楽死してー
で、何が言いたいのかな?
30代も後半になってようやく人付き合いの基本を覚えた。
それは「嘘をつく」ということだ。
私はそれなりに頭が切れるので、人の事業が成功するか失敗するか話を聞いただけで判断がつく。
だから嬉々として失敗する起業話をする知人友人に、水を差すようなことを言ってしまっていた。
結果を見ると、私の指摘の通りに失敗し、私の見積もり通りの負債を抱えているのだが。
だから言ったのにと思うが、言った当時に感謝された試しはない。
もう、そういう忠告をするのは辞めた。
事実は時に人を傷つける。
その過酷な現実に立ち向かえない人には、耳障りのよいことだけを言って失敗するに任せることにした。
それで人間関係はうまく行く。
もちろん、そこで傷つかずに立ち上がれる人には、口も金も出すよい付き合いをする。
そう考えると、今まで随分余分な出費をしてきたものだ。