はてなキーワード: ジャンプとは
ジャンプ+のコメント欄で通報されたら通る率が上がってきている。
どうも手当たりしだいに通報してコメを消すことで自己効力感を得るという虚しい遊びに目覚めた奴らがいるらしい。
このせいで今までは0時になったら即アンチコメを書いたり、アンチコメに噛み付いたりすることでいいねをジャブジャブ出来たのが無理になった。
前は大型AAを不人気マンガのコメ欄に0時貼りするだけで翌朝には500いいね溜まってたのに、今は翌朝見ると削除されている。
許せねえよ。
これじゃあ俺はどうやって承認欲求を満たせばいいんだな?
互助会方式で駄サイクルを回していいねをつけ合うだけのフォロー5000フォロワー1000のしょーもないBlue Skyアカウントでも運用しろと?
例がジャンプばっかりじゃん。週刊連載のノリだろ。
ごっこ遊びは漫画が起源ではないので、漫画の真似という論拠がない。
元々のCMから「オー! モーレツ!」 が入ってる以上オリジナルでなく
1970年って当然だけど情報の伝達には今よりタイムラグがあって
実際の流行はCM起源でとっくに広まっててダメ押し程度になっていても
事実として、「モーレツごっこ」が流行った後に出版社にクレームがきて永井豪が認知する。以外の方法がないので
http://www.mazingerz.com/GOSIRYOKUKENKYUJO/2003_01_09/21content.html
ウィキペディアでは省略されているが、丸善石油(現コスモ石油)のテレビCM放映と「モーレツごっこ」が描かれた「ハレンチ学園」との間に、名古屋の小学校で“スカートめくり遊び”が流行中という報道があった。
マンガや本で「性」を学んだ昭和の男子たち (2017年7月29日) - エキサイトニュース
1969年4月ごろから丸善ガソリンのテレビCM『Oh! モーレツ』での女性のスカートがまくれ上がる表現が全国のお茶の間に流れ、センセーショナルな話題に。名古屋の小学校で“スカートめくり遊び”が流行中という報道(名古屋テレビの番組『やあ!やあ!ガキ大将』内で教育評論家の阿部進氏が報告)がされる騒動になります。
永井氏はその現象にインスピレーションを受け、さっそく7月10日発売の『少年ジャンプ/創刊1周年記念号』の巻頭で『ハレンチ学園/モーレツごっこの巻』を発表しました。
「スカートめくり」自体は『ハレンチ学園』以前からあった|ちゆ12歳
この記事は、『やあ! やあ! ガキ大将』の司会をしていた阿部進さんが書いており、1969年6月29日に放送された回の内容が紹介されています。
それによると、6月放送のテレビ番組の中で、次のようなやりとりがあったそうです。
・番組に出演した子供に、「いま、名古屋地方では、なにが、はやってますか?」と質問
・女の子「オッパイモミモミっていうのが、はやってるんです。(中略)女の子どうしよ。男の子はやんないの」
・古今亭志ん馬さん(番組ゲスト)「スカートめくりは、うちのコもやってるの。学校でネ。(中略)やられた女の子が、モーレツっていうんだ。スカートめくるのは、べつに、どうってことないよね。おもしろがってやってるだけだもの」
前々から気になってるんだけど日本の漫画、喫煙描写がめちゃめちゃ多い。
少年漫画もそうだし女性向けでもちょっとワルくてかっこいいオトコはよくタバコ吸ってる。
ジャンププラスなんかの読切でも渋いオジサンとか「元殺し屋主人公」みたいなキャラみんなタバコ咥えてるでしょ。
絵や内容的に作者は10代かせいぜい20代だろうなーって作品でもそんなだから驚く。
最近VTuberの若い女性が「タバコはカッコいいよね〜」と話してるのも見た。
表現規制せよ!
と言いたいのではないけど若い世代にここまでタバコが「カッコいい記号・オトナの記号」としてポジティブに認知されてることに危うさを感じている。
それでも子供の頃に見る漫画やアニメがこれだけ「タバコはカッコいい」とメッセージを発し続ければその印象は一生残る。
機会が来れば手を出してしまう。
あれもだめ、これもだめ、それもだめ
前々から気になってるんだけど日本の漫画、喫煙描写がめちゃめちゃ多い。
少年漫画もそうだし女性向けでもちょっとワルくてかっこいいオトコはよくタバコ吸ってる。
ジャンププラスなんかの読切でも渋いオジサンとか「元殺し屋主人公」みたいなキャラみんなタバコ咥えてるでしょ。
絵や内容的に作者は10代かせいぜい20代だろうなーって作品でもそんなだから驚く。
最近VTuberの若い女性が「タバコはカッコいいよね〜」と話してるのも見た。
表現規制せよ!
と言いたいのではないけど若い世代にここまでタバコが「カッコいい記号・オトナの記号」としてポジティブに認知されてることに危うさを感じている。
それでも子供の頃に見る漫画やアニメがこれだけ「タバコはカッコいい」とメッセージを発し続ければその印象は一生残る。
機会が来れば手を出してしまう。
ワンピースのサンジがアメリカだとタバコ規制されてるのは有名だと思う(アニメ限定?)。
やりすぎだと思っていたけど子供への影響を考えたらあれが正解なのだろうか。
昔に比べれば喫煙率は下がっているのはそう。
でももっと下げられたのでは?
本当に一部の物好きしか吸わないレベルにしなきゃいけないのでは?と思うんですよね。
そのために社会がいくらタバコの危険性を啓蒙してもフィクションが与えるポジティブイメージの力が大きいと無意味になってしまう。
あのお医者さんのニュースで思い出したけど、昔つとめてた介護施設で、そこは大企業の系列なので自分の職場とは違う施設での出来事として伝え聞いた話で、そこに新卒のただの現場のヘルパーとして入社した人が、2年かそこらで「特別に優秀な業務内容」とかで一気に役員まで異例のジャンプアップをして、そのまま20代にして全国の施設のうちの一地方、数百施設とかを束ねるマネージャーになったことがある。その人は自分の職場にも視察とかで何度も来たし、運営のことで何度か話したりしたけど、別に特別に知識や才能を感じるわけでない、介護のお仕事や相談援助業務的な意味での適性は本当に普通の可でもなく不可でもない、ただただビックリするほど態度が大きいだけの兄ちゃん、と思ったのを覚えてる。そもそもこういう仕事で1年や2年で何をしたら「特別に優秀」と認められ異例の昇格とやらができるのか謎だし、ホントにこの人は何をしてこの立場とこの態度になったんだろうな、と思ったりした。
のちのちその人は大きな病院の家系の人のご子息的な方で、企業としても病院としても「太いパイプを持つ」という意味合いの強い人事、つまりは異例の評価や人事というのもそういう事、というのを伝え聞いて、なるほどと思った。現代にそういう形の人生、リアルにまだあるんだなとも思った。
まあそれがあの病院だったんですよね。あそこそんな話ばっかりだな。
永井豪の漫画家としての功績とフェミニズムについて言うならば、それは「少年漫画における少女像の変遷」について語る必要があります。
少年漫画には歴然とエロ枠があり、その中からも常に漫画史に名を残すべき作品が生まれてきたことは間違いありません。日活ロマンポルノが多くの映画人を輩出してきたのと同様に、少年漫画のエロ枠からも多くの才能が巣立っていきました。しかし、その枠内で当時の漫画関係者のもっていた女性像自体の変革を試み、実際に成功した人と言えば、それはやはり数少ないと思います。永井豪は、間違いなくそのうちの一人です。
永井は、1970年前後に少年4誌で同時連載を実現したほどの売れっ子漫画家でしたが、彼の出世作が「ハレンチ学園」(ジャンプ,1968~)であることは間違いないでしょう。この作品で彼は「柳生十兵衛」という少女をヒロインに設定しました。十兵衛は、侍ガール(!)であり、そして、男のエロ攻撃に対して敢然と戦うヒロインです。もちろん、エロ枠ですからいろいろな目に遭うわけですが、それでも永井の中にある「凛々しく強い女性」への憧憬が原型として誕生したわけです。続く少年チャンピオンでの連載で彼は、それまで少年漫画では御法度とされていた「少女が主人公」で連載をやりたいと編集部に訴えます。が、却下されました。そこで彼は「では悪党一家が主人公ということで」と言い抜けて、実際は一家の長女を主人公として連載をしました。それが「あばしり一家」(1969~)です。菊之助は、強くて悪くてセクシーで、そして底抜けに明るい戦う少女です。以後、彼の代表作の数々において、このような女性たちが大活躍することになります。(「デビルマン」のヒロイン「美樹」は、登場当初から主人公を圧倒する気の強い少女として登場し、終盤では前に立って戦う……そして……姿まで見せます(それまで少年漫画であんな目に遭うヒロインがいたでしょうか?)。「キューティーハニー」はエロ枠でありながら、遂に堂々と少女を主人公としかつヒットを飛ばしました。また、「デビルマン」の後に書かれた永井の代表作といってよい「バイオレンスジャック」では、頼りない主人公(男)を守る「戦う女性たち」が凄絶な美しさをもつ存在として、そして、ジャック自身も性別を超越した存在として描かれます。)
実際、一般的に言ってエロ枠における女性像というのは、1980年代以後の超有名作で言えば「まいっちんぐマチ子先生」にみられるように”セクハラを許容する都合の良い無力な聖母”みたいな所にありました。そういったものと比較すれば、永井作品がいかに先進的であったかが理解できると思います。
強く、カッコよく、セクシーな戦う女性たち、そして何よりも、主人公として活躍する少女。今日の少年漫画に女性主人公、自立した強い少女、守られるのでなく前に立つ少女、戦う少女は少なくありません。彼女らはどこから来たのか。また、プリキュアなど「戦う少女像」がどこに源流をもつのか。もちろん全てがとは言いませんが、永井をはじめとする多くの表現者が、女性をエロネタ扱いすることに飽き足らず(表現者の良心として)挑戦を続けてきた結果であろうと思っています。
私は、永井の作品が、1970年代から以後のガールズ・エンパワメントの一翼を担い、その後の同種の作品の先鞭をつけたという点で、フェミニズム史に大きな貢献をした人物として評価してよいと思っています。まあ、彼自身は「単に女の子が好きで書いてただけですよ」というだけかもしれませんが、彼の仕事は大きな意義のある仕事でした。
そんな永井先生の仕事の意義も当時の時代状況も理解せず、ただ単に身の回りの身内に受けのよさげなことを口走る自称「フェミニスト」がいるとしたら、それは歴史についてもフェミニズムについても理解の精度が低く、底が浅い存在と言うしかないでしょう。残念なことです。増田の書き込みが、ただの風聞に過ぎないことを祈ります。
両親は共働き。
2歳か3歳くらい、歩いて喋れるくらいから保育園へ通っていた。
そこに始まり、おおよそ常識と呼ばれるものは親に教わっていないことを後に知る。
特に洗顔・歯磨き・手洗い・うがい。あと交通ルールと他人の家でのふるまい。そもそも親がしているのを見ないのでなかなか習慣付かなかった。
小学校に上がり、数字がただそこにあるものではないことを知る。みんな当たり前に20くらいまで順番に数えられる。その前提からスタートしてる衝撃。幼稚園はお勉強があるらしいが保育園は自由だったからなぁ……。絵本好きだったので文字は読めた。
家でTVは付くものの、時間的に終わってたり、そもそもアニメ見てると怒られてたために小学校内で誰とも話が合わない。
たまにドッジボールに誘われてもぶつけられるのがメインであるため次第に参加拒否。あとバラエティ番組の真似が流行っていて、雑巾を人の口に突っ込んで笑いまくってる人たちがいて、アレとは少しでも関わらないでいられるように避けまくっていた。
あるとき何の気の迷いか、父が古本屋でときめきトゥナイトの4巻?とかを買ってきてくれた。マンガというものを初めて知る。読み方がわからないし中途半端巻なので何も分からない。
小3か、セーラームーンが好きな子と知り合えたためセーラームーンだけ視聴許可が出る。学童でセラムンの話をするか児童館の本を読んで過ごす。
アニメは引き続き禁止だったが、ニチアサは親が寝てるため見放題だった。当時やってたのは美神とかたるるーとくんとか。ママレードボーイはOPは覚えてるんだけど中身を一切覚えてない、やはりエロは強い。
小4か小5くらいに学校にマンガを持ってくる不逞の輩が出現し、クラス中でマンガが流行る。
マンガとの初めての真っ当な触れ合い。
ただ学校は当然マンガ禁止なので、放課後、親が帰ってくるまでの間に借りたマンガを隠れて読む。
マンガという共通の話題で人と話せるようになったが、「あいつが触った本は汚い」といった言われ方をされるようになり、借りられなくなり放課後古本屋に入り浸るようになる。
そういえば当時「横断歩道の白線からはみ出たらがんになる」というルールが流行っていたらしいのだが、私には「白線を踏むとがんになる」と伝えられていた。地方によってルールが違うタイプかと思っていたけど、白線に乗るのが正ルールなのは全国共通っぽい。まぁつまりそういう扱いだったってこと。
まぁそんな感じで「常識」「普通」を知らないために、どうしても日常のあらゆることで齟齬を起こすしつけ込まれてバカにされる。
そして変人、おかしい人、問題児といったレッテルを貼られ何においても仲間外れにされる。
小5頃から、絵を描かせてスゴーイと言いながらプークスするような女子のイジメが始まる。絵を人前では描かなくなるが、手を変え品を変え「ちょっと親切にして裏切って反応を楽しむ」「おだてて木に登る猿を見て嘲う」みたいな手口のイジメが私に対して流行るようになる。
修学旅行の班決めがその最たるもので、班決めを嫌がる私の態度辺りから親が中受を決意。
で塾に通うようになってからラノベの存在を知る。スレイヤーズ。オーフェン。
富士見ファンタジア文庫にハマり、塾をサボって本屋の文庫本コーナーで何時間も立ち読みするようになる。
教育ママが激しくなり、叩かれながら必死で勉強する(なお母は今「親が子に手を挙げるなんて信じらんない」とワイドショー見ながら憤っている)。
再度マンガゲームアニメラノベが禁止される。父が気まぐれで買ってくれたときめきトゥナイト4巻?、前後をこっそり買い溜めてあと2冊でフルコンプとかのところ、あえなく捨てられた。
ゲームは触れる機会がなかったのでその時点では特になんてことはなかったのが、ポケピ・テトリス・たまごっちといったキーホルダータイプのゲームに触れてしまいアウト。
借りたテトリスが見つかり母親に金槌で壊されてしまう。塾の友達には無くしたと言い張り、弁償しろと言われるも無視して逃げ回り縁を切られる。
中学受験は成功し女子校へ入学。親の帰宅までアニメが見られるようになる(黙認)。遅ればせながら友達からポケモンの存在を教わりハマり、休み時間にやらせてもらう。また別の友人からコバルト文庫と京極夏彦を教わり、また別の友人から封神演義(アンソロ)を教わる。図書室で小学校の比にならない蔵書量に感動し入り浸る。月曜日はお昼を減らしてジャンプを買いキャッキャする。
休みの日に遊びに行こうと誘われて行ったのが作者サイン会で、サイン本は残念ながら母に見つかりライターで着火・水道水で消火の上ゴミ箱に投棄された。
ネットは父の気まぐれ(いい方)により1日1時間制限で許可。1時間なので基本は学校のPC室。家にパソコンない子が携帯から夢小説読み過ぎて請求がン万来て親に怒られたみたいな話も聞いた。自分は携帯禁止。
毒吐きネットマナーでマナーを学び、18禁サイトでアクロバティックな性癖を巡り、自分でもとほほのHTMLを見ながらテキストサイトを運営し、レンタルBBSを設置し、絵茶をし、小説やマンガを書き、友達と「ファンに家特定されてストーカーされて警察沙汰」みたいなネット噂話とかしながらお互いのサイトを巡り合う。
小学校時代を知る人がいないし、話が通じないからとイジメてくる人がいない。エロ話を茶化してくる男もいないしまさに天国。
やっと人と人並みにコミュニケーションが取れるようになる。
親は敵だったので反抗期はかなりアレだったものの、オタクとしては幸せな中高生時代を過ごし、大学進学。
酒も飲めずTVの話題も分からず現実の恋愛もオシャレもしない女にできる会話はない。(オシャレは禁止されてなかったけど、やろうとしてたら禁止されてたと思う)
ストイックに勉強だけするなら大学ってのもありだと思うけど、友達欲しがったのが色々と間違いだった。
ネットに入り浸り、人間観察「何が普通で何が普通でないか」「空気を読むというは具体的にどの状況でどういった行動を取るのか」の研究を始める。
バイトという実戦も繰り返し、結果「最低限の偽装はできるが『なんかおかしい人』であることを悟られないのは無理」という結論に。
そもそも我慢してウェイの言う『普通』をするメリットがないことも多く(例えば女らしくするとセクハラされやすくなるし、みんなで一人の欠点を嘲うのに楽しさや仲間意識を感じられない)、あと「『普通』じゃない人間が生理的に無理」という一定数の人に普通らしくふるまって見せるのはかえって逆効果であることもあり、今や偽装すら放棄してヤバい人のレッテル貼られたまま過ごす立派な社会不適合者に成長。
あとバイトで金を稼いだので特に合意なくマンガアニメゲーム解禁ってことにした。部屋が埋まるほど買ってるので反動〜〜ってなってる。
という訳で、結局のところ親がガチの「生活の常識」を教えないといけないのと、マンガアニメゲームを禁止すると小学校という最初の社会で孤立して深刻なコミュニケーション欠陥を抱えるので、なんでもかんでも制限するとこうなるよの悪い例として展示しとく。
京大や東大やその他有名大学の研究開発サークルや研究室で、アニメ・マンガ・ゲームのキャラの名前が使われている日本で、増田はマジで何ってんの?って思う
ただ、世の中に、嬉々として教育虐待を行う親たちがいることは問題だよな
フツーに過ごしていて、フツーに京大や東大やその他有名大学に入れる子だけ入れば良いけど、そうじゃない子にも門を開けているから、
京大や東大やその他有名大学に合格するために、進学校での勉強や予備校や部活だけの生活になっちゃう子たちがいるんだよな
(しかも、現在の学習方法や受験制度では、それでもなお合格できない子どもたちすらいる)
それで生まれるのは、大谷翔平みたいな世間の常識から外れた(例えば、数億以上使われても気づかないとか)、困った人なわけだけど、
困った人が作るアニメ・マンガ・ゲームは、まぁ困った内容になるよね
ジャンプとか、バイオレンスのためのバイオレンスを描いてた時代・お色気が許されて時代よりも、倫理観壊れまくりで、
いま令和だぞ?てなること多いもんな
https://rookie.shonenjump.com/series/EmTZ65sTNy8
ルーキーなんですか?もう連載作家並みでしょ。絵は申し分ないし。ストーリーも楽しめそう。1ヶ月に1回しか更新ないの。まてないわ。
ジャンプルーキーの毎月1位だけがプラスで連載出来る権利、悪魔の所業
まず書き続けないと周知して貰えないし、1位にならないと連載出来ないから書き続ける。
直近半年の1位を調べる程度のことはやったらどうなんだ?
こんなん最初の3話ぐらいでバズるかどうかのクソゲーなんだって秒で分かると思うけど?
https://rookie.shonenjump.com/rensai_ranking/about より抜粋
ランキングは、エントリー作品の最新3話分の閲覧数の合計で決まります。最新話を投稿するとその月のランキングにエントリーすることができます
これのせいで「最初の3話でクソウケたら勝ち」のクソゲーなんだよ。
https://rookie.shonenjump.com/rensai_ranking/202312
これはマジで凄い。
魔道で知られるPDが130話かけてジワジワと読者を増やし続けていったフタツ道が、同作者の新作であるバクパ道にほぼダブルスコアで惨敗。
そもそもバクパ道自体が作者の「これもうランキングハックしたほうが早いわ。クソゲー乙」の精神から生えてきているというね。
一発勝負のインパクトで最初の3話をバズらせて、あとは半年ぐらいかけて鼻くそほじりながら連載用ネームを仕上げるのが正解なんだよ。
以下の2作品、片方はジャンプルーキーにおける連載版で、もう片方はジャンプ+の連載版だ。
群青幽霊 1話
https://rookie.shonenjump.com/series/EmTZ65sOcs0/EmTZ65sOc6g
群青幽霊と素敵な学園 1話
主人公は違うし展開も違うし漫画のジャンルもほぼ違うし、作者と幽霊と学園以外の要素は全部違うと言っていい。
1位を取ったら連載できるシステムで、1位を取った作品とぜんぜん違うものを連載する。
青浦モルダウが「義理の弟に殺される」でそこそこバズって根強いファンがいるからギリ許されているような暴挙だ。
漫画がキチガイだから作者がキチガイでもセーフ、なんていう謎の甘ったれたロジックによって無理やりこれを押し通している。
まあ確かに、これでこそ青浦モルダウだから許せるわけだが、それを許してしまったジャンプ+編集部への信頼は下がらざるを得ない。
こんなのはな、連載ランキングをちょっと見りゃ誰だって分かるんだよ!
分からねえのは自分が煽る対象について秒も調べずに増田をでっち上げるエアプだけだ!
最初の3行でバズれば勝ちか?
はぁ?
Nintendo Switchの次世代機の話があったが、任天堂がこだわる「新しい遊び」の部分は正直想像がつかないので楽しみに待つことにして、性能的な部分での予想をすると、一番重要なのはプロセッサをどうするかという点だ。
現在のNintendo Switchで使われているのはNVIDIAが設計したTegra X1というプロセッサのモディファイ版だと言われていて、当初は20nm、2019年ごろに登場した省電力版では16nmプロセスが使われていると言われている。
ARMコアにNVIDIAのGPUを組み合わせたSoCなので、それぞれ年数分の世代の進化に合わせたプロセッサがあればそれを使えばいいだけなのだが、問題はNVIDIAがモバイル向けのSoCをほとんど見捨てていることだ。
Tegra X1後継のSoCはXavier、Orinときて現在はThorという世代が発表されているが、いずれもモバイルやゲーム機向けではなく組み込み・ロボティクス向けのJetsonか車載向けのNVIDIA DRIVEとしてパッケージされている。
Tegraでやったように任天堂専用モディファイとしてプロセッサだけを切り出してSwitch 2に内蔵する可能性もなくはないが、いずれにしてもOrinやThorはバッテリ駆動するには消費電力が高めであるように思われるので、かなりクロックを抑える必要があると思われる。しかしOrinのベンチマークスコアはSwitchに搭載されたTegraの8倍程度はあるようなので、クロックを抑えたとしてもかなりの性能のジャンプアップは見込めるとは思われる。
とはいえNVIDIAのプロセッサの供給状況は不透明なので、任天堂は別の手段を考えているかもしれない。
ひとつは汎用のARMプロセッサとGPUを組み合わせたSoCを使う、つまりSnapdragonやKirinやDimensityを採用する可能性。
スマホ用のプロセッサといえば他にはサムスンのExynosもあるのだが、サムスン製品以外に採用された例がないので候補から外す――しかし実は変化球がある。GoogleのTensorはExynosのモディファイ版なのだ。任天堂とGoogleが提携してTensorを調達して載せる可能性があったりはしないだろうか?
いや、その変化球があるならば、もっと変化球として、アップルのApple Aプロセッサを採用したらいいのではないか?省電力性能もGPU性能も充分だし、任天堂は(故岩田社長が)アップル大好きだったのだから、提携するならアップルのほうが面白いではないか。なんならサムスンファブ製よりTSMCファブ製のほうが熊本方面が喜ぶかもしれない。
そこまで考えて、もしかしたら、任天堂がSwitch 2専用プロセッサを設計して搭載してくる可能性があるんじゃないかと思ってしまった。一億台売れる端末のプロセッサを、外注するより自社で設計したほうがいい、と任天堂なら考えたりはしないだろうか。
https://www.nintendo.co.jp/jobs/keyword/59.html このページなどでも語られているが、TegraのモディファイをするにあたってNVIDIAとはかなり突っ込んだ議論もしているようなので、現在ではSoC全体のデザインができるようになっていたら面白いと思う。
ジャンプ+のケントゥリア、期待して読んでいたものの4話まで来てかなり酷いなと感じた。
作者の力量にすら疑問符が付く内容だった。
働き口を探す気になり近くの村を紹介してもらう。
ところが村のリーダーから「お前には信用が無い」「足手まといは村全体の負担になる」と言われて
テスト内容は「崩落した穴の土石を一人で運び出してみろ」というもの。
夜中には仕事を完了して見守っていた村人達も感嘆、労働者として認められる。
…これもうすべてがおかしいでしょ?
どこの世界でも第一次産業では子供に手伝わせるし何ならその為に子供を作る。
「とりあえず小石運びとか雑用からやらせてみて勤まらなければ帰す」でいいわけで
わざわざテストなんか課す理由はどこにもない。テストだってコストがかかる。
現代で試用期間だの面接だのがあるのは労働者の権利が守られてるからであって
奴隷上等のこの世界なら一日働かせて「「この役立たず!給金なんかねーぞ帰れ!」でいいから
・ダメな奴にやらせられる仕事がないどころか触らせたことで台無しになる可能性がある
みたいなことはあるんだけど、作者はその現代日本の感覚のまま話を考えている。
自分の作った世界の諸条件に合わせて人物の行動を考えるということが出来てない。
ユリアン少年は村のそばで半年間生活していて、同居して面倒見てくれてたのは先述の兵士。
今回の話もその兵士が村に働き口の世話を依頼している。
兵士と村人との関係も詳細は不明だが、こういう話をするぐらいの関係ではある。
その兵士が身元を保証する少年を労働に使ってやってくれって言ってるのにこの対応、
「村人が兵士に相当険悪な反発心を抱いている」みたいな設定があるならいいけどたぶんないでしょ?
「有難いお申し出ですけどこの子はちょっとまだ小さいようで…」と兵士に談判するか、
兵士の顔を立てるために誰でも出来る雑用を与えるかとなるはず。
人間関係や社会的な行動についての想像力が相当低い(たぶん実体験が乏しい)。
暇すぎるだろ。
なんでよそ者の子供一人のテストに村人があんなに集まってるの?今日はまつりか?
一個目の時も背景にどう見ても数十人単位でいる。
半分まで行った時にもまだ同じ密度でいる。
ユリアンが石を運び終わった夜中にも同じ感じで村人が沢山いる。
新入り労働者のクオリティに「村の足を引っ張るんじゃないか?」ときついテストしてくるほど生産性に厳しい村の人間が
何十人も朝から晩までくだらない石運びテストを興味深く見守っている。
そんなに暇なのもおかしいし、そんなものに関心が続くのもおかしい。
これ本当に何も考えずに絵を描いてないだろうか。
主人公ユリアンにとってこの石運びが死んだ仲間やディアナ母への決意表明だったとしても
そんなことは他人には関係ないし伝わってもいないのだから、外から見ればただの石運びなので
ただただ退屈な石運びを見つめ続けられるわけもないし心を打たれるわけもない。
村人の視野とか村人の都合とか村人の思考とかを想像する能力が無く
ユリアン君が頑張ると村人がずっと一緒に見つめ続けて感動するという有り得ない展開になってる。
これは精神的発達段階としてはかなり未成熟段階の認知だと思う。
絵が素晴らしく巧みなのでギャップがあるが、描かれてるものだけ見ると相当稚拙なんではないだろうか。
全然裏切らずに命を捧げてくる奴隷仲間の時からなんか変な感じが漂っていた
(が、善良ベースな世界を描いているのかなと保留されていた)部分が
もちろん、裏切り者が出てくれば成熟した精神世界だとか言ってるのではない。
そうではなくて各キャラに独立した都合や思考が想定されているか、その上でユリアンに命を託してくれているのか、
と言う話をしている。
つまりただただた絵と内容が合ってない。
上手い絵で粗い内容を読まされると人間心理としては段々不快感やイライラがたまってくるので
このままなら『ケントゥリア』はそのうちアンチ的な感想が増えて叩かれるようになると予想する。
今はまだ『ケントゥリア』が期待され持ち上げられている段階なので
怪獣8号も2話3話で「これは期待外れかも」「普通の漫画になってしまった」と書いたら
作者は絵に対して真面目で打ち込むタイプに見える。
描かなくていい村人を描いちゃうぐらいには絵に賭けてる。
もしかすると実は内容が薄い自覚があって絵だけでもと思ってるのかもしれない、
けれども作家としての成長を考えるなら&『ケントゥリア』の成功を考えるなら
というアプローチが良い気がする。
粗い内容は粗い絵の方がいい。