はてなキーワード: Windowsとは
Age of Empireは、どのバージョンでも今から遊ぶならSteam経由なんでどのWindowsでも動くよ
リリース直後だと apt-get update && apt-get upgrade でそのまま壊滅的に環境が壊れるという状態で話にならなかったのだが、
現状残っている問題点としては
あたり。
Mac 上で Linux サーバーで動くアプリを作ることが出来るぐらいには Linux サーバーで動くアプリを作れるようになっている気がする。
いくらPC離れがーって言っても、高校生なら「情報」の授業でログイン、ネットブラウジング、Word、Excelは最低限やるだろ。
あーでも意識してないと覚えてないのかなー。
文系院卒の後、仕事も見つからなくて塾講師やってる低所得者です。
最近驚いたことがあります。今の10代の子ってWindows知らないんですね。
「うぃんどーず・・・? Androidなら知ってますが・・・」
こんな感じです。
PC用のOSを明確に意識しているのは、ゲームマニアかプログラミングとかできる子たちだけ。
iPhoneはiOSではなく、iPhoneです。AndoroidはiPhone以外のスマホの総称として使っているようです。
Windowsの話で盛り上がっているところ、一人の女の子が問題発言をしました。
「あ、お父さんは使ってます!ウインドーズ・・・ええっと・・・XP!」
お父様、早くアップグレードしてください。
以上です。ありがとうございました。
ホッテントリメーカーで作るような煽りタイトルって、みなさんもう見飽きてると思うんですよね。
今調べたらホッテントリメーカー2008年だそうで。どうりでねー。古臭いなーと思いましたよー。
「一から学ぶJava」ってのをね、1.0にするだけでこんなに素敵なタイトルになるんだから面白いですねー。
タイトルを思いついただけだったんですけど、思いついたらやっぱりちゃんと中身も書かないと行けないじゃないですか。やだー
面倒くさいんですけどね。ちょっと1.0から学んでみましょうか。
Javaの1.0がリリースされたのは1996年1月23日ですね。発表されたのが1995年5月23日でJavaの誕生日といった場合にどちらを取るかで揉めることがあります。
かれこれ20年前なわけで、当時のパソコンというとハードウェアはCPU が Pentium 133MHz メモリ16M とかそんな感じだったかなあ。今どきの携帯電話の例としてiPhone 6sを挙げるとCPUが1.85GHz メモリ 2G ってんだから凄いですね。OSは1995年11月23日にリリースされたWindows95とかそんな時代背景です。インターネットがようやく一般に普及し始めたところでしょうか。
今から思うと相当弱いハードウェアですけども、そろそろVM方式を採用しても良さそうな、そんな時代でした。インタープリタだと流石に遅い、でもC言語のようなコンパイル言語だと"Write once, run anywhere"とはいかない、という判断もあったのだろうと思います。Javaが純粋なオブジェクト指向言語ではなくintなどのプリミティブ型を持つというのは、当時のマシンスペックを考えた場合、ある程度妥当な判断だったと言えるでしょう。これが後々苦しくなってくるわけなのですが。
Javaを作った会社はSun Microsystems(サン・マイクロシステムズ)というアメリカの会社で、2010年1月27日にオラクルにより吸収合併され今はありません。SolarisというOSとSPARCプロセッサでUNIXサーバーの販売で90年代後半までは一人勝ちのような状況だったと聞きます。当時にすでに「ネットワークこそがコンピュータ」(The Network is the Computer)というモットーを掲げてたんだからおかしい。1996年リリースのJavaが標準でネットワーク機能を備えていたのもこのあたりの思想から来ているのかもしれませんね。
当時のプログラミング言語としてC++が挙げられますが、C++でのプログラマへの負担といいますか、ヒューマンエラーの起きやすさといいますか、その辺を改善する目的で開発されたのがJavaだったわけです。
1996年の時点にこんな言語が登場したのですから革新的でした。
いろんな企業がJavaに賛同します。その中にはMicrosoftもありました。この時期、Microsoftは次期のWindows開発用のプラットフォームにJavaを据えようと考えていました。その後、袂を分かつことになるのですが……。
プログラム言語として構文などを見ると、C++を強く意識した構文なのは間違いなく、しかしポインタ演算を廃してポインタを機能を限定した「参照」に置き換えるなど簡素化が多く見られます。C++からはいろんな機能が削られています。関数ポインタ、構造体、演算子オーバーロード、テンプレート((テンプレートについては実装が間に合わなかったという話を聞きます))などなど。そのためC++の劣化であるように揶揄する人もいますが、こうしたものを捨てて言語仕様を比較的小さくシンプルに抑えた点は評価に値すると思います。しかし、今でもこうした削減された機能を愛する人からはJavaを腐す要素として挙げられてしまうのでした。
Wikipediaからピックアップすると1.1での大きな機能追加は
といったところです。当初よりJavaの内部文字コードはUnicodeで文字を表すchar型は16bitで設計されていました。Unicodeは当時それほど普及しておらず、Unicode対応のテキストエディタさえ少なかったと記憶しています。時代を先取りしていると言えますが、大きな誤算はUnicodeが当初16bitのコードポイントに世界のあらゆる文字を格納しようとしていたことで、漢字圏の我々からすると16bit=65,536程度の空間に文字が全部入るわけないだろ!というものだったが故に早々に破綻し、Unicodeは21bitのコードポイントに拡張されることになるのです。これはまた後の話。
なんにせよ、日本語が対応されたのは1.1からで、日本でのJavaの採用が始まったのはこの頃からと言えましょう。
当時のJavaのGUIはAWTというものでしたが、これを用いたGUIの開発は当時は結構行われていたイメージですね。Visual BASIC でGUIを作るプロダクトも結構あったと思います。GUIのためのオブジェクト指向言語としてJavaが使われていたイメージがありますね。JavaBeansもそのための仕様でした。件のsetter/getterの話題に繋がっていくのですが。
JDBCはJavaとデータベースをつなぐインターフェースです。RMIではあるJava VMから別のJava VMにオブジェクトを送って実行する、といったことができます。こうした機能が用意されたことで、ソフトウェアのフロントとしてのGUI、裏方の実装のためのネットワーク機能、データベース機能、さらにはソフトウェアを配布するためのJava Appletという布陣でJavaでのソフトウェア開発が加速していた時代といえます。
Microsoft Visual J++ もこの時代ですよ。
Java 1.1以降のバージョンのものは互換性確認のためにOracle Java Archiveからダウンロードすることができ、今でも入手することができます。もちろん、Java7ですら2015年4月にEOL(End of Life,サポート終了)となっているので、通常利用するのはJava8としてください(本稿執筆時点)。
当時のドキュメントを見るのも一興です。現在と比べると標準APIがかなり小さい。なお、当時のjavadocは今とはデザインが大きく異なります。
この時代であれば、全パッケージを舐めて標準APIを学ぶこともそう難しくはありませんでした。この時代から触っている人間は新バージョンが出るたびに増えるAPIを順に学んでいけたのです。しかし、現代にJavaを学ぶ場合、どのバージョンでは何があって……というのをいちいち学ぶ必要はほぼありません。Java5以前は一緒くたでいいと思いますし、一部のAPIで歴史的経緯があってねーというのを知っていればおそらく十分ではないでしょうか。
strictfpキーワードは浮動小数点演算をやる人は覚えておきましょう。JavaはパフォーマンスのためにCPUの浮動小数点演算を扱うことが許されており、そのため実行するCPUによって精度が異なることがあるんですね。まあ今時のCPUだと大丈夫だとは思うんですが。
リフレクション機能ではJavaのクラスを抽象的に扱うことができます。設定ファイルに書かれたクラス名のclassをロードして実行する……みたいなことができるんですね。フレームワーク的なものを作る場合には多用することになります。
1.2からは新しいGUIのSwingが採用されました。AWTがOSごとのGUIパーツを用いていたためデザインに違いがあったのに対し、Swingでは統一的なルック・アンド・フィールが用いられるようになりました。まぁ今ならJavaFXを使うのが良いと思います。
初期のJavaはやはりVM方式の実行速度の遅さが指摘されていました。実行時の構文解析を伴わないだけインタープリタよりは早いものの、実行バイナリを作るC/C++よりは遅い、そうした評価です。ここではサン・マイクロシステムズのVMにJIT(ジャストインタイムコンパイラ)が乗ったことが挙げられていますが、JIT自体は別の会社が先駆けて開発していたことは記しておきたいと思います。
JITコンパイラは実行時にJavaのバイトコードを環境のネイティブコードにコンパイルして動かす技術です。この後、JITコンパイラ、動的再コンパイル技術、世代別ガベージコレクションを備えたHotspotといった様にJavaVMは進化していきます。現代では実行時の最適化が進み、大きなスケールで見た場合、Javaの実行速度はC/C++での実装と比べてそれほど遅れるものではありません。遅くても倍の時間は掛からない程度といったところでしょうか。
あとは特記すべきはコレクションフレームワークです。皆が多用しているであろうjava.util.Listやjava.util.Mapといったライブラリが整備されたのがこの時なのです。それ以前はjava.util.Vectorやjava.util.Hachtableというクラスが可変長配列の機能を一手に担っていました。今ではVectorやHashtableは使うべきではありません。
Java の開発はSun Microsystems が主導していたけども、すべてがSunのものだったというわけでもなく。Javaには多くの会社が出資していてその中のひとつがMicrosoftだったわけですね。
Microsoft の Visual J++ では delegate とか独自機能拡張もありましたけど、裁判で問題になったのは J++ でコンパイルしたclassファイルはMicrosoftのVMでしか動かないという部分ですね(他社製のVMで動くclassファイルを作ることもできる)。classファイルがどこのVMでも動くの大事だろ、"Write once, run anywhere"だろ、お前何してくれてんの!と喧嘩になったわけです。当時のMicrosoftはブラウザまわりでも独自拡張がやりたい放題、標準規格?なにそれ美味しいの?みたいなスタンスをあちこちで見せていたものです。
結局、この事件でMicrosoftのJavaはバージョン1.1相当でストップ。好き勝手にやれないなら独自に言語作るわーとばかりに.NET フレームワークと C# といった方向に舵を取ります。
JavaがPC上でのUI開発の主力になろうとした勢いはここで潰えます。
Java SE とは別にこの時代に Java EEがリリースされていることは特記しておきたいですね。これ以後、それまでのCGIに取って代わって、JavaはWebサービスの開発のプラットフォームとして多用されるようになります。
2000年あたりからはJavaはGUI開発というよりは、Webサービスの開発が主流という流れになっていきます。インターネットのサービスが非常に発達していった時代、背後ではとてつもない量のJavaのプログラムが支えていたわけです。ただまあ、こうした産業利用は一般的なユーザーの目にはあまり入らないわけです。一般人からすればJavaといえばJava Appletみたいなイメージはずっと残っていたでしょうが、実体としてはJavaといえばServletという時代になっていたわけです。
企業で用いられる社内システムにもServletは多く採用されました。
理由はいろいろ挙げれると思うのですが
というのが大きな理由だろうと思います。JSPというテンプレートエンジンを用いてHTMLを整形してWebページを作り出す、というアーキテクチャはある意味では便利で簡単でした。
もっともHTMLの表現力に足を引きずられるため、GUIの機能性という点では後退したわけなのですが。それでもメリットが大きいと判断されたのでしょう。というか、まともにGUIを組めるプログラマがほとんどいないから、GUIのシステム開発がなかなか成功しないってのもあったんでしょうけどね。
2000年あたりというと携帯電話の普及も取り上げなければなりません。現代のスマホ、ガラケーに比べれば非常に機能は貧弱で、まさに携帯「電話」でした。要するに電話とメールぐらいしかできなかったんですね。
そこにdocomoのiアプリ、Jフォン(ボーダフォンを経て現ソフトバンク)のJavaアプリ、auのEZアプリという携帯電話上でちょっとしたアプリが動くよ!というのが乗るようになってきたんです。これがJavaを組込み用途にコンパクトにしたJava MEというものが土台となっていて(正確にはiアプリはちょっと違う)Servletと並ぶJava言語の大きなもうひとつの領域となっていました。
iアプリは当初は容量が10k byteまでといった制約があり、容量制限が非常に厳しかったのですが、新機種が出るたびに容量は緩和されていきました。
docomoはiアプリ含めiモードによって一世を風靡します。こうした土台を作ると、その上で商売をしたい人がたくさんやってきて、勝手にコンテンツを作ってくれる。docomoはそれらから手数料を取るので労せずして大金を稼げるというわけです。賭場の胴元というわけです。
この賭場が、将来にAppleのiPhone, GoogleのAndroidに荒らされることになります。docomoがなかなかiPhoneを出さなかったのもiモードという自前の賭場を失うことを良しとしなかったためです。金づるを失ったdocomoはSamsungと組んで独自の携帯向けOSであるTizenの開発に乗り出します。そんなTizenですが鳴かず飛ばず。噂ではインドあたりではリリースされたとか、なんとか。
話を2001年に戻しましょう。
Microsoft離反でGUIのプラットフォームとしてのJavaというものは存在感を弱めていました。この分野の復権に寄与したのはJava 1.4 (2002年2月6日)で導入されたJava Web Startです。
Java Appletがブラウザ埋め込みで動作したのに対し、Java Web Startではブラウザから起動しつつも独立したアプリとして起動するのです。
Webシステムが企業の社内システムに採用された話は先に述べたとおりですが、やはりWebシステムのGUIというのはHTMLに引きずられて貧弱だったんですね。
端的に言えば入力値が数字かどうか?みたいなチェックがなかなか難しい。HTML上でJavaScriptでやるわけなんですが、なかなか気持よく入力できるような感じにはならなかったんですね。
また、Ajaxによるブラウザのページ遷移を伴わない通信というのが出てきたのも2005年ぐらいなので、入力値に対してサーバ問い合わせするようなことはできなかった。当時だと一旦画面遷移させないとできなかったわけです。
こうした事情から、クライアントサイド、要するにPC側でもっとリッチなUIが使いたい!という要望があったわけです。Webシステム使いにくい!という不満の噴出と言ってもいい。そこで出てきたのがRIA (Rich Internet Applications)というわけです。
Javaは1.0時代のAppletからそうですが、ネットワークを介して別のPCにプログラムを送り込み、そこで動作させるという能力を持っていました。それこそまさにRIAに求められる機能性だったわけですね。
RIAの代表とされるのは
あたりです。三つ巴の戦い、どこに軍配が上がるのか!?と注目されましたが、勝利したのはHTML / JavaScriptでした。
Google MAP で注目を浴びたAjax技術、それまでブラウザでは不可能と思われていた高級なGUIをHTML / JavaScriptで実現させました。もうやめて欲しいですよね。せっかく脱ブラウザの流れが来たと思ったのにまたWebシステムに逆戻りですよ。
RIAが失速した理由として考慮して置かなければいけないのはスマートフォンの台頭です。RIAでは端末を選ばずどこでも同じアプリが動かせる点がポイントのひとつでしたが、スマートフォンではそうは行かない。"Write once, run anywhere"を破壊したのはスマートフォンだったというわけです。
しかし、先日インストールなしでアプリを実行するAndroid Instant Appsが発表されたりしまして、結局RIAの思想といいますか、要求というのは今でも息づいているのだなと思った次第です。
1.3 / 1.4 では機能追加はあっても言語構文が大きく変わることはありませんでした。大きく変わったのはJava 5です。この時からバージョニングが変わって1.5ではなく5と表記されるようになりました。
Java5の特徴はなんといってもジェネリクス。それまでjava.util.Listにデータを出し入れするのにはキャストが必須だったわけですが、ようやくキャストから開放され型の安全度がぐっと高まりました。その他に以下のような変更があります。
言語としては随分変わっったわけですが、もうかれこれ10年以上前のことですからこれらの機能が「Java5から導入された」という知識は今となってはあまり必要とされません。これらの機能が使えないJava 1.4で開発をする事案が殆ど無いからです。0ではないのが悲しいところではありますが。
Java 6 (2006年12月11日)がリリースされた後、Java 7 (2011年7月28日) が出るまでJavaは停滞してしまいます。その間にSun Microsystemsという会社がなくなってしまったためです。
Sun Microsystems の経営状況が悪化しており、ついに身売りをすることになりました。身売り先はIBMともGoogleとも噂されましたが結局2010年1月27日にオラクルに吸収合併されました。
Javaの停滞中にはJava VM上で動く非Java言語も台頭してきました。Scalaなどですね。
やや戻って2007年にAndroidが発表されます。Androidの開発言語にはJavaが採用されていますが、実行環境はJava VMではなく、ライセンス的な事情でJava(TM)は名乗らない微妙な位置関係にあります。
Java 5 以降で大きく言語仕様に手が入るのは Java 8 (2014年3月18日)です。並列処理を行うためのStream APIと、そのために簡易に関数を定義するためのラムダ式が導入された点が大きいですね。日付APIも刷新されました。
このように、Javaは1.1の黄金時代から今に至るまで利用ジャンルを転戦しながら産業の土台となって支えてきた歴史があります。ジャンルの趨勢により浮き沈みもあります。今後についても決して楽観視はできないでしょう。Javaを学ぶことはプログラミングを学ぶステップとしては意義はあると思いますが、Javaを学べばゴールというわけではありません。プログラム言語も次世代へと移りつつあります。業界動向には注視していきましょう。
なんで「コンピュータの電源を切らないでください」と言われてそれに従うの?w?
Windows だって、いきなり電源が落ちることだって想定済で更新プログラム用意してるんだから、
どうしても急ぎのときはさくさく電源落しちゃえばイインダヨ。
昔はWindowsを使ってたけど、ある時堪忍袋の緒が切れてそれ以来一切Windowsを使わないことにしている。その理由は「更新プログラムのインストール」だ。
なんでシャットダウンしようとしたらいきなり勝手に更新プログラムのインストールを始めるわけ? しかも50個とかいうレベルで。頭おかしいだろ。こっちは今からノートパソコン閉じて出かけようとしてるんだよ。それなのに、なに勝手に「コンピュータの電源を切らないでください」とか言い出すわけ?こっちがシャットダウンする前に「更新プログラムがあります。今更新しますか?」って一言聞いてくれるだけでいいのに、なんでそれをしないわけ?
勝手に更新プログラムのインストールをはじめたせいで、持ち運んでる途中でバッテリー切れたらどう責任を取ってくれるの?出かけられないじゃんお前のせいで。本当に、どういう頭をしてたらこんな糞な仕様が思い付くんだろう。ノートパソコンの事とか全く考えてないってことなのか?この糞仕様のせいで世界中の何百万何千万って人が困ってると思うんだけど。Microsoftなんて早く潰れたらいいのに。
歌をやってくにあたって、発音ってものが問題になるときがあります。
いわゆる洋楽。英語の曲が世界的に流行ることが多いからたいていは英語だけど、場合によってはイタリア語なんてこともある。
特にクラシックで歌をやってる人は確実に避けて通れないですね。イタリア語とかドイツ語とか。
とはいえ僕は英語ぐらいしか分からないので英語限定でお話ししますね。そんな話。
さて、
https://www.youtube.com/watch?v=AijEQN6AuRs
くすっとくるやつ。
いやこれ、面白いんですけど、それ以上にすごいなと思って。
音程いじってないのにちょっと歌に聞こえるし、歌知ってればある程度音程にきこえるじゃないですか。
こうなっちゃう。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20319058
…まあそんなのはさておき。
歌詞の英語の抑揚そのまんまでメロディーラインができてるんだなって思ったんですよ。
それぞれの単語の抑揚は生きてるから、それつなげるだけでそれなりにつながるし、歌みたいになる。
一方日本語はどうかっていうと、
しゃべってても抑揚やリズム感がないもんだから、ない抑揚をつける方向に発展してきたわけです。
能楽の"うた"である謡曲とか、百人一首の読み手の節回しとか。
ない抑揚を極力大事にする童謡とかいきものがかりみたいなのとか、
むしろ抑揚を殺しにかかるお経(とか業界用語読み)みたいな流れもあるにはあるけど、
特に歌のテクニックが突出してるわけじゃないのに民謡とか童謡歌うとやたら映えるやつとかいるでしょ?
そして、英語にも同じことが言えるわけです。
普通に英語をしゃべれる人は、何気なーく歌っても英語圏の人と同じ抑揚が出て、
ポンコツな歌い方になるか、原曲を死ぬ気で完コピするかになってしまうと。
発音って書いてますけど、発音というより正確には発話の問題ですかね。
イントネーションってやつです。
別にRが上手く巻けないなら無理に巻かなくてもいいし、
ほんとはできた方がいいけど、少々発"音"が不自由でも音楽は死なない。
自分でもできるようにしといたほうがいいです。ほんとうに。
Macならターミナルにsay "hello"とか入れるとそれだけで読んでくれるよ。
http://qiita.com/zakuroishikuro/items/0c17acb21f119647c205
Windowsもあるっぽい?
http://windows.microsoft.com/ja-jp/windows/hear-text-read-aloud-narrator#1TC=windows-8
Windows Defenderでいいじゃん
Microsoft Security Essentials/Windows Defenderが無償提供された時、これでセキュリティソフトは駆逐される、と思ったのにそうなってないな
なんでだ
Windowsに入れてるウイルス対策ソフトは、アンインストールしてるのに「更新してください」みたいなポップアップが表示される。
ためしにもう一回インストールしてからアンインストールしても同じ。
メーカーのサイトに完全にアンインストールできるツールっていうのがあったから試したけど、それでも相変わらずポップアップが定期的に表示される。
タスクマネージャーで怪しいプロセスを殺して、そのうえでレジストリを検索して、怪しいところを片っ端から削除したけど、それでもポップアップが定期的に表示される。
もうあとはWindowsを再インストールするしか方法が思いつかない。
Macも、ウイルス対策ソフトの体験版を入れようとしたら競合するソフトが入ってるからインストールできないと言われて、面倒だからインストールはやめたけど、それ以来、起動するたびに対策ソフトを購入しましょうみたいなメッセージが表示されるようになって、これも削除方法がわからない。
自分も前に富士通に居て既に退職してます。後で詳しく書くけど、ソフトウェア開発職に居たです。
彼のへの感想。
富士通はクソでっかい会社なんだし、サイト見ればメインフレームやってるのだって判るんだから、開発職を希望したらメインフレーム関連の開発やる可能性あるのは当然予見出来るだろうし、それを想像してなかったのなら情弱とかブコメで言われてしまうよね。あと何も記述が無いから想像だけど、「それほど有能ではない」と判断された可能性もある。と言っても学生が思う「開発者として有能かどうか」ってのと会社でのそれってのは別物で、要するに学生自身が自分が実績もあって優秀だと思っても、会社的にはそうでないのよね。そうなると(後述の富士通に入社して10年が経った人の話にもあるのだけど)新人の能力の客観的な判断材料って大学と資格(応用情報レベル以上)程度なのよね。資格に関しても基本情報なんてMARCHクラス以上の人間なら受けたら取れて当然だから、「有能かどうか」の判断材料にならない。就活の際に本気でIT業界に入りたいかどうかの判断材料にはなる程度。自分の同世代で富士通本体に入ってソフトウェア開発関連に配属された人のプロフィールを見たけど、確か偏差値的には少なくとも神戸大学とか千葉大学あたりの修士卒しか居なかった覚えがある。あと確か2~3人がソフ開持ってた気がする。だから、この増田がどの程度だったのかなと。
ただ、20万人月案件が具体的に何かは判らないのだけど、自分の在籍していた当時でも炎上巨大案件というのはあって、(自分が知ってるのは確かデジタルテレビがどうのこうのとか言ってた)、そういうのに入社して間もなく入ってしまうと自身の勉強等が出来なかったり潰されたり最悪死んだりするんで、そういう意味でも逃げるのは正解の一つ。(自分は炎上案件に放り込まれた新人が寮で死んでたとか話を聞いたことある)
はあ、としか。この人がこう判断した際の判断材料にするであろう自己の体験を具体的に書いてないので、意識高い系がフカしてるようにしか見えない。あと、たった3年しか居なくてあの巨大企業の経営とか体制とか理解出来るんかね?と思わないでもない。自分とは部署が違うだろうから当然かもしれないけど、自分の体験とは違うなーって感じ。自分は、外から見たら馬鹿みたいな事やってるように見えるかもしれないけど、経緯や目的や巨大企業特有の問題があってそうなってるんだなって思う事が多々あった。
近い時期に入社したと思われる。具体的な話が自分の経験と一致してる。特に、富士通のソフトウェア開発と言えばミドルウェアの開発が主だというのは、富士通内部じゃないとなかなか(特に学生なんかじゃ)判らないかなと。
それでこれらの話を見てどんな人が富士通(というか大企業)に向くのかなと考えたんだけど、「やりたいこと」そこまで明確じゃないけどコンピュータは嫌いじゃないって感じで、地頭がまあまあ良くて勉強に関しても要領よくやれる(要するにそこそこの大学に行って卒業した人)、それでそこそこ安定した職・収入目当てな人かなと。ってコレ書いててふわふわしてる人みたいであんまり良い印象の人物像じゃないな。マッチングミスはどうしても起きると思うし、学生の頃に思う「やりたい事」って往々にして変わったり間違いだったりするし、そもそも学生の頃に明確な「やりたい事」がある人の方が少数派でしょ。だからこういうそこそこ優秀だけどふわふわしてる人の方が良いんじゃないかなとか。逆に、ちゃんと「やりたい事」が明確にあるけどまあ安定はしたいって人はどうしたらいいのかって言うと、自分みたく大企業の子会社を狙うと良いんじゃないかなと。子会社ならその会社がやってる事が理解しやすいし、入った後の配属の希望も大きく違ったものにはなりにくいし。まあ子会社は子会社で色々アルかもしれないけど。
入社は10年ぐらい前。入ったのは富士通の子会社で主にミドルウェアの開発をやっている所でした。入社して1~2年したら子会社の統廃合とのことで富士通本体と連携してる部署(自分がそうだった)は富士通本体になりますとのことで富士通本体の方に移ったという経緯ですね。別に待遇とか元々本体と同じだったから変わらず、事務関連が小回りきかなくなったぐらい。入社してから退職までは5年ぐらいでした。辞めた理由は実家の事業を継ぐ事にしたため。
入社して数ヶ月の時にある温泉地にある某所でその手の開発をやってる子会社沢山と
富士通本体のソフト開発配属の人達で研修をやったのだけど、その際に富士通本体の人達と知り合った。(この際に全員のプロフィール冊子が配られた)そのときは流石子会社に入る人達と本体とじゃレベルが違うな~と思いましたね。(ちなみに自分はMARCHより下の院卒。)
自分が配属されたのは某製品部署のAPI部分チーム。その製品がC言語やJava言語からも使えるように出入り口を用意する部分。中でやってる事は指定されたIPのポートにプロトコルに沿ってデータ投げるだけなんだけどね。ちなみに配属希望の際は「そこそこの忙しさの所がイイ」と言っていました。「バリバリに働きたい」と言ってた同期は多忙でヤバい所に配属されてました。他にもチームがいくつかあったけど、それらのうちの一つは例の「山奥の工場」でしたね。自分が配属された当時はC言語のAPIをリニューアルするって開発してたのだけど、設計担当がJavaしかやったことない人で色々とC言語の流儀に反してて後々のメンテが大変でした。まあそれでもリニューアル前よりは遙かに良くて、以前はユーザに見せてる関数名が ○○search1 ○○search2 ○○search3 とかでしたね(ちなみに機能はそれサーチか?思うのもあった)。もっと酷かったのが初期製品のJavaの公開メソッドで、マニュアルには「このメソッドの引数○○を□□を指定した場合は戻り値のObjectを△△にキャストしてください。××を指定場合は…」という「これ製品にして売ってたんだ…」と思うレベル。もちろんコレがダメだったってのは開発側も認識していて当時は既にリニューアル済みだったけど。リニューアル済みでも少し微妙だったけどね。
これは、ミドルウェアの開発をやってる人達って基本的にC言語が主でJavaとかをやってる人がほぼ居なかったからだと思う。上司もそういうのは良くないってのは認識してた。対象OSはWindowsとLinuxとSolarisだったけど、そんなにたいした事やってなかったからほぼ同じコードだったような。ソケットの一部だけ違ってたっけかな。
それでそのバージョンの開発が終わったあたりで、.NET Frameworkが出始めてきたので次バージョンでは.NET FrameworkのAPIを作る事になりまして、自分が少し勉強していたのでそれの設計から担当する事に。当時は.NET Framework 1.1で今思えば少し時期が早かったと思う。2.0でGenericが出てからやった方が良かったと思うんだけど、そういうの政治的判断だし結果論だしなー。それまでにRubyとかオブジェクト指向言語に触れてその辺の勉強もしていたので、.NET用のAPIに関しては設計も実装も結構良い感じに出来たと思う。ああ、そういえばRuby用のAPIも効率化の開発ツールとかの名目で仕事中に勝手に作ってたなあ。他にもC言語のAPIも内部実装がクソすぎ!とキレてユーザ公開関数インターフェースだけ同じで中身をフルスクラッチした事も。もちろん絶対にLDしてるんで完全に趣味なんだけどな。これでAPIはC言語とJavaと.NETになった訳だけど、現場の案件で使われたのってほぼ全てJavaだったと思う。(開発中のサーバのテスト用アプリはC言語だけど)。要するに自分が数年関わったコードが世の中ではほぼ使われてない訳でして、取りそろえとして必要だったとはいえ世の中の役に立ってないってのは嬉しくは無かったですね。まあ、大企業の仕事なんてそういうもんです。.NETに関してはそのバージョンが出る頃はその製品があまり売れてなかったんだか使われたって話は聞かなかったですね。ほほほ。大企業に勤めるのならこういう覚悟は必要かもね。
で、.NETのAPIが出来たあたりに開発ネタがなくなって保守気味になってきたので、人員整理と作業整理との事でインストーラと切りたいけど一度やったからには切れない補助製品の担当が増える事に。インストーラはWindowsがInstallShieldというクソみたいな言語上で作られたもの。LinuxとSolarisがシェルスクリプトでのもので、InsallShieldの方のコードはあまりにクソなのでリファクタリングさせてもらった。この辺の開発は少なかったのだけど新OS対応(Vistaとか)とか保守作業が大変だった覚えある。
んで、これらの作業が終わったあたりでこの製品でやることが無くなってきたのと同時に、この製品の派生製品の話が出てきてて、それは1機能1exeで提供されてて、それらを纏めるバッチ処理機能部分を担当することに。バッチ処理の内容・順番を記述するのにXMLを使う事になったのでXMLのパーサが必要なのだけど、色々調べたら富士通内部でパーサ作ってたのでそれをもらって使う事に。そのパーサはC++からじゃないと使えなかったのだけど、趣味でC++で勉強してたので何とかなった。あと、結構OSの知識(プロセスとか)が必要でWindowsとLinuxとSolarisで動くコードを書く必要があってまあまあ大変でした(と言ってもifdefで切り分けるだけなんだけど)。けど、これらの開発は自分が一から設計してコードを書いていたので楽しかったですね。それでこれが完成するかしないかあたりで、このバッチ処理機能が他の開発中の製品のバッチ処理に使えないかとか話が出てきたあたりで自分が退職する事に。(退職の話は1年ぐらい前に話し合って決定済み)引き継ぎをして退職ということになりました。最後は溜まった有給を使う予定でまだ在籍中だけど部屋を引き払って実家に帰ってたのだけど、打ち合わせに来て欲しいって言われてしまい実家から何日か通ったのは良い想い出。というかまさか実家から朝8時に間に合うとは思って無かった。
振り返ってみて残業時間は月40~60時間が多かったかな。100時間超えた時は上司に怒られた。あと退職前の1年ぐらいはうちの事業本部(だったかな?)単位で残業禁止になってホントに残業0時間になった時期があった。他の部署の人の話で、どう考えても狂ってる上司の話とかを聞いてると上司とかの運は良かったと思う。あと、やっぱり仕事でみっちりプログラミングが出来たのは運が良かったと思う。富士通のソフト開発で C C++ C# Java シェルスクリプト InstallShieldとか(そんなに深くはないけど)色々やれた人間はそうそう居ないんじゃないかな。同期とかの仕事は年上の人の派遣の人に指示出したり取り仕切ったりする仕事とか、保守サポートみたいな開発じゃない仕事の話も良く聞いていたので、ソフト開発のキモを体験出来たのは良かったです(こなみ)。
半角ハイフンは Mac で ? に化けるらしいという話がある。
元は、次の新聞記事における例。
http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKCN0YI0F7.html
MCR-1 という正式表記が、 MCR?1 に化けている。ここで、MCR と 1 は全角なのに、 ? は半角であることから、文字化け委したことが明らかとなる。(全角に変換して表記したのに、文字化けのせいで不表示を意味する半角 ? になってしまった。)
これはどうしてか? 機種依存文字のせいだ。
MCR-1 という正式表記をするときに、半角ハイフンのかわりに、よく似た記号(二分ダーシ)を使うと、こうなる。
http://youbou.blogmura.com/req_tpc/0_2057_-1.html
本人は半角ハイフンを使っているつもりでも、別の記号(二分ダーシ)を使っているから、互換性が取れなくなるわけだ。
《 参考 》
Windowsユーザじゃないのでよくわからんのだけど、なんでWindowsユーザは新OSが出るたび頑なにアップデートを拒否するの?
「新OSは使い勝手が〜」とか毎回聞くけど、どのみち最終的にはアップデートせざるをえないんだからさっさとすればいいのに。
「使ってるソフトが対応してない」とかもよく聞くが、Windows10が出てからもう一年近く経つのにまだ対応していないような低クオリティのソフトウェアを使っているのは色んな意味でマズすぎ。
使い勝手の問題はまあ個人の勝手ではあるが、それよりセキュリティ意識ゼロなのが本当にヤバイ。