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エロ漫画家のエロ傾向一覧とは (ヘンシュウシャタチノセイテキシコウイチランとは) [単語記事] - ニコニコ大百科を見ながら書きだしたけど、東山翔とかがいないあたり、編集者の好みで偏ってるからあんまり参考にならんね。
でも三峯徹が座敷童扱いされてて吹いたwwww
いかんエロについて語りだすとキリがない。もっと語りたい!語り足りない!
男一人の人生におけるエロ遍歴ってそれだけで一冊本書けそうなくらいやね。
うおおおおおおおいっこネタ思いついた!これでpixivにマンガ書こう!!!マンガどころか絵なんか書いたことないけど!!!!うっひょー興奮してきた!!!!このリビドーをすべて創作にぶつけろ俺!!!!!
本好きの高じた結果、その購入物によって汚染された室内は、積読現象によって室内の壁際を、二周ほど周回したころから、家主は、危機意識をいだいた。購入欲求から出発した恒常的な床不足と家計破壊は、室内に家主の生息をゆるす状況ではなくなり、電子化は必然であった。
だからといって、本当に床が抜けてからでは、家主は、裁断機を運用し、自炊する力もなくなってしまうだろう。
電子書籍リーダーの導入は、家主は部屋とともに死にむかうのではないかという認識が、本好きからひろがった時に生まれて、電子書籍の購入が開始された。
電子化が開始されれば、すべての蔵書を均一に電子化させる、という家主の決意は、まちがいではない。
しかし、特例事項があったことが、その後の過ちをうんだ。家主が必要と認めた書籍は、部屋に蔵書できるという規定である。
条件はあった。
入手が困難な希少本と、画集のような今の形に意味がある書籍という規定である。
規定は、理想的にその理念を行使するということはないし、一般的な人びとの視点からみれば、床が、抜けていると見えないことが、この規定を拡大解釈して、運用されたのも当然である。
さらにいえば、本好きから産まれたビブリオマニアが、紙とインクのフィーリングを忘れることができるものではないからこそ、そこに、無条件に規定を無視したくなる思いがうまれた。
その欲求は、正しい。
しかし、ビブリオマニアのもっとも深い罪業は、積読の増殖が、室内環境と家計にとってもっとも危機的なものであるという認識を認知しないことにあった。
しかし、電子化は、その代償を家主みずから支払わなければならない時代であり、電子書籍時代とは、技術革新の時代でもなければ、祝福された時代でもないのである。
その認識から生まれたフラストレーションは、ますます本好きの人びと、ビブリオマニアたちに、物理本回帰の欲求に火をつけるのは、逆説的ではあるが、当然の帰結であった。
増殖した積読という本が、たえず回帰する形は、物理本でしかないという欲求は、ビブリオマニアの二重の罪業である。
しかし、床を完全に再生させるためには、千冊以上は処理しなければならないだろうし、千冊処理するあいだに、積読は、さらに増殖するだろう。
つまり家主は、すでに、蔵書全部が部屋におくことはできないと、覚悟をしなければならないのである。
これも、本好きには、容認できる認識ではないのだ。
しかし、現代は、すべての例外規定が排除されて、ビブリオマニアは、電子書籍リーダーに逼塞しなければならないのである。
『……でなければ、版元が起こした反乱も、あの時、死んでいったストアたちの霊もなぐさめられない……』
マスダは、そう思う。
主にソシャゲ向けでイラストレーター登録型の会社が乱立してるけど
追記:落ちたので書くけど、個人的に、自分がその対象になるとは思っていない。
だけど、もし自分が登録業者になるとして、たとえば十把一絡げの絵描きじゃなくランカーや
ラノベ挿絵、画集を出すクラスの人に営業しても玉砕するだけだと思うんだけど
毎年確定申告の時期に結構なクラスの絵かきでもヒイヒイ言っているのをtwitterで見てると、
他社より多くお金積むよりも会計士と組んでそういうサービスつけて、それやりますからウチで描いてくださいよー
っていうほうが差別化できて、結果業者にとってもお得になる気がしたんだよね。
年間300万円うちで描いてくれたらサービス利用できるという形でお願いするとして、10万円クラスなら30枚、5万円クラスなら60枚
別に仲間は後からついてくるから、とりあえず申し込み書を取り寄せて、申し込んで本を作ればいい。
同人誌なんだから、最初は手製本で十分。パソコンとプリンタがあれば簡単にできる。
別に手書きでコンビニのコピー機で複製でも構わない。いきなり印刷所に出すこともない。
好きが足りないと途中で面倒になる。とにかく誰よりも好きになる覚悟があるとあとは作業だ。
好きなもので面白そうなことを考える。内容は人による。できればオリジナルがいい。長続きする。
パロディならば、何かと何かを掛け合わせる。オズボーンのチェックリストを使うといい。
アイディアが膨らむ。
絵が描ければまんがだろうし、文章が好きなら小説だ。どちらも苦手なら、データを集めてデータ集にする。
本とというのは、大体4の倍数のページ単位でつくる。
最初にもくじがあって、はしがきがあって、本編があって、おまけがあって、あとがきがあってでいい。それぞれ何ページ使うかを大体決めておく。
ここで、本の綴じ方を決めておく。袋綴じならば気にしなくてもいい。ホチキスで留めて折る針金綴じや木工用ボンドを使った簡易無線綴じのときは、ページの割り振りを考えておく。
ページ数は、24から32ページくらいを考えておいたほうがいい。本のサイズはA4を半分に折ったA5が作りやすい。
手を動かす。ここがいちばん楽しいところ。あんまり時間がないかもしれないが、余暇の時間をすべてつぎ込む。
時間切れ(自分が作った締め切り)にむかって、納得がいくまで試行錯誤を繰り返す。
表現がつたなくていやになることもある。自分の力のなさに絶望することもある。
簡単な方法だと文字をwordか何かで打ってプリンタから出力。
絵は、原稿用紙(ケント紙)に描く。絵を描いた原稿に文字を切り貼りする。丁寧に作業をする。
表紙はキャッチーなほうがいい。遠くから見て目立つほうが売れる。
誤字を確かめたり、矛盾がないかチェックする。てにをはも確認する。
印刷だ。原稿ができてしまえば、完成は近い。家庭用の複合機プリンタならば、コピーモードで複製できるし、工夫すれば両面印刷もできる。
なければ、コンビニでがんばる。コンビには両面印刷は難しいかもしれない。20冊から30冊つくればいいと思う。
印刷した紙を折る。次にページの順番に並べて、1冊ずつに分ける。
ホチキスや木工用ボンドで留める。この作業は、間違えるとやり直しが難しいので、単調な作業ながら気を使う。
最後に本の背以外の三方をカッターで1mmくらい切ってきれいに整える。
以下は、余力があったらやってみると面白い。
だいたい本ができると力尽きる。もしかすると前日にできたりする。できれば、小間の飾りつけを考えておいたほうが売れる。
会議室のテーブルにかけるきれいな布やテーブルクロスを用意しておく。これだけでだいぶ小ぎれいに見える。
看板を作る。会場内の場所を表す記号を書いたり、サークル名を書いておく。テーブルの前にテープで留めてもいいし、背後にのぼりのように掲げてもいい。
無料で配れるものがあると立ち止まってもらいやすい。しおりでもラミカードでも名刺でも配れるものを作っておく。
余談。会場に着いたら。
女性だと盛装している人がいる。そこまでいかなくても、普段よりおしゃれしていく。面倒ならスーツ。もしくはクールビズっぽく。一瞬の出会いは、その場の見た目が重要なので、気をつけておくに越したことはない。
おとなりの小間の人や会場の係りの人にはしっかりとあいさつする。
このあたり好みが分かれるが、立って声を出してみると人が振り返る。
「新刊です。どうごお手にとって見てください。」と通りかかる人に声をかけてみる。
これだけで、ぐっと売れる。売れたほうが楽しいよね。
ご健闘をお祈りいたします。
変猫が綺麗な最終回を迎えて、押し倒されてM字開脚を披露した月子を穴が飽くまで脳内に焼き付けた増田だが、
主人公の『思い出を誰かに渡す』願いに、正直モヤモヤが晴れない。
月子の感情と同じように、変態王子は一生記憶が思い出に変わるたびに、必要とする誰かに渡し続けることを選んだらしいが、
そこまできたら願いではなくて呪いだろうと思った。
そして、そのことを選択した紳士に、個人的にイラつきを覚えずにはいられなかった。
思い出がない人間は生きていけない。
私にとって、ノスタルジーとは現況を上手に覆い隠し、遠くの記憶をぼんやりと明るく照らしてくれる濃霧だ。
不甲斐ない今に蓋をするために、昔を引き合いに出すこと。これほど簡単に自己肯定に繋がり、現実逃避ができる手段は他にない。
『昔は良かった。』
そう、呟くだけでこの暑苦しい六畳一間がサザエさんと家族の声が響いてたあのリビングに変わるのだ。
それをこの変態王子はずっと否定するのか。常に現実アッパーで過去なんていらないというのか。
前回の話も地味に痛かった。選挙ポスターで『平成十五年』の年号を確認するところ。
え、嘘、計算間違ってるんじゃね?と思った。狼狽えた。十五年だよ、十五年、西暦に直しても2003年、全く古い気がしなかった。
満年齢=年号なので、ノスタルジーを利用するためには年号を辿れば良かった。
一桁代が私の幼少の頃だから。あーでも、他の世代ってどうなのだろう。
昭和って聞けば、セピア色になるし、二十世紀と聞けば、古き良きという枕詞が勝手につくのだけど、
これからの子って平成の時代が続く限り、ノスタルジーはそこに見出せない。
ノスタルジーを見いだす手段って他にあったっけ。考えてみた。
ノスタルジーを見いだすには、適度な時間を置くことと、分かりやすい変化があればいい。
例えば、自分がかつて住んでいた家の近くの近況とか。
先日、職場で一緒になった人が、昔の家の近所に暮らしていることを知り、
三角屋根が目印の本屋の話題が出た。ハローマックみたいな形の。
幼少の見切りでは、二階の児童向け文学を読んでいてダダをこねたら親に置き去りにされた場所でもあり、
初めてラノベを手に取り、エロゲの画集を買ったお店でもあるそこは何も変哲もない牛丼屋に変わっていたことを知る。
建物ごと変わり、当時を残すものは残ってないよという話だった。。。GoogleMapのストリートビューにも果たして残っていなかった。
『そうなんですね、ショック。。』そんな当たり障りのない反応を返しつつ、内心安堵もしてた。
こういう原作ファンにとってほぼ公式として受け取られかねないような本はもっとこっそりひっそりやるか、
何千部単位で刷るような規模でやるならちゃんと権利関係クリアにして企業で申し込むなり
特にまどかみたいにオリジナルアニメの場合は会社的にもクリアにしやすいんだから
企業としてスペース取って会場限定同人誌として売るべきだったんじゃないかと…、
・
許可とらずに公開したり売る事自体も、どうかと思ってしまう。
・
仕事で関わっていない作品の同人誌なら個人のファン活動ですよーって建前も使えるが
はてブのコメントにもあったけど、小説家や漫画家が自分が権利持ってる自分の作品の資料集を出すのとは全然違うし。
・
勝手にやってる二次創作が溢れかえってるコミケで何いってんだと思う人も居るかもしれないけど、
それとはまた違う違和感が拭えない
有名原作のコミカライズをやってる作家が編集部や版元に無断で線画集や設定資料集出してたらありえないと感じるけど
アニメのスタッフ本てそれのさらに規模が大きい版のような…そんな感じ
・
アニメーター個々人がいろんな作品の原画を自分の原画集として細々売ってたのともまた違う感じがする
あまりにも公式らしさが強すぎるし、個人の活動ですというには
公式スタッフが集まりすぎてるし規模が大きくなりすぎてきてるんではないかなあ
・
現場のアニメーターさんに還元してあげたい気持ちはすごくあるんだけど
こうやって作品名をガッツリ使ったスタッフ本でやるのはどうも違う気がしてしまう
・
スタッフ本に感じる違和感をうまく説明してくれてる人いないかなあ
ずっともやもやしてる
物事に熱中しやすい気質が、特定の物象に対して執着に近い形で長期に渡る場合、おたくやマニアと呼ばれるのだろうけど。
個人的に何かにはまればはまるほど、自分の知識なぞ到底おたくには及ばないと思い知る。
例えば漫画にはまったとする。
漫画を全巻そろえて、設定資料集と画集をそろえて、作者インタビューの雑誌をそろえて、
事前予約でサイン会等イベントへいったり、作者の過去作品も全部読了し、
金銭があれば漫画派生のフィギアを買い、二次創作同人誌に手を伸ばしたり、
・・・それでも足りない。
感想考察サイトを覗いたり、2chの専門スレに常駐したり、それでも先人の知識とその知識を引っ張り出してくる早さに驚嘆する。
「何巻の何ページにだれそれのどういった台詞が!」みたいな程度はまだしも、
「どこそこのマイナー雑誌の数行のコラムインタビューでこういう裏設定」とかまでは極められていない。
ど忘れしていたり、設定は覚えていてもソース元まではすらすら出せなかったり。
そういう状況を見せ付けられるたびに、まだまだ自分はおたくを名乗るのもおこがましいと常々思う。
あと何年したらおたくと名乗れるのか、・・・多分何年経っても知識量と迅速な引き出し力の未熟さに叩きのめされそうだが。
周囲はおたくだというけれど、自分自身でおたくだと思える日がいつか来れば幸いで、
まだまだおたくを目指して歩いていく所存です。
自分は中学2年の時、初めてテスト勉強が深夜になっても終わらなくて、ふと休憩にテレビをつけたのが二次元趣味に走るきっかけだった。
それから6年間、金銭的に低燃費なライト隠れオタを細々と続けてきて、漫画とかアニメとかゲームとかラノベとか、自分の一部だと信じていて、
このまま、ただ出てきた物を貪っているだけで、それなりに楽しく文化的な生活が送れるものかと思っていた。
現実が気を病むレベルで満たされていない分、ファンタジーでも恋愛でも、サスペンスでもミステリーでもSFでも物語が好きだった。
登場する人物というかキャラクターが好きだった。
それこそ、最初のころは一日中空想に想いを馳せ、向こう側に行くことを夢にしてしまうくらいに。
話の出来は悪くなかったはずだし、感動したはずだった。
ハッピーエンドだ、悪くない。そもそも物語に点数はあまりつけない方だし、大抵は楽しめる。
話が終わった時に自分が置いていかれるような、自分が置いていくような、寂寥感みたいなものはいつでもあった、それが今度は無くならない。
それとは別に、気持ちがついてこなくなって、話が終わってからメシを食えば、トイレに行けば、歯を磨けば、風呂に入れば、それだけで空想から現実に一発で戻ってしまう。
二次元に対する情熱は最初ほど大きくはなくても、6年間で根付いていたはずだった。
それでもそのまま、空想と現実が離れていってしまった。大切にしていた数少ない漫画もラノベも画集もいまは薄汚れたダンボールの中。
6年もずっと続いていたものが、こうも急に無くなるとは思わなかった。
今日から新しいアニメが始まるというのに、もう録画する気にはならない。
そのうち誰かが夢見る機械を作ってくれることを祈りながら。
ついでに増田に吐いてみる。ここらしか吐く場所無いんだよな。ごめんなさい。
本気で胸糞悪い話だよ。なので以下は全部ウソとする。ぜーんぶ、ウソ。
私はもう最低中の最低なカス女でね。さっさと日本でも安楽死合法化を希望するような屑でね。
そんな私もついに今日が誕生日。21歳。職業キャバ嬢。兼、同人作家。
うちの母様は何と言うか、異常な人でね。娘に対する愛着が。
美的感覚も狂ってて、お陰さまで高校までの自分の格好はそりゃもう、酷かった。
おしゃれ?何ソレ。高校まで母親に髪の毛切って貰ってたよ。キッチンバサミで。
化粧もダメ(そもそも母親が化粧しない)服は母親のお手製(そろそろ還暦のババァのセンスときたら!)とりあえず全部ダメダメダメ。
髪の毛はゴワゴワ(しかも無意識にひっこ抜くもんだからハゲてる!)肌は毛穴でクレーター、しかも一ヶ月くらい風呂入らない。
本当に色々厳しくて、何もさせて貰えなかった。ただただ毎日「お前は天才」「お前は可愛い」と言われ続けてきた。
確かに成績は何故か良くて、県統一模試だと10位以内。とりあえず変な子だった。
ぶっちゃけ、親を殺したかった。母親が殺したいほど憎かった。というか、何度か殺しかけた。
引きこもって絵だけ描いて、2chやりまくって、ネトゲしまくって、痛いサイト作って親への罵詈雑言を書いてた。
高校じゃ全然周囲に馴染めなかった。JKだもの。リアルJK。可愛い子達ばかり。そりゃ浮くよね。
皆が楽しそうにしてるのが心底うっとおしくて、担任に「あいつらが騒いで授業に集中出来ない」とクレーム入れまくった。
私より頭が悪いくせに。民度が低い。うっとうしい。殺してやりたい。
驚いた事に、それを聞いても母親は変わらなかった。「お前は天才」「お前は可愛い」…このキモピザのどこがだよ。
気が狂ってると言われてたけど、私に言わせりゃあ、狂ってたのは母親だね。
大学に進学して、やっと親の元から離れて一人暮らしを始めた。1年で20キロ痩せた。
オシャレなんかも思う存分やりまくった。痩せてみると意外と楽しい。
サイトを立ち上げて同人活動を始めた。最初はグッズ、その次にオフセ。
絵は幸い上手い部類らしく(自分に言わせれば本当にまだまだ未熟だけど)、すぐに知名度も上がった。
頑張ってメイクの勉強もした。街中でナンパされるようになった。物凄く嬉しかった。
調子に乗ってたら街中でレイプされた。すげー。街中でだよ。ありえねえ。と思いつつ普通にボケーッとしてた。
処女膜は自分で破ったしね。中学生の時に。特に痛くもなかった。でも、何か勝った気がした。
終わった後で気づいたら、足がえらくガクガクでフラついてるのに気づいた。何やってんだろうなあと思った。
何に勝ったんだと自分でも突っ込みたい。ブスのトラウマって怖いね。
その後、趣味でやってた同人がそこそこ売れ出して、コミケも余裕でいけるようになってきた。当時19歳。
思い切って大学を中退して、上京した。大学は美大だったけど、もう行ってなかった。
同級生の子達は芸術に対して本当に真剣で、真面目ないい子達だった。私なんぞが居たら浮きまくる。
東京に行って書店でバイトしてたら学生さんと知り合った。告白されたので付き合った。
1年後には同棲してた。私には勿体無い、というよりも明らかに似合わない、誠実で優しい学生さん。
今も続いているけど、いつ捨てられるんだろうなあ?と、毎日思っている。
むしろ捨てて欲しいな、早く。クソ生意気にも泣くだろうけど。私。
この頃は同人を少し休んでて、金が無かった。家賃高いし、生活費かかるしだった。
ので、キャバ嬢になった。ただのキャバ嬢でない。セクキャバ。正真正銘手足ガクブル。
だってほら、キャバ嬢ですから周囲。きらきらした可愛い女の子達。一番苦手な相手。
でも話してみたら凄くいい子も居た。頑張ってる子も居た。もちろん、性格悪い子も沢山居たけど。
何人経験した?って話になって、正直に言ったら物凄く笑われた。
笑った子の経験人数を聞いたら300人越えてた。マジかよwww……うん、マジだった。ここはこわいところです。
時給は3000円くらい。安いとは思うけど、私にしてみりゃ破格だった。
幸いお客も結構付いてくれるようになった。けど、ドリンクを頼むのだけは最後までスムーズに出来なかった。
そりゃ根がひきこもりだから仕方ない。コミュニケーションなんて死んでしまう。
色々な客が居た。同伴出勤したら回り道されてラブホに連れ込まれかけたりとか。
障害もちのお客さんが来て、話してたら凄く仲良くなったりとか。
どこぞの誰でも知ってる某音楽会社の人に気に入って貰ったりとか。
もちろん根はただの引き篭もりだったんで、ストレスは物凄く溜まった。けど何故か、物凄く満ち足りた気分になった。
見返してやった気がした。何をだよ。何を見返したと言うんだよ。私。
仕事を始めて半年くらい経った頃、流産した。えっ?妊娠してたの?避妊はしてたんだけど。
残念ながら何も思わなかった。クズでごめんねえ。
私の元に来た事を嘆きながら死んでいけばいいさ。別に祟ってもいいよ。出来るんならね。
入院代はあったけど、ついでだからと親のスネをカジカジしておいた。
……へえ、やっと目が覚めたのね父さん。
ここまで来て、やっと少し落ち着いた。ので、高跳びして同人生活に戻った。
とりあえず本を作りまくって書きまくってたら商業の仕事が来た。えええ。マジですか。
もちろん飛びついて今に至る。現在年収400万程度。週休なし。睡眠時間3時間。でもそこそこ勝ち組。
ちなみに母親には「彼氏が出来て仲良く幸せにやってます、目指していた絵の仕事も軌道に乗ってきました」とだけ言ってある。
母親には感謝しないといけないな。そこそこまともな容姿に産んでくれたこと。
で、昨日実家に帰って、母親に500万渡して来ました。少ないって言うな。浪費癖が大変なんだよ。
子供の頃に捨てられたもの、全部今になって買い直した。漫画とか、画集とか。おもちゃとかお菓子とか。
洋服もブランドの可愛いのを着る。買う。そうしないと胃の中がムカムカして、憎くて憎くてたまらなくなる。
何が憎いのかも分からないなあ。でもとりあえず止められない。
ビッチと言われようがアバズレと言われようが大いに結構。「ザマミロ」という優越感しか湧いてこない。
車の中で母親がボソッと言った。「あんたの事は誰よりも可愛がってきたんだよ それが正しいのかは分からない」
久しぶりに私は言葉が出なかったので(これも何故かは分からん)、速攻で飛行機取って明日東京に帰ります。
バイバイ母さん。もう逢うこともないでしょう。
病院から連絡が来たら、迎えにだけ来て下さい。葬式はいらないです。金の無駄ですんで。
それでは1年後くらいにまた会いましょう。水子のタタリだったらうん、まあ、自業自得だね。
でもやっぱり「ザマーミロ」しか言えない。水子にじゃないよ。それだけは確か。でも何に対してかは本当に分かんない。
あ、ウソだからね、これ。全部。うん。
購入層のマーケティングの結果です。
サイズ&陳列方法の問題です。
画集のサイズが大きい限り壁際ですし、18禁である限り壁際です。
こちらも購入層のマーケティングの結果です。
否定したいかもしれませんが、漫画なんぞ読んでれば同類です。
残念でした。
いちいち気にしないのが普通ですけどね。
料理本の近くに代替療法やスピリチュアル、自己啓発の本がある。
いやいやいや、違うんですよ。「幸せになる○○の法則」とかが欲しいんじゃないんですよ。
この年でできちゃったから慌てて出産準備雑誌を探しているんじゃないんですよ。
エロ本が見たいけど周りの目が気になるからって日本美術史を抱えているわけじゃないんですよ。
や、確かに購買層とかレイアウト考えるとそーなるのも分かるんですけれど。
誰が何を買ってるなんて誰も気にしてないのも分かってますけど。
きっと他の趣味を持つ人も、同じもやもやを味わっているのだろう。
外から見たら一緒くただろうし。
どうしようもないんだよな、と諦めつつ本屋をさまよう夏の夕。
ロマンシングが逮捕されたみたいだ。脅して金巻き上げていたのだから義賊扱いする気にはならない。
被害者への同情なんてもちろんない。自業自得だざまあみろ、といったところか。あれに引っかかるのもどうかと思う…もしかしてゲームを買ったことがないのか?
「購入厨」という言葉を発明した人はすごい人物かもしれない。これほどぞっとする言葉はない。意図してこういう言葉を作ったのであれば、ある意味で言葉のセンスに長けている。けれども、もしも本心から購入を否定していたのであればとんでもない人間だということにもなる。対価を払わないというのは、取引を否定するようなもの。割って平気な顔をしている人間はどうかしている。
自分の周りに何人か、ゲームを割っている人間を知っている。なかにはCGだけ引っ張って終わり、というわけの分からない使い方をするのもいる。なるほどたしかに本編をプレイしているわけではないが、だからといって金を払わなくていいなんてことはない(画集を買え)。「金払え」「対価を払うのは社会の基本だろ」「箱があるのはすばらしいことだぞ」などとそうした連中には言ってみたのだが、いろいろと理由を挙げて逃げられた。友人との人間関係を壊すことは本意ではないから、突っ込むことはしないし(著作権法は親告罪だし)、別段態度を変えることもしないが、寂しいかぎりである。
もっとも、とうの昔にロットアップしていて中古も流通していないなんてばあいには、しかたがないのかなと思わなくもない…(諦めろというべきだが)
古本は価格にちゃんと市場原理が反映されてるからフェアなんだよね。
基本的に中古は新品より安い。
汚いものや需要のないものは安い。
たまに古かろうがなんだろうが需要のあるプレミア価値ってものもある。
俺も結構本に書き込みするから、前の持ち主の書き込みから読み取れることが多くて面白い。
(勿論画集みたいな愛蔵するものは書き込みあったら問題あるよな、それは別)
元の例えに戻るけど、人間の場合は新品も中古も値段が変わらないわけじゃん。
少なくとも世の中の「良識」という建前や、女性側から出す値札は。
でもそれなりの数の男が実は新品と中古は価値が違うと思ってる。
そこで、つまり市場原理が上手く働かなくなってるところで、議論が紛糾するんじゃないかな。
別に俺は処女厨じゃないけどね。
美大生はアート作品を買わない。
ttp://togetter.com/li/9075
10年ほど前、某美大で「自腹でアートを買う」という授業を行った。「画集」購入は「反則」として禁止。その結果「アートには金を出して買う価値のあるものがない」「展覧会には金を出すが、基本は無料で見るもの」という者が続出した。「では自分の作品は?」と聞くと「自分の作品は例外」となった。
omuraji
2010-03-12 11:08:12
美大生の一人はアート作品を買いたくない理由として、「ウザクて自分の部屋に飾りたくない」と言った。「何かの表現であるアート作品は、生活を共にするのに鬱陶しい」。
omuraji
2010-03-12 11:21:32
そして彼等の多くは「アート作品」の代わりに、家具や、フィギュアや、カレイドスコープやらを買ってきた。「こっちの方がいわゆるアート作品などより、自分にとってはアートです」。
omuraji
2010-03-12 11:23:29
アーティストになろうとしている(多くはなろうとしていないかもしれないが)美大生のこの自己矛盾。しかしまた多くのアーティストもまた、熱心なコレクターではないのも確かだろう。
omuraji
2010-03-12 11:28:55
授業の最後のあたりで「自分の作品を自分で買いたいと思う?」と聞く。「微妙」という答えが帰ってきた。
omuraji
2010-03-12 11:30:00