はてなキーワード: 春夏秋冬とは
全くユニクロに興味がなかった私が
そこで私が得た学びをまとめてみる
元も子もないが結局は「着る人」にかかっている
詳しく言うと「髪型、体型、肌、顔の造形」
加えて「ある程度高見えする靴とアクセサリー」
以上を兼ね備えてようやく着こなせるのだと思う
なお顔の造形がオワコンな私には一生無理だが。
なぜか説得力が勝るのはなぜだろうか
それともある程度の自負があると話し方や振る舞いが堂々としてくるものだから?
それに1と関連して顔いいと着こなせるのは事実
そしてそれは間違ってなかったなと強く思う
買い漁っていたのが懐かしいもう二度と戻らない
褒めてもらえることは一番のやりがいだった、が
長く働くことを考えるとおしゃれでいたい欲望は
どんどん0へ近づく(貯金したいのもあるが)
かくいう私も参考にしているので何も言えないが
私は「人と同じが嫌」で生きている人間なので
そもそも着こなせる自信がないのだ。私に
着こなせる日はくるのだろうかとぼんやり考えて
「らっしゃいっせーーー!!」と声を張り上げる
こうして今日も1日が終わっていく。
明日もがんばろっと♩ 〜完〜
休みの日は、大抵家で過ごした。掃除をしたり洗濯をしたり、たまには料理を作ったり。あとは布団の上に寝転がってスマホに熱中する。熱中などと言ったら、好きでやっているようにも聞こえるかも知れない。しかし私の場合、スマホに触るのは、どうにもならない虚しさから逃れるためでしかない。何かをするよりも何もしないでいるほうが難しいのだ。不安という魔物に追われて逃げ惑う姿は、傍から見れば実に滑稽にちがいないが、誰かに咎められるわけでもない。安全な家の中で、私はひたすら自身の孤独と格闘する。
今も昔も、おにぎりを三角形に握るのは、私の唯一の特技と言って良いだろう。毎日、朝食に欠かさずおにぎりを食べたものだった。職場近くの公園のベンチに腰をかけながら。聞こえてくるのはスズメの声だけだ。砂場も遊具もあるから、昼になれば児童が興を添えるのであろうが、今は散歩する人さえ通らない。朝の光が木々の梢を透かしておにぎりを含む私の頬を照らしている。春や秋にかぎらず、夏は額に汗を滲ませながら、冬は寒さに身を縮めながら、私は1年中ここで朝食をしたためるのである。不思議なものだ。外に出るのも億劫がる子供だったはずが、大人になって公園が好きになるとは、いったい何の因果だろう。家と職場の中間の、誰にも煩わされない微妙な距離感の上に安住できるひとときは、私にとって最上の幸福だった。
いつからか、公園にひとりの女性の姿が見えるようになった。出入口のあたりの、植え込みを囲うコンクリートの上に腰を下ろし、足を組み、あたかも「考える人」みたいに頭をやや傾げながら、スマホを覗き込むように見ている。ベンチに座る私の位置からは、対角線上に進んで30メートルくらいは距離があるだろうか。顔は判然としないけれども、ショートカットで、すらっとしたきれいな身なりをしている。歳は私よりもいくらか上だろう。おにぎりを食べ終わった私は、職場へ向けて公園を後にするのであるが、その際、かならず女性の前を通ることになる。女性は相変わらずスマホを覗き込んだまま通行人の存在には無頓着である。私が家で熱中するのとはちがって、彼女のスマホへの接し方はどこかしら優雅で、気品があり、悠々とした感がある。当時シェイクスピアの作品を読んでいた私は、いつしか心の中で勝手に彼女を「ジュリエット」と呼ぶようになった。
ジュリエットは、来る日も来る日も同じ姿勢をしていた。服装も、もちろん日毎に異なるとはいえ、上品で垢抜けたところは、いつだって全然変らなかった。そして常に私には一瞥もくれなかった。おにぎりを食べながら、横目でちらと様子をうかがうと、昨日の光景と寸分も異ならない。前を通ろうとすると、心もち身体に力が入るものの、ジュリエットのほうは我関せずといった風で未だスマホを覗き込んでいる。私が春夏秋冬おにぎりを頬張るのと同じように、彼女も季節の別なく自らを貫くのである。ただひとつ異なるのは、私ひとりだけが、彼女に勝手に名前をつけ(まさか彼女は私を「ロミオ」と呼んではいまい)、家や職場からの逃げ場となっている公園に突然現れた女性を、妙な存在として気にせずにはいられなかった所だ。
幼い頃から、友達と遊ぶのも気が進まず、家庭の中にも居場所がないと感じがちな、さびしい少年だった。勉強はできないし、かけっこをしてもビリが定位置。学校に好きな女の子ができても、ばれないように取り繕うのに必死で、感情を表すのを恐れるばかり。そのまま体だけが大きくなり、大人と呼ばれるようになった。ひとりぼっちの自分が見つけた幸福の空間に、見知らぬ人が入り込んで来て、今、どうして嫌な気持がしないのだろう。ひとりで遊んでいるところに友達が来ただけで逃げてしまうような子供だったのに。私はやはり大人になったのだろうか? 考えれば考えるほど、むず痒い気がして、やりきれなくなる。この感情が一体何なのか、自分にもよく分からない。くだらないと思って何もかも打ち消そうとするけれど、朝日の下の残像が瞼のうらに貼り付いて離れない。しかも彼女は微動だにせずあそこに座っている。雨の日も晴れの日も、世の中がどのように移ろおうとも、ここだけは同じ時間が流れていた。ふたりの男女がそれぞれの世界に住みながら、公園という場所だけ共有している、夢の中のようなおぼろげな時間が。
私がその公園を最後に訪れたのは、退職した日であった。冬用のコートを着たジュリエットは、寒さも忘れてしまったみたいに、その日もいつもと変らずスマホに夢中になっているようだった。が、おにぎりを食べ終わり、いよいよ出勤しようと出口を抜ける間際、彼女の頭がほんのすこしだけ上がって、こちらを見たような気がした。馬鹿馬鹿しい。気のせいに決まっている。もう会うことはないと悟った私の感傷が起こした錯覚というものだろう。でも、当時の私には彼女の視線が重たく突き刺さるように感じられてならなかった。あの一瞬間が長い年月を経た今になってもよみがえる。私の生活はあれから少しも変っていない。休みの日は、掃除洗濯料理に、それから不安に苛まれながらスマホをいじるだけ。スズメの声と、朝の光と、おにぎりと、ジュリエットと。——遠く過去の記憶のなかへ去っていくあの日常が、時々私には恋しくてたまらなくなる。
メイクもファッションもたいして興味がないままアラサーに。思えば幼少期の頃からあまり興味なかった。
ほぼノーメイクで適当に過ごしてきたが、しかし時にはメイクをしなければならない時もある。その時が来てしまった。ドレスコードはしゃーない。
正直メイクとノーメイクの見分けすらほぼつかない。ナチュラルメイクはまず見抜けない。元から濃い人かもしれんし。
周囲の女性がどんなメイクと服装をしているか気にしないので全然覚えてない。服の色もスカートだったかも基本見てない。こんなんで大丈夫なのか。不安しかない。まだ夫の方がすっぴん好きで見分けが付いてそうだ。
まず一式買い揃えないといけないが、その前に化粧道具の名前と役割を覚えなければ。基本だけでも点数多すぎ。一応聞いた覚えはあるが、塗り方とかさっぱり分からん。ひとつひとつ使い方を検索。どれがいいのか全くわからん。
なんでアイシャドウとアイカラーで名前が分かれてるんだ。頼むから統一してくれ。
化粧品の相場全然わからん。高いのは論外として、安すぎると中高生向けっぽいからやや安いくらいが多分いいんだろう。どれくらいが安い値段なのか分からんが。高いからといって肌に合うわけじゃないのが面倒。
コスメ一式買うのに何万も飛んでいく。多分数回使って終わりで勿体ない。肌に合うかは付けるまで分からんので駄目だったら買い替えが発生し、さらに金が飛んでいく。世の女性たちは化粧品に何万もかけて凄いな。半分趣味なんだろうけど。
せっかく買ったんだしベースメイクくらいは日焼け防止がてらたまにはするべきか。ポイントメイクは普段やりたくない。特にマスカラはクレンジングが面倒。これちゃんと取れてるんか?と洗いすぎてまつげ抜ける。
色の選び方なんもわからん。イエベ?ブルベ?多分イエローベースやろ、知らんけど。春夏秋冬?髪染めてないから秋か?知らんけど。
濃い赤と青っぽいのは何となく合わなさそうだから無難っぽい黄色とピンクの中間を選んだ。でも合ってるか実際に塗ってもジャッジできない。もうノリでやるしかない。
メイククレンジングも買わねば。洗浄力重視なのか、洗浄力控えめで肌に優しいやつを選ぶべきなのか。オイル?ジェル?ミルク?なんも分からん。
選んだメイクもどれくらい洗浄力いるか分からんから選べぬ。ウォータープルーフが洗浄力高くないと取れないのは分かった。でも買ったのがウォータープルーフなのか分からん。大は小を兼ねるでとりあえず洗浄力高そうなのにするか。
洗顔スキンケア、ベースメイク、ポイントメイク、クレンジング。メイク以外も色々必要なもの多すぎ。いったい何点買えばいいのか。覚えられんぞ。
本番の前に多少は化粧する事に慣れなければ。もしかすると合わなくて肌荒れするかもしれんし。でも正直肌荒れても化粧品のせいなのか分からん。なんもわからん。
とりあえず薄めにやっとけばいい気がする。化粧がちゃんとのってるのかさっぱり分からんから塗り過ぎそう。気を付けねば。アイラインとか神経使う。手元震える。
一般的な大人の女性は化粧できて当たり前な感じあるけど、私みたいなのも多少はいるんだろうな。オシャレの楽しさは若干はわかるけど、やっぱり面倒な気持ちが圧倒的に勝ってしまう。
夕日に影伸びる教室で ← 遅くまで残って練習してるってこと?こわない?
くたびれたスコアそよ風に踊る ← ボロボロになるまで練習してるってこと?こわない?
きらきら涙みたいなホコリが舞う ← ホコリが涙に見えてくるとか精神状態おかしくない?
あの日の私の世界 振り返るたび心震える ← 音楽の話だったのに世界や心にまで飛躍するのヤバない?
はじまりの音が聞こえる ← 音楽に触れるまで世界が存在しなかったみたいな言い方じゃない?こわない?
同じ音楽は二度と奏でられない ← 一瞬一瞬の音に対して緊張感を持ち過ぎじゃない?こわない?
春夏秋冬めぐってほら最後の曲へ行こう ← 最後の曲に人生を乗せすぎてて終わったあと死にそうじゃない?こわない?
響け今日というフレーズ ← 二度と帰れない今日という瞬間に対しての緊張感がやばない?
生きることに夢中になれた日々が ← 生命活動や人生が音楽と結びすぎてない?こわない?
今を生きている私へとつながっている ← 音楽に触れて生きてきたことが肯定されすぎてない?こわない?
365日 ← この単語が出てくるのがもう本当にこわない?
の軌跡で受け継がれる想い ← 受け継ごうとしたり受け継がせようとしているのがこわない?
次のあなたへと向けた ← 次のあたなまで巻き込もとしてきてるのマジでこわない・
終わらない夢を ← 終わらせる気がないのこわない?
鳴り止まぬ歌を ← やっぱ人生のすべてを音楽へと昇華しようとしてない?人生が音楽すぎてこわない?ミュージック・ライフ・バランスが滅茶苦茶じゃない?
https://anond.hatelabo.jp/20240421032300
春夏秋冬全てが苦手だ
私は、春夏秋冬全部苦手だ。 春は花粉が飛ぶ。私は花粉症で、鼻水が止まらなくなるし、目ん玉引っこ抜いて眼球掻き回したくなるぐらい痒くなるから、春は早く過ぎ去ってほしい。でもそれだけじゃない。春は″エモい″んだ。 12月から2月まで寒いのに、3月から4月の間に急に日中の気温が高くなる。でも、夜はまだ涼しい。その夜の涼しさに身体が当てられると、遠くに住んでいて、一年に数回しか会えなくなった両親や、突然縁が切れたけど、別に会いたいか会いたくないかと言われたら、どっちでも良いなと思えてしまう昔の友達、そんな周囲にいた人を思い出して、懐かしさに浸り、切なくなる。しかも、夜の虫が鳴き始めてるんだよね。それも蝉の鳴き声に似てて「あ〜今年もまた夏が来るんだ、こうやって毎年繰り返していつのまにか歳をとるんだ」って、自分の力じゃ変えられない季節の変化を思うと、無力を感じてめっちゃ泣けてくる。私は平常心を保ってい
Google Bard に聞いてみた ↓
1. バッハ: ブランデンブルク協奏曲全曲
指揮: ヘルベルト・フォン・カラヤン、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
解説:
バッハの代表作のひとつであるブランデンブルク協奏曲全曲。カラヤンのベルリン・フィルによる演奏は、透明感のある音色と明晰な構成で、モーツァルトのディヴェルティメントに通じる軽やかさを感じさせます。
演奏: ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
解説:
シューベルトの代表作のひとつである「鱒」は、美しいメロディーと軽快なリズムが印象的な作品です。カラヤンの演奏は、弦楽器の繊細な音色を活かした、明るく爽やかな響きが魅力です。
演奏: マルセル・ポンス指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
解説:
ヴィヴァルディの代表作のひとつである「四季」は、各曲に春夏秋冬の情景が描かれた作品です。ポンス指揮による演奏は、軽快で明るいリズムと、自然の豊かな情景を描いた音楽が魅力です。
いずれも、小編成による演奏で、指揮者や演奏者によって異なる解釈を楽しめる作品です。ぜひ聴き比べてみてください。
ご参考になれば幸いです。
風呂入ってないとかではない
彼女の家に入るとその頭のにおいがめちゃくちゃ匂ってくる
おおよその原因はわかってる
確かに、何度か彼女にドライヤーをしたことがあるが15分はドライヤーかけていたと思う
彼女が顔を近づけてくるとにおいの方が気になる
でも頭が臭いって女の人にはめちゃくちゃ言いづらい
多分言って改善案とか出した方が長期的にはいいんだろうけど、本当に言いづらい
でもめちゃくちゃ臭い
お父さんの枕のにおいするんだよな
あと自律神経を悪くしてるのに冬でも自然乾燥のままはどうなんだ?の気持ちがある
自律神経悪くして体調崩しやすい冷えやすいって言ってるんだけど、それ髪の毛乾かしてなくて体冷えてるのも原因の一部では?と思ってしまう
どうにか傷つけずに改善をしたい
めちゃくちゃ水分取ってくれるタオルとか?
(追記)パンに詳しい増田たち助けてください(特に塩パンに関して)
アッサンブラージュカキモト Instagramのパンが美味しそうです!
岡崎、蹴上、東山Bäckerei PERKEO Alt HeidelbergとHofbäckerei Edegger-Taxと、ルバカサブルと梯子して買いに行く図が浮かびます。
パティスリー タンドレスは一乗寺ですね。パン屋じゃないけど恵文社もアヴリル久しぶりに行ってみたいです。
コメのおすすめであげてもらってたけど、並ばないときにミニ食パン買ってました。
塩パンとあんパンとか。モチモチ食パンで焼かないで食べても美味しいよね。
(通りがかったけど入ってない。)
クロワッサン気になります。阪急の地下にあったときはよく行ってたのに、
今の場所になってからはスルーして、コーヨーとかダイエーに行ってしまうので久しぶりに行ってみます。
今「ももフェア」中でガトー・ナンテ買うか悩んで通り過ぎてました。
中央図書館に行くときに買って大倉山公園でお昼に食べたいかも。
クリーム・ブリュレを注文してから表面を焼いてもらって感動した記憶が!
ブーランジュリーonoから下のお店行ったことないので、行ってみます!
たま木亭より焼きが強くて外がパリッとしてる系で、
近くで働いていたときにナッツ入ったパンとかあんバターたべてた。
一回休業して、再オープンしてから行ってないけど何食べても美味しかった。
うきうき読みました。三宮より東に住んで、三宮で働いているふつうのパン好きが好きなパンを共有したい。
どちらかというとハード系が好き。ベーグル好きだけど日本では諦めてる派。
玉ねぎパン、コーンパン。あとクイニーアマン好き。パンが大きい。レストラン併設の岡本店はちょっと他の店と違う種類があって楽しい。食パンは工場で一括生産だけどおいしいよね。
しおばたにスライストマト挟んだら至高。ぱくっと食べる系は、定番のチョコッペ好き。サラミピザ(スクラ三宮店だけ?)すごい好き。
ドイツを軽く温めてバター塗って食べると最高。クロワッサンベーグルはクロワッサンでもベーグルでもないと思うけど大好き。三宮店は移転後ちょっと他の店と品揃えとか変わったね。六甲店が好きです。
食パン、サクッとしておいしい。自分の中ではどちらかというとお菓子屋カテゴリで、小ミミパイが大好物です。
あんバター。ジャガイモ練り込んだやつ。ちょっと高いのと、観光客でいつもいっぱいなので行く頻度は高くない。
明太子フランス。オリーブ入ってるバゲット。クロワッサンツナ。カスクート(ハムのシンプルなやつ)。品質の割に安いのはきっとビゴさんのかたくななポリシーがあったのだろうと思う。今はさすがにじわじわ値上げしてる。苦しいでしょうが、太郎さん(二代目)にはがんばってほしいのでせっせと買っています。
最初に「食パン」押し出してたので流行の謎の高級食パンかと思って避けてました。申し訳ない。食パン生地ベースの惣菜パンが種類も豊富でおいしいです。
あん食パン一斤は多いねん!と言うわけでスライスの「あんトースト」を買います。ちょっとフレンチトーストっぽくなってない? 惣菜パンの種類と安さとボリュームで圧勝。いつものお昼ご飯。
パイドーナツが最高に太りそうだけど美味いよ。袋入り食パンやちょっと長持ちする系の食事パンもおいしいので、夜遅くなって「明日のパンがない」時の駆け込み寺。(夜といえば、イスズベーカリーが比較的遅くまで種類豊富にありますね)
何食べてもおいしい。バターは正義。とはいえお値段は相応なので、たまの贅沢。
クイニーアマンはここのがいちばん好き。経営はエーデルワイスだったかね。
シフォンケーキとか、イーストで膨らますのじゃない系のお菓子をよく買う。 さんちかのハウネベーヤーもカスカードなのね。会社本部は西宮(こういう小さいことにこだわるのが神戸民のあかんとこ)。
圧倒的物量の惣菜パン・菓子パンからそのときどきのもの選ぶの楽しいよね。ハード系のベースの好きです。
バゲット好き。すぐ売り切れてしまうので、ブラウニー買ってとぼとぼ帰ることが多い。
バゲットやジャガイモ練り込んだやつ。(ジャガイモ入り好きなのに名前を覚えない)
山食で今いちばん好きな店。小麦粉の味がしっかりする。惣菜パンもおいしい。
バゲット系がおいしい。ビゴで修行してたと聞いた(修行してた店を気にするのも神戸民の悪癖)。
レストランや喫茶店への卸がメインの会社の小売り。プチパンとかの食事パンが安くて美味くて最高。
クリームパンなどカスタードクリーム最高。食パンがもっちり系の中ではいちばん好き。
カフェでバゲットのサンドイッチ食べたらめっちゃおいしかったよ! 粉の味しっかり、ハムとバターを受け止めてました。また食べたい。
やっぱ京かるねは唯一無二な気がする。バランスよ。
よく買うサンドイッチ屋さんが使ってるのはロイヤルブレッド。定番サンドに合うよね。
ショコラデニッシュって名前だっけ、パンオショコラみたいなやつ。
そういえば「神戸のメロンパン」ってあんまり食べないな、白あんより粒あん派なので…。でも全国的にメロンパンと呼ばれるアレは「サンライズ」って呼んでる。