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はてなキーワード: 南アジアとは

2019-12-12

世界を五つのエリアに分けるとしてどこがいちばん強いと思う?

まず五大洲「ヨーロッパ」「アジア」「アメリカ」「アフリカ」「オセアニア」として、

アジアはひとまとめにすると強すぎるので「東アジア中央アジア東南アジア」と「西アジア南アジア」に分けて、

かわりにアフリカオセアニアが弱いので連合させよう。

ヨーロッパ近代覇権を握っていた古豪であり、現代でも隠然たる力を持つ。

東アジア中央アジア東南アジア中国盟主として日韓を左右に従え、世界工業力を牛耳る。

西アジア南アジア人口を抱えるインド石油を握る中東コンビ核保有国が多いのも見逃せない。

アメリカ世界最強国アメリカワンマンチーム。南米諸国サッカーが上手い。

アフリカオセアニア連合してもまだまだ弱そうだが、元・棄民と元・奴隷雑草魂で頑張ってほしい。

戦ったらどこがいちばん強いと思う?

2019-07-03

anond:20190703020312

うん、アフリカ南アジアでも医療の普及で乳児死亡率だけは格段によくなってる国は多い

が、社会環境産業制度は依然として前近代的場合も多々あってな

カーストが違う男女が結婚しようとしたら村人総出で焼き殺されるとか

部族が違うと大虐殺とか、魔女狩り(いまだにシャーマン呪術師がいて、逆にそれを異端視する政治家がいたり)

そういうのが21世紀にも平然と残ってる国もある

で、そういう国なのにIT企業家もいたりする

2019-06-18

anond:20190618095348

南アジアからみたらアメリカ大陸マリアナ海溝を超えた先だが、マリアナ海溝を超えたらすぐにアメリカ大陸にぶち当たるわけじゃない。

海溝を超えた先の広大な海を超えた先にやっと大陸があるわけ。

2018-09-28

ハリポタ作者がポリコレ炎上

ハリポタスピンオフシリーズの新作で、ヴォルデモート卿の愛蛇、ナギニが、アジア系女性呪いによって姿を変えられたものであったことが判明

ハリポタワールドではアジア系存在感は薄い。やっとアジアが出てきたと思ったら極悪人奴隷役!と炎上

作者のJKR「ナギニという名前インドネシア神話(注:インドと間違ったと思われる)に出てくる半身蛇半身人間神様から取った。アジア系女優が演じるのは妥当。良い一日を」

・これはオリエンタリズムだ!

アジア東アジア南アジア、いろいろあるんだよ!ひとまとめにすんな。インドネシア神話からとったなら南アジア人でないとおかしいだろ!なんで韓国系女優

インドネシアではなくインド神話では?元ネタナーガ邪神ではなく良い神様なのにナギニのような極悪キャラにするのもおかしい!文化へのリスペクトがない!

という感じ

2018-08-12

anond:20180812215111

多分返信くれた増田元増田と違うとは理解している…

ダメなのは日本だけ、とか話す人って、引き合いに欧州のうち上手くいっていてかつ日本人が憧れがちな国を持ちだしてホラね!で済ますことが多い気がしてならない。東欧や東南・南アジアにもIT技術者は沢山いるのよね。

かにIT従事者本人に起因した話ではなくて、社会構造政策(つまり有権者の考え)に起因していることが理解できる。

元増田記事は、自己紹介野郎の屁のつっぱり、ってことで。

2018-02-23

南アジア中央アジア諸国歴史的英雄

anond:20180221160703

インドシヴァージー(1627-1680)ラーター王国建国者ヒンドゥー教徒を糾合し、周囲の各イスラム王朝と対決した。特にムガル帝国に対しては、大々的にゲリラ戦を展開して、当時のムガル皇帝アウラングゼーブを苦しめた。敬虔ヒンドゥー教徒であり、イスラム勢力と戦って独立を勝ちとったために、ヒンドゥー教国のインドでの人気が高い。
パキスタンアウラングゼーブ(1618-1707)ムガル帝国皇帝兄弟同士の後継争いを制し、父親幽閉して即位した。数十年にわたって帝国を栄えさせたが、晩年は長引くヒンドゥー勢力との戦いで財政悪化国土の荒廃を招き、己の統治の失敗を嘆きながら亡くなった。厳格なムスリムとして、ヒンドゥー教徒を激しく弾圧したため、イスラム教であるパキスタンでの人気が高い。
ネパールアマル・シンハ・タパ(1751-1816)ゴルカ朝の名将。ゴルカ朝がネパール統一したあと、アマル・シンハはさらに西へ進軍して領土を拡大した。その後、グル戦争において主力を率いて奮戦するもイギリス軍の前に敗れ去り、失意の彼は聖地サインクンドへ行きそこで亡くなった。グル戦争における彼らの戦いぶりが今も恐れられるグル傭兵誕生につながるのだが、それはまた別のお話。え、「ネパール釈迦だろ」? うん、そうね。
バングラデシュカン・ジャハン・アリもとはインドトゥグルク朝貴族で、ティムールトゥグルク朝を破ったあと、ベンガル地方にやってきて森林を切り開き、いくつかの街を建設して、その地を支配した。イスラム聖者ともされて、彼が建設したモスク群は世界遺産登録されている。
スリランカドゥッタガーマニー(前161-137)タミル人を打ち破り、初めてセイロン島を統一したシンハラ人の伝説的な王。実在はしたらしい。現在でも、タミル人との民族問題となると、シンハラ人がドゥッタガーマニーを持ち出すらしい。
ブータンガワン・ナムゲル(1594-1651)ブータンの高僧にして初代シャブドゥン。チベット仏教ドゥク派の後継争いに敗れてブータンへ逃れてきたあと、たちまち国内統一すると、各地に城砦建設し、たびたび侵入してくるチベット軍やモンゴル軍をことごとく打ち破った。
モルディブハメド・タクルファーヌ(?-1585)モルディブ植民地とし、キリスト教への改宗を迫るポルトガルから独立のため、島から島へと移ってゲリラ戦を展開し、八年の戦いの末にポルトガル人追放し、ウティーム朝を建てた。
カザフスタンアブライ・ハン(1711-1781)「大いなる災厄」と呼ばれたジュンガルの侵攻のなかで勇敢に戦ったため「英雄」と呼ばれ、やがて大きく三つに分かれていたカザフ部族連合の上に立ち、清とロシアの双方から「ハン」と認められるようになった。彼の死後、カザフロシアに対抗できなくなり、その統治に組み込まれていく。
ウズベキスタンティムール(1336-1405)モンゴル帝国の後継を名乗り、中央アジア大帝国を作り上げた世界史上屈指の軍事的天才オスマン帝国との戦争でその皇帝捕虜にしたアンカラの戦いは特に名高い。明との決戦へと向かう途上で死去した。
タジキスタンスマーイール・サーマーニー(?-907)サーマーン朝最盛期の君主。サーマーン朝はタジク人最後独立王朝でもある。サーマーン朝が滅びた後、この地域トルコ系、ウズベク系、そしてロシアの影響下に置かれ続けることになる。タジキスタン通貨ソモニ」はサーマーニーに由来する。
トルクメニスタンアルプ・アルスラーン(1029-1072)セルジューク朝スルタン。名高き宰相ニザームルムルクを重用して国力を高め、東ローマ帝国と戦ってその皇帝捕虜とした。セルジューク朝は「トゥルクマーン」という遊牧民建国したのだが、トルクメン人と「トゥルクマーン」の関係は明らかになっていないらしい。にもかかわらず、トゥルクマーンが建国したセルジューク朝スルタンや、伝説上のトゥルクマーンの祖とされるオグズ・ハンを、トルクメニスタン英雄視しているのは、そこに民族ルーツを求めているかなのだろうか。
キルギスマナス(?-?)世界最長と言われるキルギス英雄叙事詩に謳われる王。オイラト人の支配下にあったキルギスに生まれオイラト人やキタイ人と戦って勝利し、キルギスの王となり、北京への大遠征成功させた帰りに、敵の斧を頭に受けて死んだという。実在たかはよくわからない。実在が確実なクルマンジャン・ダトカのほうがいいかもしれない。
アフガニスタンアフマド・シャー・マスード(1953-2001)アフガンに侵攻したソ連軍を幾度も撃退して「パンシール獅子」と呼ばれた。タリバン政権に対抗する北部同盟の中心人物として活躍したが、9.11の二日前に暗殺された。あんまり最近の人は入れないつもりだったけど他にいないのでは。

2016-07-02

[] エスパドリーユ

スパドリーユ(フランス語: Espadrilles, 発音 : [ES-PUH-dril] )は、ピレネー山脈起源を持つ靴。

一般的に上部は帆布カンバス)や木綿布でできており、靴底は柔軟なジュート縄でできている。

足首部分にはしばしばレース飾りが施される。エスパドリーユを定義づける要素はジュート縄(黄麻)の靴底であり、

上部のスタイルは多様である

  

espadrille(エスパドリーユ)はフランス語単語であるが、カタルーニャ語でエスパドリーユを表すespardenya(アスパルデーニャ)に

由来する。スペイン語ではalpargata(アルパルガタ)、バスク語ではespartina(エスパルティナ)と表記する。

地中海地方にはロープを作るための丈夫でしなやかなエスパルト(カタルーニャ語ではアスパルト)という繊維があり、カタルーニャ語

スパルデーニャとはこの繊維という生地から作る靴を意味する。カナダケベック州espadrilleという単語は、ジュート製の

サンダルではなくランニングシューズジョギングシューズを指す。

  

南アジアバングラデシュは高品質ジュート繊維の産地であり、高級ジュート製靴底やエスパドリーユの完成品の製造拠点となっている。

世界全体ではエスパドリーユの完成品の90%がバングラデシュ製造されるものの、スペインフランスイタリアでもバングラデシュ

からジュート繊維の靴底を輸入してエスパドリーユの完成品を製造している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A6

2015-08-17

ばれない不倫の3条件

http://anond.hatelabo.jp/20150817183156

文書を読ませていただく限り、いまあなた必要なのは背中を押してくれるコメントだと思いました。

ですので、経験者として、家族を保ちつつも二人目の女性を愛するための留意点を共有させていただきます

不倫による変化が埋没してしまうくらい、あなた自身も変化しつづけてください。

不倫がばれるのは、あなた現在これまでの生活ルーチン化しているからです

少なくとも毎年2回は、新しいことに挑戦してください。趣味でも勉強でも、はたまた転職でもかまいません。

それを面倒くさいと思うくらいなら、不倫なんて無理です。

可処分所得を百万円単位で増やしてください。

だいたいのリスクは、お金回避できます。安いレストランに行ったり、ラブホテルなんて使うから、噂が立つんです。

アベノミクスのおかげでここ数年は達成が楽でしたが、これから南アジアあたりに注目されると良いかと思います

そんな努力経済力がないならば、不倫はあきらめてください。

最後に一番重要ですが、あなたもお相手も、良心を捨ててください。

「恋は盲目」といいますが、それは一時的もの

長続きさせたいなら、本格的にトレーニングをしてでも、良心を捨てさってください。

良心があるならば、不倫なんてやめなさい。

2015-07-29

世界料理

中国料理

古代では煮込み料理や生食も行われていたが、12世紀から強火力を用いた料理法が一般的となった。国土が広大なこともあって地方ごとの食文化に特徴があるが、油を多用し、強火力で炒めたり揚げたりすることが共通点とされる。華僑移民に伴い世界中に広まったことで、現地に合わせたバリエーション豊富である

インド料理

多種多様スパイスを用いるのが特徴。米やナンなどのパンを主食とし、乳製品もよく用いる。インドには「カレー」という言葉はなく、香辛料を使ったインド料理カレーと呼ぶのは便宜的なものにすぎない。また、左手を使わず右手だけで食事をすることでも有名。

トルコ料理

東西交易の中心だったことから中央アジア羊肉地中海の魚介とオリーブオイルアラビア小麦南アジアの米など、各地の食文化を融合したような料理になっている。ヨーグルトを多用するのも特徴。イスラム圏なので豚肉は使われず、もっぱら鶏肉羊肉が用いられる。

イタリア料理

古代ローマ帝国料理を原型とする。主にパスタピザが有名。イタリア半島南北に細長いため、異なる文化気候に基づいたさまざまな地方料理存在する。北イタリアではバターチーズハム、サラミなどを使った濃厚な料理南イタリアではオリーブトマト、魚介などの素材を活かした料理が特徴。

フランス料理

16世紀にカトリーヌ・ド・メディシスによりイタリア料理作法フランスに持ち込まれた。19世紀にアントナンカレームがフランス料理の基礎を作り上げ、その後にオーギュスト・エスコフィエによって大成された。濃厚なソース、洗練された盛り付け料理一品ごとに供することなどが特徴。

イギリス料理

ジャガイモ主食としており、フィッシュ・アンド・チップスが有名。その他の代表的料理としては、ローストビーフやミートパイ、さまざまな種類のプディングなどがある。食材執拗なまでに加熱すること、テーブルに調味料を並べて客に味付けを任せることなどが特徴。また、植民地であったインドカレー世界に広めたのはイギリスである

アメリカ料理

イギリス料理ベースに、イタリア料理ピザパスタアメリカ風にしたものや、ハンバーガーフライドチキンなどのファストフード文化バーベキュートルティーヤなどのアメリカ先住民食文化が混じりあっている。ケチャップチーズを多用するのが特徴。

ブラジル料理

地方によって差はあるものの、キャッサバトウモロコシ主食とし、牛肉豚肉、魚介、様々な豆類を用いる。かつての奴隷が、主人が食べたあとの豚の耳や足を、豆と一緒に塩辛く煮込んだというフェジョアーダ国民食

2013-09-30

内定式

世界グローバル活躍する弊社に内定された皆様、おめでとうございます。いや、ご愁傷様でございます

今や、弊社の売上の半分以上が、海外からの受注です。

我々は、なぜ世界へ羽ばたくのか。なぜ世界へ出る必要があるのか。その答えは非常に簡単です。

日本には、市場がもうないからです。

日本国内には、もう、我々の仕事がないから、我々は日本国から逃げ出さざるを得なかったのです。

日本を拠点に世界中活躍している、そう言うと聞こえはいいでしょう。

しかし、日本仕事がなくなった負け犬が、発展途上国都市部出稼ぎに出ている。それが実態なのです。

そして、その出稼ぎも、いつまで続くかは分かりません。

今、我々が仕事を受注している都市は、急速に発展し、急速に日本に近づいています

すなわち、再び我々の仕事がなくなる日は、急速に迫って来ているのです。

たとえその国や都市仕事がなくなっても、次は他の国、他の都市が発展し、そこでまた活躍できる。

これは、一部は真実であり、一部は真実ではありません。

確かに、次に発展しそうな国はいっぱいあります

東アジアの次は、東南アジア南アジア、その次はアフリカと推測できます

あなた気づきましたでしょうか。

だんだんと、距離が遠くなっていることに。

残念ながら、民間交通用の航空機革新的に速くなる兆候は全くありませんし、

Eメールより革新的に、時差を越えてコミュニケーションを取る方法は現れる見込みはありません。

我々が日本にいながら、アフリカ仕事ができるなんて、考えるべきではありません。

そして、世界仕事をするにあたり、ひとつ、考えなければならないことがあります

なぜその仕事を、日本で、日本人が、日本給与水準で、しなければならないのか、ということです。

日本には優れた技術がたくさんあり、優れた技術者がたくさんいるから。それは、ひとつの答えでしょう。

我々のような高度な技術を持った中国企業はなく、我々のような高度な技術を持った中国人もいない。

から日本で、日本人が、日本給与水準で、その仕事をしなければならない。

ところが、考えてみてください。

技術は、日本人にも中国人にも、等しく、教えることができます

そして、本日内定されたみなさんは、そこらへんの中国人と同じく、我々のような高度な技術を持っていません。

既に何年も実務経験を積み、技術を身につけた我々には、我々にしかできない仕事ができますが、

皆様は、日本しかない技術を持っておらず、中国人と比べ、これといったアドバンテージはありません。

あなたたちのライバルは、日本人でも、優秀な中国人でもありません。

あなたたちの給料よりもずっと安い給料で働く、並の中国人です。

あなたたちは、並の中国人が数人かかってやっとできる仕事を、一人でしなければならないのです。

だってあなたたちの給料は、並の中国人給料の数倍なのですから

これまでにも労働者たちは、機械コンピュータ仕事を奪われてきました。

機械コンピュータでもできる仕事をしていた人たちは、職を失ったのです。

それでも、機械コンピュータには苦手なことをしていた人たちは、職を失わずに済みました。

しかし、今度はどうでしょう

中国人にできなくて、日本人にできること。そんなものがあるのでしょうか。

どちらも同じ人間同士です。体の構造、脳の構造、どちらも同じです。

にも関わらず、あなたたちは、並の中国人、数人分の仕事を行う能力が求められるのです。

世界グローバル活躍する弊社に内定された皆様、おめでとうございます。いや、ご愁傷様でございます

2013-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20130224000548

「なんでこんなにも日本人には」っていうからには、海外人間は、日本人よりも哲学に造詣が深いという事を示す必要があるが、実際どうなんだ?

当然、世界各国、北米南米欧州アフリカ西アジア南アジア中央アジアロシア東南アジア南洋東アジアまで含めて調査して、その上で日本人がずば抜けて哲学に興味が無いという調査結果が必要だね。

もちろん、学問を語る以上、その前提となる調査の結果くらいはあるんだろ? 見せてくれよ。

まさか「無い」なんて言わないよね。客観的な調査がないってことは「人生哲学経験だけで得たもの」でしか無いんだからさ。

2012-10-26

Pocket Planes 都市解説日本語

アフリカ

Al Fashir
エル・ファシールは、周辺地域でつくられた穀物や果物を供給する農業市場です。
Algiers
アルジェは、海から迫り上がるように建てられた白く輝く建築群のために、別名「白のアルジェ」と呼ばれています。
Bamako
バマコという名前はバンバラ語で「ワニの河」を意味する言葉に由来しています。
Beira
ベイラは、ジンバブエ、マラウィ、ザンビアなど南アフリカ諸国が輸出入を行う、古くからの主要な交易地です。
Benghazi
ベンガジの地は、2011年のリビア内戦で転換点となりました。
Cairo
カイロは、スフィンクス像やギザのピラミッドに近いことから、古代エジプトとも関係が深い都市です。
Cape Town
ケープ・タウンは、東アフリカインド、極東への供給基地として、オランダ東インド会社によって開発された都市です。
Casablanca
カサブランカ港は世界でもっとも大きな人工港の一つで、モロッコの経済、ビジネスの中心とされています。
Dakar
ダカールは、かの有名なダカールラリーの終着点でした。
Djibouti
異国情緒あふれる建築群が立ちならぶジブチは、「紅海におけるフランスの香港」と呼ばれてきました。
Durban
ダーバン市の有名な海浜地帯は、ゴールデンマイル、あるいは日常的に「マイル」という名前で呼ばれています。
Harare
ハラレ(1982年以前はサリスベリー)は、ジンバブエ最大の都市であり、首都でもあります。
In Salah
サラという名前は「よい泉」という意味の言葉に由来していますが、イン・サラの水はむしろ悪質で塩辛いことで知られています。
Johannesburg
ヨハネスブルグは世界の輝かしい首都であると主張していますが、その栄冠を主張する都市は他にもあります。
Juba
(Wiki のリンク先がムンバイになっています)
Kaduna
カドゥナのシンボルは、現地ハウサ語でカダと呼ばれるワニです。
Kampala
ブガンダのカバカ(王)、ムテサ・イは、やがてカンパラと呼ばれるようになるこの地域をお気に入りの狩り場としていました。
Kananga
カナンガとは「平和と愛の場所」という意味です。植民地時代以前は、領土問題を解決する条約の制定会議のために首長たちがここに集まったためです。
Khartoum
(Wiki のリンク先が長崎になっています)
Kinshasa
キンシャサは、コンゴ川リビングストン滝上流において航行可能な、初めての港として建設されました。
Kisangani
サンガニは、コンゴ密林地帯最大の都市です。
Lagos
ラゴスは、小川に隔てられた、ラゴス潟湖の南西口を縁取る島々に生まれた大都市です。
Lilongwe
リロングウェにはたくさんのヨーロッパ人と南アフリカ人が住んでおり、多くの国際支援機関がここを本拠地にしています。
Livingstone
リビングストンは、巨大で美しいビクトリア滝の水源地です。またの名をモシ・オア・ツニャ、「雷鳴轟く煙」という意味です。
Lobito
ロビトは、アフリカで最も良質な天然港を利用するために、ポルトガルマリア二世の命令で1843年に建設されました。
Mahajanga
マハジャンガは、美しい浜辺、ココナッツの木が並ぶ遊歩道を備え、そして雨のふらない晴れ間が8ヶ月続く、人気の観光地です。
Mogadishu
モガディシュは、インド洋沿岸のベナディール地方にあり、数世紀にわたって重要な港として機能してきました。
Mombasa
モンバサは、近代において香辛料、黄金、象牙貿易の重要な中心地でした。
Monrovia
1822年に建設されたモンロビアの名前は、リベリア植民地化の突出した支援者であった合衆国大統領ジェームズ・モンローにちなんで名付けられました。
Nairobi
ナイロビ国立公園にはライオンキリン、クロサイなどたくさんの動物がおり、また400種以上の鳥たちの繁殖地にもなっています。
Port Elizabeth
ポート・エリザベスにある聖ジョージ公園のクリケット競技場は、オーストラリアイングランド以外の地で練習試合が開かれた最初の会場です。
Port Sudan
ポート・スーダンは、紅海からナイル川までを繋ぐ鉄道の終着駅として、1909年イギリスによって建設されました。
Timbuktu
ティンブクトゥはサハラ砂漠の南の端にあります。砂丘に囲まれ、道路は砂で覆われています。
Tripoli
トリポリは、そのターコイズブルーの海と白亜の建物で、情緒を込めて地中海の人魚と呼ばれています。
Windhoek
ナミビア大学、ナミビアで唯一の劇場、中央省庁本庁舎、また主要なメディア金融機関はすべてウィンドフックにあります。
Zanzibar
ザンジバルの主要産業は香辛料、ラフィア椰子と観光業です。特に島嶼部では、クローブナツメグシナモン、胡椒を産出しています。

アジア

Aden
アデンは、1937年までイギリスインドの一部として統治され、アデン居留地として知られていました。
Ahmedabad
アフマダバードは、20世紀前半におけるインド独立運動の最前線でした。
Anadyr
アナディリは、ロシア東端の街であると同時に、ロシア極東地方にとって重要な港と空港になっています。
Baghdad
チグリス川沿岸に位置するバグダードの街は8世紀に成立し、アッバース朝の首都となりました。
Bangalore
バンガロールは庭園都市とも呼ばれ、かつては隠居生活天国と呼ばれていました。
Bangkok
バンコクでは、夜の繁華街に加えて文化的建造物やアトラクション異国情緒を醸し出しています。
Beijing
北京首都国際空港は、世界で二番めに多い利用者でごった返す空港です。
Butwal
ブトワールは、西ネバールカトマンズ都心を繋ぐ主要な玄関口です。
Cebu
セブでもっとも有名なランドマークマゼラン十字架です。1521年に、フェルディナンド・マゼランが鋳造したと言われています。
Chengdu
成都には、世界的に有名なジャイアントパンダ生育研究所が設立されています。
Delhi
ニューデリーの設立記念碑は、英国王ジョージ5世とマリー妃によって1911年12月15日キングスウェイキャンプに定礎されました。
Dhaka
ダッカの街では毎日40万台の自転車リキシャが走り回っており、世界一のリキシャの首都として知られています。
Guangzhou
1514年、欧州人として初めて広州にたどり着いたポルトガル人は、遠隔貿易の独占権を確立しました。
Hanoi
ベトナムの首都ハノイは、2010年、公式に建設から1000年を迎えました。
Harbin
ハルピン国際雪祭りは、世界四大雪祭りの一つです。
Hong Kong
香港は、1997年に中国が統治権を取り戻すまで、大英帝国植民地となっていました。
Hyderabad
ハイデラバードは、トリウッドとして有名なテレグの映画産業の中心地です。
Istanbul
今はイスタンブールです。コンスタンチノープルではありません。
Jakarta
ジャカルタは、別名ビッグドリアンといいます。ビッグアップルと呼ばれるニューヨーク市インドネシア版と目されているためです。
Jerusalem
イェルサレムは、三つのアブラハムの宗教、ユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地です。
Kabul
カブールは3500年の歴史を持っています。交易路に位置するその立地の戦略性のために、多くの帝国がカブールの谷を巡って戦ってきました。
Kandahar
カンダハール地方は、高級フルーツ、特にザクロブドウの産地です。
Karachi
カラチは、南アジアと広域イスラム世界における高等教育の中心地です。
Kolkata
かつては英語綴りの Calcutta が正式名称でしたが、ベンガル語の発音にあわせるため2001年に Kolkata に変更されました。
Kuching
クチンはブルネイ首長国の一部でしたが、1841年に、英国人冒険家ジェイムズブルックの個人王国として割譲されました。
Kuwait City
1936年の油田発見によって、衛生、教育サービスなどクウェート市の生活水準は劇的に向上しました。
Lhasa
ラサは、ポタラ宮、ヨハン寺院やノルブリンカ宮殿など、チベット仏教の強い文化的特徴をもつ土地です。
Magadan
マガダン経済の主な収入源は、金鉱業と漁業です。
Manila
マニラは、1平方キロメートルあたり43,079人が住む、世界一人口密集率が高い都市です。
Mumbai
かつてボンベイとして知られたムンバイは、インドで1番、また世界では4番めに人口が多い都市です。
Muscat
マスカットは、アラビア海オマーン湾岸、戦略地であるホルムズ海峡の近くに位置しています。
Nagasaki
1945年8月9日、長崎はアメリカによる2度目の原爆攻撃の標的になりました。
Nanping
南平を取り囲む高い城壁は、古代に敵襲に備える防壁としてつくられ、砲撃を防ぐために使われました。
Norilsk
リリスク、タルナクのニッケル鉱床は、世界最大のニッケル、銅、パラジウム鉱床です。
Novosibirsk
ノボシビルスクは、モスクワサンクトペテルブルグに続いてロシアで3番めに人口が多く、アジアンロシアでは最大の都市です。
Osaka
大阪では、大阪湾湾岸にある人工島につくられた関西国際空港が営業しています。
Padang
(Wiki 記載の英文が他の街のものになっているような…。)パダンは、平均年間降水量が4,300ミリで、インドネシアでもっとも湿度の高い都市の一つです。
Palu
パルの主婦業は、木材彫刻、木材加工、編み物、さらにカゴづくりや敷物づくりを含みます。
Pevek
20世紀を通してソ連に錫、ウラニウムを供給したペヴェクの労働者は、強制労働制度による囚人たちでした。
Port Moresby
1975年9月、パプワニューギニアはポート・モレスビーを首都として独立しました。
Rangoon
ラングーンの下町は、緑に包まれた通りと、デカダン調の建築物で知られています。
Riyadh
サウジアラビアの首都として、リヤド南アジアイエメンスーダンなどの出身の住民も住む多様性のある都市です。
Sapporo
札幌は、サッポロビールと、有名なホワイトチョコビスケット、白い恋人の地元です。
Sendai
2011年3月、マグニチュード9.0の地震とそれに続く大規模な津波が仙台を襲い、深刻な災害を引き起こしました。
Seoul
ソウルは、世界でもっともインターネット接続率が高い都市です。全人口の半分以上がブロードバンド接続を活用しています。
Shanghai
上海は、人口において中国、世界でもっとも大きな都市です。
Shenyang
瀋陽は、中国東北地方における主に日本、ロシア、朝鮮との交通、商業の中心地です。
Singapore
シンガポールは、シンガポール島、またの名をプラウ・ウジョン島として有名な本島を含む63の島々で構成されています。
Taipei
台北101は、101階建ての超高層ビルで、完成時には世界で一番高い建物でした。今は2番めです。
Tehran
イランはその歴史上、何度も遷都をおこなってきました。テヘランイラン国家の首都として32番めになります。
Tiksi
ティクシの冬はとても寒く、11月から2月まで、気温はずっと氷点下です。
Tokyo
東京は日本の首都で、世界最大の都市です。ゴジラなどの巨大怪獣に定期的に破壊されます。
Ulan Bator
ウランバートルは、1639年に遊牧民仏教修行の中心地として建設されました。1778年に、現在の位置に恒久的に落ち着きました。
Urumqi
中国西域最大の都市ウルムチは、世界一海から遠い都市の記録を保持しています。
Vladivostok
ウラジオストクロシア太平洋艦隊の母港であり、太平洋におけるロシア最大の港です。
Xi'an
秦始皇帝陵と兵馬俑は、西安郊外にあります。
Xining
西寧は、夏の涼しさから中国避暑地の首都とも呼ばれてきました。
Yakutsk
ヤクーツクは、1880年から1890年代に金やそのほかの鉱物の大規模な埋蔵が発見されて以降、都市として発展しました。
Yinchuan
銀川は、周辺草原地帯の遊牧民が飼う家畜の群れから生産される動物製品を取り扱っています。

2009-08-01

気がつけば、中国軍事力に囲まれていたインド

バングラデシュの軍事・政治・経済保護国インドから中国へ移行していた

バングラディッシュにとって1971年独立戦争の折、力強い味方はインド、敵はパキスタンだった。バングラディッシュという国名は「ベンガル人の場所」という意味、旧名は「東パキスタン」。パキスタンはパシュトン人の場所、という意味だからベンガル人からみればとんでもない話だ。バングラディッシュにとって「敵の敵は味方」だからインド、その背後の米国もつよい味方の筈だった。

独立達成から四年間、中国バングラディッシュ独立国とは認めなかった。そして三十八年の歳月が流れた。

パキスタン中国と緊密な軍事同盟のままであり続けた。インド中国との敵対関係を緩和し、経済交流を始めた。いまやインド商人が大挙して中国に買い付けに行っている。そしてバングラディッシュ首都ダッカには五万人規模のチャイナ・タウンが出来ている。バングラディッシュに進出した中国の繊維企業が百万人のバングラ女性ミシン工として雇用している。繊維製品のクォータ(数量制限)を回避するため、アパレル産業はつぎつぎと中国以外の国へ移転するためである。

さて問題は中国海軍力の突出である。ミャンマーの沖合ココ島に中国は軍事レーダー基地を租借し、インド海軍の監視所を設置した。同様にバングラディッシュの港に軍事観察基地を租借する思惑がある(ジェイムズ財団発行『チャイナブリーフ』、09年7月22日号)

海軍力突出は資源戦略のためのシーレーン確保とセット

1975年中国バングラディッシュと国交を開いた。矢継ぎ早やの友好条約経済関係の緊密化、ソフトローンの貸与、文化交流そして、軍事技術供与へと至る。同時期にバングラディッシュ新世代の間でマオイストが跳梁跋扈した。

北京は「あのマオイスト中国関係がない」と言い続けた。ネパールに出現したマオイスト政権、それ以前から武器バングラディッシュマオイスト経由でネパールに流れ込んでいると観測されていた(実際に小生もダッカ大学で構内そこら中に毛沢東ポスターを目撃した)。

2006年中国バングラディッシュ軍に大量の武器供与したが、そのなかには65の対空砲、地対空ミサイル114基。戦車T―69,T-79。さらに兵員用の機関銃。くわえて中国2012年までに122ミリ砲、155ミリ砲も供与する。これらは「友好価格」にて中国から供与される。

中国海軍バングラディッシュ海軍との合同演習も行われ、艦発射ミサイル砲艦、ヘリ搭載駆逐艦などがベンガル湾に勢揃いした。チッタゴン港の港湾拡充工事中国が引き受ける手はずとなった。

パキスタンのグアィダール港は深海、将来は中国の原潜、空母寄港も可能。スリランカのハンバントタ港もしかり。そしてチッタゴンも。

1977年からはバングラディッシュ空軍ジェット戦闘機供与されはじめ、中国はF7,A5のほか、F-7BG16機を供与した。

インド軍高官は、バングラディッシュ国内に中国の観察基地が貸与されると、インドの北東部に位置する空軍基地バグドグダ基地にミグ21。ハジマラ基地にミグ27,テズプール基地にはスホイ30が展開されている)が、レーダーによってたちまち中国軍に掌握される危険性があるという。かくなればベンガル湾からアンダマン海にかけては「チャイナ湾」となりうる。

ミャンマーとの接合も総合的に地政学的に判断

軍事力ばかりではない。資源戦略と濃密にからむのが中国軍事力拠点の拡大とシーレーンの拠点確保という動きに繋がる。西側が制裁しているミャンマー中国の異常接近は前から指摘されてきた。

ミャンマー沖合海底に眠るガス田開発はシノペックが応札し、また同海域はバングラディッシュの領海と重なる微妙な区域だけに、両国中国の調整を望む。ガスのパイプラインミャンマーから2806キロ。年間120億立方メートルのガスを雲南省昆明へ輸送する。2012年完成予定。石油パイプラインは1100キロ、日量40万バーレルを運ぶプロジェクトだ。昆明からミャンマーへのハイウエィ900キロ。これをバングラディッシュのチッタゴンへと繋ぐ。ここまでの動きを地政学的に俯瞰するなら、すでに南アジア中国軍事力影響圏に入っていることが分かる。

はっと気がつけばインド中国海軍力に取り囲まれていたのだ。

2009-06-04

グレートゲームの大激変、米国オバマ政権、闘う前に敗れたり。

イランのガスはパキスタンから中国ルートが確定、米国勢は敗退

▲第一幕 イラン悪魔、でもタリバン交渉相手だった

 

そもそもの新グレートゲームの始まりはクリントン政権のときである。

中東から南アジアにかけての資源争奪戦争冷戦後新しい局面を迎えていた。

ユノカル」は米国石油メジャーの後発企業で、カリフォルニアが地盤、ただし海外に鉱区の開発権を多く抱える。米国内での政治コネクションが薄く、主流のメジャー共和党系が多いため、ユノカル民主党を頼った。

出発からボタンの掛け違いだったかも知れない。

クリントン大統領ホワイトハウスに実習生モニカ・ルインスキーを招き入れ、情事にふけっていた。

後日、大統領弾劾裁判において、「あれは挿入していないからセックスではない」ととてつもない言い逃れの詭弁クリントンは危機を切り抜けた。

そんなおりに遠路はるばるとアフガニスタンから珍客があった。タリバン幹部である。

要件はなにか。

トルクメニスタンのガスを、アフガニスタン経由でパキスタンの港へ運ぶ。総延長1560キロのパイプラインを敷設する。これをユノカルが主導する。

米国を引きつけた魅力の第一は、このルートは「悪魔」のイランを通過しないこと。

第二にロシアを通過しないこと。クリントンは乗った。

ソ連崩壊後、世界帝国の輝きを取り戻したかの錯覚のなかに米国は酔った。

クリントン政権はこのプロジェクトに前向きで、カリフォルニアメジャーユノカル」はトルクメニスタンアフガニスタンを根回しし、それからパキスタンから分岐してインドへも輸出ルートを追加でつなげようとインドを訪問した。

インド工業化を急ぎ、ガスは必需品、プロジェクトに乗ってきた。

これをトルクメニスタンアフガニスタンパキスタンインドの頭文字をとって「TAPI」という。

直後、タリバン系アルカィーダがタンザニアなどの米国大使館を襲撃し数百の犠牲がでた。

クリントンは激怒し、ただちに報復としてインド洋上の米艦からトマホークミサイルを五十発、アフガニスタンのアルカィーダ軍事基地にお見舞いした。

当時、カブールタリバン政権に協力して電話工事をしていたのは、中国企業だった。不発弾トマホーク中国タリバン政府から買った。

もちろん1560キロのパイプラインプロジェクト[TAPI]はご破算になった。

▲第二幕 NATOの勝利が上海シックスを刺激した

01年9月11日、NY貿易センタービルワシントンDCのペンタゴンが、テロリストの奇襲を受けた。ブッシュ大統領はただちにアフガニスタンへの空爆準備に入り、まずはロシアを口説いた。

旧ソ連衛星圏のカザフ、ウズベク、キルギス、タジク上空を通過して爆撃機は飛んだ。

米本土からは長距離爆撃機ウクライナ上空をかすめ、NATOトルコ基地から旧ソ連イスラム国家の上空を飛んだ。

そればかりか世俗イスラム国家となったウズベキスタンキルギスンは空軍基地米軍に貸与し、タジキスタンには訓練基地パキスタンも四つの空軍基地を貸した。

この時点での図式は米軍NATOの大勝利だった。

グレートゲームの変質を知覚していなかった。表面的に米軍の装備が優れていたため、地上戦ゲリラ戦抵抗をかるく想定してしまった。

仇敵ロシアとその配下だった国々がテロ撲滅戦争に協力するという目的米軍NATOの活動を支援したことも見通しを曇らせた。

そしてアフガニスタンに米傀儡のカルザイ政権が発足し、カブールにしか統治が及ばない新生アフガニスタン誕生した。

一応は合法政権ゆえに外交権をもつ。

ユノカルは、「あの話」(TAPI)を復活した。カルザイ政権発足直後にトルクメニスタンアフガニスタンパキスタンの三カ国は、例のパイプライン敷設プロジェクトで正式に合意した。

これを不快に見ていたのは第一にイラン、第二にロシア、そして第三が中国である。

密かな反撃が準備された。

イラン中国と密かに武器輸入などを交換条件として、ガス鉱区を与え、さらには25年の長期契約でガス輸出を許可していた。イラン中国からえるものは武器と核技術である。

中国上海シックスの主導権をもつが加盟六ケ国(中ロ、カザフ、キルギス、ウズベク、タジク)にオブザーバーとして、イランインドパキスタンモンゴルを加え、あたかもNATOに対抗するかのような、東側の軍事盟主の立場を確保し始めた。

解体されたワルシャワ機構に変わるものとしてロシアは「全欧安保」を言いつのり、CIS間では個別あるいは集団的安全保障条約を結んだが、バルト三国グルジアと、そしてトルクメニスタンが加わらなかった。

プーチンはがむしゃらにロシア帝国の栄光の復活を夢見て、バルト三国ウクライナへのガス供給をとめ、グルジアには戦争を仕掛けた。

同時に欧州ロシアルート一本のガス供給ルートを多角化するためにナブッコ、ジェイハン・ルート建設を始めるや、同時に対抗して北方ルート黒海ルートを提示して欧州を揺さぶっていた。

とくにオーストラリアブルガリアドイツにはそれぞれが薔薇色のシナリオを提示し、欧州の団結をそぎ、利益誘導型で西側の分断パイプライン建設を妨害する。

 

▲第三幕 「中東金正日」=ニヤゾフ大統領の怪死

トルクメニスタン独裁者が「突如」死んだ。

トルクメニスタン砂漠の国だがイランやクエートの匹敵するほどの天然ガス埋蔵があり、いまのところ地政学的にロシア流通依存せざるを得ない。

だからこそニヤゾフ大統領はガス輸出の多角化に乗り気でアフガニスタンルートの開発が急がれた。これを“脱ロシア”化と捉えるモスクワ不愉快である。

 

ニヤゾフが突如急逝、主治医ドイツ人は前日に逃亡していた。

直後、トルクメニスタンの中立路線は変更となり、新政権はややロシア寄りに外交姿勢を修復した。

そして延々と中国へ輸出される総延長7000キロものガス・パイプライン敷設工事が始まり、TAPI・ルートへの比重は軽くなった。

いや、というよりも投げやりになった。

(所詮、アフガニスタン戦争は片付かない。パキスタンは所詮、米国にはつかない)。

つまり米国事実上の敗北が見えた。

トルクメニスタンは変心した。

イランはこの機会を待ち望んでいた。

もともと内陸部のトルクメニスタンアフガニスタンを経由して、パキスタンの港を目指すというユノカル案は、「イラン回避」ルートである。

米国イラン悪魔と呼びつつけた。

だとすればイランはガス油田から運搬ルートを南下させ、南の港へパイプラインを敷設していた。全長900キロのうち、残すところはあと250キロ。

地図凝視していただきたい。この地点からパキスタンのグァイダール港は「となり」なのである。

中国は古くから、この地政学的利点に目をつけた。

すでにパキスタンムシャラフ政権のときから、治安の悪いバルチスタン地域に中郷は労働者を運び込んで道路建設し、資材を運び、グァイダール港を近代的港湾設備を持ったものに改築してきた。

つまりイランからパキスタンの隣町へ運ばれるガスを、この地で精製し、パイプラインパキスタン西安から北東へ貫き、しかもインドへは分岐せず、この点でイラン中国パキスタンの利害は完全に一致した。

これが「IPCルートと呼ばれる。

▲第四幕 パキスタンイラン反米

パキスタンは白昼堂々の裏切りを演じた(ここで「裏切り」と穏当でない語彙を用いるのは米国契約概念からみれば、そういうニュアンスだから)。

五月下旬にパキスタンイラン契約したのだ。

中国が最終ユーザーとなり、中国パキスタンがともに天敵であるインドへは分岐しない。

パキスタン西端に位置するグァイダール港は、すでに中国資本技術をもって港湾のかたちをなしており、大々的改築(新築に近い)が進み、アラビア海に面する深海は将来、中国海軍の原潜基地になりうる。

げんに中国の六隻の軍艦アラビア海ソマリア沖の海賊退治に参加している。

パキスタンから中国への高速道路も着々と工事がすすみ、嘗てのカラコルム・ハイウエィは完成しているため、ガスの運輸ルートはこれに添ってパイプラインを敷設すれば良いのだ。

中国がこのルートに執着するのはマラッカ海峡への依存度を低減させるためで、ほかにもアンダマン沖合のガス田から(開発成功後は)ミャンマーを南北に貫くパイプライン建設して、マラッカ海峡への依存度をさらに激減させる計画がある。

中国にとっては、ユノカル買収を土壇場で拒否された米国への心理的復讐劇にもなる。

パキスタンはこのパイプライン通貨収入を年間五億ドルと想定、つまりこれをAPAI計画では、アフガニスタンがもともと受け取る予定だったのだが。

イランパキスタンとの正式調印はイラン大統領選挙の直後に盛大にテヘランで開催される(アジアタイムズ、5月27日、6月3日付け)

敗者はインドアフガニスタン米国、勝者はイランパキスタン中国

くそ笑んだのはロシア、臍を噛んだのはトルクメニスタン、そして日本はいつものように、こうしたグレートゲームの変質さえ知らず、ユウセイの人事とか、セシュウ制とか、およそ世界現実とは無縁の矮小な論議にエネルギーを費やしている。

2009-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20090324215554

平凡社「○○を知る事典」シリーズ

東南アジアを知る事典 新版 (2008)

南アジアを知る事典 新訂増補 (2002)

朝鮮を知る事典 新訂増補 (2000)

ロシアを知る事典 新版 (2004)

中央ユーラシアを知る事典 (2005)

東欧を知る事典 新訂増補 (2001)

スペインポルトガルを知る事典 新訂増補 (2001)

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ラテンアメリカを知る事典 新訂増補 (1999)

オセアニアを知る事典 新訂増補 (2000)

アフリカを知る事典 新訂増補 (1999)

対日関係を知る事典 新版 (2007)

2009-03-12

それでも軍事費二桁成長は、いずれ中国経済の崩壊を早めないか?

公的統計でさえ、すでに米国に迫る世界第二位の軍事大国

公式の中国軍事費は次の通り(「公式」とは中国発表した数字、ロケット打ち上げなど別項目で勘定しているため、世界基準の算定方法ではなく、欧米はこの三倍とみている)

1999      1076億4000万人民元

2000      1207億5400

  01      1442億0400

  02      1707億7800

  03      1907億8700

  04      2200億0100

  05      2474億9600

  06      2979億3800

  07      3554億9100

  08      4184億0400

2009年予測   4806億8600万人民元

(1人民元は14円)

中国空母二隻建造を堂々と公言するようになり、また中東南アジアアフリカ諸国では中国武器市場に溢れるようになっている。

いずれ手に負えない化け物として北京へ跳ね返るだろうが。。。

 

不安になるアメリカの杜撰な武器管理

いや中国のことを批判してやまないアメリカは、膝元でおきた以下の数字をみて愕然としている。

予算局が集計した「行方不明」になった武器の夥しさである。

ISNニュース3月10日付け)によれば、アフガニスタンイラクという両戦域をかかえるアメリカは、武器をせっせと当該戦闘地域の部隊に運んでいるが、多くが行方不明というのだ。

2005年から2008年までにアフガニスタンへ運び込まれたアメリカ武器は、むろん、米兵、米軍下請け傭兵ならびにイラク正規軍警察に配給された。このうちの36%が「返却」されておらず行方不明だという。

アフガニスタンへの武器は242000点におよび、これらには自動小銃機関銃ピストルショットガンが含まれている。そのうちの36%が追跡不能状態。

また2004年から05年にかけてイラクへ同様にはこびこまれたアメリカ武器のうち、AK47ライフル11万丁。ピストル8万丁が「行方不明」。

杜撰な管理をかいくぐり、武器密輸され、転売されたか、あるいはテロリストの手に渡った。

▲そして米中艦隊南シナ海でにらみあった

つい先般、米国の観測船(?)が南シナ海中国艦隊五隻に取り囲まれる“事件”が起きた。米中外相会談が開催されている最中のこと、両国間に緊張が走った。

この地点に注目である。海南島沖合。

中国海南島南部「三亜」に潜水艦秘密基地を建造した。しかもICBM搭載の潜水艦の集積地といわれ、米軍は観測を続けてきた。

「海洋を抑える西側帝国主義揚子江ファナティック国家主義者との対決」(英紙ガーディアン3月10日)は政治の表舞台での「戦略パートナー」「ステ-ク・ホルダー」「G2」という米中関係の緊密ぶりとは別の思惑で進んでいる。

「14・9%もの軍拡に突き進んだ中国米国への顕著な挑戦をしめしている」(同紙、サイモン・ティスダル記者

2008-07-09

民族の状態は歴史が形成した証明である


 民族の持つ本質が、その民族社会の形を、長い時間を通して形成していく。

 逆に言えば、長い歴史によって作られたきた社会の状態は、その国の民族(の本質)にとってバランスのとれた状態なのである。

 その状態を大きく崩すと、その民族の安定生存や社会成立に著しい問題が起き得る、ということなのだ。歴史上の大勢が、その指標なのである。

 欧州・特に北欧では、福祉や、男女の「非差別」と「正しい区別」が、高いといわれる。

 歴史上、社会活動の主役は、やはり男性であった。(文化民族を問わず、有史以前から男性はそのように作られているからである)。

 しかし、生活上の意識マナーにおいては「女性をこそ大切に扱う」というような意識文化が、歴史を通して成立している。 この民族本質に基くバランス点を、歴史が形作り、歴史が証明しているのである。

 一方、現在米国は、欧州からの移民によって作られた地域である。開拓の必要があることや、古い社会形式に縛られる必要がないこと、などの理由により「社会上や生計上では女性も引っ込んではいられない」というオープン意識文化が形成されていったが、一方で、欧州の「生活マナー上で女性をこそ大切に扱う」という意識も受け継いでいった。

 数百年ではあるが、やはり、米国を形成していった民族本質が、現在にもうかがえるのである。

 さて、我々の日本はどうか。

 日本では、社会活動はもちろん男性のものであったが、生活の上でも「男尊女卑」の毛色が強かった。現在での(主に)女性による女性解放運動の意識的な原点となっているようである。

 しかし、日本の「歴史上の男尊女卑」についても、「歴史が作っていったバランス点」であると考えるとどうなるだろうか。いや、そのように考えてこそ理性的である。

 

 そのように考えると、日本民族本質が落ち着いた(落ち着いてきた)ところは、「男尊女卑傾向」なのである。

 すなわち、「日本では、男尊女卑傾向を一定以上崩してしまうと、安定生存や社会成立に著しい問題が起き得る」ということになるのである。歴史がそう言っているのである。

 そして実は、歴史が言ってくれるまでもないようである。日本ではこの数年??数十年、「女性が、歴史に与えられた地位から、大きく逸脱しようとしている」というような動向が活発になってきており、それと時期を同じくして「子供たちの正常な精神成長」に社会規模的な異常が見られるようになってきている。

 他の倫理観、特に男女関係根底にある社会倫理観なども、ゆがみ出してから久しい。(その代表的なものが、親となる男女によって行われる「子供たちの正常な精神成長」である。)

 …これらは何を意味しているか。残念ではあるが、砕けて言ってしまえば、「日本民族総体として、女性には、社会進出などを行うための自制や論理観や公平性に民族本質的に欠けている」のである。その本質が暗黙的に、歴史をしてバランス点を形成せしめ、数十年前までの長い歴史の状態という答えを出さしめてくれていたのである。

 「日本男性が、女性の進出を阻むような、劣った存在であるからだ」と考えてはいけない。それは社会が成立されていく過程の存在意識していない、個体的な狭い了見である。

 民族が集団として成立し始めた頃には、誰も「誰かを恣意的に差別」しようとはしない。偶然「或る特定の個対象差別される」ということはあるだろうが、「全体として、係わり合いのないはずのアチラとコチラでも、同じような意識がある」からには、そうなるべくしてなった理由があるからなのだ。

 欧州では、「社会活動は主に男性」が望ましかった。これは体の作りや心理感覚などから見ても自然なことであった。

 しかし、社会未満の生活上の関係では「女性こそ守られる」という意識が成立していた。「女性こそ守られる」が成立していった裏には、「形質的な面などで守ってあげるべきであった。そして守ってあげても問題が起こらなかった。守られる方が優遇され過ぎたり主張し過ぎたり箍がはずれたりするような結果にならずにバランスがとれていた。」という過程と結果があったのである。そのことにより、民族文化自体が「女性を形質的な面で守ってあげること」を「善し」としたのである。

 米国地域では、基本的には欧州と同じであるが、「生計的な面では女性も活発に活動するべきである。そんなことに拘っていたら我々全体の生活が成り立たなくなってしまう。」などの意識が加わった。

 しかし、「形質的な面で女性を守ってあげること」を「善し」と認めてもらえるような本質と経緯がが存在したのは、やはり欧州と同じである。

 日本では…賢明な諸氏に対しては、もはや説明するまでもないであろう。

 総体として、地域によらず何れの村々でも、「形質的な面などで守ってあげるべきであった。が、守ってあげたら問題が起こった。守られる方が優遇され過ぎたり主張し過ぎたり箍がはずれたりする結果になってバランスがとれなくなってしまった。」のである。

 そして各々の村々では自ずと、「守ってあげてしまうと、問題を起こすし我々の安定生存に対して危険であるから、多少締め付けておくぐらいにしていこう」という結論を、半ば無意識的に出していったのである。これが、「民族本質が、社会の状態を、バランスのとれたところに落ち着かせる」という意味である。

 なお、これらの傾向は、日本のみならず、東??南アジアにおいて主だった傾向である。大規模地域的な民族性が、そうならしめているのであろう。

2008-07-06

日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国に

キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事 - 株式日記と経済展望

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間奴隷にいたす。ポルトガル人の教会師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドアフリカまで売っている』と。


16世紀、キリシタン大名が、日本の若い女性を奴隷として南アジア、アメリカなどに大量に売り渡したといいますが、こうした日本人による日本人奴隷取引について詳しくわかる.. - 人力検索はてな

「キリシタンが日本の娘を奴隷として50万人も買った」という既知外テキストを信じている人がまさかいようとは - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記

アルゼンチンに「日本人奴隷」は本当にいたのか - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記

奴隷貿易 - Wikipedia

奴隷 - Wikipedia

2008-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20080222072848

まず、上の増田なんだけどさ。

仮に「上層階級には白人の血が入ってる」ことが「科学的に立証」されてるとして、それが「インド階級が絶対無くならない理由」にはならないだろう。増田の文章はもっとおかしくて「白人が上層階級の場合、階級が絶対無くならないことが科学的に立証されている」と読める。これは上層階級がもともと白人だったかどうかを問わずにトンデモ

下の増田も、上の増田を批判するのに持ってきたのがネットで拾ってきた他人の書き込みだから説得力がない。

これで「正しくは次のような捉え方」と言われても困惑するだけだ。

ウィキペディアについて言えば、そこに「要出典」と書かれている通りだと思う。

確かな事が知りたいなら、百科事典世界史事典の類、『インドを知る事典』、『南アジアを知る事典』などから入門してみれば?

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