はてなキーワード: 化学肥料とは
日本の農地で農薬と肥料がアメリカ産というのは事実ではありません。日本の農業では、農薬や化学肥料の主要な原料は海外からの輸入に頼っていますが、その輸入元はアメリカだけではなく、多様化しています。
原料 | 輸入量 (2020年7月~2021年6月) | 主な輸入元 |
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尿素 | 約30万トン | マレーシア(60%)、中国(25%) |
りん安 | 約47万トン | 中国(76%)、モロッコ(18%)、アメリカ(3%) |
塩化加里 | 約49万トン | カナダ(80%)、イスラエル(9%)、ベラルーシ(3%)、ロシア(3%) |
肥料をめぐる情勢 - 農林水産省. https://www.maff.go.jp/j/seisan/sien/sizai/s_hiryo/attach/pdf/HiryouMegujiR5-5.pdf
食料生産を支える肥料原料の状況 - 農林水産省. https://www.maff.go.jp/tohoku/syokuryou/attach/pdf/221017-13.pdf
事業紹介 肥料事業 | JA全農. https://www.zennoh.or.jp/operation/hiryou/index.html
レンゲの有用性
レンゲはセイヨウミツバチの良い蜜源となるため、多くのはちみつがレンゲの蜜から作られています。また、マメ科植物であるため、前回の記事で詳しくお話した窒素固定を行うことができます。そのため、水田の肥料(緑肥)として利用することができ、水田の休閑期に見られる一面のレンゲ畑は緑肥のために栽培されていることが多いです。
レンゲによる緑肥の利点
レンゲ畑
レンゲ畑
レンゲを稲を植えていない時期に植え、成長させて窒素をたくさん取り込ませたところで、植物体ごと土の中にすき込みます。これにより、化学肥料を与えずに窒素分を田んぼに供給することができます。化学肥料は手軽に安く利用できる反面、問題点もあります。耕作地に撒かれた化学肥料の50%くらいが利用されずに土壌から流れ出し、川や海の富栄養化に影響すると言われています。また、化学肥料だけを土壌に与えていると土壌に住む微生物やミミズを代表とする土壌動物の餌が不足し、生息しにくい環境になります。そういった生物が居なくなると、土が硬くなり、植物も生育しにくい土壌になると考えられています。有機物を土壌に与えることは、土壌が劣化してしまうのを防ぐのに欠かせません。レンゲによる有機肥料を用いた農法は化学肥料を使用するよりも知識や技術が必要になりますが、持続的な田んぼの利用や周囲の環境への影響を考えると、良い手法であると考えられます。
レンゲ畑の減少
レンゲの栽培は、1960年代以降に急激に減少しました。その原因は、稲の苗を植える時期が早まり、レンゲの栽培時期と重なるようになったことや、化学肥料を容易に使えるようになったこと、農家が家畜を飼わなくなり、その飼料としてレンゲを栽培することがなくなったことが挙げられます。また、アルファルファタコゾウムシ Hypera postica というレンゲの害虫が1982年に海外から侵入し、九州から西日本に広がり、開花前のレンゲが全滅するという被害がおこりました。
アルファルファタコゾウムシ Photo by AfroBrazilian, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
これに対し、日本では、生物的防除として1988年からタコゾウチビアメバチというアルファルファタコゾウムシの天敵がアメリカ合衆国から導入され、2006年までに福岡、熊本、大分、山口、岡山、兵庫、岐阜で定着したことが確認されました。それらの地域では、アルファルファタコゾウムシのレンゲへの被害が減少してきたことが報告されています。しかし、生物的防除は、外来種を積極的に導入する方法であり、在来種にどのような影響が起きるのか想定することが難しく、非常に危険な手法です。生物学的防除として沖縄に導入されたマングースは、結局目的の生物が駆除できず、むしろ在来種に多大な影響を与え、しかも、一度広がったマングースを駆除するのも困難な状態になっています (沖縄のマングースについて1, 沖縄のマングースについて2)。幸い、今のところは在来種への影響は明らかになっておらず、レンゲへの被害は減少しているようです。
近年は、2015年から施行された「農業の有する多面的機能の発揮の促進に関する法律」で、緑肥を行う農家への国からの支援も行われるようになって来ました。レンゲ畑、復活の兆しが見えてきたのかもしれません。
でもデメリットがたくさんあって、化学肥料を使わないから成長が遅い。だから小ぶりになりがち。そして虫がつく。味が濃いから当然だよね。そして野菜の悪い面も出てくる。具体的には、味のバラつきや苦味、渋み、辛味が出やすい。
そういうのをなくそうと科学者が頑張って完成したのが、化学肥料や農薬なんだよ。だからスーパーの野菜は安くて大きくて味のバランスも良くて、本当に日本の農業の進歩には驚かされる。
俺はそうした野菜の存在をリスペクトしつつ、無農薬野菜を栽培して家族で慎ましく楽しんでいる。
そうした様子を知った人の中には「無農薬野菜!欲しい」と言い出す人がいる。我が家で食べきれない分はあげることもあるのだけど、そういう人ほど「虫がついてた!」だの「苦い、辛い」だのと文句を言う。もちろん事前に説明済みだ。
あまりにうるさいものだから、スーパーで買った農薬野菜をあげた。すると「やっぱり無農薬野菜は違う!」「健康に良いから助かる」などと言い出す。そう、無農薬野菜は虫が付き物ということを理解したくないのだ。
本当は無農薬野菜なんてどうでも良くて、自分が何となく気持ちよくなれるものを摂取したいだけなのだ。まぁ、それで喜んでくれるなら自宅の無農薬野菜はこれからも家族と楽しむよ。
パンの原料である小麦を始めとして、農作物を育てるには、窒素・リン・カリウムの肥料の三要素が不可欠だが、ハーバー・ボッシュ法は、窒素を供給する化学肥料の大量生産を可能とし、結果として農作物の収穫量は飛躍的に増加した。このためハーバー・ボッシュ法は、水と石炭と空気からパンを作る方法とも称された[5]。
化学肥料の誕生以前は、単位面積あたりの農作物の量に限界があるため、農作物の量が人口増加に追いつかず、人類は常に貧困と飢餓に悩まされていた(マルサスの人口論)[13]。
しかし、ハーバー・ボッシュ法による窒素の化学肥料の誕生や、過リン酸石灰によるリンの化学肥料の誕生により、ヨーロッパやアメリカ大陸では、人口爆発にも耐えうる生産量を確保することが可能となった[13]。これは1940年代から1960年代にかけて起きた、18世紀の農業革命に続く「緑の革命」の先駆けとなった[14]。また日本などでは従来肥料として用いられてきた屎尿による寄生虫の感染も避けられるようになった。
ハーバー・ボッシュ法は同時に爆薬の原料となる硝酸の大量生産を可能にしたことから、平時には肥料を、戦時には火薬を空気から作るとも形容された。硝石の鉱床が無い国でも国内で火薬の生産が可能となり、その後の戦争が長引く要因を作った。例として第一次世界大戦において、ドイツ帝国は海上封鎖により、チリ硝石の輸入が不可能となったが、戦争で使用した火薬の原料の窒素化合物の全てを国内で調達できた(火薬・爆薬を参照)。
本法によるアンモニア合成法の開発以降、生物体としてのヒトのバイオマスを、従来よりもはるかに多い量で保障するだけの窒素化合物が、世界中の農地生態系に供給され、世界の人口は急速に増加した。現在では地球の生態系において最大の窒素固定源となっている。さらに、農地生態系から直接間接双方の様々な形で、他の生態系に窒素化合物が大量に流出しており、地球全体の生態系への窒素化合物の過剰供給をも引き起こしている。この現象は、地球規模の環境破壊の一端を成しているのではないかとする懸念も生じている[15]。
ハーバーは本法の業績により、1918年にノーベル化学賞を受賞したが、第一次世界大戦中にドイツ帝国の毒ガス開発を主導していたために物議を醸した[16][17]。またボッシュは実用化の業績により、1931年にノーベル化学賞を受賞している。
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→ 化学肥料の輸入超過
→ 北斗の拳
という流れらしい。スリランカは身をもって反面教師になってくれたのだ...。
https://nappi11.livedoor.blog/archives/5355494.html
https://twitter.com/nobby_saitama/status/1545727312775512064
https://twitter.com/DARUIRAMA15/status/1545180421847420928
犠牲者に合掌
今のドラえもんは2112年生まれだけど、初期の頃は2012年生まれという設定だった。当時の基準で考えても2012年にあんな未来が成し遂げられるというのは無理があるのでは?と思うかもしれないが、ここにトリックがある。初期の頃のドラえもんでは現代の年がすべて昭和で表記されていた。この昭和表記が曲者で、作中のカレンダーを拡大してみると昭和44年(1712年)と書かれている。つまりドラえもんにおける現代は1712年で、未来が2012年というカラクリになっている。1712年の時点でテレビも車もある世界線だから、2012年に猫型ロボットが開発されても不思議でないわけだ。こちらの世界線ではハーバーボッシュ法が数百年早く発明されている。この違いは大きい。多数の餓死者を出した14世紀半ばから19世紀半ばの小氷期を化学肥料の力で乗り越えられるからだ。それにより人類は足踏みせずに済んだ。
https://togetter.com/li/1816350
なぜ有機は機械を使ってはいけないという発想になったのかわからないが、こんな誤解をする人はさすがに少数だろう。
僕は慣行農業でやっている。慣行農業とは、有機農業以外と考えてもらっていい。
では有機農業とは何かというと、化学合成農薬と化学肥料を使わない農法のことだ。ポイントは化学という言葉。化学合成とは自然界に存在しないということで、逆を言えば自然界にあるものなら農薬でも肥料でも使っていい。具体的には消石灰のような資材や、農薬としては塩化銅や微生物農薬としてバチルスチューリンゲンシス剤などがある。マルチのようなものは合成物でもよい。土にいれなければよいということなのだろう。有機には厳しい認証制度があるので、この認証を取らない限り有機農作物を名乗ることは許されない…はずだ。たしか。
僕の個人的見解だが、有機農業というのは肥料農薬を使いすぎた慣行農法へのアンチテーゼなんだと思う。四大公害とか出てて、沈黙の春とか書かれて、ベトちゃんドクちゃんとかそんな時代の話。
僕の近所で有機農業をやっていて名前が思い出せるのは農家は10名くらいだろうか。その範囲で見る限り、有機を稼げるからという理由で選択している人は一人もいない。共通しているのは、みんな有機農業こそが正しい農業だと信じているということだ。正しいというのは主観であって、それはつまり信念を持って農業をやっているということだ。それは意味がある素晴らしいことで、ほんと尊敬する。
稼ぐという点だけなら、有機より慣行の方が良い。そういう理由で慣行に転向した人もいる。これも一つの選択だ、全然悪いことじゃない。僕らが離農するということは、農地の放棄を意味する。無理してどうにもならなくなって放棄するぐらいなら、とりあえず稼ぐというのは重要なことだ。その土地の生まれであればもちろん、移住だろうと農業を長くやっていると、金銭とかではなく守るべきものが生まれる。簡単に廃業しますってわけにはいかない。
慣行農業であっても、有機の技術から学ぶことは多い。有機農業は基本的には土を大切にする農業だ。植物の土台はやはり土で、悪い土は肥料成分などの化学性を改善する努力ではどうしようもないことがある。柔らかく保肥力があり、水はけが良く水もちがいい土。その視点は有機農業にこそある。有機物が全くない土というのはただの鉱物だからだ。
有機農業の難しさは、その理論が本当に信用できるかいかがわしいということだ。でも科学的根拠なんて農家に求めるものじゃない、彼らは研究者ではないし現場では科学はいつも現実の後追いでしかない。科学的に否定されてるなら間違いは明確だが、否定も肯定もされておらず正しそうという農家の経験則の域を出ないというものが多い。僕らはそんな中から手探りで、正しいと思える技術を選択していく。どうだろう、こんなのAIが出てきても絶対取って代わられることはない、僕はそう信じている。
閑話休題。もう一つ、何かと敵視される農薬についてわかって欲しいのは、慣行農業であっても農薬はできるだけ使いたくないということだ。金はかかるし、手間もかかる。毒性はほとんど否定されていても、やはり体に良いものではない。みんな必要最小限にしているというのは理解して欲しい。それに心配するほど毒性が強いなら農家なんかみんなもう死んでるよ。僕らが1番浴びてるんだから。
これはいつもの国語増田じゃないかと思うが、内容が稚拙すぎる。ブリンカーを付けて歩いているのか?
https://anond.hatelabo.jp/20211106182157
国語と収入、所得の違いの指摘だけなら兎も角、倫理と対比して実習制度の奴隷使用を現実主義で擁護しやがった。
この「倫理を詰る者に対してその話者の立ち位置の倫理性を問う」というのは原発反対論者に電力の使用を詰るというのが有名だが、ブクマではフォーマットが同じなので安心して賛同する者が出ている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20211106182157
はい、言葉いじりだけで実習制度の奴隷使用は是認されるべきものになりました。
学校というサンドボックスで国語の問題を解くのは得意だが学校ではない社会の事象に対してもそのサンドボックスから出ないで得意げにあーだこーだ言うのが国語増田の特徴だったが、やっぱこの増田もそれなんじゃないのか?
そもそもほぼ全ての農家が土地を持っているというのは米軍が倫理的観点で強行した為というのを忘れている。
戦前まで土地を持たない小作農が沢山居り、これが農村部の貧困の原因になっていた。大日本帝国の満州開拓への固執の動機には国内の水呑み百姓問題があった。
これを理解していた米軍は耕作地の所有権を小作に移転させ、その他農村の近代化も進めた。
これには世界恐慌時米国内での困窮農村救済プロジェクトがあった事も関係しているのな。教科書で習うのは農業調整法だが、それ以外にFSA(農業安定局)プロジェクトなどがある。
そういうプロジェクトに従事していた人らが戦後に徴兵されたりして技官や武官として日本に来てこういう政策を行った。
米国の農業資本は中南米ではプランテーションを行っていたし、未だに行っている。
でも占領時もそういう資本は入って来なかったし、日本の農民もプランテーション下で経済的に支配された身分にならなかった。
米国の化学肥料メーカーにも蹂躙されず、国内の爆薬製造者が肥料メーカーに転身しただけだった。
増田の立場では日本の貧農は外国資本や農主の下で働くことになるのは現実主義的に当然なんじゃないのか?
だが実際は倫理的に改革されて戦後の農業の形が出来ていたんだよな。その土壌で奴隷経営するのが出てきて言葉遊びでそれをごまかしているのだから批判する声が出るのが当然だ。
GHQは税制の改革も進め、その一つの大きな柱が「個人事業への企業経理の導入」なのな。青色申告とか複式簿記のあれだ。
法人税でも青色申告でも複式でつけた帳簿は税申告時には税務署に見せない。PLだけ提出して帳簿と領収書などは保管義務があるだけだ。だが税務調査が来たらすぐに見せなきゃならない。
これは国税当局と経営者が互いに信頼するという前提に立っている。公文書改竄と国会虚偽答弁した事で国税庁長官に昇進した佐川宣寿が結局すぐに辞職したのはこの為だ。善意と信頼に基づく税制なんて運用できないからな。
この米国企業式の経理と税制を個人事業の基礎に据えた為に農家も個人商店も複式簿記出来るし給与生活者があまり意識しない収入と所得を当然に分別出来るのだ。
それなのに倫理と現実主義を対置して倫理をdisってみせるというのはどういう事だろうか?
今は入管法が厳しくなりあまり居ないが、2004年くらいまではオーバーステイの外国人っていうのは沢山居た。それでビザの条件にも違反して労働している者も多く居た。水商売とか町工場とか偽装請負とか。後者では賃金を買い叩かれて働いていた。オーバーステイなんて大したことじゃなかったのよ。
だが年々入管法は改正され、当局の締め付けも厳しくなってきた。すると手入れを恐れて雇用するのが難しくなる。
そうなると工場の社長や水商売のオーナーはボヤく。曰く「商売あがったりだー」「仕事減らすしかねぇ」当たり前だ。
でもしょうがないので商売替えするか諦めて社員を雇うしかない。私は当時水商売に近い所に居たからボヤキを散々聞いた。「いいアイデア無い?」とも聞かれた。
偽装請負の中にはオーバーステイ専門の派遣で、社長自身が外人、要するにただのブローカーが法人格持ってるのも居た。
当然困ったろうが知ったこっちゃない。商売畳めとしか言えないし、そうなった。
元増田はこれらの人は擁護すべき立場なのだろうから、どうか入管の矢面に立って外国人キャバクラのオーナーとかブローカーとかを擁護してやって欲しい。
実習制度は昔からあるが、それが人権問題で国際問題化してきたのはこの10年程度の事だ。
どうしてそうなったかは上の説明読めば判るだろう。オーバーステイ摘発が増加した為にこの制度の悪用が代替手段として一般化したのだ。
そして昔は現地のブローカーが暗躍してた人身ビジネスに国家がハク付けをしてしまった形になる。
更にその悪用にオーバーステイ外国人雇用にあまり関与してなかった業界が参入する事にもなった。その一つが農家。
だから「100円のほうれん草食いながら」云々というのは、甘い味を覚える前の経営に戻るしかないというだけの事。
ずっと実直にやってた頃に戻ればいいんだよ。
国語の問題を間違えている人を発見して有頂天になっても、それは学校的な発想でしかない。
「学校」のサンドボックスから出て「現実的」な事を書いてみようとしても、倫理で詰る人のメタ倫理性を論うテンプレでしかないというのはホームルームで先生をやり込める「目覚めた」生徒のそれだ。
学校的空間ではそういう自己否定@山岳ベースを聞いてくれる先生がいるが現実はそうではない。原発も条件が揃えば爆発するし人権問題が後に国際問題として延々解決しない事にもなる。更に人の人生を破壊する。