はてなキーワード: ママチャリとは
俺が初めて「DV」って言われたときに何をイメージしたかわかるか?
「Digital Video」やぞ!もしくは「Digital Visual Interface」だ!!!
DVに男が引っ付いて「DV男」って表現を見たときの俺の宇宙猫はどれくらい大きかったかわかるか!?
「TS」!お前てぃーえすぅぅぅぅぅうううう!!!コラお前マジでホントいい加減にしろよ!!!
TS言われると日本人なら先ず「TSマーク」思い付いちゃうだろ!情報技術者なら「TypeScript」だ!!!もしくは「Transport Stream(MPEG-2 TS)」
TSで男女の話題からめられて「ママチャリ?」みたいに最初マジで思ったんだぞ!直ぐに「あっ何か違う・・・」って気付いたけど!!!
良いか?アルファベット2文字略語は2028パターンしかねぇんだよ!アルファベット3文字略語は17,576パターンだ!!!
今日、1~2歳の男の子を前輪側のかごスペースのところに乗せて運転してる若いお父さんがいた。
自転車はママチャリで、男の子はヘルメットをしておらず、後部側は何も乗せてない。
男の子はキャッキャッと喜んでおり、お父さんも調子に乗って、わざとふらつかせたり、蛇行したりしていた。
横は結構な車道で、万が一倒れたりした日には、下手すれば死ぬ可能性もある。
フロントに、10kgお米乗せて運転したらわかると思うが、慣れた大人でも意外とバランスを崩してしまう事もある。
ちょっとした段差も危険だし、横から誰か飛び出てくることだってあるかもしれない。
車ですれ違っただけなので、注意することなく通り過ぎたが、他人事とはいえハラハラするし、大事な子供を無責任に扱っているお父さんにイライラした。
男の子もお父さんもすごい楽しそうだった分余計に。
そして、注意を払って運転してくれ!!
当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車で西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。
スーパーから家まで自転車で10分ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。
あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。
身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中を丸めてママチャリをこぐ姿は、食卓でビールとウィスキーと焼酎をちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。
父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。
その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社のひとつに、運良く入れていました。
そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代、Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンをほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネットの会社の役員として送りこまれてくるわけです。しかも親会社はセミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネットで御社のビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。
そこで私がやってた仕事のひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターにパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータを相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットにほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。
そんな、ニワカな私がニワカな役員をサポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベントに出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットのビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います。
大企業出身のエライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女だからということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社のお金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。
そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要なときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。
それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれに家族旅行で伊豆のホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスでアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラ・チョコレート・ストロベリー・アイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。
そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社の作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロのママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。
でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。
むしろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。
岩手県の奥地でだいたい10人兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校を卒業すると集団就職で上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社の社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから、家族は会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日、祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。
祖父の会社はオイルショックとかいろいろありながらも、高度成長期とバブル景気でそこそこに拡大、多いときは社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父は会社の仕事より、地元の運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。
でも90年代、バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行からも貸し剥がしを受け、頻繁に資金がショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からのドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合、ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。
これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社をITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネで会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います。
なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロの自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。
高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落なレストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。
西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。
なんの変哲もないママチャリで、
今ならホームセンターで5000円くらいで売ってそうなやつ。
普通なら諦めるところなんだけど、
新しい鍵がついてた。
誰かが使っている様子。
見つけたのは朝で、通学途中。
僕と友達は張り込むことに。
2人で張り込んだ。
学校は当然休む。
無断欠席。
安心して張り込むと、
夕方になり、奴が来た。
友人と3人で呑気に現れた。
新しくつけた鍵を開けたところで御用である。
さて、ゴネられる。
謝ったから許せ、がはじまる。
待てよ、窃盗だろ。
鍵も壊してる。
少なくとも元には戻せよ。
相手は逃げることはできない。
証拠?
ガラケーもない時代にカバンにカメラを持ち歩く、アンドレ(友人)は写真部だった。
すいませーん。
盗難の届け?
いや、犯人捕まえちゃって…
状況はややこしくなっていた。
将棋で言えば「詰み」だが、
これだ。
アンドレに疲れも見える。
僕の空気の読まなさは筋金入りだ。
あの時の教師の顔は忘れない。
教師「そもそも、これがアンドレの自転車だっていう証拠はあるのか?」
やるな…
ちなみに、関係のなさで言うと、
僕が一番関係ない。
ただ、なんとなくその場を仕切る空気にちゃっかり収まっていたので、誰もこのイビツな中学2年生を排除しない。
嫌なガキだ。
ま、ま、こんなところで立話もなんですので。
果たして現れた親2組。
ここで最高にややこしいことに、
犯人の父は
これはどうなってしまうのか?
これはもう潮時。
ギブアップ、と。
アンドレ「自転車の鍵を壊されちゃって。直してもらわないと…」みたいな。
そこに全ての登場人物が乗っかる。
『窃盗』という核心を中心に、
オンザエッジのオクラホマミキサー。
この1小節を踊り切れば終了だ!
と誰もが思ったその時!!
なぜか一緒に呼び出されていた僕の母が
大慌てて飛び込んでくる。
「このたびはフランケンが大変なことを!自転車を盗むなんて申し訳のしようもございません!」
まあ、「自転車泥棒の件で交番にいる」とだけ言ったらそうなるよね。
「僕はもういいですよね?」
と後ろを振り返ると、
全員の疲れ切った顔が「いいです」と答える。
翌週、
おまけ
倒錯しすぎだろ。
朝は日課のリングフィット終わらせた後ママチャリで業務スーパー行って1週間分の食料の買い出し。
白菜が先月の倍以上とゴリクソ値上がりしててケチだから買えなかった。
卵の価格もそろそろ元に戻って欲しい…
昼からは歩きでダイソーで絨毯の滑り止め、箸とかスプーン入れる用の壁に引っ掛けるホルダー、無印みたいなオシャレ小鉢、電球、エコバッグを買った。
あと結婚式行く用の黒い靴下買うの忘れてた。黒スーツに今持ってるシンプルなグレイ靴下なら別にそんなにおかしくないよね?
昔買った奴は外からは中が見えにくくて中からは外が見えるっていう奴だったけど今日買ったのは中からも外からも見えにくい印象。返品するほどじゃないが正直微妙かも。
もう一個レースカーテンがない窓があるからもうちょっと良い奴買ってそっちと交換するかな。
ニトリ公式サイトのレビューはほどほどで満足する人の意見が目立って参考にしにくいかも。
んでまたその足で無地Tシャツ目当てでセール中の無印とユニクロ行ったけど通常時ワークマンの方が安そうだったから結局なんも買わんかった。
今日行った無印は大型店舗だから書籍コーナーがあったんだが知らん外人写真家の写真集とか大人向け絵本とか知らん奴が書いた詩集とかいかにも感じがしてなんか鼻につくんだよなぁって思った。
ワークマン行く予定だったけど一回家に帰ってカーテンのセットアップとかしてたら思ったより疲れたから明日行くことにする。
今日のご飯はシンプルソース焼きそば、白和え、もやしとわかめの中華風スープ、レタスのサラダの予定。大量の冷凍鶏もも買った関係で鶏メニュー続いたけど久しぶりの豚肉メニュー。
あと積みニー口座の手続き終わったから今日くらいから実際に投資商品の購入手続きをしてみよう。
20年運用前提なら性格的に米国株より全世界株の方がいいかなぁって思ってる。
話し相手はお母さんしかいないからこの前父親が釣果で持ってきたアジを塩焼きにして食べてそれが結構美味しかったことを報告する。
恐ろしいか?
遅まきながら春がやってきた。
まず入口の園芸コーナーからして賑わっている。にぎにぎである。平日午前中なのに。
名前わかる花もわからない花も奇麗に並べられている。目に優しい。どんだけパンジー並べんねんと思ったのは、パンジーしかわかる花がなかったからだろうか。
奥の方にはわけわからん苗コーナーがあり、足腰ガクガクなおじいちゃんおばあちゃんもここでは元気である。達者での。
店内に入ると自転車コーナーがおっぴろげられていた、が、スルー。ママチャリにもたくさん種類あるけど、あんなに必要なのか?ママチャリメーカーのしのぎの削り合いなんかもあるのかな??ママチャリ業界について、私はよく知らない。多分知ることもない。
さてお目当てはペットコーナーである。ここのアクアリウムはめちゃくちゃにデカい。アクアリウムはたしなまないが、おさかなはきれいだなと思う。やってみたいな、とは思うが、おそらく私は1週間で買ったおさかな達の生涯に幕を下ろしてしまうだろう。妄想の中のおさかな達、ごめんなさい。
犬猫コーナーではメインクーンちゃんが売ってた。プライスダウンで190,000円。奇しくも今日は給料日である。私のおちんぎんを全部ぶっこめばこのメインクーンちゃんを引き取れるのか…?と思ったが、今月の手取りは196,000円くらいだった。消費税を入れると足らない。きっと私よりも経済力があって、温かいファミリーが引き取ってくれるだろうと期待と祈りをこめながらその場を離れた。ペットコーナーはかわいいという感情よりも、売れ残った時のことを思ってしまいもの悲しくなる。
かぶとむしやクワガタも売っていた。おじいちゃんが店員とあれこれ話しながら見ている。孫にでもプレゼントするのだろうか。
気を取り直して2階の家具コーナーへ行く。ローソファがほしい。
だがローソファの取扱いが少ない。お目当ては見られなかったものの、家具コーナーはたのしい。新しい生活への希望を感じられるような雰囲気がある。もしかすると展示から感じられるものかもしれない…売り場ご担当者様いい仕事しているぞ。
あまり長く見ていると、会社に戻ってお小言なりちょっとした問答(混んでた?系のやつ)があってボロを出すといけないのでそろそろ戻るとする。
お店を出ると園芸コーナーとともに、はるか遠くに山が目に入る。その上にはまだまだ白く雪が残っていた。短い春がはじまったなーとおもった。
店内のカフェでソフトクリーム食ってきゃよかったなでもこれ以上遅くなったらやべーな…などと葛藤しながら、少々暑くなった車内に戻り、帰路についた。
一人暮らし始めて自転車を買おうとした時、安くて1万4、5千するのに驚いた。
ドンキでも1万超える。
せいぜい6000円、7000円でかえるだろうと思ってたのでびっくり。
世間知らずではないと思ってるし、金銭感覚も狂ってないと思っている。
自転車なんか今やほとんどの人が持っているのではってくらい普及してるのに、そんなにするんですか?!という感じ。
自分の中で1万は電化製品に使うお金の単位のイメージというのもある。
自転車のイメージは椅子の価格設定で、例えば椅子も安いのは5000円から、ゲーミングとか座り心地を求めると1.5万とか、そんな感じのを自転車にも思ってた。
なんで自転車そんな高いん?