はてなキーワード: めだかとは
ソフトウェア系の仕事したかったが、車関連の会社がある近くの支店に配属された
好きでもない車に囲まれて、何の為に仕事してるんだろうとひたすら憂鬱になっていた時だった
いまだに派遣先から「給料泥棒だよ」って言われた事がトラウマになっている
結局、2社行って2社とも半年位で帰ってきた
帰ってきてすぐ次の仕事が始まるわけでもなく、数ヶ月支店で再勉強を言い渡された
会社も色々あった時期だったから支店に勉強するスペースもなく、独身寮に放り込まれて1ルームの独房で自習を続ける日々だった
朝は仕事をしない自分が惨めだから出社する人達が全員いなくなるまで部屋を出ず、夜はみんなが寝静まるまで外出するか部屋に引きこもってた
盥回しにされた惨めになって自暴自棄になった時の思い出今でも脳裏に焼き付いている
そういえば、自動車業界も結局好きになれなかったな…(自動車業界をゴリ押しする支店長が嫌いだったってのもあるけど)
今でも電気自動車の話題が出るたびに、支店長から塩対応される原因になったやりとりを思い出す
電気自動車は凄いと力説する支店長に「自分が現役の間には日本で普及しないと思います。(勉強するの無駄じゃ無いかな…)」って言って支店内が凍りついた日の事は今でも時々思い出すよ…
結局、3社目の配属先を決められるその日に退社を告げて辞た
無能な自分は疎ましかったんだろうけど、単価が高い仕事にねじ込むにはこの業界しかなかったんだろうなと今では思う
退社を告げて有給を使おうと考えてたが「待機中に退職するなら有給はあげられないよ?」って言われて当日無職になったのは今でも辛い記憶
その一週間で、レオ◯レスの部屋を借りて、軽トラックを借りて、荷物を積んで、一人で引っ越しをした時の失意は忘れられない
搬送するトラックから、偶々すれ違った(入社研修以降一度も話していない)同僚に手を降ったら、「あいつ誰だ?」みたいな顔で手を振り替えしてくれたのも相まって今でも最悪の一週間だった
話は戻るが、技術派遣の会社を退社しても、引き続きエンジニアとして仕事した
SIer、自社開発、フリーランス、異業種…と色々紆余曲折して、結局SESに行く事に決めた
(恋愛をゲームとして楽しむなら多少の困難あったほうが楽しいかもだけど)
ファンションガチ恋って言葉があるくらい、男オタのガチ恋はそこまでの強い気持ちじゃなかったりもする
というか恋愛においてそこまで誰かを愛するというのも減ってきてるかも
・セクハラ、ストーカー問題のためガンガン行こうぜが使えなくなった
・性欲強めだから手の届くところで実は妥協しがち(それとなく候補探してる)
とかとか、現実的に考えたらほんとに高値の花で、推し一直線よりも推し被り会とかでわいわいするのが楽しい
女性側ってまだ、セクハラもストーカーも早めに叩いて根絶させようぜ! って声はそんなに大きくないし、
お金? しゅきぴが稼いでくれるでしょ? だろうし、
性欲強くてもこの機会を逃したら次のチャンス何時くるねん? って追い込まれることも少なそうだし、安心して推しに夢見れるような気もする
三次元では
生理現象が知能に影響を与えるという仮説を述べている人がおられたので。。
確かに男性は生理もないし、更年期障害もないからお得感はある。
ただ、生理の影響含め、広く健康状態には個人差があるところ、生理に限定せず、QOLを落とす要素、つまりつまり人の集団で発生する病気の要因や分布など疾病に罹患する傾向をみたほうが総合スペックという仰々しい言い方にかなっている気がした。
また「経験を積む時間を失っている」という指標を設定してもいるようなので、その時間の線引きについても、人生のあぶらの乗ったいい時期だけを想像していいとこどりするのではなく、まさに人生全体で判断したほうがいいんじゃないかな。
平均余命の男女差はよく知られている話で、男性が81.47歳、女性が87.57歳なのだそうだ。イエーイ、女性の勝ちだぜ!と。。
しかし、ちょろっとググったところによると、認知症の有病率としては、80歳代の後半であれば男性の35%、女性の44%、95歳を過ぎると男性の51%、女性の84%が認知症であることが明らかにされているのだそうだ。高齢になれば、女性は男性に知能面でやっぱり。。。という結果になるのか。
老眼で検索すると、女性の老眼の進行は男性より3〜6歳遅いという情報がヒット。
言葉の発達は女子のほうが早いという話もある。そうするとスタート地点では女性が大きくリードか。。老眼も遅めだから幾分か男性より経験時間ゲット。
ググってみると、79歳まででは男性のがんに罹患する確率は39.6%であり、女性の27.5%とくらべると約1.4倍男性のほうががんになりやすいという情報がみつかる。
などなど。
男女差、面白い。
しかし、これって勝ったり負けたり、という話なのか??
そしてさらに、総合スペックを期間で分割すると、乳幼児期のスペック、学童期のスペック、青年期、壮年期のスペックというのも考えうる。
しかしながら、こうして比べてみると、生物学的な個体の特性だけで勝っただの負けただのいうこと自体が空しい。
その虚しさをうまく言語化することはできないが、社会環境要因を度外視してQOLを評価できないことすぐに思い出して当たる。近年の医学部入試で男子受験生に下駄をはかせて問題となったニュースがあったけれども、女性が抱えているハンデというのは男性社会のなかで仕組まれたものだったりもする。
うまくいえないが感覚的なものとして共有することはできるように思う。
男女問わず、人間はスペックの足りない状態から出生し、やがて衰えていくし、劣ってゆく。
そのようなトータルなプロセスのなかで、その時々の瞬間には生物として能力てきに勝ち負けになるのかもしれないが、トータルに、それこそ総合的にみると、
それは誰かに支えられて生きてきて、誰から学んで成長し、そして誰かに迷惑かけながら死んでゆく社会的な存在であることを忘れたことにならないか。総合スペックってそういうことじゃねーんだよ、と言われれば認識の違いでそれまでなんだけど。
総合スペックという言葉は、容易に生産性という言葉を連想されやすいし、生産性というと、かつてのドイツのT4計画がらみでLife is Beautifulのなかで奥様連中が語っていた社会効率まで思い出す。
そうすると優生学の優の字まで脳裏をかすめるが、そこまでぶっ飛んで飛躍しなくても、少なくとも
完璧が当たり前で100点が99点になればボロクソに叩かれる
一番いいのは何も言われない時
100%うまくいって当たり前
俺はパソコン詳しくないからと言いさえすればどんなわがままも通るITリテラシー
手順書を作っても読まない
お前の操作方法が悪いからだと言いそうになっても結局こっちが謝る
このシステムを外注して作らせたらいくらかかると思うの?って話が全く通じない
死ぬほど会社のために働いても結局現場のスタッフに一番恨まれているのはこの俺
もうやってらんないこんな仕事
(追記)
だけど、スタッフから一番恨まれてるのが俺ってことだけがどうしても納得行かない。
どんだけ汚れ仕事なんだよこれ、って思って虚しくなる。
そりゃあ、俺がこの会社からいなくなっても、代わりはいくらでもいるだろうよ。ただし、会社が相場に見合ったまともな給料を払うことが出来さえすればの話だけどな。
今の俺の給料でその仕事をやるという者は絶対にいない。仮にいたとしてもそいつにはそんなスキルは絶対にない。
本来なら1000万かかるシステムを5万円で作れみたいな話を真顔で何度も言われて、じゃあ会社の将来のためだからと、死ぬ気で作って出来上がって実際に仕事が楽になっても何も言われない。
あれがだめこれがだめという話だけはいくらでも出る。それくらいすぐ作れるだろって言うならお前が作ってみろよってブチギレるのを何度我慢したことか。
上場企業が3億かけて作ったシステムと同じものを俺に一ヶ月で作れなんて言われても無理に決まってるだろ。
(追追記)
もう無理
(追3記)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4730523714387311268/comment/sonzinc
こっちは京大卒エリートエンジニアのあんたとは頭の出来も経歴も違うんだよ!!!!!!!!
gafaでも大手SIerでも、クラウドファンディングで何十億も集められるエリート揃いのベンチャーでもない、ド底辺のIT土方だっての!!!!!
小学生のとき、日韓ワールドカップでサッカーというスポーツを知る。この頃はサッカーといえば代表戦だった。どこの国が好きか。ブラジルが強豪国のイメージそのままに優勝した。
中学生のとき、ロナウジーニョという特別な選手を知り、バルセロナというクラブチームで毎週のように特別なプレーをしていることを知る。初めてクラブチームというものを意識した瞬間だった。ドイツワールドカップではロナウジーニョのいるブラジルが敗退してしまい、とてもショックだった。
高校生のとき、バルセロナでは確固たる監督哲学と卓越した選手技術の融合した革命的なサッカーが誕生していた。それはどう見ても毎日の練習の中で選手の頭と体に浸透し、育まれたものだった。クラブのサッカーの魅力と、サッカーにおける監督の役割を初めて理解した。ちなみに規律に従うのが苦手なロナウジーニョはクラブから追い出されていた。
代表チーム頂上決戦のワールドカップは四年に一度。それに対し、クラブチーム頂上決戦と言えるチャンピオンズリーグは毎年開催される。初めは毎年開催なんて薄まる感じがして懐疑的だったけど、毎年毎年信じられないくらいの激戦が繰り広げられる。一年でクラブのカラーががらっと変わることもあり、毎年開催の意味もよくわかるようになった。何より、シーズンを通して、もしくは何シーズンかかけて練度を高めていくクラブサッカーの魅力に取り憑かれていくようになった。
それから2010年、2014年、2018年、と3度のワールドカップがあった。日本代表は浮き沈みはありながらも躍進を続け、実力と地位を向上させた。自分含め、国民のサッカー熱は上昇の一途だったのではないか。
一方で、自分の中でサッカーにおける代表チームというものへの熱は次第に下がり、クラブチームについては上昇を続けた。クラブのサッカーは毎日の練習の積み重ねの賜物だ。しかし、代表チームはたまたま同じ国に生まれた者の寄せ集めの場当たり的サッカーでしかない。そんなものに価値はあるのか。いつしか自分の中で、代表チームはサイドコンテンツという認識に変わっていった。
リオネル・メッシは初めて見たときからいつもマラドーナと比較されていた。輝かしいクラブ・個人タイトルを手にしたキャリア晩年の近年もなお、ワールドカップを獲れていないという理由でマラドーナに劣るという声があった。寄せ集め代表サッカーのお祭りよりもクラブでの活躍やタイトルの方が価値があるのに何を言っているのかと思っていたが、それでもなおマラドーナ派には無視できない熱気のようなものを感じていた。
先日終わった2022年ワールドカップ。そのメッシがついにワールドカップを獲得した。エース兼キャプテンとしてアルゼンチンを引っ張り、決勝で感動の3点目をあげ、見たことないほど守備に走ったメッシ。彼は、誰の目から見ても明らかに、ワールドカップを獲るためにあそこに来ていた。
表彰台で優しい目をしながらトロフィーに二度キスをしたメッシ。その表情からは、彼がいかにそれを望んでいたのか、その悠久の時間を想像させた。
メッシだけじゃない。モドリッチもネイマールもロナウドも、誰もが認める偉大な選手達がこぞって本気になり、涙を流す。「代表チームなんて負けても仕方なくない?だって練習してないのだから。」なんて思っている選手は一人もいない。皆が渇望し、それがまたワールドカップの価値を肥大化させていくのを感じた。それは決してサイドコンテンツなどではなかった。ワールドカップはただのお祭り、などと蔑んでいた自分は今大会で打ちのめされることになった。
でも、なぜ特別なのかがわからない。誰かわかる人は教えくれ。国のためだから?四年に一度だから?いつからこんなに特別だったのか。
フランスなんか見れば分かるけど、ポルノを取り締まりまくって、フランス産ポルノなんて壊滅した後は、次は、売春の取り締まりをしまくってる。
というか、ポルノを取り締まりたい権力者が、何で、都合よく、庶民向けの風俗だけ残してくれると思えるのか謎。
もちろん、連中が、ポルノを目の敵にする唯一の理由は、ハニートラップの邪魔だからで、同じように、風俗も、ハニートラップの邪魔以外の何者でもない。
つまり、ウクライナみたいなことが起こった時に、お前死んで来い、と言うためだ。
まあ、ウクライナみたいな事が起こるのは、そうした危険因子を排除するためだから、戦争に備えて、保身を図るために、人々を躓かせる権力者がいるせいで、逆に、そうした戦争が引き起こされるのである。
彼らは、全て、その偽善を、その名誉と権力とともに、自身の死をもって償うことになる。
残して貰えるのは、一般人が払えないくらい高額で、そもそも入れても貰えない、会員制高級クラブ(真の権力者だけはここで遊び惚けま~す)と、六十くらいのおばあちゃんが、不定期で路上で体を売ることくらいだろう。
連中が、今、風俗に甘くしてるのは、ただ、ポルノを衰退させるための鞘当てに過ぎない。
風俗の方が甘やかされるのは、風俗漬けにした方が、女体への抵抗感がなくなり、より安易に性犯罪を犯すと考えられるからだろう。
というエントリで
じゃあもうお互い「戦争?受けて立ちますよ」でいいだろ/長野の件が騒がれてるのだって珍しいから。本当に社会全体で殴り合いを始めりゃ白黒付く/そんで十中八九施設側が勝つよ、結局お前らは社会的合意を得られない
っていうブコメを書いたんだが、なんかフワッとした言論で反対してくる奴がいたので当エントリに対する俺の考えを引用しつつまとめたいと思う。
話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題に子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁の一種である。
子どもを抜きで考えた場合、騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに「騒音を我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である。
この文の後に「子供のことを考えろ主義」がいかに詭弁であるかのよくわからん例が続くわけだが、あえて言わせてもらう。
同dBの騒音問題でも原因が子供となれば途端に寛容を押し付けられる事。
もちろんお前は納得しないだろう。
「子供はそういうもんだから」とか「子供に優しい社会を作るためだから」とか言われてもお前はきっと首を傾げたままだと思う。
結局大手を振ってお前に我慢を強いることができるのは「そういう論が社会的合意を得ているから」というだけ。
もしこれに納得が行かないならお前なりの理屈を引っ提げて堂々と殴り合えばいい。
そうすりゃ「子供のためにこのくらい我慢すべきだよね」ってラインが引き下がるかもしれん。
別にお前が例に示した通り、子供がいりゃ親の行動が何でも許される訳でも無いわけだしな。
来るならかかってこい。
実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである。
文章の中盤では「自分は子供と戦っているのではない。子供は悪くない。大人が問題なのだ。」という論に移行するため上記のような例を挙げつつ、例の長野の件を交えながら論理展開を行っている。
行政や施設の対応に関してはどこまで行うのがヨシとされるか、それは各々に基準があり曖昧なモノだろう。
しかし騒音トラブルから派生して嫌がらせまで発生したら流石に擁護できない。
なんか中盤から「騒音トラブルが発生すると子供を盾にして親が無茶苦茶やりだす」ことが前提であるかのように論理が展開されている。
長野の件もそうだが「子供が密集する施設において発生せざるを得ない騒音」以外は社会的合意は取れておらず、現に100台近くの車が送迎しアイドリングしっぱなしだった件は擁護する声もほぼ無い。
「騒音問題から派生することがあるインシデント」として紹介したおかげでそれらしい論になっているが、
その実「配慮に欠けた行為(嫌がらせとか)はよくないよね」というだけで、何の意味も為していないパートだ。
そこは別に非難されるべき点として否定しようがなく、それっぽく文章を彩るミスリードにしかなっていない。
そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子どもの騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。
話の組み立てとして引用する文が前後しているが、この部分も疑問がある。
それは「適切な対応とは何か」ということだ。
①でさんざん語ったが、こちらとしては理屈抜きで「いやなんか色々言ってるけど子供なんだから我慢しろよ」としか思っていないし、それで突っ切るだけだ。
まぁクレーマーとして黒い噂が立ち込むようなら②で言った通りやり返し過ぎだろうが、対応の無さにキレ散らかすようであれば同情するのも厳しい。
『子供の声がうるさくてうるさくてノイローゼになりそうなんです!』って社会にアピールするしかない。
そして残念ながら、今の社会に解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。
でももしそうなったとしたら、自分もあなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなたを理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。
どうもコレが結論らしい。
まぁ書いた本人はセンチに浸っているんだろうから仕方ないが、この文章に同意した方々に聞きたい。
ちょっと冷静に考えてみて欲しい
もしお前が戸建ての家を建ててその横に幼稚園ができちゃったとしよう
そんな中ふとこのエントリを思い出す…
「あぁ…あの人も大変だったんだ…」そう思い、心の荒みが緩和………
まぁされたとしても一瞬でかき消されるだろ。騒音問題解決してねーんだから。
最終的には「こんなボクにも配慮して欲しいんだなぁ〜」って感じのボヤっとした主張で終わってるからだ。
ハッキリと権利を主張できない理由、それこそ「社会的な合意を得られない」と尻込みしているからだろ。
バカ!そうじゃないだろ!
「世界にそういう人はたくさんいる」んだろ!だったらそいつ等引き連れて社会に訴えろよ!
「『我々』と戦争することになる」じゃねぇよ!戦争しろよ!今から!!!
それでも負ける気は全くしねぇけどな!
来いよ!!!