はてなキーワード: はてな界隈とは
ホッテントリを見てると、さまざまな人のさまざま意見があって面白い。
最近気になったのが「 選択的夫婦別姓への反論に反論します|青野慶久|note 」というやつ。
上位に挙がっているのが主に選択的夫婦別姓制度への賛成意見で、選択肢を増やすことは良いことで、
それにすら反対するのは感情論とか自分のパラダイムから抜けられないからみたいなことを書いていた。
はてな界隈には多いリバタリアニズムの信奉者というのはいつもこうなのかとちょっと呆れざるを得なかった。
今ではリバタリアニズムとまではいかなくても漢字で書く「自由主義」がネットでの一般的な価値観になっているから
おそらくそれはブクマカの周りでは妥当な考えだと思うが、しかし、意見を戦わせる全体集合をはてな界隈から日本に広げるとどうなるだろうか?
こんなことはよく言われているが「自分の常識は他人にとっての非常識」で、価値観なんて常に一致するわけがない。
その人にとっての正義はその人の価値観に合致するもの。そんなことだいぶ前からわかってるじゃないか。
でも日本という集合でのとりあえずの方向性を決めなければならないから、日本という集合の中でも
一番多くの人が属している集合(価値観)に日本全体を合わせることにした。これが民主主義。
もちろん日本全体が属すことにきめた価値観に合わない人は必ずいるからその人たちにも十分配慮して決めていこうってこれで
何十年もやってきたでしょ?
で、話を戻すと選択的夫婦別姓制度にかかわる問題というのは自ら名乗る姓にかかわるものだから、
合理的な側面はもちろんだが、その人の持つ価値観によるところが大きい。
リバタリアン的な価値観を持つ人からすればもちろんこれに反対するひとがいるなら理解できないだろうし、
その逆もまた真なり。でもやはりこの問題に限らず価値観の違いでいがみ合うのはいいことじゃないというのはたぶん多くの人が同意すると思う。
そういうひとには、
異なる価値観の人に対して同意もいなくていいし、活発な議論をすればいい。
でも存在を排斥したり不当に貶めたりするような行為は絶対に悪である。
という考えをもってほしいなんておもったりした。
「Values」となっているところはもともと「Religion」だったが、私が変えた。
Values are like a penis. It's fine to have one and it's fine to be proud of it, but please don't whip it out in public and start waving it around... and PLEASE don't try to shove it down my child's throat.
コロコロコミックスタッフに指摘されるまでもなく、小学生は「うんこ」が大好きであり、小学校高学年か中学校に上がった早い段階で「うんこ」が面白いとも思えなくなるし、興味も抱かなくなるものだとばかり思っていた。
そう判断した理由は自らの経験と周囲にいた人物の観察結果だけからである。
それがはてな界隈を覗いてみると「うんこ」の文字がやたら目につく。これはどう解釈すればいいのだろうか。うんこネタは卒業するものという自分の常識が間違っていたのだろうか。
仮説としてははてなには小中学生が結構な割合で混ざっているという可能性がある。
実は100人に1人くらいはうんこを卒業できていない人がいるという可能性もある。その程度なら見落として当然かもしれない。
はてなにはそう言うタイプの人を引き寄せ、濃縮する機能が備わっているという可能性も考えられる。
↑今捨てようとしたテンポラリファイルに書かれていた。下品すぎて投稿を躊躇したのだろう。
anond:20171029172155 がブクマを集めていたので思い直して投下しておく。
はてな界隈で著名なxevra氏について。
一般的な認識としては、結構な頻度で過激だが合理的である程度一貫した発言で人気を博している、瞑想とかを推奨する自称経営者?の人。という認識なんだけど。
みんなこの人の事をどう思ってるんだろう?とたまに不思議に思う。
私の認識としては、
論理的で一貫性があるが独善的で過激で、教養があり仕事ができる人なんだとは思うけど、人間的に全然好きになれない人、って感じなんだよね。
○変だなと思うところ
・はてなにいる人は全員頭がおかしいみたいな自己言及始めたりするところ
・ついさっきだけど、ツイッターで元号は文化だから効率とか関係ない、わからないやつは猿だ、といってた。
ふだんは色んな非効率的なものについて、こんな非効率なことやってるから日本は落ちぶれるんだ~って言ってる。
何が文化で何が文化じゃないかを独善的に決めつけてかかってるからすごく怖く見える
・瞑想と野菜と運動?だっけ、あれってやってないからって人を馬鹿にしてるところ。そんなんで人を一等下にみていいのかな?と思う。私はべつに瞑想もしないし運動なんてからきしだし、野菜も足りてないけど、日々幸せに生きているから、違和感ある
・子どもを産んで(あるいは育てて?)人間が完成すると思ってるところ
なんか狭い考えだし、そういう実感があるのかもしれないけど、子どもがいないひとを傷つけたり、変に不安にさせるだけじゃない?って思う
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ぱっと浮かんだのがこんなとこなんだよね。
何ていうか、価値観が全然違うけど筋が通ってるから違和感があるのか?よく分からないでいる……
よければ皆さんの意見を聞かせてください。
明治時代まで「美人」という言葉は、容貌の美しい男を指す言葉だった。しかし、美人という言葉は美しい女を指す言葉に置き換わってしまった。今はどうか。昔はハンサムというそれなりの言葉があったのに、イケメンという貧相な言葉になってしまっている。こんな言葉ほど、男の容貌の美しさの価値を軽視した言葉はない。はてな界隈でもそうだ。女の美人については、多くの読者たちが高い関心を示してくれるというのに、男の容貌の美しさについては黙殺されてしまう。あるいは、「男の美しさには価値がない」などと言い出すブ男もまれに出現する。
そこで、タイトル通りの結論になる。今の社会には、「男の容貌の美しさ」を評価する仕組みがない。男社会の価値観の仕組みの中では致し方ないことなのかもしれないが、では世の中の男の美人たちがその状況をどう考えるか。
男の容貌の美しさを評価してくれるのは女たちだけである。これにいては、説明は不要だ。であるならば、容貌の美しい男たちは、自ら男社会の仕組みをぶっ壊し始めるであろう。胡散臭い存在のフェミニストたちと、自分らの存在を否定しにかかるブ男たち。どちらと手を組めばいいのかは、火を見るより明らかであろう。
今までフェミニズムが無視し続けてきた女たちの底辺である喪女たちにどう光を当てていくのか。
働いている母親などの、女性全体の中では比較的恵まれていた階層の女性たちばかりに焦点を当て続けてきたフェミニズムであるが、そろそろモテない喪女たちから目をそらし続けるわけにはいかなくなってきたと思う。
はてな界隈の言葉を借りさせてもらえば、「キモくて金のないおばさん」を自立させるためには一体どうすればいいのか。
美人の方は、お金も地位も子供も自分好みの旦那も全部手に入れられる段階に入ってきたわけだから、次は喪女問題に取り組まなければいけないと思う。
日本特有の何かなのかなと思っていたがアメリカも死にたい人は多いらしい。
自殺をしないように呼びかける歌が流行していて、ビルボードで今週は3位にまで上がってきていた。
Logic - 1-800-273-8255 ft. Alessia Cara, Khalid (はてブを6つ集めていた)
https://www.youtube.com/watch?v=Kb24RrHIbFk
日本語の記事: 自殺しないよう呼びかけるロジック「1-800-273-8255」が全米トップ5入り | bmr http://b.hatena.ne.jp/entry/bmr.jp/news/187750
徳島県警察の誤認逮捕事件についてまとめてみた - piyolog
http://d.hatena.ne.jp/Kango/20170910/1505065248
ほんと警察やべー。
まじやべーもん。
こんなやべー事態なんだけど、どうやって改善したらいいのかが分からないからちょーやべー。
そもそもこの問題を論点にしようという政治家がいねーから、投票によって意思表示することができねえ。
デモやるくらい?
警察に交通整理してもらいながら?w警察ふざけんなーって?www
とんだ茶番じゃねえか。警察のみなさんお疲れ様でーすって構図にしかならねーよ。
気に入らないマスコミにはスポンサーへ電話凸をする、という方法がそれだ。
実際これは効果があった。
まあ、それがいいことばかりではなくやべーこともあったけど、効果があったのは確かだ。
けど政治や行政へのネット時代ならではの有効な抗議方法ってまだない。
ブログに書いても、増田に書いても、はてブでつぶやいたってほとんど効果はない。
狙ってできるもんじゃない。
選挙なんていう、限られた選択肢の中から渋々選ぶなんていうかったるくて、しかも何年かに一度しか行使できないやり方じゃなくて、
やれ多様性だ自由だなんだを叫ぶはてなーはリベラルがやりたいわけではなく、はてなーの顔色を伺ってコメントしているようだ
○○警察なんて言葉があるけど、はてなーはアニメやマンガ、あと任天堂あたりにすごく気を使ったコメントを書くよね
さすがに女VS男みたいな的がでかいコンテンツ(コンテンツなのか?)じゃ、気の使いようの範囲でかすぎてわちゃわちゃしてるけど
基本、警察が見張ってるようなものは、あたり障りのないこと書いてスターもらってご満悦って感じ
俺がアイドルオタクだからってのもあるんだろうけど、はてなーのアイドル、アイドルオタクへの偏見や罵詈雑言はOkって感じだよね
だけど声優はご法度!アニメ声優警察が見張ってるからね。はてなーで最大のアニメオタクを敵に回すことになる
一時期Perfumeがいい感じにはてな界隈で受け入れられてたけど、アイドルへの評価っていうより、テクノ大好きおじさんが理由こねくり回して女の子消費できて都合がいいって感じだったよね
Dockerがバズるくらいだから今どきハードウェア仮想化なんて流行らないのだろうが、Windows10 Proの安いPCを1つ購入してHyper-Vを有効化したのでCentOSとUbuntuのどちらを入れようかと考えてた時に、昔インストールに苦労したDebian 3.1 Sargeのことを思い出して本家のサイトに行ったら今年の6月にDebian 9が正式リリースされたと聞いてすごく懐かしくなり、こいつを選択することにした。
随分バージョンが上がったものだなあ。しかも今はamd64がインストーラーのリストの最初に上がってるし。昔は64は人柱用だったのに。
10年ほど前、玄人志向の玄箱というNASのOSをDebianに入れ替えて単なるファイルサーバから多用途サーバにするのが流行ったことがあった。今でも後継品のBuffalo製NASをDebian化する好事家は細々ながら活動しているが、UbuntuのベースであるDebianに最初に触れたのがその頃で、当時のバージョンは3.1、通称Sargeだった。タイミングのいいことに、Sarge対応の分厚いDebian入門書が存在していたのでレファレンスには事欠かなかった。まあそれでも、スペックの貧弱な玄箱にインストールして少しでもパフォーマンスをよくするにはカーネルを書き換えて再コンパイルしたりといった悪戦苦闘があったわけだがもう忘れた。
Hyper-Vの仮想マシンへのDebianのインストールはトラブルらしきトラブルもなく、インストールしてすぐに使えるようになっていてまあこれが普通だよなと。OSは使いこなしてなんぼで、インストールで苦労するのは不毛だと当時も思ったし。
あと、エンジニアが多いと聞いているはてな界隈でも個別のディストリのトピックはあまり話題にならないんだなというのがちょっと面白かった。
社会の最下層に自動的に名づけられるもの、という定義は、少し乱暴な気がする。
昨日、キモ金おっさんを自称する増田がいたが、まったくキモく感じなかった。
キモ要素を除けば比較的シンプルな経済的弱者問題になり、罵りコミュニティであるはてな界隈ですら罵り合い要素などが減少するはずで、
例えば、キモくて金のないオバハンとはむしろ共闘関係が結べておかしくないのだが、キモ金おっさんは「いざとなればウレるくせに」と牙をむく。
エマ・ワトソン的なものへの憎悪の仕方も「お前はキモ金おっさんを選ばないくせに」というセクハラ混じりの悪態になる。
この辺が、「キモ」の発生源でありやっかいさがある。性的な社会階層というか。
社会的階層の最下層であると定義するには、キモくて金のないおっさんの3要素の意味を改めて考えてみる必要があると思う。
おっさん=可塑度・取り返しのつかない度
と、上記のようにに素因数分解し、其々の戦闘力を合計15点(各点5点ずつ。高いほど残念)と設定、
合計10点程度のおっさんAとおっさんBを、仮に勝手に作ってみる。これは架空のおっさんである。
このおっさんAとおっさんのBについて、それぞれ勝手に想像してみる。仮定の架空のおっさんなので許して。
すると、Aのおっさんのほうが深い問題を持っていそうな感じがしないだろうか。
金の無さが最下層でもキモさがマシであると、やっかいさが無さそうだし可塑性が高そうに見えたりしないだろうか。
本増田は、「キモ」が、キモ金おっさん問題の要諦なのではという仮説を立てた。
個人的には、コミュニケーション不全力、それから弱者男性と自己定義する割には過剰なプライドの存在が「キモ」の源泉じゃないかと思っている。
放っておいてくれというスタンスのおっさんは「キモ金おっさん」じゃなくて、「金ないおっさん」なので、ジャンルが違う(シンプルな経済弱者)としてもいいぐらいなのかもしれない。
ちなみに、本増田は、断言はしないが、容姿については「キモくて金ないおっさん問題」のあまり多くを占めていないのではと考えている。
見た目に難があっても性格が魅力的とかそれなりに稼いでるなどのプラス要素によって平穏な家庭を持ってる人は少なくないし、
自称キモ金おっさんたちの意見を読んでいると、おそらく彼らが手に入れたいだろう「旧来的なごく普通の家族」において
夫・父がイケメン、というのは、彼ら自身にとっては必要条件ではないと考えているのではと思ったので。
女性サイドがイケメン要素を求めてくるから悪いんだ!という怒り方をしている意見があるのが、逆説的だが証左になるのではと思う。
自らイケメンでありたいというよりも、市場の要請で仕方なくイケメンを頂点としたヒエラルキーの最下層に閉じ込められたと考えている一群がありそうなので。
したがって、容姿については、キモ・金・おっさんのどれかの改善でカバー可能な従属的要素だと考えている。
もちろん十分条件しては欠かせないのだろうが、それが「キモくて金ないおっさん」状態を解消・軽減するための必要条件ではないというか。
私が純真すぎるのかもしれませんが、最近聞いた話が軽くショックでした。
ニコニコ動画などにあがっているMADと呼ばれるもののうち、結構な割合で業界側の人が作っているものがある、ということでした。
そういう形で人気の動画が生まれて話題になると、売り上げに影響するのだそうです。
最近はニコニコをあまり見なくなりましたが、それでも「世の中には無駄な時間を割いて面白い物を作ってくれる人がいるなあ」と
喜んで見ていた時期もあったので、めちゃくちゃびっくりしてしまいました。
いまは何が人気なんだろうと思って、サイトに行ってみると、ああたしかにこれは流行りを作ろうとしているんだなあっていう動画が散見されました。
はてな界隈では最近タイトルにPRを入れるかどうがで議論が起きてましたけど、それに通ずるところがあります。
でも、業界人が作っててもある意味ただのファンアートだし。(権利侵害はさておき。。)利益を求めて動画作って人気になるなら、それはそれで凄い。
嫌儲ではないはずなんだけど、もやっとしています。好きで作っている人のなかに、目的と動機が違っているものが入っている。
【追記】
>さらにいえば、宣伝用に関係者がMAD作るから嫌悪感っていうのは
>アマチュアが趣味で作りました、金儲けは一切考えていませんと本人が言ってるわけでもないんだから
>ただの潔癖症
アニメ業界は斜陽だーってずっと言われていて、今もボロボロになりながら作っている人が居るわけですから、
暇のある人が少しでも宣伝するためにMAD作っているっていうのは、応援したいところもあるわけです
趣味でやってる人たちばかりだったと思っていたけれど、そういう作品が好きっていう気持ちだけで回っている場なんてなくて、
本当はそれぞれがそれぞれの動機でやっているだけ、それが一つの紐帯みたいに見えていただけ
そんなことに気づいて、私はあまりに純朴でしたというお話です。。
ステマじゃん?って人もいます。どうなんですかね。人気の動画にならなければそんなに影響あることでもないでしょうけど、
ステマって言葉自体ちょっと定義が分かりません。お金もらって宣伝してたらステマにあたるけど、ただ無償で作ってたらステマにあたりますか?