はてなキーワード: はてな界隈とは
そもそも日本には女性専用の車両なんて存在していない。「女性専用車両」というステッカーの貼ってある車両は存在しているかもしれないが、それだけのこと。
一般の男性乗客も女性専用車両という名前だけの一般旅客車両には乗車することができるのである。
本当に男性が乗れない車両が存在したとしたら、それは憲法違反となる。
そのことが分かっているからこそ、鉄道会社は「男性も乗れる」と言わざるを得ないのだ。
本当に男性が乗れない、なんてことになったら、裁判で訴えられるからね。
鉄道会社はあくまで「男性のご協力」にお願いするという立場しか取れない。
「女性専用車両は男性差別なので協力しない」という意思を示す男性乗客がいたとしたら、その意思は絶対に尊重されなければならないのだ。
今現在の男女間問題について少し整理してみると、男と女の双方において、二つの大きな変化が起きているんだよね。
この大きな変化によって、今まで続いてきた男社会が崩壊するかどうかの瀬戸際になっている。
女に経済力・甲斐性を求めることや、男が家事や育児に積極的に関わっていくことの是非など、国民全体を巻き込んで大議論や空中戦をやるべきだよ。
女性専用車両や女だけの街の議論の意味を突き詰めてみると、「女を弱者として認めるかどうか」を決めること。
手前味噌になるけど、その意味ではこのはてな界隈は日本で一番先端を走っている言論空間ではないかな。
※ちなみに私個人的には、女を弱者として認めない。実態として弱者であったとしても、女は男以上に努力する姿勢を見せるべき。そうでなければ、男の方が女のどれだけの本気度を推し量れない。
「ロスジェネ世代? 社会が悪い? 報われないのはお前の努力が足りないからだ!」と言われたら、貴方はどう反応しますか?
https://togetter.com/li/1182688
こういうのを見ると心がもやもやする。ここらへんの話題は揮発性が高く、すぐ炎上して面倒なので、増田に書く。
マクロ的にみれば、たしかに政府の政策の失敗によって、一部の世代が人々が経済的に割りを食ったというのはあるだろう。社会が悪いと恨み言を言いたくなる気持ちも分かる。ただ、個人的には、社会のせいにせず、自分にできることを黙々とやっていくことをおすすめしたい。社会のせいだと言い続ければ、間違いなく悲惨な境遇から抜け出すことは難しくなるからだ。
努力すれば成功する、というのは必ずしも正しくない。努力が成功の確率を上げる、という程度のものだ。それでも、政府にはすべての人を救済する力などないし、NGOにも頼りきりにはなれないのだから、自分の人生は基本、自分でなんとかするしかない。理想はともかく、それが現実じゃないか。
世の中はもともと不条理なものなのだ。別に世代のせいにしなくても、家族、健康、知能、精神力、容姿などについて、生まれつき恵まれた人と恵まれない人の差はいつの時代も大きい。与えられた手札で戦うしかないのではないか。
一部の人たちが今日もはてな界隈で怨嗟の声を上げている一方で、黙々と働き、財産を増やして、幸せをつかみとっていく人たちもいるのだろうなと思うとどこかいたたまれない気持ちになる。きっと私がこう言っても理解できない人は理解できないのだろう。「恵まれたお前には、私の気持ちなどわかるまい」というのだろう。そういう態度こそ、幸せから遠ざかる原因なのだが…。
それ俺もずっと言ってる
そういう直接的な善意を形にすることを避けてるのは欺瞞に満ち満ちてると言わざるをえない
生活保護の受給額減額を人権侵害に結びつけて国をぶっ叩きたいだけ
結局のところ国が叩けそうなら、どんな借りてきた正義でも構わないってことだ
いつも通りはてな界隈をぶらぶら流し見していて、はあちゅうさんやその周辺における最近のあれこれについても色んな意見、投稿、コメントを見た。
最初はそれほど強い関心を抱かなかったがここ数日、「童貞いじり」に関しての話題が結構よく見かけるようになった。
自分にも無関係ではない話なので、一人の意見っつうか暇つぶしの自分語りをしようと思う。
僕は童貞だ。正確には素人童貞であり、それを自分から進んでネタにして周囲の笑いを取るタイプの人間だ。
どうしてそういうことをするようになったかと言えば、中学時代にスクールカーストの最下層にいたことが大きい。
いや、十数年前に「スクールカースト」なんて言葉はまだなかったが、当時から日陰のクソ野郎として辛酸を舐めていた僕と友人は
「学校にはピラミッドのような不可視の階級社会があって、僕達はその底辺だ」
という共通意識はもっていた。スクールカーストなんて言葉がなくても、地べたの人間はのしかかられる重さでその権力構造を感じていた。
ともあれ、犯罪クラスのイジメには至らずとも、教室の隅っこに追いやられる程度には他人からバカにされてきた僕だったが、そのままでは正直つらかった。
でも、ふとある時に、部活の上位カーストに属している一人から軽く小馬鹿にされた時、ふとそのイジりに乗っかってみたのだ。
すっげえウケた。
しかも、イジりの内容自体はそれほどダメージのない(僕にとっては)軽いものだったので、それ以降は自分からそのネタ、つうか若ハゲネタを自分から使いだした。
童貞若ハゲキモオタデブキャラ、というレッテルを自分から張ったことで、ある程度被害を僕の意識でコントロール出来るようになった。
「キモいけど面白いやつ」ということで、好意的に接してくる奴も増えた。それは単に僕を下に見下したことで成立している関係なのかもしれないけど、
正直イジメじみた扱いをされるくらいなら百倍マシだった。
そんなこんなで、学生時代はもっぱら「童貞(後に素人童貞)」、「若ハゲ」、「貧乏」などの自分を貶める自虐ネタで周囲とコミュニケーションをとるようになった。
つまり、僕は最近問題視され始めた「童貞いじり」を自分からする人間だ。
かといって、「俺みたいに童貞ネタで笑いを取ってるやつもいるんだ、これを駄目だなんて言うな!」とは決して言わない。
「童貞いじり」に苦しむ人が無くなる方が、僕の持ちネタが一つ消えることよりよほど優先すべきである、とはっきり思う。
なので今後、「童貞いじり」が社交的な場で白眼視されるような空気が社会全体で醸成されてきたら、僕は素直に引くと思う。
というか童貞いじりもそうだし、自虐ネタ下ネタは基本的に扱いに注意が要るのだ。不快になる人はいるのだから。
これまでも最低限の用法として、自虐やら下ネタやらが苦手な人相手にはそれらを封印して普通に会話してたしね。
基本的にこういう「誰かを貶して笑いにする」系は、する側される側の合意がなきゃ絶対だめだと思うし、合意があったところで他の第三者が不快感を得るならやっちゃダメだ。
笑いを取りに行ってるのにスベってどうする、と僕は思っていた。もしかしたらここらへんで「いや違うしそうじゃない」と思う人がいるかもしれない。
「人を貶めて取る笑いなんて笑いじゃない」という人もいるだろうし、それを否定するわけではないが、何が面白いかなど人一人で違うだろう。とも思う。
下品な笑いが嫌いな奴もいれば、それで爆笑するやつもいる。僕はどっちも好きだ。
自虐ネタとか、そういうのは良くないってやつらは僕のことも分け隔てなく人間扱いしてくれる人が多かったし、
僕のハゲネタや童貞ネタで腹抱えて笑ったり、一緒に乗っかってきてイジりに来てくれる奴らはだいたいすぐ友達だ。ほとんどは、程度をわきまえてホントのほんとに僕を蔑んだりはしないしね。たぶん。
けど、そういう「他人を貶す笑い」、「童貞いじり」を進んで受け入れる僕のような存在がいるせいで、勘違いした自称「いじりキャラ」が僕以外の誰かを不当に、合意なく傷つけたのなら、申し訳なく思う。
「お前も「童貞」へのセクハラに加担した加害者だ!」と言われれば、少なくとも傷ついた被害者の人に、傷つけた奴と一緒に頭を下げたいと思う。申し訳ない。
ただ、人との関わり方がまだよくわかっていなかった子供の頃の僕にとって、「童貞であること」、「前髪が薄いこと」を自分から言ってバカにされるのは、
唯一、苦しみから逃れられる苦肉の策だったのだ。それがなければ人の輪っかの中に入っていけなかったんだ。
とにもかくにも、「童貞であること」をバカにされて苦しんでいる人がこの件を通じて生きやすくなれば良いなと思う。
それと同時に思うのは、セクハラもそうだし「童貞いじり」などをやめよう、と声を上げるのは、大事だけど、もっと大事なことがある。
結局、言葉や態度の表層的な、コミュニケーションのパターンに制限を掛けるだけで終わっちゃだめだ。
なぜ男がセクハラをするかと言えば、「女の人への性的興奮」が本能に依る衝動だからだ。
いやほんと、男として情けない限りだけど、性欲って条件次第では人間を獣にしてしまう劇物だよ。
そもそも理性の薄い奴、対象に対して圧倒的に優位になってしまったことで魔が差した奴、これはもうコントロールが効かない。
「童貞いじり」にしたって、根っこの根っこは「他者より優位でいたい」という競争本能だと思う。
これらは、どんなに言葉や行動や態度や眼差しを刈り取ったところで、根本的な解決にならない。
誰かが誰かを傷つける、という構図に対して、明確な特効薬にはならない。
虱潰しに、人を傷つける表現や言葉と戦っていけばいいのかもしれないけど、僕にはその先にディストピアの風景しか見えない。
じゃあどないせえゆーねん、と自分でも思った。
戦うんじゃなくて、自分とその周囲を自衛すればいいのかな。とふと思った。
いやもちろん社会全体の総意として「NO!」と強く宣言しなきゃいけないことも絶対ある。
今回の岸氏の件は間違いなくそれだろうし、はあちゅうさんも普段のSNSの発言は、その点の分だけは反省した方がいい。
けど、だいたいのことは、自分で自分を何とか守る。守れるように先を見据えながら行動する。で十分だと思う。
それ以外は、もうほっといたら良いんじゃないかな。
少なくとも、ネット使って距離の離れた相手まで、皆してわざわざぶん殴ることもないでしょうに。
気晴らしに誰かを攻撃したいなら、何とか僕を見つけてくれ。
あと長文でごめん。
これまで基本的にネット界隈(はてな界隈含む)からは好意的な目で見られることの多かった千葉市長であったが、今回のミニストップの件を機に評価が一転、地の底まで堕ちようかとしている。
30代の若き千葉市長はこれまで様々な施策をツイッター上で議論の題材に乗せてきた。市民と直接議論を交わすことでその内容はちょくちょくTogetter等にまとめられ、ネット上でも話題になることが多い。
自分が懸念しているのは、今回の件をターニングポイントに、ネット上では千葉市長のやることなすことが全てが「否定」されること前提で議論が始まることになってしまわないか、ということだ。
やまもといちろうに対するはてなの評価を見ても、基本的にはそれまでほとんどのケースで肯定的に見られた隊長が、あるタイミングを境から何を書いてもはてなユーザーからは否定前提で見られるようになってしまった。ある議論をする際に、発言の内容よりも誰の発言かという点でブコメの方向性が決まってしまうという傾向は、はてなユーザーならよく分かっているだろう。
まあ、やまもといちろうの場合はそのほとんどが内容的にはヨタ話の類なのでどうでもいいんだが、千葉市長の場合は市民の生活に関わる「政策」の話なので問題だ。
これは個人的な感想だが、これまで千葉市長絡みで議論になった政策については、千葉市長の言っていることに理があると思える事がほとんどだった(中には「ん?」と思うことがちょくちょくあったことは否定しない)。千葉市長にまつわるホッテントリのブコメとか見るに、同じ感覚の人は多いのだろうと想像するが、ネットのムードが一気に千葉市長否定に切り替わり、それが至極まっとうな内容でも「千葉市長が提言することなら反対」のような、議論に変なバイアスが発生してしまうことを懸念している。
いや、これまでも朝鮮学校補助金問題あたりを機に、一部のはてサからは千葉市長に関するホッテントリには否定的なことしか書かれないという状況を見てきたのだ。右翼とか左翼とか全然関係ない話題でも基本的には否定しかしない姿は議論もヘッタクレもなくて、正直「なんだかなー」と思っていた。こういうのも一部のはてサくらいなら微笑ましい話で済むが、それがネット全体のムードとして広がると、理性的であるべき議論も千葉市長否定の感情論や無意味な揚げ足取り等が目立ちはじめて議論も有らぬ方向に進んでしまうことも有り得て、こうなるとそれはちょっと怖いなと思っている。
これまで千葉市長はネット上にはファンが多かったので、「千葉市長のやることなすこと全部好意的な目」で見てきた人が、フラットな目で見る切っ掛けになったのならそれはそれで良いことだと思う。ただ、ネットのムードは怖いもので、フラットどころか反動で一気にマイナス前提ばかりの空気感になることは議論の場として健全とは到底思えないので、先に懸念として表明しておく。
※この記事を書いたのは、そもそも自分が千葉市長を最初に知ったのはいつだっけと考えて、そういや↓のTogetterだったっけなと思い出し、もしかしたらこの有意義な提言も今のタイミングの発言だったら市長側が必要以上に否定されてしまうような流れになることも有り得るのではないか、と思ってしまったのが切っ掛けです
年間で500ブックマーク以上を5本以上、多いときは2000越えとかもしてる。
・時事ネタに乗っかる
時事ネタって言っても、総理が変な事言ってるとか、連続殺人事件があったとか
そういうんじゃなくて、はてな界隈で話題になってるネタに乗る。
例えば最近だと「40代のアラフォーが持てない理由をうんたらかんたら」
ってのがあったと思うけど、あれに引っかかるような文章を書く。
みんな直近で見た知識って数珠繋ぎ的に興味を持つから読んでもらいやすい。
視座を変えた正論とか、実際の体験談とかはブックマークがとっても伸びやすいよ。
・主語を大きくしない
「私は○○だと考える」的な文章はまったく伸びない。
世の中に対して、疑問に思ってる事をいくらぶつけても
自分ほど他の人はそのことに興味ないんだよね。
あと、考えてるだけで行動が伴ってないような文章も、
増田だと超たくさんあるので、埋没する。
例)日本の医療は医療費やばいんだから、ジェネリックを基本にするべき。
例2)俺、薬剤師なんだけど、生保の人ほどジェネリックを嫌がるんだよね。
これってどうなの?
ちなみに、例はかなり尖ったテーマだから炎上するかもしれないからオススメしないけど。
全部本当じゃなくて、もしあの時ああいう展開だったら
リアル体験がベースになってるから、読み手も感情移入しやすい。
これはかなり良かったんだけど、スマホのメモ帳に増田のネタ帳を作ってる。
他の人が言及してない自分だけの視座の事案を思いつくことあるじゃない。
それを忘れないように軽くメモしておく。
すぐにそれを増田にするわけじゃないんだけど、
2回目3回目と、それを思い出すことがあったら、
最後はお願いに近いのだけど、
読んだ人がほっこり幸せな気分になる増田を書いてほしいんだよね。
世の中の「不機嫌」が増幅するじゃない。
書いて欲しいなあと思ってる。
実際、なにこれ。つまんない。むかつく。よりも、
3)推敲のときに見つけた誤字が笑えるものだったら放置して「フック」にするのもあり。ただし、最初から狙うと面白いの作れないので偶然の産物を大事にする。
5)セルクマはしてもいいけど、1ブックマーク目にするのは意味がない。誰もブックマークしないような増田にセルクマしてもヒットしないからね。
すごい楽しみにしてます。頑張れ!!
<追記>
でも、まあ実際にブクマがついた方が説得力あったかなーという意味では
良かったような。。。まあ、真似してみてください。
以下、ご質問に返信。
>ブログでやれよ
これ、毎回言われるんだけど、ブログだと無理なのよ。
自分の知り合いが一人でも見てしまったら「けっ」ってなったりする。
匿名の遊びとして楽しむのでちょうど良いのよ。
>何属性?
大事にしてるかな。
>どんな増田書いてるの?
直近のは興ざめになっちゃうので、昨年のだと
カレー書いたよ。
これ、正しいと思う。でもやっぱり内容が面白くないと
どっちかっていうと、みんなが興味を持つ時流を見極めることのほうが大事かなと思ってる。
これも繰り返しになるけど昔書いた時点では、
最近は、「今なら求められるな」みたいなのを意識するようにしてる。
そんじゃみなさん、
Have a nice anonymous diary!