はてなキーワード: 補正とは
複数車種があるようなレースゲームはみんなそうだが、『頭文字D』はいわゆる地元補正というものが存在していた関係で最速車種の決め打ちに拍車がかかっていた
(秋名であればAE86トレノ、妙義であればR32GT-RやEG6シビックなど)
全車種登録が出来るようになったのはZeroの頃であり、それまではカード1枚につき3台まで、初期に至っては1枚につき1台のみという厳しい状況だった
このためタイムアタックで好成績を出すためにサブカを作るしかないという事情もあったのは確かである
後にカードごとに名前を変えたロールプレイをするなどもあったが、現在はサブカがなくてもそうしたプレイスタイルが1枚で出来るようになったのでほとんど不要と言える
説明するまでもないと思うが、とりあえず将棋というターン制ストラテジーの基本的ルールを述べることにする。
HP | 1 |
攻撃力 | 1 |
防御力 | 0 |
攻撃回数 | 1 |
命中率 | |
回避率 | 0% |
上記の性能によるダメージ計算により、必然的に敵ユニットと重なるだけで敵ユニットのHPを0にできる
将棋は各ユニットの性能が移動能力以外に違いが無いので、戦闘面に面白さは無い。よって、上記パラメーターを上方修正して戦闘を面白くするべきだろう。高い移動能力を誇る飛車や角だったり主人公やボスを担う王(玉)が雑兵たる歩兵にワンターンキルされるのは面白くないから、HPや防御力を高くして5回程度は攻撃に耐えられるようにしたいものだ。
補足:雑兵にワンターンキルされるのが面白くないという考えは、本来の将棋においても「打ち歩詰め」を反則としていることに垣間見られる。
それに攻撃方法が敵に重なることというのも普遍的な戦略ストラテジーと違ってわかりにくいし、1マス1ユニットの原則にも反してよくない。ユニット同士が同一マスに重なるのは無しにして、攻撃は基本的に隣接マスに対して行うというのが良いだろう。桂馬は移動の特殊性に合わせて、数マス離れた敵に攻撃する間接攻撃ユニットとするのはどうだろうか。
ダイスによるダメージ判定を導入して面白くすることも考えられるが、ランダム性を導入すると運ゲーになってしまい将棋そのものがもつ戦略性が損なわれるのでこれはよくない。命中率や回避率の概念は無くしたままにして、攻撃は必中とするのがいいだろう。
また、戦略性を高めるために、異なるユニットと戦闘する際の相性を導入するのも面白そうだ。ジャンケンのグーチョキパーのように三すくみの関係が分かりやすくて戦略性が深くなりそうなので、以下にその案をまとめてみた。
グー | 香車 |
チョキ | 桂馬 |
パー | 金・銀 |
王(玉)・飛車・角・歩のユニットは、上記の三すくみに当てはめず有利不利の関係は無い方がいいだろう。
三すくみの関係で有利となるユニットは、戦闘において攻撃力と防御力が上昇する(あるいはダメージ倍率に補正をかける)ことで恩恵を受けるようにしたい。
将棋の変えたいルールといえば、やはり1ターン1ユニット操作制だろう。1ターンに1ユニットだけが動いて、それ以外のユニットは何もせずに全て棒立ちというのはあまりにも不自然で理不尽だろう。一般的なターン制ストラテジーの様に全てのユニットを操作したいものだが、将棋でそれをやると1ターンの価値があまりにも高くなりすぎてゲームバランスを損ねることになるだろう。
ユニット数を減らすか、1ターンに操作できるユニット数を制限(例えば5ユニットまで)すべきだろう。具体的にどうするかは、実際にやってみて試行錯誤する以外にはないので、ここで断言できないのが残念だ。
ここまで考えてみて今さら感じたことだが、そもそも将棋である必要は無いのではないか。サッカーを競技としてさらに面白くなるようにボールを持って移動できるようにしようと考えてみたとて、それならばラグビーやアメフトでいいのではないか、という結論に帰結するのと同様にである。
将棋ではなく別のターン制ストラテジーをやるべきなのだろう。『Into the Breach』みたいな。ただ『Into the Breach』は100時間くらいやりこんで全実績解除までしてしまったのだから、これ以上やることはもう無い。他に似たようなゲームがあればよいのだが、何かないだろうか。
アニメ化されたときには第一話から工藤新一の決め台詞として使われ始めたのだが
実は10巻の発売(1996/5/15)はアニメ(1996/1/8)よりも後なので
10巻を読んだときに「アニメから台詞を逆輸入したな!」と思った記憶がある
ただ、該当の話がサンデーに掲載されたのは、恐らく1996年の3〜4号で
これは恐らく1995年の12月頃には掲載されていたと思われるが
私は単行本派だったのでその辺の事情に詳しくなく知っている人がいれば補正してほしい
ただ時期間を考えるとアニメ制作時期に青山剛昌氏と打ち合わせをして台詞を決め、本誌にも掲載したのではないか、と思われる
ところが、ちょうどあの時期に「正義は勝つ」という織田裕二主演のドラマがフジテレビで放映されていた(1995/10/18〜1995/12/20)
このドラマの織田裕二演じる高岡淳平の決め台詞が「真実はいつも一つ」だった(微妙に違ったかも?)
法廷バトルもののドラマで一部では人気だったが、当時のフジのドラマとしてはイマイチの扱いでそれほど有名になっていない
時系列を見ても分かるとおり、ちょうどこのドラマが終わった後にコナンのアニメが始まり
しかも第一話から「真実はいつも一つ」と原作にはない台詞を喋っていたのだ
当時のコナンのアニメはそれほど継続する気が無かっただろうと想像できて
原作を平気で改変するだけでなく誰が見ても重要な伏線となっている宮野明美(灰原の姉)の事件では死亡せずに生き残るという致命的やらかしを行っている
雁琳はさえぼうに性的興奮を抱いてるよね
「ああいう地味顔は人文チンポ騎士に受けて姫扱いされるんだろうな」って言ってたけど
好みじゃない相手だったら、「女補正で下駄履かされてる」とかそういう叩き方になる
雁琳はさえぼうのちょうどいい地味さにブヒってるしオカズにしたことも数え切れないほどある
数年に渡る執拗な叩きの中で、文字を打ちながら射精したことさえあると断言できる
お姫様を愛でたい男ばかりではなく、叩いて踏みにじることに興奮してしまう者もいる
「叩いたら反響ありそうな人」としてなるくんに推薦されるまでろくに仁藤のことを知らなかったぐらいだし
会計ネタも前から仁藤を叩いていたエコーニュースのを剽窃しただけだ
エコーニュースは仁藤が文化祭でフランクフルト食べてる画像を探し出してフェラ連呼したり
仁藤の水着姿を発掘して何度も貼ったり仁藤を性的に貶めることへの喜びがあり数回はつい射精していそうではある
エコーニュースは仁藤追求中に突然妻に捨てられ子供を連れ去られて共同親権界隈入りをしたが、
夫が調査と称して自分より若い女を追いかけてるのは妻にとって腹立たしいことこの上ないだろう
高慢そうな女を叩き潰してぐちゃぐちゃにしてやりたい、そんな欲望が雁琳とエコーニュースには存在するが暇空には意外とない
暇空がそれを向けている相手は堀口くんだ
堀口くんの体が触れたらやわらかそうであると夢想し、シャワーを浴びながら堀口くんの体を思い、
堀口くんに半ズボンを履いて生脚を見せるよう要求し、もし自分が堀口くんの彼女になったらどのように振る舞うか語り、
堀口くんが恋人をどう抱くか、もし風俗に行ったらどんなプレイをするか、絶え間なく堀口くんへの性妄想をしている
そして暇空は、自分から相手を抱きにいくのではなく、向こうから求められてやれやれ仕方ないなあと応じることを夢見るタイプ
暇空は色んな女性とぶつかっているが、相手に対するいやらしい目線は感じさせない
堀口くんにはねとねとした情欲を見せる
それであってるよ。
いくつかの電池劣化モデルがあって、それを更に電池それぞれに合わせた補正を掛けるんだけど、
Li-ion系では(モデルが)単純なLFPでも複雑なNMCでも概ね変わらない点があって、
50%以上での急速(4C)は明らかにCycleごとの容量低下が加速する。
そして数十Cycleを超えたあたりから温度依存性が急速に立ち上がる。
なので大体のセルで寿命に影響が少ない急速充電は、50%まで温度を制御しながらいれて、80%まで温度にあわせて低速にしていくって感じになる。それ以降は温度が高いなら止めるほうがいい。
とにかくLiBの化学反応(電気化学反応含む)は副反応経路がたくさんありすぎて未だに網羅できていないので、モデル精度も自ずと限界があるんだよ。
どこかで突然現れる稀な事象(いくつかの履歴があるセルだけに突然ある温度帯で負極にウィスカーが形成されるみたいなのが、別々のパターンでたくさん起きていることだけは分かっている)だらけで、予測される複雑さに対してデータが圧倒的に少ない。これぐらいのスケールの化学的反応の個別追跡の難しさなんだけどね。
ここら辺は化学的な制約なので技術で何とかとか言われても困るんだよな。その技術って魔法のこと?って感じ。
あと100%にするしないは、そもそも100%はEoC(充電終了電圧)の設定で決まるんで、これを引き上げると公称容量が増えて充電回数が減って(セル不良での)安全性が下がる。逆にするとセル寿命は延びるし安全性は多少向上する。でもこれモバイルバッテリーなんかでやると重くて公称容量すくないってなるから、下げて寿命延ばしてた製品はみんな無くなっちゃった。
流石にアカン。
何がやりたいのか行方不明過ぎる。
この程度の誤字脱字に気づかれない程度には読み込まれてない。
もしくは凄いギリギリの外道入稿かましてる可能性もあるけど、書き込みされまくってるのを考えるとセリフの確認する余裕は十分にある。
それがちゃんとなされてないってことは職場全体のモチベがかなり落ちてる。
一見するとバトル漫画っていう路線があるように見えて、バトルをロクに描写しないでフラフラしまくってるのがかなりよくない。
全体的に作りが雑なんだよね。
たとえばバトルはほぼテラフォーマーズやってるはずなんだけど、バトルIQが低すぎる。
「イヌは嗅覚が凄いので、相手の動きが分かる!凄い!」じゃねえよ。
もうちょいなんとかならんのか?
たとえばキリングバイツなんかは「イヌは嗅覚でコミュニケーションを取る……だが狼はそれを逆手に取って嘘の匂いを出す!」みたいな形で工夫するぞ。
①突然謎の現象が発生する
↓
②読者が「え?何が起きたの!?」と混乱する
↓
③そこでテラフォーマーズ構文
↓
④さっきまでの現象の続きや二撃目が行われる
↓
⑤解説補正で能力が強化されるが……それでも勝てるかどうかは分からない……
これがテラフォの基本骨子。
「能力に解説が入る」=「活躍する」までが決まった路線だけど、じゃあそれで勝てるのか生き残るかは分からないのが面白いわけ。
↓
↓
↓
うーんこの薄さよ。
つうかね、ジャンケン要素が全く無いのはやっぱダメだと思うんだよね。
最強の矛VS最強の盾 炎VS氷 みたいな対立要素がないと盛り上がらないわけよ能力物は。
その中で「これはグーvsパーみたいなものだから勝ちました」とか「圧倒的なチョキがグーを破壊しました」とかのハッタリを効かせないと。
この漫画ってバトル描写がすごい雑っていうかさ、なんか凄い技ドーンはい終わりーで全部済ませててそれじゃ盛り上がらんよなあと。
たとえば北斗の拳みたいにバトル以外の部分が世紀末過ぎてクッソ面白いとかだったらただ仕上げをするだけのバトルがあってもいいと思うんよ。
でもこの漫画って今のところ特に面白いと言える部分がないじゃん?
謎が謎を呼ぶぜ~~~で作者だけが盛り上がっている所を画力とバトルっていう餌で読者をなんとか引き止めてる状態じゃん?
まあぶっちゃけね、バトル以外の要素で魅せられた方が他と差別化出来ていいと思う。
だからさ、早くやってくれない?
ぶっちゃけて言うとさ、全然面白くないバトルをバトル漫画の天下一武道会たる少年ジャンプでやられても見てて惨めになるだけなんだよね。
ラブコメやヒューマンドラマでやってる漫画だって載ってることから分かるように、ちゃんと面白ければ何やってもいいわけよ。
とりあえずバトルやっておけばいいんでしょみたいな態度でジャンプに載せてたらすぐに打ち切られるよ?
https://ameblo.jp/nightwish-daisuki/entry-12468902193.html
上記の記事にあるようにCDはC2エラーがあると補正をかけるので原音からは劣化してしまう
そのためCDプレイヤーでのデータ読み取りは非常に重要で1bitの誤りもなく読み取りたい
そうしたニーズに応えるために高級CDプレイヤーはあの手この手で高価格化したのだが
読み取り部分と処理部分を分離したセパレートタイプというのが存在する
CDを読み取る部分(トランスポート)で忠実に1bitの誤りもなく読み取り
その情報を高級ケーブルで処理側(プロセッサー)に送ってデジタル処理を施すのである
ちなみにこのトランスポートだけで10万円は平気でするしなんなら100万越えのものもゴロゴロしてる
さて、ではその辺の安物CDプレイヤーでは読み取り時にC2エラーが発生するだろうか?
そもそもC2エラーが発生するのは主にCD側の傷の問題であって読み取り側は関係無い
CDの裏面をガリガリに傷だらけにするとC2エラーが多発するが、多発しすぎてまず再生できない
またそのようなCDはどれだけ高級なトランスポートでも読み取れない
実際に適当なCDドライブを使ってCD-DAからリッピングした場合
何回リッピングしても1bitの誤りもなく同じデータが出力される
実際にはリッパー側が最初の部分をキッチリ特定するので1bitもズレない
この辺は個人的に興味があったのでスクリプトで100回ほどCDをリッピングしてビットマッチしてみたことがあるが
1bitの誤りもなく全く同じデジタルデータが出力された(まぁたまたまだったかもしれないが)
ちなみにC1エラーは多発するし、これはプレイヤーによって差があることは分かっている
とはいえC1エラーは誤り訂正でキッチリ戻せるので多発しても問題無い
ところがPureAudio界隈では
お金は大好きだ。でも本当に好きなのかと聞かれると疑問がある。
誰かと生きるなら必要不可欠だ。より良い暮らしを目指すこと自体には精神安定効果がある。より良い暮らしを、より良い老後を、より良い人生を。考えもする、言葉にもする。
それに向かっている方が正しいと言われて育った。疑念を抱くことは異端者の発端だった。
孤独から一度でも離れてしまうと、また孤独に戻るのには多大な労力が必要だ。
心の全てを許せる人間を得てしまったが最後、前の自分には戻れない。
孤独と真摯に向き合い、身勝手でも一貫した理想を持ち、自分だけが生きる意味だったあの純真は失われてしまう。ただ若さと言い換えるには異論がある、あの感情のことだ。
あの感情のまま生きている人間は世に溢れている。まだ喪失を経験していないのか。
思ってもいないことを脳が書き出す。
話そうとするそのはじめには、まさしく自分の考えだ。
これまで得た理屈や合理、社会性が発言を正しい方に勝手に修正していく。
話している当の本人は一番矛盾を感じている。それでも脳味噌は付け加えていく。
気づいたらただの一般論になっている。思考は無修正では表出できない。
表に出せる思考はきっと脳の本質ではなくて、脳波は未だ文字にならない。
神話も伝承も都市伝説も、神秘は頭蓋骨を超えられない。本質の対義語にはなれない。
思考は総じて歪んで出てきたがる。不完全な記憶でも脳を出たがる。
よって語彙だけ頭に入れても何の意味もない。知識にもさしたる価値はない。
アラフォーだが?
それ真に受けてるやついるのか
ゲーム自体がやればやるほどクソで有害な心理的負荷を与えてくるから、何度も繰り返し聞く比較的無害な音楽の方に好意を寄せてしまうだけ
単純接触効果とストックホルム症候群の合せ技みたいなもんだ
音楽自体はただメロディラインがキャッチーで耳に残りやすいものだから「良い」と思えてしまうだけで
そうやってクソゲー補正で選抜された「良」曲に、例えば何周年記念だかとしてオーケストラ編成にして大々的に演じ上げ語り継いでいくほどの価値のある名楽譜は存在しない
作曲や録音ってのは結局、才能や名声ある作曲家と演奏家に金かけて作らせたもんの方がクオリティ高くなることはどうしようもない事実
同人やギャルゲーみたいな泣きゲーの決定的シーンで使われた曲は素人DTMでもそれなりに印象的に聞こえるみたいな心理的補正もあるし
そういうものと楽曲それ自体の音楽的クオリティというのは切り分けて考えなきゃいけない
良しあしを語るならそれに準じなきゃいけない
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告
5/15
「科学哲学第二」のレポートは、5/31 までに1号館1階の浅川の レターボックスに提出すること。
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告
6/3
期限を過ぎて提出されたレポートは、いかなる理由があろうとも 受けつけません。
締切を過ぎてもまだ私のレターボックスに「科 学哲学第二」のレポートを入れる者が居ますが、5/31 の午後 5:00 以降に投函されたレポートは全て破棄しました。
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告
6/4
「5/31 まで」と書いたら「5/31 の午後 5:00 まで」の意味です。
こんなことは社会常識です。
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告
6/5
他の教官が午後 12:00 まで受けつけていても、関係ありません。
反例を幾つ挙げようと、定量的に述べなければ意味がありません。
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告
6/8
なぜその熱意を使い、もっと早くにレポートを作成しないのか理 解に苦しみますが、とりあえず午後 12:00 まで受けつける教官が 過半数であることは理解しました。
よって、6/15 の午後 12:00 まで「科学哲学第二」のレポート提出期限を延長します。
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告
6/10
「6/15 午後 12:00 まで」ではなく「6/16 に浅川がレターボック スを開けるまで」ではないか、との意見がありましたが、これら は全く違います。必ず 6/15 中に提出するように。
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告
6/12
私のレターボックスに猫の死骸を入れたのは誰ですか。
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告
6/13
「私がレターボックスを開けた瞬間に波動関数が収束し、内部状 態が定まるので、レターボックスを開けるまではレポートが提出 されたかどうか分からない」と主張したいことは分かりました。
今回は、提出場所を1号館302の浅川研究室前のレポート提出 用ボックスにします。
この箱は、6/15 午後 12:00 にシュレッダー へと自動的に切り換わるので、シュレーディンガーの猫の問題は発生しません。
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告
6/16
いいかげんにしなさい。午後 12:00 は「グリニッジ標準時」では なく「日本標準時」です。
普段は日本時間で生活しているくせに、レポート提出時だけグリ ニッジ時間を求めるなど言語道断です。
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告
6/18
信じ難いことですが、「科学哲学第二」を受講する学生の過半数 がグリニッジ標準時で生活していることが分かりました。
夜型にも程があるとは思いますが、とりあえずレポートの提出は6/30 の午後 12:00 GMT まで待ちます。
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告
6/22
時間の連続性についての疑義は受けつけません。どうやらベルグソン の時間論を曲解している者がいるようですが、主観的時間がどうあれ、 7/1 の後に 6/30 が来ることはありません。
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「それで、確かに君は 6/30 中にレポートを提出したというんだね?」
「ええ、ギリギリでした」
「だが、君のレポートは私の手元には無い。君は時間を間違えたのではないかな?」
「いいえ、日に 0.1 秒も狂わない、正確な電波時計を使っていますから。
先生のレポートボックスこそ、時刻を間違えたんじゃないですか?」
「冗談だろう。GPS 補正で ±5 ミリ秒の精度で合わせてある」
「それで、24:00 GMT ちょうどにシュレッダーに切り換わるわけですね?」
「そうだ」
「うーーん。あ、そうだ。多分うるう秒の差ですね」
「うるう秒?」
これは太陽の公転周期から計算する平均太陽時と違い、原子時計によって
計られることになっています。この協定世界時と実際の天文時刻との
差を縮めるため、12/31 や 6/30 などの午後 24:00:00 に、閏年の2月29日
と同様の 1 秒を挿入することがあるんです。いやあ、このうるう秒の
間に僕はレポートを提出して、先生のシュレッダーが動作したんですね。