はてなキーワード: 裁縫とは
手先が不器用すぎてなのかわからないけど中学校~高校の家庭科の裁縫の授業ではものすごく苦労した
学校のミシンが壊れまくり、何台もミシンを使いまわしてなんとか裁縫をしていたの覚えている
元々左利きなのを右利きに親に矯正されて、箸とペンは右手を使うけど包丁は左手で使う
もともと左利きだったのを右利きに矯正されたのも不器用の原因なのか?
子供が幼稚園に入り、園グッズに名前が書いた布をぬいつける(手縫い)のも人の5倍くらい時間がかかる
子供のスモックや帽子に印になるフェルトリボンを縫い付けるように園から指示があり、ちっちゃいリボンなんだけどそれを縫い付けるのにむちゃくちゃ時間がかかり、
スモックに目印のためにワッペンをつけるように園から指示があって、私が買ったワッペンはアイロンシールだったのでアイロンでくっつけたあと、洗濯してみたら剥がれそうだったので手縫いでワッペンをスモックに縫い付けることにした。ワッペンが材質が固くてなかなか針が通らなかったことと、縫い付け中にあらゆる失敗(縫い目が糸が絡んでぐちゃぐちゃになったり、間違ってポケットを縫い付けてしまったり)が起きてものすごく時間がかかって
翌朝、出勤のために旦那が起きて、私の異常性に驚く。私も自分で自分が異常だと思う。こんな小さなワッペンを縫い付けるのにどんだけ時間かけてるんだと
ワッペンを縫い付けるの、人によっては4ヶ所、6ヶ所くらい縫い付けて終わりにする人もいると思うけど私はワッペンが剥がれそうになったときに隙間ができるのが嫌で全面的に縫い付けたので時間がかかった。かかりすぎた
「母さんがよなべをして手袋あんでくれた」という歌詞が頭に浮かび、あのお母さんも徹夜するくらい不器用だったんかなと思ったけど、手袋を編むのは普通の健常者でも徹夜レベルなんだと思う
ワッペンをスモックに縫い付けたり、園グッズに名前が書いた布を縫い付けるんじゃなくて
裁ほう上手というボンドが人気でアイロンを使えばしっかりくっつくらしい。裁ほう上手で子供の体操着のゼッケンをくっつけて一年間はがれませんでしたよというレビューも、洗濯したら剥がれましたよというレビューも読んだ
私は自分が布用ボンドとかアイロンシールを使って、もし剥がれたらと思うとストレスが尋常じゃないので絶対に縫いつける派
夫からは強力な接着剤(アロンアルファとか)を使えば洗濯しても剥がれないと言われたが布に強力な接着剤を使ったら浸みて余計なトラブルがおきそうで私はいやだと思った
それにしても私は不器用すぎる
玉止め、玉結びはできるようになったけど、玉結びはなぜか今も失敗しまくり、1度でしっかり決まらずなんどか玉結びやったら成功する感じ
普通の人ならもっと早く終わるんだろうな。とか友達はたま結びもたま止めも普通にできていたのになんで私はできるっちゃできるけどできないときがあるんだろうな
なんでこんなちいさいものを縫い付けるのに時間がかかってるのかなとか考えて、え、発達障害……?と思った
まあ、今回のことが練習となって次にスモッグにワッペン縫い付ける時はもっと早くできると思う。今回は長袖スモックにワッペンを縫い付けたので今度は半袖スモックにワッペンを縫いつける予定だ
目が覚めると、俺は見知らぬ場所に立っていた。
「ここは一体……」
周囲を見渡すとそこは森の中であることが分かった。
どうなっているんだ? なんでこんな所に? わけがわからず混乱していると、またもやあの謎の声が響き渡る。
「てめえ……ふざけんなよ!」
『まあまあ落ち着いて。僕は君にチャンスをあげたじゃないか。今度はちゃんとやってくれるかな?』
「チャンスだと?」
『そう。君が次に口説く女の子はとても強くてとても賢くて、おまけに美人なんだ。君が口説き落とせば、きっと彼女は君のハーレムに入ってくれるだろうね』
「マジかよ!」
『うん。大真面目だよ。でも油断しちゃ駄目だ。なんせ相手は女神の加護を受けていて、しかも処女で生娘で、とっても一途で純真で清楚で可憐で可愛らしくて優しくて素直で健気で、それに料理も上手で掃除洗濯裁縫も得意で、ついでにおっぱいも大きいんだ。その上、彼女の親友の聖女アリアは君を敵視していて、そのせいで色々と面倒なことにもなっているんだ』
「おいおい、そりゃいくらなんでも盛り過ぎだろ?」
『いや、全部本当の話だよ。まあいいや。とにかく頑張ってくれよ。期待しているからね』
「はあ……分かったよ」
というわけで再び自称・神とのやり取りを終えた後、俺は早速行動を開始した。
「はい。何でしょうか?」
「よかったら俺の女にならないか?」
「はい。いいですよ」
「よし!それじゃあさっそくベッドへ行こうぜ!」
「きゃあっ!」
こうして俺は、あっさりと美少女エルフを手に入れることに成功したのであった。
「うおおぉっ! すげぇ! これが本物のエルフなのか! マジで可愛い! マジで最高! これはもうあれだな! 一生大事にするしかないな! うんうん!」
「あ、あの……」
「ああ、悪い悪い。つい興奮しちゃってさ」
「いえ、別にいいんですけど……」
「それで、君の名前はなんていうんだ?」
「私の名はシルフィです」
「そうか。いい名前だな」
「それで、君は俺のどこが好きなんだ?」
「えっと、その……下等生物にしては顔がそこそこ整っているところとか、馬鹿で単純で扱いやすそうなところが好きですね」
「……え?」
「あとは、私よりも弱いくせに偉そうだったり、無駄に自信満々なところとか、転生神にいいように利用されているところとか、そういうのが凄く好感を持てますね」
「…………」
「ちなみに私は処女ではありませんのでご了承くださいね。金と暴力とセックスが全てのクソみたいなスラム街で生まれ育ったので、既に男を知っています。もちろん全て合意の上でのことなので、犯罪行為には該当しません」
「……」
服飾系の大学や専門学校にかよって、服やカバンや色々作れる人間になりたかったなー
もし、過去の自分に戻れるなら服飾の仕事につけるよう目指してがんばりたいけど
どうか自分の子供たちは早くから自分のやりたい仕事を見つけて、やりたい仕事ができる人生を歩んでほしい
わたしは大人になってから、あれになりたいこれになりたいという職業を見つけたが
夢を持つのが遅すぎて
ゆうこりんのように今から勉強して大学に入るということはできない。そんなお金も時間もないので
結婚をするのも、子育てするのも私が子供のときからの夢だったのである意味自分がやりたいことができているっちゃできているのだが
別に大学や専門学校に行かなくてもすごい服を作っている人はいる
子供の幼稚園のグッズ、レッスンバッグとか上履き袋などに名前をつけるために手縫いで名前を書いた布を縫い付けてたら
腰がむちゃくちゃ痛くなった
もともと裁縫は苦手で、ミシンでするより手縫いのほうがいいよね。ミシン苦手だし……と手縫いでやったけど不器用すぎて半日がかり
たま止めたま結びで躓くレベルだったので
毎回、縫い物する度たま止めたま結びの記憶がリセットされてできなくなる
でもYouTubeのおかげでたま止めたま結びはできるようになりました
腰がとてもいたくなって今寝込んでる
アイロンシートや裁縫上手の糊でくっつける方法もあるけど洗濯してはがれたらイライラするのは目に見えているのでぜったい縫い付け派なんだよな
サイホー サイホー 裁縫が好き
実家に帰ったのはいいけどやる事が無い。暇なので年内に革服を買った時に調べたりしたことをメモっておくことにした。合っているかもしれないし、違っているかもしれない。
・革服の種類
大枠の傾向としてバイカー用と街着で分かれる。厳密に定義があるわけではないけど、いわゆる革ジャンとレザージャケットの違いみたいな感じ。
「良い革」を指す時に前者は頑丈さなんかを重視するのに対し、後者は滑らかで軽いものを重視するようだ。漢臭さとお洒落さの価値観の違いと言うべきか。
・革の種類1
牛革、羊革をよく見かける。頑丈さは牛、軽さは羊が1番。同じ牛羊でも年齢に応じて革の呼び方が変わる。革服で見かけるのは牛ならカウレザー、羊ならシープレザーかラムレザー。とはいえ牛革や羊革というように明記されていない場合もあるし、シープとラムがごっちゃになっていたりする時もあったりする。厳密に管理されていないのかもしれない。他には水牛、馬、山羊、鹿なんかもある。
街着用ならそんな丈夫さはいらないので羊革が多い。厚手で頑丈な革なら耐久性はあるけど、その分だけ重いのが負担になる。コートみたいに使う革の多い服だと顕著に変わってくるので注意した方がいいかもしれない。
・革の種類2
人工皮革の物もよく見かける。フェイクレザーとか呼ばれているやつ。これは耐久性に劣るのでもっぱら街着用。パッと見では判別出来ないぐらいよく出来ていたりする。ただし天然皮革と比べて寿命は短くて2〜3年くらいでベリベリと剥がれてくる。
他には古着の天然皮革レザーを解体して再利用したリプロダクトレザーなんてのもある。
この辺の皮革は動物愛護とかSDGSみたいな文脈でも言及されるようだ。あと比較的安い。
・生産地
安いものはパキスタン製が増えているようだ。安いとはいえ裁縫はしっかりしている。
人工皮革は韓国が多いらしい。
どうも革によってメンテナンスの頻度とかやり方が違ってくるようだ。街着用の高価な革服の中には最初から撥水加工されているものもあって、こちらはあまりクリームやオイルによるメンテナンスが必要ないらしい。クリーナーとかで汚れを落としてやる程度で良い。
あまり加工されていない皮革はミンクオイルとかで定期的に油分を足してやる必要がある。油が切れるとパサついて紙みたいになってしまう。
とりあえずこんな感じ。風呂入ってくる。
2022年の防衛費増額のための増税を皮切りに、日本の軍事力は目覚ましい発展を遂げた。日本政府は米国、韓国の武器を大量に買い込み軍拡を急いだ。防衛費の余剰金は増税に向けて奮闘した自民党に所属する政治家たちに渡っていった。この歴史的快挙を前にこれを咎める人はいなかった。
よくやった岸田。五輪招致決定以来の喜びに頬は熱を帯び赤く染まっていた。
森林環境をはじめとした万物に税がかけられ、日本の税収は世界一位に飛躍した。世界一位という得難い称号に国民は心躍った。念願の敵基地攻撃能力を手に入れるまでそう時間はかからなかった。
賑わう国内に冷や水をかけるかのように周辺国が日本海へ威嚇攻撃を開始した。急な軍拡を危険視しての行動だった。だが、もう遺憾という言葉を述べる必要も並べ立てる必要もない。しかし、義憤を胸に行使した敵基地攻撃能力の結果は思わぬ物だった。核による報復を受けることになってしまったのだ。
国民は岸田総理に対して核を保有すべきだったと声を荒げた。核保有国に対し容易に反撃をすべきではないとの意見も飛び交った。
岸田総理は言うまでもなく国内外からの批判を一身に受けることとなった。五感を研ぎ澄ました結果、国民の声という雑音に意識を逸らされてしまったと説明し総理大臣を辞任した。
追い討ちと言わんばかりに敗戦による賠償が重くのしかかった。増税や宗教法人への献金によって疲弊した経済や先送りにされた少子高齢化はすでに歯止めが効く状態ではなかった。
薄汚れた冷蔵庫には壺につけられたキムチしか残っていない。経済が破綻し貧しい日本にあるのは韓国から支援として送られてきたこの食べ物だけだ。
今日もこれを食べるのか。唐辛子で胃腸が刺激されていつもに増して感情的になる。
空腹に韓国製のキムチは堪えるなあ。悲しい独り言が物一つない独居房のような部屋に響く。全く日本人の食の好みに合っていない。
ペットの猫にも仕方なく食わせていたが、これを嫌がりしまいには餓死してしまった。つい半年前のことだった。それでもよく持った方だったのかもしれない。盛り蕎麦とかけ蕎麦が支給されていた頃はまだよかった。
愛猫につけられた引っ掻き傷を眺めて時間をやり過ごす。なんでこんなことになってしまったんだろう・・・。
課税されていない唯一の食べ物だから日本国民は胃腸に負担を強いてでもこれを食べなければならん。私は最初に日本が軍国主義の道を突き進んでいた頃の映像を思い浮かべながらそう呟いて強がった。
食品から、道路の利用、公園のベンチの使用まで特別税がかけらている。もうどれにいくら掛けられているかなんて気にしている人はいない。
こんな孤独な私にも妻子がいたが、数十年前に木製のボートで脱日してしまった。脱北者みたいなことをするなと叱ったが、こんな国にいても生活は良くならないと言って憚らなかった。
私が子供に教えてやれたのはDENTAL PAIN、HELP MEという英語だけ。他に役に立つことは教えてあげられなかった。
元気にSHEINの服を裁縫しているだろうか。本当は一緒にいたかったが、今となっては日本より気候が穏やかな国で裁縫をしてくれていることを祈るばかりだ。
いつもと変わらない日々。無くなってしまった過去を枕がわりに想い抱きながら床に就く。妻は妻、私は私、現状維持、今より悪くならなければいいじゃないか。自民党を支持していたあの時のように。この平和な日本でデモをしたり亡命するのは野蛮で無意味な行為だ。
そう言い聞かせる自分を否定するかのように右翼街宣車のエンジン音が静寂を引き裂いた。軍艦行進曲の重低音が荒れた胃腸に響き渡る。晋三が帰ってくるぞ。自称保守派の狂喜に湧く叫び声が薄い壁を突き刺し私の耳に届いた。
安倍晋三、懐かしい響きだ。私は追い立てられるように子供の形見の薄汚れたキャラクター物のサンダルを履いて外へ出た。遠方に光の柱が根を下ろしているのが見える。まるで三本の矢のようだった。
あの光は・・・。
老人しかいなくなってしまい荒んだ日本に、蘇った文鮮明・池田大作・安倍晋三の三大売国神が降り立つ。
私は神々しさに思わず糞尿を垂らしてしまった。キムチの唐辛子で胃腸が過敏になっていたからだろうか。汚物とカプサイシンのツンとした臭いが辺りに立ち込める。
安倍晋三氏は国神になられたんだ。誰かが嗄れたか細い声でそう呟いた。
19歳から地元を離れて県外の大学に通っている。大学院に進学したため、一人暮らしは6年目を迎えた。
6年目にして、初めてホームシックになった。
小学生から不登校を繰り返して、高校も中退し、親との関係が安定してきたのはだいたい7〜8年前。
小学生の時からかなり自律神経がしっちゃかめっちゃかで、最近はプレッシャーを感じると何もできなくなってしまう。
11月にあった学外発表で無事に力尽きてしまい(発表前は60時間起きてた)、毎日18時間寝る生活になった。その後、修論に全く向き合えなくなり、バイトにも行けず、ゲームもできず、ただひたすらYouTubeと小説でやり過ごす日々。流石に指導教官から実家に連絡が行き、母親に帰ってこいと言われ実家に帰った。
私(長女)の経験を生かし、不登校に関するNPO法人を立ち上げたり、放送大学に通い心理学を学んだりと、母親が学び続けたおかげで関係が改善したと思っている。
そんな母のことは嫌いでない。好きだし、尊敬もする。
それでもこの歳になるまではとにかく家を出たくて、一人暮らしも楽しく満喫していた。
小学2年生から不登校だった。幼少期は引っ越し続きで、父は九州の田舎の亭主関白、母は全く周囲に頼れる大人がいない状況だった。その上、父は単身赴任(本社勤務とのことで家を買ったが、その後転勤が決まったらしい)。私と、弟たちを母1人で育てていくのは今思えば本当に大変なことだったと思う。
それでも、小学生の私にとっては、母が子育て等に不安を感じ続けている生活で不安を感じないわけがなく、学校で周囲と衝突し、家では激しい反抗期、とにかく攻撃によるストレス発散が多かった。
よく父に怒られて家の外に出されていたが、その時は泣きながらどうしたら死ねるだろうと、塀(といっても1m)から飛び降りるか迷っていた。飛びおりなかったが、人生で初めての自殺未遂は今でも鮮明に覚えている。
ご飯を食べなくていい、と父に子供部屋に閉じ込められたこともあった。内開きのドアの前に重たい家具を置かれて、ドアノブを紐で繋いで開かないようにされ、水も飲めないトイレも行けない状況で一晩を過ごしたこともある。
大喧嘩した時、私がダイニングテーブルをひっくり返して破壊したこともある。15万くらいするかっこいいデスクトップpcも壊したことがある。
流石にいいところも書いておく。
ピアノを小学1年生から始め、2年生の時には100万の中古のグランドピアノを買ってもらった(欲しいとは言ってないけど)。水泳やそろばんなど、習い事をたくさんさせてくれた。クリスマスや誕生日には欲しかったゲームをくれた。高校では50万の管楽器を買ってくれた。行きたいと言えば海外研修にも行かしてくれた。母は料理が上手(だと思っている)で、3食手作りしてくれたし、時にはお菓子も作ってくれた。裁縫もうまい。父も農家出身で未成年喫煙するような不良だったが、国立大学に行き20代で1000万プレイヤーだ。
やりたいことをやらせてくれる家庭だったと思う。
今は母も穏やかになり、自分のやりたいことを見つけて人生を楽しんでいる。父も亭主関白はなりをひそめ、週末は単身赴任先から帰ってきていろいろ料理をする。私が帰省するとリクエストを聞いてくれる。私がお金の心配をしなくてもいいのは絶対に父のおかげだ。
とにかく小学2年生から5年生までは攻撃的な子どもだったし、両親だった。家庭内の情緒が最悪であった。(1番の被害者は弟たちだと思っている)
私は部屋に閉じこもり、昼夜逆転生活を送り、どうしたら死ねるかを考え、なぜ生きているのか悩み、母が書いてくれた私の0ヶ月から1歳半までの育児日記を読んで母の愛を確認していた。こうして振り返るとかなり寂しい子どもだと思う。
中学生になってからは、かなり落ち着いたと思う。母が支援に繋がれたことが大きい。
そんな家庭で、形や中身は変わりながら高校まで過ごしていた。
大学はとにかく県外に出たかった。高校中退で学歴コンプレックスがあったし、弟たちがいるので国立しか視野になかった。将来の夢があり、養成の名門と呼ばれる大学を目指した。
5年半、ずっとホームシックになることはなかった。
一人暮らしは本当に楽しい。自分のペースで生活できること、家にいる限りだれも私のことを知りようがないことがよかった。今でもそう思う。
それでも、ホームシックになった。
実家から帰る日、予定があったのでどうしてもその日に帰らなければならなかった。帰ろうと朝起きて、起きた瞬間涙が止まらなかった。8時半くらいに起きたと思う。18時まで泣き続けた。結局予定はキャンセルした。
18時に、今帰らないとずっと帰れない、と覚悟を決めて帰る準備をした。泣きながら準備をした。
それを見ていた母に、抱きしめてもらった。頭を撫でられながら、がんばってるね、えらいねと褒めてもらった。頑張りすぎなくていい、いつでも応援してると慰めてもらった。
1、2分だったと思う。
そのあと、やっぱり泣きながら車を運転して帰った。
母が持たせてくれた沢山のご飯を食べながら生きている。ジップロックに書かれた母の文字を見ては泣いている。
修士論文にはまだ向き合えていない。
就職が決まっている。
なにもできない日々を過ごしている。
2022年の防衛費増額のための増税を皮切りに、日本の軍事力は目覚ましい発展を遂げた。日本政府は米国、韓国の武器を大量に買い込み軍拡を急いだ。防衛費の余剰金は増税に向けて奮闘した自民党に所属する政治家たちに渡っていった。この歴史的快挙を前にこれを咎める人はいなかった。
よくやった岸田。五輪招致決定以来の喜びに頬は熱を帯び赤く染まっていた。
森林環境をはじめとした万物に税がかけられ、日本の税収は世界一位に飛躍した。世界一位という得難い称号に国民は心躍った。念願の敵地攻撃能力を手に入れるまでそう時間はかからなかった。
賑わう国内に冷や水をかけるかのように周辺国が日本海へ威嚇攻撃を開始した。急な軍拡を危険視しての行動だった。だが、もう遺憾という言葉を述べる必要も並べ立てる必要もない。しかし、義憤を胸に行使した敵地攻撃能力の結果は思わぬ物だった。核による報復を受けることになってしまったのだ。
国民は岸田総理に対して核を保有すべきだったと声を荒げた。核保有国に対し容易に反撃をすべきではないとの意見も飛び交った。
岸田総理は言うまでもなく国内外からの批判を一身に受けることとなった。五感を研ぎ澄ました結果、国民の声という雑音に意識を逸らされてしまったと説明し総理大臣を辞任した。
追い討ちと言わんばかりに敗戦による賠償が重くのしかかった。増税や宗教法人への献金によって疲弊した経済や先送りにされた少子高齢化はすでに歯止めが効く状態ではなかった。
薄汚れた冷蔵庫には壺につけられたキムチしか残っていない。経済が破綻し貧しい日本にあるのは韓国から支援として送られてきたこの食べ物だけだ。
今日もこれを食べるのか。唐辛子で胃腸が刺激されていつもに増して感情的になる。
空腹に韓国製のキムチは堪えるなあ。悲しい独り言が物一つない独居房のような部屋に響く。全く日本人の食の好みに合っていない。
ペットの猫にも仕方なく食わせていたが、これを嫌がりしまいには餓死してしまった。つい半年前のことだった。それでもよく持った方だったのかもしれない。盛り蕎麦とかけ蕎麦が支給されていた頃はまだよかった。
愛猫につけられた引っ掻き傷を眺めて時間をやり過ごす。なんでこんなことになってしまったんだろう・・・。
課税されていない唯一の食べ物だから日本国民は胃腸に負担を強いてでもこれを食べなければならん。私は最初に日本が軍国主義の道を突き進んでいた頃の映像を思い浮かべながらそう呟いて強がった。
食品から、道路の利用、公園のベンチの使用まで特別税がかけらている。もうどれにいくら掛けられているかなんて気にしている人はいない。
こんな孤独な私にも妻子がいたが、数十年前に木製のボートで脱日してしまった。脱北者みたいなことをするなと叱ったが、こんな国にいても生活は良くならないと言って憚らなかった。
私が子供に教えてやれたのはDENTAL PAIN、HELP MEという英語だけ。他に役に立つことは教えてあげられなかった。
元気にSHEINの服を裁縫しているだろうか。本当は一緒にいたかったが、今となっては日本より気候が穏やかな国で裁縫をしてくれていることを祈るばかりだ。
いつもと変わらない日々。無くなってしまった過去を枕がわりに想い抱きながら床に就く。妻は妻、私は私、現状維持、今より悪くならなければいいじゃないか。自民党を支持していたあの時のように。この平和な日本でデモをしたり亡命するのは野蛮で無意味な行為だ。
そう言い聞かせる自分を否定するかのように右翼街宣車のエンジン音が静寂を引き裂いた。軍艦行進曲の重低音が荒れた胃腸に響き渡る。晋三が帰ってくるぞ。自称保守派の狂喜に湧く叫び声が薄い壁を突き刺し私の耳に届いた。
安倍晋三、懐かしい響きだ。私は追い立てられるように子供の形見の薄汚れたキャラクター物のサンダルを履いて外へ出た。遠方に光の柱が根を下ろしているのが見える。まるで三本の矢のようだった。
あの光は・・・。
老人しかいなくなってしまい荒んだ日本に、蘇った文鮮明・池田大作・安倍晋三の三大売国神が降り立つ。
私は神々しさに思わず糞尿を垂らしてしまった。キムチの唐辛子で胃腸が過敏になっていたからだろうか。汚物とカプサイシンのツンとした臭いが辺りに立ち込める。
安倍晋三氏は国神になられたんだ。誰かが嗄れたか細い声でそう呟いた。