はてなキーワード: 芸能人とは
いい大人になってから反抗期が来て、今年の年初から家族(・親戚全員)と一言も話したくないという状態が続いている。
両親は私を育ててくれた。教育にお金をかけてくれた。でも、恨んでいることがいくつかある。まとまりがないが、自分が嫌だったことを書いていく。
東大に入れなくてごめんなさい。実際私は勉強の仕方が適当かもしれない。でも私、東大を目指すなんて1度も言ってない。それに10歳そこそこの子供にそんな呪いをかけないでほしかった。
「親戚の言う通り、東大にはやっぱり入れなかったね。」
お父さん、お母さん、東大に入れなくてごめんなさい。でも、そもそも私は東大を受験すらしていない。それに親戚も両親も誰も東大なんて出ていない。自分が東大に入れていないのに、なぜ子供は東大に入れると思うんだろう。
祖父母には慶應こそが素晴らしい大学だと子供の頃から言われていた。祖父母は慶應卒の芸能人のことはすごく応援している。特に幼稚舎から慶應の人のことは無条件に評価している。
おばあちゃん、慶應に入れなくてごめんなさい。でも、うちには慶應の医学部に行くお金はないよね?
私の両親はいつも学歴の話ばかりする。年がら年中夕飯のときに東大合格者数の話が話題に出る。名門中学の情報にも詳しい。
「あなたの高校、3年前と比べて偏差値が2上がって、○○高校より高くなったわよ。」
両親が顔も見たことのない友達の進学先を何度も何度も聞かれる。「分からない」と言うと「仲いいんだから、分からないなんてことないでしょう。」と言われる。本当に分からないのに。
「○○くんは△△銀行に内定したらしいわ。」「○○ちゃんは××製薬に内定したの?すごいじゃない。」
お父さん、お母さん、ごめんなさい。私はお父さんとお母さんが望むような大学には入れなかった。キラキラした就職をすることもできない。
母に言われた。
「○○ちゃんは地元の公立高校から塾なしで慶応大学らしいわよ。コスパがいい人っているのね・・・。それに引き換え、うちは。これだけお金をかけてMARCHだったら目も当てられない。」
お母さん、コスパの悪い子供でごめんなさい。でも、私は子どもの時気づいたら学習塾に入っていた。中学校のときも、私は数学の塾には行かなくていいと主張していた。私がコストをかけるよう頼んだわけではない。思わず腹が立って言ってしまった。
「お母さん、コスパがいい子供っていうのは遺伝子がいいんだよ。結局遺伝子の差じゃないの?」
私は両親より学歴は劣っていない。コスパは悪いかもしれないけれど、ジェネパはそんなに悪くない。
ようやく歩けるようになった頃から公文式を始めて、毎日プリントを5枚解いた。それでも両親に言われた。
「○○ちゃんは1日10枚プリントを解くらしい。もうXXレベルなんだって。」
公文式に加えて、小学校低学年のときから両親が買ってきた「トップクラス問題集」など高難易度の問題集を解き始めた。週末に時々テストも受けた。
週末は泣きながら問題集を解いていた記憶がある。映画に連れて行ってもらったある日、両親の想像していたよりも学習の進捗が悪かったようで、めちゃくちゃ怒られて泣いた。
小学生の頃は両親によく叩かれたり蹴られたりしていた。
鍵をなくした等仕方がない理由のときもある。でも、お母さんも鍵をなくして、家の鍵をすべて交換していた記憶があるけれども。
私は挨拶をしたのに、親がそれを見ていなくて挨拶をしていないと思い込んで「挨拶をしろ」とめちゃくちゃ叩かれたとか
工作教室で「AかBを作る」という指示で、私以外みんなBを作っていた中で私だけAを作っていたら「人の話を聞け」とめちゃくちゃ怒鳴られて叩かれたとか
中学受験のときのことは思い出したくない。小6の夏休みは1日中毎日家でも塾でも怒鳴られ続けて本当に辛かった。親が机を叩きながら怒鳴っているのに対して「ここのところ毎日こんな感じね」と離人症のような状態で思っていた。怒った親が机にバンバン叩きつけたせいでベコベコになった過去問で勉強するのは辛かった。
結局、1番難しい学校には入れなかった。お母さん、立体図形が分からなくてごめんなさい。
中学2年生の8月下旬に夏休みの宿題をやっていないことがバレてめちゃくちゃ殴られて蹴られたのが最後の「教育虐待ぎみ」エピソードである。
夏休みも残り2週間以上あったし、なぜそんなに怒られないといけないのか私には分からなかった。深夜にお父さんに部屋の隅まで追いかけられて顔を何発も叩かれたり殴られたりして、お腹も何度も蹴られた。
正直なところ、初潮が来るか来ないかという頃の子供のお腹を「宿題をしていない」という理由で何発も何発も蹴るのは、人間としておかしいのではないかと私は感じた。
お母さんも止めなかった。
お母さんはお父さんのことを「優しい」と言ったが、私には理解不能だった。気分にムラがあり「機嫌が良いときがある」というのが適切な表現である。
「お前はダメ人間だ」「中学校をやめさせるぞ」「お父さんはあなたのスポンサーなんだから言うことを聞きなさい」
いろいろ言われた気がする。せっかく中学受験をがんばって入った学校をやめさせられたくなかったから、そこからすぐに表面上は宿題を終わらせた気がする。
観察の課題があって、都会育ちの私は苔なんてどこに生えているのか分からなかったから、適当な苔の絵を描いて提出した。あとからネットで検索したら苔のすがたは私が描いたものとは全然違っていた。
その後、殴られたり蹴られたりすることはほとんどなかったけれども、最後まで両親は私が勉強以外のことをするのを嫌がった。私の勉強以外の側面には興味がないようだった。もし勉強が得意でなかったら両親の私への愛情はゼロだっただろう。私は両親にとって勉強以外価値のない人間なのに、中途半端な学歴でごめんなさい。
大人になってから、教育虐待をされた子供が親を殺した滋賀と佐賀の事件の話を両親にした。
「うちはそんなことがなくて、優しい両親で良かったね。」と言われた。自覚がないのかと愕然とした。
「私は自分の子供に中学受験をさせたくない。」と言った。「私たちがあなたに勉強を強いたっていうの!」と怒って、私のいないところで泣いていたらしい。
私の両親はおまけに過干渉だった。スキンケアをしたり髪を整えたりすると「色気づきやがって」と言われた。だから、今でもおしゃれができない。
親の目の前では自分の好きな娯楽いっさいを楽しむことができなかった。親の好きなワイドショーやらクイズ番組やらを見るだけの休日。
高校の初めまでは定期的に必ずケータイチェックがあり、親にLINEの友人1人1人を指さして「これは誰だ」と聞かれた。様々な閲覧履歴やファイルもすべて見られた。年賀状もすべて検閲されていた。
高校生まで私はほとんど自分の使えるお金がなく、バイトも禁止されていたので、スタバにいる高校生が理解できなかった。電車に乗る距離を徒歩で移動することでなんとかお金を浮かせてブックオフの100円の本を買ったりコンビニコーヒーを買ったりするのが楽しみだった。
未だに実家に帰ると誰とどこに行って何時に帰るかを報告しなければならない。
でも、お父さん、お母さん、そこまで干渉したのに、私は小5からFC2を見て、中2から金融商品を買っていた。意味なかったですね。
両親は私のことを育ててくれて、話していて楽しかったこともあった。教育にもたくさんお金をかけてくれた。
両親にはこれまでの人生で様々な苦労があったことも分かっている。苦労が多かったから子供への愛情の注ぎ方が分からなかったのかもしれない。それでも頑張って育ててくれたことは伝わっている。
でも、今は距離をおきたい。
今年の年初、親が能登半島地震の被災者に差別的な発言をしたときに、もう私の心は限界を迎えてしまった。これ以上、親の言うことは一切聞くことができない。理想の子供を演じることはできないし、親孝行もできない。今の私には親の価値観が歪んでいるように感じられる。歪んだ価値観が自分に伝播するのが怖いので、親とはもう一言も話したくない。お父さん、お母さん、親不孝な子供でごめんなさい。
技術職(Web系でもその他でも)のマネージャーにその技術のスキルは別にいらなくない?
そういう専門職に好んでつく人はその技術が好きなだけでコミュ力とかマネジメントとか興味ない人が多いし向いてない人が多い
そんな人に無理やりマネージャーさせてもろくなことにならないのはわかるだろ
芸能人とかタレントならマネージャーは元タレントじゃなくてマネージャー専門で能力ある人がなるのになぜ他も同じように考えられないのか・・・
水原一平が違法賭博でドエライ額を溶かしてしまった事を毎日情報ワイドショーで伝えている
あわせて、彼は重度のギャンブル依存症であることも伝えられている
出ているコメンテーターのお歴々は綺麗事で彼をずっと否定しているけど
アウトバウンドで外人相手の商売で、日本人は6000円のショバ代払ってかけないといけないから
ギャンブル依存症になる恐れは少ない
あったとしても、日本一、世界一のギャンブル依存症の対策を大阪市・大阪府【維新様】が行なうから大丈夫だと言っているけど
マスコミや情報ワイドショーは、そこも突っ込まないといけないんじゃないの
芸能人でも断ち切っているのって、高知東生や清原和博くらいでは
それくらい難易度が高い物を口先三寸でやれますやれますって言うのは無責任で
結局は、行政や首長が市民の事を一切考えて居ないことの表れではないかな
今は、大阪だけで好き放題やっているけど、他の都道府県の人達も気をつけた方が良いよ
もう、大阪は取り返しがつかない
里帰り出産で実家に帰ってきてるけど、65歳過ぎた父親について悪い意味で昔と変わったなぁと思うことが増えた。
・大事な話を共有してくれない
去年から私が里帰り出産することは家族に言ってあったけど、父親が私が帰る頃直前になって「俺も手術するから入院する」って初めて言ってきた。
私だけじゃなくて同居家族にも直前に知らせたらしい。
家族全員寝耳に水で「は?なんて?」みたいな反応。
今までも定期的に病院で診てもらってはいたけど、体調が悪化してるなんて一言も言ってくれなかった。
病院どうだった?って母が聞いても「食事気をつけてれば大丈夫らしい」くらいの返事しか今までしてこなかった。
詳細は伏せるけど、手術後は多少なりとも家族の協力が必要そうな状態。
食事管理も必要だろうに、聞いてもどうすれば言ってくれないから私たちが自力で調べてアレは大丈夫?コレは?って一々聞くしかない。
・日常でも事前共有がない
買ってこなくていいよって言ってるのに、足のはやいものを買ってくる。
・家事ができない
布団が自力でひけない、ゴミ捨てもしない、自分が使った分の皿洗いすらしない、物は使いっぱなし。
細かいところで言うとペットボトルの蓋すらまともに閉めないでユルユルのまま冷蔵庫にイン。
非常にストレス。
・落ち着きがない
これは昔から疑っていたことだけど、貧乏ゆすりや音を鳴らしたり多動の傾向がある。
自分の気持ちを整理するために書き出してみたけど、精神的な部分で病んでないか心配になってきた(認知症の可能性含め)。
これが大好きな父親だったら全力で助けなければと思うところだけど、私は昔から父のことがうっすら嫌い。
お金周りにだらしなく、支払い関係が滞っていたことだってあったと思う(隠そうとする気配はあったけど)。
うちは裕福ではないが、そう言った部分が疎かになっていたのは絶対貧乏だけのせいではない。父親の性格だ。
私も完全に出来た娘ではなかったからか、父親にはあまり好かれていないような気がする。
だらしない父親を好きになれず、冷たくしてきたから何も話してくれない人になったんだろうか。
冗談は言うし、どうでもいい芸能人の話はするのに、大事な話ができない。
包み隠す書くなら、余計に父の性格が悪化する前に、別人のような老人になる前に、お別れの時が来たら楽なのにと思ってしまっている。
そろそろ厄介おじいちゃんになるであろう父の介護を見据えて、真面目に向き合わなくちゃいけないのかも知らない。
とても憂鬱。
彼の年収なら数百万くらいなら野球オタクかつ忙しけりゃしゃーないって思ってもらえると思うけど『億』だもの
一級のアスリートや芸能人として活動する期間よりもそれ以外の期間の方が長いんだからさ
日本が後進国だったり、スラム出身で、当たり前の生活を得るために、"スポーツだけやった"とかなら、理解は得易いだろうけど、
あるいは富豪の生まれ(ヘリや飛行機チャーターしたりアイビーリーグに何百万ドルって寄付する)で庶民と感覚が違うってのなら、理解は得易いだろうけど、
まさか、先進国のややお金に余裕がある庶民のご家庭で、野球しかやらせないなんてことがあるなんて、どこの国の人の理解も得られない
まあ、まず無いだろうが仮に
だとして、冷静に考えると大した失言などはしていない。
むしろ、裏垢なのに適切な自制ができている。
まず、世間では芸能人の性加害事件だとか通訳者の7億円詐欺事件だとかが話題の中、
出てくるスキャンダルが「同年代の声優の悪口言ってた」レベルのものしかない。
これが裏垢ならむしろ、平均的な人間よりもずっと心が清らかだとさえ言える。
また、同年代の声優の悪口は言うが、先輩声優は立てるなど、人としての筋をきちんと通している。
ふつう30歳にもなれば、たいていの深夜アニメなんて内容的に幼稚に思えてくるだろうが。
先輩声優はきちんと立てていることからも、仕事でお世話になっている人や、
クリエイターとして技術のある人にはきちんと経緯を払っている。
仮に、ドヤコンガ=水瀬いのり本人で、あれが本音だったとしても、
口が悪いだけで、仕事には誇りを持っている、平均的な人よりはずっと常識を弁えた人物
ということになる。
絶縁してる人を親とは呼ばない。
体力が無いため家には蜘蛛の巣がかかり、背の高い人物がいないため電球もまともに替えられていない。
裏庭に放置された使わない洗濯機、テレビ等のモニター類は誰かが捨てるべきだが誰もその役割を担おうとはしない。
ごみ収集所に捨てたようだが戻ってきたスプレー缶、枯れたままの盆栽。自分だけがその様子や不便さに触れている。鼻血を出せば救急車を呼び、父はその事すら知らない。なのに出ていけ、と居住権を奪われる。更には罵倒の数々を記憶していない。
世の中には、親がパーキンソンを患っている人もいる。
職業選択の自由とはなにか?自分の選択肢は何処まで許されているのか?家庭と言う不都合を抱えていた芸能人も少なくない筈だろう
年のせいなのか元々の呆けなのか治療可能かも進行していくかも不明。相談すべき所には相談した。
貴方のように、「共感できない」「理解できない」と突き放し離れていく人はごまんといた。
これはあくまでも私の愚痴であって、特定の人に対してのヘイトではありません。
この事をTwitter(現X)などで呟いた瞬間、HSPへのバッシングとみなされ、袋叩きに合うのは分かっているが、どうしても繊細で感受性が強いから私はこうなんです!と押し付けてくるフォロワーに対して何とも言えない感情と限界を感じただけだ。
私自身、メンタルがそこまで強いわけではなく、仕事などで色々あったりし、限界値を越えてしまうと、ちょっとした事で「ああ、何をやってもダメだし、こんな世界とはお別れしたい」とかなりのネガティヴ思考に落ちる時もあれば
「人生たーのしー!世界は私のために回っている!」となるほどハイテンションな時もあるので、上がったり下がったりするのは誰しも同じと思っている。
ただ、冒頭にも書いた通り、相互フォロワーの中にこんな私とは正反対な自称HSPで感受性も強く、ニュースで芸能人などの訃報を見るだけで気分が落ち込んで辛くて泣いてしまう人が居る。
それも個人の性格だし大変そうだなと感じる事はあれど、そこまでは気にしてなかったが、最近になり?となる事が増えてきた。
私が訃報ツイートなどのニュースをRTしたあと、必ずといっていいほど「亡くなったニュースを見て辛い。しんどい。」と呟き、そのあとすぐHSPさんはこんなに大変!だから配慮して。といったような内容が書かれたツイートをRTしてくる。
1度なら分かる。
だが、毎回である。
なぜ壁打ちをしている内容をそのフォロワーに配慮しないといけないのか?繊細だからって押し付けてくるのはおかしいのじゃないか?
こんなことを考えてしまう自分の性格はかなり捻くれて思いやりが無いのでは?と考えてしまい、そんな自分が嫌になり、ツイートの内容も当たり障りがない内容ばかりを書いてしまう。
最近では自衛のため、HSPや繊細さんと書かれたツイートが表示されないようミュート設定をし、快適なタイムラインになるように努力はしているが、小蠅の如くどこからともなくすり抜け流れてくるHSPツイートにイライラしてしまうし、イーロン仕事しろ!と謎の八つ当たりをしてしまっている。
ここで、そのフォロワーをブロックかミュートにしてしまえば解決するのでは?と思われそうだが、HSP関連の事さえ無ければ、趣味も合い、気も合うフォロワーなのでなかなか切るという決断が出来ないでいる。
そうして今日も自己嫌悪を感じながら、小蠅のように流れてくるHSP関連のアカウントをひたすらブロックする作業を繰り返している。
タイトルの通り。
ブスが本当にかわいくて好き。
美人は嫌い。高嶺の花とかそういう意味じゃなくて、本当に好みではない。
かわいい人も嫌い。
自分にしてみればブスのほうがかわいいのだけど、世の中的にかわいいとは別の軸でかわいいと感じている。
ということは、ブスをかわいいと思う感情と、世の中的にかわいいと言われている人に向けるかわいいという感情が違うのだろうか。
例えば芸能人を見て、誰もがかわいいと思う人についてはかわいいと思っている。
だけど好きにはならない。
逆にブスな芸能人が出てくると、ブスだな!最高にかわいい!という気持ちになる。
そう考えると、どうやら頭の中では誰が美人で誰がブスなのかということは理解できているらしい。
好きになった理由を聞かれたら、「ブスだから!」と答えたいのだけど、それが相手を傷つけることはわかっているので口にすることはない。
誰がブスだとかいう話をするとそれを理由に傷つける人がいるから絶対に言わない。
なので基本的に誰かと共有することもない。
過去にそれで付き合ったりなんてことにもなったのだけど、その時も誰一人として好きになった本当の理由は言わなかった。
性格とか、仕草とか、表情とか、まぁその辺でごまかした。毎日ブスがかわいくて幸せだった。
それでも顔が整っていると感じるわけではなく、ブスはいつまでたってもブスだった。
似たような考えの人はいないだろうか。
世間一般が感じるかわいいとは明らかに違うことが理解できているのに、ブスがかわいいと感じるのはなぜなのか、誰かに説明してもらいたい。
しゅんきは悪くないんだよ
全盛期のSMAP中居正広なんてライブの客席順番に指差して「お前らは水道代だから」「あっちは電気代」「カーペット代」とかやってた
スター性なし
自分キラキラに疲れた社会に「推し」ブームが来た | Books&Apps
他人の人生を使って自己実現しよう試みるのは基本的に醜悪であり、これらが良いことであるかのように吹聴する『推し活ブーム』は今すぐに無くなるべき。推し活の名のもとにファンが芸能人やスポーツ選手に自信の欲望を押し付けた結果、悲劇が起きた事例は枚挙に暇がない。ファンは彼らの芸やプレイ、作品を楽しむ権利はあっても彼らの人生や人格を公然と消費したり、批評したりする権利はない。また推しが自分の理想と違う面を見せたからと言って、それを強い言葉で批判するべきではない。
これらの問題を『一部の過激なファンが問題行動を起こしているだけ』と矮小化するのは非常によくない。推し活という構造そのものが過激なファンを生み出していると考えるべきである。多くの場合、ファンが認識している『推し』とは推される対象のごく一側面や商業的につくられたキャラクターでしかない。その『一側面やキャラクターでしかないものを推す自分』を自らのアイデンティティに組み込んでしまうと、推しがその側面やキャラクターからズレた発言・行動を取った場合、あるいは第三者によってそれらが否定された場合に自身のアイデンティティが否定されたように感じてしまうことで過激な反応を行ってしまうことは想像に難くないし、実際にそのような状況下で怒り狂うファンはXでいくらでも観測できる。つまりは自分のアイデンティティを他人の人生に託すという『推し』の構造そのものが諸悪の根源なのであって、実際に問題が複数発生している以上それら全体の課題を個々人の問題とするべきではない。
いま推し活をしている人が活動自体をやめるのは難しいだろう。しかし自分が本来多面的なはずの人間の一側面だけを都合よく消費しているという自覚は持つべきだし、その自覚のもとにクローズドな範囲に活動の場を絞り、仮に理想と現実の差に傷ついたとしてもその気持ちを推しにぶつけるのではなくそっと去るようにした方が良い。またお金稼ぎのために推し活ブームを推進し、若者の人生を使い潰す大人は恥を知るべきだと思う。