はてなキーワード: 纏めるとは
そんな時、様々な媒体から情報を集めて来てそれらをある程度纏める。
それを作成時に各枠内に当てはめて自ら校正し修正作業を行い登録する。
問題は、こういったカテゴリーには、株式会社はてなの専用IDなるものが存在し、
彼らは自らの仕事と称して様々な作品をはてな記法を駆使しつつ編集している。
その中で明らかな暴挙を行う事もある。
当該キーワードを着飾って行く。
しかし、この一連の作業が無に帰す時がある。
ある専用IDは自らそのアニメ作品を編集して、最初に編集されたキーワードを
削除申請を通じて削除し、自らの編集キーワードに取って代えるのである。
言い換えれば、他人の褌で相撲を取るが如く所業で相手の権利を盗み、あたかも
この事について、筆者は以前当該IDをはてな運営に訴えたが、その当該IDが罰せられる事はなく、
この事で筆者は確信を持った。
筆者は、その事を身を以って知ったのだが、その後は当該IDに当たり障りのないように
この事から学んだ事は、はてな会社専用IDに対して何が起こっても刃向わない事である。
運営に削除申請されたキーワードがはてなメッセージを通じてやって来た事を知った時は、
そうでなければ、あるいは筆者よろしく抗議でもすれば、途端にIDが凍結されてしまうかもしれない。
今はてなキーワードの編集者TOP10以内には多かれ少なかれ、これら専用IDがランクインしている。
もしも彼らを見る機会があれば、何も触れない方が身のためである。
結婚したら流石に思うように遊べなくなってしまうし、いまのうちにできる遊びはしておこう、
そう言えば何かの時の為にキープしていた増田がいたな、きっとあいつならちょっと気のある素振りをすれば釣れるに違いない、
基本ヘタレなのでこっちを困らせるようなことも出来ないだろう、連絡してみよう。
と言う程度の軽い気持ちで一夜を共にしたら、前から好きだったとか言い出したよ、
うわー、流石に可哀想だったかなあ、でもこいつがストーカー化したらどうしよう、
旦那にばれちゃう、後腐れなく遊べると思ったのに、アンニュイだわ。
って表情にモロ出ししたらなんか勝手に納得したみたいだわ、危ない危ない。
女からするとこんな感じのストーリーを、男側から叙情的に纏めると
http://anond.hatelabo.jp/20140413051309
になるのでは。
文学って偉大ですよね。
3000億だって。
新国立競技場もみたとき、こんなの出来んのか?って思ったけど、みずほのシステムに比べたら全然簡単。
最悪デザイン通りにできなくても、別のを作れば機能は果たせる。
けど、今回クラスの大規模な既存システムのリニューアルはそうはいかない。
だって、まず既存の仕組みがどうやって動いているのかを理解しないといけない時点で無理。
もし既存の仕様を無視したとしても(実際こんな作業してるかわからないけど)
行員数千人からヒヤリングして要件纏めるとかしてたら時間足りなくて無理。
もしそれができたとしても、各部署で機能のいるいらないを調整して、
いくら金と時間が有っても無理。
競技場みたいに別の作って機能を果たすってのも無理。
無理なのわかってて仕事させられて評価落とされる人は可哀想だな。
先が見えなくなって死ぬ人も何人か出るかもしれない。
このプロジェクトを推進してる人は人が死ぬ可能性があることを想定しているのだろうか?
全刷新は無理なんだよ。
全刷新すればトラブルなくなるし、今まで不満だらけだった他のところも良くなって
中途半端なドキュメントの束が一部屋分できて、泥沼訴訟やって疲弊して没落するだけ。
方法はないわけじゃない。
一部ずつ直していけばいい。1回数億~数十億単位で。
震災の後、止まったなら、そうならないようにそこだけを直せばいい。
直すところだけ仕様を整理して次につながるようにする。
でもそんなの稟議通らないんだろう。
何十万人月の死の行進。
逆に途中で頓挫せず、予定通り2017年に稼働開始できたら、人類の英知に本当に感動する。
正直飯の種だっただけに今回の騒動にはまいっている。
よくわからない人はある日勤めていた会社から「お前明日から出社しなくていいから」って言われた様なもんだと思ってもらえればいい。
ていうか、まとめブログをアフィカスといい今のぶっ叩かれてる今の状況が納得いかない。
お前ら日に30分程PCをぽちぽちやってすげー楽に稼げると思ってるだろ?
じゃあお前らやってみろよ。
すげー大変な作業なの。
糞見ないなスレの中から面白スレ見つけてそれを簡潔に纏めるって大変なんだよ?
いわばお前らの時間を作ってあげてるといっても過言ではないんだよ。
そもそも無料で記事を提供してるのに文句言われる意味が分からない。
今は対策を考え中だが絶対に生き残ってやる。
もちろん個人の価値判断として国のために働きたいとか、国のためになってる(まあそれもどこまで真実か分からんが)商品を買うのは別にいい。自由だ。だけどメディアに対して反日では「ならない」っていう人は知能が足りないんじゃないか。自由民主主義国家を曲がりなりにも標榜する日本で、国家批判は是とされる表現の第一だと思うし、それが国の度量ってもんだろ。国家への批判を許さないっていう態度は北のお国となにも違わない。自分は別に愛国主義運動がことさらに悪だとか害だとか思わないけど、自らも言論の自由の中に生きている一つの言説であって、君たちの反日と呼ぶものと同じ枠の中で戦ってるんだと知ってものごとを論じて欲しい。いやヘイトスピーチには言論の自由が与えられてないんだとかいう人はぜひ京都の判決全文読んで。
なにがいいたいかまとめると、物事を批判するときに「反日だ」っていう理由で纏めるなということです。それだけではなんの悪でもない。利益が害されることを説明できて初めて君たちの言葉は届くんだと思うよ。
会社にもよるけど、当初の話よりボリュームが膨らんで危険そうだなーって相手のときは
3.実装、検証
4.保守運営
これらを1から順に別々に契約してリスク軽減を図ることがあるね
元増田の話だと下手すると12までを契約前に要求しているように受け取られかねないので
リスク回避に動いているのかもしれない
てか350万は安すぎる業者かもね。あんまり安い価格を出してくるところは信用しないほうがいいよ
あとから追加追加で金を取る気かもしれないし、そもそもの見積もりというか見通しが甘いところな
気がする
会社によって違うけど技術者一人が一ヶ月動いて60~200万ぐらいコストが掛かることになる
システム構築に一人で三ヶ月かかるなら180~600万だ
各位お疲れ様です。
経過報告と今後の方針について
1.特定非営利活動法人 てんぐるま
全員出席されるようにお願い申し上げます。
これまでの経過報告と反省点を総括していただくこととなっております。
また、その総括を踏まえ今後の活動指針を細かく議題で上げていただく
こととなっております。理事の皆様方の今後の活動のポイントやあり方を
ダンス教室始動しています。会員は現在4組。10組2クラスを目指しておりまして
4組までは運営費で相殺となります。以降はNPOの活動資源となりますので
ダンスの参加の保護者さんには事業とも連動して宅配に繋がればと思案中です。
迷走しましたがtenguruma.org で 再登録しました。
運用についてですが
効果的な情報配信をと中継や動画等アイデアはたくさん出されましたが
実力など熟考しまして、シンプルな構成と運用で地道な活動に徹することと
しました。
※余裕があれば*理事長判断で動画までは再考の余地はあります。
中継は完全に断念します。
理事はじめ投稿主は記事を校正担当にあげて、校正担当から投稿とします
ホームページとブログはfacebookページにも反映させることとします。
ページの作成とサポートは**君。運用は理*事長。校正・記事掲載は
てんぐるま通信ですが、名称はこれでよいでしょうか?
てんぐるまの資金調達は事業から3万円前後とkidsダンス会員の増員
NPO会計ですが ****税理士事務所(*****)40代の税理士です。
月額35,000円で提示されました。
※知り合いのNPOに何社か聞きましたが若干総額で高いようです3-5万。
ただし、安いというだけでのお付き合いは危険かなと。
**理事より**君の理事就任について提案がなされております。
。
特定非営利活動法人てんぐるま
mitsuya tazaki
あなたは発言主かな。
私は自慢とは思わなかった。ただ、行動の拡大の話を思い出してフフッてなった。
例えば、「手を挙げる」って一所作を千字で説明しなさいっていって本当にやる人っているでしょ。
あなたのはその情景版だと思った。
なんでそんなことがいえるかって言うと、私も自分の文章に同じ傾向があるから。
八百屋っていって、薄暗い軒先だとか、ちょっと高級な香りのなかにどっか熟れ過ぎたような匂いが混じってるとか、小バエが舞ってるとか、店の裏方から埃の灰色のかたまりだとか、或いは意味不明な水の筋が出来てるとか、向かいの家の奥から、姿は見えないけれどもちょっとヒステリックな犬の吠え声が聞こえるとか、ほーら書き出したら切りがないのさ。
そんな風景の文字数だけを問題にするのはちと違うよね、って話。
描写を含む必要な情報をどれだけ上手に、はてなブログで言えば読者に伝えられるかのほうが大事なのであって、それに数多くの情報量で頭がパンパンになってしまいます、と嘆いていても、まあ、仕方がないわけです。普通の人はどーでもいい情報はあなたも説明するとおりスルーするように出来てるので。
ただ私の場合は全体的に頭が緩いようなので、頭に浮かんだこと、視聴覚で捉えたことを全部描写しようなんていう態度には出てくれないみたいです、脳が。だから幸か不幸か助かっているのかもね。
それでも多分、物書きかそれを纏める仕事あたりくらいしかなることが出来ず、普通には生きられないなあと自分は思ってるんですが。
というわけで一本何か書いてみようという安易な意識からキーボードを叩き始めました。名も無きはてな民です。よろしく。
さて、今回は巷でネット民の熱い羨望を浴びながら、同時にドス黒い憎悪と嫉妬とを育み続ける孤高のネットライター、ドリー氏の行う書評について、何か適当に書いていこうと思います。正直言って資料を用いながらの適確で分析的な記事とかは書く気がしないんで、フィーリングで書いていくことにします。
さて、ドリー氏については説明不要だと思います。あの村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』をamazonレビューにてけちょんけちょんに叩き、その軽快でユーモラスな批評において人気を博した、ネットの出身の新鋭ライター・ブロガーでございます。あ、ちなみにこんな風に書くとまるで私自身がドリー氏のモグリか何かのように見えるでしょうが、その心配には及びません。この記事は売名を目的にしてはおりません。
ドリーさんには、今回のamazonレビューを切掛にして、何と出版社からのライターとしての依頼が飛び込んできたようです。何ともまあ、驚くべきことです。ネットからの躍進というものが、こんなに身近な部分で行われているなんて……と、些かめまいのようなものを覚えてしまう塩梅でございます。そんなこんなで、今更になってドリーさんの名前を広める為に誰かが努力をしたりステマをしたりする必要は、今の時点ではおよそ皆無だと言えるでしょう。何たって既にその名前が広がっていく余地が取られているわけですからね。
さてまず、彼の批評について述べる上で、彼の書く批評文においては幾つかのポイントがあるわけですが、それについて紹介していきたいと思います。
自分をアッパークラスならぬダウナークラスに位置付け、そしてそのような低きからの視点において、批判対象(アッパーな雰囲気を纏うものや、ハイソな雰囲気を纏う書物)を叩いていく、というのがドリーさんの基本スタイルとなっております。
こういう風な「ダメ人間」としてのキャラ付けで文章を書くのは、ドリーさんの特徴でもあります。ちなみに、これまで「ダメ人間」としてのキャラでエッセイを書いてきた著名な作家を挙げるとすれば、例えば滝本竜彦とか、あるいは穂村弘などが該当するんではないでしょうか。ともかく彼のレビューは低い視点から行われます。そして必然、そのような視点が読者からの親しみを呼んだり、あるいは共感にまでこぎつけることも当然起こります。こういったことで、ドリー氏はネット層のナイーヴで、どちらかと言えばハイ・カルチャーには属していない人々の人気を勝ち取ってきたというわけです。
ドリー氏がamazonにて村上春樹を批評した手段はまだはてな民の皆さんには記憶に新しいと思うのですが、ドリーさんの真骨頂は、この「形而下ツッコミ」にあります。
ときに、今年の四月中旬に発売された、『色彩を持たない~~』という小説。これは村上春樹の発売した新作なのですが、この小説にはこれまで村上春樹が取り組んできた様々なエッセンスというものが生かされており、また、その他にも新奇な取り組み、挑戦的なメッセージなどが込められた作品でありました。
そのような『色彩を持たない~~』ですが、特にこの作品に込められたメッセージの中で重要なものを上げるとすれば、それは次のようなものになると思います。つまり、「我々の見る〈夢〉と、現実に起きている様々な事象の間には、ある種の相関関係があり、そして我々は夢というものを通じて現実の事象における幾らかのレスポンシビリティー(責任)を共有している」というものです、こうやって一文に纏めると分かりにくいんですが、もう少し分り易くまとめると、要するに「我々は社会的責任や個人としての責任というものを、夢という通路を介して確認することになる」、ということです。このようなメッセージは、恐らく村上春樹氏がこれまで取り組んできた、ユング研究者との間のやりとりや、あるいは彼の人生経験というものを基立ちにして書かれているものだと思われます。そのような点において、村上春樹の主張している文学性というものが光っているのです。
ドリー氏の批評のやり方は、そういった〈文学性〉。いわば、〈形而上学的〉な分野においては、全くタッチしないという、そういう方法論を使ったものだったのです。
これは、私が主観的な立場において評している事柄ではありません。
というのは、こういう「形而下的ツッコミ」とか、あるいは別名「表層ツッコミ」という言葉は、誰でもない、他ならぬドリー氏自身によって発された言葉であるからです。正に彼自身が、彼のレビューのやり方を評して、「表層ツッコミ」。あるいは、「形而下的ツッコミ」と呼び習わしていたのです。
つまり、彼の特徴を一言で述べるならば、その作品の奥深さというものに関してはできるだけ発言を控える。というものなのです。そして、そういった「奥深さ」に関しての発言よりも、もっと身近で物質的な、そういった部分に関して照明を当てる、というのが、ドリー氏の批評術なのでした。
アレ、ちょっと待てよ? という意見が、そろそろ出てきてもいいのではないでしょうか。
というか、若干キレ気味な方というのが、現れてきてもいいんじゃないか、という風に僕は思ってます。なんなんだそれは! と声を荒げてもおかしくない方法論じゃないのかこれは? と、むしろ僕自身がそんな風に思ってきているところです。
ドリーさんのやり方は、例えば以下のようなものです。
『色彩を持たない~~』にて、以下、主人公とその友人「アカ」とのやりとり。
アカは笑った。「嘘偽りはない。あのままだ。しかしもちろんいちばん大事な部分は書かれていない。それはここの中にしかない」、アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。「シェフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」
「あるいはそういうこともあるかもしれない」とアカは言った。それから愉快そうに笑って、指をぱちんと鳴らした。「するどいサーブだ。多崎つくるくんにアドヴァンテージ」
アカは言った。「俺は思うんだが、事実というのは砂に埋もれた都市のようなものだ・・・」
こういった、ちょっとオサレというか、まあそれらしい描写に関して、ドリーさんは以下のように述べています。
なるほど……。と思えるようなツッコミです。確かに、アカの言い方からは、極普通の社会生活を営んでいる方々から見れば、少し苦笑いをしてしまうような、あるいは軽く眉を顰めてしまうような、そういう素振りが端々から匂わされています。
これが、いわゆる「形而下ツッコミ」というものなのです。読者にとって、距離の近い何か、つまり、作中の人間における特徴的な発言とか、あるいは、そのキャラクターが行なっているファッション、あるいはスタイルというもの、そういった身近な位置に存在するものに関して、一つ一つツッコミを入れていく、という技術。これが、ドリーさんが主に自称しているところの、「表層ツッコミ」という技術なのでございます。確かに、このツッコミは面白い(笑)
ぶっちゃけ僕も何度か読み直して笑ったくらいのものです。それくらいに、この「形而下ツッコミ」には効果があります。
しかしです。
実際に、この『色彩を持たない~~』を読み込んでいくと、このようなツッコミに果たして正当性を認めてよいものなのだろうか? というようなメッセージが改めて浮かび上がってきています。
と言いますのは、まず、このアカという人物。なんと、未読の方にはネタバレになってしまうのですが――
――ですから、この先の部分に関しては未読の方は注意して読んで下さい、お願いします――
――同性愛者なのです。しかも、そのような事実に関して、何と自身が女性と結婚関係を持ち、暫くしてから気付いてしまった、というかなり不幸な人物でもあるのです。彼は、結婚後自分の性癖について自覚してしまい、かなりの苦悩を感じていた模様です。
その辺りは、『色彩を持たない~~』本編においてかなり描写が尽くされております。
ところで、ここで、「アレ?」と思われる方はいらっしゃいませんでしょうか?
つまり、ドリーさんのツッコミの内容が、果たして本当に妥当なものなのだろうか? という感想を抱いた方が、ここまでの文章を読んでいて幾らかいるんじゃないかということなのです。
ドリーさんのツッコミの内容は、以下の通りでした。
「『アカ』の臭わせている『自分大好き』臭がひどい、彼の自己陶酔的な態度がヤバい」
しかし、上のような本文の描写を読む限りで、そのようなツッコミはぶっちゃけ間違っていることが、明らかになっています。つまり、むしろ「アカ」の根底には、「自分大好き臭」などではなく、徹底的な自己嫌悪が存在しているということなのです。
付け加えるならば
この「アカ」は、その父親が何と名古屋大学の経済学部で教授職を務めている人物であったりするのですが、そのような父親に対してアカは名状しがたい反感のようなものを抱えて青年時代以降を生きてきていた、ということが本文にて言われています。しかし、多崎つくるが生きている現代の世界、彼が36歳になっている時点において、アカは一般企業向けのサラリーマン育成サービス会社の代表を務めているのですが、何と彼は、自分が忌み嫌っていた父のような、尊大で狭量な振る舞いを、そっくりそのままその会社経営やスピーチにおいて行なってしまっているのを作中で嘆いているのです。つまり、繰り返すように彼の中にあるのは、「自己嫌悪」というべき以上の何物でもない感情なのです。そしてそれを無視したまま、ドリーさんは「自分大好き臭がすごい」、などなどと形而下的ツッコミに終始してしまっているということなのです。
ドリー氏は他にも、レビュー中で多崎つくるのファッションについて言及しており、彼の終盤におけるファッション、「オリーブ・グリーンのバスローブ」について批判しております。
曰く、その色は「クソ緑」とのこと(笑) なんともまあユーモラスな表現ではありませんか。
しかしです。このような緑の色、というのは、西洋においてはいわば「嫉妬」というものを表す象徴的な色でもまたあるのでした。
主人公の多崎つくるは、本編の終盤において、交際相手の女性の浮気現場を目撃してしまい、そのことで苦悩します。そして本作は、作中において何か特定のスタイルや生き方、つまり「色彩」を持てなかった彼が、最終的に嫉妬の感情を表す「オリーブ・グリーン」のバスローブを着込む、ということを最後に、幕が降りることになります。結局のところ、この『色彩を持たない~~』という物語は、多崎つくるというプレーンで如才ない特徴の無かった男が、嫉妬という、これまで無色だった彼にとってあまりにも大きすぎる感情を背負うことになってしまうという作品なのです。そんなテーマが描かれた小説なのでした。
しかし、ドリー氏はこの「オリーブ・グリーン」の比喩に関して、「クソ緑」とただ一言切り捨てたのみなのです。それ以上の言及を、彼は避けております。
これが、いわゆる「形而下ツッコミ」の正体なのです。その、暗喩や文学的比喩といった奥深さに関しては常に除外し、表面的な部分にのみ視点をおいて俗っぽい言葉によって吐き捨てる、というのが、結局のところドリー氏の行っている批評の正体と言えるでしょう。
ドリー氏は、これは個人的な意見になってしまうのですが、はっきり言ってそういった「奥深い部分」に対する想像力、というものを発揮しない(あるいは表立って発言しない)といった批評のやり口に、あまりにも慣れきってしまっている感があります。何というか、そういった相手の表現したい奥深い分野については言及せず、大体において「表層的」あるいは「形而下的」な部分に対してのツッコミだけを行う、というのが彼のスタイルになってしまっているのです。
さて、ここまで長々と書いてきて、結論としては、ドリーさんの批評(クリティーク)においては、あまりにも想像力や文学的表現に対する理解というものが欠けてしまっている、ということが言いたいわけなのです。そんなこんなで、ドリーさんの書籍批評に関しては、以下の言葉でまとめることができるでしょう。やはり、ドリーさんの書籍批評はまちがっている、と
62 ソーゾー君 [] 2012/01/19(木) 12:55:28 ID:AiWBQW9.O Be:
お前達のように中身無く批判はしないからな…
調べた上で事実を書くだけ…
今は半島系在日もドラフト対象になるが昔は違った…だからドラフト外が設けられた…
そして今のスポーツ界の選手の顔を見た「酷いものだと理解した…」
俺はただ事実を語っているだけだ…調べたらスポーツ選手を纏める
「済州白丁VS韓国」←これなの…「日本VS韓国」じゃないの…
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50
62 ソーゾー君 [] 2012/01/19(木) 12:55:28 ID:AiWBQW9.O Be:
お前達のように中身無く批判はしないからな…
調べた上で事実を書くだけ…
今は半島系在日もドラフト対象になるが昔は違った…だからドラフト外が設けられた…
そして今のスポーツ界の選手の顔を見た「酷いものだと理解した…」
俺はただ事実を語っているだけだ…調べたらスポーツ選手を纏める
「済州白丁VS韓国」←これなの…「日本VS韓国」じゃないの…
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50
このへんのはなしで。
「Twitterユーザーによる無断転載が悪いならアフィブログでの無断転載のほうが数倍悪いんじゃねーの!?」
「無断転載批判クラスタの連中は無断転載にかこつけて他人を攻撃したいんじゃねーの!?」
というつぶやきをしたら無断転載批判クラスタの親玉に捕捉される
→あるユーザ、急に煽られるので切れてTogetterにまとめる
という流れです。
この攻撃されたユーザは反省したと謝罪をしては「でも俺を煽った親玉が気に入らない」と恨み節を垂れ流すような人間なので擁護は出来ません。
彼の落ち度については上のリンクを見て貰えば理解して貰えると思うので今回は話題に上げません。
今回はいわゆる無断転載批判クラスタに問題はなかったのか、と言うことを自分は考えています。
まずこのユーザは無断転載批判クラスタに直接議論をふっかけたわけじゃないんですよね。
議論をするつもりのない人間に対していきなり議論を始めるというのではそもそも議論にならないと私は考えています。
Twitterは非公開にしない限りオープンな空間なので捕捉される方が悪いと彼らは言うのでしょうが、私には納得できません。
また、この親玉の行動が狡猾で、まず煽りたい対象の発言を逐一RTします。
RTによって無断転載批判クラスタへのろしを上げ、攻撃を開始するという訳です。
彼らは「RTはTwitterが用意している機能だから何も悪いことをしていない」とはいいますがよく知らぬ人間に自分の発言を一つ二つばかりでなく逐一RTされるのは正直自分もやられたくないです。
彼らは別に不快に感じないのだと思いますが、それを不快に感じる人間もいます。自分は不快に感じないからと言って相手が嫌がることをやってもいいものなのでしょうか?
そのようなことを実社会で行った場合彼らは何も悪くないと言えるのでしょうか?
今回あるユーザが総攻撃に遭った原因は彼自身が無断転載批判クラスタとのやりとりをTogetterに纏めるという自爆行為に他ならないのですが、
無断転載批判クラスタが大勢で一人の人間に対して突っ込むのですが、それって議論になるわけないと思うんですよね。
もちろん最初に悪いのは感情的になる彼なんですが、集団で突っ込まれるというのは実際問題恐ろしいと私は考えています。
私が見る限り無断転載クラスタの人々は議論をしたいのではなく、相手を攻撃するという意図を持って行動をしているように見えます。
タチの悪いことに、無断転載批判クラスタの取り巻きはそういった集団攻撃を自己肯定します。
オープンな場で議論をする以上間違った事を言う人間が集団に攻撃されるのは仕方ないし
それを否定する人間は歪んだ正義感を持った歪んだ人間であるとしています。
集団攻撃されるのは批判される人間の自己責任であるというわけです。
しかし自分の気持ちとしてはそんなものがまかり通ったらもう恐ろしくてTwitterなどでは発言できなくなってしまうと考えています。
何か人と違うこと、何か間違っているかもしれない事を言うたび総攻撃、っていうのはもう議論とかそういう問題じゃないですよ…
集団に「お前は間違っている」と言われたらたとえ彼らの主張が正しいことでも自分は辛くて仕方がありません。
議論をするならお互いを尊重したコミュニケーションを取るべきだと私は考えています。
しかし、無断転載批判クラスタの人間はそんなこと知ったこっちゃありません。
相手が間違ってるから突っ込む、攻撃する。彼らにとってはそれが正義なのです。
でもそれって正義なんですかね?確かに正しいことを言っていますが、集団でそれをやられて気持ちのいい思いをする人間は居ないんじゃないですかね…
こんな事を書くと「お前は判官贔屓をしたいだけの妖怪どっちもどっちだ!」などと言われてしまうかも知れませんが、
私は良くないことは良くないと書いているだけです。
議論をするなら相手を極力嫌な思いをさせてはいけないと書いているだけなんです。
そもそも今回の話はどちらが正しくてどちらが間違っているとかそういう話ではないはずです。
アフィブログの無断転載もTwitterユーザーによる無断転載と同列に語るべきという彼の論理には一理ありますし、その議論を無視するというのも怠慢ではないでしょうか。
もちろん最初に攻撃的に書いた彼には非常に問題があります。それについては異論はないと思います。
自分も攻撃されたくない臆病者なので増田なんかで日記を書いているわけですが、本当にあそこは怖い。
正直彼らとは関わりたくないです。恐ろしくて恐ろしくて、私はTwitterのアカウントも消してしまいました。
でも、ああいう状況をみて本当に自分は辛くて悲しくて、たとえ責められている側が間違っているとしても黙っていられないのです。
無事1周年を迎えました。本当にありがとうございます!
投げ売り堂の増田への2012年1月の結果と雑感を書き込みます。
項目名 | 2月 | 1月 | 増減 |
---|---|---|---|
ユニークユーザー | 4854 | 5105 | 251 |
ページビュー | 34212 | 33168 | -1044 |
平均ページビュー | 1.66 | 1.57 | -0.09 |
平均滞在時間 | 1:54 | 2:15 | +0:21 |
新規訪問数 | 15.87% | 13.94% | -1.93% |
詳細はいつものように以下の Analytics の PDF に書いてあります。
そして、2011/03/01~2012/02/28 の1年間のデータを置いています。
投げ売り堂の 2011/03/01~2012/02/28 の Analytics PDF
2011/03/01から投げ売り堂を公開し、1年が経ちました。
途中、Amazon API の仕様変更だったり Google App Engine の課金開始だったり
いろいろな事がありましたが、無事乗り切ることが出来ました。
運用状況ですが、Google App Engine の課金は月1500円前後で落ち着いています。
このアクセス数だと恐らく980円のさくら VPS 等を使っても全く問題ない感じだとは思うのですが
長期間ストップするような障害も無かったですし、運用コストもほぼ無い感じなのでこれからも使っていきます。
後は、1年間月初めにこちらに増田に投下してた月次報告をブログとかに纏めないとなぁ・・・と思ってます。
同時にいつも Twitter で昼に流している商品情報を纏めて、日々更新していくような形をとればアクセス数は増えるのかなぁとか、ぼんやりとその辺は考えています。
毎日ブログは性格的には無理そうな気がしているので、一先ず自動で纏める形を取らないと・・・。
今年始まってふがいない事になっていますが、地味に昨日更新をしていたり徐々に更新をしています。
これから先の大きな更新としてはログイン機能とそれに付随しての該当商品が一定値を超えた場合にメール通知機能をするなど考えています。