はてなキーワード: 禁止とは
優先エレベーターの「お譲り下さい」は
任意なんじゃないの?
だから譲らなくてもいい
「ご遠慮ください」が禁止の意味だって思わないのと同じだと思うけどな
譲ってくれませんか?
は依頼であって、断られただけの話では?
不味い料理を不味いと口にするのは許されると思う。
だけどそれを「こんなの出してる味覚障害に金払う必要があるとか飲食業って本当簡単だよなぁ?」と言いながら会計して出ていったらカスハラになるかも知れない。
どうなんだろうまだ大丈夫かな?
たとえば店の前で「この店は超まずいですよ~~~」と大声で叫んだら流石に業務妨害も通るんじゃないのか?
いわゆる「ハラスメント」ってのは窃盗罪を万引きに言い換えるようなものなのでは?
つまり、「お前はそれがヤンチャで済むと思ってるのか?そろそろ弁護士呼んで蹴りつけるから震えて眠れ」を意味しているのでは?
じゃあ俺たちがやってきたクソゲー叩きってどうだったんだろう。
多分きっと間違いなく恐らく絶対メイビーで「この会社の作品がこれ以上世に出回らないように、売上を下げなければ」という使命感があったはずだ。
それはクソゲーを掴まされたことに対しての正義の怒りであり、言うなれば詐欺にあった被害者の訴えとして存在していたんだと思う。
つまりそこには業務妨害をしようという明確な意志があり、それが詐欺被害者という立場から来る特例によって許されると信じていたんだ。
食べログに騙されて不味い料理を食わされた客が、それを詐欺だと感じて相手が詐欺師ならこっちもある程度は強気に出てもいいだろうと暴言を吐いて回るのと同じ思考回路で。
でもそれは単に今まで訴えられてなかっただけで、いつ訴えられてもおかしくなかったこと、要するに「ハラスメント」だったんじゃねーのかと。
インターネットを通じて気軽にレビューが出来るようになった直後、気に食わないものをコテンパンに叩くのを当たり前だと人類が考えた時代があった。
それが一段落したあとに今度はそうやって自分の趣味嗜好で人様の作ったものをボロカスに言う事の是非が問われるようになった。
トドのつまり、どっちも流行りに乗っかって手当たり次第に言葉の暴力を合法的に振り回したかった人達による叩いていい認定ブームだった気はしないでもないのだが。
そして今、「クズに対してクズというのは正当なレビュー」という人類が長年守ってきた文化に対して「ハラスメント」という概念からの疑問符が投げかけられている。
ツイッターにおける誹謗中傷に対して弁護士が出てくることも増えた。
この時代の価値観で振り返ってみると、クソゲーだから何を言ってもいいし晒し上げにしてお祭り化してもいいという考えはかなりアウトに思える。
上辺で「愛がなければ出来ない」というくだらん言い訳をした所で、それは学校のイジメにおける「弄りを通してクラスに馴染んで欲しかった」と同じようなもんじゃないのかと。
もしもあと5年も続けていれば、いよいよどこかの会社がブチ切れて殴り込んできたんじゃないだろうか?
2000年頃のインターネットの価値観、世間一般の価値観においてはまだそういった行為は単なるお遊びで済んでいた。
でも今の時代の価値観で見るとそれはかなり危険な行為になっている。
昭和の時代は他人をぶん殴るというのは割りと一般的なことで、ちょっとした口論から派生して手が出るのはそんなに珍しいことではなかった。
それは「殴る」という行為が持つ意味、重さが今とは違ったからだ。
今の時代において「殴る」というのは最終手段としての面が強い。
論理を飛び越えて物理的に相手の言動を排除しようと試みることは、社会における通常の枠組みの外に位置しているのだ。
たとえばこれが原始時代であれば、暴力によって気に食わないものを排除するのは一般的だった。
気に食わないものを排除してから死人に口がないのを良いことに好き放題に自分に都合がいい理論を暴力を振るったあとに語るのは通常の営みであった。
それは実際に「決闘」というシステムとして社会に組み込まれていた。
だがいつしか決闘は禁止され、現代においても決闘を挑んだ時点で6か月以上2年以下の懲役が課せられるように法律で決まっている。
暴力を通して自分の意見を通すことは、原始社会においては許されていたが、現代社会においては禁じ手なのだ。
同じように現代においては「相手に罵声を浴びせる」ということにより相手を心理的に追い詰めることも禁止されつつある。
現代社会において人類は論理的に振る舞うことを目指している部分が強く、都合の悪い他者を社会から葬り去ろうにもそこには論理的な手段が求められる。
たとえばそれは権力構造であったり金銭の流れであったり法律であったりだ。
そういったものを通すことなく「相手に精神的な負荷をかける」ことによって自分の都合を通すことは、現代的でないものとして次々に禁止されてきている。
気に食わない商品に対してマイナスイメージを広めることで市場から追放することは、果たして論理的に正当な手段を用いているのだろうか?
「クソゲーを掴まされた時に辛辣なレビューを通して次に購入しようとした人に警鐘を鳴らすのはセーフなのか」を命題とする。
この場合、「一個人のレビューの範疇に収まるか」によってその是非決定されると私は考えている。
④脅迫を伴わない
それぞれの反例をあげてみる
①’販売店舗にて「クソゲー!絶対買ってはいけません!」と言うテロップを勝手に貼る
②’複数のアカウントを作成してレビューサイトに何度も批判を書き込む
③’製作者の人格や経歴についての批判をゲームのレビューに持ち込む
⑤’「本当にクソゲーですよね。皆さんの意見を集めて投書したいと思います」
こういったことをね、本当にやっていた人がいたんですよね……インターネットの歴史の中では……マジで……
このレベルのことをしていないなら、今の価値観でも大丈夫だと思う。
反例として挙げたのは明確にアウトな行為だと思うが、そこより下のラインでどこからアウトになっているのかがよく見えない。
「このクソゲー酷すぎwww」と書き込んだ時点でそこには「皆も一緒に叩こうぜ!」という意思はあるんじゃないだろうか?
だったらそれはレビューサイトにてあらゆる批判をすること自体がある意味で扇動の意思があることになってしまう。
まあ実際にそれは事実で、あと50年もしたらレビューなんてものが完全に禁止されるのかも知れないわけだが。
でもそれは会社によっても、製作者によっても、その時の空気によっても、そして刻一刻と変わっていってるわけで。
そこが見えないんだよな。
怖いね。
公式発表がないままストライクゾーンが変わっていくようなもんだよ。
アプデ告知のないオンラインゲームみたいなもんだ。
おい運営どうなってんだよ。
皆さんどう思います?
日本の反差別はもう無茶苦茶だ、架空の人物だけ愛してるんで現実の女性への悪影響は無いって言うミソオタにも理解を示さないといけなくなるの?
じゃあその次は何なのだろう?
黒人の真似事を愛してる人への配慮の為にブラックフェイスへの批判禁止?
戦車や銃を愛してる人への配慮の為に銃刀法を緩めようとしたり兵器が活躍できる戦場を用意?
日本を愛してる人への配慮の為に日本の現状への批判の禁止? ナチスを愛する人への配慮の為にハーケンクロイツも許容?
もうちょっと考えてくれ
シャトル(バトミントンの球)にスピンをかけてサーブする技法はプロでは当たり前のように使われている。
サーブでシャトルを打つ際に、わざと羽の部分を打つことでかなり強いスピンを掛けることができた。
これは流石にアウトということで、サーブでは羽を打ってはいけない。コルク(丸い部分)のみを打つべし。
・スカルジョのスピンサーブよりも、スピンが異常なまでに強力すぎる
・誰でも簡単に打てる
という特徴がある。
いつもアマゾンで商品を注文する際には玄関前への置配を指定する。
うちは平日昼間留守にするから受け取る人がいないのだ。
ただ油断しているとたまに不在のため持ち帰りになってしまっている。
一部の配達業者ではどういうわけか不在時の玄関置配が禁止されていて持ち帰りせざるをえないらしい。
まあ、うちとしては再配達をしてもらえばいいだけだから…とも言ってられないほど業界も逼迫していると聞く。
ならば、インターフォンでのやり取りをAIに代行してもらえないものだろうか?
前述した一部の宅配業者では、
そのように対応してくれるらしいのだ。
それなら、宅配業者が来た際には
「玄関前に置いて下さい。」
Twitterの迷走からmisskey.io(以下「.io」)のアカウントを作った。それからしばらくしてめでたくTwitterの方はアカウント凍結の憂き目にあったので最近は専ら.ioのTLを眺めている。
カスタム絵文字によるリアクション機能は他人の発信に対して反応を示す閾値を低くさせ、リアクションシューティング(リアクションをしまくること)をしあうことでSNSをやっている感は満たされる。そういう点では過ごしやすい
一方で、Twitterの迷走に併せてユーザーが増えてきたこともあり、やたらとTwitterのアンチテーゼ的な強調をされて持て囃されることもある。
などなど。そしてfediverseであるが故に、それらは管理者らの功績とされる。アップデートや規約改訂のノートが投稿される度に飛び交う「偉業」のリアクション、批判されて鬱になった旨ノートすれば慰めのカスタム絵文字が飛ぶ。権威化と馴れ合いの臭いがする。個人的にはTwitterでのイーロン・マスクのCEO就任当時の空気を思い出す。
加えて.ioは「スタッフ以外によるユーザーへの自主的なモデレーション行為」、曰く自治行為を禁止している。Twitterと違い何が言う度にどこからか批判を受けないかと心配しなくてよくなったと歓迎する人も多いようだが、逆に何が自治行為扱いになるのかとネガティブなノートは投稿しにくい。結果的にTwitterに比べての優位性を強調し、管理者らを持て囃し、表面上やさしい世界のTLが出来上がっている。
.ioについてネガティブなことを変にノートに投稿して自治行為と判定されるのも難儀だ。かくして私は今日も息苦しくやさしい世界の一員として、にゃんぷっぷーを愛で、レターパックで現金を送るのである。
うちはゲーセン禁止だったから、親には「増田君の家に遊びに行く」って言ってゲーセン行ってた
服に物凄いタバコのニオイが付くんだけど
家帰って親に「増田君、部屋の中でめちゃくちゃタバコ吸うんだよな…」って大嘘付いてたのを思い出した
俺の嘘のせいで俺の親にはめちゃくちゃ嫌われてたなぁ
「火垂るの墓」という映画の感想が大人になったら変わっていたみたいなのに近いなぁ。
子供のころは子供の視点で見るけれど、大人になると大人の視点でも見られるようになるというか。
大人になってみてみたら、おばさんだって自分の生活を守るために必死だったのかなと思うようになった。
戦時中で自分たちの生活もままならない感じなのに、妹夫婦が好き勝手に引き取った養子たちが親が死んだからと頼ってくる...というのがおばさん視点。
妹がいれば妹に子供たちの食い扶持を稼がせることもできただろうけれど、妹はもういない。
子供たちは食い扶持を稼いでくるわけもなく、ただ居候してただ飯を食っている。
その視点で言えば、あのおばさんの対応は子どもに対しては過酷でも、なんでそんな対応になったか理解できるんだよな。
PTAも似たような話で、抑圧される側の人間だけの視点で言えば、よくわからない、無意味なルールを押し付けてくる存在に見える。
一周回ってPTA側の人間もできるようになると、あれを禁止するというのは合理的なんだよね。
禁止するというのは、推奨しない、悪いこという印象を与える。
言っちゃなんだが、あの手の番組は誰かをいじめて笑っているところがある。要はいじめは面白いみたいな印象を与える。
「いじめ、絶対ダメ!」みたいなことを言っておきながら、あの手の番組を規制しないほうがなんか矛盾してないか?
元増田の言う内輪で面白いこと...も、増田がその冗談をやられる側、つまり「死ねよ」と言われる側をいつも買って出ていたなら内輪で面白いことをしていたでOkだ。
言う側だったとしたら、相手は本当にそれで面白かったのか疑問に思う。
こういうのは面白かったのは元増田だけで、相手は元増田を怒らせないために合わせていたが、心底傷ついていたってことはあり得るからな。
いや、相手は嫌がって心底辞めてほしいと言っているのに、それを元増田が面白がって全く聞き入れなかったというのもあり得るよね。
Stable Diffusion はオープンソースと言われているけど、実際のライセンスは CreativeML Open RAIL-M というライセンスになっている。
原文: https://huggingface.co/spaces/CompVis/stable-diffusion-license
意訳・要約されたもの: https://qiita.com/robitan/items/887d9f3153963114823d
作成・公開・複製・再使用許諾・配布を可能にしているけど、使用できない条件を課していて、例えば他人を傷つける目的で虚偽の情報やコンテンツを生成したり流布することをライセンスで禁止しているので、厳密にはオープンソースの定義に合致してない。
ちなみにオープンソースの歴史的には、この種の倫理を埋め込んだライセンスは人によって判断が分かれてグレーゾーンができやすいということで忌避されている。
さて、twitter 上での諍いを見ると、例えば絵師本人へのコメントで、本人が嫌がっている本人の画風で画像生成した画像をあえて送っている場合、「他人に対する誹謗、中傷、その他嫌がらせをすること」に該当しそうなものもありそうだ。(画像単体では成立しないという判断もありそうだから該当しない可能性もありそう。)
プラットフォームが問題視してるのは異常なペースでの投稿増加だから
1枚のAIイラストを3日くらいかけて選別して仕上げて出していけば止められんと思う
ここ最近でAIイラストの投稿を禁止するサイトが増えてきているが、実際のところ彼らが問題視しているのはAI絵を作成する行為そのものではなく「AIによって短期間に大量生産されたイラストが大量に投稿されることによるサイトのトータルクオリティ、ユーザビリティの低下」なんだよね。
つまり、今後どんどんAIイラスト投稿禁止のサイトを増やしていくにはそのサイトが機能不全になるくらいにAIイラストを投稿しまくればいいということになる。これは「作品のクオリティが低ければ低いほどいい」ので、ちょっと偉ぶりたいAIイラストメインの奴よりも、AIイラストを敵視している既存の絵師が空き時間で適当な呪文で大量に生成して大量に投稿しまくれる。
AIイラストの投稿を許しているような質の悪いサイトには「AIイラストの投稿を許しているとどんなことになるのか」を身をもってわかってもらう必要がある。そのほうが将来的にも必ず良い結果に結びつく。
モラルのないAIの使い方、AIの学習のための大量スクレイピングに対策を取らないPixiv運営への不信感がもとに、数多くのイラストレーターがPixivで公開していた作品を非公開にする流れが生まれている。
「pixivのイラストを非公開にしました」 フォロワー数十万の“有名絵師”から発表相次ぐ AI巡る対応に不信感
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2305/08/news068.html
これに対して少しモヤついていた。と思ったら、正しくそのモヤつきを説明できるような記事があった。
画像生成AIはクリエーターの権利を脅かすと規制訴えた団体の理事、禁止の二次創作イラストで批判され謝罪
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20230429-00347590
AIに対して批判的な態度を取る団体の理事が、二次創作が禁止されている作品のイラストなどで呼びかけを行い、後謝罪したという記事。
まさしくこれ。
自分は平気で他人の作品の二次創作を行っているにもかかわらず、知財権の侵害だなんだと訴えている人がいるように思えた。
実際、今回の非公開騒動の中では、艦これのTS(性転換)イラストを多数描いている人が、「Pixiv運営への不信感をもとに~」といった文言で作品を非公開にしている者もいた。
会社の温情でクリエイティブと承認欲求を満たせている分際で、クリエイターの人権だのどうだの良く言えたものだと思う。
完全にオリジナルのイラストを制作している人に対しても思うところはある。
AIが自分の絵を学習するのに忌避感を抱く人たち、そういった人たちには、今まで自分の好きなクリエイターの絵柄や色や構図を真似したことがないとは言わせない。
もちろん、真似する側のモラルが問題ということはわかる。画像生成AIに作品を提供しない理由のアンケートで、半数以上は「現状の画像生成AIの悪い利用方法を見て」と答えた。
https://twitter.com/you629/status/1641799881164738567
最もな理由だと思う。ただ、作品を公開する限り、誰かが自分の絵を学習する可能性はあるということは念頭に置いてほしい。AIの学習と人間の学習は原理がほぼ同じというか、AIの学習の構造は人間の学習をモデルにしている。スケールが違うだけで、同じことは今までみんな半ば容認していたということ。
そして問題はここからで、41%の他の奴ら。こいつらは現実を正しく認識できているのか不安だ。
「絵柄などの優位性が失われるから」
トレンドというものは常に存在するし、AIのトレンドが生まれたならそれに埋もれない創意工夫は、クリエイターにとっては半ば義務だと思う。
それを理由にAIからの学習を拒むのは怠惰だと思う。現代の最先端を走る技術に、面と向かって批判を発する資格が無いと思う。
それを言い出したらキリがない。AIにかぎらずあらゆる界隈に通ずるものだ。
最も時代から取り残された理由だと思う。今後一切のテクノロジーを利用しないことを条件にその意見は発してほしい。
長々と話したが、今回の騒動で最も気に入らないのは、単に流行りに乗っかって作品を非公開にしている(ようにしか見えない)層。
なんとなく、自分の絵がAIに学習されるのは嫌だから非公開にする。
なんとなく、みんなが非公開にしてるから非公開にする。
そういった奴ら。過去の絵を見てみたら、一切の個性を感じさせない、判で押したようなテンプレ絵。二次創作。
そんな奴らが良くも、人生をかけてオリジナリティを生み出す一流のクリエイターたちの横で抗議活動なんて行えるな?
ちゃんと、なぜこのままモラルのないAIの利用が増えたらまずいかを考えろ。
ちゃんと、自分の絵が説得力を持っているか考えてから主張しろ。
あと最後に、
この世の大半の消費者は、自分の利用する製品がどのように作られたなんて気にしないと思う。
自分が読んでいる漫画の、どこまでが作者の作画で、どこまでがアシスタントの作画なのか、気にする人は少数だと思う。
機能に不具合がなく、不自然さもなければ、たとえ猿が作ったものでも価値が生まれる。
このままAIが発達して、イラストレーターたちに何らかの不利益が生じるのは確かそうだ。
AIの作ったイラストをスマホの壁紙にする人はいるだろうし、それがどのように著作権を侵害したかなんて気にしないだろう。
この世の大多数を占める消費者に、直接的にしろ間接的にしろ害が生じる、ということを納得させないと、論に力は宿りづらいと思う。
学習データとなる絵がないと描けないイラスト生成AIは寄生と似ている。一方的に栄養を吸い取っていく様はまさに寄生だ。
一部、寄生側が宿主を攻撃する活動も見られる。そうなれば悪質なウイルスと同じになってしまい、そのうちワクチンもできてしまうかもしれない。
中には捕食寄生のごとく利益を食らい、宿主に「寄生しています!」と宣言する輩も現れた。捕食寄生が宿主に知られればどうなるか、その結果がFANBOXのAI禁止だ。
寄生ではなく相利共生が望ましいが、それには寄生側から宿主に何かメリットを提供する必要がある。イラスト生成AIの出始めは絵師の助けにもなるとの見方もあったが、現状はデメリットが大きく上回ってしまった。
宿主を傷つける悪質なウイルスが多数AI絵師になってしまったので、pixivのように当面規制するしかないだろう。ファンティアも宿主を守る方向に動いた。還元の仕組みができればいいのだが。
寄生は二次創作のように目立たなければ見逃されるが、悪質なウイルスのせいで悪目立ちしてしまったがためにAI絵師規制は過熱するのかもしれない。
AI絵師反発をラッダイト運動と例える人もいるが、ラッダイト運動の織物機械は手工業者に寄生していたわけではないので、似て非なるものだと思う。
他人の絵を見て吸収して描くのは人間の絵師も同じではあるが、人は絵以外のもの(例えば目に入る自然のものなど)からも影響を受けるため、他人の絵だけを吸収して絵を描いているわけではない。