はてなキーワード: 熟語とは
達が頭につく二字熟語ならたいてい似てるやろ
家庭教師として高校生に英語教えてて最近びっくりした。その子は同日共通模試の英語点数が8割超えでリーディングもリスニングも偏りなく取れてた。ただ基本的なとこで変な間違いがあったので、「この動詞が自動詞で使われることはほとんどないから、他動詞として使うと思っていいよ。目的語がなかったら選択肢から外して」って教えたらぽかんとしていた。どうやら自動詞と他動詞というものがわかってなかったそう。偏差値70を超える高校の生真面目な新3年生ですらそうなんだから、実際かなりの数の高校生がわかってないと思う。試しに「I run.」の意味を聞いたらもちろん「走る」とわかってたんだけど、「River runs.」を聞いたら「川が、、走る?」、「run a company」を聞いたら「、、、?」という感じだった。彼はシス単の4章の難単語もちゃんと覚えていて、長文で出てきてもおそらく読めるんだろうけど、実際は単語帳に出てきた和訳がなんとなくわかってるだけで他動詞用法や自動詞用法の区別はできてない。
高校とかで下手に難しい英単語を詰め込ませたり、逆にコミュニケーション英語として難しいお題決めてALTと無理やり会話させてみるより、もっと簡単な単語でじっくり会話や英作文をさせて添削したほうがよっぽど効果的だと思う。ネイティブでも知らないような英単語や上流階級じゃなきゃ誰も守ってないような規範文法や熟語を覚え込ませても、自動詞と他動詞が区別ついてなかったり、「come」を「来る」、「go」を「行く」、「run」を単に「走る」とだけ覚えちゃってるほうがやばいと思う。
こういうの書き慣れてないからかなり拙いんだけど、誰か1人でも見てくれたら本当に嬉しい。これは私の糞母校が偏差値10落ちて、すごく素敵な学校に生まれ変わってた話だ。
必死に受験をして入った学校。当時はかなり難関だったので、合格した時は本当に嬉しかった。
楽しい生活が待っているんだろうなと期待に胸を膨らませて入学した母校は、想像とはまるで真逆だった。
大学受験に向けて中一から必死に勉強の日々。部活中や行事の最中でも単語帳を見ている同級生。毎期壁に張り出される成績別のクラス分け。少しでも気を緩めるとついていけなくなる授業。本当に地獄だった。
教科書の英語長文は必ず一字一句暗記してクラスの前で発表しなければならなかったり、英語の小テストに落ちると(合格は満点のみ)何故か英文の書き取りを翌日までに60行×20枚やらなければいけなかったり、(因みに翌日の朝までに出さないと倍の40枚になる)教科書に出てくる全ての新出単語について自作の単語帳を作らなくてはならなかったり、漢字テストに不合格の場合は翌日までに600熟語を書取りしなくてはならなかったり、、こんなのは序の口でまだまだいくらでもエピソードはある。兎に角意味がわからないくらい厳しかった。
特に書取りと暗唱は地獄で、忘れ物の書き取りと熟語600字を1日でやる羽目になった日の絶望は今でも忘れられない。
冗談抜きに大多数が寝不足で死んだ魚のような目をしていたし、いつも何かに怯えて生き急いでいてカリカリしていた。
メンタルがおかしくなって不登校になる人は学年に二桁はいたし、出来るやつはどんどん態度がでかくなって先生をいじめていて兎に角最悪だった。
今日ちょうどやっていたフィギュアスケートのロシアチームくらい殺伐としていた。
今でも忘れられないエピソードは2つある。
一つは、大学に受かった同級生が「これで人生決まったよね。残りの人生もうこれ以上頑張ることなさそう。暇だわ」と言ったこと。
もう一つは、定期テスト時に少し鉛筆の音がうるさかった人に「てめえうるせーんだよ邪魔してんのか!」といきなりキレた学年トップ。
あの2人、今何してるかな。
そんなこんなで母校には全然いい思い出がない。
高校生後半は競争に疲れ、自律神経失調症になり、何度も自殺未遂を繰り返してやっとの思いで卒業した。
でも最近偶然母校に行った時、私はその変貌ぶりに驚いた。偏差値が10落ちたからか、ものすごくいい学校になっていた。レベル別クラスの撤廃、先取り授業の廃止などの要因もあるだろうが、何より在校生が本当に伸び伸びとしていた。
聞けば、私たちの世代の負の部分を見て、入学者のレベルも鑑み、少しずつ方針を変えてきたとの事だった。
わたしはそれを聞いて、泣きそうになるくらい嬉しかった。わたしにはいい青春はなかったけれど、こうして後輩たちが学校生活を楽しんでいる姿を見ることは本当に嬉しかった。自分たちの苦労してきたととは無駄ではなかったと思えたから。自分の青春は犠牲になったけれど、私は声を大にして感謝を伝えたい。
母校、変わってくれてありがとう。
苦しんだ日々は無駄じゃなかったよね。
全く違う。
現代の英語教育は、英文学を原文で読むことなどを到達目標としていない。
一昔前の受験英語ならともかく、現代の英語教育で難解な文学や評論が題材とされることはまず無い。
高校生が到達すべき目標を設定して、「この程度の単語や文法が分かれば、このくらいの文章が読める」という分析をきちんと行っている。
一方、古典の教科書には「桐壺(源氏物語)」とか「鴻門之会(史記)」などが掲載されている。
それを読むための必要事項はほとんど解説されないし、それを頑張って読解しても何の役にも立たない。
平安時代の古文常識は江戸時代の古文を読むときには何の役にも立たないし、時代が異なれば使われる語彙も大きく異なる。漢文の場合はさらにひどく、ある作品で出てきた難熟語を覚えてもそれが他の作品の読解に役立つ局面はほとんど無い。
小学生の頃漢字の書き取りが苦手だった、全然覚えられなかった。
毎晩書き取り帳に書かれた漢字を指定された回数書き並べていたけどまるでダメ。
読む方は得意ですぐ読めるようになるんだけどとにかく書けないタイプ。
大人になった今になって思えば、やりかたと意欲だったんだなって。
そのせいか老化かは知らないが最近はじめたモーニングノート、まあ漢字が書けない書けない。
ので、書けなかった漢字を毎日書き取るようにしたんだけど、これが1日で全部頭に入ってくる。
元々覚えていたのを思い出してる故か、書き取りのやりかたがいいかは分からないが合わせてお手製している漢字テストでは抜けもなく、
それどころかテストを見るまでもなく書き取りした漢字を覚えているので意識してモーニングノート中に組み込んでいるくらい。
ノルマがなくて自分で好きにやってることと、我ながら適当な性格なので雑、言い方を変えれば自由な書き取りがプラスなのかも。
今は朝、B5の用紙に覚える熟語を並べて、朝昼晩と気が向いた時に好きな回数書き並べて、夜までに1枚埋めるようにしている。
昨日は「地震」「情報」「収集」「報告」「内容」「近況」「喜ぶ」「次第」を思い出した。
今日は「睡眠」「寝る」「浮かぶ」「熟す」「課題」「欲望」「途中」「効果」「薄い」「栄養」「曜日」「疑惑」を書き取りする。
https://anond.hatelabo.jp/20211113201646
横田だけど、ちょっとググったらそれっぽいストーリーが立てられたので共有しておく。
三行でストーリーをまとめると
・「屍山血河」という言葉を考案したのは大日本帝国陸軍の文官で、陸軍教授の地位にいた樋口石城なる人物である。
・「屍山血河」は、旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を邦訳する際、邦題として発案された。
・この邦訳を読んだ人々が邦題を熟語として認識。そのうち、司馬遼太郎が小説内で多用したことで日本中に広がった。
「屍山血河」の由来はなにか。まず、中国語で言うところの「成語」にそれらしい言葉はない。
かといって「屍山」とか日常言語で使う単語という感じではないし、自然発生した四字熟語でもないだろう。
普通に考えたら、中国語以外の言語にある熟語を、明治以降の文化人とかが邦訳するときに成語っぽく整えた、とかが一番ありそうなパターンだ。
しかし、「屍山血河」という単語は辞書に載っているが、用例として記されているのは司馬遼太郎の小説ばかりだ。後は三島由紀夫だが、司馬遼太郎の用例が古い。
辞書を作ったときにそれより古い用例が見つからなかった可能性が高い。
普通、辞書の用例はその用法で一番古いものを採用する。だれか他の文学者が創作したならそっちが採用されないのは奇妙である。
もちろん、司馬遼太郎が独自に考案したと考えるのは早計だろう。
司馬遼太郎が勝手に創作したとされていた史観や、事実関係が怪しい記述も、近年ちゃんと調べてみると「元ネタ」があるものばかりだったらしい。
もちろん、だからといって、それらが歴史的事実だというわけではなく、「元ネタ」を書いた人が勝手に創作したり、誤認識していたということらしいのだが。
ともかく、司馬遼太郎は無から発想したり、自分で説明なしに訳語を創作するような人間ではないと思う。
用例として採用しづらい対象で、司馬遼太郎が興味を持つ題材の日本語の資料で「屍山血河」を使ったものがあるはず。
この条件に合致しそうなのが "屍山血河" コステンコ 著,樋口石城 譯 [1]である。
ちょっと調べてみると、これは旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"[2]の邦訳だ。
М. И. Костенкоは旅順攻防戦に少将として参加した後、戦後は軍事法廷の議長とかをやった、とwikipediaに書いてあった。
旅順戦の日誌は貴重な資料であり、ロシアで広く読まれた。これが邦訳され、1912年に出版された。
しかしそれにしては邦題がおかしい。おかげでググっても原著がすぐ出てこなくてちょっとイライラした。
"Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を機械翻訳すると、"旅順要塞の包囲と降伏:私の印象"となる。
実際、この本は1973年に田崎与喜衛に再訳されており、そのときの邦題は"旅順攻防回想録 "となっている[3]。
泥沼の旅順戦で主に大量の兵士、とくに日本兵が死んだ様子を描写して「屍山血河」と言っているのだろうが、戦闘記録の題名にするには文学的にすぎるだろう。
М. И. Костенкоが序文とかサブタイトル的な位置にこの単語を使っているのではなく、樋口石城が勝手につけた邦題である可能性が高い。
ロシア語でも Горы трупов (死の山)とか реки крови(血の川)という表現は戦争を表現する際、よく使うようだ。
熟語とまでは行かないが、並列して使われる例もググればそれなりに出てくる。
原著に直接この組み合わせが出てくるかはちゃんと調べていないので不明だが、本文検索してみたら、Горы труповは単体で積み重なった日本人の死体の表現として使われていた。
もしこの記録が文学作品だったらこの題をつけるのは適当かもしれない。
これ以降は完全に当て推量である。
陸軍教授、樋口石城がどういう人物なのかはググっても出てこないが、樋口季一郎の親戚とかだろう。しらんけど。
まあ、軍教授なのだし名家出身の学者で、ロシア語を含む文系の教養があって、仕事はロシア関連の軍事資料の邦訳を大量にやらされていたのだろう。
だから文学作品とかを書く暇もないので、やらされた邦訳の仕事で、多少のオリジナリティを発揮してみたくなったのではないだろうか。
そこで少し文学風に気取って成語っぽい「屍山血河」という語を創り、戦闘記録の邦題としてつけたのだ。
それを司馬遼太郎が資料として閲覧。そういう成語が既にあると認識、戦争小説で多用。
小説を読んだ人間もそういう語があると理解し、大量の死者が出る戦争を語る際に一般的な単語へと一気に昇格してしまった。
そしていざ辞書に載せようとすると、用例として明記できる古い例が司馬遼太郎以前にないことに気づく。
樋口石城の訳書も発見はされたのだろうが、題なので用例としては不適であり、スルーされた。
結局、遡れるのは司馬遼太郎の小説しかなかったのではないだろうか。
無論、上記は全てネット上で手に入る資料の断片からの推測であり、だいぶお粗末なものだが、もし当たっていればなかなか面白いストーリーではないだろうか。
以上、「屍山血河」の由来について横田が調べてみました。
[1]https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024298307-00
お節旋風とか商魂たくましいというか、
もうさハロウィーンをこえて、
クリスマスも越えてお正月の事を考えなくてはいけないぐらい日本人ってお節料理好きだったかしら?って
もうこの時期のお節推しがグイグイすぎて
日本はお節だらけになるかお節ならけにならないかの二択しかないわ。
カレーに飽きたら食べるものだというイメージしかないんだけど、
絶対にローストビーフとか美味しいおかずだけ先にやられちゃって食べられちゃうから、
そう言う渋いおかずがあとに残ってしまうのよね。
なんかもっと好きなモノだけを詰めたカスタマイズできるお節があったら
受けて作る側は大変だろうけど
そんで白菜とかも添えてあってって
別にそれでもいいんだけど、
お節ってそう言った意味では
一瞬迷って華やかな見掛けの体裁にいわゆるインスタ映えるだけ映えてテンションが上がるけど、
正直言って買ったりしないわね。
一瞬上がったテンションとともに一瞬でションテンが下がってしまうから
安泰人ってすぐに冷静になれるものなのよ。
好きなモノだけが詰まったお節だったら本当になににしようかしら?って
結局また迷ってしまって、
もう迷うことはないわね。
通常のお節なら
さっきも言ったように渋めのあんまりちびっ子が喜ばないフジッコの昆布の結んだやつとか
そういうのが残っちゃうのよね。
かと言って
上手く出来るような気がしないし、
シースーのパックのを中華鍋にほおりこんでシースーチャーハンにするのとはまたワケが違うのよ。
いまやもう
お節の有効性というか
そこまでしてお正月お店が閉まって危機迫る且つ鬼気迫る年明けって食糧難にはならないのよね。
まあ昨今の今頃からの時期のお節旋風ってのが
まだ野球もどっちがどのチームか優勝していないクライマックスどころの話しでもないまえに、
そもそもとして、
お節旋風の前に
どちらかと言うと、
そっちの方が年賀状描くイラストがギリギリまで決まらない方が危機迫る且つ鬼気迫るって感じなのよ。
オリンピックの「オ」かコロナ禍の中の渦の「渦」って感じが今年の漢字一文字になるかもしれないし、
あれ私思うんだけど、
漢字一文字に色々な一年の思いとか出来事とかを詰め込むなんて負担が大きすぎると思うのよ。
企業とかがさー
よくやってる伊藤園杯の川柳みたいに募っているけど募集していない体裁で
ローランドさんの言い方で言うと
この世の中は二種類の人間に分けることができて
そのローランドさんと夏井いつき俳句師匠がエヌエイチケーで街ブラしている番組のイメージしかないわー。
シリーズ化して欲しいんだけどって切に切望しているところよ。
だから世の中に
お節はあんなに余計に具だくさんなのに、
今年の創作四文字熟語大会ってのをどっか開催してくれないかなーって思うわ。
それなら私伊藤園のお茶に書いてある川柳全部読むもん!ってぐらい
応募作も全部読んじゃうし、
二つの団体が揉めて仲直りして1つにまとまるプロレスの団体みたいになるまでがセットってところまで
開催し続けて欲しいわ。
お節もいいけど、
私はありだと思う派よ!
うふふ。
お節にサンドイッチの詰め合わせでも良いと思ったけど
それならそれそのまま持って出掛けてピクニックできるじゃない!ってことに今気付いたわ。
そんなに粗熱も急いで取らなくても、
置いておいたら
いい温度になる飲み頃に。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
現在のTOEIC点数:未受験。TOEIC L&Rテスト これ1冊で600はとれる(旺文社)の模擬テストの点数は、リーディングセクション10問が未回答(時間が間に合わなかった)で L+R=385+295=680点 だった。だが、思ったよりも簡単だったことと、まぐれ当たりが多く感じたため、この点数はあまり信用していない。
短期目標:来週受験するTOEICオンラインIPテスト、および11月下旬の公開テストで650-700点
・TOEIC L&Rテスト これ1冊で600はとれる(旺文社) トレーニング Part7 Q1-2
2問目はドンピシャな選択肢が見つけられたため簡単に解答できた。しかし解答時間が短いことに焦り、問題文を最後まで読まずに解答してしまったため、1問目は不正解。冷静になって最後まで読んでいたら簡単に回答できるものだった。
次からは、 流し読みで最後まで読む→設問を確認→適宜問題文の細部を確認しながら解答 という解答方法にしようと反省。
・TOEIC L&Rテスト これ1冊で600はとれる(旺文社) トレーニング Part3 Q4,5,6
前回解答したQ1,2,3の音声をウォーミングアップ(兼復習)として聞いてから解答。問4のみ不正解。解答を確認してから音声の書き取りを行い、誤って聞き取った箇所を確認してから音読。
話の大筋は理解できたが、ところどころ間違えて聞き取っていた(×Acient ◯Asianなど)。まぐれ当たりのような感じは否めず、設問によっては問5,6も落としていただろう。
look into〜「〜を調べる」:weblio辞書いわく、高校1年レベルの表現だそう。必ず覚えるよう反省。
文章力向上のために読書を役立てたいならば、黙読だけではなく、音読するのも良いと思います。
音読していて詰まるところ、例えば読み方が分からない漢字や熟語が有ったら、読み仮名を振り、欄外に意味をメモします。漢字じゃなくても、外国の小説だと、地名とか建物の構造とか日本人の知らない単語が出てきたりもしますが、それらも最近ではググると分かるので、欄外にメモします。
こうして読み仮名を振り、知らない単語の意味を書き添えたりして音読すると、スラスラ読める文章とそうではない文章があることに気づくようになると思います。
スラスラ読めるとか、何だか読んでいて気持ちが良いとか感じる文章があれば、それらを写経します。絵画の勉強の初期段階で模写に取り組む時期があるように、文章の勉強のために写経するのは無意味ではありません。
国語便覧などの資料には、修辞技法の解説が掲載されていると思います。それを読んでみて、その技法を用いた短文を書く練習をするのも良いでしょう。