はてなキーワード: 無秩序とは
【オフサイド】
フットボールがアソシエーション(サッカー)とラグビーの2つに収束していく前からある概念。
オフサイドにいる選手はプレイしてはいけない。⇔プレイするためにはオンサイドにいる必要がある。
単にオフサイドにいる分には構わないが、何かしらプレイと関係があると判断されれば反則になる。
昔のフットボールはボール保持者が常に前線で、ボールより前でパスを待つのはつまらないという思想だった。前にいくにはドリブル。手で持ったら後ろの選手にパス。タックルも前方から。
サッカーが確立するにしたがって、前方へのパスを解法したいが、ガン待ちは引き続き禁じたいということになった。
そのため、古くはボールの位置だったオフサイドライン(オフサイドの境界線)が緩和されて、「ボール」・「ハーフウェーライン」・「ゴールラインから2人目の守備側選手(通常GK+1人)」の3つうち、一番相手ゴール側のものをオフサイドラインとするようにかわっていった。
競技規則の書き方に沿って書くと、"相手競技者のハーフ内"で"ボールおよび後方から2人目の相手競技者より相手競技者のゴールラインに近い"とオフサイドにいることになる。
ラグビーでは無秩序にならないようにより厳しくプレーを制限するよう進化した。シチュエーションによってボールより後ろに色々なオフサイドラインができる。
密集から剥がれた選手が止まっていたりぐるっと後ろに回ったりするのはオフサイドの位置でプレーに関与しないため。
スクラムから離れたところで横に並んでるのは、そこにスクラムに関与しない選手のオフサイドラインがあるから。
オフサイドルールはサッカーの中ではややこいけど、サッカーは野球やラグビーやアメフトの細かいルールに比べたらシチュエーションによる違いとかそんなにないので難しくないと思う。
……こういう自由で、無邪気で、無秩序で、好き勝手で、技術万歳で、ふんわりしたお気持ちルールなんてクソ食らえで、できることをやって何が悪いんだという精神性って"古き良きインターネット"の魂の再来なんじゃないのかね?
「もはやインターネットはアングラではない」、「ネットでもリアルと同じモラルが求められる」、「嫌がっている人がいるならそのお気持ちを尊重するべきだ」みたいなモラリスト気取りの言説を見かけることも少なくない現代でも、インターネットの根底に流れるモノは変わらないんだなと再認識した。
はてなーもモラリスト気取りが多いけど、イラストAIの話題への意見を見ていると、やっぱり一皮剥けば"ネット民"なんだなって感じがして笑える。
断っておくが、ワイは日本が好きだし、愛国心もある。趣味はNETFLIXである。
韓国発の映画やらテレビシリーズだったり、K-POPだったり、世界中といって良いのかわからんが、夢中になってるって話をよく聞く。
ただし、自分の周りの日本人から聞くことはないし、自分も興味はない。
ソフトパワーっていうの?コンテンツ発信力。いつの間にか日本より全然影響力がある。
技術の世界でもサムソンの技術力はもはや日本のTOP企業すら足元にも及ばないし、サムスン製の製品は日本以外なら至る所で見る。
政治だって、政治家で権力あっても悪いことすれば検察に捕まる。
日本は検察も警察も公安も壺民党の犬状態で、無秩序of無秩序状態。
さらに韓国の政治家は大抵超名門大学出身のエリートだ。日本みたいに世襲でボンボンの無学のアホが総理大臣になることはない。
いつの間にか日本の政治家も朝鮮のカルトに取り憑かれてしまって、もはや朝鮮の植民地状態だ。
そりゃ韓国相手に1990年台まで途上国支援とかやってたのに、今やGDPでも格下だ。
日本が絶望的にしょぼくて韓国が相対的にすごく見えるのかわからんけど、すごい。
とはいえ、海外旅行でいろんな国を訪れたけど、今後も韓国に行くことはない。
興味ないけど、韓国すごい。
たくさんの心と目を持つことだよ。生身の人にかぎらず、書籍を通しても多くの人に出会うこと。
ものすごく個人的な考え方を書くけど、人の心は一人分じゃない。今までに触れ合った他人の人格が無秩序に組み合わさって心は成り立っていて、何かに対面したとき、彼らが心の中で喜んだり苦痛に感じたりする。自分なんてものは死ぬまで赤ちゃんのまま成長しないので、幼い心ひとつで世界を見るのは辛い。苦痛が理不尽な苦痛にしか思えないから。だからまずは信じられる誰かを見つけたほうがいい。その人を先生として、先生の目から世界を見て、それから先生の心を構成している人格をたどる。大抵は思想家が中心にいるんじゃないかと思うけど。ともかく自分の中に住んでほしい魂を選ぶ。頭の悪い自分の代わりに物事を見てくれて、いつでも相談できる。先生たちが頭の中で勝手に議論してすらくれる。孤独でさえなければ、何事も怖くないよ。
車道を歩く奈良公園の鹿 一見無秩序に行動しているように見える奈良公園の鹿ですが、実はきちんと規則正しい生活をしています。まず日の出と共に餌場へ出勤。餌場というのはセンベイをくれる観光客がいる参道や公園内の草原です。ここで1日を過ごした後、夕暮れと共に泊まり場に移動して20頭前後のグループで夜を過ごします。ですから昼間鹿で賑わう参道も夜は鹿の姿は一匹も見られなくなります。
この泊まり場というのは動物達が寝る所で、通常自然界では捕食者に襲われる心配の少ない安全な場所が選ばれます。では奈良公園の鹿における泊まり場とは何所なのでしょうか?実は泊まり場は奈良公園の関係者達もよく把握しているわけではなく、おそらく公園内の人けのない静かな茂みと推測されています。その一方で「公道」を泊まり場としているグループもみられます(主に歩道で休むが中央分離帯で休む鹿もいる)。人や車が往来するのでたしかに外敵に襲われる心配は無いのですが、公道を泊まり場にしていることによって年間100頭もの鹿が交通事故に遭遇しているのです。また選挙やイベントの案内ポスターが食いちぎられるといった奈良ならではの被害も多発し、鹿の被害とは分からず警察が出動することもあります(たとえば人が選挙ポスターを破ったりすると罰せられます)。
奈良公園の主で天然記念物に指定されている鹿ですが、個体数はメスがオスの3倍近くあります。その理由は至って簡単でメスの方が長生きをするから。過酷な大自然とは環境が異なる奈良公園では鹿達も寿命を全うすることが多く、自然と長生きするメスの個体数の方が多くなったのだそうです。では奈良公園はオスにとってハーレムなのか?というと半分Yesで半分Noなのだそうです。これも理由は簡単。長生きするメスが増える=オバァチャン鹿が増えるということで、若いピチピチのメスが多いわけではないのでオスにとってハーレムとはいえないそうです。それに元来鹿は力の強いオス鹿が何頭ものメスを囲う一夫多妻制ですからメスの個体数が多い少ないにかかわらず強いオスはハーレムの王者となれるわけです。
奈良公園で亡くなる鹿は1年間で約360頭ほど(このうち100頭前後が交通事故による)。これらの鹿は公園内の鹿苑で火葬され鹿塚に埋葬されます。また毎年11月には鹿煎餅の製造業者らが参列するなかで春日大社の神職により供養され慰霊されるのだそうです。鹿とはいえ神様(春日大社)の使いですからちゃんと供養されているわけです。この鹿苑は公園内にありますので観光で訪れた際には一度訪ねてみてはいかがでしょうか?
奈良公園に鹿が多いということは、その分鹿の糞も多いということ。この為、奈良公園では動物の糞を餌とするコガネムシ「フンコロガシ」がたくさん生息しています。彼らは大好物の鹿の糞を見つけると自らの巣穴に運び込みます。仮に餌として食べ残しても地中で分解され芝の肥料となり、その芝が鹿達の餌となるわけです。
餌が豊富な奈良公園では最大2㎝近くの大きさまで育ったフンコロガシも見られ、近年はこれらフンコロガシを観察するイベントも企画されています。このフンコロガシ達、さすがに参道など人通りの多い場所ではなかなか見ることができませんが、芝生エリアに行けば鹿の糞の周りに小さな盛り土のようなものがあり、それが彼ら達の巣なのですぐに見つけることができます。なお奈良公園ではこのフンコロガシ達のおかげで糞が素早く分解され、悪臭を放つことがないのです。
家族がやってる店が新規オープンするので手伝いに行くことになった。食品関係の店だ。
そんなにいい場所でもないし小規模な店舗だしオープニングで売出しをすると言っても宣伝はSNSと地元のタウン誌に広告を出しただけでそこまで忙しくなる計算ではなかったようだが、実際蓋をあけてみたらものすごい人数が押し寄せてきた。
レジは無秩序な列ができ商品へのアクセスができない状態、しかも横入りなどが多発し小競り合いがおきている、こっちは品出しとレジに追われてるのに店内に入れない奴までもが何かを叫んでいる
駐車場なんてもともと数台分しかないのに周りにあるアパート住人の駐車スペースや通路に勝手に駐車し苦情がくる
オープン当日でさっき届いたばかりの花輪の花を勝手に抜いて持っていく(1時間後に見たら花が一本もなかった)
人でぎゅうぎゅうなのにマスクしないで入ってくる奴、座り込む子供
完全にカオスであった。
人手はできる限り増やしていたしそれなりの打ち合わせやロープレもしていたけどこのザマだ
そもそもオープンでのサービス目当てで集まってくるチェリーピッカーどもにマナーを説くこと自体おかしいのか
本当に全体的な民度が下がっているのか
昨今の日本は無秩序そのもので、政界は与党が汚職三昧、質の悪い無教養だけでなく倫理観すらない人間で占められている。
さらに、頭の悪いタレントが平気で立候補して、事もあろうに当選したりもする。
社会問題は解決するどころか日に日に増えていき、(それも政界サイドの問題が大半を占める)少子高齢化は与党からは是正するつもりもなく、税金は利権にばら撒かれるのみと思っていたら、それが日に日に加速し、今や電通も立派な中抜き業者へと成長した。
教育や研究に税金が使われることはほとんどなく、何もかも時代遅れであり、未来への投資がなされない以上、日本の未来は加速度的に悪化することが目に見えている。
現時点で国民一人当たりのGDPも絶望的に低く貧乏国としての地位が確立されているが、それでも政治家への相対的に報酬は非常に高い。
日本がどれだけ没落しているか、貧困以外の面でも、国際競争力を見てもアジア内ですら中間程度の順位だ。日本人が途上国と思っていた国はとっくに日本より可能性のある国へと成長しているのである。
諸悪の根源、カルト界の重鎮、安倍晋三の死によって、少しは無秩序な様がマシになるかと思いきや、日本全体が既にカルトに侵食されており、ガチカルトのネトウヨだけでなく、無意識カルトまでもが、今や日本のマジョリティー的な存在となっている。
これらの層が大半を占める日本では、民主主義が機能せず、ここまで衰退した日本で今尚政治に関心が低く、政党が何をやっているのかも気にしない、投票する層が何を考えているかと思えば、安倍氏主導で始まった野党へのネガティブプロパガンダによる ”野党はだらしない” という言葉だけが記憶に残り、自民党に入れるだけ。思考しないことに慣れた層が投票するだけだ。
公文書を偽装し、善人を死に追いやるような政党が平然と選ばれるのだ。
倫理観という最後の砦も機能しない。日本人はそれすら失ってしまったのだろうか?
メディアもメディアで腐敗と戦うメディアは稀有で、国家の衰退に加担し、印象操作に走る始末だ。安倍氏殺害の容疑者が勘違いして安倍を狙ったなどと、吹き込んでいるのがいい例だ。
反社の統一教会の名前すらろくに出てこない。海外メディアですら出ているのに。
この姿が世界からどう映るだろうか?国家として破綻しているとみなされ、世界から一層相手にされなくなるだろう。今まで通りATMとしての場面だけお呼ばれするだけだ。
与党に自浄作用はなく、メディアも腐敗に加担し、国民の反知性化に走るのみ。
この状況下で、何に希望を持って生きているのか、非常に気になる。
冷静に考えると、これってどういうことなんだろう?
サブスク、たとえばネットフリックスにある映画を全部みたひとは世界に誰もいない。
その中にあって「見る映画」とはなにか?
なんとなく話題になって、なんとなく知っていて、なんとなく興味をひく「なにか」があって。
この「なにか」ってなんだろう?とよく考える。
ほんの欠片のひっかかり。欠片ってのがポイントで知りすぎるとネタバレになってその欠片が霧散する。
これをもっとガイドするシステムやサービスがあればいいなと思うがそれにむいたところがない。
やりすぎて霧散するか、ひっかかる欠片にすらならない未熟なもの。
イカゲームとかなんで流行ったんだろう(そして現在誰も話題にしない)。
もっとつきつめて興味のあるところを狭く掘るか。
なにもしないか。
通常の芸術とは何かを考える。心理学には『面白さ』とは『なんらかの予測が可能な時にその予測を裏切られるもの』という定説がある。この定説を元にすると、面白い芸術とはモチーフやジャンルといったような『予測のための型』の中に『不確定要素としての個性』が入り込んだものだと考えられる。守破離とはよく言ったものである。通常の芸術とはそういった共感性から人々を集めるものだ。
型とは共感性であり、秩序だ。そこから外れれば外れるほど、それは予測のしようがないものになっていき、最終的には『ランダム生成』のような無秩序に行き着く。
全く同一の前衛芸術を一般人と有名人が同じ条件で発表した所で名声を得るのは有名人の方に決まっており、その本質はソレを発表した人間の知名度でしかない。そこにあるのは『作品の共感性』ではなく『作者の人間性』や『人々の間での話題性』なのだ。
つまり芸術を評価する場合、評価の軸が対物的であるほど通常の芸術は評価され、対人的であるほど前衛芸術は評価されるはずである。
人と違うこと、つまり共感性の逆を行くということを評価するのであれば、サイコロや AI などを用いたランダム生成の作品の方がはるかに優れているということになるだろう。もし『そこに人間性が介在する』という前提もなしに前衛芸術に「作品としての良さがある」と語る人がいるというのなら、それはただの逆張りでしかない。そういった事に心当たりがある人は一度、本当に自分はこの作品が好きなのか考え直したほうがいいと思う。
本当に頭が悪いんだな。人格批判も何も同じツリーで何度も説明している前提事項を踏まえずにトラバしてくる奴は頭悪い以外に評価のしようがない
当初主張Aがネットでバズっていたとしてもそれはたまたまその時点でフォーカスを集めていただけであって、広いネットには初めから主張B・主張C・主張Dを主張する人も当然存在するわけだ。またそもそも当初はネットに書き込んでいないけれど個人の意見として主張E・主張Fを持つ人もいるわけ。で主張Aに対して反論A'がぶつけられ、再反論A"が生まれ、また別の主張BとマージされてA"+Bになり、と思ったら全く新しい切り口の主張Eが書き込まれ……みたいに無数の人間が相互に影響しながら無秩序に意見交換していくのがインターネットだろ。
だから「各論が論破されるたび別の論点が出てくる」なんて(実際に論破されているのかはともかく)主観レベルでは当たり前の話で、混沌とした議論の中でお前の主観で見たいものを見ているだけの話なんだよ。それを主観として整理できないのはお前の能力が低いせい。頑張りなさい
政府は電力会社憎しの世論を煽り、海外で失敗だらけの電力自由化を無理やり押し進めた。
自由化の大義名分は「購入先の多様化」「競争による低廉化」、そして「再生可能エネルギー」だった。
結果は以下
①卸市場活発化のために、大手電力会社は利益ゼロで電力を供出させられ
②発電所等を持たず、安定供給への使命感などゼロの新電力がそこから利益を抜き
③孫正義と菅直人によりFIT制度が作られ、国民の血税を吸い上げながら役に立たない再生可能エネルギーが次々と導入された。
電力の供給安定性は大きく毀損、無秩序な再エネが景観を壊し、挙句の果てに国民負担は2.5兆円以上増えてしまった。
これを世紀の愚策と呼ばずして何と呼ぼうか。