通常の芸術とは何かを考える。心理学には『面白さ』とは『なんらかの予測が可能な時にその予測を裏切られるもの』という定説がある。この定説を元にすると、面白い芸術とはモチーフやジャンルといったような『予測のための型』の中に『不確定要素としての個性』が入り込んだものだと考えられる。守破離とはよく言ったものである。通常の芸術とはそういった共感性から人々を集めるものだ。
型とは共感性であり、秩序だ。そこから外れれば外れるほど、それは予測のしようがないものになっていき、最終的には『ランダム生成』のような無秩序に行き着く。
全く同一の前衛芸術を一般人と有名人が同じ条件で発表した所で名声を得るのは有名人の方に決まっており、その本質はソレを発表した人間の知名度でしかない。そこにあるのは『作品の共感性』ではなく『作者の人間性』や『人々の間での話題性』なのだ。
つまり芸術を評価する場合、評価の軸が対物的であるほど通常の芸術は評価され、対人的であるほど前衛芸術は評価されるはずである。
人と違うこと、つまり共感性の逆を行くということを評価するのであれば、サイコロや AI などを用いたランダム生成の作品の方がはるかに優れているということになるだろう。もし『そこに人間性が介在する』という前提もなしに前衛芸術に「作品としての良さがある」と語る人がいるというのなら、それはただの逆張りでしかない。そういった事に心当たりがある人は一度、本当に自分はこの作品が好きなのか考え直したほうがいいと思う。