はてなキーワード: 正論とは
小利口なエリート集団みたいなところと自分は近い位置にいるんだってことを匂わせて
いわゆる底辺層を大義という自分が責任負わなくてもいいもんをバックに
排除することが世の中のためみたいな薄っぺらい自己満足から抜け出せないからなんだよな。
どうせ元ジャーナリスト(笑)としての能力を生かすならその「自己責任で糖尿病から透析が必要になった人」にも医師と同じくらい話聞けばいいのに。
まあ100000歩譲ってヤツに同情するとしたら、今時正論をまっとうな方法で主張しても誰も食いつかないから過激な言葉にすることにしたってことで
ある意味ヤツのあれを作り上げたのは便所の小バエのごときネット民てことになるんだろうな。
ていうかみんな優しいな。
とてもじゃないけど自分からあのアホのブログとか読みに行く気がしないわ。
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48511272.html
あとあいつの書く文章のキモいところは、内容に賛成することで「私もそんな小利口エリート集団に近い意識もってまーす」みたいな優越感に浸れる仕組みになってるとこなんだよな。
批判覚悟!デートで男がおごるのは当たり前でしょ? - 19歳で倒産に追い込まれた忙しい女子大生のおしながき
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.1919az.com/entry/2016/09/10/020441
Aという煽りにBという正論が脊髄反射で導き出せる初歩も初歩のクソ煽りじゃねえか
やれ「こうしたほうがいい」だの「この考えは間違っている」だの、あらゆる角度から精査吟味したコメントが山ほど付く。
返ってくるのがこんな回答なら自分は満足だ。
「なぜオナニーするのか?」と訊かれたときと同じなら何も文句はない。
しかし、「お前」はそうは答えない。「間違っていることを間違っていると指摘するのは当然…」みたいな、ゴニョゴニョしたことを言う。
世の中の間違いを正し、正しい考え方を伝えたいなら、なぜはてなブックマークのコメント機能なんか使う? まさかそれが自分の意見を伝える最適な手段だと思っているのか?
はてなブックマーカーのxevraという人はこんなコメントを書いている。
「棘があるのはそうしないと相手に届かないから仕方ないんですね。私のブクマ活動の目的は社会をより良くする事なので少しでも役に立てばうれしいです。」
こんな記事も書いている。
http://xevra.hatenablog.com/entry/2014/05/03/165034
要約すると、自分がはてブコメントを書く、しかも強烈に棘のある言葉で書くのは多くの人に強い印象を残すためであり、これを継続すれば社会が良くなっていくのだそうだ。
「もちろん、極微々たるものではあるが、こうやって毎日毎日メッセージを発信し続ける事で社会がほんの少しでも良くなれば、より住みよい社会になって私の人生も楽しくなる。
だから今後もこのスタンスは変えないし、日々、社会が良くなるにはどうしたらいいか考え続け、メッセージを工夫して発信し続けたいと思う。」
寝言は寝て言え、と思う。こんなことを1万年続けたって社会は良くならない。よしんば良くなるとしても、xevra氏自身の言うようにその効果は「極微々たるもの」だ。
なぜわざわざ「はてブ」を選び、そんな非効率的なことを続けるのか? なぜ微々たる効果に甘んじているのか? お手軽だからだ。似たような考えの人に安定して指示されるからだ。平均値よりそこそこ高い知能を利用すれば高確率で勝てるジャンケンゲームだからだ。気持ちよくなれるからだ。
特に最近のxevra氏は「先生」などと呼ばれて、一定のキャラクターを確立している。「同じことばっか書いてて頭おかしいけどちょっと憎めないよね」みたいな。「なんだかんだで言ってることは正論だよね。僕も野菜350グラム食べるようになりました」みたいな。これは閉じたコミュニティの中で生活するなら喉から手が出るほど欲しいポジションだ。何を言っても周囲が今までのキャラクター性と照合して解釈してくれるし、間違ったこと、人を傷つけることを言っても「まああの人はそういうキャラだから」というエクスキューズが成立する。自分専用の席が用意された世界ほど居心地のいい場所はない。
矛先がxevra氏に向いたのでこれを読んでいるxevra氏以外の人は安心したかもしれないが、問題は似たようなことを毎日やっている「お前」だ。自分がこれを「おまえら」としないのは、「でも、そうでない人も中にはいるし」という逃げを打たれるからだ。はてなブックマーカーという群体ではない「お前」の話をしている。
お前が毎日いろいろなネット記事に正論を貼り付けているのは、間違った考えの人たちに考えを改めて欲しいと思っているからなのか? それともただの楽しい井戸端会議のつもりなのか? もし前者だと少しでも思っているなら、もっと効率のいい方法はいくらでもある。文字数制限された1行コメントで変えられるほど世界は小さくない。「正しさ」を手札にしたゲームにのめり込めばのめり込むほど、数えきれない多くの問題をはらんだ世界のリアルさを忘れる。人ひとりが世の中に対して働きかけられることなんて微々たるものだが、だからといって1行のコメントを書き込むだけで「少しだけだが今日も善いことをしたな」と満足しないでほしい。もしブコメ以上に手間のかかることなんてしたくないと思うのなら、もう正しさを大切にしているかのような素振りを見せるのはやめてほしい。自分が気持ちよくなりたいという衝動に従っているだけだと自覚してほしい。
以上の文章はもちろん、増田の自分にも向けられている。なんでこんなこと書いたのか? やっぱり気持ちよくなりたいだけなのかもしれない。だってこれを書くことではてブ以上の何かをやり始める人なんてただの一人もいないだろうし、明日からもいろんな記事に同じようなコメントがつき続けるだろうから。正直こんな状況いやだと思っているが、これ以上の行動に移るのは、自分にはめんどくさい。
【追記】
でも正直言って、「自分が気持ちよくなるためだけに」世の中の出来事をダシに使えるのも実はかなり下品だと思うんだ。まあ下品なのは別にいいんだけど、それを自覚しないのは良くない、とも思う。ワイドショー夢中で見てる人たちと心性はまったく同じですよ。こう書くと「そんなこともわかってなかったの?」と先回り系のコメントがつくんだろうけど。
あと、「増田に書いて世の中が変わるとでも?」とか「ブーメラン」とか書いてる人が山のようにいたけれど、全然おもしろくない。こっちがそれくらいの反応を予期せずに書いているわけない。「相手側の論理を使って華麗にカウンターパンチ」みたいなのをはてブの人はすごく好むが、まさにそんなお手軽テクニックを使いこなす醜さへの嫌悪がこの増田を書いた動機の一つでもある。
大喜利会場じゃないの?
こういうコメントも。2chが元気だった頃からお馴染みの「しょせんチラ裏なんだから本気にすんなwww」の延長にある対応。本当に問題だと思っているのは、この「チラ裏」と「社会を憂う者たちの社交場」の二面を器用にクルクル使い分けて何の責任も取らずに適当なことを書きまくれる空気を確保する立ち回り方だったりする。あ、でもこういう言い方をすると、誰かがコメントしていた「内心の自由を制限するようなことはよくない」という指摘にモロ引っかかってしまうか。
自分はそんなことを言いたいんじゃなく、ある個人がネットでなんか書くときに内心で渦巻いているだろう打算と戦略のキタナさを憎んでいる。だからこそ、読んだ人にはこの内容を上から目線の命令だと思ってほしくなかったし、喧嘩を買ってさらに俯瞰で眺めてほしくはなかった。自分のこととして考えてほしかった。
ブコメでの正義が果たして電車で席を譲るほどの意味を持つのかは別として、たしかにブコメが何かしら社会に影響を与えるということはかなりある。「日本死ね」の件もそうだし。
自分はブコメそのものが無意味だと言いたいわけではなかった(そこははっきりと、自分が書き方を誤った)。むしろネット上の場としての影響力はすごいと思っている。でも、たとえばキンコン西野のブログのブコメを開いて皮肉コメントにズラーっと星が並んでいる現状を見ると、やべー、みんな病んでるって感じる。スズメバチ熱死させるミツバチの群れに進んでなりにいく人がこんなに多いのか……と恐怖を覚える。
ブコメがなぜ世の中に影響を与えられるか。たくさんのつぶやきが連結して巨大な世論みたいなものを形成するからだ。それを手放しに良いことだとは思えない。結果的に集団で個人を叩き潰す構図も無数に生まれているということへの反省が少なすぎる。こんなに大雑把にしか世論を動かせないのにブコメを選ぶ人が多い理由は「コミュニティとしての居心地よさ」という、正義とは無関係のものだ。ブクマは無駄だとはまったく思わないが、妥当な手段だとも思えない。
こんなにブクマが付いたのは初めてだ。ずっと変な汗が止まらなかったし心臓がバクバク鳴ってた。自分ひとりの文章に対してコメントが400くらい来ている。こんな疲れる目には二度と遭いたくない。ブコメで1行だけ何か言うのは手軽だし、人の意見を見た上で乗っかれるしでいいことづくめだと痛感した。
自分がやろうとしたことは「はてなブックマーカー」というコミュニティの中に潜んでいる一部の人間の卑しい心性を指摘することだった。思った通り、指摘はかなり難しい。何か言うたびに無数の「当てはまらない人たち」が立ちはだかる。「そんなことを考えているのはお前だけだよ」と笑われる。彼らは別にいいのだ。自身を振り返ってみて「全く当てはまらない」と思えたのなら、変なこと言ってゴメンねとしか言えない。でも自分は、自分の胸の中にもいる醜いあいつがあの群れの中にもいると直感している。「当てはまらない人たち」の中にも潜んでいると思う。そのことを伝えかったが叶わなかった。それとも中には通じた人もいるんでしょうか?
「ほら増田、こんなにブクマが数百個もついてホットエントリーになると興奮するだろ。何回もリロードしちゃっただろ。それと同じだよ。自分の書いた言葉が大勢の人に注目されるのって気持ちいいんだよ。いい経験したな」
このコメントにはてブが作ってきた空気の醜さが詰まっていて、自分に似ている。もし「まさかブコメを~」を書いたのが他人だったら、自分はこんな感じのコメントを付けていたような気がする。嫌だったのはこの処理のこなれ方だ。
アイヌ殺す問題で実感するのは、正論を掲げ相手に非があり更生させる目的であっても体罰というのは批判されるのに、非肉体的な暴力であればそれが許されるという矛盾が確かにこの国にはあるのだなあと言うこと。アンチレイシズム界隈にはそれが強く残ってる気がする。
おどけてちゃらけた文章で煽るのもいいけどさ
たとえ話だして話すりかえんなとかって思うじゃん?
全然関係ない話をなんとなく似てるようなことでつりあわせてさも正論みたいにいうやつとかさ
って おまえら と呼称をつかわれる場面をたとえて 低能がどういう基準か相手が想像するそれにあわせて
バカがだれでも共通の嫌悪の対応だということを前提に ウジムシって幼虫じゃん 人と幼虫の違いくらいわかりませんかと
これもかなりのたとえ話じゃん
たとえば生まれが悲惨な子供がトラウマもってたとして たまたま無意識に出た言葉がその人を傷つけたらどうするんですか
くらいのたとえ話がスラスラと罵倒リズムにのってるだけじゃん?
罵倒とみせかけてたとえ話をして 話をすりかえていくのも そろそろ考えていこうぜ
あなたみたいなゴミクズ野郎にはわからないことかもしれませんんが
とかあおられたら
わたしの話はしてないし塵も屑も生命体ではないしそれを人の呼称にあてがうようにするのは国語的にあやまりだし
わからないことかとわかっているならまず説明をするか 説明することができないことを表明してもらえませんか
くらいかえしていこうぜ
http://possession.hatenablog.com/entry/2016/09/07/230124
「言ってることはわかるがお前のことが気に入らない」を軽視しすぎたらあかんのちゃうかな
↑の記事のメタブに、(たぶん)自分と同じこと考えてるコメントがあったので、その言葉をタイトルに拝借しつつ文章にしてみる。(展開したらコメントの人とは意見が分かれるかもしれないが)
↑の記事に賛同するような人が「アイヌ殺すなんて言っちゃいけない」という言葉について、「言ってることはわかる」とか「言ってる内容は正しい」って思うとき、ごく穏健に
「ツイッターはもはや公の場なんだから、文脈の理解を阻害するような過激な物言いにも非があるのでは」
というような意見ではないだろうか。
でも、今回攻撃を仕掛けた人は、たぶんその同じ言葉に対しての解釈が全然違うんだよ。
「どのような意図があろうとその言霊を発した時点で罪人であり、一切の弁明なく平身低頭懺悔しない限り赦免されない。本来全ての日本人はアイヌの差別問題については我等と同等の深い関心と全く同じ知識体系を頭に入れる義務があり、今の日本はの現状は誠に嘆かわしい。ましてやあえて拒む者などがいれば、それを敵と認定し撃滅する使命がある」
「いやー、状況よくみたら完全に早とちりでした。お騒がせしてすみません。でもせっかくの機会なので、こんな問題もあることを知って、少しでも関心もってくれて、配慮してくれると嬉しいです」
くらいの、ちょっとこっぱずかしい勘違いとやんわりとした要請で終わる場面で、ああいう常軌を逸した行動に走ってしまうことの説明がつかない。
実際、はてブのコメントにも、上記ほど露骨な言い方ではないけど、方向性としては同じことを言っているのが散見される。
つまり、問題についての関心や教条を自分たちが満足する水準や体系で持たないこと自体が人として劣っており、社会的に「是正」「啓蒙」されるべき、という宗教的原理主義だ。
こういう人の耳に、どんな文脈でも「正論だ」なんて言葉を入れてはいけない。それは「アイヌ殺す」と同様、言霊としてしか受け止められない。
ちゃんと「あなたの主張、正しくないです」て指摘しないとダメなのだ。
「態度が悪い」なんて彼らの正統性(正当性ではない)、信仰に一片の痛痒も与えない指摘ではなく、「なぜアイヌ殺すがいけないのか」の中身を掘り下げその異常な考えの言質を引き出し、そこを否定しないといけないのだ。
【参考増田】
「正論で潰されるようなことをやったんだから、言葉は悪くても受け入れろよ」ではなく「正論でも言葉が悪いから受け入れらない確率が上がるのは当然!」とか言っちゃうゴミこと青二才粘着クズの話
言葉が悪い、表現が悪いところがちょっとでもあれば正論でも受け入れなくていいという人間を増やす、議論における誠実さというものを一ミリも理解していない、良い人気分で自分に酔ってるだけの世界最大級のゴミ。
何年間も特定個人を匿名やころころ変わるアカウントで叩き続ける陰湿ゴキブリ帝王はまず自分の身を振り返るところから始めればいいのに、まぁできないんだろうな、ゴキブリ帝王だから仕方ない。
青二才の粘着君ことコイツが大好きな表現リスト(検索キャプチャ済)
躓(く、いてなどの送り仮名とセット)
思いを馳せ
頭ごなし
~の方向に
言い分
~以前の問題
スーパーのバイト先で知り合った年上(アラフォー)の彼女から、
もう犬が飼えないから殺して欲しいとお願いされた。
「可哀想だよ」といっても、「もう飼えない」「愛情がわかない」と言う。
聞けば、30歳になったお祝いに元カレにもらった真っ白なフレンチブルドッグらしい。
名前は元カレにちなんで「ターくん」と付けられているのは知っている。
「よし、やるか」とすくっと立ち上がった。
彼女の家は、歩いて5分程度に先のマンションにあってわりと近い。
わたされた合鍵で部屋にはいると、玄関に見知らぬ男が倒れていた。
この人はたまに話しにでてくる「夫さん」だろうか。
そして根負けして部屋に来たことをちょっと後悔した。
ふと足下をみると「ターくん」がぺろぺろとわたしの足を舐めてきた。
わたしは手に持ってきたスパナになんともいえない感情を込めておもいっきり頭をめがけて振り下ろした。
ターくんは「ぎゃん」とだけ小さく鳴くと、唯一黒かった眼球も白目をむいて倒れこんだ。
ターくんには悪いことしたなぁ。
会議で合意を得るために必要なのは、仰ることがごもっともな正論ではなく、あっちもこっちも立つアット驚くアイデアです。
あっちがたてばこっちがたたない論は案として三流だし、会議を押し通しても賛成も納得もしてない層が多ければ、結局は実施されない。
http://anond.hatelabo.jp/20160902124313
自分で書いた続き
会議とかの場面で
ある程度の合意の取れる正論にするにはどうすればよいだろうか?
ということへの信用や妥当性があれば良いということなのだろうな。
正論とされる、そのものの事象を議論しても答えは出ないのでしょう。
「正論ばかり言いやがって」
ということで戦うことになった時は
だとすると
新たなで文脈をつくり
経験の多い人が有利なことは確かだ。
町田くんについて調べてたら同時になんかの賞?とったかなんかでインタビューに載ってて興味持って読んでみた
ブスの陰謀でブスとかわいこちゃんの中身がいれかわってかわいこちゃんが戻るために奔走する話
結論としてはブスでも心の持ちようだネ
ってことでなんかすっきりしない
もやもやが残る
かわいこちゃんやイケメンどもがすげーまっすぐで正論吐くようなメンタルに育つことができたのは容姿に恵まれてたからであって、最初からブスだったらそうはなれねーだろっていう
卑屈すぎるブスが自分とダブってつらすぎる
結局ブスにとってはほぼ元ザヤ、数ミリマシになったくらいで結局まだこれからの未来お先真っ暗なのは変わらない
一番は心の持ちよう心の持ちようってああうるさいうるさいうるさい
ブスって時点でとんでもないマイナススタートだっていうきつさをまったくわかってない
とってつけたようなハッピーエンドを取り繕ってさっさと話を片付けた作者がにくくて仕方ない
3巻完結でブスだけ表紙になってないことからも作者のエゴは確定的に明らか
ラストのブスのどアップでかわいい・きれいになったとかうそぶく輩は、柳原可奈子かわいーとか言いながら自分が柳原可奈子に似てるって言われたらブチ切れるタイプだ絶対そうだ
ああそうともこういうメンタルが何より醜いんだってことも百も承知だよ
それでももうどうしようもなく歪んじゃってるんだよダボが
あああああああああ自分を殺したい
この前テレビでこういうのをやってた。
店でクレーマーがゴネて、たまたま居合わせた強面なおじさんがビシっと正論(屁理屈)を言って、クレーマーが退散。
ネットでも同じようなの見るよね。
オレが見たテレビは、強面のおじさんが迫力で黙らせるってことだったけど、ネットで見るこういうストーリーは「店長が」「若い女の客が」とか。
はてなでも昨日、ペースメーカーの人から携帯電話をやめるように注意されて「自分もペースメーカーをしてます」と言い返してやったというのがホットエントリに入ってた。
こういうの実話ということになってるけど、リアルでやったらこれでクレーマーが納得して引き下がるわけがなくて、クレーマーももっと屁理屈を繰り出してきて更に揉めるだけだよね。
Twitterやpixivにいる絵師ってやたら絵の無断使用に厳しいじゃないですか。
無断転載厳禁!やったら死刑!って感じで、転載した人を皆でリンチするぜーみたいな光景も見る。
著作権を守ってない人が多すぎてやれやれ~的な内容の漫画がバズってるって光景も日常茶飯事。
正直、ウザくないですか?
いや、ウザいと思うのはおかしい、お前が間違っている、著作権を守るのが正しいのだから、って皆思ってるだろうけど
インターネットってルールとかモラルとか知ったことかって感じで好き放題やる所だったじゃん。
絵師の方が正しいよ、正論だよ、でもインターネットで正論をぶつけて楽しいか?何清潔ぶってんだよ。
こういうと勝手にお前のインターネットを決め付けるなとか、表現の自由に託けて我儘言いたいだけとか言われるんだろうな。
あぁそうだよ俺は開き直ってるんだよ、悪いか?てめえらみたいな都合の良い時だけ真面目ぶるクソ野郎が嫌いなの
どうせてめえらだってまとめブログ見てきゃっきゃしてYoutubeで曲聞いて出所不明のおもしろgif画像をRTとかしてんだろ
なのに絵に限っては自由に使われると迷惑だから制限を掛けるわけだろ?
なんなんだろうな本当、「ネットだから俺達は自由にするけどお前らに色々やられるのは不快だから制限させてもらう」っていう傲慢さが滲み出てるわ
そして絵師の著作権主張は正論だから反論できないのが本当にクソ、どうせこれを書いてる人の方が傲慢じゃんとか言うんだろ、その通りだよ!
なんなんだよ、そんなに正論が良いのかよもーーーーーーーー
これが失敗したのは、年寄りに負けたからである。前者はネーミングで嫌われた気もする。
小池新都知事がやろうとしていることは、多分ここに通じている。
しかし築地問題を見て分かるとおり、おじいちゃんたちが一気に反発しだした。
今朝はまたあの老害森元総理がガキのいじめみたいな対応をしていた。
このままいくと色々と、失敗に終わるかもしれない。
態度だけでも年寄りに寄り添おう。
正論をネット使える年代が理解しなくては、年寄りを黙らせることはできない。
そのあたりも大切になってくる。
日本はいつでもイギリスのEU離脱みたいなことが起きる程度に、民意は年寄りが強い。
デモを否定するわけじゃないが、声を荒げて行進することは、どうも昭和的。テロ攻撃をネットでする今、喉を枯らしても足を動かしてもなにも起こせて無いように見える。(やってるのほぼ年寄りだし)