はてなキーワード: 有害図書とは
黒塗り問題見てて思ったんだけど、マンガ業界も独自のレーティング制度作ればいいんでないの?
外野に規制させるから「有害図書」なんてイメージ悪そうな名前がつくわけじゃん。
自分たちでAとかBとか、12とか15とかつければいいじゃん。
そしたら「我々はこういう規制をしてるから大丈夫」って言えるんだし。
「表現の自由がー」のために言っておくけど、そういう人はレーティング上げて書きたい物書けばいいと思う。
映画もゲームもレーティングあるけど「表現の自由が侵害された」って言ってる人見ないし。
エログロをCERO-Aで売りたいって言ってるから色々つつかれるわけで。
雑誌は子供向けならCERO-A、中学生向けならCERO-Bとか決めて、
雑誌掲載時は黒塗り、欲しかったら単行本買ってね。って方針にすると(レーティングが高いものほど)単行本も売れるんじゃないだろうか。
熊谷千葉市長は千葉市が行った、コンビニにおける成人向けコーナーについて、これの表紙にカバーをかけることを要請するという行政上の行いに対し、民主主義的プロセスによって決定されたものであり、この要請は正当なものであると主張している。
また、その要請を端緒として決定されたイオングループにおける成人誌等に関する流通規制について、これは民間が独自に行ったものであり、表現規制という批判は当たらないと主張している。
以上のことについて反論すべくつらつら書いたのが、書いたら満足してしまった部分があるので、増田にて放流することとした。
五千文字以上の乱文を読むことは骨が折れると思うので、主たる主張を始めに書く。
まず、民主的プロセスのみを根拠として表現規制を行うことは肯定することには大きな問題がある。
表現規制を行うのであれば、表現の自由の重大さから鑑みて、単に民主的プロセスの正当性のみではなくそれ相応の慎重さが求められると考えるが、千葉市が成人向けコーナーの雑誌に対しカバーをかけることについて民間に要請するにあたり、慎重に取り扱ったという証拠は今のところ提示されていない。
またイオングループの自主規制は、その前提となった千葉市の要請に基づくものであり、これと一体として論じるのが適当である。
このことは、ミニストップと熊谷千葉市長が共同して記者会見したことからも明らかなように、千葉市の要請とイオングループの規制は政治的にもセットで語るべき問題であることは明らかである。
よって、イオングループの決定についての政治的責任を、熊谷千葉市長は一定程度負わなければならない。
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ある表現物に対し、役所などの行政が規制を設けることは、これはすべて表現規制である。これは表現規制という単語を見れば明らかである。
よって、千葉市によって行われたコンビニに対する表紙の隠ぺいなどの要請は表現規制の要請である。
また、イオングループによる撤去について、これの端緒となったのは千葉市の要請であり、その因果関係があることは熊谷千葉市長も認めるところであり、また共同記者会見を行いイオンの発表として千葉市の要請を端緒としていることを明記しているのだから、千葉市の要請した表現規制の延長として捉えることは自然なことである。
このようなイオンの動きは「自主規制」と呼ぶべきものでもあるが、日本の表現規制の歴史においては行政による規制と自主規制は両輪の関係で不可分であり、特に本件はイオングループによる自主規制も行政による規制の要請とそれを受けての自主規制であることから、これを一体として論じることが適当である。
一度ここで確認したいことは、あらゆる表現が許容されるわけではないということだ。これは、一部の表現が法などによって規制されていることからも明らかであろう。例えば他者の人権を侵害するようなものは名誉棄損の罪などによって規制されているし、性器の露骨な描写についてはわいせつ物として規制が行われている。
すなわち、あらゆる表現のなかから、他者の人権などと比較し、規制されなければならないものについてこれを行っているのである。
したがって、今回の千葉市についてもその表現規制が妥当であるかどうかが検討されたかどうか、またそれが客観的に見て妥当であるのかどうかを見なければならない。
しかし、熊谷千葉市長のツイートを読む限り、民主的手続きの正当性を主張するのみであり、そのような妥当性の検討を行った形跡は確認できない。
また、表紙の隠ぺいについては自由競争市場に対する規制であることもここで指摘しておきたい。
「民意があり、議会が承認しそれを行政が実行したものであるから、この表現規制は正当なものだ」
とまとめることができるだろう。
しかし、これを以ってして表現規制を行うことの危うさについてここで指摘しなければならない。
なぜならば、民主主義は必ずしも正しさを担保するわけではないからである。
例えば、以下に例示したものは民意に基づき、民主的な手続きに基づき行われたものだが、果たして正当化しうる政策だろうか。
ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働党(NSDAP)は一応は民主的な選挙によって議席を獲得し、一応の手続きを経てユダヤ人に対する迫害を行った。
日本がアメリカとの戦争状態に入ったとき、アメリカは世論の後押しを受けて日系人を強制的に収容した。またこのときその財産も事実上簒奪された。これらの名誉回復は1980年以降にようやく行われた。
「黒人専用」「白人専用」といった人種差別政策が行われていた。これらは民意によって支持されていた。
オーストラリア政府によって行われていた一連の非白人への差別政策。
また、熊谷千葉市長の主張を言い換え、このようなものも導くことができるだろう。
『民意の代表たる議員が議会質問をもって提案し、関連予算が議会で承認され、並行して市民意見も聴取して改善を求める意見が多数と確認』
されたならば外国人や性的少数者に対する排斥などを行うことは正当である」と。
これらは不当に差別的なものであり、人権の侵害であることは論を待たないと思うが、熊谷千葉市長はこの理屈で表現規制は行えるものとしているとしているのだから、これについても是であるとこれまでのツイートからでは判断せざるを得ない。
そうではないのであれば、熊谷千葉市長はある特定の物事については単に民意や議会における手続きだけではなく、より広範な正義に基づいて判断するべきだと考えているのであり、そしてその特定の物事には、表現に対する規制は入っていない、ということになるだろう。
表現の自由も、単に手続き上満たしているからといって、これに制限を加えることを正当化することができるのだろうか。
私はそうは思わない。表現の自由は大切なものであり、表現の規制はこれを慎重にしなければならないと考える。
そしてそうであるならば、それは単に手続きを満たしているからと言ってそれを実行することを正当化することはできない。
表現の自由は基本的人権の一つであり、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利をいう。
また、ここには報道や出版の自由なども含まれる。民主主義において自由な討論は欠くべからずものである。政府などによって恣意的に表現を規制することは原則としてあってはならない。
日本における性的表現物に対して規制している法律は刑法175条で定義しているわいせつ物頒布等の罪である。
サンデー娯楽事件により、わいせつ物を構成する三要件が定義された。
すなわち、
.性欲の興奮、刺激を来すこと
その後チャタレー事件、悪徳の栄え事件などで判例を積み重ねている。
刑法175条の運用として、警察は局部が映っているかどうかで取り締まりを行った。このとき、陰毛も性器の一部として取り締まりの対象としていたが、1980年頃から徐々に変化し始め、陰毛が映っていても直ちにそれをわいせつ物とされなくなっていき、1990年に入ると事実上陰毛については刑法175条の規制の対象ではなくなった。「ヘアヌード解禁」とも呼ばれる。
このように、判例に拠らず行政側の恣意性によってわいせつ物の判断が変動していくのが我が国におけるわいせつ規制の特徴の一つである。
1950年のチャタレー事件をきっかけとして各地の地方自治体で青少年健全育成条例が制定されていき、それと同時に民間のPTAなどで悪書追放運動が起きる。特にマンガが標的とされ、各地で燃やされるなど過激化した。
1989年東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生、宮崎勤が逮捕され、大量のアダルトビデオを所持していたと報道されたことで、これらのメディアが人間に悪影響を及ぼすとしてメディア効果論が起こた。また、それに関連して朝日新聞が漫画本が子供に悪影響を与えると社説で論じたことをきっかけとして再びコミック追放運動が起きた。これらを受け、成年向けコミックでも激しい自主規制が行われた。
各地で制定されている青少年健全育成条例で定められており、過激な暴力や性表現のものを包括的、あるいは個別的に指定する。指定された書籍は18歳未満への販売が禁止され、区分陳列をしなければならないほか、業界団体が自主規制として指定を受けた図書の流通を制限している。
業界団体の出版倫理協議会が制定した、性描写が過激な成人向けコミックにつけられるマーク。
コンビニで定めている成人誌とは区分が異なる。これらはコンビニには原則として流通しない
-コンビニ向け成人誌
コンビニエンスストア側が成人向けとして区分し、成人向けコーナーなどに陳列する雑誌。
-春画の展示
春画は江戸時代に版画で刷られた性的表現物で、今日ではその美術性が評価されている。
しかし、日本国内でこれを自由に展示することはできない。なぜならば、性器に修正が施されておらず、わいせつ図画にあたるからである。数年前に実現した春画展も、主催者と警察など関係先がなんども折衝を重ねて半ば例外的に開催にこぎつけたと理解している。
その春画展に合わせて春画を掲載した週刊誌のいくつかがわいせつ図画を掲載したとして警察から指導を受けている。
このように、日本の性的表現物については行政側の規制の要請と民間団体の自主規制とが複雑に折り重なっており、民間側の自主規制についても含めて表現規制として論じられる。特に今回は熊谷千葉市長並びにイオングループが千葉市の要請をきっかけとしていることを認めており、千葉市の要請とイオングループの自主規制については一体として論じるのが適当である。
政治的にも、ミニストップと熊谷千葉市長が共同して記者会見したことなどから、この自主規制とそれによってもたらされる表現規制に対し、一定の政治上の責任を負っている判断される。
熊谷千葉市長はコンビニ成人誌に対して自主規制を行っていないかのように批判したが、コンビニ向け成人誌はコンビニで流通できるよう自主規制がすでに行われているし、その内容は青少年健全育成条例などによって規制を受けている。
表紙についても水着を着用するなどわいせつ性を抑えており、青年誌などと比較して規制しなければならないほど突出して過激であるとは言えない。言えるのであればその根拠を規制する側である行政は提示しなければならない。
また、表紙の卑猥さについて基準を設けての規制ではなく、区分陳列されていることによって一律で規制しようとしたことは、表紙の卑猥さとは無関係の規制である。これは当初の規制の目的のひとつである、成人向けコーナーの雑誌の過激さによってもたらされる不快さを低減するための措置としては不適当である。
以上より、私はコンビニにおいて成人誌と区分される雑誌に対して表紙をカバーするなど表現規制を行うことについては正当性を見出すことはできない。
また熊谷千葉市長のツイートを読む限り、これら比較検討を行い、それでもなお成人向けと区分される雑誌の表紙を隠さなければならないことの正当性を検討した過程が見えず、よって表現規制に対する慎重さを読み取ることはできない。
不快に思わされないことは人権の一部と言えるが、その人権を擁護するために他者の権利を侵害する場合、これを比較検討して結論を出さなければ公平ではない。
例えば、性的少数者に対する不快感はどうであろうか。近年、性的少数者についての認識が変化し、これを受容する方向に世論は形成されているが、これまでの歴史において性的少数者は迫害されてきた。性的少数者が迫害された理由はいろいろ考えられるが、そのうちのひとつは個々人が思う同性愛者に対する不快感によって、同性愛者を迫害することへの肯定的世論が構成されていたからだろう。
多数が不快に思っているのだから、性的少数者を迫害してもいいのだろうか。
もちろん、これは否である。性的少数者を不快に思う気持ちは内心の自由ではあるが、内心の不快によって性的少数者の人権を侵害していいわけではない。
表現の自由も同様である。単に不快であるというだけではそれを規制することは他者の表現の自由に対する侵害である。
また、個々人の趣味嗜好は多様であることから、単に不快さを理由としたとき、その範囲は無制限に拡大していき、実質的にすべてが不快であるから規制する、ということにもなりかねない。
よって、不快さを根拠として表現を規制することは適当ではない。
以上すべてより、千葉市が当初求めた成人向け雑誌にカバーをかける要請について、これ表現規制であり、またこの規制は適当ではない。
イオングループが発表した流通規制は千葉市が要請した表現規制と一体として論じられるべきものである。また、イオングループが実行した自主規制に対し、熊谷千葉市長は一定の政治的責任を負う。
https://anond.hatelabo.jp/20171124213337
ちょっと意味がわからないんだけれど、今回イオンが販売やめるのは「各都道府県が条例で18歳未満への販売を禁止した雑誌類」
当然「有害図書」に認定されたレディコミも含まれるよね。成人マークが付いてるか付いてないかなんて関係ないよね。
で、
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23754880R21C17A1000000/
というのは、その上で「有害図書」に該当しないレディコミ
(具体的には総ページ数の「5分の1以上」又は「20ページ以上」ある書籍又は雑誌といったもの)
に該当しなくても販売やめることを検討するって意味だよね。普通に読めば。
そこんところがよくわからない。
電子書籍派だしビーエルそこまで好きでもないしどうでもよかった
女性向け作家達が有害図書指定初期から反対で大騒ぎしてんのがリツイートされてきて気の毒だなと思ったくらい
その時手を叩いて大喜びしてた規制反対派達を見て本当に男の反対派は男性向けエロの表現の自由にしか興味なく、他の表現の自由は取り締まり規制しろって人達なんだなと思った
有岡メアリ @gen_ROWDY
千葉市の中高生の性犯罪増えるぞ。はけ口ぐらいあったっていいだろ。これだからフェミナチは・・・。
ひなた @sunny_days365
親に隠れて買うならネットで簡単に買えるし 裏サイトなど余計な監視対象が増える
有害図書を排除した大人世代の子供が 嫌悪物排除主義になり 人として共存工夫が出来なくなる
憂フ夏 @udx
性犯罪の抑止力がなくなって被害者増えたりって議論はなかったのかな
ミニストップが成人向け雑誌販売停止とかこれは少子化が進みますね
邪帝 @VMAX07
ミニストップが成人雑誌販売無くす つまりミニストップは利益と風紀をとりに行くと
奈々エクスプレス@ナナクラ @rGe30J37ERSi1zW
女性客や子連れの客にはいいかもしれないけど、規制ばかりの風潮は逆に、性犯罪が増えるリスクにも繋がるんじゃないの?性に対する場面で実際に対処の仕方がない分からない人も増えてるのは事実だし。
©鍵山/Clave@愛宕愛してる @kagiyama1468013
こうやって日本から徐々に性教育が無くなって行く( ˘ω˘ )
オリンピックを見据えてクリーンな店をみたいなそれらしい事言ってるけど、ミニストップしか近隣に無い地域で、代替するツールが無くなった返りとして性犯罪が増えたらウケる。
もふりしゃす@なめおリゾート @keeponsleepingS
イオンでは男性向け成人雑誌は見かけたことすらないので、あの発表を疑問に思う人も多かったはず。そこから考えると今回の件は、範囲を広げて女性向けのレディコミやBLがターゲットなのでは?という見方が広がっていることは納得できる。
ちなみにBLだとピアスやビーボーイやdrapなどの雑誌が、複数の自治体から繰り返し有害図書に指定されている。成人向けを扱わないという発表から、イオンモール内のヴィレヴァンやアニメイトなどのテナントも含めて、これらは販売が厳しいかも。
女性向けが対象になる理由には、成人マークをつけて売る雑誌がほぼないことが大きい。過激な描写があってもマークを付けないので一般向けに販売できる、という理屈で発行されてきた。コンビニ雑誌と同じ理屈だが、女性向けの規模はコンビニ書籍の比ではないため狙われた可能性がある。
成人指定されていないコンビニ雑誌がミニストップとイオンでは販売不可能なのだから、当然レディコミやBLも引っかかるのではないか、というのが今回の話。
ここでさらに問題になるのが、青少年健全育成条例の包括指定というもの。個別で有害図書を指定するのと違って、これは性的表現などが雑誌内でどれくらいあるかだけを基準に、審議なしに指定される。というか書店側がページ数を確認する仕組みなのだが、これを怠って販売した場合は条例違反ということになる。
包括指定のページ確認のコストを考えると、怪しそうな書籍は取り扱いを避けると思われる。
もともとBLは成人マークをつけないで発行されていたため、年々有害図書に指定される数が増えていて、現在では都指定の半分以上がBLという状況。これを視野に入れた動きなのでは?という見方も強い。
腐女子は過激なBLへの規制には賛成してる、という意見も見かけるが、比較的穏やかな内容の雑誌が既にいくつも有害指定されている。上記の内容を考えると、今後はさらに厳しくなっていく可能性が高いので要注意。
「エロ本ではない、一般向けの本だ」と言うのは無理筋でむしろ危険
https://anond.hatelabo.jp/20171122203401
コンビニエロ本はグレーゾーンで好き放題やってるみたいな内容の増田だけど、全然ちがう。コンビニ雑誌がズルして実質エロ本を売っているような、凄まじく偏った印象論に落としこんでいる。
まず、コンビニ雑誌のエロがそんなに好き放題やってるなら、全国の自治体が黙っていない。青少年保護育成条例が制定されているからだ。みんなここを疑問に思わないのだろうか?
成人マークなしで成人向けの内容を扱う書籍(つまり子供でも買える)があれば、自治体は不健全図書に指定し、書店の一般売り場やコンビニでの販売を止めさせることが出来る。(ちなみに各自治体による差はあるとはいえ、青年漫画のアイアムアヒーローや多重人格探偵サイコが不健全図書に指定されている県もある)
さらに、自治体から不健全指定のペナルティを食らうと、出版社には多大なデメリットがある。3回連続、または年5回不健全指定されると雑誌は休刊するしかなくなってしまうのだ。さらに年6回の不健全指定を食らった出版社は、都から不健全な出版社扱いされてしまう。そして自主規制団体からマークされ、内容にとやかく言われ出版社として自由な裁量がやりにくくなる。
ちなみに、出版社が自主的に成人マークを付けた場合、これらのペナルティは一切ないのだ。だからそもそも限界ギリギリを目指したチキンレースをしてるという認識が間違い。
こういう外部からの監督やチキンレースのデメリットを語らず、コンビニ雑誌の暴走を喧伝するのはおかしい。これだけ話題になっているコンビニ雑誌が自治体から不健全指定されていない、という事実を無視するべきではない。
表紙で全裸を描けない、修正がきつい、過激な描写は出来ない、不道徳な内容を描けない、、、これらの違いはエロが嫌いな人たちからすれば言い訳にしか見えないだろうが、実際はこういうものが区別の基準になっている。これが事実だ。日本は法治国家なので、法というルールに基づいて運営される。コンビニ雑誌の区分けに文句があるなら大元である自治体に言うべきなのだ。出版社だけの問題ではない。
これらのルールや監督体制を一切無視して、あくまで印象論で成人向けと並べた話をする増田は極めて不誠実な印象操作と言うしかない。
そして、コンビニ雑誌の内容が一般扱いされることに不満を覚える人たちは、一旦深呼吸して、自分が好きな漫画などがこうした無知な世間の目からどう見えるかも考えてみるべきだ。
成人向け以上に修正をしてもセックス描写が不健全指定されるなら、自分が読んでいる漫画はどうなるのか。
セックスそのものを目的にした漫画でなくとも、それを不健全だと指摘する連中は増えないだろうか。同性愛のセックス描写が全年齢で買えることに文句を言ってくる連中はいないだろうか。BLはそもそも成人向け販路が発達していなかったので、最近では有害図書指定される数が急増している。東京都の不健全指定では、今や6割がBLである。BLそのものを有害とバッシングしてくる連中が出てこないといえるだろうか。
それらが書店で隔離されることになる未来を、少しでも想像して欲しい。自分の好きな表現を守るためには、嫌いな表現を守る必要もあるのだ。
いや、エロ本だよ?
表紙がエロ本だし、買ってみれば分かるけど、中身はエロ本、エロDVDだし、コンビニも陳列を区分して、18歳未満は売らない。
エロ本以外の何物でもないし、あれが「エロ本じゃない」という根拠は何一つない。
コンビニ以外の流通とは許容される基準が異なるので、よそでは「18禁」とすれば許される表現がコンビニ流通に乗せるためには許されない場合がある、というだけの話で、だからといってエロ本でなくなるわけではない。
「わいせつじゃない」とか「条例上の有害図書じゃない」とか「流通段階では『18禁』と分類されていない」というなら、まあ、議論の余地があるけど、エロ本であることからは逃げようがない。
一時的に騒ぐだろうけど普段からそういうところでエロ本買う習慣なんてオタクにはない。
買うとしたらアニメショップや同人ショップ、それも少数派で大半はネットだろう。
全く実害はないので何も言わない。
大体オタクって「規制すべし!」って声には反発するけど、実際の規制に対してはスルー決め込むよね。
東京都の有害図書条例とか、児童ポルノの単純所持とか、決まってからはもうみんな何も言わない。
コミケの修正の基準がどんどん厳しくなってもちらほらボヤくだけで準備会に声を上げたりはしない。
むしろ修正甘くて販売停止になったサークルをバカにしたりする。
追記
ゾーニングの問題だから撤去OKってそんなスタンスだったけ君ら?
じゃあこないだのジャンプへの批判もゾーニングの話だと思うんだけどなんであんなに叩かれてたの?
昔は著名漫画家が全裸の女を描いてたぞ!みたいなこと言ってたけど、
それって子供の見れるところにエロを置いても問題ないっていう意見じゃなかったらあれはなんなの?
そうやって規制したアメリカではみんな性癖歪んでケモナーになりましたとさ、みたいな話もしてたけど
それは子供に性表現を見せなければ歪むからむしろ積極的に見せるべきていう話ではなかったのか?
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2017/07/11/114310
「規制を求めたものではない」「少年誌にふさわしくないと言っているだけ」という理由で
反規制派の暴走であるという意見が散見されるが、決して暴走でも過剰反応でもない
上記二つの意見は、2010年の非実在青少年という単語が有名になった有害図書指定に関わる都条例改正を擁護する立場から多く見られた
「少年誌にふさわしくない」が定着した後に要求されるのは「成年マーク付きでやれ」か、「青年マークを新設しろ」になることは目に見えている
そしてCEROが公的規制に悪用されたように、青年マーク付き書物の購買年齢規制が条例レベルで始まる
そんなバカなことは起きてはならない