はてなキーワード: 得体とは
あれは俺がまだ小学生の頃だから、1980年代だと思う。埼玉県南部のとある国鉄高崎線の駅前に、大きなショッピングモールが完成した。
それ以前から駅前には「西友」とか「キンカ堂」といった「スーパー以上デパート未満」な存在があったが、駅の反対側の再開発で生まれたそのショッピングモールは、より大きく都会的で垢抜けた商業施設だった。
小学生だった俺は親にもらった小遣いを握りしめ、悪友と一緒に胸を高鳴らせ瞳を輝かせ新装開店のショッピングモールに突撃した。
西友やキンカ堂よりもはるかに現代的で清潔感あふれる店内に俺たちクソガキは驚嘆した。新しい時代の感性がどんどん押し寄せてくる、バブル崩壊以前の日本の猪突猛進な空気を全身で感じた。
店内をあちこち見物した後、俺たちはフードコートへ行った。そして俺はこの時こそ親にもらった小遣いを使うべきだと判断し、フードコートでラーメンを食うことにしたのだ。
一体どんなラーメンが食えるのか?このような進歩的で未来的な施設で供されるラーメンは、来るべき21世紀の未来社会を感じさせるようなすごいラーメンに違いない!と期待に胸は高まった。そのフードコートでラーメンを出しているのはスガキヤであった。
果たして提供された「ラーメン」は、見た目からして異様なものであった。スープは何故か白濁しており、また見たことの無い奇妙なスプーンが添えられていた。関東地方で単に「ラーメン」といった場合は、醤油ラーメンを指す。これは今も昔も変わらない。2022年ともなった現在では、関東地方の住民の間でも全国各地にざまざまな種類のラーメンがあることは知られている。しかし当時1980年代において、このスガキヤのラーメンは関東地方に住む小学生の私には全く「ラーメン」とは呼び得ない得体の知れない代物であった。
買ったからには食べなければ勿体ない。勇気を出して一口食してみた。
何だこれは?
不味くはないが、美味しくもない。それ以上に、これは「ラーメン」ではない!
物心ついた時からセックス、および女性器のことがこわくて仕方がないのだが、最近身体に実害が出るようになってきて困っている。
日常生活の中、様々なきっかけから”セックス”のことを意識する時、下腹がめしょっと凹んだような感覚に襲われ、激しく緊張してしまう。
なんだろうな、背中の肉とお腹の肉がぎゅんと内側に引っ張られ、まるで腹の中が真空状態になったような心地がして、内臓が全て体外にこぼれ落ちていくような錯覚に襲われる。
夜布団の中でこの状態になると堪ったものではなく、内臓がこぼれないようにずり…ずり…と這いだし、上体を起こして動悸を落ち着かせる。
得体のしれない怖気が全身を走り回り、特に両手には全く力が入らなくなってしまい(小刻みに震える感じ)、1分程度じっとしていると落ち着く。
そもそもセックスという行為のことが本当に理解しがたく、身体に空いた肉の穴の中に同じく身体の肉を突っ込むなど端的に言って正気の沙汰ではない(個人的な意見です)。
性嫌悪とかではなく、純粋にこわい。絶対痛いと思うし、異物感半端ないだろう。身体の中だよ!?なぜ皆それを憧れの対象にできるのか本当に不思議で仕方ない。
仮に自分が男性だったとしても女性器…肉の穴…のグロテスクさにウッ…となってそんな得体のしれないものの中に自分の身体を入れようとはならないと思う。
当然セックスもしたことはなく、一生しなくていいしさっさと子宮をとってしまいたいな…と思ってはいるのだけど、「子宮摘出」と検索欄に打っただけでまた内臓がぎゅん…となる気持ち悪さに襲われ、サイトにすらたどり着けない。うう………………
まぁこんなのただのお気持ちの話なので数年放置していたんだけど、最近は内蔵ぎゅん!冷や汗だらだら!の状態に襲われることが少しずつ多くなってきて(特に寝る前)、安眠のためにも病院に行ってみた方がいいのかなあと思っている。
しかし行くとしてもどこに行けばいいのか...?心療内科なのか産婦人科なのか..........
世の中のほぼ全ての人はこのような悩みを抱えていないというのはやはり、自分にとって未だに信じられないことではある。
あのさ、
いつも常々思うんだけど
ハンバーグってなんでお肉をわざわざミンチにしてまた固めて焼こうと思ったのかしら?って。
そう言う料理とか色々あるじゃない。
きっと歯の弱いお婆ちゃんのために孫がお肉を美味しく食べられますように!って理由で作られたわけではないと思うんだけど、
そう言った経緯ストーリーってあるのかも知れないわね。
味わいが凝縮されてる美味さが爆発するハンバーグの研究に余念が無かった結果のハンバーグだったのかしら?
合い挽き肉のハンバーグならまた話が違ってくると思うのね。
牛と豚一緒に食べたら美味しいんじゃね?って研究に余念が無かった結果の合い挽き肉なら理由は分かるわ。
合成したら美味しくなるかも知れない理論は
ドリンクバーで色々な飲み物を混ぜて研究に余念が無いちびっ子たちと理屈では一緒よ。
結局得体の知れないよく分からない飲み物になってしまいがちだけど、
さすがに
牛と豚のお肉をミルフィーユ状にして重ねて焼いたような料理がないのと一緒で、
さすがにそれは無いだろう!って気付いたのかしらね。
でも、
もちろんその時にはまだハンバーグって料理がない頃の話しなので、
ここでは便宜上ハンバーグ的なものをハンバーグと言っちゃうけど、
そのままのそれぞれのお肉をミルフィーユ状にして重ねて焼いても美味しくないので、
じゃ!閃いてミンチにして合成すれば美味さ爆発するんじゃね?ってノリだったのかもしれない、
究極の肉合成技術だったのかも知れない当時としては
かなり画期的で
もう美味しいものと美味しいものを合わせたら無敵で優勝出来ると思っている安直な研究結果は調べるまでもなかったと思うけど、
ミンチにしたら良い塩梅で偏り無く混ぜられるんじゃない?って人類は気付いちゃったのかもね。
結局は麺類全般の美味しさは仕上げ玉子が美味しいじゃん!って理由になってしまいがちな、
鶏玉子論争で
陸の親子丼が鶏と玉子で私は二羽ぐらいのお肉を使うぐらいが美味しいと思うちょうど今目の前の庭に二羽鶏がいるんだけど、
じゃ
海の親子丼は
それもそれで優勝候補としては手堅いわよね。
陸か海か悩むわよね。
うどん屋やおそば屋さんがやってる親子丼を頼もうとして注文オーダー発注したら
これはこれで意表を突かれるというか、
そうきたかー!って親子丼は親子丼ですけどそれがなにかって言われそうだわ。
なら陸か海か!ってメニュー表に書いておくべきだと思う、
たくさんのメニューが壁一面に張って飾ってある飲食定食屋さんって
奥の方のメニューって頼んでもいいのだろうか?って思ってしまうほど、
それは定食屋さんからのお客さんへのラブレターでもあるのよね。
逆にいっぱいありすぎるのも悩むし、
陸か海かどっちにするんだい?お客さん!って大将に一度たりとも聞かれたことなかったし、
いいかい学生さん海の親子丼をいつでも食べられるようになるぐらいが丁度いいのさ!
どちらにしろ、
う!海!?ってなるじゃない。
ちなみに
陸の親子丼が出てくるに間違いないと思うけど、
そこはトンチを効かせて
鮭とイクラの親子丼が出てきたら海鮮欲満たせまくれるじゃない。
海は広いな大きいなーって。
そうなると
ってそれもうイクラ丼って言ってるじゃん!ってイクラ丼じゃなくて、
でも本当に
うどん屋さんやおそば屋さんで食べられる海の親子丼に憧れるわね。
ほら!
貝殻に耳を当ててみたら
潮騒の波の音が聞こえてくるわよ!
うふふ。
通りすがりまくりの自動販売機のあたたかいがつめたたいにかわってきているおのののかの時期の頃、
コールドに変わっていたので、
もうこんな季節なのね!って
その現象に名前を付けるならおのののかって付けたら絶対に意味不明よね。
今朝なんか寒くて目覚めた丁度良い頃合いの時間だったから良かったけど、
寒かったので
お茶っ葉切らしたので、
買ってこなくちゃの
でも今日は寒かったので
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
あのさ、
瞬間の集中力を維持させてプレイするようなタイプのゲームって疲れちゃうからある程度の時間やったら
でさ、
私がチクチクやってこないだパーティーが全滅して心折れてレヴェルは育てたままの強さだけど所持金や所持アイテムにマップを塗った実績はゼロになってしまって再開している「ダンジョンエンカウンターズ」は
ながながとプレイしているのよね。
でね、
やっと!以前私が全滅した箇所を超えて先にやっと進めたのよ!
サムライだったっけ?あの敵が強いのよ!
こっちがある程度悠々とダンジョン走り回って、
ろくにバトルブックも見ずにこの文字の敵はなんだろう?って
初めて踏み入れる階とかの今まで見慣れていない文字の敵とエンカウントする文字は要注意よ。
新たに踏み入れるところは、
そんでさ!
全滅したらロードしたら良いじゃん!ってことができないので、
そっとフロアの敵の床を踏まないように、
またワープして戻ってきたんだけど、
あれやられそうになって瀕死になって街まですぐ飛んで戻れるようにして置いた方が圧倒的に精神的に楽なのよね。
街まで戻らないと話にならないわ。
そんで街まで戻るアビリティをセットしてまた転送装置で深部まで戻るというこれの繰り返しの攻略。
地味だわー。
でもスゴいアビリティ見付けたのよ!
こんなことしてゲームのバランス崩れるんじゃないの?ってぐらい敵に圧倒的に強くなれるんだけど、
これまた調子に乗っていたら、
しっぺ返しを喰らうのがこのゲームの作り手からプレイヤーへの心の折り方なので、
調子に乗らずに、
もう未踏の地のフロアの敵パネルはいちいちバトルブックを開いてこの敵なら勝てる!って予め調べて挑まないと、
瞬間やられてしまうのよ。
油断大敵とはこのことね。
そんで、
さっきも言ったけど
セーブしておいて先にダミーで進めてみてやられたらロードするって戦法が使えないので、
そう言った意味では
一切見ないように自力でこれはマジやんないとね。
これってバトルでてきのATBのタイムバーをゼロにしてしまう必殺のアイテムで、
これで敵に攻撃させなくするのが楽しすぎて、
地味だけど効くわ!
あとパウダーガンだったっけ?
敵を毒を喰らわすって武器で
毒を喰らった敵は防御力の数値を削らずともヒットポイントをジワジワ毒で蝕んで減らすことができて、
必殺一撃!と言うまではないけど、
ちゃんとより考えてのバトルが快調よ。
絶対にしっぺ返しを喰らうので
こんなゲームで慎重さ発揮しなくちゃいけないのかよ!って思うほど
ゼルダの伝説で木を斧で倒して橋を作って谷を渡るより慎重し進まねば!って思うのよ。
あんまり武器屋とか防具屋にどのタイミングでニューアイテムが登場するのかよく分かってないけど、
新たな深部に潜ったらなのかしら?
未踏の地をなくしていって地図塗りつぶしていったら増えるタイミングなのかしら?
まあよく分からないけど、
落ちるにしても飛ばされるにしても
本当に嫌だわー。
でもセットして覚えさせておいたところに戻れるアビリティさえあれば、
まあ異次元に行っても戻れる安心があるだけでもぜんぜん心細さが違うから
地味だけど街に戻れる!って心強いわ。
まあこのゲームやってない人からみたら全く何言ってんだ!?ってなると思うけど、
やっと地下50階を超えたところで半分やっと行ったわ!ってところなので、
より慎重さを増し増しに重ねて行くわ。
いったん落ち着いてから食べることにしているのよ。
そうするとなんだか平気。
そんなに寒くはなかったけど
もちろん自分でいれたやつだけどね、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
DXが何か知らんのだけど、IT化の障害の根本を理解できてないね
あなたが今後もそれにどっぷり関わるわけじゃないんでしょ?問題は、よく分からんものを勝手に入れられること、責任を取る人間があなたではないこと、だよ。
エクセルでルール化してワンクリックで結果が出るように変えたとしよう。何がどうなって、どんなルールがどう適用された結果が出るのか分からないのよ。
もし、結果が間違っていたら?あなたなら、間違ってると気づいて即座に修正できるし、修正スべき箇所もわかるよね。
でも老人は分からんのだよ。何が分からんのかを言語化出来ないレベルで分かってないのだよ。
そんな得体なものを導入されたくないから、何かと言い訳してるだけ。
やるべきことは、「こういうことができます、ワンクリックでできます。教えますのであなたが導入して下さい。」とやること
扱えない代物を、結果だけ納品されても困るの
youtubeとか配信系のスパチャとか飛び交う頻度とか額とか見てると気持ち悪くなってきたw名付けてスパチャ酔いか?あれで得た金で現実の生活してる人が同じ地に存在するんだと思うと得体の知れないおぞましいもの見てる気がしてきた…俺みたいな貧民が触れてはいけない世界だったのかもしれない
例えば5人のグループで森に迷い込んだとする。
食料が底をついた。
一人が見たことのない木の実を見つける。
そこで5人全員が食べたらいけないそうです。
翌日みんながお腹をこわしても、食べなかった人が動けるようにしなければならないからです。
私にはmRNAワクチンが、なんか黄緑色の得体の知れない実、何にも似てない変わった実に見える。
中国のワクチンは、従来の製法でつくったものなので、紫色の「ああ、いちじくの仲間じゃね?」くらいの実に見える。
で、つまりはmRNAワクチンの長期の影響はわからないから、私はその実を食べないということ。
まわりがみんなお腹をこわすかどうかはわからない。たぶん大丈夫なんだと思う。
だけどやっぱり、研究のためにもmRNAを打たなかった人が打った人と何か違いがあるのかということを、将来調べることがあると思うから、その時に役に立てればいい。
この動画を見ていると、なぜかとても懐かしいような気がして、胸が締め付けられる。ある夏休みの日、学校の図書館に本を返しにいくような、永遠に失われてしまった時間がどうしてか今近くにあるような気がする。蝉しぐれ、日差し、水路の流れ。失われた時というやつはいつも夏の顔をしていて、時に知りもしない少女の追憶へと私を追いやる。
ちふゆさんはいったい、何県の何中学校に通っていたのだろう。彼女の部屋はどんなのだったのだろう。好きな小説、お気に入りの音楽はなんだったのだろう。メール友達がいたかもしれない。なぜか千葉や埼玉の郊外に住んでいるような感じもする。どれも知る由もないが、たしかにそこにいて、おそらくは今も、今もどこかで暮らしている人を思うと、どうしてか本当にかなしい気持ちになる。
どうしてか永遠に交わることのない人たちが大勢いるという当たり前の事実を前に、胸が空っぽになる。知らない街、知らない学校、知らない校庭、知らない日々を思うと、得体の知れない喪失感に打ちひしがれる。夢の世界で知らない風景を見て起きた時の、あの忘れゆく記憶を辿るようなもどかしい感じがする。ただ一つ確かなことがある。彼女には逢うことができない、永遠に。
その瞬間、いたいのいたいのは飛ばされた。
ジェットコースターみたいに天と地がぐるぐる入れ替わりながら飛んでいる。
気付けばジャングルの奥深くにいた。
悲鳴のような鳥の鳴き声。
じっとりとした湿っぽい空気。
まただ。
また飛ばされた。
そもそも、なぜ飛ばされなければならないのか。
痛くなったのは誰のせいだ。
呼ばれたから行っただけだ。
なのに飛ばされる。
すぐに飛ばされる。
痛みは悪いことばかりではないだろう。
痛みによって危険を学び、
痛みを乗り越えて強くなるのだ。
痛みがなければどうなる。
血が流れても、骨が折れても気が付かない。
命を失うまで気が付かない。
そうだ。そうじゃないか。
痛むのは生きているということだ。
ああ、また呼ばれた。
どうせ飛ばされるのに。
でも、生きている証として一瞬だけ行ってやろう。
長居はしないように気をつけよう。
昨年はトランプ不正選挙騒動、今年は反ワクチンやイベルメクチンなど、陰謀論の勢いはとどまるところを知らない。
自分はTwitterで陰謀論者とレスバするという悪趣味な人間だ。陰謀論者たちと話していてわかったことをまとめたい。
陰謀論者たちは隠された真実を白日の下に晒そうと日々奮闘しているように見える。しかし、彼らの主張は数分使ってデータを調べれば完全に事実無根であることが明らかなことが多い。どう見ても陰謀論者の主張と矛盾する、信頼性の高そうなデータを見せると彼らはどう反応するのか?
彼らは必ずと言っていいほど、違うトピックの陰謀論を持ち出して「ではこれはどうなんだ?」と言ってくる。
例えば、「新型コロナウイルスは存在しない」という主張に対して「ウイルスはとっくに分離されている」という情報を提示すると、「ではワクチンが大量の死者を出しているのはどう説明するのか?」といった具合だ。
たいていの陰謀論者は「陰謀論ストック」を大量に蓄えており、1つ反駁されれば別のデマを持ち出し、弾が尽きるまで撃ち続けようとする(実際は早くにブロックされることも多いが)。
真実に目覚めていると言いつつ、反論できないと判断するとその主張は一瞬で忘れ、別のデマで戦おうとする。彼らは「何が正しいか」には驚くほど無頓着なのである。
陰謀論は社会の敵だと思うが、社会から白い目で見られる陰謀論「者」のことは正直気の毒に感じてしまう。たいていの陰謀論は少数のインフルエンサー的存在が発端であり、まんまと騙されインフルエンサーの養分になっている陰謀論者たちは「被害者」でもある。
そんな彼らは、自らの主張を「デマ」と唾棄する人間に対し攻撃的になっていることが多い。社会ののけ者扱いされ、信仰ともいうべき自分の意見を嘘扱いされれば、そうなるのも無理はないだろう。
そんな彼らに、時々優しくしてみることがある。暴言を吐かれても、「ゆっくり休んでくださいね」と返してみるのだ。
そうすると、彼らはペースが狂う。それまでマシンガンのように陰謀を撒き散らしていたのに、突然黙り込んだり、困惑しつつもそれまで不可能だった人間らしいコミュニケーションが取れたりする。得体の知れないブログサイトのリンクを貼り「それならこれはどうなのだ」と延々とデマをぶつけ続ける「陰謀論エンジン」がバグるのである。
ここからは自分の勝手な推論である。人々が陰謀論にハマるきっかけとして、日常生活がうまくいかないという事情が大きいのではないか(無論、そうではないパターンもあるだろうが)。
家族・友人関係がギクシャクしている、仕事がうまくいかない、就職先が見つからないなど、現代社会で生きていれば不安なことはいろいろあるだろう。そんな心の隙間を埋め、なにか特定のコミュニティへの参加を可能にするツールとして陰謀論は広まっているのではないか。かつて話題になった「父親が定年退職し暇を持て余した結果ネトウヨになってた」みたいな話も似た構造だろう。
人生がうまくいかないときに感じる「自分は多くの人が知らないことを知っている」という優越感はさぞかし中毒的だろう。エビデンスに基づいて反論したところで、精神の安寧を求めて陰謀論を信奉している人には無力だと思うのだ。
陰謀論者の主張のほとんどは事実に反している。しかも、難解な科学上の問題ではなく、説明されれば素人でも誤りが理解できるレベルである。
しかし、大前提を見るべきだ。多くの人々は科学的に正しいとされる知識を信じる。しかし陰謀論者は究極的には科学的な正しさを求めていない。
科学的裏付けがあるかのように話しつつ、実際のところは「科学的に正しいと証明したい」ではなく「自分を認めてほしい」「自分は正しい側にいたい」という動機があったりする。
話をする上での前提が違うので、「あなたの言っていることは事実に反していますよ」という論法で責め立てても、どっぷり陰謀論に浸かった人々には全く効かないのである。むしろ、攻撃性を増すだけだったりする。
どうすればよいか。正直解決策は思いつかない。もちろんエビデンスベースの正しさは重要である。新型コロナのデマは健康の問題に関わる。アメリカ大統領選のデマは民主主義という国の根幹に対する信頼性を貶めてしまう。最近流行ったデマは実害を伴うのである。
しかし、正しい情報を提示しつつも、精神的なケアの重要性はもっと強調されるべきだ。乱暴な予想だが、仕事がうまくいき高収入で、家族や友人関係にも恵まれ、心身ともに充実した人生を送っている人が陰謀論者になることはかなり稀ではないか。
それは女性にとってオタク男が得体の知れない、理解不能な存在だから
じゃあなんで女性はオタクを理解できないかって言うと、オタクが女性とのコミュニケーションを拒絶して自己開示してくれないからなわけ。
オタクは、自分がモテないのにDV男がモテるのはおかしい、って言うじゃん。それはDV男は女性を追いかけるけどオタクは避けるから。DV男から逃げきれない女性はいるけど、逃げるオタクを追いかける女性なんていないでしょ。
人は未知のものを怖れ、忌避する本能を持ってるからね。受身で黙ってても相手が理解しようとしてくれるとしたら、自分に何らかの魅力があるか、相手がメチャクチャ懐が広いかのどっちかだけど、現実にはそんなことは滅多にないから、自分からコミュニケーションを取って、人間関係を作っていくしかないわけ。
でもオタクはフィクションの都合のいい女性にコミュニケーションを求めて、現実の女性を拒絶し、時には攻撃する。
そりゃ「キモい」よね。