はてなキーワード: 天災とは
そもそも自腹切ってないし役員でもないのにどんなプレッシャーがあると思ってんだ?メンゴで終わりやぞ
あと天災でも起きない限り なんでもやる=ひとりでお仕事してる のだから自分がした通りの結果にしかならん
適切にスケジュール組んでどうぞ
あと小さなSIで営業寄りでなんでもやるは売上立てるのは自分じゃないからノルマも何もない
あくまで技術支援って立場よ。その場で出来る出来ないの即答さえしなきゃ十分だよ
物を売るのは本職の営業さんに頑張って頂きましょう、プレッシャーなんかないやろ
たぶんもう一個の方(https://anond.hatelabo.jp/20220527122309)もキミだと思うんだけど、
現実は誰でも正社員になれるし、あくまで運が良ければと条件はつくが誰でもそこそこ稼ぐことが可能や
現実に対して無駄に高いハードル設定しちゃうのは、逃げる理由を作ってるだけだと思うぞ
生活保護受けてワンチャンひと山当てる狙いした方がコスパ良いんじゃねぇかなってなる
経済的な自由があったらのんびり大学で勉強したいなぁとは思うけど
ちょっと学び直ししたところでFIRE出来そうな給与貰える気はしないですね
老後の職の確保的には有用かもだが
世の中には「いじめる理由があるからいじめる」のではなく、「いじめない理由がないからいじめる」という人種がいることは、もっと広く知られるべき。
普通の人は路傍の石を蹴りに行かない。蹴る理由がないからだ。だがそれをわざわざ蹴りに行く人がいる。蹴らない理由がないからだ。
そしてそんな人種がいることを知らないから、いじめが発生した時、いじめられる側の理由探しが始まる。
いじめない理由がない、つまり被害者側には理由も原因もないのに、何を改めろというのか?
もし「"いじめられない理由"を持っていないのが悪い、"いじめられない理由"を持って自衛すべきだ」と言うのなら、
それは被害者に対して改善要望どころか追加要望を出している訳で、あまりにもマッチョイズムが過ぎるだろう。
「匿名アカウントでつぶやいてるから見ず知らずの人に特定されるわけないじゃんwww」って言う人は結構多いけど
そのID使ってる人がどの当たりに住んでるどんな人かは割と割り出せるからな
普段のつぶやき頻度や時間、天災や事故事件への反応、店や食事の写真、好き嫌いや主義主張、職種や友人関係その他
1つのワードだけなら該当する人は大量にいるけど、複数のワードに関連付く人なんて実はそうそういないから意外と見つかる
特に極端な主義主張してる人はたいていSNSやってるから割とすぐ見つかる
そういう意味では便所の落書きな匿名時代のがよっぽど気楽で牧歌的で「安全」だった
コテハンはしらん
なぜ若者は自民党を支持するのでしょうみたいな議論あるけどさあ、あれ、そんなに大々的にやるほど重要か?
自民党に投票したと答えた人は、18・19歳で43%、20代も41%でともに4割を超えた。
30代が39%、40代と50代が36%、60代が34%、70代以上が38%となった。
そりゃ統計的には有意な差かもしれんし、若い程自民支持なのがハッキリしてるからそこに注目したくなるのは分かるけど、一番差のある10代と60代でも10%しか変わってねえんだわ。
アメリカみてーな二大政党制で競ってる状況ならともかく、自民1強じゃ微々たる差だろ。
なのに「なぜ若者は~」って話をしてもあんま意味ないと思うんだよね。
あと、なぜ若者は自民って話が盛んになってから5年以上は経ってて、当時の若者はもう若者じゃなくて、でも延々なぜ若者は~を議論してるのってなんかヘンだよな。
若者に限らず、政治なんて最低限の興味しか持ちたくないのが大多数だと思うんだよね。
だって、めちゃくちゃスバラシイ政治家が首相になったとして、なんか意味ある?
他の国の機嫌を損ねるわけにはいかないわ、経済もグローバル化で他の国の景気に左右されるわ、地震とコロナは天災で防ぐことができず焼け石に水の対策しかできないわ、一国の首相っつったら偉そうだけどできることなんて微々たるもんだろ。
しかも、なにがスバラシイ政治家かってのが全然わからないのよね。
ちゃんと調べなさいとか言うかもしれんけど、調べても色んな人が色んなことばっか言ってて、何が正しいかわからんのよね。
自民の美点にしろ欠点にしろ、野党の美点にしろ欠点にしろ、ていうか政治に限らず芸能ゴシップでもゲームの攻略情報でも、「マジか~、スゲ~!」とテンション上げてたらデマだとわかって赤っ恥みたいな経験、大体の人は何回かやってるだろ?
そんな失敗を何回かすれば、何かを熱心に信じるのも疑うのもやーめよってなる。若者がどうとかじゃなくさ。
そんなわけで、もはやかろうじて信憑性があるのは、「大多数の人がそのやり方を採用してて、かつ重篤な失敗報告はそんなに出てない」ってことだけ。
まあテレビに堂々と詐欺師が出てて騙されるみたいな事件も何回かあって、ああいうのには弱いなあと思うけど、それは仕方ないことなんだよね。我々だけが知ってる真実に気づいてるぞって強火になるよりは、堂々とした詐欺師に弱い方がまだマシ。
賢そうな人が言ってる、専門家や学者の発言を信じましょうってのもそれと同じだろ。
論文を読む気にはならない一般人としては、無難に運営されている大学で、他の同僚の人たちから叱られて懲戒免職食らってないんだったら、まあ言ってることは正しいんだろうなくらいの判断しかできない。
権威主義と言われようと、他にやり方ないもんな。
とにかく今時は情報の真偽なんてのは考えても無駄だから、めちゃくちゃな問題が起きない限りはとりあえず去年と同じように世の中が進みそうな選択をするのが正しい可能性高いんだなって判断するのが妥当。
そうしない時があるとしたら、めっちゃ嫌いな奴かめっちゃ好きな奴ができた時くらい。
ムカつくやつを叩きたくてたまらん、推しを応援したくてたまらん、って気持ちになった時だけは、正しさよりも感情優先で少数派に回るのも妥当。ただし周囲からは引かれる可能性がある(なのでTwitterでは新しいジャンルにハマると別アカを作ったりする)。
若者じゃなくてみんなこんな感じなのが現代だと思うわ。なのにわざわざ若者だけ取り上げて、「輪を乱したがらず空気を読もうという感覚が強い」とか議論するの、意味なさそう。
カイカーッス
暑さ寒さも彼岸までと昔の人は言いましたが、少しずつ暖かくなってきましたね。
まだ長袖は手放せませんが、あまり厚着をしすぎるとじっとりと汗が伝うこともあります。
徐々に過ごしやすい天気にはなっていくのでしょう。天気だけならば。
さて、先日はまた大きな地震がありました。少なからず犠牲者の方も出ており、関東でも結構な世帯が停電になったとニュースになっておりました。
相変わらずこの国は天災に悩まされる毎日であり、皆様も一層気を引き締めて過ごしておられることと存じます。
毎日役にも立たない訳の分からない話をし続ける私にはそんな皆様方の一助となる能力もなく、当たり前のような話を雑に提示して自己満足に浸ることしかできません。
流石に緊張ばかりの世の中のクッション代わりになれたらいいな、なんてのは自惚れすぎですし、クッションにするにしては余計な砂利が混ざりすぎてる気がしますから。
ということで本日は【休憩時間の確保よいか】でいきたいと思います。
僕たちは生まれながらにして不幸だった。
物心がついた時には経済成長など実感できないほどなく、平和のみが幸運にも固定されていた。少子高齢化を無責任に押し付けられ、いつも年金の説明では僕たちが下で、いっぱいの先人が上に伸し掛かる絵を繰り返し見せられた。
小学生のころには阪神淡路大震災があり、生活は不条理に突然破壊されることを知った。
オウム真理教は天災だけでなく人災があることを教え、それを報道するテレビには頭のおかしい人をいじめることの楽しさと正しさを刷り込まれた。
学校ではいじめがあっても誰も救ってくれなかった。子どもも大人も誰も責任を取らずに済んだ。
どう大人を信じようと努めても、彼らの正しさの裏にある保身だけが形を濃くするだけだった。
いじめ、学力低下、キレる十四才、僕たちだけが責められている気がした。勝手に「ゆとり」を与えられ、数年後には「ゆとり」だとバカにされた。
ノストラダムスの大予言も二千年問題も世界を無くしてはくれなかった。変わらないんだ、という陰鬱な気分を虚構ごと生活に仕組まれた。
社会に参加するまでの過程で、どんどんと多様性という理想が叫ばれるようになっていった。でも現実はまだそう出来ていなかった。ゆとり教育でも、AO入試でも、新卒一括採用でも、実験の最前線で僕たちは消費された。
社会の正体に近づくほど、実験の甲斐なく何も変わらずに、大人たちは利権を固定させようと頑張っていることがわかった。かつて多くの若者たちの理想主義が現実主義に敗北し、僕たちの生活には既に革命の「か」の字すらなかった。
センスが良いとされる大人は肌触りの良い冷笑と諦観で、理想からも現実からも逃げているだけだった。
芸術に届くわけではないわずかな詩情の中に逃げ、丁寧な暮らしとやらで現実を隔離しただけだった。雑草も食えるらしいと、何も新しくない発見を雰囲気の良い雑誌で語った。
とにかく真っ当ではなかった。僕たちには老朽化した線路と駅が残された。
いつかみんな死ぬ、くらいしか希望はなかった。僕は、小学校四年、五年と苦労したあとに六年生になったときのような開放感を待っていた。
インターネットは唯一僕たちに与えられた現代的で民主的な革命だった。僕たちは最前線に立つことを初めて喜んだ。僕たちが社会を実験していた。大人の腕の中で揺らされるのではなく、自らが世界を開拓していた。
過去の日本では文学や学生闘争に向いたであろう若者の活力がインターネットで遊ぶことに費やされた。情報の波をサーフィンしていた。
けれどアナーキズムなど思想と呼べるほど突き詰められてはいなかった。脱法とジョーク、たくさんの知識。組織化しない雑多なカオスが世代や日陰者の雰囲気をベースとしてただ在った。
東日本大震災のとき、僕たちは初めて大きな波を感じた。世界ごと変えてしまおうというワクワクがあった。
ネットから始まる民主化が現実世界にも網目を伸ばし、キレイな情報を伝播させることを夢見ていた。
実際のところ我々には思想がなかった。正確には思想が育っていなかった。長い間の自己否定とカオスたちの団結は思想を形成させなかった。
論壇はインテリっぽい動きに酔っているままで、ほとんどの人間が責任を背負おうとしなかった。
大衆は十分なリテラシーを持っていなかった。目の前の文字が自分を騙そうとしているかだけを考えていた。
もちろん先行者と同様に誰も責任を取りたがらなかった。波は結果的に芸術の一部分だけに還元された。
僕たちの革命は、革命という皮すら被れずに失敗した。あの頃目立った人間たちのどれだけがまだ実際に社会に有効なことをしているのだろう。
僕たちは生まれてから今までずっと負け続けている。逃げ続けている。立ち向かう人間を冷たい視線で嘲笑っている。かつて"カッコイイ大人たち"がしていたように。
拗ねた子どものままで皮肉とセンチメンタルを捏ねくり回している。
最近は「多様性の尊重」がブームになっている。拡がり分化する人間の在り方を認めようとするのは正しいことだと思う。
だが、それは欺瞞だ。多様性は排外主義への攻撃だ。多様性を求める社会は多様性をもたらさないものを排除する。
最大限の寛容ではなく、この時代この社会における妥協点でしかない。
ただそれよりも深刻なのは、多様性未満の僕たちだ。多様性で救われるのは国籍、性指向、いくつかの快い思想である。いわば十分に形作られたアイデンティティーのうち、現代社会に適応するものだ。そして主張に成功したものだ。
僕たちの苦しみはアイデンティティーの未発達である。差別をされたり、大事に築き上げたものが喪失したわけではない。時代により幾度となく無意味化された結果、育たなかったのだ。
社会の複雑さへの想像力、ありのままの他者の受容、明確な善への地図が無かった。
今までのシステムは近いうちに崩壊すると言われつつも、なかなか崩壊しない。仮に崩壊したとしてもサバイバルを生き抜く知恵が無い。広大な大地に丸腰で放たれるのだ。
「ちゃんとしなきゃ死ぬ」とトリプルファイヤーの吉田靖直は歌った。「ちゃんとしなきゃ」という要請だけが社会にある。
なんとなく、どこか生きにくい僕たちの行き場はどこだろう。ちゃんとした職があればいいのか?ちゃんとした病名がつけばいいのか?ちゃんとした人になれればいいのか?ちゃんとした人ってなんだ?
今になってようやく哲学や文学などの人文学に解答を求めることができるだろうことに気づいた。それは人間として真っ当な足掻きに思えた。
まだ遅くはないと信じて、攻略サイトには無く、ビジネス書より直接的な、人間思索の旅に出ようと思う。良い哲学の書を教えてくれ。
近いうちに日本(または世界)は天災や戦争で滅びます!〇〇様だけがそのことを予知しておられます!!ただこの呟きを見つけられたあなたは幸運です………〇〇様に協力した者だけは生き残れます!いますぐ連絡してください!!
って感じの方舟思想風味のオーダーメイドインターネット宗教を最近Twitterでちらほら見かけるんだけど、怖いのはこの〇〇様が違うだけのやつが相当数存在してるんだよな。
昔ドラマで株の予想を半分には上がると告げて残りには下がると告げて、予想が当たった方をさらに半分に分けて……ってやると完璧に予想が当たる預言者が出来上がるって詐欺の手法を聞いたことがあるんだけど、そんな感じでちょっとずつ違う予言をするアカウントを立ち上げまくって当たればつよつよになれるビジネス…なのか、シンプルにコロナだのウクライナだのでみんな不安になってるからこの手法でいけるやろと思った自称予言者が大量発生してるのか、どちらにせよちょっとこわくて嫌だなと思う。
信者はどうせ教祖の自演やろと思ったら、わりと布教と同じアカウントで日常をツイートしてる人もいる=それだけ信じちゃってる人もいるってことを興味本位で調べてたら知っちゃったから余計に。
男が女に対して「君を守りたい」と言うのを異様に叩き、「何から守るの?」とか言っちゃう女は当然
結婚しても家事も生活費もきっちり折半で夫の稼ぎを妻の事には一切使わず
妻の仕事の愚痴を聞く事もなく妻がブラック企業勤めで精神を病んでも何もせず
夫婦で天災や交通事故や犯罪被害に遇っても救助や応急手当もせずに妻を見捨てて一人逃げ
そういう男が理想なんだよね?男が女を「守らない」って事はそういう事だものね?
でもどう考えても実際にはそうじゃないよね。夫の稼いだ金で経済的困窮から逃れ精神面でも支えられ
いざという時の天災や事故や犯罪からも「守って」くれる男を望んでいるのが現実だよね。じゃなきゃわざわざ結婚するメリットないからね。
でも「守りたい」と口には出すなと。勝手すぎない?
実際にはきっちり自分を「守って」くれる男を望んでいるくせに、プライドが傷付くから守りたいとか言うなってのは我が儘過ぎでしょ
自分らを優遇してたらこの世界に起きてた問題が全部解決してたかのように語るけど、それはもう宗教でしょ。
「神を信じていれば救われたのに」
「我々の教義が語っていたとおりでしょ?」
ほんまこのレベルな。
つうかカルト思想に侵されてない氷河期もいい加減カルトになった氷河期に「いや、それは流石におかしい。俺まで恥ずかしい思いをするからいい加減黙れ」と言って回ってくれよ。
あっ、無理か。
だって氷河期カルトはそういう時「成功してるからそう言えるだけ。自分が助かったら仲間を見捨てる裏切り者の話は聞かない」「人生が辛すぎて洗脳される道を選んだ軟弱者の言うことは無視」って感じだもんな。
どうせ今氷河期カルトやってる奴らはいざそれが過ちだったと認めなきゃいけなくなったら「本当は間違っていたと我々は思っていたんですけどね。なんか言い出しにくくて話を合わせてただけなんですよ。いい迷惑でしたよ」って口にするんだろうね。