はてなキーワード: 反故とは
作者の人が「コントロールがむずかしかった」と書いてある部分だけ切り取るとか、どんだけ読解力ないんだよ。
「そもそも相手が約束を反故にしたことが問題で、それを軌道修正したかったけどコントロールできなかった」
それは結果論だろう。
約束が反故にされた事を指摘し、労力をかけてなんとか原作に沿ったものになった、だがその経緯を経ても8話以降のお話は原作に反するものであり、脚本家でもない原作者が脚本を担当せざるを得ない事になった。そのため自分の脚本のドラマを視聴し不満を持たれた方には申し訳ない。という話だと思っている。
だとすれば、この経緯が発表されて抗議する人がいて当たり前ではないか?
今回の話ではないが、いじめがあったとして和解すれば、和解までの経緯はなかったことになるのか?いじめ行為についてその場を作ったいわば出資者が苦言を呈するのはいけないことなのか?
《私が9話、10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情を、きちんとお伝えした方が良いのではと思い至りました》と綴り、小学館を通じて日本テレビに提示していた条件が反故にされていたと告白。
原作漫画が完結していないことから、《ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」》《ドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する》といった約束事を伝えていたという。しかし大幅に改編されたプロットや脚本が提出され、小学館が「当初の約束通りに」と差し戻すやり取りが繰り返されたとのこと。
結果的に芦原さんが9話・10話の脚本を書くこととなったが、《相当短い時間で脚本を執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます》と無念も滲ませていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/783442e8df4fd260ed982c9ba97c69165d861372
でも原作を改変され約束を反故にされ、当人に訴えても聞き入れられなかった被害者が世間に「約束を反故にされた。原作者であり自分の作品ではあるが本意の形ではない」と声を上げ
ファンや視聴者、TVを見る潜在顧客(番組を成り立たせるテレビCMを打つスポンサーの潜在顧客)が「それはおかしい」「いじめを見ているようで不快である」「弱いものが守られる社会であるべき」と意思表明することは自由ではないか?
大きな騒ぎにしたのは外野、騒ぎすぎ、というが、TVが成り立っているのはスポンサーがあるからであり、スポンサーはCMを打ってテレビの前の顧客に商品を買わせることで益を得ているわけだ。
ならば出資者が問題視するように「弱いものが守られる作品でなければCMも番組も見ない」「弱いものいじめするキャストや作家を使わないで欲しい」と表明するのは正しい抗議ではないか。
原作者さんは誰にも守られなかったからもう声すら上げられないのに、追い詰めた発端を作った人々は守られて「環境から変えるべき、誰かを非難すべきではない」と言われるのか?
その集合体の中で強い権力を持つ個体の認識が偏って、誤っていればこのような事態が起きるのは必然ではないか?
◆
誹謗中傷(「殺人鬼」と呼んでみたり「お前が殺した」と責めること)は良くないが、過ちを過ちだと問題にすること(本人に向けてではなく本件の問題点をつぶやくことやSNSのトレンドにして社会問題にすること、スポンサー、業界に伝わるように抗議すること)は過ちではないのではないか。
誰をも責めてはならないと言う話になってしまえば、力の弱いものは抗議する力を持てない。
ストだって誰かの不便を強いたり、誰かを傷つける。交通のストのせいで死に目に会えず人生が変わる人もいるかもしれない。でも誰かを傷つけるならやらないべきだと言うのか?そうじゃないと思う。
難しい境界線だが過ちに口をつぐんで、定義もできてない「環境」のせいだ「業界」のせいだと、対象をふんわり濁してしまうのは良くないのではないか?
消した後追記:
最初に書いてるだろうが。
煽ってるブコメとか、何を期待してたんだよ?
そもそも元の増田は最初に、めちゃめちゃわかりやすく「馬鹿どもは、脚本家がストーリーを全部考えて、番組制作のすべてを仕切ってると思い込んでる」って書いてたんだよ。
ブコメ見てもわかるけど、そういう奴が実際にいたんだよ。
「はあ?そんなこと思ってるわけねーだろ」ってんなら、「お前は馬鹿じゃない」し、
煽り文章がムカついたんなら俺が悪いけど、でもなんで「こう思い込んでる馬鹿」って条件を指定した煽りにムカつけるんだよ?
そのあとは延々「それは違えよバーカこういうことだよバーカ」って当たり前の説明をしてるだけ。
当たり前のことがわからない馬鹿が多い、って最初に言ってんだろ。
それなのに、今数えたら300件のコメント中、80件以上が「あの事件の犯人探しをするコメント」なんだぞ。
消すだろ、そんなもん。
「インスタでの発信が引金になってしまった」
「嫌味や悪口大会をインスタでするのはしょうがないですって言いたいわけ?」
・・・・
あの事件が起きた後に、平気でこんなコメントが80件もついてるんだぞ。
「だから今回のケースにそれが当てはまるかどうかちょっとは考えてから書けよ^^;」
「何が言いたいんだ?責めるんじゃねぇってこと?」
当たり前だろ。
消した後追記終わり
今回の件でこれ以上「誰が悪かったか犯人探しを続ける」なんて、最悪の選択で絶対にやるべきじゃないだろ。
まともな人間ならその認識を当然持ってるという前提だったんだけど、どうやら違った。
大半は「原因が誰なのか見つけたらまだ叩き続けられる!」「○○を叩く絶好の機会なのに!話が違う!」「逸らそうとしてる!」という状態。
これが論点ずらしのための文章だとか、どれだけ邪悪ならそんな発想になるんだ。
いい年したおっさんおばさんたちが、誰が悪いのかを妄想で押し付けるブコメをこうやって未だに書き続けてるんだぜ。
みんながもうやめようって言ってる中で。
追記:
繰り返すが俺は「脚本家がどんな仕事か」について当たり前の一般論の話をしているのであって、
なのに、この増田を元に「今回の件では~」とかいってるの、マジで頭おかしくないか?
あんな結末になっても、まだ適当に知ったかぶって誰かを責める手を止められないのか?
どんだけ重症なんだよ?
お前は絶対にネット越しの情報をコントロールできない。もうすでに無理なことを十分証明してる。
あの事件に言及する代わりにこの増田を叩いてるコメントは、まだ全然マシだよ。
(でもこんな当たり前のことすらもわからない連中にちゃんと読んでもらおうとしたら、これぐらい細切れ改行で太字強調して煽る文章にもなるわ)
「んなことねーよ」って思うなら、部外者として流し読みするか、読まないでいいような文章だよ。
でも今回の件を追ってたら「そんなこと言ってる奴なんていない」や「藁人形」なんて口が裂けても言えないだろ。
追記終わり
そりゃ夫は好きで愛して結婚した相手なのに対して、夫の不倫相手の事は元々好きでも何でもないからだろ
当たり前じゃん
つくづく思うんだけどこういうの、間男を射殺した男性のニュースには絶対に沸かないよね
結局女のする事にだけケチを付ける、典型的なミソジニーなんだよ
https://twitter.com/mimomimo_sasasa/status/1751950159871951093
ミモザ 𓅪
@mimomimo_sasasa
私が描いた「セクシー田中さん」という作品の個性を消されてしまうなら、
どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、
粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の
完成にこぎつけましたが…。
ただ、脚本家のプロットがボツになったから脚本家がキレたのと、毎回毎回加筆修正が必要で原作者も疲弊した
ということとは関係なく、原作者のブログを曲解して脚本家ぶっ叩きに行ったバカな原作厨のせいで原作者が追い込まれて…
誰が悪いのか。
1.原作者
2.脚本家
3.プロデューサー
4.日テレ
https://fujimedia22.com/2024/01/29/ashihara-hinako/
商業目的なので、原作に拘られてもTV番組として成り立たない事が有るため、
そのような事が起こりうることは理解してい貰わないと話にならない、等という事が考えられる。
海外の例でも、スティーブン・キングの原作が映画化されたものがいくつも有るが、
どの作品を見ても原作とは大きくかけ離れたものになっている事実は否めない。
但し、契約として原作から逸脱するようなストーリー、演出が有った場合は原作者が拒否できるものならば、
原作者と契約しそれを反故にした側が悪いのは決まりきっているが、現段階では契約内容を知り得ていないので。
原作者は自分の作品に対して非常に思い入れのある人だったというコメントを目にした。
それは当然のことだと思う。
でも自分の思うようにさせてもらえなかった、自分の思うようにいかなかった、
それに腹を立てたのか、心が傷ついてしまったのか、
はたまた、そんなに揉めるつもりはなかったのに、自分の考えを上手く伝えられずに炎上してしまった事に心を病んで...
心の奥底の事は分からないけれど、自ら命を絶つような事ではなかったと思うのだが。
残念でしかない。
合掌。
だって「連載中の作品のドラマ化」自体、不本意だったんだから。
それに、10月放送開始なのに依頼が放送の4ヶ月前って無理がありすぎた。
だからこそ「これだけは守って欲しい」と条件をつけたけど、それを守ってもらえず脚本制作時点で揉め始めた。
最終二話については、先生が準備したプロットを使う約束だったのに、それを反故にされたわけで、
本当はこの時点でこのドラマ化は破談になるべき話だった。
ドラマ化が決定した6月からの4ヶ月でかなり消耗していただろうに、
放送が始まった後は、放送を見たり、視聴者の感想を見聞きしたりして、いろいろ思うところがあっただろうし、
自分で脚本を書いたものの納得がいかなかった最終二話の放送に行き着いた頃には、生きた心地がしなかっただろう。
そうして3ヶ月の放送が終わって、なんとかやり過ごそうとした矢先に、あの脚本家の嫌味なSNS投稿でしょ?
「そりゃないよ」って思うに決まってるじゃん。
むしろ、ここまでの間によく気力が続いたな、と思うほど。
多分先生は「自分の作品を守りたい、読者に本心を伝えたい」ぐらいの気持ちだった。
だけど、投稿がバズって自分の意図と異なる方向に広まってしまった。
同業者や業界人から同情されたり、ネットユーザーの議論や誹謗中傷を目にしたり、
自分の個人的な仕事の話をしたつもりが社会問題化してしまって、先のことが考えられなくしまったのかな、と思った。
こんなことになった以上、この先の人生は「悪のマスコミに立ち向かう英雄」扱いされることが目に見えたのかもしれない。
マンガ家というのはあくまでフリーランスの個人事業主であって、組織人ではない。
そういう立場の人が巨大組織と一人でやり合っていこうというのは、なかなか難しい。
いくら「視聴者や読者、ネットユーザーは先生の味方だ」と言ったって、
誰一人先生の力になんてなれなかったわけで、
芦原氏は《今回のドラマ化で私が9話、10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情を、きちんとお伝えした方が良いのではと思い至りました》と切り出し、小学館を通じて制作陣に提示していた条件が反故にされたことを打ち明けていた。なお事実関係や投稿文章は、小学館と確認し合った上で発表したという。
この出来事はネットニュースでも取り上げられ、ニュースサイトのコメント欄やSNSで議論が巻き起こる事態に。大きな騒動に発展してしまったためか、芦原氏は28日までにXの当該投稿を削除。その直後に、《攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい》と謝罪した。
そんななか本ドラマの1~8話を担当した脚本家・相沢友子氏のInstagramが、改変騒動の前兆として再注目されている。
最終回の第10話が放送された昨年12月24日、相沢氏は主人公を演じた木南晴夏(33)との2ショットを添えてこう告知していた。
《『セクシー田中さん』今夜最終話放送です。最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました》
視聴者からはドラマの感想が多数寄せられたようで、4日後の28日にもInstagramを更新。相沢氏は《まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします》と念押しした上で、“意味深コメント”をこう綴っていた。
《今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように》
小池百合子知事が麻布十番駅を核シェルターにするとぶち上げて話題になっているが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/20979db65c4b2665d53884ea0247aa2eac51db19
実は都営地下鉄大江戸線の麻布十番駅は防災拠点として整備されていて、地下に巨大空間があるのだ。
地下鉄の線路は地下6階にあるのだが、駅コンコースは地下4階となっている。その上の空間が備蓄倉庫となっている。
更に鳥居坂のシンガポール大使館下に地下駐車場の入口があるのだが、
https://maps.app.goo.gl/T7BFm9ohKUEZT68J7
この下と道路の下が駐車場で、その下がまるまる防災倉庫+コンコースとして伽藍と開いているのだ。
大江戸線は2000年に開通したが、90年代の麻布十番は延々と工事中で、しかも巨大な縦穴を掘っているのが見て取れた。それは地下鉄だけじゃなくて備蓄倉庫の躯体も作っていたからなのだね。
土木に興味がある人なら、都市トンネルの作り方には上から掘り下げる開削工法と、地下を横に掘り進むシールド工法があるというのは知っている事と思う。
シールドというのは盾の事で、丸盾型の隔壁を全面に置いて開口部から工夫がショベルやツルハシで土を掘ってトロッコで後ろに残土(ズリ)を送る。シールドが前進すると同時に丸いトンネル形状を支える支保工を建てて、そこにコンクリートを流して丸いトンネルにする。トンネル掘削面を切羽というが、都市の地下だと切羽が崩れてくるのを防ぐ為にこういう風にした。150年前のロンドン地下鉄から使われている枯れた技術だ。
このシールド工法、今ではもっと進化して、シールドマシンという機械が自動で掘り進むようになっている。掘ったそばから円形トンネルの外壁を分割したセグメントを組み立てて行く。
http://www.yesemk.com/eng/business/tbm_small.html
が展示されていて、いかにもごつそうなドリルが付いているが、そういうのは山岳用である。
沖積平野地下で威力を発揮するのは実は泥水なのだ。泥水を吹き付けて土を崩し、そろばんみたいなカッターでグリグリやって出てきた残土は泥として後方に送る。
それには泥と水の分離機が必要になる。地下鉄工事や下水管(雨水管)工事の現場でこういうデカいタンクが置かれているのを見た事が無いだろうか?
https://www.futamoto.com/product/ftu-d/
これは泥と水の分離機で、丸い形状の場合もある。セットルタンクともいう。上に機械が載っている事も多いが、それは脱水機で、振動、或いは遠心力で泥から水を分離して、それをダンプに載せて残土として捨てに行く。
建築現場でも見る事が多い。これは杭基礎工事で潤滑剤として水を使い、杭打機の中の土の掻き出しにやはり泥水吸引を使うので、その泥を水と土に分離して捨てる為だ。
一方、シールド工事ではその残土、排水分離の他に泥を作るという役割があるってわけ。
水じゃなくて泥水である理由は、まずは比重の重さによる破壊力の増加。鉄砲水では橋や堤防は壊れなくても、土石流だと破壊されてしまう。これは泥水の方が比重が重いからだ。
また流動性が水より低い。この為に余計な場所に流れて行ったりしにくい。
また比重の高さにより、切羽が安定する。水だと掘ったそばから土は崩壊しようとするが、泥だと高圧状態が保てるので崩れにくい。
そして泥と別に水も送り、出てきた残土の泥を薄めて流動性を上げて後方の分離機に送るのである。
この為に残土のトロッコやベルコンベアも必要なくてホース数本だけでいい。人員も減るし労災も起こりにくい。
しかもこういう仕組みだとシールドマシンが小型化出来る。人が入れないような径のトンネルを掘る事も出来る。何しろホースと泥水分離機だけでいいのだから。
そういう訳で異常気象で多発してきた排水氾濫に対して雨水幹線を整備するのにも大活躍だ。下水管なら各戸の管を接続する為に露天掘りしか出来ないが、雨水管なら必要ないので小型シールドマシンが使えるのだ。
ってことで、シールドマシン下発進拠点であり工事の要である泥水分離機を稼働させ、残土を搬出する場所が必要なので大きな縦穴を掘る必要がある。この縦穴は最後にただ埋めてしまうと勿体ない。なので駅になる場所がシールド基地となる事が多い。
因みに雨水管シールド工事での基地の役割にはもう一つあって、それは「シールドマシンを押す事」だ。シールドマシンには推進力が無いので基地から油圧で押してやるのである。
で、トンネルが出来たらその上に駅コンコースの躯体を鉄筋コンクリートで作る。それが終わったら土で埋め戻して完成だ。
この辺の構造はみなとみらい線の元町中華街駅とかが判り易いかも。露天掘りで出来た駅コンコースからエスカレータを降りると、丸いトンネルの天辺に出る。この二つは別構造で作り方も別だったのだ。
都営麻布十番駅は地下6階で、コンコースは地下4階、その上はただ埋め戻しすると無駄だ。なので有効活用する為に備蓄倉庫とされる事になった。更にホーム自体は交差点からエネオスのガソスタのあたりまでなのだが鳥居坂の方まで延長されて地下駐車場と備蓄倉庫などになった。確か鳥居坂の方は地下鉄が開通しても工事が続いていた覚えがある。
また、石原都知事は地下鉄開業後に自衛隊部隊を市谷から大江戸線乗車で麻布十番に移動させる訓練を行った。自衛隊を指揮したい、六本木から市谷へ防衛省が移転したのでデモンストレーションしたいという動機もあったろうが、都営の防災倉庫落成のデモの意味もあったのだ。
このように元々防災備蓄倉庫として整備されていたものを核シェルター化するというのが今回の肝なのだが、どうもその辺の背景知識が参照されていないように思える。
更に小池知事はワンフレーズ政治家なもんで、ちゃんと継続して計画策定するのかっていうのが疑問なのだ。山手線2階建はどうなった?
就任当初に小池知事は廃校となった都立市ヶ谷商業高等学校跡地を韓国人学校に転用する取決めを反故にした。これは韓国人学校化を約した舛添前都知事の独断の疑いがある事の他に、当時議席もない右翼政治ゴロのような人物を秘書としていて音喜多ら都民ファ議員をパシリにしていて、その影響もあると思われる。
だがその言い訳がヤバかった。保育園にすると言ったのだ。当時「保育園落ちたの私だ」などで保育園待機児童問題が炎上しており、それに乗っかったのだが、こういう時は実地を見てみないとポジショントークになってしまう。
市ヶ谷商業高は新宿区矢来町にあり牛込柳町駅が最寄り駅だ。しかも結構な狭隘路の中にある。学校としての敷地はかなり小さい。だが保育園としては過大な建物だ。
車での送迎は狭隘路の為に不可能だ。また保育園というのは電車で通うものではない。電車で送迎した場合、坂の下にある柳町駅から急坂を登らねばならない。
都市計画法と建築基準法に用途地域というのがあり、地区ごとに建てられる建物の種類が決まっている。例えば商業地域には木造家屋は建てられず、住宅地に工場は建てられない。また工業地域には学校を建ててはならない。これは住環境や教育を保護するための規制だ。
だが保育園にはなんの規制も無いのだ。これは環境がどうこうよりも、保育園は働く人の為の施設でありオフィス労働者、工場労働者が居たら自動的に必須となるのである。
こういう属性を持つので、保育園は遠方に通うものではない。住居か職場に近い場所に開設されるものだ。
矢来町は大きなオフィス街ではない。だから大きな保育園が必要な場所ではない。
ならば住居の方はどうか?この周辺は人口空洞化が進む地域だ。因みに増田の母校はここから徒歩30分くらいの場所にあったが生徒数現象で廃校されてしまった。
故にここに保育園というのはナンセンスなのだ。だがこの時は「場所的にナンセンス」と強く否定されなかった。
その後市ヶ谷商跡地はずっと遊休施設になり、最近に老人施設に一部転用という形になっている。保育園転用の可能性は検討さえされていない。
こういう感じの人なんで、核シェルター化は本気で継続する事業なのか?というのが非常に疑問なのだ。
更に現知事の問題はその問題性を感じさせない天賦のポピュリスト性にあって、市ヶ谷商高保育園転用の時もマスコミに半畳を入れられなかったし、今回も同様だ。なんか、テキトウ言っても通ってしまうという言論空間にいる。長期停電したら水没しますが、ガスタービン発電とその燃料備蓄はどのくらい?と言った具体性に繋がらないで、北朝鮮の核があるから、で通ってしまい、何も事業が進んでないまま皆忘れるというパターンに入ってるような気がしてならない。
コロナ初期のように「三密」「移動制限」みたいに全体の流れを言葉で決定付けるのは非常に高パフォーマンスを出すのだが、その後が続かない。ママチャリにクラリオンの高額なアンプ、スピーカー積んで街宣みたいな感じになるのがいつものパターンというか。
大江戸線清澄白河駅も麻布十番と同じくコンコース上の空間が防災倉庫になっている。だから清澄白河駅でも同じ核シェルター化が可能だ。ここの場合はホームが地下2階、コンコースが地下1階と深さが無いが、その代わりに隣接する清澄庭園にはみ出す形で地下構造物が築造されている(はず。見てない)。
あと、東京都の防災倉庫に指定されていないが、新宿中央公園地下も広い空間が広がっていてシェルター化出来そうである。中央公園の新宿方広場は昔階段や噴水が組み合わされた広場だったが、地下鉄大江戸線工事で巨大工事基地となっていた。
その後広場に何も置かない、噴水も置かないというのは何かの躯体が埋まっていると考えられるのだ。
だからこの二つでも核シェルター化は可能な筈だが、何分にも知事が何処まで本気なのか放言なのか判らないので…
江戸時代の古川改修工事で工区を区切り、○○N番、と書かれて居たのが由来。麻布は十番だったので麻布十番と。これは有名だね。因みに昭和初めまで森本町、山本町、永坂町という感じで麻布十番という地名は無かった。町の合併地名整理で古い呼び方を復活させたのだ。
エネオスのスタンドの斜向かいにマンシーズトウキョウというレストランがあるが、実はここがバブルなディスコのマハラジャ東京の跡地。因みに増田も行った事がある。んでその近くのファミマの隣のPCデポの隣がマハラジャWESTでここも増田は行ったこt
一の橋の交差点の五反田寄りに団地があってその裏の古川べりに広尾公園があるのだ。
これは、江戸時代の古川の改修工事の後にできた、川べりの土地を開墾して田んぼにして、そこを全部広尾と名付けたためだ。つまり、一の橋からずーっと遡り、広尾の天現寺橋までの両岸が広尾。また天現寺橋から北の方に今の外苑西通りに沿って笄川(こうがいがわ)というのが流れてて、その両岸も広尾だった。地名として無茶なのだが、どうもこれは広尾の人らが開拓に駆り出されたかららしい。
後にややこしいので川沿い広尾は近傍の地名に合体させられたのだが、一の橋付近だけはその地名変更前に公園名が付けられて残ったというわけ。
六本木交差点のアマンド横に坂道があり麻布十番まで繋がっているが、元はこの道は都電の線路だった。廃止されて道路になったもの。
で、ここを都電が走っていたので、その代替都バスもここを走る事になった。なので右折禁止の六本木交差点の真ん中で都バスが右折待ちしているのが見られた。路線は新宿駅東口~東京タワー。
で、都バスは昭和40年(1965年)に車掌乗務から、ワンマン均一料金に転換したんだが、車掌については本人の希望にした。それで殆どの車掌は退職するか配置転換されたのだが、十数人くらいは継続勤務を希望した。因みに狭隘路線などでは今でも補助的に車掌が乗務する路線はある。
この人達が最後まで残っていたのが新宿~東京タワー系統で、1990年近くまで居たそうである。
因みにこの路線は整理されて今では残っていない。
鳥居坂は急坂の下の方を大通りが通り、そこだけ水平なのでサンフランシスコのような光景になっている。なので勢いがありすぎるとジャンプする。というかした。バイクで急いで通ろうとしたらジャンプして転倒しそうになった。減速を心がけたい。
元麻布に登る坂の下にパティオ十番という広場があり、多分これは南部イタリアの街を模して作ったものだろうが、よくフリマが開かれている。麻布十番という下町+オサレな地域に相応しい出品が多くて雰囲気も良いし面白い。
都電廃止後に陸の孤島と化していた麻布十番に南北線と大江戸線が相次いで開通することが決定すると、沿道には「悲願達成!麻布十番に鉄道開通!」という横断幕が方々に掲げられ、まるで冬は雪に閉ざされ交通途絶される雪国のようで苦笑した事がある。
先ほどの飛地みたいな広尾公園から古川を渡ると、三田一丁目というかなり強烈な下町がある。この辺の人も麻布十番居住と言っているはずだから、麻布十番に一番安く住むには三田一丁目に住むのが一番と思われる。風呂が無い家も多いが、実は麻布十番には銭湯が残っているのである。しかもここは温泉が出ている。泉質は南関東ガス田の上なので黒湯である。
六本木のロアビルから曲がり鳥居坂に向かうと、周囲は東洋英和や古い教会などが立ち並ぶ雰囲気の良い地帯である。
ところがこの広大な一帯には再開発が掛かっている。なのでロアビルも廃業して廃墟となっている。ロアビルから鳥居坂まで全てである。
実はこの一帯はロアビルも含めて川崎財閥という財閥の所有地であった。GHQの財閥解体で解散させられたが六本木の不動産はそのまま所有し学校などへ売却されたり共同運営(ロアビル)されるなど管理されていたがその全部を再開発する事になった。デペロッパは当然森ビルである。港区にいる限り森ビルのブルドーザーから逃れられる者は居ないのである。核シェルターもいずれ森ビルのブルドーザーが…。
傍聴人が多くくる見込みで傍聴券が発行されるそうだ
暇空は出席拒否してるので、きちんと出席する仁藤が優位だ
今回の裁判は暇空が「仁藤はタコ部屋に少女たちを押し込めて生活保護の金を搾取している」という発言について
暇空が裁判を放棄して「タコ部屋」と仁藤に向けたことの悪質性が認められたら、
一緒になってタコ部屋連呼していたその他大勢も芋づるでこれから訴えられていくだろう
暇空は負けても他人の金であるカンパ金から払えばいいのでノーダメージだが、暇空信者は全員同じぐらいに懐にゆとりがあるだろうか?
タコ部屋発言について暇空は「隠し玉はあります。なかったら俺のこと笑えよ。だすって言ってんだから待てよ」と2022年12月に発言
恐らく暇空が自信満々に語っていた「隠し玉」は、かつてcolaboに保護されていたsioという女性だったのだろう
sioは家庭内暴力を受けて家出し、18歳未満の頃から体を売って生活していたが限界が来て仁藤に保護された
若い女性は売春すれば生活できるのにと生活保護申請を断られやすいが、仁藤はsioには精神疾患が発生していると申告して通した
sioには精神疾患の自覚はなく、行政が言う通り売春すれば生活できるのに生活保護を受けたのは不正行為だったのではないかという罪悪感があった
実際、仁藤のもとを離れた現在のsioは生活保護を受けずとも風俗で生計を立てられている
「私は仁藤のもとで不正に生活保護を受けたかもしれない」とsioは発言し、暇空支持者の議員はsioを囲い込み、月に30万円弱の費用を払うと約束して暇空に有利な発言をするよう促した
だが当初の約束を反故にされ少額しかもらえなかったため、sioは買収されかけたことを告発して議員や暇空との関わりを絶った
本来、sioが「colaboは不正をしている、私はタコ部屋に閉じ込められた、暇空さんは正しい」と元保護女性の立場から証言する隠し玉にされる予定だったのだろう
山崎元さんのものをはじめ何冊か本を読み、年始に一気に400万円をイーマクシススリム先進国にぶち込んだ。
これに加え、同銘柄を月5万円を積み立てる設定もした。
3月中旬ごろから落ちだし、4月中旬くらいには含み損120万くらいになっていた。
ちょっと寝込んだ。
正直、緊急事態宣言とかどうでもよかった。自分にとってはそれ以上の緊急事態だったので。
5月くらいまでは顔が死んでたと思う。
GWに夫の友人と会う約束をしていたが(初対面)、反故にさせてもらった。
積立で追加し続けたこともあり、年末くらいには数十万含み益が出ていた。
2021年以降は、一般NISAで月10万、イーマクシススリム先進国を積立購入した。
あとは貯金がダブついてきたら30万円分くらいずつイーマクシス米国とかS&PなどのETFとかを適当に買った。
あと、2022・2023年は楽天の株価が落ちたら買ってちょっと上がったら売るみたいなことを数回した。
資金100万前後、数日~3か月程度で切り上げ、1回につきプラス5万程度。
それでも保有期間は頻繁に証券口座をのぞいたり株価を確認したりしてしまうなど毎日にほんのり緊張感があり、
精神的に損だと思ったのでもうやめた。
投資信託やETF買って気絶してたほうがずっと気楽だし、トータルで見るとたぶん儲けも多い。
内訳は貯金200万、投信・ETF1900万(うち元金1300万・含み益600万)
かなり悪い状況で投資をスタートしても、4年でかなり含み益が出せた。
しかし、2020年の3月~5月くらいはかなり落ち込んだし、夫にはだいぶ迷惑をかけた。
夫がいなければ病んでいたかもしれない。
説明下手で悪いんだけど、どっちの言い分が正しいと思う?
●前提
・AとBが友だち、BとCが友だちで、AC間は面識なし
・私はABと友だちでCのことは知らない
●いきさつ
・BとCがAの行きつけの店で飲む
・そこはちょっと特殊な飲み屋らしく、一見さんお断りではないが常連が集うタイプの店
・Bは何度かAと訪れており、その日はCが行きたいと言って連れていった
・Bは事前に終電で帰るとCに伝えていて、自分もそのつもりだとCも了承していた
・BはCを置いてひとり帰宅
・たまたま深夜にAが訪れ、立てなくなるほど泥酔したCを介抱する
●Aの言い分
・もともと自分がBを連れていった店なので、Bも誰かを連れていくなら責任を持って最後まで面倒をみるべき
●Bの言い分
・終電で帰る約束を反故にしたのはCであり、前後不覚になるほど飲んだのもCの落ち度
・結果的にAや店に迷惑をかけたことは申し訳ないが、置いていったことを悪いとは思わない
だそうです。
ハタチそこそこなら面倒みるけど、30過ぎた酒の失敗はただの自己責任だろ。