はてなキーワード: 処女厨とは
いわゆる鬱勃起というやつだが、この要素は俺にとってそんなに大きくない気がする。というか鬱勃起をクライマックスに添えたNTR作品って現実的にありうるか?コレ…って感じが先に来てしまってちょっと笑っちゃうんだよな。
ビデオレター編集してわざわざ送るのはかなりの熱量がないと無理だし、目の前でセックスしてみせるなんてのもかなりハードル高い気がする。最近読んだやつだと「セックスした相手の顔写真を逐一LINEで送ってくる先輩、ある日そこに俺の好きな人が…」ってシチュがあったんだけど、セックス相手の写真送ってくる先輩って何?!どういう仲?!って思いが先立って全然集中できなかった。
寝取られ男が椅子に縛り付けられて…みたいなやつはもはや完全に面白映像として見てしまう。なんなんだ?アレ。結構仲良くないとできなくね?3人で飯行ったりするのかな。
これもどうなんだろうなーって感じがある。個人的には「心は彼氏のほうにあるのに圧倒的な快感で流されてしまって…」っていう感じのヤツよりは、女の方も途中からノリ気になってる方が好き。というか快感頼りのやつはレイプものやんけ!という感じがするので嫌。犯罪行為を含まない範疇でやってるやつが一番NTRとして位が高いと思う。
これっぽいんだよな。
俺は処女厨が嫌いで、作品で非処女設定が出てきてオタクたちがガチギレしてるのをみるとマジで嬉しくなってしまう。
じつは俺がNTRに興奮するのは、そのガチギレするオタクを幻視してるからなんじゃないか?
実際、タイトルにNTR人妻とか入ってるやつより普通のファンタジーものとかっぽい雰囲気で突然NTR展開になる方が嬉しい。なんならエロシーンがなくても抜けることすらある。
俺にとっては一般作品・非NTR作品っぽさというのがかなり大事なんだよな。読者に処女厨のオタクがいる可能性が高ければ高いほどシコれる。
でも、NTRじゃなくて「酒の勢いで普段は友達な2人が…」とか「お互い恋人がいるのに雰囲気に流されて…」みたいなシチュエーションもかなり好きだ。
要は人間の弱さ、流されやすさに興奮していて、理性が本能に押し負けるって状況が描かれてるならなんでもいいんじゃないかという説もある。感度○倍みたいな薬飲まされてNTRよりも普通の状態でNTRのほうが嬉しい。なぜなら言い訳の余地が少ないから……
・卒業前
【処女】
綺麗で可愛くて、純粋に恋愛した後そのまま結婚してじーちゃんばーちゃんになるまで仲良くなって、手を繋いで死にたい。
自分二人の世界のまま生きたい。処女厨とか言われるけど、処女こそが至高。性経験無いけど、俺多分セックス上手いし満足させられる。
付き合った経験が無くても、互いに愛があれば人生楽しめるでしょ。
【非処女】
なんか汚い。俺と付き合う前に他の男と愛を育んだとか許せない。処女厨叩いてくるし、ビッチやん。
・卒業後
【処女】
マンカス洗ってないし汚い人多い。男扱い下手糞な人多くて、可愛くても結局恋に落ちない。
遊びなら挿入殆ど出来ないし、メンドクサイ。
でもスレてなくて、感性がまともな人多いし、人間的価値で自己評価してる人多いし、誠実な人が多い気がする。結婚したら幸せになりそう。結婚するなら処女かな。
あと実際セックスしてみたら俺遅漏だったし、遅漏はめんどくさがれるから処女の方が比べられなくていいかも。
処女厨叩いてた女に童貞時代そんなこと言われたな、割と非童貞の価値観に近いんだな。ちょっとは理解できた。
【非処女】
化粧とか多少は男扱いとか覚えて、多少ブスでも恋に落ちる確率が上がる。
遊びなら気軽にできるけど、無駄に自己評価高い人が多くて長く付き合うのはめんどくさい。
特に30代とか、性的価値落ちてるのに自己評価だけ20代前半の人多すぎ。
・結論
吉原遊女って上の方は普通に身請けされたり年季明けまで頑張って借金返して自由の身になったりしてるぞ。
(実際は年季明けても行く当てがなくてそのまま吉原の中で別の仕事するのも多かったらしいけど。
「やり手ババア」って本来は「遊郭で遊女の指導や手配を行う中高年の女性」って意味だけど、それも元遊女が多かった)
下層の遊女は身請けもされんし劣悪な環境の中で死ぬ事が多かっただろうけど、それ言ったら下層民の大半は皆そうだったわけだし。
因みに江戸時代に処女厨はおらんし「売春婦と結婚するのを嫌がる」って感覚もない。
※フェイクあり。
これは自カプオンリーへの参加を断念した腐女子の嘆きの日記です。
私はアニメや漫画、小説などの二次創作をすること、読むことを楽しむオタクの中で、BL妄想が大好きな人種です。
それもライト層ではなく、本を出したり買ったりする、首どころか頭の天辺までどっぷり同人沼に沈んだ人間です。
※公式に金を落とせというご指摘もおありでしょうが、何か出たら喜んで買ってます。今回は金銭の授受を伴う二次創作の是非は脇に置かせてください。
そういう人種にとって、同人誌即売会は特別なイベントです。同じものを好きな人と本を売り買いし、お喋りできる場だからです。
そんな特別で非日常のイベントの中でも、更にちょっと特別なのが、カップリングオンリーだと思います。
普段のオールジャンルやジャンルオンリーでは、逆や攻め違いのサークルさんも近くにいます。相手にとっても私は逆や攻め違いです。敵ではありませんが、同ジャンルであっても、やっぱり少し違う相手です。
ですがカップリングオンリーなら、同じカップリングが好きな人ばかりで島が作られます。
右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、お仲間しかいません。天国です。
買いに来る人も自カプを好きな人ばかりです。楽園はここにあった。
7月12日に開催された七夕FES.はそんなカププチオンリーの集まりですが、普段と少し違うことがあります。
それは全てのオンリーが、サークルの投票によって決まったものだという点です。
詳しくは割愛しますが、同人文化を応援しようという目的で、新刊を印刷したり、既刊を再版したりすると、印刷所から「新刊カード」というものが配布される、というキャンペーンがあります。
カードはいくつか活用用途がありましたが、このオンリーもその企画の一つです。
「新刊カード」を投票券に交換して、イベント会場ないし郵送(制限あり)で投票する形式で行なわれました。
このお知らせに、界隈は色めき立ちました。
オンリーはオールジャンルのイベントとは少し違う雰囲気があります。
過去に活動していた移動済みの人や、参入を迷っている人、普段はオン専の人が、オンリーがあるなら、と参加を決めることがあるからです。しかもカププチ。つまり自カプの本がずらりと並ぶ。
これは勝ち取らねばならない。そんな空気になりました。
それでも、新刊や再録本を出したり、再版をかけたり、別ジャンルの友人に譲って貰ったりして、どうにかこうにかカプオンリー開催決定までこぎ着けました。昨年の冬のことです。
この時点では、私を含めて多くのサークルが、この七夕FES.に参加するつもりだったはずです。
しかしその後、状況は一変しました。世界を襲った新型コロナウィルスによる影響です。
春以降、多くの同人イベントが延期・中止を余儀なくされました。
もちろんその他のコンサートや各種イベントやスポーツ等の大会も同様で、飲食店やアミューズメントその他、各方面に甚大な経済的被害が出ました。
夏には収まっていないかという希望的観測も虚しく、現在も新規感染者は増え続けています。
その状況下で、政府から出ていたイベントの開催の制限が緩和されたのが、この七夕FES.の直前でした。
屋内なら最大5000人以下もしくは収容人数の50%以下の、数字の小さい方までなら、感染症対策を取れば、開催して構いません、ということになりました。
私は当然のように、コロナが騒がれはじめるより前にサークル参加を申し込んでいました。
友人たちも同様です。投票を呼びかけた立場上、退くに退けない、という友人もいました。
規制が緩和されるとはいえ、この状況で開催されるのか? 本当に?
仮に開催されたとして参加できるか?
私が行けたとして、友人や買い物に来てくれる人はどうか?
悩んでいる間に月日は過ぎていきました。
主催から感染拡大防止のガイドラインの類いが出たのは、サークル参加申し込み締め切り翌日の6月6日の夕方でした。
そこには、高齢者や基礎疾患持ちの人と、その同居者は来場の自粛を検討してください、という旨のことが書いてありました。あくまで自粛のお願いで、なんら強要するものではありません、というようなことも書いてありました。
今確認できるものは少し内容が変わっています。私も記憶で書いているので不正確でしたら申し訳ございません。ただ、内容的にはおそらく大きな違いはないと思います。
こちらも大人ですから、当然リスクを考慮して判断をします。ですが、腑に落ちない思いがありました。
もともとオンリーは、オールジャンルのイベントと比較すると集客が少ないです。
更に7月は閑散期です。だからこそ、このタイミングにカププチを設定したんだと思います。
これはつまり、人の少ない7月に、試しにイベントを開催してみて、その後の8月の東京大阪のイベントへの対策を考えようとしているのではないかと、そう感じました。
↓の一覧を見ればわかる通り、このカププチが初カプオンリーというカップリングが多くあります。
https://www.akaboo.jp/event/item/ca039.html
処女厨みたいでなんですが、初の自カプオンリー、しかも自分たちの手で勝ち取った自カプオンリーを、とても粗雑に扱われていると感じました。
ここに掛かっているのは端的に言うとお金で、もっと言えば愛情です。情熱です。執念と熱意です。
それらは同人活動の根本的なものでもあると、私は思います。それをないがしろにされていると感じました。
東京都知事から、都民に対し、他県への移動を遠慮するようにとの要請が出されたのが、7月4日でした。
検査対象を増やしたことと、自粛の解除の影響か、東京の新型コロナウィルス感染者が拡大していたので、無理もないこととは思います。
あと1週間で、関東から大阪に、イベント参加できる状況になるだろうか?
友人たちと相談し、どう考えても遠征での参加は難しいこと、3日から一般参加者用の入場チケットが販売開始されているので、出欠の告知は早い方がいいことを確認し合い、このタイミングで欠席のお知らせをしました。
9日、主催から開催直前のサークル参加者宛のメールが届きました。
来夏に12日のカプオンリーの再開催を企画していますとのことでした。
まるで「来年またやるから、今年は諦めろ」と言われている気分でした。
私達が投票したカププチは、今回の無番のこのカププチなのに。
一年後にはジャンル移動している人だっていて、今と同じ情熱の本が出るか分からないのに。
それに、再開催ということは、今回参加者(欠席者含む)もまた申し込みをしなければなりません。
サークル参加費用はそこまで高額でもありませんが、無にするには惜しいお金です。
来夏に、はたして参加できる情勢になっているのかも分かりません。
ここまでの状況で、私はもう、無邪気に喜ぶ気力もなくなっていました。
春に移動した今年の夏コミは中止でしたが、当選サークルは一部分しかサークル参加費が戻ってきていません。それと比べれば、開催された以上は返金がないのは諦めるしかない。
特に私は、主催の自粛要請の対象でも、移動の自粛要請の対象でもありませんでしたから、自分の判断での欠席なのは事実です。
でも、次また開催されるか分からない、行けるか分からない、人が来ないかもしれないイベントに申し込むのは冒険に過ぎる。そう感じました。
会場の写真が上がっていて、そのあまりの「疎」ぶりに乾いた笑いが出て来ました。
ただ、気になったことがありました。主催を心配する呟きが散見されたことです。
欠席したサークルには返金するんだろうから、という内容の呟きを見て、あれ? と思いました。
開催された以上は返金なんてありません。サークル参加費用と手数料は払いっぱなしです。
返ってこないのは仕方ありません。
でも、誰一人返金されていないのに、まるで主催が返金しているかのように誤解されるのは業腹です。
ネット主体で通販メインになるのか、いずれは元の形に戻るのか。
短期的には、8月以降のイベントが開催されるか、あるいは中止延期になるか、その時、返金はあるのかどうか。
ただ、参加申し込みをした人が泣きを見る結果にならないことを強く願っています。
https://anond.hatelabo.jp/20180317223206
「処女じゃないから無理だ」と言われて、結局折り合いをつけることができずに別れた。
付き合いはじめた頃に全て話したはずだった。交際経験人数は4人であること、うち一人とは4年付き合った長い仲だったこと、毒親育ちであるため暖かい家庭に憧れていて、結婚願望が強いこと。
お互い結婚適齢期であることもあって、早いうちに同棲して結婚しよう、と決め合って付き合った。両親が揃っており経済的にも環境的にも不自由なく育ってきた彼は、片親育ちだった私からすれば憧れで、メンタルも安定した人物のように見えた。少し性格的に甘えたところもあるような気はしたが、日常的には気にならないレベルであり、私達は順調に交際していた、はずだった。
同棲や結婚の話を拒否するようになり、週に3、4回は訪れていた私の一人暮らしの自宅に来る頻度は数週間に1度に落ちた。私に何か問題があるのであれば教えてほしい、ということを何回か切り出したが、言葉を濁すばかりだった。
結局しばらく硬直した関係性を続け、お互いが疲れ切った頃にやっと、結婚はできないこと、理由は私が処女ではないことにあり、それをどうしても許すことが出来ないのだ、と打ち明けられた。
告白の言葉を聞いた時は今でも覚えている。「ああ、これがネットで見た処女厨か…」と妙に冷静な自分がいた。
それから何回か話し合いはしたが、とにかく相手は嫌だ、私は過去など変えられない、の連続でお互いに落としどころを見つけることができなかった。
別れる時に全てぶちまけるように相手がぶつけてきたのは、付き合ってから半年後に私の元彼の連絡先をFacebookで見つけ、連絡をとってしまい、性生活に関する詳細まで聞き出してしまったのがきっかけだった、という話だった。
「他の男のチン○しゃぶった女は無理」とリアルに言われるとは思わなかった。なかなか滅多にない経験だったかもしれない…
それからしばらくして、今は別の男性と付き合って、今度こそというかなんというか、同棲をして婚約をしている。彼はこういう風に別れてもまたすぐ別の相手を見つける私の軽薄さみたいなのを考えてしまって許せなかったのかな、とも思う。
今の相手には過去の交際経験については詳しくは話さないようにしている。一つ前に付き合っていた人とは良くない別れ方をした、とだけ伝えた。相手も特にそれを聞いた以上は詳細に踏み込んでこない。触れられたくないという雰囲気を察してくれるタイプの人で、そういう意味では落ち着くところに全て落ち着いたと言えるのかもしれない。
それでも、たまにふっと「自分は選ばれなかった人間なんだなあ」ということが頭を過ぎるし、あの頃の話し合いの過程で言われた「無理」という言葉を今も思い出して息が苦しくなる。
きっと元彼は苦しんではいないんだろうなと思う。私と別れたあと、別の女性と付き合い始めたと風の噂で聞いた。彼女が処女かどうかは知らないが、汚い非処女を掴まされるという最悪の事態を避けたのだから彼は幸せなのだろう。
元彼に対して未練があるわけではない。ただ、「選ばれなかった」という事実、自分の努力ではどうにもならないことを理由に否定されたことによる傷、そういったものと何年経っても付き合っていき続けていかなくてはいけないんだろうなあ…ということをぼんやり考えては、絶望みたいなものを感じたりしている。
長いこと片思いをしていた。人生の半分以上。相手は所謂幼馴染で、近所に住む数少ない同級生の一人だった。今までに一度告白して振られたりした事もあったがそれは別にどうでもいい。高校までずっと同じ学校に通っていた僕らは、大学こそ違うが二人とも上京してしまった。大学に入ってから彼女は僕ではない男を知り、僕は彼女に対する重い気持ちを結局捨てることが出来ないままその事実をいよいよ目の当たりにして絶望してしまった。
正直言って僕は彼女との恋を成就出来るとはあんまり思ってなかった。きっと彼女は僕のことをそういう対象として見てないというのは薄々どころじゃないくらいに分かっていた。ただ自分が恋人になれないことより彼女が誰かの恋人になったり、誰かとセックスしたりする方が耐えられなかった。別に僕は顔がいいわけでも無いしコミュニケーションが特別上手なわけでも無いしお洒落でも無いし彼女の好みでも無いしと、そうやってこんな事になった原因を何かにこじつけようとしてしまう。
彼女が僕に直接恋人が出来たとかセックスしたとか言ったわけじゃないし、共通の友人から聞いた訳でもない。本当に残念なことにとあるきっかけで僕は彼女のツイッターを見つけてしまった。それだけ。ネットストーカーの入口に立った瞬間全部知ってしまった。彼女はブログ的なものも書いていた。この時点で相当気が滅入っていたからそのブログは一通り読んだような読めてないようなことをした。彼女が読書好きだからかどうかは知らないが書く文章はなんだか素敵だった。内容に嘘がないとすれば僕にとっては本当に本当に辛い文章なんだけど。でもそれも僕が彼女を気が狂うくらい好きで、文章を書いたのが彼女と知ってるから素敵だと思ったのか、そことは切り離した上で素敵だと思ったのか、よく分からない。その上書いてあること全て僕を刺す。こんなもの知るべきじゃなかった。
最初に長いこと片思いをしていたと書いたけど、別にもう好きじゃないわけじゃない。まだ好きだからこんな気持ちに勝手になってこんな文を勝手に書いている。僕が処女厨だから彼女が僕じゃない誰かとセックスしたことが耐え難いのだろうか。決して大外れではないけどそんなに的を射てもないと思う。僕には向けられなかった愛が身体を許すことで僕じゃない誰かに向けられたことや、これまで通りこれからもその愛が僕に向くことがないだろうという事実が耐え難い。僕じゃない誰かは、身体を許すに足る男、交際をするに足る男だったのだろうという事実に余計に苦しめられる。僕はそうじゃないのに。
彼女の呟きの中に一つ、十中八九僕に関するツイートがあった、要約すると幼馴染に対しての消えかけの愛情を捨てきれないみたいな内容だった。このツイートのおかげでギリギリ生きているのかもしれないし、そのせいでこんなに苦しい思いをしているのかもしれない。最初に書いた通り彼女への恋が実質初恋と言ってもいいままそこそこ近い距離感で高校生活までを送ってきて、振られたこともあったがそれも気づけば有耶無耶になり、明確な失恋経験をしてこなかった。今失恋したと思ってるのも直接振られた訳では無いけど、何も知らないまま振られるよりよっぽどダメージが大きい。この失恋は僕が思っていたより遥かに残酷で取り返しのつかない感じがする。世の中の失恋した人はどうやって乗り越えているのだろうか。それとも僕がただの気持ち悪くて重いメンヘラなだけか。
僕にとって好きな女性は彼女だけだった。今もそう。これは確信を持って断言できるけれど、仮にこの先どんなに素敵な人と出会えたとしても、その人と僕の間には幼い頃からのかけがえのない十数年がないことが、大好きだった彼女と愛し合えなかったことが呪いのようについてまわるだろう。そもそもどんなに残酷な現実を突きつけられたとしても彼女に対する気持ちにけじめを付けることが出来そうにない。きっとこうやって現実でストーカー行為をする人が生まれてしまうんだろうな。僕もやっている事はあまり変わらないけど。
彼女と誰かとのセックスについて上で書いたけれど、僕はヤれたらOKなんて微塵も考えてなかったし、こんな事を書くと嘘乙と言われそうだが僕とセックスなんてしなくてもよかった。幼い恋愛観しか持ててないことは重々承知だが、彼女が、僕が彼女に向ける愛の半分でも僕に向けてくれて、他の男に向けないでいてくれたらよかった。本気で添い遂げたいと思っていた。きっと僕らは幼馴染じゃなかったら関わることなんて殆どなかっただろうけど、幼馴染だったことで僕は君の愛を向けてもらうことができなかった部分があると思っている(これは幼馴染でなければ好いてもらえる的自信の表れでは無いけれど)。
現時点で恋人との関係は消滅しているらしい。彼女と付き合った挙句連絡を絶った(らしい)男を本気で殺してやりたい。彼女の気持ちを踏みにじったその男を。僕が彼女にとって最初で最後の大切な人になりたかった。けれどそうはなれなかった挙句男は消えた。君が素晴らしい人で彼女をずっと大切にしてくれたら彼女は幸せなままだったのに。僕は好きな人が幸せならそれでいいとは考えられないので結局どう転んでも僕の負けなんですけども。
あれこれ書いたけど彼女に落ち度なんて当然何一つ無く、全部僕の一人芝居なのが一番悲しいかもしれない。僕がどうしようと彼女は僕の介入しない人生をこれからも歩んでいくのだから。僕はただの、よくある幼馴染Aに過ぎなかった。僕もいつまでも彼女の幻に固執するのはやめて人生を前に進める努力をしなければならないのに、人生のどん底の様なこの気分がいつになっても回復する気がしない。気持ちの切り替えやネットのくだりは置いておいて、最終的な結果としては同じような経験した人が性別問わず沢山いるだろうなと思う。最初はどこにも公開せず、気持ちの整理程度に書くつもりだったけれど、ここにあげようと思ったのは、そんな先人の区切りの付け方が知りたかったのが一つの理由かもしれない。
僕も彼女も今は実家に戻っているが、それもそろそろ終わり。彼女は一足先に東京へ行ってしまう。監視をやめなければ、彼女が向こうへ行くことで今まで以上に知りたくないことを知ってしまう。だけどきっとこの愚かな行為はやめられない。そうやってズタズタの心を更に痛めつけてますます僕が壊れていく。でもやめられない。ただ自分の思うように生きようとしているだけの彼女には心の底から申し訳ないと思う。長い旅を続けていたら、引き返せない地獄へたどり着いてしまった。
天気良いなあ。
こういう晴れた休日には、「きょうの午後、日本のどこかでは、女の子が処女を失っているんだろうなあ」と考えてしまう。
自分の部屋か、相手の家か、一人暮らしのマンションなのか、あるいはホテルか。
自宅にしろ、相手方にしろ、実家住まいの家に上がりこむとしたら、その家の親は、コロナ騒ぎの休日でも働きに出なくてはならないブルーカラー層か。それが女の子の親だとしたら、忙しい中で愛情をたっぷり掛けられて育ったか、あるいは、いつも愛情の欠乏感を抱えているが故に、すり寄ってきた男に心身を許したのか。
家なら、声が漏れぬように窓は締めているのだろう。クーラーは掃除しておらずまだ点けられないか。だとすると、室内は暑そうだ。
体力任せの突っ走り方も知らず、ぎこちないセックス。カーテンの隙間から射し込む太陽光が、汗ばむ薄い乳房と桜色の乳首を照らす。
人気企業に就職し、内科系の難病で出世レースからは脱落したものの、閑職部門の部下無し課長という立場で、ワークライフバランスとれた生き方が出来ている。傍から見たら恵まれた暮らしだろうが、未だ独身。
中高大から就職後数年の工場勤務時代と、ずっと女性に縁が無く、初めて性行為を含む男女交際が出来たのは20代後半になってから。
こういう人生だから、処女とは縁が無かった。同世代の女性と付き合っても、非処女のくせに結婚を急かしているように感じてしまい、いつもすぐに別れてしまった。
いわゆる、こじらせ処女厨ってヤツですよ(苦笑)。