はてなキーワード: マイルドヤンキーとは
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女子かくあるべしという一面がヘイトを生んだというの、一理ある。というか、それがまさに問題点だと思うんだよね。
3つの話が混ざってるにも関わらず、「創作での違法行為ヘイト」のみに絞って揶揄する声がTwitterなんかで作家から上がってるの見ると危うい感じがする。
元増田が言う通り、アウトローでかつフツーの女性ってのもアリだと思うけど、ハイコンテクスト(文脈及び暗黙の前提が必要)なんだよね。
映画詐欺予告と違って、アニメ版のスーパーカブの告知動画と実際の作品のビジュアルは、近い。
ありていに言えば「新海誠風」だよね。
より正確に言うと「秒速5センチメートル」のビジュアルで、ゆるきゃんよりも「けいおん」ふうのキャラクターで、「スーパーカブ」に焦点を当てたアニメーション。
このビジュアルと音楽のガワで、作中の小熊というキャラクターをアウトローにするのは、かなりの難物になる。
何故かというと、ビジュアルのちからって、アニメーションのわりと根源的なポイントだから。
西岸良平の「夕焼けの歌」や、青木雄二の「カバチタレ!」のビジュアルで、2ケツしたくらいじゃこうはならない。
これは、男女差別ではなくて、そのビジュアルは、どういった印象を相手にあたえるか、というところがポイントになるから。
ここでは各流派については踏み込まないけど、創作物の違法行為が問題視されるのは概ね3つ
漫画やアニメーションには、現実の人間に影響を与える力があると信じるものからすると、どれもまあ批判としては妥当かと思う。
受け入れるかどうかは別として、「アニメは良い影響を与えうる」と「アニメが悪い影響を与えうる」というのは、どちらも正しいと個人的には思っている。
1番のマネする奴がでるってのは、一番創作者にとって受け入れがたい指摘だとは思う。
悪い奴が悪いことをする、もしくは、悪いとわかっていてやることに意味があることを描いていても、指摘されるから。
2番の違法行為が肯定的にってのは、程度問題ではある。文化圏によるものもあるし、時代背景もあるしね。
ざっくり少年漫画少女漫画問わず、現在でも例えば「これ普通に暴行傷害だよな」とか「女性がやっててもこれ普通にセクハラ・パワハラだよな」みたいなのは散見される。
3番がちょっとメタっぽい話になるけど、2ケツって別に大したことないってアニメーションが増えると、そういう認識が広がる、という考え方のこと。
(主張する人たちが概ね3流派に分かれてるよねってことぐらいで、ここは特に踏み込まない)
アニメ版のスーパーカブでは、(ビジュアルと音楽とを取り払ってしまえば)リアリティラインは概ね一定に保たれていると思う。
個人的には、あの地域の高校二年生が、自己矛盾なく一貫した姿勢で物事に向き合ってたら気持ち悪いし、変だと思う。
ないないづくしの天涯孤独の女子高校生が、他人に厳しく自分に甘く、2ケツで気分爽快とか、まあ良いんじゃないの?という。
ココは元増田の話とは違うと思うんだけど、「小熊は2ケツなんかしない!」って話とは、若干違うと思うんだよね。
さっきのリアリティラインの話、純真無垢な箱入り娘のお嬢様じゃねえんだから法律違反ぐらいするだろ、みたいな話は
アニメーションのビジュアルが訴えかけてくるものに反するから、ヘイトを生んでるんだと思うんだよね。
「口では2ケツは法律違反だって言ってるけど、つまるところあのビジュアルでマイルドヤンキーみたいなの受け入れがたいってだけじゃね?」ってこと。
そしてそれは、「受け入れがたいというのは、ある程度しょうがないのでは?」という話。
要は、アニメーション全体で生み出そうとしてるリアリティラインに齟齬が生じてる。
ゆるキャン△でさ、嫌な店主だからっつって万引きしてみんな笑顔で「やっちゃったねふふふ」とかやってたら受け入れがたかろう。
「今日日の女子高生は別にグループ万引きとか普通にするしむしろ知らないのは世間知らず」とか反論はしなかろう。
あのキャラクター造形で、丁寧に遵法精神に欠けるところがあるって演出してても炎上すると思うな。
アニメーションのビジュアルが訴えかけてくる「この主人公はこんな感じです」っていうのと言動が一致してないんでヘイト生んでるんじゃねえのかな。
「このアニメーションは、スーパーカブという原付の良い面を広げる啓蒙アニメーションっぽいんすよ」みたいなのとか
「このアニメを通じて交通安全に思いを馳せて欲しいっすね」みたいなのとかが見え隠れすると、そりゃ反発もされんじゃねえかな。
例えば「ここは退屈迎えに来て」の中でまったくおんなじエピソードが語られたとして話題になるかっていうと、そんなとこ注目もされねえんじゃねえかな。
新海誠監督の時の「天気の子」で出てた法律違反の話と今回の件とは、語られ方がちょっと違うと思うんだよね。
ともあれ、個人的には「フィクションの違法行為にいちいち難癖付けてて乙乙」みたいな茶化し、良くないと思うなあ。
少なくともその層は切り捨てて良い層なのか確認してから揶揄すべきだと思う。
ドウェイン・ジョンソンがワイルドスピードで無茶苦茶するのに笑ってる同じ人間が、今回の件で嫌悪感を示すの別にダブルスタンダードでも何でもないと思うのよ。
俺は、ワールドトリガーのアニメ版で迅さんが原作とは異なる描かれ方をしているのを見てポリコレに屈しやがってとは思わない。客あっての商売よ。
(とはいえ、スーパーカブは切るところ残すところの取捨選択がちゃんとなされてると思うので、まあこれぐらいは織り込み済みなのでは)
ちょっち違うんだ
目の前で悩み苦しむ礼子より
僕はそんなヒロインは書けないし決して書かない
きっと反発をしている層は
僕もそうしようと思ってたんですけどねー
うちの天使は僕より上まで飛べるみたいなんす
この流れで分かるようにな
みたいにほざいてんのよ
ほんとズレてるよな
【目の前で悩み苦しむ礼子のために道交法を破った】と伝わってねぇから違和感もたれてんのに
まぁ、カクヨム小熊はマイルドヤンキーだから、作者の天使(笑)なのかもしんねけど
アニメのそれは別もんだぞと
って感じ
アニメ化にあたって青切符のくだりやナンパ男を蹴るなどの毒成分が抜き取られさわやか路線で展開しているのに、ニケツのストーリーをそのままに違法性を排除しきれなかったのは制作としての落ち度だろうし、そもそも原作そういうハートフルストーリーじゃねーよなーと思うのでぶっちゃけアニメは知らん、まあ商業成功も重要、そういう解釈で作るのも悪くないし、アニメ化での腕の見せ所なんだろう。終わり。
んで、元々の原作でのシン・主人公の子熊だが、そこらで言われてる通りのマイルドヤンキー、アウトローを進むキャラで、ジメジメした青春を描くものだと解釈している。そもそも後ろ盾のない、無目的で生きる少女が原付選ぶあたりからぶっとびの片鱗はある。学園祭でクラスメイトの困りごとへの無関心、一方で原付をバカにされたときの苛立ちと行動などがあったので、ナンパ男を蹴るという行為も他者への無関心、気に入らないことへの攻撃性からして違和感はなく感じた。こいつは一貫してあたまがおかしい。
そう感じたのだが、どうやら他の人を見ていると、この行動に違和感や嫌悪感、そして作者への批判が集まる結果になってるのかなと思った。何でだろう。考えると結局はあのビジュアルの少女だからなんじゃないかなと。
例えば「内気な性格の女の子がケリをいれることの違和感」みたいな、それあなたの感想ですよね、と。内気な描写はあったか?それは絵のイメージからくるものではないか。
例えば「もし男女逆だったら問題ある行為だ」みたいな、いやいや逆じゃなくても問題行為だろ、と。そういう作品なのになんで今更その行為が許されるかどうかを問うのか。それは少女があんな見た目だから、その行為は理屈的におかしいとなっているのではないか。
元の議論のニケツ違法問題がピックアップされたのも結局は少女たちが行う行為としては不適切という考えからなのかな。
するとこういう作品を少女主人公で書いたからヘイトを産んでることになってるわけで、ヘイトの向き方も「作者が元々あたまおかしい人間」という結論となったりするのは(作品として見れなくなっている理由は)、このビジュアルの少女が問題行為を行うことを受け入れることを無意識に拒否した結果にも感じる。女子かくあるべし、の結果として世に存在が許されていないのではないか。
男女平等でもっと女性が脚光を浴びるようになるのもいいけど、逆に、ダークヒーロー、アウトローな、それでいて、(敢えて言葉を選ばず)フツーな女性って描かれてもいいんじゃない?
追記)
ヘイトという強い言葉を使ったのはすまない。アニメへの批判はヘイトというつもりはなかった。作品(原作)の議論以外に作者への言及がちらほら見えたのでなんでだろうな、と思い書き連ねた次第だ。
追記2)
繰り返しになるけどアニメへの批判はヘイトというつもりはなかった。作品の批判を越えて作者の人となりや学に言及するコメントに対する言葉。それも言い過ぎなら失礼した。
ここの弱者男性のクズ共を見てりゃわかるが普通に人間性治すなり会社の仕事や人間関係大事にするなり、友達付き合いを広めるなりなんなりする気も一切ない上に
やれ片親の女子高生なら家庭壊れてて父性に飢えてるからワンチャンあるだの、金と今まで一応培った社会的地位で団地とかに住んでるマイルドヤンキーや貧困層の女子中学生や女子高生を金で囲めるはずだとか
後者なんてまさに「金と地位をちらつかせて貧乏人や弱者から女をあてがわせる」のと何違うんだよと
弱者男性如き底辺とはいえ若い女を囲えるだけの収入があるかどうかも怪しい連中なのはわかってるけどさ
その名もNieR Tokyoだ。
自分は現在アラサーで、10代の頃にh.NAOTOやブラックピースナウ、アルゴンキンなどを求めてはるばる関東某県からラフォーレ原宿や新宿のマルイ別館などに通っていた。KERAが愛読誌だったが、年齢を重ねるにつれて服装も大人しくなっていき、今は殆どの衣類がユニクロか、高くてもアウトレットや古着で購入したドメスティックブランドのものだ。
そういった成り立ちのため、たまに道でヴィジュアル系ファッションのお姉さんを見かけるとそこそこ嬉しくなるのだが、そんな中にNieR Tokyoは現れた。
叩かれることを覚悟でこの記事を書くが、これはただただ服が好きで、かつてヴィジュアル系ファッションを愛していた人間がNieR Tokyoに対して苦言を呈する記事である。
NieR Tokyoとの出会いはTwitterである。このブランドはよくTwitterアカウントを用いてプレゼント企画を行なっているらしく、ネットサーフィンをしているとたまにこれを欲しがるファンのリツイートが流れてくるのだ。
大抵の場合、このブランドをリツイートするのはアニメアイコンかマイルドヤンキーのような自撮り、もしくは懸賞垢である。これが自分がNieR Tokyoを嫌悪する第一の理由である。
時代の流れか悲しいかな、先に挙げたいくつかのブランドはここ10年の間に消えたり、また復活してもネットでの販売限定であったりと自分が好んで着ていた時代とはだいぶ状況が違い、逆風が吹いている。NieR Tokyoはおそらくそういったブランドがほとんど消えた後にできたため、KERAなどを好んで読んでいた層と愛用している層がそもそも違うのだ。
あの頃にあったブランドはどれも生地や形などとてもこだわって作られていた印象があり、そのゴテゴテとしたシルエットや装飾に心惹かれていたものだった。しかし、NieRにはそれがない。そのかわり画像でもわかるようなシワだらけの大量生産の服にプリントやワッペンを付け、4000円〜7000円程度の『1万円を超える服を買ったことがない層が頑張れば買える』価格帯で毎日のように新作をリリースしている。10年前であればああいったタイプの衣類は1万円を悠に超えていたものが多く、セールでも7〜8000円のところをコツコツとお金を貯めて買っていた人間がほとんどだろう。NieR Tokyoはそういったブランドの良いところの寄せ集めを安価で販売して人気を博しており、それを着た前述の人間が自らをオシャレだと思い込んでいるところが滑稽でたまらないのである。
声を大にして言いたいが、このブランドはダサい。そして安っぽい。本当にダサい。(大事なことなので二度言った。)
第一の理由などとこのブランドを嫌悪する理由が複数あるように言ってしまったが、『薄利多売の昔よく見たビジュアル系のブランドの模倣品のような質の悪い服を着たマイルドヤンキーやオタク』がイキっているのを見るのが一番嫌なのだ。というか嫌いな理由などこれしかない。
判を押したようにNieRの服は肌触りと質がいいってみんな言ってるけど糸くずが大量についてて縫製の甘い質のいい服って、何…?
非モテ彼女いない歴=年齢時代は、それがコンプレックスで、非モテを脱出するヒントを求めて恋愛本を買っていた
いざ彼女ができてから、ふと昔買った恋愛本を読み返してみたら、それが如何に狭い世界だったか気がついた
その幻想を払う手助けになったという点で、恋愛本も役に立ったのだが、
そもそも本としてまとまった文章を書くということは、かなり高度な知的作業であるから、
恋愛本を書く著者も日本全体でみれば、限られたごく一部の知的階層であり、
彼らが描く恋愛観や女性観も、往々にして一部の知的階層の恋愛模様に限定されているのだ
ストーリーは、北陸の「地方都市」から慶應大学に進学し、親が失業したので大学も中退して、水商売やらなんやらな女1と、
渋谷の松濤に住む婚活中のお嬢様(女2)の人生が一瞬クロスする、女同士の共闘(シスターフッド)をテーマにした社会派映画。
増田は地方公立高校から旧帝大進学。早慶も合格したけど蹴った。
だから渋谷に住む金持ちや、劇中で出てくる政治家一家のエグゼクティブについての描写がどれくらい正しいのか、分からない。
でも、地方出身の女1については、明確にリアリティがないと思った。
まず、地方の進学校から慶應に一般入試で入る人は、高校でトップクラス(上位10番以内)の成績の人だ。
もちろん大学デビューというのは多いので、大学生の時に化けたりするのも普通だが、女1には大学入学当初からそういうガリ勉臭さがまったくない。
あと田舎から旧帝大や早慶に行くような人は、エリート家庭とは言えなくても、その地域でそこそこな家の人が多い。
しかし、女1の弟はマイルドヤンキーで、描写される家庭も、「成績が良い子の家」感がまったくない。
そういうところの子供が、ガリ勉になり一流大学に進学することは、ほぼ有り得ない。
この映画は都市と地方の格差を描きながらも、地方の中にある格差を全く無視している。
地方の貧乏な家の子がガリ勉して慶應に行くなんてことは、実際にはほとんど有り得ないのに。
あと、慶應に行くぐらいだから、地域でトップの進学校に通っていたはずなのに、高校の同窓会に行ったら、バカそうな土建屋の三代目が出てくる。
要するに女1に関しては、まず田舎から一流大学に行った人のリアリティがぜんぜんないのだ。
出てくる人はセレブばかりなのに、思考が昭和。男は仕事、女は家。みたいなかんじ。
いや、東京の金持ちって、表層的にはリベラルで意識高い人が多いのでは?
あと、女2の婚約者の祖父が、興信所で身元調査したと、女2に告げるのもの有り得ないでは?
そういう身元調査していたとしても、表立っては言わないのでは?
表面的にはリベラルなこと言っているのに、内心では昭和な心を持っているとかならリアルなんだけど。
あと登場人物がみんな知的レベルが高いはずのに、本棚が映らなかったのも変。
本を読まない人しか出てこない。
小学校からの友人が絵に描いたようにマイルドヤンキーになっていく。
22で結婚した時に早いなとは思った。でも相手は9歳も年上だからそんなもんかと思った。
いや、確かに良いよ、全部すばらしいものだけど…でもそれが全てじゃないじゃん。
結婚式で行ったハワイと、ハネムーンで行ったヨーロッパしか世界を知らない。
自称海外好き、でもアジアは嫌い。強姦民国の人気は捏造!とのこと。だけどブラックライブスマターはしっかり投稿。
人種差別とジェンダーバイアスとルッキズムばりばりで絶賛子育て中。
しょっちゅう、住んでいる地域のガラが悪いとかで子供の友達の保護者をめちゃくちゃこき下ろすツイートしてる。
黒マスクつけて、クロックス履いて、子供に英語とプログラミング習わせてる。
でも、自分はなんにも勉強してない。どんどん偏っていく自分に、気付いてない。
どうしてこうなっちゃったの。寂しい。
ドラゴンボール後半もそうだし
前半はどちらかというとそういうインフレ路線に反してた気がする
しかし、能力差別ネタにしないとジャンプで人気が下がるわけで、鳥山氏もそれで折れた感がある
そこでバトルをメインに持っていき、効果はAKIRAなどを参考にした節がある(半円でめり込む的な描写とか、特殊な装備なく空飛ぶ
背景もビルとか描くと死ぬので湿地帯にしている(特撮の採石場みたいなもんかもしれん、お約束という奴である
最近になっても異能者バトルによるインフレ路線、能力差別ネタの方が人気があるということは、
学歴や運動能力で差別されるだの、出自で差別されるだの言ったら、ナルトは出自でチートレベルである
自分的には最初からなんとなくナルトの出自が引っ掛かるものの、恵まれた家庭に生まれても大変なんですよ!
みたいな落とし所を作者が狙っているようには思えたので、まあそんなもんかもなあと流してたんだけど
あと、ナルトも観に行ってないシンエヴァもそうなんだろうけど、
片思いは成就しなかったり、親になったり家庭になってしまえばチャラみたいなところが、
どこかマイルドヤンキーのヤンチャ自慢と被る気がしないでもないのだけど、
若さゆえの過ち、というか、