はてなキーワード: ポリティカルコレクトネスとは
今話題になっている黒人差別と正月毎年恒例になる田舎に帰りたくないと言う問題はほとんど同じ問題なんじゃないかと思ってる。
当事者に罪の意識がなかったとしても、相手が不快に感じることがある。それを続けて行くと、そんな場所から離れたくなっていく。それは、両者において等しく起きていることだと思う。
黒人差別の件については黒人を差別をするつもりがなくエディーマーフィーの真似をしただけだとか、日本に黒塗りが黒人差別という意識がないという意見もあるが、黒人の人は不快に感じていることは、事実である。
一方で、田舎に帰った時に結婚や出産の話をする事は、田舎の人たちにとっては結婚や出産することが当たり前であるという中で生きているからだからだと思う。この人たちに罪の意識は無い(と思う)。
こう考えると黒人が見る日本と、独身もしくは子ども欲しいと思わない人が見る「田舎」は、同じように見えていると思える。
別に「差別いけない!」なんて強く思ってるわけでもないし、ポリティカルコレクトネスなんてサウスパークで初めて知ったような人間だけど、日本全体が僕のイメージする田舎のように思われるのは嫌だと感じた。
#MeToo運動とは何なのか、原点に立ち戻って考えてみよう。
ハリウッドの有名女優アリッサ・ミラノさんは実名で、ハリウッドの有名プロデューサーであるハーヴィー・ワインスタイン氏の自身に対する性的暴行を告発した上で、こう言った。
Me too.
友人が提案しました。「セクハラや性的暴行を受けてきた全ての女性たちが『私も。』と投稿すれば、人々に問題の深刻さを知ってもらえるかもしれません」
この勇気ある告発を受けて、SNS上ではごく普通の女性たちや男性たちが日常に於いてどのような性的暴行を受けたのかを力強く語り始めた、
お判りいただけるだろうか?この運動は初めから巷にハラスメントが溢れている現状への問題提起として始まっている。
どう間違ってもここに
「いまアリッサがワインスタインを打倒するチャンスなんだから、ハラスメントとは何かなんて話で内ゲバをするのはやめろ」
なんて言説は出て来ようがない。
ワインスタインの失脚は結果として起こったことであり、最初からこの運動の目的な訳ではないからである。
アリッサ・ミラノは、失礼、"私たちは"いま正しさを巡る話をしているのだ、価値の話だ。
けして利害損得の話をしているのではない。
だというのによっぴーと言い、深津なんたらと言い、お前と言い、馬鹿なくせに突然しゃしゃり出てきて賢しらに軍師気取り初めて何の心算だろう?
少なくとも俺は童貞弄りが不快だとかそんな事を言いたい訳じゃない、(それはそれで不快だが)
そもそもの運動の理念を違えていることにも気づかずセレブ気取りでポリティカルコレクトネス遊びに興じるつもりの奴らが不快だ。
昔は、土地と人がいなきゃ国はできなかったが、今はもう人と独自の通貨圏さえ持ってれば国と同じ機能を備えた世界観を構築できる時代だ
どういう生き方、どういう政治・経済理念を念頭にお金を分配するのか
そういう柱を信用にした独自通貨を発行して、それが本当だと思わせることができたら、日本円に縛られることなくどんどんその通貨の価値は上がる
もし、その政治思想が正しいと本当に思ってる人たちがいるなら、絶対に価値は暴落したりしない
お金ってそういう性質のものだってのは暗号通貨をみてもわかるだろ
絶対的な信用を元に発行される通貨は参加する人が多くなればなるほど価値は大きくなり、それがまた確固たる信用になる
国のやり方はいつも間違ってるって人が多いじゃん
チャレンジしてみろよ
ハウステンボスとかいう一企業が仮想通貨作る時代だぞ。一企業の信用だけで独自の経済圏を作ることができる時代なんだよ
お前らが大事にしてるポリティカルコレクトネス、人権、平等。
本当にそれを絶対だと信じてるなら絶対に価値が下がらない通貨が出来上がる。そういってる人たちの真意を可視化できるのが暗号通貨だ。
人の本性を浮き彫りにできる。本当は、どう思ってるのか?それが可視化される。
さあやってみろ!
fireman → firefighter
policeman → police officer
businessman → business person
みたいにこだわる人が多いから,罵倒語もポリティカルコレクトネスに則したほうが喜ぶんじゃないかな。
motherfucker → parent-fucker
son of the bitch → child of the bitch
みたいな。これで丁寧に罵倒できるはず。
ポリティカルコレクトネスに反する接客下手とか二重苦だな…
人種差別の撤廃はポリティカルコレクトネスにすぎないが黒人街の住宅地は安いままだからな。
社会学者は差別構造を明らかにしただけとほざくが、調査される迷惑や結果に責任を持つ気がないのは、腹にイチモツがあると邪推されても仕方ないだろう。
となるは当然。社会学者様にはそれがわかってるんだよ。
「差別があるから無くそう」というのがポリティカルコレクトネスという考え方では?
営業。
配属された部署は20代から30代中盤までが多く、若いゆえの活気で溢れていた。
仕事でも血気盛んにガツガツするタイプが多く、午前様が見えても残業は当たり前、何ならそこから飲みに繰り出すという、営業らしいといえばとても営業らしい雰囲気。
一方で若いゆえかコンプライアンスはゆるゆるで、10年前といえば管理職でも大概なものであった。上場企業であるにも関わらずだ。
アルハラセクハラパワハラが縦横無尽に跋扈し、新入職員は時に鬱になり、時に離職し、時に異動していった。
その矛先は当然私にも向けられ、飲みに行けば二次会三次会当たり前。カラオケに行こうものなら一気コール。
用を足すふりをしてトイレに向かい、口に指を突っ込んですべてを吐き出し、涙目を隠しながら午前二時の薄暗いカラオケルームに戻ることはしょっちゅうだった。
戻ってみれば酒にタバスコが入ってる事まであった。疲れて寝そうになれば氷とお絞りが容赦なく飛んできた。
苦労して就職活動を終え、大人の仲間入りしてやる事が飲みサーの延長以下という事実はあまりに腹立たしく、土日は怒りが頭を支配していた。
酔いつぶれるのは嫌いだし、翌日の仕事にも良い影響を与えないということはわかりきっているのに、やれ「お前は潰れないからつまらん、もっと飲め」だとかで酒を注がれ、頭の悪すぎる先輩に至っては「寝坊して出社して怒られるのが新人」みたいな夜迷いごとを言いながら笑っていた。
たった10年前だ。
私はこんな職場に絶対に染まるもんかと心に決めた。ニコニコしながら酒を飲み罵声を浴びてそれでも耐えた。
どれだけ辛くても定時の一時間前には平然とした顔で来て、仕事をこなした。
今思えば可愛くない後輩である。目をつけられるのも当然なのかもしれない。
後輩が来た。この子は辞めるのだろうか、残るのだろうか。その子はそう時間がかからないうちにパワハラアルハラセクハラが当たり前な人間になって行った。
どうやればこの状況を打開できるだろうかと考えた。
一つは経時的な変化を待つこと。
営業職お馴染みの異動がある。
数年ずつクソみたいな先輩は異動し、別の先輩がやってくるか新人が入る。
別の先輩がクソではない保証がないこと、新人が残るクソみたいな先輩に染まる恐れがある事から耐え忍ぶだけでは環境は正常化しない恐れもあった。
これまた営業職らしく数字が上がっている奴は一目置かれる。発言力が増すのは会議時に限定されない事がわかっていた。
三つ目にコンプライアンス違反を通報すること。これもやんわり狙ってみたがクソ先輩共はクソ上司(直属以外でも)と繋がりがあり、まだまだコーポレートガバナンスがゆるゆるな当時はリスクでしかない様子が伺え、断念した。
何なら当初コンプライアンス違反と認識し(感じ)ているのは私以外に居ないような状況で、分が悪すぎた。
四つ目に後輩教育の徹底。入り口で「染まらないように」コンプライアンス遵守を求めた。
時の流れには人の入れ替わりを促す力とともに遵法意識を少しずつクソ先輩方に浸透させる力もあったのか、少なくともハラスメントがリスクであるという認識をクソ先輩方が有するようにはなってきた。
自分の社歴が増し、一方で結果を出せたことから支店内における発言力はかなりの勢いで増していった。
時にクソ先輩の業務を引き継ぎ、いかにクソ先輩が仕事をしていなかったかを詳らかにしても、私の発言であればそれは十二分に説得力を持ち、上司や後輩、また別のクソ先輩方に響かせる事ができた。
それから間もなくして私に業務を引き継いだクソ先輩には懲罰人事が下された。
ここ数年になり、上司も変わり、ますます私の影響力は増していった。
クソ先輩や後輩の仕事を上司とすり合わせるところまで来た。何ならクソをクソと言い続けるだけでクソコンセンサスを得てクソは他部署に飛んでいった。
ここまで来るとクソ先輩方はもうただの先輩になっていて、特に脅威を認識する必要はなくなってきた。
後輩たちに関しても、少なくとも私が入社した頃のような理不尽を享受することはなくなった様に思う。後輩が後輩を傷つけることも無さそうだし、仮にそんな事があれば私がクソのレッテルを塗りたくってやる。
一方でやや後輩たちの個が過ぎたり、ポリティカルコレクトネス感が強い気もしないでもないが、それはまあ私が古い人間なのか、自分が受けた苦労を無意識に美化しているのか、うまく言語化できないがまあそういう事として、ハラスメントが溢れていた時代より100倍マシとニコニコできている。
強いて言えば自分がクソ先輩になっていないかという強迫観念が自縄自縛的に気になるときが最近少なくない。
ここまで書いておいて、私が職場に何か良い影響を与えられたのかというと、何だか怪しい気がしてきた。
結局辞めずに残り続けたから発言力が増しただけで、自分がハラスメントを受ける立場を卒業し、後輩に恵まれただけの気もする。
それでも、この春の異動で最後のマキグソ級のクソ先輩が居なくなるとわかったとき、私は真っ先に「お世話になった先輩の送別会」の幹事を買ってでた。
サプライズとして、みんなで行った温泉や海外の写真をスライドショーとして流してやった。
どの写真も先輩は笑顔だが、その裏で私は酒を飲まされ続け、吐いていた。
社歴を鑑みると私の異動もそう遠くない筈。
次はどのような職場に異動するのか。願わくば栄転であって欲しいが、ハラスメントなどの問題が無い所ならどこでもいい気もする。
きっと問題のある職場は依然少なくないだろうし、きっと問題のある職場は依然わが社だけではないのだろう。
クソを駆逐するのは難しいが、私は諦めない。
そして自分がクソにならない事も、諦めないでいたい。
https://anond.hatelabo.jp/20170831173534
>>世の中にはヤンキーでもいいし障碍者でもいいし癇癪を起したりパニックになったりする子どもでもいいし、そういう人物がいるわけだけど。
>>現実的なのは取り押さえたり平手打ちするというものだけど、ポリティカルコレクトネス的ではないよね。
>>まさか説得しろとか警察を呼べとか(警察呼べとやたら言う奴ってその労力と手間を全然理解してない場合が多いけど)思ってるんだろうか。
>>俺は幼い子供を子育てしてる親も子供が逸脱した行為を起こして迷惑かけてたら多少ぶってもいいと思うし、暴走したら取り押さえて平手打ちの一発でも食らわせればいいと思うよ。
極端なことを言って誘導したいのかわかりませんがやめてください。
他の返答にもあったけど、「ホモ」自体が蔑称であるとか、逆の例で言えば「レズ」は駄目で「ビアン」なら良しとか。
これら単語の解釈の流れって、ポリティカルコレクトネスの流れかと存じますが、それらを含めても蔑称だと思ってないです。
ホモセクシュアルって言葉自体は差別用語でも蔑称でもないですよね。
そういう意味で使ってるだけです。ポリコレってそれくらい曖昧な話なんですよ。
でもね、同性愛者の男性に対しては、彼らが「ホモ」を差別用語だと思っているからこそ、当然ながら「ゲイ」と呼びますけどね。
でも主さんって女性ですよね?なんで女性がその方面で代弁してるんですか?しかも見当違い。ちょっと意味がわからない。
他の返答にもこれ使いますが。
でも、そうじゃないから主さんは怒ってるんですよね?所謂直結厨とか、出会い厨とかがいるって事で。
ポリティカルコレクトネスでもマルクス主義でも何らかの宗教でもなんでもいいんです。色んな正しさがある。
で、それとは全く関係なく、です。
何かことさらに固有の主義主張があるわけでもない私が、私がです。
私がその感覚を持って、私固有の感覚において、あなたのことを好ましく思えないのです。
あなたのことが、ただ好ましく思えません。
理由は以下の通りです。
共産趣味が、中途半端に政治性を帯びていて、そのポーズの取り方がカッコ悪くて嫌いです。
ジェンダー論などの社会学にいっちょかみしたポーズをとる割には、そのコメントがダサいからです。
端的に言えば、もっと勉強してから書きこむべきです。ちょっとでも専論を読みましたか? ネットのふわふわした情報しか見ていないのではないですか?
「大学院に行きてー」と何度つぶやきましたか? なぜ大学院に行かないのですか?
仕事もやる気がない。
自分は他人とは違う、そう思いたいのかもしれませんが、あなたの感覚は何ら突出していません。
もちろん、そうした人生を送ることをダメだと言っているのではありません。
そういう人生があっても良いのですが、なぜそれから動こうとせず、かつ、動いているか考えているかのような惰弱なポーズを獲るのですか?
そこが嫌いなのです。