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はてなキーワード: デジモンとは

2020-02-23

Gレコ二回目を観た

デジモンやってたから迷ったけど結局観ずに帰ってきた

誰にも言ってないけどデジモンシリーズちゃんと観てないのにデジモン映画見に行った

普通に面白かった

ただところどころ「ここで泣かせたろ」「こうすりゃオタク喜ぶやろ」は透けて見えたので萎えポイントはあった

でも一貫したテーマが『別れ』だったと思うので、そこだけを主軸として見るならまだ作品として見ていられるんだろう

ただ、前半のオーロラ描写(確かデジモンってオーロラが何かしらしてデジタルワールド行けるようになったとかだっけ?)とか壊された街どうなってんの?みたいな気持ちにはなったので作品としての理解力はまだ足りなかったかな?と思った(多分主人公組以外にも現実に来たデジモンと戦ってる子達は居たし、そういや途中で傷付いたデジモンを庇う海外の子描写もあったなと今になって思い出した)

あと、シナリオ普遍的すぎた。「あれ?この展開夏のドラえもんとかで見たことあるな?」という気持ちになったけど、もしかしてそこからノスタルジーを産もうとしてるのかな?と思った。結局「別れ」てしまえば主人公達はその普遍的なことにすらも望めなくなるし。

から泣けるシーンですよと言わんばかりにストリングスが入ってくるのもちょっと白けた。

あとところどころゲストキャラが変な英語使うのも冷静さを取り戻す要因となった。

でも重要なのはそこじゃないもんね、「別れ」だもん。

そこは見事というか、「別れ」だけじゃなく希望すらも見えてくる最後ではあった。

Twitter批判意見を見たら「ゼロツーの最後に繋がるから〜」とは言ってたけど

その批判意見でも言ってた通り、説明不足感が拭えないのは多分説明できたという描写だけでもホントチラチラと描写されるぐらいでそれを思い起こしても「あれれ?」とちゃん説明された訳じゃないからすんなりと理解したくないところにあると思う。

というか、時間を1時間半にぎゅっと詰め込んでるから理解よりも物語の根幹を持ってきた感じなんだよな

そう、書いてる途中でわかった、『アオハル』感だ。

ワンピとかのあの感じだ。

アレをずっと感じながらデジモンを見てたんだ。

なんか混じり合わないと思いながら、でもまぁとりあえずストーリーを呑んでみるかと思いながら見てる感じだ。

そこにウォーゲーム感が重なって、「なんか前見たものの焼き増し感あるけど、まぁきっと熱いんだろうしいいかしか普通に別れは辛いもんな」って奴だ。

からこれもちょっとしたネタバレになるけど、主人公組が居酒屋ビール飲んでるのにちょっと抵抗を覚えたんだ。

いずれはそうなるだろう、じゃなくて、もうそうなってしまったんだ。という感じ。

なるほどなぁ〜、デジモン進化の奴って最終進化はよく人間みたいな身体に辿り着くからな…。

作品全体としてそういう感じなのか、「お前らがどう抵抗したって社会はお前らを俺達が定めた人間にしてやるぜ」感すらも感じてしまったんだよな。

でもだからこそ主人公や敵キャラが抱いたものデジモン達が感じてるものが「そういうことじゃないんだぜ」という答えを出せたのはあの作品としての面白さだと思った。

からまぁ、ところどころ矛盾を感じて自己補完をして、それでも主人公達を信じられる人は楽しいと思う、し

泣ける映画を見に来た人は泣けると思う

あと矛盾を一つでも感じたら即退館の人は向かないと思う

おじさんがエモい気持ちにすぐなれるから見ていられたところはある。

そんな人なら見ても苦はないと思います

2020-01-21

時代背景に考慮したデジモンにありそうなこと

島根にもパソコンどころかスマホがあふれている

メールボムパソコンが落ちない

なんかTwitterっぽいSNSでがんばれーみたいなの

オメガモンの安売りやめろ

ウォーゲームと初代以外の話題出せ

クソゲーとクソ続編でデジモンブランド汚すな

見る側はキャスト云々で文句言うな(引退した人、逝去された人もいるんだからしょうがないだろ)

2020-01-19

デジモンなんて覚えてない

自分と同年代の人がめっちゃ昔のアニメ覚えてる

大人になった世代向けに昔のアニメいろいろ出てるけどまったく覚えてない

記憶力すごい!

多分見てたけど内容覚えてないリスト

セーラームーン

キューティーハニー

地獄先生ぬ~べ~

おじゃ魔女どれみ

ハム太郎

デジモン

ポケモン

犬夜叉

結界師

明日のナージャ

ぴちぴちピッチ

ミルモでポン

他はまったくでてこない

コナンしんちゃんドラえもんめっちゃ覚えてる

アンパンマンは逆に小さい頃見てなかったけどここ数年見てる

2019-12-25

アニメポケモンデジモンと違うところ

主人公相棒モンスター進化しないところ。

ポケモンピカチュウはずっとピカチュウデジモンアグモン進化すると見た目も呼び名も変わる。

デジモンが廃れてしまってポケモンが生き残ったのはこれが理由

初代信者がウザすぎる

長く続いているコンテンツ絶対現れる初代(旧作)信者がウザすぎる

最近だとスターウォーズターミネーターサクラ大戦サクラ大戦デジモン。あとはガンダムドラゴンボール銀英伝ラブライブとかな

初代信者にとって初代こそが完全無欠100点満点の至上な存在で、それ以外は初代基準の減点方式となる。

ゆえに彼らの中で100点を超えることは滅多に無い。路線スタッフが変わった続編はその時点で駄作となり、リメイクリブートも余計な手を加えられた偽物となってしまう。

もちろん道を切り拓いた原点は評価すべきだと思うが、神格化するあまり後発の作品を貶すだけの老害になっていないかノスタルジーに浸りすぎて正当な評価をくだせていないのではないか

思い出補正先入観、周囲や権威者意見好き嫌いを捨てて見れば案外楽しめるかもよ?

2019-12-19

anond:20191218115139

元増田意見は単純には同意しがたいが

から似たような感慨があった

サマーウォーズ』の終盤、主人公ネット上の見ず知らずの多数の人間に助けられて勝利するという展開が、なんだか気持ち悪い

申し訳ないけど同じ監督による元ネタ作品と呼ばれるデジモン映画は知らん)

あれ、「観客席にいる自分ら」と重ねられるように意識されてるんだろうけど

安全圏にいる観客はいくら感情的に戦ってる当事者共感・同情しても結局は他人

という自覚がないのは高慢だと思う

プリキュア映画で観客席から応援するのは純朴な幼児向けだから許そう)

だって実際に俺ら、ネットから香港デモ隊応援してても

自分が直接、機動隊ボコられたり警察個人情報漏れて消されるリスクは背負ってない

ただ

これが『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の終盤

隕石の落下を止めようとするアムロを見て、なんだかよくわからんまま

次々とアムロと同じ行動を取ろうとしたモビルスーツパイロット達なら

嫌な感じはしない

まり

他人様の正義に本気で共感するなら自分も同じリスクを背負う覚悟を持つ

ということが描かれてるから

そういうのを全体主義的と呼ぶこともできるけれど

空気圧力による暗黙の同意プレッシャーではなく

しろ空気無視した本当に自発的な志願者が

危険を冒して戦いに行くのなら欺瞞は感じない

逆に自分の身を安全圏に置いたままの口先だけの一致団結・一蓮托生・他人正義への同感で感動シーンを作ろうという演出は、どこかわざとらしさが拭えない

もちろん

ただの個人の感慨っすよ

俺は何の権限も持たない一個人っす

俺に不同意の人がたくさんいても全然いいっすから

2019-12-15

anond:20191215183501

横ですがそのコメント

デジモンなんて見てる奴に冴えカノは理解できるわけないって意味でしょうか?

2019-11-19

パートナーデジモン

ADHDの本を読んだら、困窮した時は最悪、パートナーに食べさせてもらうのも一つの手段ですよって書いてあった。

全国の特別支援学級学校でも生活指導カリキュラム採用していいレベル提言だと感じた。

感動のあまり息切れと動悸が止まらなくなり、ゾーンに入るとはこのことかと感動した。

感動が感動を呼ぶ良循環に入り込み、布団から起き上がることもままならないほどの無双空間が構築されていく。

2019-11-06

anond:20191105010524

本や映画あくま他人人生だ。

誰かの選択客観視して、共感したり、理解しようとしたりする。

僕もゲーム苦手で本や漫画映像作品に逃避しようとしていて、結局そこまでのめり込めなくなってきたんだけど、結局こういうことなんだよな。

他人の作った他人生活を眺めているだけで僕自身はずっと一人で6畳程度のベッドルームにいるだけ。僕抱えている鬱憤や寂しさや惨めさは岩のような出立で部屋の外に鎮座し続けている。

ゲームプレイヤーデジモン登場人物みたいなものなんだよね。

2019-10-18

anond:20191015175950

なんだその指揮官後方支援担当は楽してるみたいな観点は…

デジモンポケモンはともかく他は普通に攻撃の巻き添え食らいうるし

2019-10-15

3大手駒を戦わせて自分命令してるだけの卑怯アニメは?

ポケモン

デジモン

金色ガッシュ

FGO

あと何個ある?

細田 まあ、もうちょっと物語寄りの理由を言えば、ネット世界友達パートナーデジモン)が戦っているのに、自分は自宅にいて一歩も動かない。この差を出したい、という意図もあったから。

小黒 ああ、なるほど。友達を戦わせて、太一達は楽している、と。

細田 そう。それでいいのか、自分安全場所にいる事に罪悪感はないのか、と主人公を追いつめたかった(笑)。『デジモン』もそうなんだけど、最近、「後方支援型」とでも言うような作品が多いですよね。そういう作品を見ると、何か違うんじゃないかと思います。仲間(デジモン)が身近で戦っているなら、主人公ももっと応援したり、走り回ったりしたらどうなんだ、と思うんですよ。

では、アニメポケモン』のテーマとは何か?

それを探し出すのが結構大変だった。

僕はゲームの『ポケモン』の中にそれを見つけ出そうとした。

ゲームは、野生のポケモンを捕まえて育てて戦い、ランクアップしていく。

主人公プレーヤー代理である

現実プレーヤーは、ゲーム機の外にいて、傷つくことはない。

プレーヤーゲームのこの関係をそのままアニメに持ち込むと、主人公がなんの苦労もせずにポケモンを捕まえて、そのまま自分代理ポケモンを戦わせる代理戦争のように見えてしまう。

そういうアニメにはしたくなかった。

谷口

(略)

 分析会議現代におけるヒーロー像の分析をやって、私は『ポケモン』の主人公のあり方は、卑怯きわまりないと思う、と。ウルトラセブン』とは如実に違っていて、『ウルトラセブン』のカプセル怪獣は、あくまで(変身できないときの)時間稼ぎであって、最後責任は僕が取りますっていうのがあったのに、(『ポケモン』では)自分自身が苦労するわけでもなく、困ったら「行けピカチュウ」とか「がんばれピカチュウ」、これはピカチュウ気持ちにもなってみろと(笑)

https://news.denfaminicogamer.jp/column01/pokemon-contribute

2019-07-14

おっぱいを揉みたい

背後から、外側を撫でるように揉む。時折柔らかさと重さを確かめるようにたぷたぷする。

乳首は触らない。「おっぱいを揉む」と「乳首を弄る」は違う。ポケモンデジモンくらい違う。

飽きるまで揉んだら寝る。揉みながら寝るのもいいかもしれない。いやそれは無理があるな。今のは無し。

醤油とって」ぐらいの感覚で頼みたい。断られたら多少ショックだが、特に気にしない。互いのタイミングがあったときでいい。むしろそうでないと揉む側としても困る。良い関係を築いていきたい。

2019-07-13

未来のミライ面白かったな!(≠いい映画だったな)

はじめに 細田守映画には2種類ある

細田守を知らないほうが楽しめる映画

 デジモンサマーウォーズ

細田守を知っているほうが楽しめる映画

 バケモノの子未来のミライ

つの細田守らしさ

描きたい内容を単純化しつつわかりやすい折り目をつけ、誰でもついていきやすい速度でありながら明確な変化を持って描かれる最大公約数的なストーリーテリング。画面を広く使いつつ視点を大きく動かさないようにする雄大カメラワーク日常幻想の間に半透明の敷居を置き両者をはっきり区別しながら横へと並べる非連続的な非日常性。これがいい意味での細田守らしさ。

ショタコンにしてケモナー自意識過剰キャラクター。誰もが承認欲求に飢えているという断定の元に進む構ってちゃんストーリー。全てを自分の口で説明してしまう自信のなさ。ヒステリックさと寛容さの両極端。これが悪い意味での細田守らしさ。

悪い意味での細田守らしさを楽しめるか?

未来のミライ面白かったと言えるかの全ては、細田守の悪癖、性癖嗜癖理解した上で、その発露を作家性として消費することが出来るかにかかっている。逆に、そういったものに対して一切無頓着に、ただ何も考えずに綺麗な映像流れる時間パラパラ漫画だと思って鑑賞するかだ。

未来のミライには細田守内面”だけ”が描かれている。”だけ”である。この映画は主成分が細田守なのではなく、すべての成分が細田守なのだ。全スタッフの労力、作業製作過程で全て細田守分として返還されてしまう。そこに慈悲はない。この映画は全力で細田守であり、それ以外のものが含まれることは認められていない。実際、この映画制作にあたってスタッフ細田家のホームビデオが見せられたというエピソードすらある。スタッフが「家庭」というものに描くイメージを、「細田家の家庭」というイメージで塗りつぶし、他の家庭から異物を混入されることを防ぐ徹底した管理体制である

登場キャラクター全員が細田守である

くんちゃん

甘えん坊でわがまま自分を認めてもらいたくてたまらない子供は当然細田守であり、彼の成長を通して鑑賞者から贈られる称賛を求めているのも細田守自身なのだ。彼が作中では徹底して直接その苦しみを認められることがないのは、そういうふうに世界を見る細田守細田守の中に居るからである電車好きである点などは細田守の実子がモデルとなっている。彼にとってこの映画自分の子供が成長する姿を通して「かつて自分子供だった頃に成長したこと客観的に見ることになった」という事実を描いたものでもあるのだ。ケモナー成分を取り込んだりハチゲームクネクネしていたりと(ショタコンケモナー向け)サービスシーンも多く、彼が主人公であるということは、細田守にとってはケモナーショタコンであることが自己同一性の核であることを示す。

ミライ

客寄せパンダとして使われまくったのに、出てくるシーンは意外と少ない。未来という名前赤ん坊であること、婚期を逃すことを気にする発言、最終的にくんちゃんに血縁上のつながりを思い出させる役目、これらの要素から「男女の関係によって子孫を残すこと」のメタファー、ひいては「(ショタコンではなく)普通人間として生きること」のメタファーであることが伺える。同時に「世間で受け入れられ、未来に繋がる作品」のメタファーでもある。最初キャッチコピーとして登場し、最後クライマックスにおいてただの細田守回顧録であった映画一般向けの娯楽映画へと引き戻す役目を追っていることからもこれが分かる。

父・母

仕事人間であり、子供の親でもある細田守一般役割に対して性別が反転しているのはジェンダーフリーというよりも、それぞれに細田守に繋がる要素をもたせることで、どちらもを細田守にするためである。時折ヒステリックなのも妙に余裕ぶってみせるのも、自分たちが変わってきたと殊更に言うのも、全て細田守独り言なのだ

ゆっこ

オスケモ。王子だったという発言は、細田守の中で最も大事ものケモナー性癖だったことの暴露である。それにかつてという言葉をつけるのは、今の自分はそれを卒業したという自負である

曽祖父

ホモホモしい外見、言動であるのだがそれがハッキリと語られることはない。ここまで赤裸々にショタコンケモナー自己開示してきて、それをあえて語らないのは、細田守の中において自分ホモセクシャルへの興味がまだ疑問の残るものであるからである。逆に言えば「それすらも」赤裸々にスクリーンに映し出したのだ。

ストーリー解説

ミライが生まれる=『普通家族感』に侵食される

上で述べたようにミライは『普通の家庭』や『世間一般価値観』のメタファーであり、それが細田ハウスに持ち込まれるのは、ショタに興奮だけしていればよかった世界の終わりを意味している。ミライファースト生活否定する姿は、一般向け要素を散りばめた映画を作らされてきた細田守の姿である。その中で雑な反逆に出ては怒られる。悪い意味細田守らしい映画を作ってきたことへの反省と、それに対する怒りが描かれる。『自由ショタでケモいアニメだけやらせてくれ』、くんちゃんが繰り返すミライ否定発言はつまる所こういうことなのだ・

雛人形を戻す=結婚して家庭をもつ

雛人形を毎年1日ずつ出し続けていたら1年ずつ婚期が伸びる』という会話は、ずっと結婚できないということを意味している。それを片付けてミライちゃん未来結婚できるようになった。これは、細田守自分の中で幼少期から積み上げてきた結婚感を今一度棚卸しして、普通恋愛をして普通結婚をする人生を受け入れたことを意味している。作中に置いて、未来ちゃん過去にやってくるのは、細田守の中で過去細田守と共に今の細田守気持ちの整理をつけた経験を描いているのだ。そこに犬が加わっている理由は、それが彼の性癖に置いて重要意味を持つからである普通に見ていると何がしたいのかわかりにくいシーンも、このように整理していくと理解できる。これが未来のミライ面白さだ。

父や母と喧嘩したり和解したりする

これもうそのまま細田守自分の親に対して「心の中で」やっていたことです。自分が親になって子供を持つ身となってそれで子供の頃の両親の大変さとか知って感謝してーっていうアレです。そのままかよ!そしてその中で全部セリフにしちゃうのかよ!このシンプルさ!観客への信頼の無さ!そして自分表現への自信の無さ!これもまた細田守なんですわー。自分ちゃんと愛されているか不安だとそのまま口にするのは、自分映画ちゃんと観客に伝わっているのか不安だっていう宣言でもあったりするわけで。メタいぜー。

曽祖父自転車練習

ホモホモしいアンちゃんとの初体験。遠くを見据えろと語られるが、そのさきに見えるのは廃墟。この道の先に未来はない。細田守も分かっている。ショタコン一本では子孫は残せない。アニメだって歴史に残らない。分かっている。分かっているけど、そうして進んだ先で結果を出したのが今の細田守だろ?そんな叫びが聞こえてくる。補助輪無しで突き進むには、遠くに廃墟を見据えなきゃいけなかったんだ。そうしてバケモノの子が生まれしまったんだ……。

迷子ホーム

自分を見失ったとき、戻ってくるためには家族名前を呼ぶ必要がある。自分流れる血の繋がりを思い出す必要がある。そして、そのためにはミライを認める必要がある。ミライは「普通の家庭」「普通価値観」のメタファーであり、自分がそれと深くつながっていることを認めることが、自分を取り戻すためには必要だと、最後最後で認めることになる。途中からひたすらショタキャラメインで妙な話ばかりしていた映画が、ここで突然なんとも一般受けしそうなキャラと共にさもストーリーがしっかりとある映画であるかのような物語へと戻っていく。細田守の敗北宣言だ。人間としての細田守がここにいるには、彼の父親祖父ショタコン一本で通さなかったかである映画監督としての細田守がここにいるのは、デジモンサマーウォーズといった一般向けに迎合した作品を作ってきたかである自分が今ここにいるなかで、ケモナーであったことや、同性愛的な面を抱えていたことはたしかにあったが、それでも『普通』を受け入れてきたからだ。そう認めることで、見失っていた自分は取り戻される。そして、和解は結ばれた。ケモノショタへと一度は預けられた細田守界の王位継承権は、最後には『普通未来』へと託された。

これは、細田守が『普通』と和解するまでの物語だったのだ。

凄まじい映画だった。「作家性の塊」と呼ばれる映画はいくらでもあるが、純度99%作家性の劇物はそうそうはないだろう。アニメ映画というと娯楽作品ばかりで、文学性や哲学性を謳っておきながら結局は娯楽作品に片足と重心は置きっぱなしにした作品ばかりな中で異彩を放っている。そんな世界にこんなものが現れたらそりゃ受け入れられないだろうな。ましてそれを作った人間の最大のウリ文句サマーウォーズ時をかける少女なんていう痛快娯楽一般層向け作品なら。サマーウォーズ時かけ期待してこれ見に行ったら羊頭狗肉も良いところだって怒りたくもなるだろうな。

この作品には作家性以外を求めちゃ駄目なんだよ。日本広告業界映画業界はそれを頑なに伝えようとしなかった。そこは紛れもなくEVILだね。

ミライちゃんがただの客寄せパンダであり、その使われ方も「はいはいこのへんでパンダ投入すれば良いんだろ?」っていう態度で行われることに、細田守の中に渦巻いた鬱憤を感じ取ろうっていう気概最初から持って見る分にはね、いい映画なんですよ。

そこは分かってあげて欲しい。

でも娯楽映画としては本当に駄目だけどな。俺はこれを娯楽として楽しむことは出来たけど、それは正しい意味での娯楽じゃなくて単に俺の見方が捻くれてて性格が悪いから娯楽に出来ただけだわ。素直な心の持ち主が素直に楽しめる娯楽映画を作った方が最大多数の最大幸福だよ。新海誠君の名はと、細田守未来のミライ。このコントラストある意味美しいけどね。

2019-07-02

選択肢は増えてるのか?

  1. 個人創作物出版物を手に入れる手段は増えた。
  2. ウーバーイーツのように働く手段が増えたようでいて、個人事業主にリスクを負わせるようになった。
  3. カタログがなくなった。ちょっとしたアイデア商品との出会いが減った
  4. 音楽ジャケット買いによる意外な音楽との出会いが減った
  5. Amazonで購入したとしても配達業者まで選択できない
  6. ギブソンのようなちょっと憧れの価格商品はなくなった。
  7. 3000円くらいまでの商品は、数ページに渡って同じ商品が表示され、類似商品比較しにくくなった
  8. 電子工作関係のお店は減った
  9. トランジスタ技術広告で新しい物を知ることがなくなった
  10. パソコン関係だと良いマウス製造終了した。パソコンケースも減った。パソコン販売しているお店はスマフォ販売・修理になった。
  11. カメラフィルムを気分によって変えることはできなくなった。645判は選択から消えた。645判のインスタントフィルム選択肢がなくなった。
  12. スマフォゲームは、ゲーム名は違うが同じようなものが増えて選択肢が増えたように思えない。PUBG、荒野行動など。
  13. VRスペックは増えてるが出来ることが増えてない
  14. 薬局に売っているサプリメントや薬は増えたように思うが、飲み薬では意味がないものが減らない。本当に効果があるものだけにならない。
  15. Linux実用レベルのもの選択肢が減った
  16. ミニ四駆は新しいシャーシが出てこない
  17. たまごっちはなぜか生きのこっている。デジモンは消えた。
  18. 化粧品選択肢が増えた。

2019-06-27

メガシンカZワザって何がだめだったの?

デジモンの究極体みたいでかっこいいじゃん(エアプ並の感想

2019-06-07

anond:20190607215848

デジモンもタワマンかに住んでる選ばれしガキしかパートナーにしないか

特に取り柄もなく、学校休みがちな陰キャのガキにはトトロデジモンキングカズマも見えないよ

トトロの歌は子どもの時にだけあなたに訪れるって言ってるけど、訪れない子どもいるからね

あと、魔女の宅急便の歌は大人になっても奇跡は起こるよって言ってるけど

あれもトトロが見えてた子が大人になってから奇跡が起こるだけ

トトロが見えてなかったガキには関係いからね

2019-04-10

デジモンって流行ってないのになんで生きてるの?

ケモナーレナモンが人気なだけ?

そういう理屈で行くと妖怪ウォッチ2032年ぐらいまでは展開してそう。

2019-02-07

おジャ魔女リアタイで毎週見てた人間だけど何も記憶に残ってない

デジモンも見てたけど記憶にない

あるのは君が残してくれた温もりと香りだけだ

2019-01-24

なぜ漫画アニメ主人公はみんな一戸建てに住んでいるのか?

なんか、増田で間違った説を唱えると、次々に反証が集まるらしいので期待している

俺は幼児期から成人後まで10回ぐらい引っ越して一度も一戸建てに住んだことがない

そういう人間は世の中に一定存在すると思っていたがそうではないのか

で、怠惰な俺が把握する範囲、"家族で"(←ここが重要一戸建てではなくアパートマンションや団地に住んでいる主人公って、『みなみけ』ぐらいしか思いつけない

実家を離れて学生寮に入った、進学に際してアパートで独り暮らしを始めたパターンとかは除く)

あとは『ハートキャッチプリキュア』で母子家庭キュアムーンライト団地住まいだったのが記憶に残ってるぐらい

メジャー少年漫画ラノベ原作アニメとかで、中心的な主要キャラが"家族そろって"一戸建てではなくアパートマンションや団住まいってどれだけあったっけ?

―――

追記

主人公が「一人暮らし学生社会人」ならアパートマンションは、むしろ当然・普通なんですよ。「実家住まい」で集合住宅あんま見かけない気がしたなあというのが発想の発端。

追記

大量に反証が挙がって感謝する。ありがとう

あたしンち」とかデジモンとか、メジャーだけどクレしんドラえもんレベルには劣る、というポジションが、現実世界での一戸建て居住者に対する集合住宅居住者存在感を暗示してる気がするなあ…

団地ともおや耳をすませばは、「あえて」団地ニュータウンを題材にしたイメージ

君の名はエヴァは、メジャーなんだけどやっぱどっか異質な作品なのか

ヤマノススメのここなちゃんの家とか、やたら何度も出てくるあおいとひなたの家の印象の強さに比べて「あ、そういえば…」という感じ

(↑単に俺の記憶力と作品メジャー基準が偏ってるだけ)

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