はてなキーワード: エトセトラとは
見てるかなー見てなくてもいいんだけど、ホットエントリ入りすればきっとあなたのことだから見るんだろうね。そこのあなたですよ、あなた。
どの面で家族に会いに来たいのか知らないけど、本当厚顔無恥ってあなたのことを言うんだと思います。
親戚への借金、寄生した彼女のポイ捨て、嘘の経歴で会社を騙す、妹への暴力行為、エトセトラ。
過去のことだとお思いかもしれませんが、決して過去ではありません。
昔から自己啓発本を読み漁っては、やれ「日本は~」やれ「世間は~」やれ「海外では~」と言うけれど、なぜあなたは今も日本で生活するのでしょうか。さっさと海外に行けばいいのに、それでもあなたは日本にいるんですね。
自己啓発で自意識高い系男子を気取るのはいいですが、DVをした事実は消えません。そして彼女を捨てた行為も、返さなかった借金も。
親戚も家族も大人なので、あなたが会いに来る時には人間として優しいですが、実際には疎遠も疎遠です。親戚があなたをどう言っているか、それは伝えないでおきます。伝えてもあなたは認めず、理解もせず、経験としても受け入れないでしょうから。
何度も何度も何年も何年も殴られ、蹴られ、罵倒され、両親のいない家で一人手錠まであなたにかけられていた私の気持ちをあなたは反省しているようですので、改めて言います。
近づかないでください。話しかけないでください。視界に入らないでください。会話のネタにもならないでください。一生をもって、このまま永遠に勘当されてください。
反省していれば許されると思っているのですか。あなたの反省は何回目ですか。反省さえすれば、私の恐怖と怒りは欠片でも和らぐとお思いですか。
今ははてなダイアリーすら書いていらっしゃるようで、本当に気持ち悪いことこの上ないです。気持ち悪いあなたにはお似合いだとおもいますが。
人として、あなたを拒絶しています。気付いてくれたなら近づかないでください。同じ空気を吸うことすら苦痛で、吐き気を催すので。
卒業研究に入るまでトーケーガクとはまったく接点がなかったことは、オレがボンクラなせいなのか大学教育パッケージの不備なのか。
なんじゃこの棒グラフについてる変な細い棒は…。
いまから思えば大変浅学なことであるが、当時のオレはそれがなんなのかまったく知らなかった。
標準誤差ってなんだ。標準偏差ってなんだ。っていうか、この変な細い棒が標準偏差のときと標準誤差のときがあるのはどういう基準でそうなってるんだ。
統計の本は一冊入門書を読んでもあまり分からない。書いてあるのは日本語なのだが、通読しても狐につままれる気持ちになるだけで一向に腑に落ちぬ。
確率変数ってなんなのだ。確率分布ってなんなのだ。正規分布? 標準化?
そういう初歩的なところから亀の如き歩みで読み進めていっても論文にはまだまだ謎の単語が出てくる。
t検定? 分散分析? 非線形フィッティング? 最尤法? ブートストラップ法? エトセトラエトセトラ…
全くわからないままオレはほぼ独学で(研究に必要なだけは)理解してきた。
いま、オレはそういう当時のオレと同じ気持(であろう)奴らを相手にしている。
思ったので、そろそろ、書くかってなった。
Q. お前だれ?
A. 増田
Q. 何してるの?
A. エンジニア
はてなのサービスが重いのはダイアリー初期から知ってる人間なら別になんとも思わんだろ?
一応、念のために言っておくけど、回し者じゃないからな。
で、お金にまつわるエトセトラとかまぁ、企業としては色々と考えないといけない点、仕方ない点があったと思う。
まぁ、ぶっちゃけ重いのはダイアリー時代から変わってないけど。
でも、はてなが与えてくれたものはサイトの重さよりも遥かに大きいと思う。
まぁ、重いのは今よりも2008年くらいの繋がらないレベルを知ってる人間からしたら、え!?軽くね?って感じだと思う。
まぁ、何が言いたいかというとサービス提供者はあくまで利益を求める。お前らは知識を求める。
妥協って点で多少の重さは生温く見守ってやれ(有料ユーザとそれを見てる人間除く)
まぁ、最後に言っておくが、回し者じゃないぞ。
私は自己肯定感が弱い。
小さな小さな子供の頃には無邪気にそんなことは気にせず生きていたはずで、いつからこうなったのかは定かではない。
しかしち○こが小さいとか、顔が脂ぎっているとか、手汗や脇汗が酷いとかといった身体的な後天的な悩みや学歴、自分でも自覚できる話の浅さ薄さつまらなさ、鳴らない電話が物語る交友関係、人としての器の小ささなどが、より弱くしているのは間違いない。
まずは自己肯定感が弱いとどういう症状で苦しむのかお話したい。
たまには考えたり思い出したりする、あの時はこうだった、ああだったと自分の過去を。考えるだけでつまらない。
つまらないどころか、そのうち後悔や恥ずかしさばかりになってしまう。
普通の人の「あの時は楽しかったな」が「あんなことしなければ良かった」に変換される感じだろうか、そもそも思い出すのが嫌なことばっかりなのかもしれない。
自己紹介から、ランチでの他愛もない会話で繰り出される「休みは何してた?」から、果ては業務の報告まで、自分にまつわるエトセトラを自分の口から語るのがとことん苦手である。面接での自己PRなんかは地獄である。
ただ苦手というだけではない、汗が出る。それも大量に。
心からつまらないと思っていることをさも価値が有る様に話さなければならない苦しみ、案の定つまらなかったというリアクションを頂いた時の苦しみ、四苦八苦に加えて欲しい苦行である。
その人が面白いとか面白くないとかいい人悪い人関係なしに、「俺が俺が話」とか「俺さんスゲー話」とか「俺さん可愛い話」とか「俺さんイケてる話」を聞くと、あまりの気持ち悪さにいらっとする。
まったくもってこちら側の一方的な都合で申し訳ないと思いつつも、決定的に辛い訳ではないその感情を抱えながら会話を継続するのは結構しんどい。
どうしてそんなに自分に自信が持てるのか、自分を肯定できるのか、自分の行いにうっとりできるのか、一度心ゆくまで問い詰めてみたい願望に心を奪われる。
成功回避欲求とか敗者の脚本と呼ばれているらしい。(http://2chcopipe.com/archives/51559636.html)
後から振り返ってみると潜在意識が悪い方悪い方へと導いている気がしてならない。
最初は失敗を喜ぶ悪魔が住み着いていると思ったがどうやらそうでもないらしい。
恐らく正しい選択の結果に得られる成功体験に耐えられない精神を守るために、潜在意識が制限を掛けているのだろう。云わば幸せの総量規制を忠実に守っているようである。
巷間では承認に対する議論が喧々諤々である。最近ではスラングの一つとして立派?に機能している。
かつては私も他者からの承認が欲しくて欲しくてたまらなかった。自己肯定感の弱さを他者からの承認で埋めたかったのだろう。
まだ若かった頃には今ほどインターネットも普及してなくてSNSなんかまだなかった時代、コミュニケーションと言えばガラケーによる通話やメールだった。
そして私もガラケーを持ったものの、着信音が鳴ることは滅多になかった。
当時のガラケーは通話とメールぐらいしか機能がなかったし、i-modeはパケット代が恐ろしく高い代物で、そのくせたいした情報は得られなかった。
プリインストールされているゲームもすぐに飽きてしまえば、結局残るのは通話とメールだったが、鳴りもしない物に良くお金を払っていたと思う。いつか鳴る日が来ると信じずにはいられなかったのだろう、本当に残念だ。
しかし承認を渇望していた思春期時代が、現代の始終繋がっていることが当たり前の時代と重ならなかったことには少し感謝している。本質的には変わらないだろうと思うけれど、情報伝達の早さと広さを考えると往時より受けるダメージは大きく余計に心を擦り減らしただろうと想像できるから。
今のところ昔に望んだような他者からの承認はまだ得られていないし、この先も得られることはないだろう。
それなりに折り合いをつけて、こんなもんだろうと思えるようになったし、今さら電話やメールがやたら鳴っても面倒でしょうがないし、捌けるスキルも無い。
誰しも若い頃に適量以上の酒を無理に飲んで酔い潰れた経験があるだろう。そんな経験をするうちに自分の適量が分かり、それ以上を欲しなくなる。
今頂けている、ほとんどゼロに近いような承認の量が私には適量なのだろう。それ以上を欲することもなければ鳴らない電話を見ても当たり前の風景に何も感じなくなった。
それでも他者からの承認が欲しくてたまらないならば「承認に足るほど努力できる何か」を見つけ努力することを考えた方がいい。
何もない人には誰も承認してくれないし、例え承認されたとしてもただ空虚なだけで、あなたが望む形の承認ではないだろう。
あなたが望む形の承認を得るには、承認を得たい相手と同じレベルになる必要がある。
努力が実り多くの人から承認されるようになった暁には、きっと求めていない承認に頭を悩ませることになるだろう。
しかしその悩みを乗り越えて、是非とも承認する側に回ってあげて欲しい。他者を承認する資格があるのは他者から承認を得ている人だけだから。
そして世界中の被承認の需要は供給を遥かに上回っているのだから。
この世は人の心を圧し折るには充分すぎるほど不平等で不条理で不合理で、持っている人は与えられてさらに豊かになり、持っていない人は持っている物まで取り上げられる仕組みになっている。
チームに残ったのは、いわゆる「エトセトラ」扱いをうけるような人間でほとんどの割合が占められている状態である。
私もその中の一人であるだろう。
チームは、なんとか中心となるような実力者をひきいれようとしているが、採用はうまくいかず、社内からもひきいれることができないという状況である。
そんな状態でAがやめてから、いらついているというか不機嫌というか、こちらから見ていて嫌だなと思う態度をとる人物Bが居る。
Bは「エトセトラ」には属さない、チームを引っ張っているような人間である。
そんなBはあからさまに「Aがいてくれたらなぁ」というような雰囲気を出し、チームメートに対していかにもうんざりしているかのような態度をたびたび示す。
正直にいって私はそれを不快に感じている。
同様の立場であればそのような気持ちになるのはわからなくもないなとは思う。
しかし、結局実力者をひきいれることができない現実がある中で、もっているカードでどう動いていくか。
そのように切り替える時だと私は思う。
私はチャレンジの機会が増えるので頑張っていこうと前向きに考えているが、前述した態度を目にすると、モチベーションが下がっていくのを実感している。
ということを悶々と考えていて、
かと言って釣られると馬鹿みたいだし悩む。
暇だからずっと見てたけど彼女の方にアクセス数を意識してる感じがしないんだよ。
まずホッテントリ入りした彼氏の日記にリンクさせてない。注目してほしかったらここはリンクさせないと。
彼氏にすぐに見つかるのが嫌だったのか?単にやり方が分からなかっただけかもしれないけど。
それと昼ぐらいにちょろっと書き込んで全く注目されてないのにそこに追記するとか違和感。
注目されたいならアクセスが増えてくる夕方ぐらいに一気に最初の彼みたいに書き込んで彼の日記にリンクさせた方が良い。
タイトルにも内容にも煽る要素が少ない。
例えばせっかく結婚資金が注目されてるのに話を膨らますこともせずに終わってるし。
ストーカーの話もドアをがちゃがちゃされただけだし。
その後すぐにホッテントリに入ってるのに追加情報も書かないし。
反応したくなる要素をタイトルや内容にちりばめて満を持して投稿した感じがする。
でもホッテントリに入るとは思ってなかったみたいで
注目されてるのに気付いてから嬉しそうに書き込みまくってる。
相手を挑発するような書き方が多いのでもっと炎上しろと言ってるかのよう。
もしこの話が半分事実だとすると彼氏の方は浅はかというか人の気持ちがわからない人に見えるので
最初の書き込みにフェイクを入れて彼女にバレないようにしたものの
バレても別にいいやとか思ってそう。
全体的に注目されて嬉しそうなんだよな。
炎上や議論が好きそうなのに。
物理的に書き込めなくなったと考えると辻褄が合うのか?
ってかポーカーしてそうw
この一連の話が嘘だとする決定的なものが見えない。
識者はどう見る?
やっぱりこれ本当の話なんじゃないか?
在宅で稼ぐスキルを持っててギャンブル中毒の彼氏を居候させてあげてパソコンと携帯を提供してあげて。
立ち直る可能性にかけて1年も我慢して。ちゃんと実家に戻れるだろうと冷静に判断してるし。
田舎から都会に変われば「心が豊かになる」と考えることがそもそも上京志向強い学生のテンプレ的発想っぽい。そしてそれは過去の自分だけれども。
学校でもサークルでも人間関係うまくいかなかったさんを取り巻く環境、田舎でも都会でもほとんど変化ないよ。
心の豊かさに繋がる楽しみを、ぼっちが享受できるとでも?
モノと機会自体は都会の方が圧倒的に多いでしょうね。
でも、それを楽しむためには大抵金がかかる。楽しみを享受する為の金だけならまだ良い。
食費、居住費・・交通費除けばほとんどの項目が田舎だと信じられない感覚の額。気がつけばどんどん金が飛んでいく。
懐事情の余裕のなさは精神状態の余裕のなさに直結します、孤独だと余計に。
そして圧倒的な人の数。人が多い分、都会の方が孤独感を強く感じる人が多いんじゃないかな。
都会に来てビビったこと、それはあんなやつにもこんなやつにも「とりあえず」恋人がいること。田舎だと一人で来て問題ないような場所にも、大抵恋人や友達と一緒にやってくる。
なぜなら都会だと全体の人が多い分、孤独をより強く感じるから。孤独感を紛らわす為の恋人なら「とりあえず」で充分ですよね。
都会大学の学食だと「ぼっち飯」に纏わるエトセトラがよくクローズアップされる一方、田舎大学と問題認識に差を感じるのもこの孤独感が背景にあったりして。
いや、人がいないと革新が起きない。ある程度の生活をしないと、頭も働かない。
人の増え方が急であることが問題である、と思う。一時的なボーナスステージを、本来の力(人を養える数)と誤認しなかったことがすごいのではないかと思っている。
その過剰な人が、将来の年金問題、就職問題エトセトラになるので。
政策が緩和されてきたのは具体的にどの程度なのかよくわからないので、答えづらい。たぶん10年スパンで考えることだと思う。1人っ子政策から10年以上たって、今僕はある程度結果論的な主張をしているし。
でも、増え方が急なのと同じくらい減り方が急なのも様々なリスクがあるので、ある程度の措置があるべきだと思うし、その政策には賛同する。
100年後、もし人類がまだ発展を続けていたら、今の国々で最も評価されるのは間違いなく中国だと思われる。
ちょっとばかり表現の自由がないとか、死刑を廃止してないとかの問題があって、欧米や日本ではダメなやつだと思っている人も多いかもしれない。
しかし、ただ1つの政策、一人っ子政策を成し遂げた、これだけで相殺できると思えるほど、あるいは+とまで言えるほどこの政策に賛意を示したい。
現在(あるいはもう少し先)に、食糧危機、資源問題が勃発するのは間違いなく、もし、資源問題が勃発したら成長が止まる。そして再び成長し始める根拠なんてものは特にない。WW3を起こしてもたぶん次なんて存在しない。
要するに、次の(技術)革新が来るまで資源問題を先送りできるかどうかが単純に人類が発展できるかどうかの分かれ目だといいたい。
むしろ巨悪は欧米(特に技術発展がない割に高所得をGETしちゃってるところ)であって、小さな人権問題(たとえばクジラ、死刑、エトセトラ)に右往左往しているのは、目の前にそびえるかなりやばい壁の前で、コントをしてるような感覚すらある。
接客業のバイトをしているので、容姿についてしばしば言及を受ける。お褒めいただいて光栄です。花の盛りは短いので、後半生の糧にしよう。褒め言葉は嬉しいけれど、、、というバイト先のお客さんの話。
から始まり、いつの間にか私のあだ名が「チチ」になっていた。なんでやねん。悟空の嫁だけにしとけ。念のため断っておくが、私の胸は小さくはないが別に大きくもない。そう錯視するのはブラのお陰。私はスラリとした足は持っていないどこか太ももはじゅうぶんすぎるほど太いし、全体的にぷにぷにである。女子のバリエというやつだと思うことにしている。しかも、そのお客さんは乳ネタでは飽きたらず、「歳なんぼや」「結婚しとるんか」「どこ住んでるんや」「(注文伺いの際に)僕は君がいい、言うてるやろ」エトセトラ。
まだ幼稚園だった頃、水着グラビア写真を「ほらほら、見てごらん」と大量に見せて来るおじさんがいた。あやしいおじさんではなく、伯父さん。私はそれがすごく不愉快で、そのたびに「えっちなのはダメなの!」と怒っていた。おじさんのことは好きだったが、そういうところは大嫌いだった。二十年以上経った今思い出しただけでも涙が出てくるくらい。すごく嫌だった。
で、これってセクハラと同じなのかな、と思った。性的な嫌がらせだし。
男性ってそういう欲求があるんですか?
自分は仙台に住んでいるんだけどさ、内陸だから3月の震災の被害は家が少し壊れるくらいで済んだ。避難所に行かなかったのだからかなりの幸運だ。
ライフラインは全部止まるし、クルマのガソリンだって残り少ない。食べ物が、いつどこで買えるかの情報戦も展開されていた。
ある日、朝7時から郊外にあるスーパーへ出かけて、その当時にしてみればかなり多くの食料が確保できた。
地元の人なら知っているだろう、震災のどさくさに紛れて、ぼったくりなんてしたあの店で。
これが人のやることか。この非常時なのに、考えているのは目先の金のことだけか。そう家族と話し、憤りを隠さずに帰った。
自宅に戻ると、電気が復旧していた。急いで充電器に携帯電話を繋げる。あの日、我が家にたどり着いてから間も無く、電池がなくなっていた。
数日ぶりに電源の入った電話に、次々とメールが舞い込んでくる。友人らが、安否確認のメールを送ってきてくれていた。
それらひとつひとつに目を通していると、一通だけ、毛並みの違う文面のメールが紛れていた。
「大丈夫だからね、みんな繋がっているから、日本は今、ひとつだから」
他の友人は、とにかく大丈夫?とか、あるいは自身は無事である、あの時は怖かった、などという内容のメールを送ってきていた。
文面としてはおかしくない。勇気付けようとしてこういうメールを送ったのだろう。
だけど無性に腹が立った。
ぼったくられたばかりだった。余裕がなかった。偽善の言葉のように聞こえた。東京に住んでいて、何でもあるのに、何を抜かす、と本気で思った。
だから、「メールをくれたのは嬉しいけれど、そんな綺麗事を抜かすな」と返信した。メールは戻ってこなかった。
それから数ヶ月が過ぎ、震災前とほとんど変わらない日常が戻ってきた。ニュースさえなければ、一日くらいは震災のことを全部忘れて過ごせるような気がする。
私の街は少し寂しくなった。空いていない店がまだある。建物がめちゃくちゃに壊れて、閉店した店も少なくない。
私自身も仕事が変わった。いつ切られるか分からないけれど、3月よりも前向きに過ごしている。
ついこの間、ちょっとしたことがきっかけで、例のメールをくれた友人のtwitterのアカウントを見つけたので、覗いた。
ぞっとしてしまった。なんか気持ち悪い。
震災のことばかりをつぶやいている。ユニリーバの募金のことは毎日欠かさずツイートしているようだ。
毎日毎日、震災のことばかりをつぶやいて、宮城が大変だとか放射能がどうとか、福島はかわいそうだとか、そんなことをつぶやいている。
愛とか平和とか、絆とか、積み重ねれば大きな力になる、差別反対、エトセトラ。半分くらいは誰かの言葉のリツイート。
こんなことは恐らく、普通のことだ。寒気を感じる自分がおかしいとは分かっている。だけど腹が立つ。私は被災者様なのだろう。津波に遭ったわけじゃないから、被災者でもないのだけど。
友人に哀れまれているようで嫌だった。本人はすごく力になりたいのだと思っているのだろうけど、頑張る方向が違うような気がする。綺麗事だけじゃ生きていけない。
社会に出て10年くらい経って、学生さんを見る機会もあるし上も下も見る部署にいて思うんだけど、学歴って関係あるけど関係ないよなあ、と思うので書いておく。
つまり、「学歴はあることが前提であって、それだけじゃなくて、実力もいるよ」という話。
こんなもん誰でも知ってる当たり前のことなんだけど、未だにたまに「いや学歴じゃない、実力だけが大事なんだ」という人がいて驚く。
これは僕の感覚でアレなんですけど、具体的には「関西学院大学」以上の偏差値の大学、じゃなかろうか。
僕の周りの環境とかリクルーターとかなんやらかんやら見てると、大体関学以上の大学にはレースの招待券が届いているイメージがある。
(レースの招待券とは就活における説明会の席数やらリクルーターの数やら大学別採用予定数やら入社後のキャリアやらエトセトラ)
関関同立で言うと、関大は微妙、関学はOK、立命はよくわかんないけどOK?、同志社は当然OKって感じ。
で、不思議なことに、レースが始まると関学が東大を打ち負かすこともある。
もちろん東大京大の人達って基本的にめっちゃ頭いいから(ほんでコミュニケーション上手でスポーツもできて、ほんとなんなんだよ一体)、意外でもなく偏差値順に実力が見える人が多い。
ただ、関学とか同志社とか「東大京大に比べたら偏差値的には見劣りする大学卒」の人達が極端に実力がないかというと全然そんなことはなくて、普通に番狂わせがある。
東大京大を打ち負かすと言うと極端だけど、少なくとも早慶とか旧帝国大学とかとは全然普通に伍していけるというかなんぼでも足蹴にしてくれちゃってる。
(官僚とかだとこういうのは無いかも。あくまで僕の見聞きした範囲内です)
万一高校生以下がこれを読むことがあったら、なんとかして関学以上の大学に行け、と言いたい。
偏差値なんて意味が無いと言うのは簡単だが、それを言うのはいい大学に受かってからだ。
正直、嵐とかakb48とか、その他アイドルに熱中してるやつとか
どーにかしてるぜって思ってたんだ。2010年の途中までは。
なんで、そんなに熱中しなきゃいけないんだって。
普通のおじさんやおばさんが「嵐いいね!AKBの前田も篠田もいいよ!」
かもしれない。その逆で批判的なことなら、ガンガンと話のネタに
するのかもしれないけど。
個人的には、若い子たちがキャーキャー言ったり騒いだりするための
っていう見方が大半だと思う。
前で公言して、そういったアイドルグループに本気になる
大人が大量にいたら一般的にはおかしい気がする。
自分は、そう思ってた。あの時までは。
そう、ももいろクローバーに出会うまでは。
フシギなアイドルグループだと思った。
聞いてみたけど、その時は、怪盗少女と走れ、以外は
ろくなもんじゃないと思った。
そのろくでもない歌に価値があることを知った。
歌だけ聞くと、ろくなもんじゃないんだけど
舞台作品になった。
本格的な芝居やミュージカルとは比べ物にならないっていうのは
よくわかるんだ。自分も実際にNYに行ってブロードウェイ見てきたから。
挑戦していてスゴイと思うんだ。
だけど、ももいろクローバーを見た時に感じたのは
そういう種類の感動じゃなくて、「学校の文化祭が上手くいったよ!」
みたいな種類のものだった。
すごい感動するじゃん。そういう感動。
それが楽しいって思える。
実際に、自分もチケット買って、ももクロの世界に入ってみたけど
普通の日本社会というワールドにいたら、決して見ることのなかった
景色なんだよね。
「ああ、こういう視点のスライドっていうのは何年ぶりだろう」
みたいな感動があったわけ。
その代表的なのが、次のやつだろう。
「同じCDを何枚も買わしたり、金を払って握手したり、写真とったり
するなんて、会社のオッサンたちに搾取されていることに気づいてないの?」
自分は、ライブには行っても、同じCDを何枚も買ったりとかしてまで
これからもしないだろう。だがメンバーの生写真は一枚づつは購入する。
これなら映画館に行ってポスターを買うのと同じレベルだと思う。
ああやって、一般的には「搾取されている」部類の人たちというのは
それが好きでやっているんだから放置しといたら良いんだと思う。
普通なら金が底をついたら諦めるでしょう。
ビジネスの手段であって、それで実際に儲けになっているんだから
車をディーラーで買ったことのある人ならわかっていると
売る時にだって、あれもこれもつけたらもっと安くするとか
いろいろ必要ないようなサービスまで付いていたりする。
進んで買いに行かないよね。
ブランド料を払ってでも、服や車を買うわけでさ。
まあ、デザインとか色々理由をこじつけようと思えばつけられるけど。
何にでも難癖をつけて、あれがダメ、これがダメっていう人たちは
結局その人自身がダメってことに気づいていない。そういう人たちに
「そんだけ偉そうなこと言ってるあなたは一体どんな人なんですか?」
まあ、かつては自分もそうだったんだけどね。
人それぞれ、そうやって良い点っていうのが必ずあって、それを
見いだせるかどうかっていうのが、重要なんじゃないかなって思ったわけ。
悪い点を見つけることっていうのはすごく簡単なんだけど
良い点を言えっていわれると見つけるのに四苦八苦する。
以前、アメリカで暮らしてた時に、ひどい人種差別にあったわけ。
日本人っていう以前に、アジア人っていうことだけで、殺されそうに
なったりね。そんな時に、ホームステイ先のおじいちゃんが
言った言葉があるんだ。
「いくら酷い悪口を言われようとも、その場では、そういうことを言った人
だけが愚か者であって、自分の愚かさをわざわざ言いふらしているような
というわけで、まあ、そういう経験があったんで、
「ももいろクローバーの世界」を知っている人からしたらso what?だから。
あと、ファンのストーカー化っていうのは別問題で
それはその人が悪い。
色々書いて長くなってしまったけど、「ももいろクローバーの世界」
が好きだからそこにいるだけで、嫌になったら帰って来るだろう。
なんか宗教みたいな世界だが、要は信じるか信じないかっていうことだと思う。
昨今の民主党の数々の失政の最大の原因が、官僚の軽視にあることは論を待たないと思う。
そもそも、「ズブのド素人」である政治家の、安易な思いつきで政治をやることが「リーダーシップ」と勘違いされるに至ったのは、いったい何時頃からなのだろう。既得権益を解体し、ゼロベースの「政治家主導」で政策の優先順位を判断する。ここまではいい。しかし、実際に優先順位を判断し、具体的な施策を決めていくには、専門家の協力が不可欠だったはずだ。
そう、少なからぬ数の官僚が自分の権益を守るために行政を捻じ曲げていたとはいえ、それ以前に、官僚は各政策領域の専門家(エキスパート)なのだ。しかし、民主党は、官僚全てを十把一絡げに「既得権益の象徴」として排除しただけでなく、代わって在野の専門家を味方に付けることもしなかった。
現在の迷走ぶりは、その当然の帰結と言える。どんな「リーダーシップ」も、それを背後で支える多数の専門家の協力無しには成り立たないという当然の話に、何故気付かないのか。
しかし、これら全ての責を民主党に帰すのも、また酷な話であるのかもしれない。なぜなら、こうした専門家軽視の態度は、彼らに限った話でも、今に始まった話でもないからだ。
学者、科学者、技術者、医師、弁護士、裁判官、そして官僚、エトセトラエトセトラ。この十年や二十年、我々の社会はひたすら専門家を貶め、その影響力を削ぐことに邁進してきた。曰く、『あいつらは一般人に理解できない理屈を捏ね回してばかりで、社会常識からかけ離れている』。
裁判員制度などは、その典型だ。「社会常識の無い裁判官に任せてはおけない。市民感覚を反映してこそ、正しく罪を裁くことができる」。法を犯した人間を何百人と見てきた裁判官(=専門家)より、初見の一般市民(=ド素人)の方が正しい判断ができるとは、なんという傲慢だろう。
『いや、そのようなことはない。「はやぶさ」の帰還を成し遂げた科学者や技術者達に、人々は惜しみない賛辞を送っているではないか』と反論する人がいるかもしれない。しかし、それは単に「はやぶさ」の感動的な帰還物語が「一般市民」にも分かりやすく、また自分達との利害の接点が見えにくいからに過ぎない。
果たして、宇宙開発に要するコストが、人々の身近な利害とのトレードオフとして明確に突き付けられた時、それでもなお手のひらを返さずにいる人間が何人いるだろうか。
政権が代わったことで露になったのは、「私は何も口出ししないので良きに計らってくれ。ただし、自分の利害に関わる場合は全力で阻止するけどね」という素晴らしい国民性だった。こうして、自分の狭い視野の範囲内での利害にしか興味のない人々による「総論賛成、各論反対」の前に、あらゆる政策は頓挫することになる。
まぁ、優先度の低い事柄の切り捨てを決断することも「リーダーシップ」の一部に入っているわけで、それすらできない「政治主導」とは何なのか、という話ではある。しかし、そこを押し切る決断ができないのも足腰の弱さ、すなわち専門的知見によるバックアップがない「思いつき駆動政策」の当然の帰結と言える。
こうして、事態はいよいよもって袋小路に陥った。
民主党が、そしてこの国が、今すぐ専門家軽視を改めない限り、次のフェーズとしてやってくるのはウルトラ保守によるバックラッシュ、あるいはカリスマの登場による熱狂と、それに伴う民主主義の崩壊だろう。
が、かつては日本の技術だったわけだが、それがどのようにして海の向こうで生産可能になったか知ってる?
それは、日本のメーカーにいた液晶技術者を、韓国さん台湾さんが破格の年俸で雇ったってこと。
別にあっちに工場を作って、自然に技術移転したわけじゃあない。
液晶ってのは製造業ではあるけども、暗黙的な知、要するに属人的な生産性に左右される側面が強いらしいからね。
でもだからって、瀕死の半導体関係の企業を、国が必死でフォローしてるのって、どうなのよ。今更。
そりゃ週休4日の子会社抱えるメーカは助かるだろうけどさ、だから何だっていうのよ。
日本のITは確かにクソなんだけど、それは技術者がクソって意味じゃないんだよね。
理系を軽んじる奴だけ死ぬ薬を浄水場に入れたいけどできないから、やっぱ教育重要って程度には思うけども。
ただ金のなる木を、良いポジションの会社に全部握られてて、そりゃ優秀な人はそういうところにもポツポツは見かけるけど、たいていはポジションで食ってるだけの勘違い野郎ばっかり。そういう存在は社会的損失でしかないので安らかに逝って戴きたい所存です今すぐに。子ども手当あるからまかせとけ。
で、そのヒエラルキー配下におけるたいていの、実際に仕事をする技術者ってのは、コーヒー農園の農夫よろしく、低待遇で働いてる。
さらに低待遇な会社にも優秀な人がいたりする。周りに合わせてできないふりして、2chとかIRCとかやりながら、同人誌のネタのト書きいて、休日は声優のツアー追っかけてたり。
俺は最初はメーカーにいたけど、優秀な人は1年もすれば辞めちゃってた。ほとんどが外資かベンチャーに行ってる感じ。院に戻った人もいた。
そこで辞めそこねた人は、うつ病休職十数年、気づいたら40も近くで、今じゃ生活保護ドクターとかそういう。
あとまあ自殺も、30も超えれば、マイミクの2,3人は旅立ってるよねぇ。日記を親族が書き込んだら、ああ、と思う、その感じね。わかるでしょ?
とにかく、日本のITとかソフトとかで世界的に認められた物って殆ど無い。
ゲーム業界はその例外で、そこそこ注目はされてる。ただこれは国の支援なしでやってける感じらしい。
あともう一つがRubyっていう言語にまつわるエトセトラ。こっちはあからさまに、国や自治体が推ししてる。
で、だ。
日本のそういったゲーム的なものやら、Ruby的な何かを、中国で指導しろ、という待遇の良い案件を見かけるわけだ。
もう日本のクソ現場に嫌気がして、社会的ひきこもりになり、別業界に行きたいなと思いながら試行錯誤するも、ちまちまと知り合いの手伝いをしながら、結局自分がうまくやれるのは、結局この業界だけなんだなとか思い知らされ、でももういやだーと毎晩うなされつつ、エアコンのないアパートに暮らす人間には、その案件はどう見えるだろうか。
多分、今の俺みたいなニートに片足突っ込んでうだうだしてる元IT土方って、日本中にゴロゴロ転がってると思う。
もうこれ以上我慢してまで日本に義理立てする必要もないよなぁと思うし、もうどんどん日本の技術を売ってしまおうと思う今日この頃。
みんなもそうしないか?ねえ?やっちゃおうぜ。
俺らの居場所なんかここにはないんだもん。
まあ、液晶での教訓はエネルギー分野では生かされつつあるらしいけど、クソの掃き溜めな日本のITなんか、無視してもいいって、みんな漠然と思ってる結果なんだろうけどさ。
Apple的なのは無理だから、製造業に絞ろうっていうのも分かるけど、個別の業種に口出すのもうやめなよ。
利権を自民から民主へ、スクラップ&ビルディングしてるだけじゃんもう。あほか。
手遅れだろうけど、こうすれば日本は幸せなんだけどなぁってことを妄想する。
というのがある。
ポーター先生が言うには、1,3はさほど重要ではなく2が一番影響がでかいと言っている。
状況認識としては全く正しいんだけども、2の影響を小さくするための3が重要なんじゃないかと思うわけ。
国は法律として、あらゆるポジションは1年でシャッフルされるような圧力を一律につくるべきだと思う。
例えば会社などの組織。特に知的生産の現場ってのは人が資産であって、工場のようなものを抱えていないから、シャッフルの経済的ダメージは比較的小さい。人的移動に強い組織にする必要はあるけども、そんなのはグローバリゼーションの前ではどっちにしてもやってなきゃならないし。
例えば個人。正社員、公務員、その他士業、そういうポジションは全部廃止ね。経済的不安をベーシックインカムなり負の所得税なりで担保しとけばあとは好きにすればいいでしょう。
いい加減、新自由主義パッケージに含まれる、貧困・福祉政策の存在に目を向けてよもう!、という話なのかもしれないなぁ。
あらゆる人間の自由を最大化するように社会を回そうって話であって、
「勝ったものが自由を享受できる。負けた奴は勝つまでやれ。以上。」な話じゃないんだぞ、というね。
小泉政権の後がまずかったというかね。うん。
みたいな記事がちょくちょく出るけど
そういう「日本人ならではの凄さ・外人がびっくりするところ」と
「サビ残」「自殺者先進国で一位」「過労死」「自己責任教」とかって
紙一重だよな。
多分どっちも同じところから来てるんだと思う。
なんだかんだで治安がいいっていうが、確かにそりゃそうなんだが、その治安の良さってのは皆が言いたいこといえず空気読みながら我慢して、少しでも「和」を乱すものは精神的に迫害して……ってやってきたからある意味あるだけで。
犯罪者生まなかった分、自殺してるだけなんじゃねーか、って気もする。
おおざっぱだが、海外じゃどうしようもできなくなったら強盗、な流れが、日本じゃ「もうだめだ、自殺」ていう。それを治安がいいと表現するのもいかがなものか。
性犯罪も少ないっつーが、単にセカンドレイプを国がかりでやってるような国だから、被害者が名乗り出れないだけじゃないのか。
遅刻が少ないとか、時間をきっちり守るとかいうけど、そうしないと村八分にあうからだよ。とても小さな「いい子ちゃん枠」におさまらないと、すぐに迫害されるから、窮屈だけど皆頑張ってるだけ。そしてその結果無理が出て、自殺、過労死、エトセトラ。
だから「日本人はスゴイ」なんて記事があっても、イマイチ肯定しきれない。
その「すごい」裏は、結局誰かが、あるいは全員が、物凄く無理して我慢してる背景があるからじゃないのかと思うからだ。
ご近所付き合いなんていうが裏から見りゃおせっかいオジサン・オバサン、他人のプライバシーに首をつっこみたがるウザい奴、だったりするわけだし、物事には裏表ってのがある。それの表ばっかり見て「日本人すごい」というのは、サビ残・自殺・過労死・若者の閉塞感エトセトラを無視しかねない気がして、イマイチ肯定できない。
まぁ、単に「今はやばい」だけでそのうち出るでしょ<歌
本人が麻薬やってたってそのうちまた歌えるんだから、
故O崎さんとかM原さんとかエトセトラ。
芸能界の自粛なんて「忘れられるのを待つ」ためのものでしかない。
09卒だと、最低でも内定式までにはどれか1つに絞るのが常識だった。
10卒は、複数の内定を入社直前の3月までキープするのが常識になる。
そして今(2008年10月..2009年3月)は「内定取消」が話題になっているけれど、
来年度(2010年3月)は「内定辞退」がニュースになっている(はずだ)
内定取消はしか関係無い、という意見も見かけるし、実際騒がれているほど内定取消は多くない。
厚生労働省の発表では、今のところ内定取消にあった大学・短大生は302人。
リクルート ワークス研究所「2008年版 雇用の現状」によると、09卒の民間就職希望者は44万3100人。
単純計算だと、約1500人に1人の割合で内定取消になる。
今のところは、Yes。でもこの先分からない。
そして分からないから、怖い。
内定取消を行うような企業の内定しか取れないFランm9(^Д^)プギャー的な書き込みを良く見かけるけど、
こういうのはイメージが大事だと思うんだ。
確かに今のところ、いわゆる人気大手企業(ソニーとかNTT5とか)で内定取消は出てない。
でもヒトはリスクを過大評価するとはよく言ったもので、もしも、万が一…を考えてしまう。
内定取消まで行かなくても、入社前にリストラを発表した企業の内定者も辛い。
IBMといったらSI系(≒IT系)ではNTTデータ、野村総合研究所、IBM、アクセンチュアなんかと並んで学生の一番人気を争う会社。
例えばソニーや任天堂の内々定を蹴ってIBMにした奴だって居る。
ソフトバンクの採用活動は2月と早いため、ドコモとかKDDIとかに行きたい奴が滑り止め・面接の練習として受ける場合が多いけど、それだってそれなりに人気だ。
つまり人気の企業でさえ一寸先は闇という今、09卒は内定取消の恐怖に怯え、10卒は複数内定キープによるリスク分散を心に誓うのです。
・B3/M1の10月..:ボチボチ就活を始める。説明会行ったりとか。
・B4/M2の4..5月:内資大手の面接など。順次、内定者懇親会等が開かれる。
内資大手は経団連の倫理憲章により採用活動はB4/M1の4月1日からと決まってるらしく、学生としては内資大手とそれ以外の2段階で就職活動をするような形になる。
例えば通信系希望なら、B3/M1の2月にソフトバンクとかで面接の練習して、4月1日からはNTTドコモなんかを受ける。
順当に行けば5月の段階で内々定がいくつかGETできて、6月ぐらいまでにはそのうちどれか1つに絞る感じ。
メールで内定辞退は失礼!という意見もたまに見かけるが、(IT系など)会社によってはそもそも内々定の連絡とかもメールで来るわけで、そんなもんかなと。
ちなみに内々定蹴ったらコーヒーかけられた、カレー投げつけられた、ネクタイ切られたエトセトラetc…という逸話のある企業もあるけど、たぶん都市伝説だと思う。