はてなキーワード: エトセトラとは
「何考えてるんだ」と怒られた。
そうだよな、そら俺だって
「100万ほど未払い賃金があるので支払ってください」
とかいきなり言われたら怒るわ。
で、怒った社長に色んな事言われた。
「帰りたければ帰ればいいだろ」
「お前が勉強してるのだって、売り上げに繋がらないけど止めなかったというのに、ありがたく思ってないのか」
「勉強しながら仕事しているようなもんなのに、請求できる立場か」
「誰が稼いであげてると思ってるんだ」
「誰が食わせてあげてると思ってるんだ」
「人としてこんなの(請求するなんて)ありえない」
…会社には賃金の支払い義務が有るので、ゴネるか労基行けばきっと支払ってもらえた。
でも、結局「要りません」と言ってしまった。
毎月40、50時間程度の残業でぐだぐだ言う方が軟弱なんだろう。
でも、毎日仕事頑張ってたよ。
辛いのは俺だけじゃないから、俺も頑張ろうってさ。
「皆頑張っててつらいんだから頑張ろう」って一心で頑張ってた。
伝わらなかったんだな…
あー、でも伝わるとか伝わらないとかは仕方ないよな。
考えの違いってものもあるし。俺は頑張りたくて頑張ってただけだし。
でも、社長にお願いしたい。
定期健康診断だけでも取り入れてください。
他の社員が体調崩したり、疲労でぶっ倒れて休む度に心配なんだ。
何か有った後じゃ遅いんだ。
私は一人で映画を見に行くことを積極的に推したいと思います。
なぜか?
二つ並んで空いてないと座れないなどの制約に縛られることがない!
ただひとつ、自分のための席が空いていればOK!とても気楽!
いつでも好きな時に上映時間に合わせて飛び込める!
ツレの都合なんて心配する必要がない!
「あぁ、こんなの買ったらツレの人変に思うかなぁ」なんて心配はノンノン!
好きなものを好きなだけ買えば良いじゃない!
物語の解釈その他をあえて言葉にすることなく、鑑賞後のあなただけの余韻が守られます。
ほら、ひとりで映画に行くと素敵なことがイッパイのような気がしてきたでしょ?
周りの目?そんなの気にする必要はノンノン!
寧ろ「ハン!連れ立って映画鑑賞なんて物好きね」くらいの感じで一瞥をくれてやりましょう。
自分のほうが充実した映画鑑賞をしていると胸を張りましょう。
さぁ、もう迷う必要はありません。
大丈夫、万事オッケーですよ!!!
いつも思うんだけど、男の学問の世界で女が頑張っても成果挙げられる例なんて稀有だよ。
女っていう立場を卑怯に利用してのし上がってきた人ばかり。
彼女たちは
理系女子は一般女子を見下していて、大したことないのにちやほやされてて、都合のいいときだけ女を武器にして、エトセトラエトセトラ。
まったくこの通りの人種で、なおかつ無能。
査読どころか学会発表の経験もない大学教員が、何を指導できるんだ?
こうした人の多くは有力な教授のコネクションを持ってる。つまり愛人関係だ。
母校の旧帝大では、多くの女性ドクターが教授とこうした関係を持っていた。
アカポスには女性枠がどこも作られていて、国立大学は女学生優遇制度を設置しようとしてる。
ウソじゃない。俺が務めてる国立大学で実際に進められてる話だ。
研究員の採用枠が10名あったとして、そのうち1-2名が女性枠だ。
残りの枠9名に対して1000人の有能な男ドクターが応募する。
そして、落ちた9名の無能な女ドクターからは自分が落ちたことが女性蔑視に由来するという内容証明を送りつけられる。
10名の枠をすべて女性で埋めろって言うのか?
マタ開いて学位取ったくせに、なお権利を主張するのか?
脳の構造が男と女で違うんだから、理系なら張り合っても無理なことくらいわかるよね?
でも、好きだから趣味で続けたい?
女の理系は居るだけ迷惑なんだよ。
君たちのわがままで、君たちの好きなこの国の理工系分野はドンドン衰退していくんだ。
それでも理系にこだわるの?
あれ以来、はてな界隈で理系女子の評判がすごく落ちたのをひしひしと感じる。曰く、理系女子は一般女子を見下していて、大したことないのにちやほやされてて、都合のいいときだけ女を武器にして、エトセトラエトセトラ。そんなこと全然ないのに。ただでさえ目立つのでそう思われないために必死に地道な努力を重ねてきたのに、声の大きい一部の人の登場で全部チャラですかそうですか。みたいな。
一昔前みたいに、理系女子なんてどうせ化粧もお洒落も駄目で女らしさのかけらもなくて、女のくせに理屈っぽくて素直じゃなくて、周囲の男性にも全く相手にされてなくて一生独身で、なんかよう分からん機械とフラスコとコンピュータだけがお友達のつまんない奴ってことになってた桃源郷の時代が戻ってこないかなあ。もうね、放っておいてくれよと。理系の学問や仕事をしたいだけでその他は全部いらないから。邪魔だから。
と思う人間が一人くらいいてもいいじゃないですか。
ぶっちゃけると、
大きすぎ・小さすぎ・持続しない・持続しすぎ・その他エトセトラで、
ああー、この人とは体の相性的に無理だー、と思うことはある。
でも基本は愛っすよ?
我が身にまつわるあれこれを位置づけることができなくて極端から極端へと振れてばかりでなにひとつ産み出すことができずにかれこれ4年ばかり。なにがそんなに障害になっているのかも判然としない。
たったいまこの瞬間に欲しいのは、受けた傷の承認だ。プライドはやたら高くて傷ついた顔を見せるぐらいなら先に傷つけて非難される方を選んできたので自業自得とも云えるが。
「もういいかげん忘れろ」「前向きになれ」「元気そうでよかった」「きみはそんなに弱くない」エトセトラエトセトラ。「励まし」によって、辛かったことがなかったことにされていくようで堪らない。当然相手にそんな意図はない。同情でもその場しのぎの優しさでもない、単に、傷ついたことを認める(認めてもらう)ことがこんなに難しいとは。まあお互い様っちゃそれまでだがなあ。めそめそ泣きたい時だってあるじゃないか。ちくしょう。
(中略)
なるほど、そこで引っ掛かるわけか。勉強になる。コメント有難う。
入口になんらかのフィルターが入るのは避けられないと思う。性別・年齢・外見・社会的身分・エトセトラ。ただ、最初はそういったことしか目に入らなかったとしても、付き合っていくうちに1人の生身の人間としての、感情を持った人間としての相手が見えて来る。これは人間関係全般に共通のプロセスだと思う。そのとき、最初にフィルター通ったからって1人の人間として見てないとは言わないと思うんだ。つまり、1人の人間として見ることと異性として見ることは両立し得る。
そこで、対異性となると、何故か異なる個性や感情を持った一個人として考えられず、「なんで女/男って」という思考に陥ってしまいそこから抜け出せない状態を
と表現してみた。(念のためだけど、これは自分が想定した対象についての説明であって、増田がそうだと言っているわけではない。一口に非モテと言ってもいろいろいるし、全員がこれに当て嵌まるわけではない。それに、元文の文脈を読んでもらえば分かると思うが、外から見ると上記のように単純化して見える=>その前提を元にした攻撃につながりやすいから気をつけろという話であって、実態は若干異なると自分自身は考えている。)
ただ、一度でも異性フィルターを通ってしまったら、それでもう「一人の人間として」見ているとは言えないという思考は、なんというかとても非モテらしいなと思った。そういう心理面の潔癖症というか、かたくなさって、嫌いじゃないよ。
もしあなたが自分に直接向けられたミソジニー発言でなくて、非モテ(の中の極端な一部の人)とか男(の中の極端な一部の人)に向けられたミソジニー発言に対して一々反応して心を痛めてるなら、それはさすがに疲れるだろうし、万が一反論でもしようものなら、文章の中の些細な点をとりあげて「そういうところがミソジニー」と言い出す人が必ず出るから(もうすでに出てるけど)、あなたの精神衛生のためにスルーをお薦めしたい。全力でお薦めしたい。
あとミソジニーは増田にはないとしても、それなりの割合の男性の中に多かれ少なかれあるもんなんじゃないかな。それを人前に出すかどうかには大きな個人差があるとしても。ものすごく古い概念だし、古今東西の文人が書いてる。そんだけ普遍性のある感情なんだと思う。無くそうとしても無くせないと思う。自分は女だけど、女に生まれたからには「女は馬鹿・浅はか・欲深い・嫉妬深い・感情的・思慮がない・愚か・とにかく劣った存在・とにかく悪い存在・エトセトラエトセトラ」と言われるのはもう仕方ないと思ってる。毎日々々大量に入ってくるから、そんだけ普遍的な感情なんだと思う。実際そう言われても仕方ない面が「集団としての女」にはあるのかもしれない。そこはもう(個人としては)しょうがないから、(自分に出来ることは)自分がそうならないように努力するだけ。
実際ミソジニー表現はそこら中にある。ここ増田にもある。ミソジニーという言葉を使うにしろ使わないにしろ、それを指摘する人は出る。そのときにいちいち身に覚えのない増田が「自分が言われた」と感じて傷つくのは、本人の精神衛生に悪い結果をもたらすだけだと思うんだ。だって本来その言葉を向けられた先と違うんだもの。こういう他人の罪を自分事のように感じてしまう人って難儀だね。クリリンて奴なんだけど。
もっともそれを言う方も、大雑把に、非モテが、男性が、と言ってしまうのは気をつけるべきだね。ただこういう場なんで強制することは出来ないから、これからも大雑把な言い方をする人は出るだろうし、増田自身が心の中で一線を引くことをお薦めしたい。
この頃、ネコも杓子もやたらめったら安易に一般化をする傾向があるように思う。
やれ男はどう。やれ女はどう。やれ○○人はどう。やれデブはどう。エトセトラ。
結局、皆分かってるように、結論としてはいつだって「人それぞれ」なのだ。
だから一般化は今後一切禁止とかそういう事がいいたいんじゃない。
ただ、たった周りの人間数人(どうせ普通の個人の体験だとそんなものだろう)をサンプルに、あっさり一般化してしまうような、そういう安易な一般化は、そろそろ自粛すべきなのではないか。
結局、一般化したところで、何も変わらないのだ。
我々は、何も、一般化された「○○人」と付き合う訳じゃない。我々が付き合う人間達は、どこまでいっても基本的に「一人の個人」なのであり、「一般的に言う男というもの」とか「一般的に言う女というもの」とか「一般的に言う大阪人というもの」という、偶像ではない。目の前にいるのは、常に生身の一人の人間であり、偶像化された何かではないのだ。もっと複雑な要素が絡みあった、とても一般化などしきれない、個性を持った一人の人間だ。
増田やはてダなどで行われるような、安易な一般化は、結局の所何も目的はない。例えば何かを売り出すときに、メインターゲットを考えるなど、そういう何かの目的のため行われる一般化はいい。しかしネット上で頻繁に行われる安易な一般化は、その多くは目的などもっていないのだ。強いて目的を言うなら、それで「すっきりしたい」とか、「自分の考えを他者に認めてもらいたい」など、そういうものでしかないのだ。
そうした安易な一般化は、何もメリットを呼び込まない。一部の人間がすっきりしたりするだけだ。寧ろ、かえって、それら安易な一般化は、「偏見」をもたらしかねない。一度「○○は△△だ」と、(半ば冗談だとしても)決め込めば、今度○○な人に出会った場合に、どうしても△△な事を意識してしまう。すぐに「こいつは○○だから△△だ」とは思わないにせよ、「△△なんじゃないか」という目で見たり、無意識に「△△である根拠」ばかりを探してしまったりする。一度大阪人がケチだと思ったら、同じくらいケチな人間二人を見ても、その対象の一人が大阪人の場合は、もう一方の対象である他地域の人よりも「ケチな所」ばかりに注目してしまう、といったようにだ。そうしたものが、積もり積もって、やがて強固な偏見となる。特にたいした目的もなく行われる安易な一般化は、何もメリットは得られないが、偏見の芽を育てるというデメリットだけが生まれてしまう。
そろそろ、そんな我々の生活に何の役にも立たない安易な一般化は自粛しないか?これは、誰も、得しないのだ。
ただただ
「え?本当にそんな風に思ってるの?頭大丈夫?」
「ゆとりだな」
とか言う人ってさ、何なのだろう。
そういう人に「いや、こうこうこうだからこういったのだが、どこがおかしいと感じたのか?」と聞いても「へー本当にそんな風に思ってるんだ…可哀想…」的に、ただ罵倒語を並べるだけで、ちっとも「だからどこがおかしいと感じたのか」「ゆとりと感じた原因はどこか」「自分が正しいと思っている思想は何か」とかそういう事を話さず、ただ目上にたっては人格否定の言葉を並べるばかり。こういう人が増田で時たまいるのだが、こういう人は何なのか?そんなに目上から自信ありげに言うのなら「どこがおかしいと感じたのか」エトセトラ、を説明すればよいのにそれはせず(聞かれても)、ただ上に立って罵倒するだけ。結局、説明できないって事なのか?本当はなにも知らないし言えないけどとにかく誰かを罵倒したいという人間だとでもいうのだろうか。そんな悲しく哀れな人間がいると思いたくないが……そうとしか説明できないものなあ。
1)DQN男に惹かれてしまう女ってのは少数派。トラウマ持ってる系が多いので、そのニッチなところと比べてもあまり意味はない。そして、忘れてはならないのは、そういう男達は決して最初からDV、浮気癖、エトセトラがあるわけじゃなく、付き合って情がうつったあたりにそういうものが出てくるんであり(そこにも別れられない一因がある)、もしかしたら君もそういう事が出てこないとは言い切れない。人事ではない。
2)つーか足りないものって何に対してだよ?足りた状態って何なんだよ?完璧な男像みたいなのがあんの?君の脳内には。
根本的に分かっていないようだけど、足りないものを埋めたら女性の方から自動的に寄ってきて自動的に恋愛結婚できるわけじゃない。
恋愛結婚がいいというわりに、書いてること言ってることがお見合い結婚志向に見えてならない(足りない物だの、プロフィールずらずら並べ立ててるところだの…)。恋愛結婚がいいなら、俺らに足りない物とか聞いてる場合じゃなくて、まず好きな女性見つけて、その人に気に入られる為にあれこれしたりするもんだろ。最初にターゲットもなしに漠然と「足りない物」とか言ってる時点でマジで恋愛結婚しようと思ってるのか疑ってしまうね。恋愛結婚したいんじゃなくて単に結婚したいんちゃうの。大体なんで結婚したいんだ?なんで恋人が欲しいの?好きな人が出来ないなら別にいいんじゃないの?
漠然としすぎている。
さて。モテないんだな。モテなくてもいいけど、彼女は欲しいな。
と、考えたりする日があるんだ。今日がそんな日。一人で動物園行っちゃった。周りはカップルだらけ。あー。ちょっと、努力しておしゃれするべきなんだろうな。工学部なので、もっと女の子エンカウント率が高そうな場所に行ったりすべきなんだろうな。その他、色々なところで聞いて、見て、読んだ体験談から察せられる、これから僕がするべきたくさんの努力をすべきなんだろうな。
おっけー。がんばっちゃおう。やったろうやんけ。
しかし、思うんだ。結局、どうにもならないことってあるよね。本当に本当の最後の最後。恋愛だけじゃなくって、僕たちがぶち当たるたくさんの問題の中には、どうしようもならない、ただ受け入れるしかない問題があるよね。なんで、いつか僕は死んじゃうんだろう。とか、なんとか、その手の問題。いや、もっとありふれたもんでもいいや。なんで僕はこんなに虚弱体質なんだろう、なんで僕はこんなに頭と顔が悪いんだろう、なんで時間をきちんと守れないんだろう・・・・エトセトラ。努力したけど、やっぱりどこかに限界がある。僕としての限界や、人間としての限界や、生き物としての限界がある。
もはや解決できないことが確定の、あきらめて物事を受け入れるしかないような問題がたくさんあって悲しいんだな。頑張ろうとは思うんだ、色々。だって、あきらめるしかない、という決断は最後の最後まで本当に頑張った人間だけが判断できることだろうから。だけど、結局、どれほど言葉を紡いでも、行動を起こしても、お金と時間を費やしても、解決不能な、ただ受けれるしかないような問題があって、僕たちは毎日何かをあきらめなくっちゃいけないんだな。そのことだけは心に留めておかなくちゃいけないんだな。そんな気がするんだな。
ああ、どうか、大好きな人たちが頑張って取り組んでいる問題が、そんな問題じゃありませんように。努力が報われますように。少しでも幸せになりますように。そして、僕に彼女ができますように。神様も仏様も信じてないけど、祈っちゃうよ。なむなむ、あーめん。