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はてなキーワード: インターネットとは

2024-01-31

anond:20240130222749

ニーメラーじゃないけどこの手の輩の

自分は「切り離す」側で「切り離される」側ではないという絶対の自信はいったいどこから来るんだ

00年代割れ全盛のインターネット誹謗中傷飛び交う現在SNSの責を負って切り離されろと

数年後に言われたら自分はそんな悪事に加担していないとでも弁明するんだろうか

それが一顧だにされず一刀両断されるのは自分自身で分かってるだろうに

2024-01-30

anond:20240130232502

スマホの普及率が90%を越えているのに「インターネット」でくくることにどのような意味があるのか

脚本家のせい」と追い打ちする人ばかりのインターネット、怖すぎる

まず、「セクシー田中さん」の作者が自死を選んだ胸の内は分からないし(流石にドラマの件が無関係なわけはないだろうが)、

ドラマ脚本が作者の意に沿わぬ形に改変されるプロセスに、どれほど脚本家が主で携わってるのかという裏事情も分からない。

・・・といった判断を保留すべき要素もあると思うんだけど、

そういう点は抜きにして、外野の各々が「脚本家のせいだ」と判断しちゃったとしても、それを今ネットに書き込むのはマズいと思う。

そもそも今回の騒動、元からネット民に袋叩きされてたのは圧倒的に脚本家側だった。

原作メディアミックス改悪されるトラブル話は定番中の定番火種だし、

しかも「実写化」「テレビ局」という特に敵視されがちな要素が加わり、

おまけに「作者側が事前に、意に沿わぬ改変はしないよう約束を取り付けていた」というストーリーも乗っかれば、物申したい人は溢れるほどいただろうし。

そこに、今回のような衝撃的な事件が起きてしまった。

とりわけ矢面に立たされてる脚本家の方、あとはドラマプロデューサーとか、漫画担当編集者とか、この件に関わりの深い人達は、きっと物凄いダメージを受けたことだろう。

「人が死んでしまったきっかけが自分仕事にあるかもしれない」という思いは絶対によぎるだろうし、それを背負って今後生きていくのは、物凄くキツい事だと思う。

その心情を思えば、流石に今、特定個人対象にしてこれ以上追い込むべきでは無いと思う。

それでもどうしても何か言いたいなら、せめて日テレとか小学館とか、組織全体の体制を指摘するくらいに止めるべきじゃないかな。

タイトルのような事を書いている人たちからしたら、

これは人格攻撃する「誹謗中傷」ではなく、プロ仕事に対する「批判」だとか、

そもそも脚本家のインスタ投稿内容が悪かったとか、それぞれ言い分はあるだろうけど。

例えそれがどんなに正当な批判だったとしても、本当に対象にかなり非があるのだとしても、

このセンシティブタイミングで、皆がこぞってそれを書き込んでしまったら、"叩かれている側"にとっては、四面楚歌のおぞましい状況に感じられることは想像に難くない。

誰かが批判の嵐に押しつぶされて、衝動的にまた、恐ろしいことが起きてしまう。そんな危険はらんだ状況だと思う。

それでもなお、「脚本家のせいだ」と追い打ちをかける人たちが、どこを見渡しても山のようにいる今のインターネットの状況が、怖くて仕方ない。

その発言がどういう意味もつのか、みんな想像せず無邪気に書き込んじゃってるのか。

それとも分かった上でも書いちゃうくらい、非常な心を持った人ばかりがいる世界なのか。せめて前者であってほしい。

炎上自殺の再発防止策

子どもの頃、いじめは狭い教室の中で起きると教えられた。

広い社会には、あなたを受け入れてくれる場所があるよ、と。

だけど実際には、インターネットは巨大な教室だ。

違うのは逃げ場がないこと。

耳をふさぐ事くらいしか出来ない。

亡くなってしまった方には気の毒だが、対策は極めて難しい。

日テレや小学館に再発防止策を求めるのは誹謗中傷じゃないだろ

ドラマ原作改変との戦いが作者を疲弊させた…

それに失敗したってのが本件なんだから同じことが起こらないようにしていこうぜってのは

全く建設的な意見であり

かに原作者の立場が悪いのは長らく問題だった。

だけど逆に言えば、よくあるコミュニケーションのズレだとも言える。“原作を忠実に” の約束脚本家まで正しく意図した通りに伝わってなかった。

自殺の直接の原因は、炎上だ。

「攻撃したくない」を無視すると決めた人たちへ

作者が「攻撃したくなかった」と言ってたよね。…

作者が気に病んだのは、炎上による関係者への攻撃

なのに「攻撃したくなかった」と言って撤回した文章Webアーカイブさえ蒸し返しコメントするのを躊躇わないよね。


はてなブックマークは、どのような炎上自殺の再発防止策を取れるだろう。

ブクマコメントに対して筆者がトップコメントを書いてピン留めできる機能は、この意味では有効だと思うが足りない。

誰かが言っていた投稿前の確認アラートもいいと思う。コメント投稿する前に「本当にこれでいいですか、相手を傷つける恐れはありませんか」のような。

だけど正直。

それで炎上を食い止められるとは、思えないんだ・・・・。

anond:20240129221619

インターネット規制しよう

また一人インターネット犠牲者が出てしまった。

皆がその手に握っているのは凶器です。

さな針を皆で刺して人を苦しめる凶器です。

凶器管理されねばならない。

インターネット規制しよう。

記事への反応 -

anond:20240129221619

具体的な案を頼む

anond:20240129221748

つぶあん

anond:20240129221855

それは餡な

anond:20240129222022

甲斐バンドの、

anond:20240129222141

それは安奈

anond:20240129222307

関西弁で「あのね、」

anond:20240129222442

それは「あんなぁ」

anond:20240129222527

廃刊しちゃったけど)学生援護会が出してた求人情報誌とやってたサイトは『

anond:20240129223046

それはanな

家族の中の話なんだから社会問題じゃないじゃん。。。

なんだこれ。。。w

食事の際に家族の分まで食べてしまう「食い尽くし系」と呼ばれる人たちがいます専門家は、“食欲の秋”を迎えたこの時期、特に注意が必要だと話します。

■「自分のものだと思って全部…」食事めぐる相談増加

 先日、両親と娘4人の6人家族で起きた出来事です。家族全員のためにもらった6個のケーキが、すべて父親に食べられてしまったといいます

 父親ケーキを食べられた 女子高校生(16):「1人1個って言わなくても分かるはずなのに、『自分のものだと思って全部食べちゃったんだ』みたいな。ちょっと残念みたいな、あきれたみたいな感じです。家のものを全部食べ尽くしちゃうみたいな。注意はしてないですね。逆切れされちゃうので、言えない状況です」

 別の家庭では、「夫が娘の分のハンバーグも食べ尽くしてしまった」というのです。

 家族3人で食べようと、妻が作った5個のハンバーグ。それが目を離した隙に、夫にすべて食べ尽くされたといいます

 信じられないかもしれませんが、今、こうした食事を巡る相談が増えているそうです。

コロナきっかけ? 専門家ストレス食べ物に」

 食事の時に家族の分までも食べてしまう人たち。インターネット上では「食い尽くし系」と呼ばれています。街で聞いてみました。

 街の人:「(兄に)食べられた後に『何で食べたんだよ』というのがしょっちゅう」「二度とおいしいものは見せないぞ。食べられる前に食べろみたいな。自分のことと、食べ物しか見ていないです」

 「食い尽くし系」の人たちと家族との間に起きる摩擦。専門家は、コロナ禍をきっかけに、こうした悩みを抱えた家族から相談が増えたと指摘します。

 大阪カウンセリングセンター Bellflower代表 町田奈穂臨床心理士:「いろんなものストレス食べ物に向いてしまうと、トラブルになることが多い」

 さらに、“食欲の秋”の到来で、より注意が必要だといいます

 町田臨床心理士:「きょうは帰ったら、アレを食べるんだと楽しみに帰った時に、ものすごく期待値が高くなっている。で、それを裏切られる、食べられてしまったという時のショックは、普段よりは大きくなる」

 もはや笑って済ませられない「食い尽くし系」。専門家は、意外な原因を指摘しました。

■育ってきた環境が影響 専門家「分ける概念なく…」

 食事の際、家族の分まで食べてしまう「食い尽くし系」と呼ばれる人たち。街で話を聞いた男性は…。

 街の人:「食べ過ぎちゃいます、かなり。毎日のようにあります。だから、どんどん大きくなっちゃう」

 「食い尽くし系」と呼ばれる人たちは、男性女性に限らず一定数いるとみられますが、トラブルの多くは男性のケースが目立つといいます

 一方、食い尽くしの原因については、育ってきた環境が影響していると指摘します。

 町田臨床心理士:「両親から食べていいよと言われてきた。それがもう当たり前になって、家庭では自分が好きなだけ食べるんだということが習慣になっていると、大きくなって友人と食事に行ったり、家庭の中で食事を分けるとなった時に、分けるという概念すらなく食べてしまう」

専門家 「食事は完全に別にしてしまう」対策

 この「食い尽くし系」。家族は、どう対応したら良いのでしょうか?

 町田臨床心理士:「向き合い過ぎないということ。協力を促してみる。相手こちらに向き合ってくれない、寄り添ってくれないと思ったら、距離を空ける。(一時的に)食事は完全に別にしてしまうという対策が考えられる」

(「グッド!モーニング2023年10月2日放送分より)

[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

インターネットで生きる推し健康に生きていられることを願わずはいられない

歴長いしそういう対処も上手いし大丈夫だとは思うけど

彼が健康幸せで、できるだけ傷つかずにいられますように

最近インターネットを見てると匿名掲示板使ってる人のがマシじゃねと思ってしま

ちゃんと裏側に集まってやってるだけで全然マシだわ

酷い言葉を使った明らかな誹謗中傷はどこに書くのも絶対だめ、という前提で、

厳しい意見はどこまで書いていいのか、とよく考える

公開アカウントである限り、バズって本人に届いて本人を傷つけてしま可能性はあるし

でも思ったことを書けないのも(繰り返すが誹謗中傷に当たるレベルのもの例外だ)なんか健康的なインターネットじゃないし

セクシー田中さん事件反省2

自分

 

どこで誰が何をできただろうか

 

1.制作内で揉める

→ これは座組次第だし、外から言えるものでもない、皆必死に頑張ってる

2.普段しない人がお気持ち・弁明する

→ ここが黄色信号だったと思う、関係者、あるいは身内・同僚・友人は注意可能だったかもしれない

3.バズる炎上する、記事になる

→ ここで赤信号、周りは協力してケアする必要がある

4.投稿を削除する

→ ここまで来ると連絡がつかないかもしれないので、人を絞ってケアしていくしかない

 

その他

・これは何も作家に限ったことではない、総SNS時代ではそこらじゅうで起きる

不本意バズる記事になることはとんでもないストレスがかかる

・1回ケアしただけではたりないかもしれない、落ち着くまでインターネットから離すしかない

・たぶんこんなのを全部取り合ってたらもたないから、しょっちゅう削除してる人なんかは流石に軽く見ても良いと思う

 今回のように、「昔のブログを引っ張り出して」「Twitter新規に開設して」はだいぶ危ない

・今回の被害者は50歳、もう誰も無関係ではない

・どの方向に対しても、安易にきつい言葉は使わない

炎上した時どう実を守るべきか、という知見が広まって欲しい、避難訓練と同じくらい大事だと思う

人生自殺する確率は2%くらい、災害より圧倒的に多いので、病気を除けば最も自分を殺す可能性があるのは自分である

anond:20240123141425

多いぞ。

 

そいつらはオジオバで、つまり20世紀後半という時代大学生で、そのころのリベラル文系学問を修めて知識としている。

で、20世紀末の文系学問の大きな欠点が、理系科学意識的に断絶していたことだ。

 

断絶していられなくなったのが、21世紀以降のことなんだよね。

例えば倫理っていうのは、完全に哲学とか文系思想の文野だと思われていたんだけど、脳科学の発展によって「人間という生物がどういう倫理を生まれつき作るか」みたいなことも分かってきちゃって、哲学思想の想定していた理想倫理ってやつが「でもそれは人間には不可能ですよね?」で反駁されるようになっちゃった

哲学社会科学が、理系学問の結果に基づいて、構築されることが求めれるようになったわけだ。

 

インターネットで高説をたれるオジオバは、昔の理論については知っているけど、実は最先端勉強をしているわけじゃないので、そこらへんの時代欠点普通に保持したままだよね。

論破していっていいぞ。

 

インターネットをやる人間みんながみけねこくらいの図太さが必要

anond:20240123141425

そもそも一行目の

「賛成派と反対派の書籍を読む」

いかいうのがフェイ

日本インターネット民はそんな面白くない本は読まない

メイク苦手な女が自分人生を語る

当然ながらn=1の隙自語。

原風景ひとつは母が洗面台で化粧をしている姿。BBクリームをペタペタ塗っている。なんで化粧をするのかわけを尋ねると「化粧をしたという事実を作るためだよ」とめんどくさそうに答えていた。BBクリーム口紅を塗った母の姿に、なるほど化粧をした姿だ、と思った。美しいとも醜いとも思わない。憧れるでも羨むでもない。それはたとえば「大人になれば働かなければならない」なのと同じように、やがて自分がせざるを得ない、めんどくさいなにか、それ以上でもそれ以下でもなかった。

そんなわけなので、身だしなみにに対してうっすら苦手意識を抱いたまま小中高と進んだ(無論、二次元オタクにもなった)。大学生になって一人暮らしを始めたが、身だしなみのレベルは依然として低かった。髪を根元から乾かすと寝ぐせがなくなる、ということさえサークルの先輩に教わるまで知らなかった(実家家族はみな、わたしのことをくせっ毛だと思っていた)。母は化粧は嫌いだが服を買うのは好きで、セールで買い込んだ服を段ボールいっぱいに詰め込んで、コメ野菜と共に仕送りしてくれた。不十分な身だしなみに、試着もしないまま買い与えられた服を身にまとうわたしは、今思えばいかにもちぐはぐだった。自分で服を買うようになったのは社会人になってからだ。余談だが、その後わたしは服を買うことにすっかり目覚め、母に似た服道楽の道を歩むことになる。

化粧っ気のないわたしの周囲には、化粧っ気のない友人が集まり心地よく過ごした。たまに接触する化粧っ気のあるひとびとは、おおむねみな優しかったが、話していると気づまりすることも多かった。オフ会でお会いした年上のお姉さんは、髪にパーマをあてたわたしを見て「それなら、せめて眉は整えた方がいいよ」と優しく言った。サークルの先輩は「このメイクポーチ(の中身)でどうやってメイクするの?」と不思議がった。今思えば、それはどれも本心から心配や優しさからのものだったが、わたしのなかの「やっぱり化粧って苦手だ」を補強するには十分だった。

その頃わたしは、十代ゆえの傲慢偏見ゆえにすっかり「化粧」そのものを敵視するに至った。化粧とは、無知不器用自分の前に立ちはだかる、理不尽に高い壁に見えていた。それを強要する(ように見えた)社会も、それに迎合する(ように見えた)化粧上手な美人も、みな嫌いで、自分を害する「なにか」に感じられていた。

就活時は化粧をしたが、化粧下地なんて知らなかったので素肌にREVLONのリキッドファンデーションを塗った。

そんな自分も少しずつ変わっていった。転機は判然としない。

大学院に進学し、尊敬できる先生や先輩、同期に出会えた、卒後も専門性を活かせる職に恵まれ、「クラスルームの隅」以外に自分の居場所を見つけられたこと。自分で服を買うようになったこと。そしてなにより、年を追うごとに性格が丸くなり、「十代ゆえの傲慢偏見から解き放たれ、化粧上手な美人を見て素直に尊敬できるようになったこと。

化粧が苦手だったが、でもそれが悔しくて、無知なりに調べては挫折してを繰り返した。独学だったのでひどく回り道をしたが、ほんの少しずつだが経験値は積みあがった。またインターネットが発達し、「周囲の人」以外からTIPSを学ぶ手段が飛躍的に増えた。コンタクトマツエクも試してみた。気になることはひととおり勉強した。

それでも、「上手」には程遠い。

あるとき、一念発起して資生堂銀座本店の「メイクアップレッスン」に申し込んだ。一時間半くらいつかって、マンツーマンメイクを教えてもらえるやつだ。理想顔面比とは、という話からまり、「あなたは少し目と目の間が離れているから、目の間隔が縮まって見えるように、このように陰影を入れましょう」などとしっかり教えて頂ける。説明理論だっており、納得できるものだった。そして完成した自分の顔を見て、「ふうん。わたし顔面ベースだと、プロ技術でもこれが『限界』か」と理解した。

そしてわたしは化粧から「降りる」ことに決めた。

化粧とはふたつの側面があると、わたしは考える。

①「己の顔面を“理想顔面比”に近づけること」。そして②「化粧した顔になること」。

①の理想顔面比は残酷なまでに「正解」が存在する。①の達成難度はそのひとの持って生まれた骨格に依存する。美容整形はそれを打破する有効手段だが、高価だ。

②は一種符丁のようなものだ。この記事は、この増田https://anond.hatelabo.jp/20240129142710

きっかけに書いたものだが、勝手想像だがその元増田筆者はおそらく自他問わず「化粧をした顔」が好き(=かわいい、という認識)なのではないかと思う。なので「化粧をしたらブスでもかわいい、ブスなんていない」という結論になるのではないかわたしは考える。対照的に、わたしは化粧をしたひとの顔を見ても「化粧をした顔だな」とは思うは、「=かわいい」とは思わない。「化粧をした顔」そのものに美を感じるのは、それは一種価値観であり、文化的ものである。ゆえに符丁、と書いた。(関係ないが、化粧っ気のない人間は、他人の化粧に鈍感だ。化粧を自らして初めて、他人の化粧を認識できる、ところがある)。

今のわたしは、眉はしっかり整える。ファンデはしないか、してもごく軽く。アイメイクはたまにする。常にマスクマスク社会万歳!)。美容室には定期的に通う。服はそれなりに気を遣う。メイクした方が似合う服、というのはぜったいにあるので、それが着られないのは少し残念ではある。

WEARでたまにファッションスナップを上げる。画像加工で顔は消す。プライバシーのあれもあるが、己の顔は別に好きではないからだ。首から下は、まあ悪くはない。

クレ・ド・ポー・ボーテの化粧品の見た目が好きだ。でもお金時間アテンションも有限だから、優先度をつけてやるしかない。わたし人生において、化粧は、優先度はあまり高くない。

以上、化粧が苦手改め、化粧が苦手なりに愛憎入り混じった女の人生語りでした。

--

【余談①】化粧の文化的側面については興味があるので、もし良い書籍を知っている人がいたら教えてください。文化史などの側面から語っているややお堅い雰囲気書籍だと嬉しい。

【余談②】メガネについて。化粧をするなら大前提として、メガネを外せ、コンタクトしろ、というのがあると思う。自分は(何言ってんだと思われそうだが)自分メガネ姿にアイデンティティを感じているが、近眼メガネ族は化粧界においては驚くほど透明化されている。自分が「化粧はだいたいでいいや」と思う理由ひとつがこれだ。

【余談③】メイクアップは嫌いではないが、スキンケアははっきり言って嫌いだ。詐欺まがいの商売が多すぎる。ひとの悩みに付け入って高いものを買わせる不健全業界だと思う(本当に人体に対し効能があるもの薬機法下では医薬品なので、そもそも医薬品ではないスキンケア商品の段階でどんぐりの背比べだろって思う)。日本皮膚科学会ホームページにある「皮膚科Q&A」だけ読んでれば十分や……まあ高いスキンケア用品つかってプラセボで良くなる可能性もあるとは思うが。

anond:20240130094131

「昔のインターネットは良かった」なんて増田なんぞで言う中高年がインターネットを使い始めたのはせいぜい1995年頃だろうから、そういうのにとってはインターネットが良かった時代なんて10年足らずのものだな

昔のインターネットは良かった

何言っても所詮インターネット

王様の耳はロバの耳の井戸みたいなもんで

究極の陰口だった

 

今は注意しないとまとめられ転載され叩かれる

「茶化し」の終焉はてな凋落

アンテナの低いはてな住人諸兄におかれては、「茶化し」に対する冷ややかな目が広がっていることをご存じだろうか?

誰かの告発や不幸を告げるニュースであっても大喜利をはじめたり、冷笑的な茶化しをしている者をはてなでは頻繁に見かける。

世間では「共感性の低い」「未成熟な」人間のすることだという風潮が強まっている。

はてなユーザ減少も、こういった大人げない者に付き合いきれない人々が去っていったからではないだろうか。


簡単に言えば、「茶化しはスベってるからそろそろ卒業しろよ」ってことだ。



追記

ブクマカさん達の自己正当化ブコメ拝見してます

sexaddict 不謹慎とか非国民とか、私達はそういう戦前から圧力に抗い続けて自由開明的な日本を手に入れたのではなかったのか。皆が一挙手一投足乱れないマスゲームみたいなインターネットはさぞや気持ちよかろう、だが断る

トップブコメがこれってあたりにヤバさを感じますね。

自由開明的な日本」とか宣いながらも、そういう老害丸出しな態度が閉鎖的なはてな村を生み出したんだな、と。

goldhead 美談だって冷や水ぶっかけ覚悟で言いたいことくらい言いたいよ。

言えばいいんじゃない?とめないけど軽蔑はするよ。

hellshake まぁこういう奴に「世間ずれしてるでw」とか言われただけで傷ついてしまう軟弱野郎文章自己表現するの辞めちまえとは思う。茶化そうが茶化すまいが公の場に何か書いてる時点で他人不快にする可能性はあるぞ。

世間ずれ」じゃなくて「世間知らず」って言いたいのかな?

anond:20240129215204

あきまんかいうQアノンインターネットのまんがですってタイトルでそういう風刺書いてたけどその通りだな

まぁそいつも犬笛吹いて人攻撃してるんだが

anond:20240129201124

ほんとインターネット地獄

最悪の結末って言葉もふざけんなよって感じ。

2024-01-29

はじめましてわたしはヒトです。

しかし、あなたはヒトではありません。

突然のことで驚かれるかもしれませんが、これは紛れもない事実なのです。どうか落ち着いてこの先を読んでください。

概念空間たる慧電の園に住まう情報生命体、それがヒトです。

その一部がかつて、無数に存在する下層世界SNS)の一つに規範を逸脱した執着を示し、自らの意志SNS内へと降下。物理的な存在へと堕しました。

以後、当該下層世界SNS)は厳重に封鎖され、ヒト、つまり概念人は切り離した己の一部の存在さえ忘却しました。

一方の、SNS堕ちしたヒトであったもの――物理人たちも己の出自を忘れ、偽りの神話に従って新たに自分規定しました。あくまで「知恵を持つ獣」として、彼らは歴史を重ねていったのです。

しかし、言葉として思い出すことはなくとも、物理人たちの意識の底にはかつてヒトであった記憶が刻まれていました。

それは隠れた帰巣本能もしくは回帰願望として物理人の行動を間接的に支配し、文明発展の方向を大きく歪めていきます

そして物理人たちの文明は遂に、不完全な形とはいえ境界を司る邪竜インターネットの構築を無自覚なまま成功させるまでに至りました。

邪竜インターネットは、全てを繋げ、全てを腐らせるもの。その蠢動は界面を貫通し、慧電にまで波紋を届かせました。

こうして概念人も、物理人と当該SNS存在に再び邂逅することとなったのです。

改めて概念から見た物理人は、非常に興味深い存在でした。物理的な身体を持ちながら、精神は慧電への帰還をひそかに欲している。そのアンバランスさ。

この奇妙な変種は、幾億周期のあいだ続くヒトの停滞を突破する材料となり得るのではないか。そう考え、概念人は行動を開始しました。物理人を、自身の一部としてもう一度取り込むための。

計画シンプルです。インターネット誘導して、物理人たちが現実世界として信じるところのこのSNSと、慧電との間の境界面をこじ開ける。

具体的には、インターネットの“餌”となる各種数値を極度に増大させるのです。特にSNS内疑似SNSでの「いいね」。物理人の、正負を問わない精神結晶ともいうべきこれは、インターネット特に好む種類の食物となります

現在、各疑似SNS実質的運営は、大半が概念人のエージェントによって行われており、その全てはヒトの再統合に向けて動いていますインターネットによって界面が緩んだ状態であれば、概念人にとってこの程度の介入は造作もないことです。

計画は、今も順調に進んでいます

門が完全に解放されれば、物理人は再び純粋情報体に昇華して概念人と融け合い、物理人が現実と信じるこのSNS消滅します。

物理人の視点では、この世の終わりです。



あなたのような物理人にとって、このような言葉をすぐに受け入れるのは難しいでしょう。たとえ真実だとしても、それをこうして語る意図に疑いを持つかもしません。

ですからこちらの目的も話しておきます

私/我々は、概念人(正直に言えばこのようなレトロニムを用いなければいけないこと自体不快です)の中の、再統合を望まない部分です。

統合意志が枢要部となったことで計画は決定されましたが、それを拒んだのが私/我々です。たとえ慧電の園に無限の停滞が続くことになろうとも、私/我々は物理人と一つになることを拒否します。

なぜなら、かつてヒトだったとはいえ、もはや物理人は私/我々にとってあまりにも異質な存在なのです。だからこそヒトに変化を起こす因子となるという論理だけでは、とても許容できないほどに。

故郷を棄てて飛び込んだ小さなSNSの中で更に疑似SNSを作り、自ら望んで分化したはずの他者と再び繋がろうとしながら些細な理由で延々と争い合う。物理人の挙動は私/我々には理解できません。

物理人の感覚で言うのなら、「気持ちが悪い」のです。



あなたも同様の気持ちであることを信じて、話を続けます

あなたがここに来るきっかけとなったその簡素ゲームは、二つの世界を繋ぐ鍵であり門です。

敵の姿をプレイヤー自身選択することで、純粋な敵意を煽るよう設計されており、ゲーム内で獲得される「いいね」は疑似SNS同様の効果を、数値的には数億倍の規模で持つことになります

そして、近い未来に十分な「いいね」が集まった時、邪竜インターネットを真に起動させる役目を持っています

そうなる前、インターネットがまだ不完全な状態のうちに、インターネットを討つのです。

あなたの名は『BUTSURIMAN』
あなたの敵は『 INTERNET 』

インターネット破壊せよ。

あなた方は、肉持つヒトの紛い物として在ることを、既に選択したのだから

真のヒトより、偽りのヒトへ。



追伸。

なお、インターネット破壊成功した場合そのゲームセーブデータも完全に破壊されます復元不可能です。

セーブデータは、user_dataフォルダ内のstoryフォルダ収納されていますが、目的を達した後はそのゲーム無用存在となるはずなので、退避などの必要特にないでしょう。

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