「認知」の検索結果(10,000件以上)

2024-10-02

続・マイナカードICチップ不良、それなりにあるそうです

今日マイナカード交付を受け取り、ICチップが不良だったカードと交換してきた。

申請して実質2ヶ月かかった。

保険証統合後にICチップ不良起きると色々と詰むよなーという感想

今年6月初旬にコロナ病院行った際にマイナカードが読み込めず。後日、判明するのだがICチップ不良だった。当然調剤薬局でも読み取れず。

どちらも、マイナカードでの保険証は諦めて通常の保険証出した。財布に入れてあって助かった。高熱でしんどい時に出直すとかになってたら、やばかった。

コロナネットで調べたり、窓口への電話相談して、8月初旬に役所カード確認に行った。

役所の読み取り機で確認した結果ICチップが不良との事だった。

ちなみに、今年の年明けには確定申告マイナカード利用してて、子どもの分はスマホ認証ですぐ読み取るのに、自分マイナカードは2〜3回に1回しか読み取らず角度とか試行錯誤して読み取らせててなんかおかしいなとは思ってた。

今年3月頃に、マイナカード交付から5年目の電子証明書更新役所行った時も、リーダーにセットした際に1回目は読み取らずに置き直したら読み取ってて、この段階でもおかしかったんだよな。

昨年以前とかもスマホの読み取りたまに失敗してて、個別マイナカード問題と思わずマイナカードが全体的に読取りづらいクソ仕様なのかと思って、スマホケース外して読み取ったり工夫してた。

保険廃止マイナカード一本化後にICチップ不良起きたらどうすればよいのか?という疑問は大きく、今日受取の際に確認した。

窓口の担当文句言っても解決しない事は分かっているが、窓口で問題認知とその事例の掌握をしてエスカレーションされないと意思決定層に問題が起きてる事が認知すらされないかしょうがない。

再発行まで最短で1ヶ月半掛かるのに、ICチップ不良起きたら、保険証利用や確定申告はどうすれば良いのか?

別の方(上役?)が出てきて説明も有ったが、

・既に同様の事例、ICチップ不良が本自治体内の住民でも複数例起きている

・国に確認はしているが、現段階では国からどういう対応をするべきかの指示や見解は出ていない

確定申告での利用について申告時に発覚したら確かにマイナポータルでの申告は間に合わないかもしれないが、代わりに紙でも申告はできるが、保険証利用時に発覚して保険証利用出来なかった場合には原則論では一旦自己負担での対応にならざるを得ないかもしれない。

・国にも確認して、11月広報では対応方法を案内できる様に努めたい。おそくとも12月広報、これだと12月2日からの移行には間に合ってないですが、それでもそこまでには案内出来るようにつとめたい。

少し前の自治体職員増田愚痴

https://anond.hatelabo.jp/20221222025722

>余談:磁気不良というけれど

カード製造を急ぎすぎているせいか、非接触ICカードリーダで読めないカードが多い印象です。

上記増田の内容だけど、確かに私も最初電話相談窓口の人に磁気不良というワードで話をされたし、今日の応対してくれた役所の人の話からすると、ICチップ不良は少なくない件数起きてるんだろうなー、と

◼︎今思う事

国会議員さんへ

質問主意書マイナカードにおけるICチップ不良など、本人の責に寄らない再発行の事例件数を年間累計数確認してくれないですか?

あと、保険証マイナ"一本化"後に病気受診しようとしたタイミングICチップ不良が発覚した場合対象方法通達内容も確認して欲しい。

私はマイナカードでいろんなデータ連携して便利に活用していけば良い派だけども、マイナカード自体物理的に一定数の不良品交付してしまっている実態があるのだからエラー対応方法についてはシステム側や対応フローとしてきちんと考えておくべきだと思う。

エラー率が1億人の0.1%でも10万人でしょ

0.01%でも1万人でしょ

コロナとかインフルで高熱な中の受診時に、マイナカード読み取れないか自己負担ねって、自費診療で診察費とゾコーバとかタミフルの薬代も払うの結構しんどいと思う。

anond:20241001235447

それが不幸を認知する能力だけは衰えてないんだよな

ぼけてた隣の婆さんなんて家族しょっちゅうトラブル起こしてた

泣きながら家族に「殺してくれ」と言ったり、すごく苦しそうな声で「長生きは嫌や…」とぼやいたりしてて聞いてるだけで苦しくなってきたよ

真夏猛暑日の真っ昼間に「寒いな~」とか言い出すような婆さんですら苦しみを感じる力だけは健在なのが恐ろしかった

他の能力は衰え苦しむことしか出来ずにじわじわ死ぬなんてまっぴらごめんだね

東海道新幹線開業60周年

私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線開業して30年以上経った90年代

母方の実家があるため静岡病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。

そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶

当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。

全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピード新幹線新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。

こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系ホームに滑り込んでくる。

これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。

そんなわけでしばらく新横浜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。

ある時、静岡祖父旅行企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさ九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父神奈川まで来てくれた)

500系運用は決まってのぞみ静岡は停車しない。

フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。

空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。

何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜ホームに降り立っていた。

そこから中学修学旅行京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女京都に行ったり。

そして現在に至る。

三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったもの電車マスコンハンドルを握って仕事をしている。

JR東海新卒普通に落ちた。

恨むこともないし、社会人になり親友名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。

飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。

車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母距離は遠くなっていた。

そして、今年の正月祖父が亡くなった。

仕事中に訃報を伝えられ、品川から東海道新幹線に乗り込んだ。

予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。

流れる車窓を眺めながら、祖父との思い出が駆け巡る。

新幹線に乗り愛知万博家族みんなで行ったこと。

静岡ホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。

社会人になった後に神奈川祖父母が来た時、帰りの切符グリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。

祖父との思い出の節々に東海道新幹線が出てくる。

母は、修学旅行では寝台特急長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。

現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆ど目的地へ行くことが出来る。

私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。

会いに行こう、をテーマ曲に。これから日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。

そう思って文を締めます

東海道新幹線開業60周年

私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線開業して30年以上経った90年代

母方の実家があるため静岡病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。

そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶

当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。

全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピード新幹線新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。

こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系ホームに滑り込んでくる。

これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。

そんなわけでしばらく新横浜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。

ある時、静岡祖父旅行企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさ九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父神奈川まで来てくれた)

500系運用は決まってのぞみ静岡は停車しない。

フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。

空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。

何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜ホームに降り立っていた。

そこから中学修学旅行京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女京都に行ったり。

そして現在に至る。

三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったもの電車マスコンハンドルを握って仕事をしている。

JR東海新卒普通に落ちた。

恨むこともないし、社会人になり親友名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。

飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。

車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母距離は遠くなっていた。

そして、今年の正月祖父が亡くなった。

仕事中に訃報を伝えられ、品川から東海道新幹線に乗り込んだ。

予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。

流れる車窓を眺めながら、祖父との思い出が駆け巡る。

新幹線に乗り愛知万博家族みんなで行ったこと。

静岡ホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。

社会人になった後に神奈川祖父母が来た時、帰りの切符グリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。

祖父との思い出の節々に東海道新幹線が出てくる。

母は、修学旅行では寝台特急長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。

現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆ど目的地へ行くことが出来る。

私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。

会いに行こう、をテーマ曲に。これから日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。

そう思って文を締めます

2024-10-01

anond:20241001233702

逆に死ぬ前の数年間悲惨でもどうでもよくね?

それまでの人生幸福ならいいじゃん

不幸を認知する能力も衰えてるわけだし赤ちゃんと一緒だわ

赤ちゃんの頃毎日大泣きしてたことなんて覚えてないわけだし

長い人生の中で死ぬ前の数年間ってその程度の位置付けだと思う

死に際こそ人生の総決算みたいな考え方理解できないわ

anond:20241001072105

実はこいつの末路って割と幸せな部類なんだよな

パーキンソン病で生きる屍と化しながら死んだ爺ちゃん認知症で泣きながら毎日徘徊してた隣の婆さん、舌がんで唾も飲み込めず病院餓死した知り合い

どれだけ実りある人生を歩もうが、人に愛されようが長生きすると最期悲惨

こいつは66手前でぽっくり活けたし、嫌われ者借金もあったから逆に未練も無く死ね幸せだろうな

惨めな死に方した人間を何人か見てくるとこいつが普通に羨ましいと思えてくる

マザーテレサじゃないがクソみたいな人生を歩んでましな死に方をするって実は幸福なんだよ

anond:20241001072105

高齢化して認知機能が衰えて、

金も無いのになぜか自民党応援し、必死ネトウヨ活動をしていた。


いいね」が最後希望になっていたんだろうなと思った。

インターネットが無かったら幸せだったかもしれない人。

anond:20241001143219

裏金議員を厳正に処罰する=国家にとってプラス

隣国との断交をしない=国家にとってプラス

 

二者択一じゃなくて一挙両得とか一石二鳥だな。

国交断絶択一になるようなプラス要素だと言う認知してるの、流石に頭悪すぎるな。

anond:20241001143219

裏金議員を厳正に処罰する=国家にとってプラス

隣国との断交をしない=国家にとってプラス

 

二者択一じゃなくて一挙両得とか一石二鳥だな。

国交断絶択一になるようなプラス要素だと言う認知してるの、流石に頭悪すぎるな。

2024-09-30

妊娠出産グロテスクさに耐えられない

どうしても性行為妊娠出産という行いが私には耐えがたい嫌悪感がある。パートナーを作れたこともない。ただ、最近になってこの考えは動物一種として何か良くないんじゃないかと思い始めて悩んでいる。

動物出産シーンとかも無理。卵ならなんとか…なんだけど中が透けていたりするととたんに気持ち悪い。生命誕生神秘なんて感じられない。ただただ気持ちが悪い。

じゃあ自分が生まれたことは?とも考えるんだけど、まあ嫌だなくらいの感情好意的ではないな…少なくとも親がこのプロセスを踏んでいるという現実を正面から受け止めるとキツいものがある。

友人や同僚が出産したときには祝うけど、うわ、という気持ちのほうが強い。

認知の歪みなのかなんらかトラウマがあるんだと思うんだけどカウンセリングかに行ったほうがいいんだろうか…嫌だという気持ちを克服したいというよりはこの気持ちの根源を知りたい。

女だけどホルモンバランス言い訳にしてほしくない

タイトルのまま。

最近PMSやら産後メンタルやらホルモンバランスの乱れからくる精神面の不調について認知度が高まってきた。それ自体はすごくいいことだと思うがパートナー家族に対する理解を求める前に女性諸君はもう少し自助努力をしたほうが良い。

自分でも対処しきれないもの他人理解せよというのは無理があるし、これが他の持病であればもっと自分でなんとかしようと思うんだよ。例えば頭痛持ちや胃腸が弱い人はまず市販薬対処療法、それでもなんともならなければ病院に行くでしょ?

正直人間関係に影響する程情緒不安定になるならそれはもう異常だし、病院に行ってホルモンバランスを整えることも選択肢に入れるべきだと思う。ピルとか貼るタイプの薬とか色々手段はあるよ。取れる手段があるのにそれを放棄して「どうしようもないの!理解して!優しくして!」は同じ女としてうんざりする。

男とか女とか関係なく自分の心身の健康自分で確保すべきだし、それを放棄して生産性が落ちてる人に社会進出は無理だと思う。

女だけどホルモンバランス言い訳にしてほしくない

タイトルのまま。

最近PMSやら産後メンタルやらホルモンバランスの乱れからくる精神面の不調について認知度が高まってきた。それ自体はすごくいいことだと思うがパートナー家族に対する理解を求める前に女性諸君はもう少し自助努力をしたほうが良い。

自分でも対処しきれないもの他人理解せよというのは無理があるし、これが他の持病であればもっと自分でなんとかしようと思うんだよ。例えば頭痛持ちや胃腸が弱い人はまず市販薬対処療法、それでもなんともならなければ病院に行くでしょ?

正直人間関係に影響する程情緒不安定になるならそれはもう異常だし、病院に行ってホルモンバランスを整えることも選択肢に入れるべきだと思う。ピルとか貼るタイプの薬とか色々手段はあるよ。取れる手段があるのにそれを放棄して「どうしようもないの!理解して!優しくして!」は同じ女としてうんざりする。

男とか女とか関係なく自分の心身の健康自分で確保すべきだし、それを放棄して生産性が落ちてる人に社会進出は無理だと思う。

女だけどホルモンバランス言い訳にしてほしくない

タイトルのまま。

最近PMSやら産後メンタルやらホルモンバランスの乱れからくる精神面の不調について認知度が高まってきた。それ自体はすごくいいことだと思うがパートナー家族に対する理解を求める前に女性諸君はもう少し自助努力をしたほうが良い。

自分でも対処しきれないもの他人理解せよというのは無理があるし、これが他の持病であればもっと自分でなんとかしようと思うんだよ。例えば頭痛持ちや胃腸が弱い人はまず市販薬対処療法、それでもなんともならなければ病院に行くでしょ?

正直人間関係に影響する程情緒不安定になるならそれはもう異常だし、病院に行ってホルモンバランスを整えることも選択肢に入れるべきだと思う。ピルとか貼るタイプの薬とか色々手段はあるよ。取れる手段があるのにそれを放棄して「どうしようもないの!理解して!優しくして!」は同じ女としてうんざりする。

男とか女とか関係なく自分の心身の健康自分で確保すべきだし、それを放棄して生産性が落ちてる人に社会進出は無理だと思う。

2024-09-29

「純一郎時代時間差で日本を暗くした」とかいう人いたけど

自殺刑法認知件数見たら純一郎政権ピークだし失業率リーマンショックの次に高いし

金融機関破綻911イラク戦争もあったしリアルタイムで暗かったはず

anond:20240925192931

ふと思ったんだけどさ、イヴの時間アンドロイドくらい「ほぼ人間」なお手伝いさんが居てくれたら

増田みたいな人の扶けになるんじゃあないか

日常生活完璧な補助」によって人間性を恢復させて貰えれば少しは精神も落ち着くだろう

錯乱状態で荒ぶっているときも、人間みたいなトンチキな対応したりせずにそっとしておいてくれるだろうし

精神落ち着け認知面での不安も解消されていくだろう

○にたい人のツレとしてだけじゃなく、人類にはコンパニオンアンドロイド必要だよ

みんな誰かに自分のこと知って欲しいし、話を聞いて欲しいもんだから

倦まず弛まず付き合い続けてくれる相手が居てくれるのはこの上ない幸せだろう

アンドロイドには心が無いから駄目?

否。こちらが「ある」と思えば「ある」

(生身の人間相手だって勝手に「この人には心がある」と思ってるだけだから。もし実際にあったとしたって「どんな心か」なんて絶対からいか意味ない

からアンドロイドに心があるって思ったって全然良い)

一刻も早くそんなアンドロイドを作って欲しい

anond:20240929061409

科学批判

統合失調症の多因子性の問題

統合失調症は100以上の遺伝子座が関与し、環境因子とも複雑に相互作用する多因子性疾患です。単一遺伝子ターゲットにした治療が疾患全体の解決になるわけではなく、多数の遺伝子を同時に操作することが必要であり、その技術的な難易度は極めて高いです。また、複数遺伝子を同時に編集することによる予測不能な影響が懸念されます

CRISPR技術オフターゲット効果

CRISPR-Cas9やその他の編集技術には、オフターゲット効果意図しない部位での切断)が存在し、これが人体に対する長期的なリスクをもたらす可能性があります精神疾患治療のために遺伝子編集を行う場合、脳のような重要な器官に対して誤った遺伝子編集が行われるリスクは大きく、患者健康さら悪化させる危険性があります

知能の遺伝編集の複雑さ

知能は極めて複雑な形質であり、複数遺伝的要因と環境要因が絡み合っています。BDNFやNRG1などの遺伝子の発現量を調節することで知能向上が期待されると述べていますが、その効果がどの程度確実であるかは未知です。また、知能を向上させる遺伝子編集の試みは、倫理的問題のみならず、意図しない副作用(例:他の重要認知機能の低下など)を引き起こす可能性もあります

デリバリーシステム限界

遺伝子編集のためのデリバリーシステムウイルスベクターナノキャリア)にはまだ限界があります血液脳関門突破するための方法進化していますが、その効率安全性が完全に保証されているわけではなく、脳への遺伝子デリバリーは依然として大きな課題です。

治療効果の持続性と安全性

遺伝子編集効果が長期的に持続するか、あるいは長期的にどのような副作用が発生するかについてはまだ十分なデータ存在しません。特に脳への操作は取り返しのつかない影響を及ぼす可能性があり、非常に慎重な検討必要です。

倫理的批判

人間遺伝子操作倫理的問題

成人の遺伝子編集して疾患を治療するという行為は、基本的には「自己決定権」を持つ個人自由と捉えることができるかもしれませんが、統合失調症などの精神疾患においては患者自分状態を十分に理解してインフォームド・コンセントを行うことが難しいケースもあります。このため、患者自律性が尊重されないまま遺伝子編集が行われる危険性が高まります

知能向上の倫理的問題

IQを向上させるための遺伝子編集には、「優生思想」の危険性が含まれています。知能を遺伝的に操作することにより、社会において「優れた知能」を持つことが求められる風潮が助長される危険性があり、人間多様性や個々の価値否定する結果につながる可能性があります。また、技術へのアクセスが限られていることによる不平等の拡大が懸念され、経済的な背景により特定の人々だけが「知能向上」を受けられる状況は、社会的な差別助長するリスクがあります

長期的影響とリスクの不確実性

遺伝子編集技術の長期的影響は不確実であり、未来世代にどのような影響を与えるかはまだ未知です。特に生殖細胞系列編集ではないとしても、遺伝子修正が将来的に子孫に影響を与える可能性があるかもしれません。このため、編集によって得られる利益とそのリスクバランスをどう取るかは、社会全体での慎重な議論必要です。

技術的なアクセス公平性

遺伝子編集技術の利用は高額であり、一部の裕福な人々だけがその利益享受できる状況が発生する恐れがあります。このような不平等は、社会的な階級格差さらに広げ、人間価値遺伝子によって測る風潮を生み出しかねません。この倫理的問題は、社会全体での合意規制必要性を強く示しています

結論

統合失調症治療IQ向上のための成人の遺伝子編集は、理論的には可能であるかもしれませんが、多因子性疾患や複雑な形質に対する遺伝子操作の実現には、科学的な限界が多く存在します。また、倫理的には人間自由多様性社会公平性への重大な影響が懸念されるため、こうした技術の利用には慎重な態度が求められます

優しい奥さんがいてうつ

ツレがうつになりまして。」を読んでみた。

優しい奥さんがいても鬱になるのかと、体験談を読んでモヤモヤした。

奥さんが支えているのに、うつになってる夫がいた。

読んでて共感出来ないのがたくさんあった。

そんだけ心配してくれて、尽くしてくれる奥さんがいて認知が歪むとか、どんだけやねんっていう。

うつは脳の病気から、本人の意図しない状況なのはわかるけど。

幸せしかないやろ、そんなん。

それでわがまま言ってるのとか、無神経なこと言ってるのが意味わかんない。

1人で鬱になってる自分からしたら、ふざけんなよっていう感じがした。

少なくとも共感する前に、イライラしてくるなと思う。

あと、そんなに献身的奥さんがいて何年もうつなら、相当なヤブ医者

、ヤブカウンセラーか、思考が浅いかじゃないかと思った。治るのこの人?って感じ。

基本的に脳の認知を変えるか、自然治癒かだけど、自然治癒眉唾もの

結局は認知問題だけど、この状況で認知の歪みが修正出来ないとか意味不明って感じでした。

そうなると、違う理由かなんかでしょっていう。

2024-09-28

推し認知されたら情緒がめちゃくちゃになった

こじらせたオタク女の長文自分語りだが、よかったら聞いてくれ。

私は人生ほとんどを、ファンとして誰かを応援することに費やしている。

大手事務所アイドル声優さんスポーツ選手俳優さん、本当にいろいろな人を推してきた。

今まで推し認知してもらうことに憧れはあれど実際に認知がもらえることなんて一度もなかったが、今回、初めて推し認知してもらうことができた。

その結果、情緒がめちゃくちゃになっている。

正直、認知されるような推し方をしてしまったのを少し後悔するほどに。

私は、推しに対して、あなた応援していますという気持ちを伝えたくて手紙を書いたりプレゼントを送ったり、現場に足を運ぶことが多いが、それに対して返事がほしいわけではない。

通常であれば、推しオタクは1対多数のコミュニケーション、私から推しへのファン行為一方通行愛情表現だ。

一方通行からこそ、推しへの愛と感謝を出力MAXでぶつけることができる。

私にとってはそういう推し方が当たり前だった。

推しとの握手会に行って、直接思いを伝えられたことに満足して、その人を推すのを卒業したこともある。

ただ、認知されるということにほんの少し憧れはあったけど。

今回の推しジャンルは、今まで推してきた他のジャンルより規模が小さく、ファンとの距離がとても近かった。

一緒にファンになった友人がとても活発な人間なので、ファンになってまだすぐのころ、「一緒についていってあげるから!」と言われて、差し入れを持って接触イベントに行った。

いつもならそこで満足して推すのをやめてしまうのだが、まだ推し始めて日が浅かったことと、友人の存在と、「また来てくださいね!」と推しに言われたことで、単純にまた接触イベに行こうという気になった。

そこから1年間、現場に通い、毎回同じ差し入れメッセージカードを持って接触イベに行き、推し活の様子を自分のインスタに載せ、推しのインスタにいいねを押し続けた。

今思えば、同じ差し入れメッセージカードを贈り続けるという、認知してもらいたい人間がやるような推し方をしているが、当時はあんまり何も考えていなかった。

接触イベに行くこと以外は他のジャンルにいたときと同じような推し方をしていたつもりだった。

ある日の接触イベが終わったあと、いつも通りインスタのストーリー推し活してきたよ!とアップすると、1件のメッセージが届いた。

「いつもありがとうございます!」という、推しからコメントだった。

その日は嬉しすぎて、何も手につかなくなった。

後日の接触イベでも、推しこちらのインスタの内容に触れてくださったりした。

インスタでの推しからコメントも、一度きりのものではなかった。

確実に認知してもらえたことが分かった。

認知がわかった瞬間から、しばらくは嬉しくて夢のような時間だった。

ただ、その後突然冷静になった。

今まで自分接触イベであっても1対多数のつもりで推しコミュニケーションを取っていたが、認知された上で接触イベで会話することやインスタでメッセージのやり取りをすることは、自分の中で1対1のコミュニケーションとなった。

もちろん、繋がりとかでは断じてなく、応援していますという言葉に、ありがとうと返してもらうだけのコミュニケーションである

だが、1対1で神格化した愛をぶつけることに恥を感じる自分がいた。

自分推しへの感情は、推しの都合のいい部分だけをコンテンツとして消費したいという欲をぶつけているだけ、一人の人間としての推しを見ているものではない。

途端に自己嫌悪に陥った。

でも、認知は嬉しい。応援気持ちが届いていたことはとても嬉しい。

同時に、自分という個を認識された瞬間、多数の中の自分を見てくれていたことに対する優越感が含まれた醜い嬉しさも感じていた。

純粋な嬉しさではないことに、また自己嫌悪に陥る。

もう感情ジェットコースターである

毎日嬉しい気持ち自己嫌悪気持ちが波となってやってくる。

もちろん推しはそこまで深く考えていないだろう。

推しからしたら1対多数のコミュニケーションであることは変わらないと思う。

こちらが考えすぎていることは重々承知である

それでも情緒がめちゃくちゃになって、途端に推し活に疲れてしまった。

こんなことになるなら、接触イベには行かず、認知されない程度に影から応援していたほうが良かったのかもしれないと思い始めるほどには疲れてしまった。

認知されてなお、推し純粋気持ち推し続けることができる人に対しては、本当に尊敬の念を抱く。

私もこの状態脱出して、認知されていようがいるまいが、強い気持ち推しを推せる人間に早くなりたい。

それでしなないように、

人間視覚赤外線を感知できないし、嗅覚自分体臭を感知できないし、聴覚自分のイビキを感知できないし、味覚は自分味音痴認知できないし、知能は自分増田がつまらないことを感知できない。

2024-09-27

anond:20240924164210

介護保険ができなかったら「介護」「福祉」なんてなかったものとして扱われたし、病院高齢者施設化が倍速化しただろう。それだけでも御の字かな。

ただ障害者福祉の方は障害の種類が増えても対策法が増えていないので結局ジリジリと資源が削られている状態最近ヘルプマーク認知を高めて社会でどうにかする量を増やしていこうという動きはどうなのか?

出す金が渋いので公的扶助は削られていく一方なのだろうがオリンピック万博に費やされる金をみてるだけで頭おかしくなる。命よりも大事ものオリンピック万博なのかね?

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