はてなキーワード: BSとは
賃貸物件を管理する不動産屋がJ:COMと代理店契約を結ぶと何が起きるのか?
だが、そもそも建物にJ:COMの設備がなければ営業かける意味はない。
上記の代理店契約に、管理している物件、大家のリストをJ:COMに渡すことが条件として含まれているのだ。
ウチの場合はJ:COMと代理店契約はないものの、いくつかの物件で大家が設備を入れていたためえらい目にあった。
主に高齢者をターゲットに、リモコンが壊れてテレビは見てないというのに契約を結ばせたり、テレビ以外の機器を持たないのにネット接続をセットにした契約をさせたりされ、それらを解約させるために奔走した。
借主から不満が噴出し大家も何故かウチに文句を言ってくる。各物件のJ:COMの設備を片っ端から撤去してきた過去がある。
だが懲りずに営業してくる
かつて営業専門の代理店を使ってトラブルを起こしたから今後は使わないという。
点検と称して上がり込むのは詐欺だろうと伝えると、事前に営業することも伝えるという。いや、上がり込んでモノを売りつけようとするそのやり方自体がイカンだろうと言っているのだ。
今では共同アンテナや個人アンテナも安くなっているし、光回線でBS/CSを見ることも出来る。そしてJ:COMは安くもない。
であれば、人を騙すようにモノを売ることしかできないJ:COMは市場から退場してもらってもいいのではなかろうか?
ちなみにこれからJ:COMの設備がある物件の賃貸契約を結ぶ方へ。
個人情報の取り扱いにサインする前に、提供先からJ:COMを除くよう不動産屋に伝えよう。来てもどうせ契約しないからと言えば納得してくれる。
うちの実家はマンション建設の保障でただで契約できるはずなのに、有料番組と込で有料契約させられてた。
有料コンテンツなんて、全く見てないと言っていた。
父が死んだときに、チーマー崩れの兄が恫喝混じりでクレームつけてて、ドン引きしたが、母は雨が降るとBSの映りが悪くなって嘆いていた。
BSは有料範囲で、解約をやりすぎたのだが、兄の恫喝の手前連絡しにくいと言っていた。
実家ではなくうちの方には「KDDI」の販売員が、工事をしたからネットワークの調子を見せろとよく訪問してくる。
一回付き合ったときは、よく判らない箱で速度計測して、接続に問題ないが速度が遅い乗り換えないか、回線以外はそのままで大丈夫と言ってきた。
横でNTTの速度計測を使い、プロバイダまでは速いこと、ボトルネックはプロバイダ側のIPv4の転送にあり、プロバイダとも話をして原因の特定はできていること、ただ回線をKDDIに変えても意味が無いこと、V6プラスなどのサービスを利用するなら現状でも出来ること、そもそもどこからどこの速度を計測して、何が問題だと思い、何を改善する提案だったのか?と聞いたらそそくさと帰っていったが、KDDIに電話すると「契約販売員のすることで」と言う。
契約販売員に名刺もたせるのか?御社が責任を取れない人間にサ-ビスを売らせて、契約をした私が悪いというつもりだったのかと問うと、貴重なご意見をありがとうございます、今後に反映いたしますという紋切り言葉になったので電話を切った。
いや、そんなことが話したかったのではない。
適切な契約範囲・問題解決案というのがあるはずだが、それを提案してくれる販売員というのはなく、大抵契約する側に知識もない。
こういう悲劇は、サービス提供側が徹底すれば防げるはずなんだが、売上を優先してしまうんだろう。
新聞の契約もそうだが、契約販売員が勝手にやったことなので、と言うかたちで免責されてしまう空気は、なんとかならんものなんだろうか。
モーガンフリーマンとジャックニコルソンがW主演?で出てる最高の人生の見つけ方って映画をBSでやってたから録画した
そういやそんなニュース見た気もするわ
捨てたはずなのにまた砂浜に打ち上げられてるやつ
今見るとどうなのかなあ
夜は高台家の人々読んでたら22時過ぎになってた
ニーアオートマタやりたかったけどなんとなく仰向けになって目をつぶったらそのまま寝ちゃってた
背がでかかった
あまみゆうきがめっちゃ横柄だったってのをきいてから、芸能人がパンピーと接するときの態度をハラハラしながら見ちゃうんだよ
あと浜焼きじゃねーけど貝を外で網でやいて食べる店につるべがいってて、大学生と話してていいタイミングでカキが会話にツッコミいれてるみたいにはねてて、つるべやっぱ持ってんなと思った
まとめる気もなく思考の跡を自分がクソな人間であることを暴露しつつ。
•幼稚園年中の時に
「嘘泣きするな」と先生に叱られた。
泣くことで相手を謝らせ自分を正当化(もしくは無害化)するという手段に出ることがあり、それを叱られた。
泣くことで相手を謝らせる作戦は祖母の怒りを避けるために編み出した方法である。
実に小賢しい。実にズルい。
(祖母は怒った結果私達が泣き出している時に誰か人が来ると世間体からか私達に非があっても態度を豹変させて私達に謝った)
✼先生の教えは人の顔を見て泣くなということを意味していると私は解釈した。
部活の引退で解放感からひとりだけヘラヘラしてて、友達に怒られたのだが(当たり前だ)、
その時言われた
「なんで泣かないの?みんな泣いてるよ!」
というセリフがとても頭の中に残っていて、その時、失礼なことしたなと思うと同時に、
(私のことがムカついていたから泣いた可能性もあるなと今は思うんだけど)
※個人的に部活の強制加入と辞めるの不可で継続の強制はやめた方がいいと思う。
下関国際野球部のブコメにもあったけど「逃げた」という表現もやめた方がいいと思う。
•十二国記の風の万里、黎明の空というファンタジー小説の上巻300ページ目に、
「人の泣くのにはふたつあるんだなって。自分がかわいそうで泣くのと、もうただ悲しいのと。自分がかわいそうで泣くのは子どもの涙だよな。だれかなんとかしてくれって、涙だからな。…(後略)」
ただ悲しくて泣いたエピソード(人々がいた風景がなくなってしまった)で戦災孤児が言ったセリフ。
子どもの涙も流すとも言ってる。
対比で描かれている人物は自分がかわいそうで泣いていた見た目は16実際は100歳くらいの女の子で、
100年近く抑圧から抜け出せなかった抜け出そうとしなかった子で、自分を慰める涙ばかり流してた。
他の人も同じくらいもしくはそれよりつらい人死んで泣けない人がいるのにずっと泣いてるのはカッコ悪いよっていう話。
※ちなみに彼女は主人公ではないけど彼女合わせて3人の女の子が成長する物語。
•ラジオで某ミュージシャンが泣いたことがあって、作るのつらくてつらくてしょうがない、しかも結果出ないって言う。
(あれを聞くと頑張ってほしいけどつらいならやめたいなら無理強いさせたくないと思ってしまうのだが)
泣くのはダサい汚いズルいカッコ悪い男らしくない恥ずかしいっていう言説と美しいって言説がある。
他人が泣くのは、腹立たしいこともあり、美しく感じることもある。
他人の存在を意識して泣くとかそういうんじゃないただ感情に任せた涙が甲子園にはあるけど(他人は確実に存在していて消費してるけど)、
そういうのって世の中どのくらいあるのかっていうことと、
少なくとも子供の涙(自分を慰めるための涙)とただ悲しくて泣く涙というような、
カテゴリー分けするのは単純には無理だし、
美醜を感じることはあれど、それも立ち位置や前提となる状況についての知識によって異なるため、
甲子園も美しいけどかわいそうで間違ってるから改善すべきという人もいるし(子どもの意思や目標と大人が子どもに負うべき責任のバランス)
とりあえず、常に他人の目を気にしてカッコ悪くないように泣く泣かないを決めている(他人の目を見て感情を圧し殺す)と、
社会は簡単には泣くことを許さないけど、泣いて反応が帰ってくるまでは、社会が何が恥ずかしいことだとしていて、何が恥ずかしくないとしているかわからないし。
※ちなみに海外では結婚式で泣く日本の男は面白いとBSのCOOLJAPANでやってた。海外大変。メンタル病む。
生きているということは他人から観測されることなので他者の存在からは縛られる。
ということはダサいは泣く泣かないによらないのか。
泣くのはダサいかっこいいの最終段階のダメ押しか。ダサいかっこいいは過程。
これだな。
そして泣くことを恥ずかしいことだと考えたことすらない人は、わりといい人生送ってる気がする。
目標や地位を達成するためには泣きたくなること=恥をかくことは何度もあるはずだから。
失敗して泣くのが恥ずかしいがために目標に挑戦しない頑張らない人なんてざらにいると思うんだけど、もったいない。
以上まとまりなく。
追記
BSのテレ朝チャンネルでよく、大山のぶ代さんが声をあてていた頃のドラえもんのアニメが再放送されている。
先日たまたま休みだった日にテレビをつけたら、おそらく80〜90年代頃のドラえもんが放送されていた。
最近のドラえもんのアニメは見ていないため論から外すが、まるで20年以上もドラえもんのアニメ・漫画に触れてきたと言うのにその時突然、果たしてスネ夫はのび太の友達と言えるのだろうか?という疑問が湧いて出た。初めて湧いて出た。
私はずっと、そうと意識はしないまでも、ドラえもんの主要キャラクターの中でのび太、しずかちゃん、スネ夫、ジャイアンは友達同士だと思い込んできたことに気づいた。
しかし、よく考えてみれば、新しいビデオを入手した時に「このビデオは3人用なんだ」と言いのび太を仲間外れにし、別荘に旅行する時も運転手を含め車が4人乗りだからと言いのび太をハブにし、敢えて3人が楽しそうな写真をのび太に送りつける。私が偶然見た再放送の話では、別荘に行くことは伝えてあったが、のび太が届いた写真を見て初めてしずかちゃんとジャイアンも一緒に行っていることを知ったようなシーンがあった。こんな行為を、友達だと思っている相手に執拗に繰り返すだろうか?
のび太が勉強もスポーツも出来ない、自宅で射撃とあやとりを時々やって自分を天才だと鼓舞するだけの冴えない小学生で、ドラえもんの世界においても周りにいる人たちからいじめられ面白がられるという"キャラ"であることは理解出来る。
そしてのび太は、いじめられたり騙されたりしてもスネ夫やジャイアンが家に来たら玄関先で追い返したりしないし、時にはドラえもんの道具で遊ぶ時に誘ったりする。("優しいから"なのか?)
のび太にとってのスネ夫やジャイアンは、いつもいじめられバカにされる相手であるが、ドラえもんの存在を盾にして見れば、自分がドラえもんの道具の利用によって優位に立てる(あるいは人の役に立てる)状況になった場合に、真っ先に優位に立ちたい相手なのではないかと思う。のび太は自分のダメさをわかっているので、ドラえもんの道具を使用してスネ夫とジャイアンに勝つ、あるいは遊び場などを提供する権力の強いものの立場に立つ時が、最も自己を肯定出来る瞬間なのではないだろうか。
変わってスネ夫であるが、私は彼がのび太を友達だと思っているとは到底思えない。
彼のやり方は小学生〜高校生にかけての女同士の世界で私自身幾度となく体験してきたものに非常に近い。
あいつはそういう"キャラ"だから、と言って相手をイジって面白がるふりをしてハブにする。自分から遠ざける。一緒には遊びに行かないし新しいビデオも見せない。これは個人的な体感で言えばのび太は確実に嫌われている。それもかなり、相当嫌われている。
スネ夫がのび太に何か良い対応をする時、スネ夫の目的は大体ドラえもんである。スネ夫はドラえもんだけにのび太の価値を見出している。
のび太とスネ夫の関係はかなり複雑なものであるが、どちらかと言えばのび太側だった私の人生をソースに考えた場合、のび太はスネ夫を友達だと思っているかもしれない。対してスネ夫はそうではないだろう。
以前は多少つまらなくてもアニオタと矜持として、8割ていどの深夜アニメを最終回まで見ていたけど
さすがに時間が取れなくなってきたので厳選することにした。
地方民でBSも見れない環境なのでテレ東系は一切地上波で見られないし、何のアニメがどこで動画配信しているのか
把握するだけで時間がかかる。実にめんどくさい。
最近の曲よりもきいてて落ち着くし、きいたことあるのもあるから楽しい
年取ってあっさり和食が好きになるのと似てる気がする
しかしいい曲多いなー
ついこないだのは60sのやつで、ビートルズもどきが多すぎてワロタw
stop in the name of loveってカバーしかしらなかったけど、オリジナルはこんなにまったりしてムーディーな感じの曲だったんだねえ
サウンドオブサイレンスはyoutubeで年取ったあとに演奏してるのはみたことあったけど若いころのは見たことなかったから新鮮だったけど、年取ってからのほうがいい感じに演奏も歌唱も力ぬけてて歌本来のよさが出てたような気がしたなあ
昔の話だけど、後に夫になる人と付き合いだしたとき、はじめて一緒に見た映画は彼のチョイスで「マトリックス リローデッド」だった。私は前作の話もうろ覚えだったこともあり、さっぱり面白くなかったのだけど、彼はあれが良かっただとかあのシーンはなんたらの映画のオマージュでこれこれな意味だろうとか、とにかく楽しげに感想を話していた。
こんなにつまんないものを楽しめるとは大した人だなと感心して、一緒にいたらこれからも楽しいかもなとトキメいたのをよく覚えている。
それから10年以上たって、結婚して子供も産まれた最近、BSでマトリックス一挙放送というのがあったので、確か好きだったよなと思い録画しといてあげた。
子供が寝たあとヘッドホンで映画を見るのが我が家の定番だが、夫は久々のマトリックスを見ながら「やっぱ二作目はいまいちだなあ」などというので、子供が寝てることも忘れて、はぁ!?と声を出して驚いてしまった。アンタこれめっちゃ褒めてたやん昔、と。
夫が言いにくそうに告白したところでは、「映画館で見たときもそんなに面白くはなかった」「でも、初めて一緒に見た映画が駄作というのは気分が下がるかもしれないから頑張って褒めていい思い出にしようとした」だと。
あたしのあのトキメキを返せ、とも一瞬思ったが、改めて、その優しさというか前向きさというかとにかく必死さは大したものだな、と、おばさんになったあたしの心の、別のところをしっかり掴んでくれましたことは、ありがとうと言うしかない。
韓国という国がどうであろうが日本の世のおばさま方は依然として韓流ドラマを見ている。
BSチャンネルのテレビ欄を見れば韓流ドラマのタイトルが散見される。
いうならば若い女性のなかにいる、腐女子や夢女子といったオタク層が夜な夜なBS11でアニメを見たりそれらを録りためたりするように、
アニオタや乙女ゲームのプレイヤーであって声優というものに無関心な人間は少ない。
声優オタクと呼べるほどには熱心でないにしても、片手で収まらない程度には声優の名前を知っている。
アニメやゲームの新作をチェックする際に注目する点としてヴォイスキャスティングは大きな要素であって、
キャラクターがどんな声をしているかということはかなり重要視されていると僕は思う。
しかし韓流ドラマを見るおばさまの間で「声」について語られるのを聞いたことがないしそれを気にする素振りも見受けられない。
韓流ドラマというコンテンツの性質として、吹き替えの声優は無視されてしまうものなのか、
それとも現在おばさまにカテゴライズされる年齢層の文化的特質として声優の価値を低く見積もる癖があるのか、
それとも僕の思い及ばない何かしらの理由があるのか。